「あっつくなってきたねえ」
そんなことをごちる青の少女は涼し気な衣服の胸元をはためかせながら団扇で風を送る。
季節は五月。春が訪れ、やがて夏へと至る途中の季節。
ホウエンは比較的南側の地方なので一年を通して温暖な気候が続く。
だからシンオウやガラルなどの北のほうの地方と比べて夏の到来が早かった。
「そうかぁ? ニンゲンじゃあるまいし、オレは別に気にならねーけどな」
だらんとダラしなく寝転がりながら首を傾げる赤の少女はかなり着込んでいるにも関わらず一向に暑そうな様子は見せなかった。
「ずず……はぁ、茶が美味い」
青の少女と机を挟んで対面に正座する緑の少女は手に持った湯呑の茶を啜り、ほっと一息漏らす。
春が過ぎ、夏にも差し掛かろうとする季節。
トレーナーであるハルトは暑くなってきたと丈の短い服を着だしていたが、実際のところこの場にいるポケモンたちからすればこの程度の温度差など大したものではない。
夏だろうが冬だろうが海を泳ぐカイオーガ……アルファからすれば地上の温度など誤差に等しいし。
マグマの中だろうと気にせず闊歩できるほどの分厚い表皮を持つグラードン……オメガからすれば肌で感じる温度差など気にも留めない程度のものだ。
そして超高々度の空を自在に飛び回るレックウザ……デルタからすれば氷点下にも届かない寒さも二千度に達しない程度の熱もさしたる問題にはならない。
つまりアルファが団扇で扇いでいるのだって半ばポーズのようなものだ。
暑いと口に出してはいても、実際にはそれを苦にしているわけではない。ただ周りの人間たちがそう口にして団扇で扇ぐのを見かけるからそれを真似してみただけ、というそれだけの話。
もしかするとそれはアルファなりの人の世界に溶け込むための手腕なのかもしれない、本当のところはアルファ本人にしか分からないことではあるが……。
「すっかり馴染みやがったな、てめえ」
少し呆れたような感情を滲ませながらオメガがデルタを見やる。
オメガだって言えたことではないと自覚はしているが、この龍神は数千年と空の上で人に交わること無く生きてきた生粋のハグレモノだ。
それもオメガやアルファと互角以上に戦える正真正銘の化け物、それがニンゲンの住処で呑気に茶を啜っている光景を見ると、違和感が酷い。
否。
違和感がないことが違和感だ、とでも言うべきか。
まあなんてことはない。
結局のところ、アルファも、オメガも、デルタも、誰もかれも似た者同士だった、それだけの話なのだ。
* * *
デルタが人の世界に触れるようになってから早くも二カ月以上の時が流れていた。
空の上でただ人の営みを見ていただけとは比べ物にならないほどの多くの文化に、元より文明とは離れて生きていたデルタだけにミシロのような田舎町ですら目を回すほどの文明の波に飲まれていた。
デルタたちのような超越種は人の形を取ることができる。
それはこの世界にそういう法則が存在するからに他ならないわけだが、どれだけ人の形を取ろうとその本質は超越種という名の怪物である。
故にデルタにとって人の文化に混じって生活することは酷く不慣れなことであり、当初窮屈さすら感じていた。
けれど同時に自分が『大勢の中の一人』になれた気がするのも確かだった。
圧倒的な『個』だったデルタにとってそれは酷く斬新、かつ新鮮な体験だった。
「お前たち、趣味というのはあるのか?」
ゆったりとした時間の中、ふとデルタが呟いたその一言。
畳の敷かれた寛ぎのスペースで綺麗な姿勢で正座する龍神の言葉に、対面に座っていたアルファも、すっかりお気に入りになったクッションを抱いて寝転がるオメガも一様に首を傾げた。
「趣味?」
「何だ? 急にどうした」
「なに、主から趣味でも見つけたらどうだ、と言われた故な。とは言え、私のような存在が人の世界で何ができるのかというのもある」
そんな龍神の言葉に、両者があーと納得したような声を挙げる。
当然だろう、この場にいる三者共にその指先一つで天災を引き起こすことすら可能な、世界の理を超越してしまった存在なのだから。
何ができる、と言われれば大抵のことはできる、というか出来過ぎてしまう。
やろうと思えばできる、つまりわざわざ努力するほどのことでも無い。
故に特別やりたい、と思えるようなことが余り無いのだ。
「うーん、趣味かあ。海を泳ぐのは気持ちいいけど、あれって趣味なのかなあ」
