目を見開いたまま固まる自身に、幼女がはあ、とため息を吐く。
「聞こえてるデシか? 返事の一つくらいするデシ、おろかもの」
そんな幼女の言葉に、口を開こうとして、けれどやはり体はぴくりとも動かない。
「うにゅ…………? もしかしてまだちゃんと堕ちてないデシ?」
こてん、と小首を傾げながら自分の人差し指を唇に当てて幼女が呟く。
「一回、目を閉じて、それからリラックスするデシ」
状況が呑み込めないままではあるが、他にできることも無く、幼女に言葉に従って目を瞑る。
「そのまま体の力を抜いて、思考を止めるデシ」
ふっと、全身の力を抜き、何も考えないようにする。
幼女が口を閉ざすと、静寂が漂う。
暗闇に閉ざされた視界の中で、とくん、とくん、と心臓の鼓動が聞こえてくる。
そうして十秒、二十秒と静寂が続き、やがて意識が無に堕ちていく、瞬間。
ぺちん
「っ!?」
手を叩く音に意識が急速に覚醒する。
驚きのあまり、咄嗟に上半身を起こし。
「…………あれ? 動いた」
全身が自由に動くことに気づく。
「やっと寝たデシ。全く、夢の中に半覚醒のまま入ってくるとか器用なこと止めるデシよ」
「夢…………?」
言われて再度周囲を見渡す。宇宙だ、いや、実物見たことなんてないけど、多分宇宙空間だ。
だからこそ、おかしな話だ。
重力を感じるし、空気もあるし、何より足場がある。
何もないはずの空間に、床のような固い感触があるのだ。
現実じゃない、と言われたほうが確かに納得できる。
「夢、なのか? ていうか、ちょっと待って」
そう、これは夢なのは良い。納得できる。
だが待って欲しい、その前に一つ聞きたいことがある。
「お前誰だよ」
「かー!」
自身の問いに幼女が額に手をやりながら仰け反る。
着物の袖が大分だぼついているため、顔の半分が隠れているが、やはり見覚えがない。
「なんて薄情なやつデシか」
「薄情とか言われても、会ったことも無いんだが」
どう考えても、ただの幼女なわけがない。
こちらの世界にやってきてから、やたらと人外的な幼女と出会いまくっている気がするが、きっと気のせいだろうと思いたいところだ。
そして大変嫌なことだが、今までの数々の経験則から当てはめれば目の前の幼女が人間ではないのだろうなあ、という察しがついてしまっている。
そしてその外見的特徴から見ても、何のポケモンなのか…………何となく、分かってしまう。
「まあそれはさておいておくのデシよ。それよりボクの話を聞くデシ、おろかもの!」
「何なんださっきから愚か者って」
ここまでストレートに罵倒されているのに、幼女だというだけでなんか気が抜けてしまうのだから、外見って大事だよな、などと下らないことを考える。
そんな自身をきっと、睨みつけながら幼女が、びし、とこちらへ指を…………だぼだぼの裾に隠れて分からないが、多分指を突きつけているのだと思う。
「まずはグラードンとカイオーガの捕獲、よくやったと褒めておくデシよ」
そうして。
「なーんて言うと思ったら大間違いデシ! そんなものはまだまだ前座。
そんな風にいやにあっさりと、爆弾発言を落とした。
* * *
風が吹いていた。
びゅうびゅうと吹き付ける風はもうすぐ夏の盛りだというのに、痛いほどの冷たさを持って少女、ヒガナの頬を叩きつける。
いつも傍にいたはずのゴニョニョの姿はどこにも無く、不敵に笑っていたはずの表情は氷のように冷たく、冷めきってていた。
『そらのはしら』
それが今ヒガナがいる場所だ。
恐らくルネの民が協力しているのだろう、入口には数名のトレーナーが見張りを立てていたが、元々ボロボロになって廃墟同然の塔なのだ、どこからでも入る場所はある。
そうやって見つからずに『そらのはしら』の内部へと侵入し、そうしてようやくやってきたのはその頂上。
天高くまで伸びた塔の頂上は、雲に届かんとせんばかり。
流れ込んでくる風は冷たく、痛いほどであり、ヒガナは僅かに目を細める。
「…………やっぱり、ダメか」
頂上の広場、その中央で跪き、何かを呟くが、けれど一向に変化は訪れない。
やがて、立ち上がり、腰に付けたボールを一つ手に取る。
「探すしかない…………か」
ボールから出てきたボーマンダの背に乗ると同時に、ボーマンダが羽ばたき、徐々に浮き上がる。
「……………………どこにあるのかな、
