「何を今さら過ぎることを言ってんのよ……」
呆れたような視線で見つめながらエアが嘆息する。
いや、でも……と続けようとする自分に、けれど待ったをかけて。
「私に、シアに、シャルに、チークもかしらね」
告げられた名前に心当たりがあり過ぎて思わず呻きをあげる。
そんな自身にエアが鼻を鳴らして続ける。
「私たち六人に……それにまあ、シキもかしらね。そこまでは大目に見てあげる」
それ以上は許さないけどね、と告げてギロリと向けられた赤い瞳に、身を竦ませる。
とは言えこれに関して本当に俺自身何も言えないのだから、仕方ない話だ。
そもそも
「今更誰か一人、なんてアンタができるわけないでしょ」
絆とは、縁とは、別に異能でも何でもない。
ただ純粋に『好きな人のことなら理解したい』という欲求を突き詰めたもので。
それができる、という時点で最早それ以外の道なんて無いし。
すでにそれを選択してしまった以上、最早それ以外の道を選ぶなんてあり得ない。
―――自身は、ハルトという名前をつけられた碓氷晴人の記憶を持った誰かは『愛』に飢えている。
愛したい、愛されたい。そういう欲求が心の奥底にあって、結局自身に焼き付いた根源となって今もこうして胸の中を焦がしている。
かつて愛を知らなかったが故に誰も愛することのできなかった男の
そして今生における自身は両親に愛され、仲間に愛され、友人に愛され、家族を愛し、仲間を愛し、友人を愛している。
だからこそ思うのだ。
もっと、もっと、と。
けれど同時に元日本人の倫理観が自身の中に根付いているのも事実だ。
だからこそ思ってしまうのだ。
―――複数の女の子たちと関係性を持ってしまっている自分は果たして『絆』を謳うにふさわしいのだろうか、と。
* * *
なんてことを、以前から思っていた。
具体的にはシアと想いを交わしたその日から。
つまり、エア以外に想いを告げたその日から。
一晩経ち、朝靄がまだ残る早朝にチークと共にカイナシティを出発した。
ポケモンセンターのボックスから引き出した自転車をかっ飛ばしてミシロの実家にたどり着いたのはその日の午前中。
とは言えとっくに日が昇っていたので、母さんたちは少し出かけていたらしい。
帰宅した俺たちを待っていたのはイナズマだけだった。
父さんは仕事があるのでジムに、母さんとシアはエアのことについて詳しく聞くためにもう一度コトキタウンの病院に向かったらしく、リップルもそれに突き添ったらしい。
シャルは遅くまでエアの面倒を見ていてくれたらしく現在熟睡中。
他の面々に関しては好き勝手に出かけている……まあいつものことだ。
というわけで帰って早々イナズマに長旅の疲れでまだ眠そうなチークを預けてエアの元へと急ぐ。
二階にあるエアの私室の扉を開き。
「……あら、おかえり、ハル」
あっさりと、なんてことないような様子で、けれどベッドの中から告げてくるエアの姿を見て、思わず安堵の息を吐いた。
「……大丈夫なの?」
「何てこと無いわよ」
色々言いたいことはあったが、まず真っ先に聞きたかった言葉を投げかければエアがすまし顔でそう答える。
じっと見つめるが、けれど本当に特に問題がありそうな気配は無く。
「……はあ」
再度ため息を吐く。本当に昨日電話で事情を聞いてからここに帰って来るまで緊張しっ放しだったので、全身から崩れ落ちそうなくらいほっとした。
「大げさねえ」
「いや、だって……さあ」
言いかけて、それ以上言葉が出てこない。
「本当の本当に、大丈夫何だよな?」
「本当の本当に、大丈夫よ」
呆れたような声で返すエアに、そっか、と呟き。
「えっと、その、やっぱり……あの時のアレが原因、なのかな?」
次いで思ったのは、それだった。
他に思うこともあるだろ、と言われるかもしれないが。
「ヒトガタが……ポケモンが妊娠するって……聞いたことも無いんだけど」
「私だってびっくりしてるわよ」
全然そんな風に見えない、と言えばエアが苦笑する。
「だって、それ以上に嬉しいもの」
―――ハルと、私の子供、だよ?
