愚者と暴君Ⅰ
常月 夏日
久し振りに落ち着ける環境が整ったから日記を書いてみる。落ち着いたと言っても荷解きとか手続きとかあと職場への挨拶とかやる事は盛り沢山だからまだまだ忙しいんだけどね。
今、俺は絃神島にいる。というより今日からここに移り住んだ。以前は流浪人の如く彼方此方へほっつき回っていたから一箇所に根を下ろすというのはちょっと新鮮な感覚だなぁ。
絃神島。太平洋のど真ん中、交錯する龍脈上に位置する常夏の人工島。カーボンファイバーと樹脂と金属と、魔術によって構成された小さな島であり、絶滅の危機に瀕した魔族の保護研究が行われる「魔族特区」の一つだ。
俺がここに移住した理由は色々あるけど、まあ現状一番の理由はアヴローラかな。次点に殆ど同列でこの島の在り方がくる。かつて“方舟”が在った場所に人工島が作られた、挙句祭壇だとか何だと言われていたら胡散臭いと考えるのは当然だろう。
まあそれよりも今はアヴローラだ。“方舟”以来、今の時代的に言えば“聖殲”以降彼女とは会ってない。眷獣としての彼女には何人か会ったけど、みんな反抗期かましてたし。しかも出会って開口一番に揃いも揃って「やはり人間ではなかったか」とか言ってくれるんだもの。失礼しちゃうぜ。
そんな中で未だに眠りから目覚めていなかった“
元々ここには移住する予定だったので問題はなかったが、余計な頼みをしたせいでまたあいつに借りが増えてしまったのは痛恨の極みだ。あいつが色々と裏で手を回して便宜を図ってくれた事で助かっているのは確かだが、あんまり借りを作りたくないんだよなぁ。一体どんな無茶な要求をされるか、想像するだに恐ろしい。
ただまあ無理を言った甲斐はあったと思う。おかげで件の兄妹、凪沙ちゃんと古城少年とはコンタクトが取れそうだし。まさか二人に近づくために教師をやる羽目になるとは思いもしなかったが。
ここ一年は大変だった。何せ教員免許を取る為に必死こいて勉強していたのだから。この歳になって一から勉強する羽目になるとは思わなかったよ。無事取得できたからいいんだけどさ。
勤め先は暁兄妹が通う私立彩海学園。そこの中等部の英語教師である。担当教科に関しては世界を巡った経験から語学の知識だけは豊富だったのでこうなった。まあ数学とか科学教えろって言われても困るしぃ? この世界って俺の元いた世界より科学もファンタジーしてるから俺の知識じゃ太刀打ちできないからこれでいい。
さて、問題が一つ。件の凪沙ちゃんが事件当時から入院しっぱなしなんだよね。古城少年はちゃんと登校しているから接触は学園で可能なのだけれど、凪沙ちゃんの方が難しい。
というか入院の理由って憑いてる
だがそれを実行しようとすると凪沙ちゃんごと滅尽滅相しないといけなくなるんだよなぁ……。それはちょっと憚れる。この手は本当に後がなくなった時の最終手段だな。
まあまだ先の話だ。お姫様は柩に閉じ篭もってるし、暫くは様子見に徹しよう。
それよりも俺は教師として上手くやっていけるかな。生徒からいびられたりしたら泣くぞ? あぁ、すっごく不安だ。幸い職場にはちょっとした知り合いがいたので教師同士の付き合いに心配はないが、それでも不安は尽きない。
取り敢えず、寝る前に挨拶の練習をしておこうと思います。
少月 年日
教員生活始めて二週間。案外、教師も性に合っているかもしれない。生徒たちから邪険にされることもなく良好な関係を築けているし、職場の空気も悪くない。あれかな、ここが魔族特区だからってのも大きいのかもしれないな。俺の白髪も驚きこそあれどとやかく言われることもないし。
ただピーチ先生とか妙な名前で呼ぶのは止めて欲しい。いや、俺がしょっちゅう桃を食べてるのが悪いんだけどさ。ピーチ先生はちょっと、ピンクでいつもピンチなお姫様を連想しちゃうから。
そうそう、古城少年だが無事接触することができた。何というかちょっとピリピリしているような印象を受けたが、あれは多分入院している凪沙ちゃんを心配しているのだろう。妹想いなお兄さんで良いことだ。
会話の内容はただの世間話だったけど、それだけで十分彼の性格は把握できたと思う。アヴローラはこういう男の子がタイプなんだなぁ。悪い子ではないし、俺としては口を挟む気はないんだけどね。やっぱり気になっちゃうものよ。
歓月 迎日
俺自身が仕事に慣れ始めたというのもあって同じ職場の先生方がちょっと遅めの歓迎会を催してくださった。
