実機において、ミシロタウンの南というのは所謂ゲームエリア外だった。
地図で見ると広大な森に囲まれ、南下すれば海が見えてくるのだがそこまでマップが設定されていないのかいけない場所だったが現実にそんな縛りも無い。
とは言え街を囲むように建てられたポケモン避けの柵を超えると野生のポケモンがいつ出てきてもおかしくない上に本当に森しかないのでそれこそオダマキ博士たちのような一部の大人が研究目的で向かう以外に森へ入る人間というのはほぼほぼ皆無と言っていい。
さらに言うなら野生のポケモンが出ると言ってもポケモン避けに『むしよけスプレー』などの道具もあれば、それほどレベルの高いポケモンもいないのでレベル上限のシアが一人いれば早々手出ししてくることも無い。
そもそもポケモンだってそう人を襲ってばかりいるわけじゃない。
昔ホウエンに来たばかりの頃にポチエナに襲われかけていたが、あれだって博士がうっかり縄張りに手を出してしまい怒っていたからであって、歩いているだけでいきなりポケモンが襲ってくるようなことは実のところ早々無い。
つまりデートと称して二人で散歩するにはちょうど良い場所だった。
「ふふ……良い天気ですね」
朝の陽ざしが森の木々が茂らせた葉に隠され、途切れ途切れに降り注ぐ。
そんな木洩れ日を心地よさそうに受けながら、どこかご機嫌に、シアが空を見上げながら呟く。
家に居る時だって別に機嫌が悪いわけではなかったが、今ははっきりとご機嫌だと分かるくらいに笑みを浮かべ、その足取りも軽かった。
「何だかご機嫌だね」
別に口に出すようなことでも無かったが、会話の取っ掛かり程度のつもりでそう口に出せば。
「ふふ……
「……ん、うん。まあ、そっか」
何の臆面も無くそう告げるシアに面食らったし、赤面もしてしまう。
デートと言ったからか、無意識的に手を繋いで歩いているが、繋いだ手が汗ばんで鼓動が早くなる。
エアと繋がり、自分の中の感情にはっきりと名前をつけた。
そのせいか、前よりもソレを意識してしまう自分がいて。
「ハルトさん? どうかしましたか?」
「あ、いや、何でもないから」
首を傾げ、自分を見つめてくるシアの姿に少し慌ててしまう。
そうですか、と納得したのかしていないのか、分からないけれど取り合えず視線をこちらから逸らしたシアに、自分もまたそっとため息を吐く。
全く、厄介な感情だ。
とは思っても、同時にソレがとても尊い物であるとも
だからこそ、ちゃんと受け止めて、答えを出さないといけない。
―――ならもし、答えが見つかったその時は……私にちゃんと答え、くださいね?
あの時問われた言葉の答えは……もうこの胸の内にあるはずなのだから。
* * *
ざわざわと雑踏の中を歩いていた。
はぐれないように、シアと二人手をつなぐ。
人、人、人、人、人。
見渡す限りの人の波。
ホウエンにあってこれだけ人が密集しているのもここ、キンセツシティくらいだろう。
「大丈夫ですか? マスター」
「ああ、大丈夫だよ」
デートというなら男のほうが先導するもの……なのかもしれないが、さすがに
―――デート……そう、デート、なのだろう。
少なくとも、自分はそのつもりで誘ったし、シアもそう思ってくれている……と思う。
―――偶には二人で出かけようか。
と言ったのは自分だ。
リーグ中にエアに思いを告げられ、それを受け入れ。
そしてリップルに皆同じだと言われ、だからこそずっと考えて。
それでも分からなかったから、はっきりさせようと思った。
果たして彼女たちに抱くこの気持ちは一体何なのか。
果たしてそれはエアに抱く気持ちを同じなのだろうか。
果たしてそれはエアが抱いた気持ちと同じなのだろうか。
果たしてそれは……彼女たちが自分に向けてくれた気持ちを同じなのだろうか。
確かめたくて。
知りたくて。
だから、誘ってみた。
それがシアだったのは、単なる偶然だったけれど。
「そう言えば偶にイナズマとチークが来てるらしいね」
「ああ……二人で街の散策しているらしいですよ」
「ホウエンでも一番電気に溢れてる街だしね、テッセンが『でんき』ポケモンに住み心地の良い街にしてるって聞いたことあるよ」
こうして手を繋いで二人並んで歩くのは……うん、悪く無い感覚だった。
最初ははぐれないように、くらいのつもりだったけれど。
いつの間にかぎゅっと握られた手は、ひんやりとしていて、けれどどこか暖かかった。
「前に美味しいアイス屋さんあるって言ってたし、行ってみる?」
「良いですね……冷たい物は大好物です、私」
「まあ『こおり』ポケモンだしねー」
他愛の無い会話をしながら、特に目的らしき目的も無く、ぶらぶらと歩くだけの意味の無い時間も。
けれどシアと二人で過ごしているというだけで何だか楽しくて。
シアだけじゃない……きっとそれはエアとでも、シャルとでも、チークとでも、イナズマとでも、リップルとでも同じなんだろうと素直にそう思える。
―――こういうの、好きっていうのかな?
