なんてこった…………というのが正直な今の心情だった。
ルネの民が太古の昔より守り続けていた『めざめのほこら』。
流星の民と別れてより今日まで、かつての彼らが、そして今ではミクリが。
「…………派手にやったね」
守り続けていたその洞窟は、今。
「はぁ」
崩落していた。
「まあ、仕方ない、と言うしかない」
本来ならば仕方ないで済ませて良いものではない、だがこれに関してはもう仕方ないとしか言いようが無い。
むしろルネが原型を残していることを喜ぶべきだろう、何せ下手をすれば世界を滅ぼしかねない怪物と戦って、被害は洞窟一つなのだ。
その洞窟がルネの民が何よりも守り続けていた物でなければミクリだって素直に喜べたかもしれないのだが。
「取りあえず、修繕は急いだほうがいいだろうね」
カイオーガが目覚め、そして今となっては捕獲された以上。この洞窟にどれほどの意味が残っているのかは謎だが、それでも長年守り続けてきた大事な場所なのだ、このまま放置、というわけにもいかないだろう。
とは言え、内部に関してはどうにもならない。ルネの民は『めざめのほこら』に立ちいることは許されていない。この状況でその掟にどれほどの意味があるかは疑問ではあるが。掟がある以上、大穴の空いた洞窟天井をどうにかするくらいしかやることも無い。
というか、天井を塞いでも洞窟全体が崩落していて、もうどうにもならない気がする。
「潮時、ということかもしれないね」
悠久に語り継がれてきた伝承、伝説。けれどその片割れはすでに今代のチャンピオンによって捕獲された。
「まさか、伝説のポケモンを本当に捕獲してしまうとはね」
伝説のポケモンカイオーガ。ホウエンの伝承に語られる『みず』ポケモン。ミクリだって興味が無いわけがない。何よりも『みず』タイプのジムリーダーとして、その力の程が知りたいと思うのは当然だろう。
けれど、手を出すかと言われれば話は別だ。戦いを挑もうという気すら起きない。
チャンピオンがやってくる前に、少しだけ、こちらへとやってくるカイオーガを遠くから見た。
そこにあったのは、ただ純然たる
どうしてあんなものに手を出そうと思えるものか、『みず』タイプ使いのミクリだからこそ、余計にその力の程が理解できる。
間違いなく、ミクリが勝負を挑めば勝負にならない。勝敗以前に、戦いにすらならないだろう。
あんなものに、本気で戦いを挑むのか、とチャンピオンの正気を疑いもした。
だが、それでも。
「…………それでも、彼は勝った」
初めて出会った時、珍しく友人が気にかけていた挑戦者がいる、くらいの印象だった。
実際戦ってその実力が決して偽りではない、ただポケモンの能力に頼っただけの相手ではないことは理解した。
その年のリーグで優勝し、ついには友人を降してチャンピオンになった。
とても楽しそうに、けれどどこか悔しそうな、初めて見るそんな友人の姿に、ああ、彼は友人にポケモンバトルの楽しさを教えてくれたのだ、とそう気づいた。
それから二年。リーグを通して、伝説のポケモンを捕獲すると聞いた時はどうなるかと思ったものだが。
「認めるしかないだろうね」
チャンピオンから一つ、頼まれたことがある。
「最早、時代は変わった」
それがきっと、自身の最後の役割となるのだろう。
「因縁も、風習も、掟も、全てが失われていく」
それでいいのだろう。世界は時代と共に大きく変容してしまっているのだから。
「だから、これが本当に最後」
ミクリの視線の先に、けれど映るのはルネを覆う山。
だがミクリの視線は山を越えたさらにその先を見つめていた。
正確には、そこに座す物を。
その名を。
『そらのはしら』と言う。
* * *
実機時代、どんなポケモンでも自分で捕まえれば指示に従っていた。例えレベル100のポケモンで、バッジ0個だろうと。
ところがこれが他人のポケモン、となると、バッジが無いと言うことを聞かず、好き勝手しだす。
選択した技とは違う技を出すなんてのはまだいいほうで、そもそもサボって行動しない、なんてのもある。
例えそれで一方的に攻撃されていたとしても。反撃すらしない、なんてこと実機でもあった。
じゃあ現実ならどうなんだ、と言われると。
他人のポケモンどころか、自分のポケモンですら言うことを聞かない、なんてことが割と良くある。
だいたい要因は三つだ。
一つは種族値の高さ。最終的な進化系が高い種族値を持つほど気位が高くなる。