いや、本当ありがとうございます。上手くやれてるか不安だったけど、改めて周囲からよくやれてると言ってもらえると安心する。それに同じ職場の先生方とこうやって友好を深めるのも俺にとっては貴重な体験なので大変有り難い。
何せもう長いこと仲間とか友人とか呼べる存在がいなかったから。いてもごく短い期間な上に協力者というか取引相手みたいなものだし。純粋に職場の同僚関係というのも悪くないと思えた。
その中でも特に親しく接しているのは笹崎岬ちゃん。彼女は彩海学園中等部に存在する数少ない国家攻魔官であり、絃神島に移住する前からの知り合いだったりする。ぶっちゃけてしまうと短い期間だが師弟関係を築いた関係だ。
確か岬ちゃんがまだ七歳の時かな。彼女は驚くべきことにたまたま偶然
まあ有り得ない話ではない。何せ俺自身がそうだし、師父も千年に一度くらいはいるとか言っていたし、それを思えばむしろ少ないほうだろう。
何はともあれ不慮の事故で神秘溢れる仙境の地に辿り着いてしまった岬ちゃんの処遇をどうするかと悩んだのだが、彼女たっての希望で武術を教えることになった。何でも岬ちゃんのご両親は国家攻魔官で、娘である自分も将来は両親のように立派な攻魔官になりたいんだそうだ。
健気な女の子のお願いに応えない訳にはいかない。流石に不老不死にさせるつもりはないので仙境での修行は出来ないが、岬ちゃんが強くなれるよういくらか手助けしよう。
決断してからは早く、親御さんにもきちんと了承を頂いた上で岬ちゃんの修行に当たった。
いやぁ、何というか岬ちゃんも凄いね。武術、殊に体術においては子供ながら既に才能の片鱗を見せていて、教えたことをスポンジの如く吸収していくもんだから俺も熱くなっちゃって。今では“仙姑”だなんて異名もつけられちゃって、師匠として鼻が高いわ。
そう言ったら「師匠にはまるで及ばなかったりしますけどね」と苦笑いで返された。そりゃ師匠ですもん、追い抜かれなんてしたら面目丸潰れよ。
岬ちゃんがいたおかげもあって俺は今、職場で浮くこともなければ新人いびりされることもなく過ごせている。岬ちゃんはちょっと気まずそうだけど。短くも己の師匠であった人が職場に新人としてやってきたらそりゃそうなるわ。
ちなみに俺の正体について、特に不老不死のことについては一切他言無用を頼んでいる。岬ちゃんも異論なく受け入れてくれた。全く俺はできた弟子を持ったものだ。
ただ気を抜くと「師匠」って呼ぶのは頂けない。職場の先輩後輩云々の前に、生徒たちの前でそれはあかんて。おかげで最近は桃も相まってピーチ師匠とか呼ばれるようになっちゃったじゃないか。慕われているのは分かるけどさぁ……。威厳が、教師としての威厳が……。
兄月 心日
授業前や後の休憩、そして放課後を使って俺は自然を装って古城少年に話しかけている。目的は彼自身の経過観察とあわよくば凪沙ちゃんと接触する機会の獲得だ。
赴任からもう半年近く経っているから妙に警戒されることはない。会話の内容も結構充実していると俺は思う。だから今日は少しだけ踏み込んだ話をしてみた。
と言ってもいきなり妹さん云々に話が飛ぶのは訝しまれるから、まずはこの絃神島へ移住した切っ掛けとかからだけど。同じ島外からの移住者ってことで話を振ったのだが、むしろこっちのほうが答え辛かったかもしれない。
何せ古城少年は二年ちょっと前に起きた
これは記憶が混乱しているのか、はたまた記憶操作か。古城少年に嘘を吐いている気配がないのでそのどちらかだろう。確か第四真祖に掛けられた呪いに他人の記憶を奪う能力があったが、それとは違うような気がする。まあ今は特別気にすることでもないだろう。
それよりも今日の収穫は古城少年から凪沙ちゃんの話を引き出せたことだろう。シスコンな彼から病床に伏せる妹の話を聞きだすためだけにここまで骨を折るとは。しかもまだ妹がいるって聞いただけである。現時点では何の接点もない。
これは長丁場になりそうだな……どうにか古城少年の好感度を上げられる方法はないだろうか。
……そう言えば古城少年はバスケ部所属だったな。以前、教頭先生から部活の顧問をやらないか仄めかされたことがあったが、良い機会かもしれない。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。バスケの経験とか皆無だけど、運動神経だけなら申し分ない。いっちょやってみますか!