ヒガナを背に乗せた影が空へと消えていく。
その姿に、最後まで下のトレーナーたちは気づくことは無かった。
* * *
「…………………………んー」
目を覚まして直後、ベッドの上、上半身を起こしながら寝ぼけた頭で思考する。
何か、大事な夢を見ていた気がするのだが。
はて、どんな夢だったか、どうにも思い出せない。
少しずつ覚醒してくる頭でうんうんと唸ってみても、やはり答えは出ず。
「マスター? 朝ですよ?」
最終的に部屋に起こしに来たシアの声で、思考を中断され。
「まあ、いいか」
そのまま断念する。
――――■が■■に■■れ、世■■■が■■る、そ■■終わ■の■■■デシよ。
ふと、記憶の片隅に残った、そんな穴だらけの言葉を思い出しながら。
実家というのは良いものだと思う。
前世の場合、実家というのは誰も居ない寂しい場所だった。
両親も居ない、親戚も居ない、だからこそ施設に入ったのだが、当然それまで住んでいた家が消えていなくなるわけではない、だからそれも実家と呼べるのかもしれないが…………けれどそこには何もない、空っぽな箱のような場所。
だからこの世界に生まれて、両親に愛され育ち、二人のいる場所が自分の居場所になった。
ミシロに…………ホウエンにやってきてからは、エアが、シアが、シャルが、チークが、イナズマが、リップルが増えて、年月を重ねるごとに少しずつ少しずつ、この特段広いわけでも無い家に家族が増えていく、大切な物が詰め込まれていく。
ここは自分の宝箱だ。
大切な大切な自分たち家族の居場所。
だから、そこに欠けがあることが酷く不安になる。
キンセツシティの病院の一室。
ポケモン専用に割り振られた部屋の中で眠る少女を見ながら、手の中にある物を見つめる。
「…………本当これで、良いのか?」
エアの見舞いのため、ミシロを出ようとした矢先に、カイオーガに呼び止められた。
曰く、あるものをエアに持たせてみれば良い、と。
告げられたその名に、思わず首を傾げてしまったが、けれどまあそれで少しでも症状が改善されるというのなら、試してみる価値はあると早速キンセツシティまでやってきて。
「…………エア」
その手に、丸々として表面が凸凹とした手のひらサイズの石ころを握らせる。
けれど特に変化はない、ダメだったかな、なんて諦観の念が浮かんで着て。
「……………………っう」
直後、僅かにだがエアが呻く。
これまで荒い呼吸を繰り返すだけだったエアが久々に見せた僅かな反応に、視線を釘付けにされる。
「エア? エア!」
「…………ぁ………………ァ………ォ」
薄っすらと、だが目を開かれ、唇が動く。
そこから漏れた声はほとんど言葉となっていなかったが、それでも確かに話そうとしていた。
「良い、落ち着いて、無理に話そうとしてなくていいから」
濡らしたタオルで汗に滴る顔を拭う。そんな自身の手を、伸びてきたエアの手が掴む。
「エア…………?」
「…………は、る」
とろん、とまだ熱に浮かされたままの熱っぽい瞳でエアが自身を見つめる。
それでも、意識は戻っている、そのことに安堵する。
同時に、カイオーガが持っていくように言ったコレが効果を発揮した、ということであり。
「……………………どういうこった、そりゃ」
エアの手の中の
* * *
「
意識を取り戻したエアをポケモンドクターに見せ、経過観察を含めてもう二、三日の様子見、それで復調に向かうようならば退院、とのことらしく、今日はそれでミシロに戻ってきていた。
そうして真っ先に向かうのは家の庭で勝手に巨大プールを作ってリップルと二人で悠々と過ごすカイオーガの元だった。
どうやら今日はリップルは居ないらしく、カイオーガ一人だけだったので、都合が良いと問い詰め、返ってきた第一声がそれだった。
「おーばー…………ど? なんだそれ」
少なくとも、実機でそんな言葉を聞いた覚えも無い。
多少なりとポケモン世界における設定も知っているが、それらにも該当する知識はない。
頭を振る自身に、カイオーガがまあそうか、と一つ頷き。
「キミたちがゲンシの時代と呼ぶ昔に、人間たちがアタシたちのような存在に付けた名前だよ」
「…………つまり、伝説に語られるようなポケモンの総称、ってことか?」
そんな自身に問いに、けれどカイオーガは違うよ、と返す。
「もっと単純な話だよ、つまりね」
曰く、超越種とは。
