親潮は中身を飲み干した桐の升を、テーブルに強かに叩き付けた。
反動でテーブルの上のものがわずかに宙を舞うが、倒れ割れる事無く、ほぼ元の位置に戻った。
手袋越しの強靭な握力で密度の濃い繊維を握りつぶしながら、親潮は涙を拭い鼻をすすって、困り顔の龍鳳に酒のお代わりを要求する。
値が五桁はする日本酒を取り出す龍鳳から視線を外して横目に見るのは、“春イベ未着任、憂さ晴らしの会”の掛け軸だ。
2016春期間限定海域。
本イベントにて親潮は実装されたのだが、海域攻略時にドロップされる事はなかった。
期間終了ぎりぎりにドロップとなった姉妹艦の嵐を涙と笑顔で見送った後、世界が終ったかのように塞ぎこんでしまった親潮を気遣ってか、同じく実装済みでありながら未着任の武蔵たちがこうして宴を開いたのだ。
親潮たちが宴会を開いているこの部屋は、実装されながらも未だ鎮守府に着任出来ず、艦隊に合流できていない艦娘たちのための部屋だ。
親潮に便乗して飲んだくれている艦娘は、他に7隻。
武蔵やビスマルク、大鳳といった大型建造枠の艦娘、高練度海域で邂逅可能な雲龍と酒匂、そして親潮と同じく未だ限定海域のみで邂逅可能なローマだ。
大型建造組はもう慣れたとばかりに気楽に酒を酌み交わしているが、親潮同様未だにイベント海域のみ出現するローマに至っては、今回もドロップしなかった事に腹を立てて、先ほどからずっとピザ生地をぶん回している。
“ローマ! 怒りのピザ生地回し!”と書かれた新しい掛け軸を壁に掛けた龍鳳は「……前回よりもさらに力入れて回してますねアレ」と苦笑だ。
他の艦娘たちはピザに乗せる具材を口々に注文して、ローマ本人から「うるさい! 後にして! 最初はマルゲリータなの! 決定事項なの!」と怒鳴り返されている。
アンチョビのピザなんていいなあ、などと、親潮は口内に涎が溜まるのを飲み下しながら、後でローマの機嫌が直った時にお願いしようと密かに思う。
そのローマと言えば、回して広げた生地にテンポ良く具材を乗せ窯に入れ蓋を閉じて、傍らに置いていたワインを一気に煽っている。
つい最近まで同じ部屋にいたポーラというローマと同郷の娘も、ああしてワイン瓶ごと一気などやっていたが、あれはイタリア艦の芸風なのだろうか。
ローマに対して、同じ期間限定海域にしか出現しない艦娘として勝手に親近感が湧いてしまう親潮だったが、そんな感傷を向けられたローマ当人は「……まあ、気持ちはわかるわ」と照れくさそうに言って慰めてくれるものだから、思わず抱き着いてしまい「……あ、おっぱいだ」と、安心に包まれたのはつい先日の話。
新しく用意した升の中にコップを置いた龍鳳は、酒瓶の中身をそろそろと注いでゆく。
コップから溢れ升に落ちる酒を見つめながら、親潮は急速に酔いが覚めて来ている己を自覚して、誤魔化していた不安が蘇ってくる感触を肺の辺りに感じて、顔に苦みを含んだ。
次の限定海域開放は早くても三か月後で、例え次回まで待ったとしても、自分がドロップされて鎮守府に着任するかどうかは、運次第であるところが大きい。
運だけならばまだあきらめて気長に待とうとも思えるが、提督が親潮の獲得に感心を示さなかった場合、自分は永遠にこの部屋に留まり続けなければならないのだ。
今回のイベントで言えば、妹艦の嵐だって獲得にそれほど力を入れているようには見えなかった。少なくとも、親潮にはそう見えたのだ。
陽炎型駆逐艦の中で自分だけ、ひいては駆逐艦という艦種の中では自分だけが未着任と言う事実に、悔しさや悲しさ、やりきれない感情が渦巻いている。
これが他の未着任艦はどうかと言えば、先にも描写した通り、一部を除いてのほほんとしたものだ。
特に建造落ちする武蔵とビスマルク、そして酒匂などは呑気なもので、「未着任で艦隊せんせーしょーん」と、ほろ酔い気分で歌い出している始末だ。
彼女たちに恨みはないが、その余裕の態度には嫌味のひとつも言いたくなる。
「……いいですね。大型建造落ちする艦娘さんたちは」
実際に言ってしまって、そして激しい後悔に襲われて、親潮は涙ぐむ。
そんな新入りに気を悪くする事もなく、未着任組は肩を組んで酒を勧めてくる。
「まあ、気持ちはわからんでもないさ。入手経路がイベント海域一本となればな? ……いや。資材さえ投入すれば365日可能性がある私たちとしては、気持ちがわかる、とも言えたものではないだろうがな」
「そうは言っても武蔵? 我が鎮守府の提督は大型建造にだって、積極的ではないのよ? 一時期はZ1レべリングして私の事を狙っていたみたいだけれど、ここ一年くらいはイベント告知前から狂ったように資材集め始めるものだから、最近はとんと御無沙汰ね?」