告げる言葉に、薄っすらと笑んだその表情に、ドキン、と心臓が跳ねた。
愛おしそうに、お腹に手を当てて、摩るその姿は自身の知る少女と似ているようでどこか違っていて。
「だからね、ハル」
笑みを浮かべたまま、笑みで表情を固めたまま、エアが告げる。
「いい加減、覚悟決めなさい」
表情こそ笑っている、が。
内心はそれと真逆である、とエアとの絆が教えてくれる。
「覚悟って……何の、ですか」
エアの小さな体躯から発せられる威圧感に思わず語尾が丁寧になってしまう。
「分からない? 本当に分からない?」
ゴゴゴゴ、という文字が背景に見えそうなくらい膨れ上がった威圧に気圧されて言葉も発せられない。
「じゃあはっきり言ってあげる」
そうして。
「ちゃんとみんなに告白してきなさい、ってことよ」
呆れたような表情で、けれど怒っているような声で、エアがそう告げる。
正直言われたほうが戸惑う。
好きな女の子から他の子に告白してこい、などと言われているのだ。
これで戸惑わないほうがおかしい。
と、言うか。
「い、良いの?」
倫理的に言えば『屑』は俺のほうだ。
目の前の少女に対して好きだと、愛していると言って、そういうことをしておきながら、他の子にも同じように言っている。
けれどそれは最近まで自覚できていなかったものだ。
何せこれまでそんなことを考える暇すら無かった。ただ生きることに、未来へと繋げるためだけに必死で、全力で、無我夢中だったから、そんなことを考える時間も無く、そんなことを考える情緒も無かった。
俺に異性としての愛を教えてくれたのは紛れもなく、目の前の少女だ。
けれど俺はそれに気づくことも無く、他の子たちとも愛を育んだ。何も考えず、ただ少女たちの想いを受け止めた。
それが目の前の少女への不義理になるのではないか、そこに思い至ったのはまさに
本当の本当に、今更過ぎる話だが。
これって浮気というのでは?
そんな当然の疑問が浮かんだのが昨日だった。
そしてそんなことをエアに問えば。
「何を今さら過ぎることを言ってんのよ……」
* * *
「ハルは……後悔してるの?」
「間違っているとは思っていない、よ」
彼女たちと絆を結んだこと、愛を育んだこと。
それを間違いだとは思わない、思いたくも無い。
ただそれは同時に目の前の彼女に対する裏切りで。
「違う、そんなことは聞いてないわよ」
ばっさりと、自身の一言を切って捨てて。
「ハルは、後悔してるの?」
もう一度同じ問を返す。
まるで目を逸らすなと言っているかのように。
赤い瞳が自身をじっと見つめる。
「してない……してないよ」
シアはずっと俺を待っていてくれた。
好きだと言ってくれたあの日から、ずっとずっと、俺が俺の好きを見つけることができるその日まで、待っていてくれた。
そんな彼女のやっと見つけたその好きを伝えたことを後悔するはずが無い。
シャルはずっと俺を思ってくれていた。
ずっとずっと昔から、自分という存在の歪さに悩みながら、それでも好きの気持ちを捨てきれなくて、涙を流した小さな少女を、最後にはただ俺だけを信じると言ってくれた少女を、愛おしいと思ったその気持ちを、後悔なんて言葉で表現したくは無かった。
チークはずっと俺のために頑張っていてくれた。
自分自身の弱さに悩みながら、自分の普遍さに悩みながら、それでも少しでも俺なんかに相応しい自分であれるようにとたくさん悩んで、たくさん考えて、たくさん頑張ってくれた。そんな頑張り屋な少女に伝えた好きは決して嘘ではないし、それを後悔とは決して呼ばない。
「この気持ちを、この想いを、抱いたことに後悔は無いよ」
はっきりと、きっぱりと、例えそれで目の前の少女が怒ろうと。
それでも言い切った。断言した。そうでなければ嘘であると、そう思ったから。
「だったら」
小さく、エアが零した。
「だったら、ふさわしいかどうか、なんて考える必要も無いでしょ」
呆れたように、けれど慈しむように。
