ポケットモンスタードールズ   作:水代

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残影と霊魂④

 

 

 轟と、西の空で黒雲が鳴った。

 渦巻く漆黒に染まった雲を中心として荒れ狂うかのような竜巻が海水をまき散らす。

 そこにいたはずのポケモンも、それ以外も、何もかも一切合切根ごとこそぐかのように。

 

 今日も空は一面の黒だった。

 昨日も空は一面の黒で。

 明日もきっと空は一面の黒だ。

 

 ずっとずっと昔、空は一面の青だったらしい。

 雲は本来白い物であり、空を流れる物であり覆うものでは無かったらしい。

 けれどそれはずっとずっと昔の話。

 

 それこそ、この星が荒廃する以前の話であり、黒天様が世界に現れる前の話だったそうだ。

 

 世界は黒い雲に閉ざされていた。

 この雲の向こう側には太陽というものがあるらしい。

 温かくて、優しい光をもたらしてくれる物。

 

 私たちが何よりも求めたはずの存在が……。

 

 今日もどこかで、世界が壊れる音がする。

 毎日、毎日、毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

 音が途切れる日など無い、途切れる瞬間など無い。

 

 黒天様を倒さない限り、世界は壊れ続ける。

 

 ずっとずっと、昔からずっと世界はそうだった。

 

 白神様がずっとずっと必死になって世界を直しても。

 

 星神様がずっとずっと必死になって祈りを捧げても。

 

 時神様がずっとずっと必死になって世界を巻き戻そうとしても。

 

 黒天様が世界を壊し、祈りを踏みにじり、時を砕いた。

 

 時神様が世界から姿を消し、時の概念が消えたのはずっとずっと昔のこと。

 けれどそれはついさっきのことでたった今のこと、ずっと先の未来のこと。

 世界の滅びは止まらない、けれど有限が砕かれ無限となった世界は永劫滅ぶことは無い。

 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、世界は変わらず、黒に閉ざされた白はもう何物にも染まることは無い閉塞した円環となった。

 

 ―――イズモ

 

 たった一つ、そこだけを除いて。

 神様の箱庭、天庭神域、高天原の地。

 呼び方は色々あって、けれどそのどれもが最早意味を為さない。

 

 人が、ポケモンが唯一『生きる』ことのできる、最後の領域。

 

 今となってはそれ以外の意味も何も無い。

 白神様が支える最後の大地。

 陽炎帝も、砂塵月下も、嵐壊皇も消え去った寄る辺無き世界。

 

 黒天様の始まりの場所。

 

 けれどそれが今や生命の唯一の揺り籠であるというのだから、皮肉であるとしか言いようが無かった。

 

 だからこそ、黒天様はいつでもこの地を狙っている。

 滅ぼしてやると気炎を吐いている。

 白神様は徐々にその力を失っている。イズモに住む人やポケモンを守るために、力を摩耗していた。

 最早白神様の力を持ってして、時間を稼ぐだけが精いっぱいであった。

 時間の概念が砕け散った世界で、唯一時間の概念を残すイズモの地。

 そしてだからこそ、時の流れと共にその力が失われるのはある種の矛盾であり、皮肉であり、自業自得とも言えた。

 

 『人』が『ポケモン』が『生命』が『死ぬ』ことのできる場所。

 

 けれどそれがイズモであり、白神様はそんな場所を守るために必死なっているのだ、そんな白神様を笑うことなど誰にもできなかった。

 

 ―――ケラケラケラ

 

 黒天様以外には。

 

 

 * * *

 

 

 【黒天】は世界から『光』を奪った。

 

 【魔神】は世界から『距離』を奪った。

 

 【冥王】は世界から『死』を奪った。

 

 【大罪】は世界から『心』を奪った。

 

 【悪夢】は世界から『安らぎ』を奪った

 

 【破戒】は世界から『理』を奪った。

 

 【闇黒】は世界から『空』を奪った。

 

 イズモの外は最早この世ならざる『深淵領域』だ。

 

 光の無い常闇の世界はどれだけ歩こうとどこにもたどり着かない。

 そこでは何かを思うことも感じることも無く、どれほど傷つこうと死ぬことすら許されない。

 眠れど悪夢の世界へ堕とされ安らぐ暇も無く、あらゆる理が狂い、乱れる。

 黒に覆われた空は最早、どうあっても届かない場所となった。

 

 最早この世界に、イズモ以外人がポケモンが、命が生きることのできる場所は無い。

 

 けれどイズモとていつかは白神様の力を失い消えてなくなる。

 つまりそれが世界に残されたタイムリミットであり。

 

