「まだ夢の中にいるわね、もう一度寝てくるわ」
ベッドの脇の窓、カーテンを開けて見えた漆黒の空で荒れ狂う龍の姿に、思わずカーテンを閉め、再び布団に潜りこもうとして…………阻止される。
「グルゥゥ…………」
「分かってるわ、ちょっとした冗談よ」
ベッド脇に置いた机の上、寝る前に置いておいた眼鏡を取る。
実のところ目が悪いわけでも無いので無くても良いのだが、どうにも目つきが悪いらしく、眼鏡が無いと初対面の人間に怖がられてしまうことが多いので昔からの必需品だ。
眼鏡をかけるとベッドから足を降し、床を踏みしめ、起き上がる。
それから目の前でぷかぷかと浮き上がる2メートル近い巨大な竜を見て。
「おはよう、クロ」
「……………………」
それどころじゃないだろう、と言いたげな長年の相棒の視線に嘆息する。
「今年は厄日だわ」
グラードン、カイオーガと普通の人間ならば生きている内に見ることすらないだろう伝説の脅威にさらされ、さらに今日。
「レックウザ、だったかしら」
彼から聞いた話を思い出し、その外見的特徴を見つける。
ただ聞いていた龍の姿と随分と色合いが違うようだが、それ以外が一致しすぎているし、そもそもあんなポケモン他に見たことも聞いたこともない以上、アレがレックウザで間違いないのだろう。
伝説のポケモン、レックウザ。ホウエンの上空を常時飛び続ける空の龍神。
そう、伝説のポケモンだ。
今年…………というか、
かつてここまで短期間でこれだけ集中して伝説のポケモンが出現したことなどあっただろうか。
ホウエンという地はまるで呪われているのではないか、と思ってしまうほどに。
「物語…………ね」
余りにもあり得ざることではあるが、事前に彼から存在を聞いて知っていた分だけ、驚きは少ない。
とは言え、未だ上空で戦い続ける伝説のポケモン同士の戦いは現在進行形で轟音と地響きをホウエンにもたらしており、人々の不安を煽っていた。
この状況下でよく自分はつい先ほどまで寝ていたな、と自身の寝起きの悪さにいっそ感動すら覚え。
「って、そんなことはどうでもいいわね」
即座にくだらない思考を中断する。
問題はこれからどうするか、ということ。
いや、どうするか、なんて決まっているのだが。
「まずはハルトと合流ね」
事前に聞いていたのとはまるで別物の
恐らくハルトにとっても予想外の出来事なのだろうと考える。
実際、ハルトから連絡が着ていないのが、彼の焦りを如実に示していた。
カイオーガから始まり、グラードンに至るまで、伝説という名の圧倒的暴威にハルトは立ち向かい、特に犠牲らしい犠牲も無く、見事に解決してきた。
実際、ハルト以外の誰が戦っても街に被害が出たか、人が死んだか、何がしかの傷跡は残っただろうそれを一切出すことなく見事に事態を収め切った
だがそれらは全て何年も前から対策を練っていたからだ。入念に準備を重ね、彼曰くチャンピオンになったのもそのためだ、と言うほどに、できることは文字通りなんでもやった、その結果がそれだ。
翻って今回の事態に、ハルトは一体どれだけの備えをしているだろう。
備える、ということは必然的に予測している、ということである。
この事態に対する予測など恐らくハルトはしていない、つまりほとんど備えていないのではないだろうか、と思う。
幸い、というべきなのか。
レックウザが暴れているのはここミシロからほど遠い海の上でだ。
遠い遠い海の上の出来事がはっきりと見えるくらいに激しいため、楽観できるわけではないが、少なくともグラードンとカイオーガが戦っているのがここから見えている間はあそこに釘付けにされているだろうとは思う。
まあ何にしてもハルトの家に向かうべきだろう、こんな時のために二年前からわざわざミシロに越してきたのだから。
「行くわよ、クロ」
呟き振り返れば、相棒が唸るような鳴き声を上げた。
* * *
「やっぱりこうなったデシか」
少女が呟き、嘆息する。
「カミサマは寝たまま起きないシ、馬鹿眷属たちも協調性の一つも見当たらねえシ。なんでボクが一人でこんな苦労させれてんだって話デシよ!」
ぶんぶんと、揺れるだぼだぼの両の裾を振り回しながら少女が叫ぶが、けれど返答は何一つとして戻ってこない。
「けっ…………こうなったらあの
怒る少女に、けれど誰も答えることは無い。
「ぐぬぬぬ…………ボクの力じゃこれが限界デシ! だから早くなんとかするデシよ、そもそも忠告してやったのに何で忘れてるんデシか、あのおろかものは!」
