Q.つまり?
A.伝説大決戦りたーんず
―――嗤っていた。
「キヒ……キキャ……」
一片の光すら刺さない闇の中で、ソレはただ嗤っていた。
「ケキャキャキャキャキャキャキャキャ」
ソレの目の前にふわりと浮かぶ『壺』を前にソレはただ嗤っていた。
不可思議な『壺』である。一見すると花瓶か何かのようにも見えるやや細長い形状。
だが肝心の胴の部分は中央に穴の開いた輪のようになっており、果たしてこれが一体何を目的として使われるのか、外見からでは一切の推測が出来ようもないほど摩訶不思議な形状をしたそれは、けれど確かに『壺』である。
「オ」
一頻り嗤い続けたソレがやがて目の前の『壺』へとその腕の一本を伸ばし、がつりと掴む。
「デ」
ぐっと、振りかぶると同時。
「マ」
ぶん、と空間に突如
「シ~♪」
振りかぶった腕を思い切り振り下ろせば、手の中の『壺』がぽかりと空いた『穴』へと吸い込まれた。
「ケヒャケヒャケヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャケヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャケヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャケヒャヒャヒャヒャヒャヒャ♪」
深い深い【深淵】の底で、嘲笑が響いた。
* * *
―――微睡みの中にいた。
うつらうつらと、意識は浮いたり沈んだりを繰り返す。
その中でちらちらと意識の端が『何か』を認識していて。
「……ん?」
覚醒する。
目を開き、ぼんやりとしながらちらちらと見え隠れする『何か』へと焦点を合わせる。
それは物理的な意味での『見る』という行為ではない。
何故ならこの宇宙の中心のような場所には基本的には『何も無い』からだ。
『はじまりのま』と名付けられたこの場所はただその主が存在するためだけの場所であり、世界のいかなる場所とも繋がっていない。
故にどれだけ歩みを進めようが、どこにも辿り着かないし、どれだけ浮かびあがろうがいつまでも進むことはできない。
遥か遠くに見える青い星を見つめたところでそこにたどり着くことはできないし、そもそもそれはただの認識的な景色……イメージであって、本物ですらない。
結局のところこの場所から何かを知覚しようにもできるはずがない。
普通なら、だが。
「……あれ?」
不思議そうに声を挙げ、首を傾げる。
僅かに目を細め、何かを掴むようにして手を伸ばし。
ぴしり、とその指先が裂けた。
「……あっ」
まるで何かに弾かれるかのように、伸ばした手を引き戻し。
ふと気づいたその事実に思わず声を挙げた。
* * *
―――夢を見ていた。
何気無い日常の中の夢だ。
こじんまりとした家には家族が四人。
自分がいて、『父親』がいて、『母親』がいて、『弟』がいて。
そんなあり触れた普通の『家庭』がそこにはあって。
けれどどうしてだろう。
朝の団欒、机を囲う自分の目の前で新聞を片手に笑みを浮かべる『父親』にも。
早起きして作ったのだろう美味しそうな朝食の乗った皿を片手に楽しそうに微笑む『母親』にも。
そこにはあるべきはずの『顔』が無かった。
黒だ。
塗りつぶされたような漆黒がそこにはあって。
だから自分は『父親』の顔も『母親』の顔も知らない。
ただそれが『父親』であり『母親』であることを知っていても、それがどんな顔をしているのかは知らない。
どうしてだろう?