 それを守るのが残された人類、ポケモンに課せられた命題であった。

 

 

 * * *

 

 

「とう……さ、ま……」

 

 ぶるり、と身を震わせながらアカリに良く似た少女……アカリの言葉を信じるならば、もう一人の俺の娘、メイリが俺を見てそう呟いた。

 直後、その足元に倒れるシャルの姿を認め。

 

「シャル……」

 

 歩き、屈み、シャルの体を抱き起す。

 

「おい、起きろ……シャル」

 

 どうやら眠っているだけらしい、生きているのは分かっていたが、こうして姿を見るとほっと安堵の息を漏らす。

 ゆさゆさと体を揺らすが起きる様子も無く、相当に深い眠りに落ちているのが分かる。

 単純に眠っているのと『ねむり』状態に陥っているのでは実は多少意味合いが違う。

 例え攻撃を受けても『ねむり』状態は時間経過以外では解除されない、つまり睡眠というより昏睡、もしくは気絶に近い。

 今のシャルの状態もまたそれだった。

 

 つまり。

 

「起きろ、シャル」

 

 “きずなパワー『うちけし』”

 

 絆を手繰り、魂に直接訴えかけるような一声に、シャルがぴくりと反応し。

「ん……ぁ……」

 薄っすらと、その瞼が開く。

 とろん、としたまだ頭の働いていない様子の瞳が俺を見つめ。

「ごしゅじん……さま……」

 呟くと同時に、その体に力が入り、地面に手を付く。

 足がしっかりと土を踏みしめ、自身が手を離すとそのままゆっくり体を起こす。

「大丈夫か?」

「え……あ……はい」

 まだ頭がふらふらするのか、瞼が半分落ち、言葉もどこか頼りない。

 

「少し戻ってろ」

 

 シャルのボールを出し、そのままシャルを戻す。

 シャルが戻って来たことに息を吐き、顔を上げる。

 

「それで……ここはどこだ?」

 

 見渡す限りの闇、だが先ほどまで戦闘があったらしい、焼けた臭いがする。

 

「アカリ」

「んー? あ、はいな!」

 

 名を呼ぶ。一瞬首を傾けたアカリだったがすぐにその意味を察して手の中で炎を燃やし、周囲を照らす。

 

「なんだ、ここ」

 

 広い空間だった。床は土で固められており、天井は木目が見えた。

 奥行については暗くて見えないが、まだ先はありそうだった。

 何故あの屋敷の地下を進んでこうなるのか……道中も暗かったが、アカリがまるで道を知っているかのように連れてこられたので正直良く見ていない。強いて言うならこの場所に来る直前に見た何か模様のようなものが描かれていた金属製の扉くらいだろうか。

 

「何か……違うな、これ」

 

 消えては現れるだけの幽霊屋敷だった、七年前は。

 今回のは何か違う、そんな気がする。

 規模……否、質、と称するべきか? それも何か違う。

 どうしようも無い違和感があったが、けれどそれを言語化することができないもどかしさに僅かに顔をしかめる。

 

「さて、と」

 

 十分に地下を観察したところで、先ほどから黙っているメイリへと視線を向ける。

 俺に視線を向けられたことでぴくり、と僅かな反応を零すメイリを無視して。

 

「色々と、聞きたいんだが……聞いても大丈夫か?」

「それは……」

「ああああ、あの、とーさま、それはね……」

 

 逡巡するメイリの様子に、アカリが少し慌てた様子で仲介に入ろうとして。

 

「……嫌なら良い。聞くと面倒になることもあるだろうしな」

 

 あっさりと前言を翻す俺に、ほっと安堵した様子のアカリと何か言いたげな様子のメイリが対称的だった。

 実際のところ、未来の話を聞くというのがどれほどのリスクなのか計りかねているのも事実。

 

 数か月前にホウエンを襲った未曾有の大災害とて、大本を辿れば十二年も前にたった一人の少年がポケモンへと願った『未来を知りたい』という純粋な願いから始まったのだから。

 

 ジラーチに願ったからこそ、そうなったのか。

 それとも未来を知ったからこそ、そうなったのか。

 『視た』からこそなのか『聴いて』もそうなるのか。

 分からないことが多い、というかこんなの普通分かるはずも無い。

 そういうのはジラーチたちの領分の話である。

 

「質問を変えるか……俺はもう帰るが、お前たちはこれからどうするんだ?」

 