アルファことカイオーガはそもそもの生息地が海であるが故に、それを趣味と呼ぶのか首を傾げるところだった。
「オレは寝ることだな……」
「キミの場合はそのクッションがあれば何でも良いんじゃないの?」
「そんなことも無いことも無いぞ」
「アハハ、やっぱそうじゃん」
オメガは基本的に常に家でゴロゴロとしている。
人をダメにするクッション、とかいうのがお気に入りらしく、常に片手にクッションを抱いて、手放すことが滅多にない。
「あ、そう言えばあったよ、趣味」
「ああ、そう言えばあったな、趣味」
しばらく考え込んでいた両者だったが、ふと顔を上げて。
「温泉だね」
「温泉だな」
声を揃えた。
ハルトの自宅には温泉が引かれている。
いや、正確に言えばフエン温泉に感銘を受けた超越種二匹が本気を出し、
伝説に語れるポケモンたちが何を、と言いたくなるが普段海を泳ぐことやクッション抱えて寝ることしかしない伝説たちが珍しく本気になった瞬間である。
この件に関してトレーナーであるハルトは呆れ顔で何やってんだこの伝説ども、とぼやいていたが一度温泉に入れば、よくやったこの伝説ども! と良い笑顔で褒めていた。
「確かにあれは悪くない」
「でしょ~?」
「だろ???」
そもそもの話、デルタことレックウザは野生の時、地上に寄りつくことが滅多になかった。
時折休息に地上に降り立つことはあっても、それも何十年に一度あるかないかと言うレベルの話であるし、基本的には常時空の上を飛び続けていた。
空の上から人の生活を眺めたりもしていたこともあるが、それでも詳細に何をやっているのか、なんてのが高度何千、何万の上空から分かるはずも無いし、その知識も無かった。
故に風呂という文化など当然ハルトにゲットされてから初めて知ったことの一つだ。
「熱いだけの水に身を包むことに何の意味が、と思ったが……確かに悪くない」
ハルトはそれを『命の洗濯』なんて評していたが、湯に身を浸しくつろいでいると体中の力が抜けていくような心地よさがある。
「ふむ……入りたくなってきたな」
「アタシも~」
「入るか」
この日からデルタの趣味に『温泉』の二文字が追加された。
* * *
「こんな時間に何やってんだ?」
夜。
皆が寝静まり、空は暗く染まり、星が輝く時間。
さてこれから寝ようか、と思った矢先に窓の外に見えた人影が気になってやってきてみれば庭で空を見上げて佇むデルタがいた。
「ん……ああ、主か」
声をかけられて初めてこちらに気づいた様子で振り向くデルタを内心で珍しいと目を丸くする。
デルタだけではないが、野生のポケモンというのは気配に敏感だ。デルタなら風の動きを敏感に察知し、周囲で動く存在があればその存在が動く時に揺れる空気の動きを正確に感じ取る。
そんなデルタが声をかけられるまで気づかなかった、というのはそれだけ気が抜けていたのか、それとも逆に集中していたのか。
「空を、見ていた」
「空?」
そんなデルタに釣られて空を見上げる。
広がるのは暗い夜に光輝く銀月と星屑をちりばめたような光景。
今日は雲一つない快晴だったお陰か、夜空もまた綺麗なものだった。
「不思議な気分だ」
遠い空に手を伸ばし、かざした手の平の隙間からは月光が漏れる。
「空が遠いな」
それは高度何千、何万と上空を飛び続けたデルタだからこその感想だったのだろう。
何せデルタ……レックウザという龍はメガシンカすれば宇宙にさえ飛び出すことができるのだから。
「私はここに来るまで、地上を見ることはあっても空を見上げるということをしたことが無かった」
更なる上空へと飛び出そうと上を向くことはあってもそれは進路が上を向いているというだけであって、こうしてじっくりと空を見上げ景色を眺めるという経験はデルタには無かった。
デルタの関心はいつだって下に向いていた。地上の人々へと向けられていた。故に過去のデルタは自分の飛び回っている空のさらに上を気にしたことが無かった。
「こんなにも美しいものだったのだな」
見上げた空はただただ美しかった。
それは泣きたくなるほどに綺麗で、切なくなるほどに壮大だった。
ほんの数か月前までの自分はそれに気づかずにわが物顔であの空を飛んでいたのだ。
何百、何千年と生きてきて、今更にそんなことに気づいたのだ。
「なら、これから積み重ねて行けばいいだろ」
「……これから、か」
生物という『規格』を逸脱した超越種に寿命という概念は無い……と言われている。