――――空が暗雲に包まれ、世界に闇が落ちる、それが終わりの始まりデシよ。
ちゃんと伝えてやったのに、夢の中とは言え、はっきりと言ったのに。
現実に干渉しないギリギリのラインだった。少女にとってあれが精いっぱいだったのだ。
だと言うのに。
「ま、まあ…………こっちの想定より早くアレが目覚めたのは計算外と言えばそうデシが」
それでも忠告してから丸一日あったのに、何の備えもしなかったのはさすがに腹立たしい。
とは言え、夢の中での出来事などどれだけ本気になれるだろうか。
しかも半分以上覚えていないのに。
「でもそんなのボクの知ったことじゃねえデシ!」
そもそも少女自身、どうしてこんな面倒なことになってるのか、最早分からない。
「
人に使われるために生きている。
元々少女はそういう存在だ。
千年に一度目覚め、役割を果たし、そうして再び眠るだけの存在。
そんな自分の存在に疑問を覚えたことなど無かった。人間が生きる上で食べることや眠ることに疑問を覚えることの無いように、少女にとって生きることとはつまり己の役割を果たすことだけだったから。
人間はいつだって少女を利用しようとしてきた。
何せ利便性という意味では破格の存在である。そして同時に凄まじいまでの希少性も併せ持つ。
故に少女を欲した人間はいくらでもいた。
少女自身、それを面倒に思いながらも役割を果たせば少なくとも千年、そんな物からも煩わされることは無くなる。
故に淡々と役割を果たし、眠り、千年後に目覚め、また役割を果たして眠る。
ずっとそんなサイクルを続けていた。
十二年前までは。
そう。
彼らだけが自分を利用しようとしなかった。
彼らだけが自分を自分として見てくれた。
彼らだけが自分を助けようとしてくれた。
機械仕掛けのような自分を友達と言ってくれた。
初めて人のために何かしてあげたいと願った。
願われるだけの存在だった自身が、初めて抱いた願いだったのだ。
それを
「…………いや、それは後にするデシ」
ぶんぶんと頭を振って思考を切り替える。
「今はまだあの馬鹿どもが抑えてるから良いデシ。
まあそもそもあのおろかものがきちんと事態を収束させていればそもそもこんなことにはならなかったのだが、最早こうなってしまった以上はそこを言っても仕方ないだろう。
「つーかこんな事態なのにカミサマまだ目覚めないデシか!?」
十二年前は必死になって起こしてそれでようやく僅かな微睡の時を得られた。その時の協力で因果のズレをこの地に落としこむことができたのだが、それから十二年、間近に迫る世界の危機にそれでも目覚めないというのはどうなのだろう。
「自分の世界の危機にくらい目覚めやがれってんデシよ」
吐き捨てるように呟くが、けれど誰も答えは返さない。そんなことは分かっていてもつい言ってしまう。
「最悪でも『むげんきかん』さえ完成しなければ…………」
やはり、行くしかないだろうか、と考える。
本当は自分たちのような存在が現実に干渉するのはルール違反なのだが。
「この状況ならギリでグレーゾーンってとこデシかね」
本当の本当に世界が滅びる瀬戸際、そしてその状況でカミサマは目覚めない上に眷属たちも役に立たないとなると、これはもう動く大義名分になるのではないだろうか。
とは言え、自分の能力を使ったり、積極的に動くのはやはりアウトだろうから。
「あのおろかものを使うしかないデシか」
呟き、考え、やはり嘆息した。
* * *
ほとんど直感だが、分かることが一つある。
「
空の上で激しいバトルを繰り広げる黒龍を見ながら呟く。
家の外に出て、それからまだ未だに一歩も動けていないのは考えがまとまらないからだ。
だがそれでも回し続けた思考で一つ出した結論がそれだった。
そもそもグラードンやカイオーガも同じ、真っ当に戦えば絶対に勝てない、類の相手だ。
だがカイオーガなら雨を封じれば、グラードンなら海に落とせば、真価を発揮できなくなる条件を追加してやることで不可能を可能としてきた。
翻ってあのレックウザを見る。
ゲンシグラードンとゲンシカイオーガ二体がかりでも押し切れないほどの圧倒的な能力。
そしてあの二体より上の天候干渉能力。
つまり、相手の足場を崩すとっかかりが無い。
相手は常に全力を振るい続け、逆にこちらは相手の土俵で戦うことを余儀なくされている、元の能力がグラードンやカイオーガよりも上の相手に、だ。
その時点で
とは言え、だからって諦めることなんてできやしない。当然だがアレを放置すればホウエンが滅ぶ。いや、ホウエンどころか世界が滅ぶか?
