「雨、止まないな」
ぽつり、呟いた声は、けれどざあざあ、と降りしきる雨の音にかき消された。
曇天の空は分かりづらいが、徐々に夕闇に覆われてきており、暗く黒く色づいていく。
「ハル」
かけられた声に振り向けば、診療所からエアが出てきたところだった。
「何やってんのよ、こんなところで」
「少し、頭冷やしてた…………なんか、色々ありすぎてさ、頭の中ごっちゃ混ぜだから」
自身の言葉に、そうね、とエアが一つ頷く。
色々あった、一言で片づけてはならない気もするが、本当にそうとしか言いようが無い。
朝からアクア団と戦い、昼には診療所に駆け込み、そして重体のポケモン助けに雨の中を突っ走り。
ポケモンセンターに運び込まれたラティオスの容体はまだ安定しない。
回復、するかもしれないし、しないかもしれない。
まだ分からない。そしてそれをサクラに伝えるべきなのかどうかも。
あの時、自身はどうするべきだったのだろう。
ミツルから連絡を受け、即座に急行し。
一瞬、その場でサクラを出すかどうか迷った。
ラティオスの容体は余りにも酷かった。
全身血まみれで、衰弱しきり、今にも死にそうなその状態をサクラに見せても良いのか、
ほんの一瞬の迷い。
「にーちゃ?」
サクラは、その迷いを明確に読み取っていた。
ボールの中で、自身が迷っているのを、そしてその対象が自身であることを正確に読み取り。
だから、出てきてしまった。
出てきて…………見てしまった。
自身の兄が今にも死にそうなその姿を。
* * *
呆然として動かなくなったサクラはあれから一度もボールから出てこない。
自身も無理矢理に出そうとは思わなかった。
少なくとも、ラティオスが助かるのか、死ぬのか、どちらにせよ明確に決着がつかねば何を言えばいいのかも分からない。
「…………いや、助かる。そう思おう」
「そうね…………そう、思いたいわ」
隣で小さく頷くエアの堅い声が、けれど現実がそれほど甘くは無いことを如実に示していて。
「もし…………助かっても、助からなくても、結果的にサクラが元の住処に帰りたい、そう言ったら…………ハル、どうするの?」
「…………開放するよ」
そんな自身の返答に、僅かに驚いたようにエアが目を見開く。
「サクラがそう望むなら、寂しいけど、俺は逃がしてやる」
恐らくサクラたちの故郷は『みなみのことう』なのだろうが。
それがどこにあるのか、実際のところ知っている人間は居ない。それを知るのはサクラたちそこに住んでいたポケモンたちだけ、だから逃がせばもう会うことは無いだろうけれど。
「エアが前に言った通りだ…………俺は、臆病なんだよ」
他人の領域に踏み込む行為、というのは実のところ苦手だ。
他人から感情を向けられることにも慣れていないし、だからチャンピオンなんて地位、重すぎて要らないくらいだ。
それでも踏み込まねばならない場面だってあるし、ホウエンを守るためにはチャンピオンという地位を有効に使わなければならない、だから割り切るしかないのだ。
相手の都合を考慮しない、相手の感情を思慮しない、そんな無神経さを押し出さねばとっくに投げ出してしまっているくらい、今の立場というのはしんどいのだ。
けれどそんな無神経になれるのも関係の無い相手に限ったことだ。
「捕まえてたった一日だけど…………サクラのこと、大切に思ってる」
本当に、まだ一日だなんて思えないくらい、サクラは自身に良く懐いていた。
例えそれが兄と間違えているからだとしても。
にーちゃ、と自身を呼ぶのは、それが原因である。
最初に出会った時から、彼女は自身を
そんなに似ているのか、とも思ったがけれど確かめようが無い。
どうもラティオスもサクラと同じく、ヒトガタとポケモンと自由に姿が切り替えれるらしい、今はポケモンの姿でポケモンセンターで治療を受けている。
性格は臆病だが、懐いた相手にはどこまでも懐くサクラだ、たった一日であのアースにすら庇護欲を抱かせている。