「……アリのように集め、キリギリスのように使う。そんな感じ」
建造組に混ざりたいのか、隅でひとりで呑んでいた雲龍がすすすと輪の中に寄って来る。
何かと親潮に密着して酒を注ごうとしてくるのは、彼女も空母勢の中で取り残された悔しさを持っているからか、それとも妹たちに会えない寂しさからか。
“寂しさ”と言えば、何かと酒匂が密着してくるのもそうなのかもしれないが、正直こちらはクッションが薄くて甘える事が出来ず、逆に面倒見なければと姉側のメンタルが刺激されてしまうのだ。
そうして雲龍に頭を撫でられながら、酒匂の頭を撫で繰り回しながら親潮が思うのは、ここにいる建造落ち組こそ、着任の目が無いのではないかと言うことだ。
資材の確保は限定海域攻略のためで、大型艦建造にはあまり積極的ではない。
それは、第一目標が限定海域の攻略であり、未着任艦の確保は二の次だと言う事だ。
ここで親潮を共に飲んだくれている艦娘どもは、必須ではないと判断されたが故に、今もこうして宴の中にいる。
「――あれ、でもそう考えると、大鳳さんは……」
一同が揃って同じ方向を見ると、ソファーの上に体育座りしたまま横倒しになってジャージ姿で不貞腐れている大鳳の姿があった。
装甲空母と言う比較的特殊な艦種でありながらこの部屋に留まり続けるのは、実装済み着任済みの五航戦・鶴姉妹が装甲空母へのコンバートが可能となったっため、大鳳の唯一性が薄れてしまったためだ。
実装済みの艦で事足りるとなれば、“これくしょん”の面に拘らなければ、あるいは大鳳と言う艦に思い入れがないのならば、大量の資材を投入して大型艦建造を狙う事はないだろう。
それが、この大鳳が不貞腐れている原因だ。
自分が必要とされていない事への悔しさや、着任済みの空母たちに役割を奪われた悔しさ。概ね悔しさだ。
「……何が装甲空母よ。あんなおっきなのふたつもぶら下げちゃってさ? 装甲じゃなくて、クッションじゃない……!」
「大鳳さん大鳳さん、それじゃあ龍驤さんとかも装甲空母になっちゃいますよ? 装甲空母増えちゃいますよ?」
「さ、酒匂さん、意外と命知らずですよね。しばらく着任控えた方が良いと思いますっ」
「マルゲリータよ!」
ローマがピザをサーブして、不貞腐れていた大鳳も起き上がって一緒に食べ始める。
しばし無言、と言うよりも、熱を食む息遣いで誰もしゃべれなくなっている。
こうして未着任艦たちが持ち回りでつくる食事に有りつく度に、このまま未着任でも良いか、などと思ってしまうが、どうしても気持ちは割り切れるものではない。
先に着任した姉妹艦たちと共に海を駆けたいし、何より司令の顔が見たいと親潮は思うのだ。
複雑な顔をする親潮に、言葉をかけるのは武蔵だ。
「――未着任である事は、幸か不幸か」
杯を傾ける手を止めて武蔵は語る。
恐らくは、これまでの実装済み未着任艦に対して告げてきた事でもあるのだろうと、親潮は居住まいを正す。
「我々艦娘は着任先の鎮守府を、着く提督を選べないからな」
「そうね。先に着任していった姉妹艦たちが活躍しているのか、酷使されているのか。いずれにしても、私たちはそれをここから見届けるだけ」
「……この先、どうなるかわからない。」
人は変わる。提督も人だ。
今までの安牌を切るような方針を急に変えて、轟沈も辞さない酷な扱いをするかもしれない。
しかしそれでも、親潮が思う事はひとつだ。
「例えそうだとしても、あたしは鎮守府に着任したいです。姉妹艦たちと同じ時間を共有していきたいと考えています。楽しい事も、苦しい事も」
はっきりとそう告げる親潮に笑みで頷いた未着任艦娘たちは、揃って杯を掲げ「ようそろ!」の掛け声と共に、幾度目かの乾杯となった。
着任したいという思いは変わらず、しかし今は、未着任のこの時間を充実させようと、親潮は思い割り切るのだ。
「ところで、龍鳳さんは何故こちらに?」
「わ、わたしは、その……。大鯨が既に鎮守府に着任しているので、練度さえ上げて頂ければ、いつでも改装・着任出来るので……」
「裏切り者! ここに裏切り者が居ます!」
「えええええ!?」
酔った勢いで恩を仇で返すかの如く親潮が宣言すると、呑んだくれていた他の艦娘たちもすっくと立ち上がり、後退りする龍鳳に飛び掛かった。
限定海域後はいつものこのような扱いを受けているのか、困り顔ながらも「しょうがないわ」と言う風で脱がされている龍鳳。
皆も慣れて来ているせいか、必要以上に手荒な真似はしない。それでも私刑に変わりはないのだが……。
すっかりここの未着任艦娘の流儀に染まった親潮は、次の限定海域では姉妹艦は実装されるのだろうか、そして自らは鎮守府に着任出来るのだろうかと思いを馳せ、龍鳳の最後の一枚をはぎ取った。