「ハルト?」
部屋をノックしてみるが、反応が無いので、ノブを回せば鍵のかかっていない部屋の扉が開く。
「…………不用心ね」
呟きながら、けれどやはり反応は無く、仕方ないので部屋の中へと足を踏み入れる。
「ハルト、居ないの…………って」
再度声を挙げながら、部屋の中を見回し。
ベッドの上で、静かに目を閉じた少年を見つける。
「…………寝てるわね」
すうすう、と寝息を立てる少年の枕元に立つ。
まるで先日とは逆だ、なんて一瞬思った。
そのまま数秒、少年の寝顔を見つめ。
ぎしり、と腰を降ろせばベッドが僅かに軋んだ。
「まあ、疲れてるわよね」
二度も負けたイメージからか、どうにも同年代のような気がしていた少年だが、よくよく考えればまだ十二歳。自身よりも三つも年下で、まだ子供と言って良い年齢だ。
こうして眠っている姿を見ると、余計にそう思う。
こんな小さな体で、カイオーガと戦ったのか、そう考えれば。
「…………お疲れさま、ハルト」
呟きながら、その髪を手櫛で梳く。その頭を撫でるように、二度、三度と優しく、少年を起こさないように気をつけながら。
本当は…………本当なら、伝説のポケモンを持つ自身こそが、あの場に立つべきだったんじゃないか、と思わなくも無い。
彼と、彼の仲間たちは強い、それは知っている。戦った自身こそが一番身に染みて分かっている。
それでも、もっとやりようはあったんじゃないか、そう思わずにはいられない。
「やっぱり…………嫌になるわね、弱いって」
――――肝心な時に何もできない。
嘆息する。結局そういう事なのだ。彼が一人で立ち向かったのも、きっとそういう事なのだ。
レジギガスという伝説を、かつて自身は捕獲した。故に、他の伝説を相手にしても、それなりに戦うことはできる、そんな自負は船の上で戦ったカイオーガとの一戦で粉々に砕け散った。
自身にはまだ力が足りない。だから、ハルトは矢面に立った。
一緒に、同じ場所に立ってくれる相手が居なかった。
「…………そんなこと、無いさ」
そんな自身の内心の呟きを否定するかのように、声が聞こえた。
* * *
ふわり、と。
頭を撫でる優しい感覚に、意識が徐々に覚醒していく。
「…………お疲れさま、ハルト」
半覚醒の呆けた思考に流れ込むように、声が聞こえた。
「やっぱり…………嫌になるわね、弱いって」
肝心な時に何もできない。言葉にならなかったその言葉に、けれど寝起きの呆けた思考は気づくこと無く。
ただ、それでも。
「…………そんなこと、無いさ」
意識が覚醒する、思考が回りだす。
どうしてシキがここにいるのか、けれどそんなことを考えるより先に。
「シキは、強いよ」
そんな言葉が口を吐いて出た。
シキが僅かに目を見開き、それからそっと覗きこむように視線を合わせる。
「だったら…………どうして一人で戦おうとするの?」
艶めいた深い黒の瞳に吸い込まれそうになる。
「どういうこと?」
「『めざめのほこら』での話」
返ってきた言葉に、ああ、と納得する。
「別に…………シキが弱いから、とか足手まといだからあそこに居させなかった、とかじゃない」
むしろ逆だよ、と言うとシキが首を傾げた。
「シキは強いよ、俺の知ってる中でも一、二を争うトレーナーだ。何よりも伝説のポケモンを捕まえたという事実がそれを証明している」
だからこそ、後ろに居て欲しかった。
「海を封じた、雨を封じた。
だからこそ、安心が欲しかった。
「勝つつもりでいた、勝てないかもしれなと思った。だから背中を守って欲しかった」
万一、自身が手も足も出ず敗北した場合、カイオーガはゲンシの力を手に入れて世界へと浮き上がる。
その時、同じ伝説を持つトレーナーならば…………シキならば、まだ可能性があると思った。
だったら最初から一緒に戦えば良い、と思うかもしれない。
だがもしカイオーガがゲンシカイキしたことで、必殺の一撃を得ていれば。
レジギガスのように条件付きで使える必殺技があるならば。
その時はまとめて共倒れだ。そのリスクを負ってまで共に戦うくらいならば、まず自分が最初に戦って様子を見たほうが良いと判断した。
そしてもしレジギガスを使える隙があるならば…………とも考えた上で、あの配置だった。
「だからシキが弱いからとか、そんな理由で戦ってたわけじゃない。むしろ、何かあった時のために、シキを残しておきたかった、けど同時に自分だけじゃ勝てなかった時に、シキに助けてもらえるような位置に居て欲しかった」
そんな自身の言葉に、シキが数秒黙し。
「…………そっか…………うん、良かった」
ため息を共に吐き出すかのように、それだけ呟いた。