 シャルがほぼ行動不能だ。これでは調査すら儘ならない。

 完全に戦力の計算を間違えた自分のミスである、次来る時はエアたち全員……どころか、何ならアルファやオメガまで連れてきて完膚無きまでに叩き潰してやると密かに決意をする。

 それはそれとして、アカリもメイリも()()()()()()()()()()()ことは何となく察している。

 アカリだけならともかく、メイリの様子まで含めて見れば恐らく二人は偶発的でなく、狙ってこの時代にやってきているのだということも。

 

「私たちも……もう帰ります、やるべきことは終わりましたから」

 

 少しだけ寂しそうな表情で、メイリがそう告げる。

 今度は先ほどとは逆にアカリが何か言いたそうにしていたが、けれど結局言葉を紡ぐことなく。

 

「……上まで一緒に行くか?」

「いえ……私たちは、ここで」

 

 この屋敷、なのか、この場所なのかは知らないが、どうやら目的はここらしい。

 これ以上は何も言いたくなさそうな二人の様子に嘆息し。

 

「分かった、なら俺は帰ることにする……」

 

 シャルの入ったボールを片手に入口へと戻ろうとし。

 

「あ、あの……とーさま!」

 

 アカリが咄嗟に叫ぶ。

 メイリがそれにぎょっとした表情をして。

 

「どうした?」

 

 振り返る。しまった、とそんな感じの焦った表情のアカリに近づき。

 

「落ち着け……どうしたんだ?」

 

 その頭にぽん、と手を載せる。

 シャルよりも少し小さな背だけにアカリからすれば見上げる形になり。

 

「あっ……そ……その」

 

 口元が動く。

 けれど声にはならず、言葉にはならない。

 くい、と袖を引っ張られる。

 耳元をアカリの顔に近づけ。

 

「――――――――」

 

 告げられた言葉に一瞬ぽかん、として。

 

「分かった」

 

 頷き、すぐ傍のメイリの元へと行き。

 

「これでいいか?」

 

 両手を広げ、メイリを胸元へと抱き寄せる。

 

「えっ……あ……」

 

 突然の事態に、目を白黒させるメイリだったが、すぐ様口を閉じる。

 まるで突いて出そうになった何かを我慢するかのようにきゅっと目を閉じ。

 

「……何だかなあ」

 

 その仕草が、昔のシャルに似ていて、本当に親子なんだなあと何となく納得してしまった。

 

 

 * * *

 

 

 じゃあな、と言って出ていく父の姿に手を振って返す。

 金属製の扉がばたん、と音を立てて閉まると同時に。

 

「っ」

「メイリちゃん!」

 

 その場に崩れ落ちたメイリに、アカリが駆け寄る。

 その肩に手を置けば、体を震わせ、何かが我慢しているメイリの様子に気づく。

 

「……メイリ、ちゃん」

「……っ、あり、がと」

 

 僅かに嗚咽を零しながら、それでもメイリが呟く。

 

「あり、がと……アカリ、ちゃん」

「うん……」

「ごめん、ね……わたし、ばっかり」

「ううん……良いんだよ、アカリちゃんは、おねーちゃんだもの」

「うん……ありがと、お姉ちゃん」

 

 胸の中で泣くメイリをアカリが優しく抱き寄せる。

 

「とーさま……あんな人だったんだね」

「……うん」

 

 もう二度と会うことはできないと思っていた。

 否、実際に会ったのは、二人にとってこれが初めて。

 

「優しかったね」

「……うん」

 

 ずっとずっと、写真の中と、それから母からの話の中だけで聞いていた父の姿は、けれど現実でも何も変わらず、優しくて、温かかった。

 

 会ってみたいな、と思っていたのは子供の頃の話で。

 もう会えないのだと、成長して気づいてしまった。

 

 だからこれは、まさしく奇跡だったと言って良い。

 

 父……ハルトが深淵領域へと消えて、二十年。

 母……シャルが他界してさらに十年。

 

 そして。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 実に百三十年越しの親子の邂逅だった。

 どうして自分たちがこうなったのか、それは二人にも分からない。

 【破戒】によって節理も、法理も破壊され尽くされた未来において、それは決して無かった話ではないが。

 

「とーさまに会えるとは、思わなかったよ」

「私もです……今まで抗い続けていて良かった」

「メイリちゃん……【冥王】は」

「倒しました……今度こそ、確実に、一切の余地なく、焼き尽くしました」

 

 ソレは未来において、【冥王】と呼ばれていた。

 二人はソレの名を知らなかったが、きっと今の世界風に言い直すならばこう呼べるだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 てづかみポケモンヨノワール……その()()()であり、同時に『離反存在(ダークモンスター)』でもある。