一つはレベルの高さ。他を圧倒するほどに自身の強さに胡坐をかく。
一つは個体値の高さ。己の才能に溺れるほどに強者であることに傲慢になる。
アニメ版のサトシのリザードンが分かりやすい例じゃないだろうか。
進化した途端にトレーナーに反抗を始め出す、つまり
これがつまり
特に分かりやすいのが『ドラゴン』タイプだろう。
全体的に高種族値の『ドラゴン』タイプを安易に使おうとするトレーナーは多い。
強いポケモンを使えば勝てる。
まあ確かに一つの答えではあるだろうが、
統率、カリスマ、別に言い方は何でもいいが、結局のところ
中でも『ドラゴン』タイプというのは特に気位が高い、有り体に言えば面倒くさい性格のやつが多い。
中でも600族かつ、6Vでレベル120の『ドラゴン』など普通四天王レベル以上でなければ扱えない、プライドと自尊心の塊のような存在だ。
そしてさらにその上を行くのが
臆病ではあるが比較的人懐っこいラティ種を除けば、大半の準伝説種というのは一種極まった統率力を要求する。
そしてさらにその上を行くのが伝説種。
伝説種は単純な統率は要求しない。
伝説種を従えるのに必要なものは
まるで世界が定めた物語の主人公であるかのように。
出会い、導かれ、戦い、討ち下し、そして従える。
そういう運命が無ければ伝説を統率することは不可能だ。
……………………本当に?
* * *
「…………グラードンって、何?」
呟く少女の声は平坦であり、きょとんとしたその様子から本気でそうい言っているのか分かった。
「何って…………いや、待て、そういうことか」
さっき少女自身言っていたではないか。
――――昔そんな風に呼ばれてた気がするけど、アタシ自身に名前は無いからね。
つまりグラードンと言う名も周囲の人間が付けたものであり。
「えーと、昔、カイオーガが争ってたっていう、赤い…………えーっと」
あの造形フォルムをなんと説明したものか、と思案した瞬間、ああ、と少女が声を挙げる。
「あの爬虫類だね! いいよ、あんな暑苦しいのはやっつけちゃおう!」
「…………………………………………」
満面の笑みで告げる少女だったが、どこか威圧感のようなものを感じてしまうのは気のせいだろうか。
ああ、やっぱ仲悪いのね、と内心で呟きながら。
「って…………雨、雨降って、抑えて!」
突如としてぽつぽつと降り始める雨、先ほどまで晴れていたのに、不自然過ぎるほどの雲の集まり具合に目の前の少女が原因だと即座に判断する。
「あ、ごめんごめん」
少女の笑みから威圧感が消えると同時に、空の雲が再び唐突に散って行き、太陽が顔を覗かせる。
「一つ…………聞きたいんだけどさ」
そんな少女に、嫌な予感を覚える。多分今、自身の表情は苦虫を潰したような顔をしているのだろうと自覚しながら。
「…………カイオーガは、俺の指示、聞く気ある?」
そんな自身の問いに、カイオーガが一瞬きょとん、として。
「え、やだ」
はっきりとそう言う。
まあ分かっていたが…………やはり、というべきか。
自身では目の前の少女を従わせることはできないらしい。
さてどうすべきか。制御できない伝説など、正直な話ボールに閉じ込めておくくらいしか無いのだが。
先程までの友好的な態度を思い出して、どうにもその選択は取りづらいな、と内心呟いていると。
「あー…………でもね」
少女が笑う。笑って告げる。
「もしもう一度、今度は
良いよ、と少女が言った。
「今度は私も全力でやるよ、本気でやるし、限界までやる、それでも負けたなら、良いよ。キミを認める、キミが上だって」
楽しそうに、けれどどこか挑戦的に、少女が笑った。
やってみろ、とその笑みは告げていた。
やれるものならな、とその笑みは告げていた。
だから、だから、だから。
「…………ああ、分かった…………今度は、正々堂々、正面から叩きつぶしてやる」
自身の呟きに少女がからからと笑う。少女をボールに納め、手の中のボールに視線を落とし、ため息を一つ。
「グラードン戦では使える…………今はこれで良いとしておこうか」
それから、グラードンも捕獲したら、両方ともハメれる戦術を考えておこう。
幸いにして、カイオーガの実力の底は見えている。深海のように深い深い底ではあるが、それでも未知であるよりは分かりやすい。
それから最近捕まえたばかりのサクラやアクアの育成、その他全員との連携、トレーナーズスキルの発展。