そんなサクラが可愛くないわけ無かったし、大事に思っていないはず無かった。
それでも。
「大切だからこそ、大切にしているからこそ、重いんだよ」
手一杯なのだ。今の自身には、もうこれ以上余計なものを抱える余裕なんてもの存在しない。
これ以上の厄介は要らない。
「正直、手放してしまいたい、そんな思いがずっとある」
元より、自身はそれほど大層な人間ではないのだ。
仲間の思いを全て背負うような、そんな大仰なこと自身にはできない。
ちっぽけで、矮小な器しか無い、ただの凡人なのだから。
「ハル」
エアが、ぽつり、と自身の名を呼ぶ。
情けないことを言った。それに酷いことも言った。
ああ、さすがに幻滅されたかな、それとも殴られるかな、なんて思いながら乾いた笑みを浮かべ。
「ハル」
もう一度、名前を呼ばれた。
「…………え、あ?」
気づけば、エアに包まれていた。
胸に抱きかかえられているのだと、理解すると同時に、体が硬直する。
「何一人で全部抱えようとしてるのよ、バカね」
叱咤の言葉、けれど言葉とは裏腹にその口調は優しかった。
「アンタのことを思う仲間はたくさんいるし」
優しくて、優しくて。
「アンタの相棒は、ここにいるでしょ」
優しすぎて、蕩けてしまいそうだった。
「もっと気楽に構えなさい。アンタが苦しいなら、アンタが辛いなら、私が一緒に背負ってあげるわ。アンタがやれと言うなら、アンタが望むなら、私が全部やってあげる、アンタのしたいこと全部、私が叶えてあげる。一人で抱え込んで苦しむくらいなら、言いなさいよ、私はアンタの味方よ、何があっても絶対に」
ああ、本当。
「ハルが臆病なのも、狭量なのも、小狡いのも、全部知ってるわよ」
なんて言えばいいのだろうか。
「それでもハルはそれで良いのよ、そんなハルだから良いのよ」
本当。
「私はずっとずっとハルの隣に居てあげるから」
嬉しくて、嬉しくて。
「
涙が止まらない。
「だからハル…………辛かったら言えばいいのよ、苦しかったら叫べば良いし、悲しいなら泣けば良い。私は全部認めてあげる」
どうして、こんな。
「私はハルを認めてあげる、私はハルを受け入れてあげる、私はハルを肯定してあげる」
こんなにも、溢れてくる。
「バカ、だよ…………お前…………ホント、バカだよ。俺みたいなやつに、どうして」
気持ちが、止まらない、止めどない。
「ハルだって十分バカよ…………バカ同士ちょうどいいじゃない」
縋りつく、泣きつく、情けなくても、見苦しくても、それでも。
「好きだよ…………大好きだよ…………」
伝えたかった、どうしても、この胸に渦巻く感情を。
「奇遇ね」
にっ、とエアが笑う。どこか悪戯っぽいそんな笑みで。
「私も、ハルのことが大好きよ」
そう告げた。
* * *
はあ、とため息一つ。
散々情けないことを言って、結局こうなのか、と内心で苦笑。
夜。
いつの間にか雨は上がっていた。
空を見上げれば星がいくつも瞬いている。
ホウエンの空はいつ見ても綺麗だと思う。
前世ではほとんど見ることができない、満点の星空。
心が凪いでいた。
何とも正直な話で。
好きな女の子に好きと言ってもらうだけで、自身の感じていたマイナス感情は全て吹き飛んでいた。
そうなればやはり考えなければならないことがある。
自身が傷つけてしまった彼女のことを。
「サクラ」
呟きと共に、ボールを投げる。
モンスターボールの機構として、スイッチを押したならどうやっても中からポケモンが飛び出してくる。
「……………………」
沈黙を貫くサクラの視線には、複雑な感情が伺えた。
それは騙された、とか裏切られた、とかそんな単純な物でなくもっともっと複雑で、極端に言えば。
どんな顔をすればいいのか分からない、といったところか。
「…………サクラ」
声をかけると、サクラがぴくり、と肩を揺らし、視線をこちらへと向ける。