文字通り、超越した存在。
種族の限界を、限度を、臨界を
「元はアタシたちだって何かの種のポケモン
世界、つまり理、アルセウスが定めた絶対の理を超えてしまう。
文字通り、世界に敷かれた理を
「ゲンシの時代でも数えるほどにしか存在しなかった。それでも数えるほどには存在していた」
現代にそんな存在は皆無と言っていい。少なくとも、自身はそんな存在を知らない…………目の前の少女ともう一人を除いては。
「指先一つで全てを飲み込む止まない雨を呼び起こす、声一つで全てを枯れ果てさせる強い日差しを呼び起こす。そういう領域にキミのエースは踏み込みかけている」
「…………………………」
「けれど、当たり前だけど、そんな領域、普通に生命が到達できるものじゃないし、到達したとしてそれを受け入れられるはずも無い。だからそこへ至ろうとする力をそれを抑えようとする力が反発してあって、体が過剰反応を起こしてる状態なんだよ」
「だから、かわらずのいし、か」
「そうだね、超越種へと至るのは、ある意味進化と捉えても良い。勿論進化そのもの、というわけではないけれど、根本的には進化だって種の限界を破り、新たな種へと至るための過程だよ。だから全くの同一ではないにしろ、共通ではある」
「つまり、かわらずのいしを持たせてる間はエアは大丈夫ってことで良いのか?」
「そうだね」
頷くカイオーガの言葉に安堵する。さすがにアクセサリーにするには大きすぎるが、まあポケットか何かを作って持たせておけばいいだろう。それだけで一応効果はあるはずだし、日常生活を送る分にはそれで不便はない。
「あと戦わせたらダメだよ?」
「何?」
「ポケモンの進化とは経験を得ることで細胞がより強くなろうと変異する現象だ。つまり強い相手と戦うほど必要だから進化しようとする。実際のところ、あの子が進化しかけてるのだって、アタシと戦ったからだと思うよ」
「…………それ、他のやつは大丈夫なのか?」
「多分大丈夫かな」
曖昧な返答ではあったが、根拠が無いわけでも無いらしい。
「そもそも普通はこんなこと起こらないんだよ。けどあの子にだけ起こってるのは、多分『メガシンカ』と『ゲンシカイキ』を重ねるなんて荒業何度も経験してるからじゃないかな」
「オメガシンカのことか」
「名前は知らないけど、多分それを何度も繰り返すことで体が勝手に上限を伸ばしちゃったんじゃないかな」
つまり、メガ進化した時のように、オメガシンカした状態を常態であるように体が認識し始めた、ということなのだろうか。
「種族値800が常態…………禁止伝説とかいうレベルじゃないな」
上限を引き上げ、そして伝説という勝てない相手を知ることで体が限界いっぱいまで強くなろうと反応している、だが同時にそこまで至ってしまうと生命としての枠をはみ出そうとする、だからそれを抑えようとして、体の中で二つの反応がせめぎあう。
つまりそれが今のエアに起こっている現象なのだろう。
「一応聞くけど…………仮にエアが進化したら、どうなる?」
「んー…………一概にこう、と言えるものは少ないけど」
しばし思考するように人差し指を唇に当てながら、カイオーガが視線を空に向ける。
やがてこちらを見て、僅かに小首を傾けながら。
「まあ良くて記憶が全部跳ぶくらい? 悪ければ人格まで変わるかな」
「…………………………………………………………」
今自分がどんな顔をしているのか分からない。けれどそんな自身の表情を見て、カイオーガがさらに続ける。
「超越種に至るってことは、もうある意味生命を超越するってことだから。単純な進化とは違うって言ったけど、別の言い方をするならボーマンダとしてのあの子が
――――――――。
「多分そのまま野生に戻ると思うよ。理性とか吹っ飛ぶし、100年くらいは本能のままに暴れまわるんじゃないかな? そこからちょっとずつ理性を宿していって、もう100年くらいかければアタシたちみたいに意思疎通もできるようになると思うよ」
――――――――。
「まあその前に誰かに倒されるかもね、そうじゃないなら、まあ少なくともホウエンは滅ぶんじゃない?」
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やべえ、あとウルトラサンムーンの発売まで1か月切った!!?
完結しねえぞ、このままじゃ!