そんなの簡単だ。
「だって
朝食の席に着いた『弟』がフォーク片手に楽しそうに独りごちた。
「ホント……悪夢だわ」
顔も見たくもないと思うその顔だけははっきりとしていて、見て見たい顔は見えない。
言葉を交わしたい、そう思っているはずの両親は何も言わない、ただ黒に塗りつぶされた顔の下の口元だけが張り付けたように笑みを浮かべている。
なのに口もききたくない『弟』の声だけははっきりと耳に届いて。
「最悪の夢ね」
「そうかい?」
心外だ、と言わんばかりに目を丸くして『弟』は肩を竦める。そのおどけたような態度がまた癇に障った。
そんな自分の心を見透かしたように、だって、と『弟』は口元を歪め。
「ここは
「…………」
「答えるまでも無いことだよね。だってこの光景こそ姉さんが欲しがってた物じゃないか」
「…………」
「姉さんが僕を嫌うのは僕が姉さんの『弟』なんかじゃないって分かってるからでしょ?」
「…………」
「僕は【影】だ。姉さんの心の影。その半身であり、常に傍に寄りそうモノであり、その足元に潜むモノ」
「…………」
「『家族』が欲しかったんだよね? 『日常』が欲しかったんだよね? 『平穏』が欲しかったんだよね?」
「…………」
「だって姉さんは『家族』を知らないし、『日常』を持たないし、『平穏』なんて置き去りにしてしまったのだから」
「そんなことは」
「無い? 本当に?」
「…………」
「ねえ……
その言葉に即答できなかったのは、その言葉を否定できなかったのは。
どうして、なんて問うつもりも無い。理由なんて分かりきっている。
でもそれを口にするつもりも無いし、それを『彼』のせいにするつもりも無い。
「ねえ」
「何かな?」
だから、代わりに聞いてみたいことがあった。
「『普通』って何?」
「さあ?」
代わりに、問いたいことがあった。
「こういう時、『普通』ならどうするの?」
「さあ?」
そんなことに意味はないと知ってはいたが。
「残念だけど、僕はその答えを知らない。だって僕は姉さんの心の影なんだから。姉さんの隠した本心を突きつけることはできても、姉さんの知らないことを教えてあげることなんてできるはずがないでしょ?」
つまりそういうことだった。
嘆息一つ。
今日もまた夢見は悪い。
けれどそんなことしょっちゅうのことで。
だから今日もまた、悪夢の中で何の意味も無いだろうつまらない会話を上滑りさせながら、朝が来るのを待った。
* * *
ざあざあと漣立てる波音。
空を見上げればキャモメの群れが鳴き声を上げながら飛び回り。
燦々と照りつける太陽は春の到来が近いことを教えてくれていた。
「……いや、寒いって」
「二月に半袖なんか着てたら寒いに決まってるじゃない」
南のほうにあるホウエン地方は比較的冬の時期が短い。
十一月辺りから寒さが厳しくなり始めても一月も半ばにピークを過ぎ去り徐々に暖かさを取り戻していく。
二月にもなればちょっとしたちょっとした小春日和である……まあ本来の意味じゃないけれども。そんな感じの天気ということだ。
とは言え、さすがに
気温自体は陸地に比べると安定しているのだが吹き抜ける風のせいで体感の温度はまだ真冬であるかのように錯覚させられた。
「陸地ならこれでも行けるんだけどなあ」
「ミシロはホウエンの中でも暖かいからそうかもしれないけど……それだってまだ二月よ?」
カイナの港から出てミナモへと向かう客船の甲板に立ち、体をぶるりと震わせる。
良い天気だし室内に籠っていないで少しばかり海でも眺めようと思ったのだが、さすがに寒すぎる。
びゅうと吹き抜けた風に背筋を震わせ。
「っくしゅ」
「風邪引かないうちに戻りましょう」
「うう……そうだね、なんかごめん」
厚着をしていても寒いのか、隣で指先を擦り合わせているシキに謝りながら船内へと戻る。
空調の効いた船内は快適な温度を保たれており、ほっと一息。
とは言え今の今まで寒空の下にいたのだ、冷えた体がぶるりと震える。
「食堂行かない?」
「そうね……珈琲でも飲みたい気分だわ」
それなりの大きさの客船だけあって、船内食堂はかなり広い。
二、三十人は優に座れそうな食堂の端のほうの席に座って湯気立つ珈琲を片手にほっと一息吐く。
カップの中でゆらゆらと揺れる液体に、たっぷりのミルクを注ぐ自身を見てシキがくすりと笑う。
「苦いのは苦手?」
「いや、飲めなくはないけどね、そういうシキはブラックなんだ」
ちょっと意外だ、とは言わないけれど。
何となく甘党なイメージがあったのだが、けれど良く思い返してみるとそうでも無いと気づく。
というか―――。