瞳が揺らいでいる、感情が激しく揺さぶられているのが分かる。
「
だから、戸惑う彼女に向けて、そう言った。
「えっ」
自身の台詞に、サクラが一瞬目を丸くし。
「ようやく俺のこと見てくれた」
一歩、サクラへと足を向ける。
戸惑いながら、けれどサクラは動かない。
「俺の名前はハルト」
だから、言葉を紡ぎながら、一歩、また一歩とサクラの元へと歩いていく。
「このホウエン地方でチャンピオンをやってます…………って言っても分からないよね」
苦笑する自身に、けれどサクラは呆然としまま動かない。
そんなサクラに一つずつ、自身のことを教えていく、好きな食べ物、嫌いな物、得意なこと、苦手なこと、自身という存在を構成する一つ一つをサクラに語って聞かせる。
何の話だ、と目を丸くしたサクラに、それからこう呟く。
「キミの名前は?」
尋ねたその言葉に、彼女はしばし沈黙を貫き。
「……………………さ、くら」
そう返す。
サクラ、サクラ…………それは自身が付けた彼女の名前ではある。
「それでいいの?」
「…………わかんない」
「そっか」
先ほどよりもさらに複雑そうな表情に苦笑する。
「ねえ、サクラ」
だから、自身から言葉を続ける。
「一緒に行かないかい?」
手を差し出す。
「俺と行くなら、今日のようなことはきっとこれからもあるだろう。もしかすると、辛いこといっぱいあるかもしれない、それでも――――」
最後まで言葉を続けるよりも早く、差し出した手に、僅かに暖かい物が触れる感覚。
「…………いーよ」
彼女、サクラが手を伸ばし、差し出した自身の手を掴む。
「それでも、いーよ…………にーちゃ…………ハルにーちゃがいるなら、それでもいいよ」
何とも、自身なんかには勿体ない。そんなことを思った。
けれども…………ならばこそ。
「約束だ。苦しい時は俺が受け止める。悲しい時は俺が慰める。辛い時は俺が助ける。だから」
自身もまた大切な相棒にそうしてもらったように、彼女にもそうしてあげたい。
やっぱり、人もポケモンも変わらない、繋がり、絆とは、つまりそうしてできていくものなのだから。
「だめ」
続けようとした言葉は、けれども唐突なサクラの声に、断ち切られる。
「いっしょがいい…………かなしいのも、うれしいのも、ぜんぶぜんぶ、
その言葉に、その言葉を告げる彼女の目に、その言葉を告げた彼女の心に。
「……………………あ、はは」
乾いた笑いが漏れ出た。
「あー…………なんてこった」
本当に、何ということだろうか。
「サクラのほうがよっぽど、俺なんかより立派だよ、ホント」
絆、その言葉の意味を、自身なんかよりよっぽど彼女は理解している。
「ああ…………一緒だ。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいことも。全部一緒に分かち合おう、
「…………うん、
サクラが笑う。
その名前に違わぬ、桜の花びらを幻視してしまいそうな。
優しくて、綺麗な笑みだった。
* * *
――――ここはどこだ?
意識を取り戻すと同時に、自身が置かれた状況に疑念を覚える。
意識を集中し、周囲の気配を探れば、どこかの建築物の中だと理解する。
そして周囲に多くのニンゲンの気配も存在しており。
ばっ、と目を見開き、文字通り飛びあがる。
そうして視線を巡らせれば、目の前に一人、少女がいた。
「…………あ、起きた」
突然の出来事にぽかん、としながらも少女がそう呟き。
「起きた!!? え、だ、大丈夫なの?!」
直後、驚愕といった様子で目を見開き、自身を見る少女。
伝わって来る感情は…………心配?
――――このニンゲンは、敵じゃない?
ふと自身の体が軽いことに気づく。
最早助かるはずも無いほどにまで傷だらけだった体が、まだ完全にとは言えないが治癒していることに気づき。
――――私を治療してくれたのはお前か?