「ふさわしいかどうか、じゃないわよ……ふさわしくなればいいだけ、でしょ?」
淡々、あっけからんと。
「ただ背負う物の大きさに弱気になっているだけじゃない、本当は最初から決めてる癖に、何を今さら悩んだ振りしてるのよ」
いとも簡単に、俺の内心を見透かして。
「大丈夫よ……ハルなら」
いつだって、一番欲しかった言葉をくれるのだ、この少女は。
「ガンバレ、私の大好きな男の子」
そう言って微笑む少女に、言葉も出なくて。
「…………」
胸の内側からあふれ出す愛おしさに任せて、少女を抱きしめた。
* * *
夢を見ていた。
宇宙の夢。
広がる漆黒の闇。
散りばめられた星の海。
―――ああ、何だっけ。
音も無く、ただ静寂だけが満たされていた。
―――どこかで、こんな場所を。
ぼんやりとした思考で考えども答えは出ない。
ふわふわとした浮遊感。
まるで体が浮いているようだった。
否、宇宙に重力なんて無いのだから、本当に浮いているのかもしれない。
そんなことを考えて。
「……は?」
意識が覚醒する。
途端に体に降りかかる重さに、すとんと
数秒、忘我から立ち直れず呆然としていたが、やがてそろりそろりと手で足元をなぞれば確かに何かに触れている感触。
地面がある、そのことに今更ながらに気づいた。
視覚的にはそこには何も無い。ただ真下には無限の闇が、宇宙が広がっているだけだ。
だが触覚で辿れば確かにそこには床があって。
「……あれ、ここって」
ふと思い出す。
確かに以前、自分はここに来たことがあると。
いつだっただろうか。
こんな特徴的な場所、来たら絶対に忘れないと思うのだが。
というかそもそもここはどこだ。
確か俺は、自宅のベッドで寝ていたはず……ん?
「ベッドで、寝ていた?」
そう、以前にもそんなことが……。
―――このおろかもの!
声が聞こえた……ような気がした。
はっとなって周囲を見渡すが、けれど誰も居ない。
そこには広大な宇宙が広がるばかりで、音の一つ聞こえはしない。
「何だここ……」
絶対に知っている……気がする、のだが。
どうしてだろう、どうしても思い出せない。
こんな特徴的な場所、忘れるはずが無いのに。
見渡す限りの宇宙。
物音一つせず、動く物も無い。
足場はあれど透明で、どこまでが安全でどこからが危険なのか、それすら分からず動くに動けない。
さらに言えば、何故自分がここに来たのかは分からない、そんなもの皆目見当もつかない。
「……どうしろってんだよこれ」
誰にともなく呟き、途方に暮れた。
直後。
ふわり、と。
光が浮かび上がった。
まるで足跡のようなそれはふわり、ふわりと一定の感覚で見えない床に上で光を放ち、道のように続いていく。
まるでそれは。
「……来い、ってことか?」
呼ばれているようだった。
でも、誰に?
足を止め、少しだけ考える。
けれどやがて。
「……行くしかないか」
呟き、歩き出す。
少なくとも、ここにずっといても何か変わるわけでも無いし。
だったら何か変わると信じて歩き出す。
もうそれしか方法が無い、というべきかもしれないが。
「鬼が出るか、蛇が出るか」
正直どっちもやだな、と内心で呟きながら、光の痕跡を辿って行く。
前後左右上下、三百六十度どこを見ても宇宙なこの場所で時間や距離というものが非常に分かりづらい。
ただ感覚的にはしばらく歩いた気がする。もしかすると実は全然歩いていないのかもしれない。
動かす足に疲れは無い、もしかするとこれ、夢なのでは?
そんな疑問すら沸いてきた頃に。
光が途切れた。
「……終着点、か?」
さらに歩き、光の足跡が途切れた場所にたどり着く。
そうして。
「やあ、いらっしゃい。待っていたよ」
そこに。
「
真っ白な
「
そうして、告げた。
「
告げて、ソレが笑った。
この小説における解説キャラ、アルセウス=サン。
ジッサイベンリ。なんたってこの世界を創った人(?)だからな。
ところでイナズマ回のはずなのに、イナズマ出てこないな……。