籠月 球日
バスケってルールとか結構細かい上に奥が深いのね。ノリとか勢いで運良く空いていたバスケ部の副顧問に立候補したけど、早まったかもしれない。別にバスケが嫌とかじゃなくて覚悟が足りてなかった。
バスケに全力を賭している部員たちへの冒涜だ。全く、もう少し考えてから行動しろというものを。こういう軽率な所があの頃から治らない欠点なんだろうな。
と言うわけで、見事古城少年に一対一でボロッカスにやられました。今は本屋で購入したバスケ入門書を読んで勉強中です。何れはミスディレクションとかメテオジャムとかやってみたい。まずは普通にドリブルとかシュートの練習だけど。
古城少年のバスケの実力は率直にいってズバ抜けている。他の部員たちとは比べものにならない。それは仕方ないだろう。何せ古城少年自身は自覚ないが肉体は吸血鬼の従者なのだ。身体能力の時点で一般人の部員に勝ち目はない。
吸血鬼云々を抜きにしても古城少年のバスケの腕前は中々のものだと思う。素人目から見てもそう感じるのだ。他の部員たちも古城少年には一目置いている。
ただ側から見ると若干浮いているように見えるというか、古城少年一人が突出しているせいで部員のモチベーションがあまり宜しくない。古城少年がいるから的な空気が微妙に感じられる。
これは部活として、チームとして宜しくない。あからさまにそんな雰囲気が出ている訳ではないが、何れ問題になるのは確実だ。一応顧問の先生にそれとなくその旨を伝えたが、果たして上手く回るものか心配だ。
取り敢えず今の俺に出来ることは一日も早くバスケの技術と知識を向上すること。その為に古城少年に教えを請いつつ好感度を上げることだ。
年月 下日
情けないながらも古城少年にバスケを教えてもらいながら教職に勤しむ今日この頃。先日気付いたのだが、古城少年は俺の思っている以上に女誑しらしい。しかも年下に対しては無類の力を発揮する。
と言うのも、ここ最近一年生の授業に行くと女生徒からよく声を掛けられるからだ。内容は主に古城少年についてのあれこれ。俺? てっきり俺に興味を持ってくれたのかと早とちりしちゃったわ……やばい、ちゃっと涙が。
まあそれは置いておいて。ここ最近、俺は部活終わりの短い時間に古城少年からバスケのイロハを教わっているのだが、どうやらそれを知った女生徒たちが俺と古城少年は仲が良いと察して話を伺いに来たそうな。
主に訊かれることは古城少年の性格とか好みとか……いや、知らんがな。俺はただバスケ教わってるだけだもの。まあ他にも下心がないとは言えないが、基本的にバスケ教わってる時はそれ以外のことなんて話題に上がらない。なので残念ながら恋する乙女たちの期待には答えられなかった。
そう言えばついでと言った感じに俺のタイプも訊き出そうとした子もいたけど、何のついでになるのやら。その場では無難に普通の女の子と答えてはおいたけど。
ともあれ、古城少年の年下からのもてっぷりは凄まじいものだ。しかも本人は無自覚鈍感ときた。あな恐ろしきや、これが真性の年下キラーか。アヴローラのことを思うとちょっびり複雑だけどね……。