「…………え? 今の、キミ?」
テレパシーで直接少女の脳に伝わった言葉に、少女を目を丸くしてこちらを見やる。
やがて自身の仕業なのだと理解すると、こくり、と頷いて。
「そうだよ、森で大怪我してたキミをここまで連れて来たのは私だよ。でも良かった…………目が覚めて、本当に、良かった」
伝わって来る感情は、喜び。
少しだけ驚く。見ず知らずの目の前の少女は、自身が目覚めたことに、本気で喜んでいる。
少女の目端に涙が浮かぶ。それを拭いながら、けれど少女は良かった、と呟きながら笑っていた。
瞬間。
僅かに思い出す。自身の意識が朦朧としている時に聞こえた声。
うっすらと開いた瞳が映した少女の姿を。
ほとんど無意識的状況だった。事実一瞬少女を見た直後には気を失い今に至っている。
けれどもほんの僅かでも覚えている。
自身を心配する少女の声と表情を。
――――アナタに感謝を。
感謝を、ただ感謝を。
どれだけ感謝してもし足りない。彼女に見つけてもらえなければ、自身は確実に死んでいただろうから。
「良いよ…………私にとってもそれは、嬉しいことだから」
ぽつり、と呟いた彼女の言葉の意味はけれど自身には理解できない。
何でも無いよ、と笑う彼女にならば良いか、と一つ納得し。
「あ、そうだ」
大切なことを思い出した、と彼女が顔を上げて、口を開く。
「私はハルカ…………キミは?」
――――私は。
少しだけ考えて。
――――ラティオス、そう呼ばれている。
そう答えた。
ハーレム物小説ってよくあるけど。
本気でハーレムって言うほど、多数の女性に好かれている状況って、その実かなり厳しいものがあると思う、特に精神的に。
日本以外だと一夫多妻制っていう国も確かにあるけど、そういうところは女性に順列をつけている。つまり、大事な物に順番を決めてしまうことで、その辺りの問題を解消しているのだと思う。
翻ってそこに順列をつけないハーレムというのは本人にとっては随分と重たい物だと思ってしまうのだが、実際のところどうなんだろう。
正直、自分ならどうだろう、みたいなこと考えながら書いているけど、みんながそうとは限らないだろうし、今回の内容に対して批判もあるだろうなあ、と思いながら書いてる。
ハルトくんの好きは、随分と歪だと思っている。
ほぼ完璧にアドリブで書いているせいだろうか。
実際のところ、ハルトくんは好意の意味をそれほど深く考えていない。
ライクとラブ、どちらの好きも、どっちでもいいと思っている。
正確には、そこに明確な境界線を作る必要は無い、と思っている。
好きは好きでしょ、だったら好きでいいじゃん、というのがハルトくんの考え方。
前世で本気で恋をしたことも無ければ、親の愛情というのを受け取った記憶も無いが故に、親友からの好きと、今世で両親からもらった好きと、エアたちから向けられた好き、全部に区別をつけていない。区別をつけるための情緒を育てていないまま育ってしまったために、好意に対する受け取り方が歪になってしまっている。
でも、好きなら好きでいいだろ、という考え方は、人とポケモンの差異を考えない考え方にも繋がっているため、一概に悪いとは言えない。良いとも言えないが。
だから、言葉にするなら歪。でもその考え方が、ハルトくんを好いているポケモンたちからすると嬉しい。むしろポケモンたちのほうが情緒が育ってしまっているからこそ、余計なことを考えてしまう、考えてしまって距離を取ってしまいそうになるけれど、ハルトくんが肯定してくれるから、距離を縮めることができる。
そう考えるとハルトくんのパーティって根本からして歪だよね、と思ったりもする。
つまりは。
これはハーレムじゃないんだ。ハーレム小説じゃないのだ。ただ仲間と仲が良いだけなんだ、ちょっと愛情にも見えるくらいに異常に仲が良いだけで、ハーレムじゃないのだ。
水代はハーレムって基本書かないので、ならばこれはハーレムではない。
以上、住人から「ハーレムタグつけないの?」って言われた水代の言い訳コーナー。