「うん…………ありがとう、ハルト」
まるで長年溜めこんだ苦悩を吐き出しきったかのように、その笑みは晴れ晴れとしていた。
* * *
さすがに緊張する。
手の中に収まったボールを見つめながら、思わず喉を鳴らした。
「じゃあ…………開けるよ?」
周囲に配置した自身の手持ちたち、及び後ろで待機しているシキたちに視線を張り巡らせ。
こくり、と全員の準備が整ったのを確認し。
「出てこい…………
カイオーガの入ったボールの開閉スイッチを押した。
そもそもの話。
ホウエンの伝説の二体、グラードンとカイオーガはどちらも天候を塗り替え、陸を、海を増し、世界を侵食していく凶悪な能力を持っている。
基本的にその能力に優劣は無い。タイプ相性の差すら互いの天候によって無効化していくため、この二体が争えば周囲に被害ばかり出て決着は着かない、それは『ゲンシの時代』の戦いによって証明されている。
だがそれは伝説のポケモン同士で争えば、の話。
通常のポケモン、そして何よりもただの人間であるトレーナーを対象として見た場合、両者には決定的な差が生じる。
カイオーガが呼び起こすのは雨だ。世界を飲み込むほどの大雨。
確かにまともに戦うことすら難しい環境だが、けれどもう一方に比べればまだ
そう、グラードンの生み出す焦熱の世界に比べれば。
『みず』技を無効化するほどの熱気を産み出す“おわりのだいち”。
実機だとそこに『ひざしがつよい』と同じ効果が追加されただけだが、フレーバーすら実態となるこの世界に於いて水が一瞬で蒸発するような熱量を人間が浴びればどうなるか、なんて明白過ぎる。
故に、対グラードン戦において、方針は二つ。
一つは“おわりのだいち”の範囲外から戦う方法。
少なくともカイオーガの天候操作に対して“ノーてんき”は一定の効果を得た。
つまり、数を集めればグラードンにも有効となるだろうことは予想できる。
だが問題は時間が経つほどに力を増すグラードンに対して、徐々に距離を開けながら戦わなければならないという点。
ポケモンの技というのは実のところ、それほど飛距離に関しては得意としていない。
接触技はともかく、非接触技というのは集約したエネルギーを放つことを基本としているため、放ってから時間が経つほどにエネルギーが拡散、減衰していき威力が削がれていく。
果たしてカイオーガと同等の体力を持つだろうグラードン相手に、威力の下がった技をどれだけ叩きこめば倒れるのか、しかも時間が経つほどに天候の範囲は広がる、それを押しとどめようと包囲は後退し、距離も開く。
さらに言えばグラードンがやられっぱなしでいるはずも無い、直接攻撃でもしようと近づかれて天候範囲に巻き込まれただけで死ぬだろうし、“じしん”や専用技の“だんがいのつるぎ”などゲンシグラードンの種族値とカイオーガと同等のレベルから来る『こうげき』数値で放たれた日にはホウエンの一角が地割れを起こすのではないだろうか。
つまるところ、無理だ。
こんな方法無理にもほどがある。
辛うじて、『ほのお』タイプのポケモンならばチャンスもあるかもしれないが、そもそも『ほのお』タイプのポケモンがグラードンに対して相性が悪い。
だから、もう一つの方法。
実現できれば、最も有効で、最も有用で、最も有力な方法。
即ち。
ただ一つ問題があるとすれば。
「…………………………………………」
目の前でぷかぷかと、まるで海の中にいるかのように宙を漂うこの青色が自身に従うかどうか、それだけだった。
* * *
海を漂っていた。
ゆらゆらと、波に揺られる心地の良さを感じながら、目を閉じ、眠りについていた。
ただ心地よかった。
ずっとずっとこのまま眠っていたい、そう思うほどに。
不意に、冷たい何かが自身へと触れた。
僅かに、意識が覚醒する。
自身の体を冷やす、意識を呼び戻すそれが何なのか、けれど呆けた頭が理解が追いつかない。
追いつかないままに、まるで夢遊病のように漂う。
それから。
それから。
それから。
* * *
カイオーガは動かない。
ただじっと、自身を見つめたまま、動かない。
自身も、エアも、シアも、シャルも、チークも、イナズマも、リップルも、アースも、ルージュも、サクラも、アクアも、シキも誰も動かない、動けない。
迂闊に動けば、その瞬間再びカイオーガが暴れ出すのではないかと、誰しもが緊張で動けずにいる中で。
「……………………」
カイオーガが口を開く、誰しもがそれに一瞬身構えて。
「………………グゴォ」
直後。
その全身が光に包まれた。
「っ?!」
目の前で、光に包まれるカイオーガに、よもやまたゲンシカイキか、と咄嗟にボールを突き出して。