「グラードンとカイオーガで
一番可能性があってシンオウだろうか?
とは言っても、パルキア、ディアルガ、ギラティナが一致団結して戦う、というのも余り想像できないのだが。
「…………待てよ?」
パルキア? ディアルガ? ギラティナ?
他所の地方の伝説?
そう言えば、何か無かったか?
ホウエン地方に…………いや、そうじゃなくて、オメガルビー?
実機時代の知識…………いや、それだけじゃなかったはずだ。
そう、確か旅の途中で…………。
それ、使えば、もしかしたら。
「ダメデシよ」
思考を遮るように聞こえた声に、思考に没頭していた意識が現実に呼び戻される。
振り返り、そこに夢で見たはずの金髪の少女がいるのを見て。
「あの悪戯小僧は使うと後が大変デシ。というかあのガキはそもそも中立デシから、アテにしちゃダメでしよ。下手したら余計に事態が拗れるデシ」
「お前…………夢に出てきた」
「ちゃんと事前に言ってやったのに、何スルーしてるデシか、このおろかもの!」
ぺしぺしと叩いてくる少女だったが、見た目相応なのかそれとも加減しているのかさして痛くも無い。
ただどうすればいいか一瞬悩んでしまう。
けれどそんな自身に、少女がすぐにこちらへとキッと鋭い視線を向けてくる。
「これからどうしようか、なんてこと考えてたデシね、そうデシね?」
「あ、ああ…………正直、あれが何なのかほとんどわかってないせいで、何をすればいいのかも分からん」
「だろーと思ったデシよ。
「…………本当に、お前何で俺のこと知ってるんだ」
少しずつ、だが目の前の少女に触発されて夢の中の記憶も戻ってきた。
だからこそ、分かる。
俺はこの少女に会ったのは昨日見た夢でが初めてだったのに、だ。
数秒、少女と見つめ合い、沈黙が場を支配し。
「…………仕方ないデシ。少しどころかかなりギリギリ、いやむしろもうアウトな気もするデシけど」
やがて少女が嘆息し、口を開いた。
そうして。
「
――――それがルールの外にいるお前の役割デシよ。
告げる少女の言葉の意味を理解できず、思わず首を傾げ。
「お前をこの世界に落とし込んだのはボクだって言ってるデシよ、おろかもの」
次いで出た少女の言葉に絶句した。
随分と長い間夢を見ていたようだ。
はは、笑ってくれよ。ポケモンの新作が発売してそれをやっている内に十二月を超えている、なんて夢を見てたんだ…………は、はは…………ゆ、ゆめ、だよな? 夢だと言ってくれ、そう俺はまだ十一月を生きてるんだ、はは…………ぽけもんのしんさくもまだでてないんだよな? そうだといってくれよ、なあ!
ところでさ、だぼだぼ袖ぶんぶん振り回しながらぷんぷんしてる幼女って…………こう、萌えない?