 『霊界』と呼ばれる死の世界を掌握し、未来において、世界から『死』を奪い去った張本人。

 そのせいで未来においては『死』という概念が消え去った。

 一見してそれは良いようにも見えるが、その実、世界で最も悍ましく、醜悪な話である。

 

 死ねないのだ……どれだけ傷つこうと、どれだけ老いようとも、決して死ねない。

 

 体機能が停止し、最早生命体として終焉を迎えようと、けれど死なない。

 醜く腐り落ちていく体の中にはけれど、人の、ポケモンの意識が残っているのだ。

 最早老い、朽ちていく体を、機能が停止し指一本動かせない体が、少しずつ、少しずつ腐り、溶け、骨しか残らず、喉が無くなり声もでない、脳が無くなり思考もできない、それでも死なない、死なず、ただ骨が風化し、朽ち、消滅するその時までただ意味も無く動き続ける。

 

 かつて黒天を中心として七体の『離反存在』が世界から一つずつ『何か』を奪っていった。

 

 凡そ百二十年以上に渡って世界を苦しめ続けてきた『離反存在』のその一体を、ようやく打ち果たした。

 

 それはきっと、未来において希望となるだろう。

 

「間に合う……かな?」

「分かりませんし……どの道、彼が死ぬことになれば世界は終わりですが」

「……守らないと、ね」

 

 本当はずっとこの世界に居たい気持ちはある。

 なんとなく知覚できる。

 

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 空を覆う黒雲はこの世界においてすでに過去となっているのだろう。

 あの最悪の破壊魔を討ったのが一体誰なのかは分からないが、この世界は今の自分たちにとっては夢のような世界だ。

 勿論比喩的な意味である。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 全ての生命は眠りについたその瞬間から目覚めるその時まで『悪夢世界』に堕ちる。

 未来において、眠り安らぎは最早無い。眠れば悪夢の世界で殺され続ける……勿論『死』は奪われているので、死なない存在が殺され続けるという拷問染みた行いが永劫繰り返される。

 

「【悪夢】もいつかは……」

「倒さねばならないでしょうね」

 

 『悪夢世界(ファントムオブナイトメア)』は未来において人から希望を奪っている最大の原因でもある。

 

 奪われたのは『安らぎ』。

 

 未来において睡眠とは体を休息させるために精神を疲弊させ、起床とは精神を休息させるために肉体を疲弊させることに他ならない。

 完全なる安らぎは未来において存在しない。精神か肉体、常にどちらかは疲弊する未来において『希望』を抱き続けることはとても難しい。

 

 それでも。

 

「倒せたんだ……まだ一つとは言え」

「都合三年かかりました……それでも、確かに私たちは【冥王】を倒しました」

 

 まだ希望はあるのだと、自らに言い聞かせ。

 

「……帰りましょう、アカリ」

「……うん、そうだね」

 

 未来には自分たちを待っている人もいる。

 自分たちのような()()とは違い、生者である少年はこちら側に来ることはできなかった。

 

「『霊界』への扉は……大丈夫」

 

 先ほどまで【冥王】と呼ばれていた存在がいた場所に手を伸ばし。

 

「開け」

 

 轟、とその手の中から黒い炎が溢れ出す。

 ぱちぱちと炎を燃えながら()()を燃やしていき。

 

「行きましょう、アカリ」

「うん……トレーナーが待ってる」

 

 一歩足を踏み出したその直後。

 

 ――二人の姿が掻き消えた。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………。

 

 

 ――後には何も無い。

 

 

 




始原の世界0→アオギリがそもそも未来を見なかった場合の世界
最初の世界A⇒アルセウスがハルト君を導いた世界
二周目の世界B⇒ジラーチがハルト君を導いた世界
異世界地球⇒碓氷晴人が存在していた世界。


さあ、アカリとメイリは一体どの世界からやってきた?





独自設定というか、そもそも原作には出てすら来ない世界だが、『霊界』というものを今回出した。
イメージ的には『死者が行きつく世界』だと思っているので『時間』という概念が無い世界、つまり『過去』と『現在』と『未来』の全てと繋がっていると解釈して『ゴースト』ポケモンだけはうまくやればこれを通って『過去』や『未来』及び『平行世界』へと移動できるとした。
勿論こんなの原作にはないけど、そもそも原作で霊界について一切触れられていないからな。
ヨノワールの図鑑説明に死んだ人間の魂が行く場所、みたいな風に取れる説明があるだけだし。だったらもう俺が好き勝手に解釈しても良いだろ……いいよね?

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