分からない、今はまだ分からないその感情を持て余す。
分かる日は来るのだろうか?
なんて、そんなことを考えて。
「どれにしますか? マスター」
「じゃあ普通のバニラで、シアは?」
「えっと……私は」
この街からすると何とも似つかわしくないような気もするが、イナズマから勧められたのは露天のアイス屋だった。
メニュー表みたいなのが屋台に張られているので見やれば十種類くらいのアイスと値段が書かれており、特にこれと言って奇抜なところも無い、普通と言えば普通の店だった。
「けどすっごい人だねこれ」
「そうですね……さすがキンセツシティと言ったところでしょうか」
キンセツの大通りは道幅が非常に広く取られている。
前世の記憶の中にあるような車が通るための道ではなく、純粋に人がそれだけ多いためだ。
所謂歩行者天国のようなものだろうか?
とは言え、別に自転車を運転していても咎められることは無いが。
この世界における車……四輪系の自動車は基本的に街と街を繋ぐ道路を走るためのものであり、街中を走る車というのは実のところそれほど多くは無い。
まあミアレシティのような例もあるので、無いわけではないのだが、ホウエンは比較的自然と密着して生活する習慣があるためか、カイナやミナモくらいでしか見かけない。
まあ話を戻すが、基本的にキンセツシティで自動車を運転しようとしても法律違反と言うわけではないのだが、とにかく人の波が凄まじく実質的に徐行運転くらいしかできない状態だ。
そんなわけでキンセツシティにおいて車というのは自転車くらいしか見かけないのが実情で。
にも関わらずじゃあなんでそれほど道幅が広いのかと言われれば。
純粋に歩く人の数が桁違いに多いからだ。
伊達にホウエンの商業の中心を謳っているわけではないのだ。
街一つ丸々
特に港のあるカイナと接しているのも大きく、小規模ながらキンセツ自体にも船着き場もある。
横幅十メートルはくだらないだろう巨大な道にも関わらず、人、人、人、人で埋め尽くされており、雑踏はいつまで経っても途切れる事が無い。
街路の端でアイス片手に流れる人ごみを見やっているだけで一日が終わってしまいそうなほど多種多様な人々が歩いている。
「ここにいるだけで疲れそう……ちょっと屋上いかない?」
「そうですね、そうしましょうか」
屋上スペースはベンチなどもあってゆったりと過ごせるようになっているのを知識として知っているので道の端を歩きながらエレベーターを目指す。
そう遠いわけではない。実機だと二か所くらいしかなかったエレベーターだが、実際には街一つ分の規模の面積があるのだ、二つ程度で足りるはずが無く、あちらこちらにと置いてある。
ついでに言えば、都市一つ規模の面積の商店街が二階建てなんて馬鹿な話あるはずも無く、現実には十階建ての巨大建築物であるため屋上からの見晴らしは非常に良い。
と言っても商店なのは三階までで、それより上は基本的に住宅街である。
確か下層階(四、五、六、七、八)と上層階(九、十)があり、上層階は富裕層向けらしい。
何となく、前世で言うところのマンションやアパートを連想するが、実機でも確かそんな感じだったし、イメージ的にはきっとそれで正解なのだろう。
「ミシロに住んでると何となくこういう都会っぽいところ慣れないね」
「そうですね……ミシロは自然がいっぱいですから、緑が見えないのはちょっと違和感がありますね」
近場で見つけたエレベーターに乗りながら屋上までへと進んでいく。
どうやら四から十階に行くには住人専用のカードキーのようなものが必要らしい。
実機時代には無かったが、よく考えればこれだけ人の出入りの激しい都市なのだ。そういうセキュリティーがあっても当然なのかもしれない。
とは言え屋上に行く分には問題無い。スイッチ一つでエレベーターは屋上へ向かってぐんぐんと進んでいく。
「まあ住めば都って言うし……キンセツに住んでる人からすればミシロのほうが慣れないんだろうけどね」
「私は……ミシロのほうが好きですけど」
「うん、俺もだよ」
前世のように人を厭う性格でも無いが、さすがにこれだけ人が多いと辟易もしてしまう。
偶に旅行しに来るくらいならともかく、毎日ここに住んでいるとなると気疲れしそうだった。
* * *
エレベーターが屋上に着き、扉が開く。
外に出れば途端に広がる解放感と少し冷えた空気。
「さすがにこれだけ高いと空気も冷たいですね」
「まあ昼とは言え、まだ春になったばっかりだしね」