時間が足りず、出来なかったことは多い。だが手持ちが増えたことで出来るようになったこともまた多い。
まだ強くなれる。もっと強くなれる。
「いいさ…………今度こそ、撃ち落としてやる」
伝説だろうが何だろうが、首根っこ引っ掴んで、大人しくさせる。
終わりは近い。
けれど物語ならばそれで終わりだったとしても、現実はそうじゃない。
むしろこれから始まるのだ。
「もう良いだろ?」
八年だ。
五歳の時、エアを拾ってから十二になる今日までで八年の時をこの時のために費やしたのだ。
決して悪い日々では無かった。楽しいことだってたくさんあった。
それでも、やらなければならない、そんな使命感のようなものが、義務感のようなものが、常に脳裏になった。
現実は物語のように都合よくは行かない。放置すればホウエン、やがては世界が滅びていたかもしれない。
伝えたところで誰が信じるのだ、そんな未来の話。
だったら、知っている自分がやるしかない、そんな思いが確かにあったのだ。
終わりは近い。
突如鳴ったポケナビ、そこに届いたメッセージを見て。
――――『DよりFを通達』
「…………行こう」
呟いた。
用心のため出していた手持ちのポケモンたちをボールに戻しながら、思案する。
――――
成功なら
失敗なら
つまり。
「グラードンが復活した」
間に合わなかった、そういう事だ。
なんてこった、と思いつつ。
まあまだカイオーガがいるだけマシか、と一人納得する。
一つ問題があるとすれば…………。
「…………気のせい、か?」
自身のエースを入れたボールを見つめながら、そう呟いた。
* * *
熱い。
熱い、暑い、アツイ、あつい。
全身が燃えるように熱い。
一体自分はどうしてしまったのだろうか、と考えようとするが熱に浮かされ思考がまとまらない。
バレなかっただろうか?
平静を装っていたが、アレで中々に鋭いところもある少年を思い出しながら、少女、エアは内心で呟いた。
おかしい、絶対におかしい。それは分かるのだが、何が原因なのか分からない。
カイオーガと戦っている時はまだ何ともなかったはずだ。だからその後、ポケモンセンターで治療を受けている時だろうか、少しずつ発熱が始まった。
最初は気にもしなかった、ゲンシカイキすれば『ほのお』タイプを得る程度に適正があるエアだ、多少体温が高くなったからと言ってどうなる物でも無い。戦いの後の高揚だと、その内静まるだろうと思っていたのだが。
時間を追うごとに熱が上がって行く。人間ならばとっくに死んでいるような熱量だが、多少気怠い程度で済んでいるのはさすがポケモンだからか。
これからグラードン戦だ、泣き言は言っていられない。
だから戦わなければならない。
熱に浮かされ思考が出来まいと、全身を襲う気怠さがあろうと、それでも戦わなければならない。
だから。
「だから…………治まりなさい、よ」
くらくらとする頭を片手で支えながら、誰にも聞こえないボールの中でエアが呟く。
「治まれ…………治まれ」
一瞬、滲むようにブレた視界を、歯を食いしばって耐え、荒い呼吸を繰り返す。
少年が見れば、まるで風邪でも引いているのかと思うような有様だが、ポケモンに人間の風邪など効くはずも無い。
ポケモンの病気というのはあるが、それでもこんな短時間に突然のように発症するものでも無い。必ず事前の兆候のようなものがあり、そんなものがあれば少年が見逃すはずも無い。
そうして何度も、何度も、吸って、吐いてを繰り返し。
少しずつ、少しずつ、体調が治まっていく。
「……………………いけ、るわね」
未だに熱は高いし、気怠さは残る、それでも戦える。
そう判断して。
* * *
「エア」
ボールからエアを出す。
中から飛び出した少女の姿におかしな点は見えない。
「…………やっぱ気のせい?」
ただ絆の繋がりが僅かに鈍い気がするのが気になるがそれ以外に違和感らしい違和感も無いが。
「ハルト」
エアに呼ばれハッとなる。そうだ、『えんとつやま』でグラードンが復活したのだ、急がなければならない。
「エア、『えんとつやま』まで」
「了解っ、と!」
エアの背に負われると同時に、エアがふわり、と浮き上がる。
そのまま徐々に勢いをつけながら空を飛んで行き。
「大丈夫、だよな?」
先に『えんとつやま』に居るはずのダイゴのことを思い出し、そう呟いた。