「なっ…………に…………?!」
ゲンシカイキじゃない! むしろサイズ的には小さく…………というかこれは、サクラと同じ。
「ヒトガタ?!」
「…………ふぁあ~」
蒼に近い水色のショートカットの髪にカイオーガと同じ青に赤模様の入ったリボン、同じ模様の法被のような服、青一色のミニスカートに、腰には長細い縄を巻いてさながらベルトのようにスカートを固定している。足に履いた茶色のサンダルに、両の足首にも青いリボンを巻いていた。
細めた目からは金の瞳が覗き、口元に当てながら大きな欠伸をしていた。
それは青い少女だった。
目の前で気づかない内にすり替わったわけではないのらば。
「…………かい…………おーが?」
目の前の少女こそが、自身の求めた伝説のポケモン、カイオーガである、ということだった。
「……………………ん?」
少女の金の瞳が、こちらを見つめる。
心臓を掴まれたかのような感覚、ああ間違いない、これはあのカイオーガだ、と妙な納得をする。
そうして。
「あはー、キミ、あれだね、アタシに勝った人だよねー」
少女が歯を見せながら笑う。先ほどまで感じていた威圧感も何も全て霧散したような気がする。
「……………………………………お前はその、カイオーガ、でいいんだよな?」
余りにも気楽な少女の口調に、何を言えば良いのか大分長く迷った末、そんな言葉が口から出た。
「うん? うーん? うーん…………? 多分そうだよ?」
なんで疑問形なんだよ、と言う疑問に、少女が補足するように続ける。
「昔そんな風に呼ばれてた気がするけど、アタシ自身に名前は無いからね。キミがそう呼びたいならそう呼べばいいよ」
にへら、と笑う少女の言葉に、ならばカイオーガでいいか、と勝手に決める。
そもそもカイオーガというポケモンが目の前の少女以外に居ない以上、それは種族名というよりは個体名だろう。まあ必要になりそうならまた付ければいい、必要な状況、というのが良く分らないが。
「なんというか…………思ったのと違うな」
「えー? 何がー?」
間延びした喋り方をする少女が首を傾げながら唇に指で触れる。
そう、思っていたのと違う、これが一番しっくり来る言い方だろう。
「さっきまで大暴れしてたからな…………正直、開放したら即座にまた暴れ出すんじゃないかって冷や冷やしてた」
「あははーごめんねー…………ちょっと寝惚けててさ」
おい、今こいつなんて言った。
「やー…………どんだけ寝てたのか覚えてもないくらい昔から寝てたんだけどさー、それをいきなり起こされたって何が何だかだよねー。こっちだってびっくりだよ」
「……………………はあ」
もうそれしか言えない。いや、むしろそれ以外に何を言えと。
「なんか眠る前と随分と周囲が変わってるしー? だから昔と同じような感じのする場所見つけてそっちに行ったらキミが居て負けたんだけどねー」
それで目が覚めちゃった、とは少女の言。
「つまり…………あれか? あんだけ無茶苦茶やってて、まだ寝てたのか」
というか最後のほう“ねむる”してたんだが、寝ぼけながら眠るって一体何なのだ。
「あれで全力じゃない…………いや、もう勝てる気しねえんだけど」
「あははー、まあアタシとしては、寝起きの運動くらいには体も動かせたし、良いんだけどねー」
俺たちの決死の覚悟を、寝起きの運動をほざいたか…………何と言うか。
「…………理不尽だ」
何と言う理不尽な生物なのだろう。いや、もう…………何も言えない。
「いやいや、でもねー? 多分、ちゃんと起きてても負けたと思うよー? キミたち、すっごく強かったし」
「…………そうか」
ああ、何となくさっきのシキの気持ち分かった気がする。
こうして戦ってた相手からきちんと力を認められると…………何というか、凄く嬉しい。
「ああ…………もう、それはそれとしてだけど…………」
どうにも、さっきから予想外過ぎてペースを持っていかれているが、それでも思ったより友好的なのは良い意味で予想外だった。
だから。
「グラードンとの戦いに、お前の力を貸してくれ、カイオーガ」
切り出した本題に。
「……………………」
先ほどとは打って変わって困惑した表情で首を傾げる少女に、戸惑う。
「ダメ、か?」
やはり自身では伝説を従えることは無理か、そう諦めかけた時。
「…………グラードンって、何?」
少女がそう呟いた。
月曜日に台風来て、ちょっと今日無理ポ、とか言われたので、仕方ねえな、明日来いよって言ったら夕方6時頃来る業者にドロップキック。
ところで、元気っ娘系カイオーガってのは新機軸じゃね?