前世のように温暖化現象、なんてものも無いのでホウエンの春は比較的肌寒い。
まあそれでも地理的には南に位置するので他所と比べれば暖かいほうらしいのだが。
石のタイルで綺麗に舗装された路を挟むように植えられた芝生、そして路の脇の植え込みで育てられた草花。
まるで公園か何かのようでもあったが、広大な屋上の四隅に聳える電波塔だけがキンセツらしさを残していた。
「うーん……でもやっぱ人工物っぽさがあるね」
「まあこれだけ丁寧に整えられると逆にそう見えますね」
一分の狂いも無いほどに整えられた景観は、けれどだからこそ逆にどこか人工物のような印象を与える。
都会の真ん中に置かれた公園のような、作られたような違和感があるのだ。
まあだからと言ってこの美しい景色にケチが付くわけでも無い。
別に天然だろうと人工だろうと、綺麗なものは綺麗だ。
シアと二人、適当なベンチに座って買ってきたばかりのアイスを食べる。
オーソドックスなバニラアイスだ。けれど味が濃く、確かにこれは美味しいな、と感じる。
視線をやればシアも買ってきたばかりのそれを食べている。
「随分と盛ったね」
「……おススメ……らしい、です。全乗せアイス、だとか」
「コーンじゃなくてカップなんだね」
「コーンだと入りきらないんだそうですよ?」
一つ一つが小さいとは言え、十種類全てカップの中に乗せているせいで、凄まじく雑多な印象を受ける。
確かにこれをコーンの上に乗せたら一瞬で崩れる。
カップに小山に盛られたソレをプラスティックスプーンでちまちまと食べているシアだったが、一瞬で自分の手元のアイスを見て。
「私もコーン付きのほうにすれば良かったかしら」
ぼそりと聞こえるか聞こえないかくらいの小声で呟いた。
隣にいたからこそ聞こえたが、恐らく本人は聞かせるつもりも無かったか、それか無意識だったのだろう。
「シア」
だから、シアの名を呼び。
こちらを向いたシアに向けて。
「はい、あーん」
手を伸ばす。
ぴく、とシアが差し出されたアイスを見つめ固まり。
やがてアイスと自分とを何度となく見比べる。
「あ、あの、マスター?」
「早くしないと溶けちゃうよ?」
まあ遠慮されるだろうことは分かっていたので急かすように告げると、少し慌てた様子で顔を近づけ。
「はむ……」
ぱくり、と小口に食べる。それでも遠慮して少しだけ、というところがシアだよな、なんて苦笑しながら手元にアイスに再び齧り付き。
「あ……っ」
それを見たシアが何かに気づいたように声を漏らす。
「ん? どうかした?」
そんなシアの様子に首を傾げるが。
「え、あ、いや、その、えっと……何でもない、です」
そんな自分に、シアは何でもないと繰り返す。
いきなりどうした、と思ったが何でもないならと再びアイスを齧り。
ちらりと横目で見やればその白い肌を僅かに朱に染めたシアが手に持ったスプーンを見つめ。
「あ、あのマスター」
告げる声に振り向けば。
「そ、その……お返しにどうぞ」
アイスを掬ったスプーンを差し出した。
「あ、あーん……です」
顔を真っ赤にしながら。
* 超完全なる余談話 *
ベンチの傍に街灯があった。
まあキンセツシティは夜でも光に満ち溢れているまさしく眠らない街、なんてフレーズがぴったりの場所だし、珍しくも無い。
ただそこに一枚、張り紙がしてあることを除けば。
良く見れば他の街灯やフェンス、果ては電波塔にまで同じように張り紙がしてあり。
そこにはこう書かれている。
『注意! 近頃屋上で通りすがる人に猥褻な発言を繰り返す不審者が出没しています。被害に合われた方、不審者を目撃された方は下記の番号まで ×××-××××-××××』
こんなところで不審者?
しかもご丁寧に人相書きまで書かれている、ということは同一犯なのか。
キンセツシティの屋上は基本的に誰でも来れるが、人の往来も多く、デパートで買い物をした人々が休んだり、買ってきた物を食べたりとだいたいいつでも人がいる。
基本的に犯罪者というのはそういう人の往来の多い場所は避けたがるものだと思うのだが。
そもそも猥褻な発言って何だろう。
人相書きを見れば文字通り『絵に書いたような』その辺の普通のおじさん……に見える。
考えて。
考えて。
ふと記憶の中に過る台詞。
―――はいっ 手を 出してね!
―――あー! 手に 持っちゃった! それじゃ それは いまから キミの ものだね!
―――それは おじさんの
「見なかったことにしよう」
視線を逸らし、手の中のアイスを一口齧った。
正直すまんかった……最後のやりたかったんや(