「シキって食べ物の好き嫌いってあるの?」
「え?」
二年ほど顔を突き合わせているが、余りそういう食の好みというものを聞いた覚えが無い。
出された物は何でも食べるし、お店などに行っても毎回特にこれと決まった物を頼んでいるわけでもない。
エアたちは割と味の好みが煩い性質なので余計にそういうところが気になった。
だからこその疑問だったのだが、問われたシキはうーん、と難しい表情をする。
「好き、嫌い……食べられるなら何でも、かしらね」
「特にこれが好き、とかこれが嫌いとか無いの?」
「うーん、無いわねえ……それに」
―――そういうえり好みできる環境でも無かったし。
不意に独り言のように飛び出した言葉に思わず絶句する。
しまった……この話題思ったより地雷だった。と気づいた時にはもう遅い。
口にしたシキもはっとなって、気まずそうにこちらを見やり。
「そ、そういうハルトは食べ物の好き嫌いとかあるの?」
「俺? 俺は……美味しい物なら何でも?」
「…………」
人のこと言えねえじゃん、と言いたげなシキの視線に思わず視線を逸らした。
* * *
―――そもそもの話、何で唐突にシキと二人で船上で揺られているのかと言えば、一週間ほど時間を遡る。
半年ほど前に、シキに『好き』だと告げられてからずっとその答えに悩んでいた。
最初は……ただの協力者だった。
伝説という脅威を前に同じ伝説という力を借りたいがために協力を要請したのが、切欠。
二年共に過ごして、戦友、或いは仲間、言葉は何でも良い、ただシキはもう自分の中で『日常』の一部になった。一緒にいるのが当たり前、とは言わないが……繋がりを保ち続けたい、そう思えた。
そうしてそんな彼女から『好き』だと言われて、良く分からなくなった。
自分と彼女の思いは擦れ違っている。
自分の『好き』と彼女の『好き』は違う。
―――そう思っていたわけだが。
繋いだ手に、触れた暖かさに、心の中がざわめいたのもまた確かで。
果たして自分は彼女のことをどう思っているのだろうか。
伝説という脅威を乗り越え、取り戻した日常の中ふとそんなことを考えていた。
半年前、ミナモでの一件以来、シキはけれど『そういう』話を持ち出してくることは無かった。
あの時は色々あって有耶無耶になっていたが、俺はまだ彼女に対して明確な返事をしていない。
それでも何も言わないのは、待ってくれているのだろう、と思っている。
少なくとも、エアたち六人のことを片付けてからではないと俺としても何も言えないのは分かっていたので、それに甘えていた部分はある。
けれどエアと、シアと、シャルと、チークと、イナズマと、リップルと。
彼女たちと思いを通じ合わせた今となってはその答えを遠ざけるような真似はもうできない。
なのに、けれど、だというのに。
未だに自分の中で、明確な『答え』が出せていなかった。
一緒にいたい、離れたくない、傍にいて欲しい。
でもそれが『異性』としてのそれか、と言われると……分からない。
他の六人とは違う、シキは『家族』ではないし、ポケモンでなく『人間』である。
故にエアたちと同じ距離感で近づくことはできずに戸惑う。
エアたちは根本的には『家族』だった。
故に思いがすれ違っていても『家族』という絆で結びついていられた。
シキはそうじゃない。あくまで『他人』だ。ホウエンを巡る伝説の騒動にケリがついた以上はシキがどこかに行くというなら自身にそれを止めることはできない。
今も尚シキがホウエンにいるのはシキ自身がそう望んでくれたからだ。
故に、惑う。
曖昧な心がさらに惑う。
どうしても考えてしまうのだ。
『答え』を間違えてしまえば、シキが居なくなってしまうのではないかと。
どうしても『正解』を探してしまう。
だがそれは余りにも打算的が過ぎないだろうか、とも思う。
けれどそんな思考を切り離すことができない。
故にどんな答えを出しても自信が持てない。
本当に自分はそう思っているのか。
シキが居なくなるかもしれない、そのことを恐れて打算を働かせていないか。
そんな答えでシキは納得してくれるのか。
自分でも気づかない打算に気づいて受け入れられないのではないか。
そう思うと答えが出てこない。
折角見つけたと思った答えすらどこかに消えてしまう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
惑い、惑い、惑った自分に。
「いい加減にしなさい」
ぽかりと頭を叩いたエアが嘆息しながらこう言った。
「アンタ、ちょっとシキ連れてデートの一つでもしてきなさい」
―――結果、今に至る。
十天統べました。