実際のところ超越種がどれくらい生きるのかなんて本人たちですら分からないのだから、曖昧になるのは仕方がない。
そんなこと今までのデルタは気にしたことも無かった。
ずっと独りであり続けたが故に、時間という概念が酷く曖昧だった。
「そうか、これから、か」
たったの二カ月ちょっと、三ヵ月にも満たない……千年以上の時を生きるデルタからすれば刹那のような時間。
なのに、今まで生きてきた千年以上の時よりも永く感じられたのは。
「ああ、それはなんというか……」
この刹那のような時が、これまでの千年より遥かに濃密だから。
「楽しそうだな」
だから、こうして笑みを浮かべるのも、未来への期待に胸を膨らませるのも、きっと初めてのことなのだ。
* * *
「ところで、主はエアについていてやらなくても良いのか?」
「あーうん、今日はシアがついててくれるらしいから」
出産予定日が大分近づいたため最近では常に誰かエアの傍に一人いることにしているのだが、今日はシアが一緒にいてくれているためそちらに任せている。
「あと一月くらいのことらしいけど……なんていうか、大変なんだね、子供ができるって」
「ふっ、精々励め主。それが父親の役割だろうよ」
「父親、かあ」
そう父親だ。先月、春の初めに誕生日を迎えようやく13歳になったのだが、来月には一児の父。
「うーん、常識が壊れる」
実際のところ、ホウエン地方の法律に照らし合わせれば別に何も問題はないのだ。
十歳で成人になる以上、社会的な権利と責任はすでにある、つまり家庭を持つことに何の問題も無い。
何だったら明日にでも結婚届だって出せる。
ただ自分の中にある常識的な何かが音を立てて崩れているだけで。
まあそれとて何の意味があるのか、という話。
ポケモンと契り、子を成した時点でもう常識なんてものは投げ捨てているようなものだ。
そもそも世界で最も大切な俺の家族のことなのだ、常識に縛られてそれをないがしろにするような真似を他ならない俺がするはずが無い。
「人とポケモンが共に生きる時代、か。本当に、不思議なものだ」
「何言ってんだ、その時代の中にお前だっているんだぞ?」
「ああ……そうだな、今は、そうだ」
いつもの仏頂面が珍しく柔らかい笑みを浮かべる。
ゲットした時から薄々気づいていたが、こいつはとんでも無く寂しがり屋なのに、無意識的に自分から輪を抜けようとする。
恐らくこれまでずっと孤独だった代償というか、癖のようなものなのだろうが、けれどもう
「何というか、まだ慣れないんだ。私はずっとそうだったから、私の世界に他者はいなかったから。他人というものにまだ慣れない」
「時間ならある。例えお前からすればほんの一時かもしれなくとも、それでもその一時にありったけを詰め込めば良い」
それでもまだどこか寂しそうな表情のデルタに、一つ嘆息してその手を取る。
「俺が生きてる間はずっとお前は俺たちの家族だし、俺が死んだって俺の家族たちがお前を独りにしたりしないから。だからそんな寂しそうにするなよ」
―――今度は俺たちがお前を助ける。俺たちはもうお前を独りにしないから
約束だ、と手を差し出せば、少しだけ躊躇しながらデルタもまたそっと手を出し。
「これは?」
「指切りって言うんだよ。約束の証だ」
互いの小指を絡め合い。
「これからも一緒だ、デルタ」
―――だから、今度は一緒に行こう、デルタ。
「ああ……最後まで、一緒だ」
指切した。
後日談
デルタ「温泉……悪くない。私たちの元の姿でも入れたら良いのだが」
オメガ「ありだな? よし、なら庭にでっかい穴掘るどー!」
ハルト「うわああ、やめろ! 庭が、庭があああ」
アルファ「ナイス提案! よーし、いっぱいお水溜めちゃうぞー!」
ハルト「おま、庭に湖できてるんだけど?!」
オメガ「あとはまあ地熱で適当に沸かして、出来上がりだな」
デルタ・オメガ・アルファ「「「元の姿で飛び込めー!」」」ザパーン
ハルト「大洪水じゃんこれ!!」
みたいなことがあったかもしれないし、無かったかもしれない。
アルファとオメガについてもうちょい掘り下げようと思ってたのに、こいつら特に書くことが無いことに書きながら気づいた。本編でだいたい出してるわ。
因みにだが、この話の時点で5月頭なので先々月くらいにハルトブラザーことユウキくんが生まれてる。そして来月くらいにソラちゃんとアオくんが生まれる。