ぱちん、とプリムが指を鳴らした瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ、と床の氷が消えていく。
摩訶不思議、奇想天外、吃驚仰天。
異能の凄さをまじまじと体感しながら、徐々に上がって行く気温に、ほっと一息。
「負けはしましたが…………得る物もある戦いでした。次に戦う時までにもう一段階、異能を極めれそうですね」
「止めて、マジ止めて、本気で凍え死ぬから」
まだ悪化するのか、この異能。と軽く戦慄しながら思わず呟く。
そんな自身の言葉にプリムがふふ、と笑い。
「私に勝った貴方には次に進む権利が与えられます」
そんな言葉と共に、プリムの背後の扉がゆっくりと開いていく。
「けれど心しなさい…………次に待つのは、四天王最強の男…………」
呟き、途中でふっと気づいたように言葉を止め。
「そうですね。他の方のように私からも一つアドバイスを」
ふっと、背後を振り返る。
正確にはその先にいる男を見ているのだろうと直観する。
「私、ゲンジには一度も勝ったことがありません」
出た言葉に、一瞬思考が止まった。
「ゲンジの戦いは酷くシンプルです。元々が強い『ドラゴン』タイプのポケモンを強化して、相性の良い相手を能力の差で圧倒して叩き続ける…………それだけです。同時に、育てることが一番苦手な方でしてね。裏特性はともかく、専用トレーナーズスキルはエースにしかついてません」
次々と出てくる次に戦う男の情報に、けれど冷や汗が流れる。
四天王レベルになれば、裏特性など当たりまえのようにあるし、専用トレーナーズスキルだって当然のようにあるはずだ。少なくとも、リーグ決勝レベルですでにそれは前提のように揃えられていた。
だが次の相手にはそれが無いと言う。
そも専用トレーナーズスキル、とは。
文字通りの専用。
その種族…………否、そのポケモンだけが応えることの出来るトレーナーからの指示、と考えれば良い。
必要なのは三つ。
明確に指示するための伝達力。それにポケモンが適応できるようにするための事前の育成。そしてポケモンに応えてもらうための信頼。
と言っても、前者二つの条件はポケモン自身の才能によってある程度は緩和される。
だから自身程度の指示と育成能力でも為し得る。
だがそれが無い、と言うことは、相当にそれらを苦手としているのだろう、次の相手は。
だからこそ、怖い。
異能を持ち、相応以上の指示と育成能力を持ったプリムが、それでも一度も勝てたことが無いと言うその力。
何せ四天王ゲンジの扱う『ドラゴン』タイプと言うのは、プリムの『こおり』タイプとの相性は最悪と言っても良い。
だと言うのに、プリムが勝てない、と言うのはちょっと尋常じゃない。
踵を返す。
急いで街へと戻り、特訓しなければならない。
「お帰りですか…………では、一週間後、次に進み、このポケモンリーグの恐ろしさ、確かめなさい」
もう、ここに用は無い。
* * *
「……………………ふう」
一つため息。屋上で一人風に吹かれるのも、そろそろ飽きてきた。
リーグ街に戻ってきたのは昼過ぎだと言うのに、見上げる空はすでに夕暮れ。気づけば二、三時間はこの場所で黄昏ていたらしい。
自身のマスター…………ハルトは四天王戦を終えてホテルに戻ってきてから、ずっと部屋に籠ってPCを叩いている。
シアもそれに寄りそうように部屋にいるし、シャルは四天王戦でのダメージが大きかったので部屋で休んでいる。イナズマはチークと一緒にホテルの売店を冷やかしているし、リップルはまた部屋で着衣のままで風呂に入っている。
シャル以外の面子に関しては『ひんし』になるようなダメージを受けたとは言え、相応に時間もあって大分ダメージは抜けてきている。
自身やリップル、イナズマは元より打たれ強いのもあって激しい運動は難しいが、まあ散歩くらいならばできるくらいまでは回復している。
とは言え、ハルトが何も指示を出さないならば、こちらとしても特に何かすることがあるわけでも無く。
いつも通り、と言えばいつも通り、風に当たっていたのだが、少し長居してしまったかもしれないと、エアは考える。
「…………お腹空いたわね」
ぐう、と僅かに腹の音が鳴る。
時間的には少し早いが、ホテル以外で何か探してみればちょうどいいぐらいの時間かもしれない。
「…………みんな誘って行こうかしら」
イナズマとチークは帰ってきているだろうか、と少し考え。
ふわり、と。
自身の背後で風が蠢いた。
「っ…………?!」
即座に振り返り、僅かに後退し距離を取る。
すたん、と。
「………………………………」
エアが無言で男を睨みつける。
見た目は十代後半…………いや、二十前後と言ったところか。
うなじまで伸びる青の透き通るような髪、そして首元に巻く赤いマフラー。
縁が赤で彩られた青を基調とした襟の高いコートに、青のジーパン。
そして頭部には赤と青、ツートンカラーの帽子。
だが違うだろう。
着地した瞬間をエアは見た。
それはつまり、上から、と言うことだが。
当たりまえだが上は空だ。
つまり空から降ってきた?
もしくは跳んできたか? 確かに隣に同じくらいの高さのビルがあるが…………端から端までの距離は十五、六メートルと言ったところか。
とても人間が飛べる距離ではない。
否、そもそも。
ほぼ直感で理解できる。
「同族ね」
「そのようだな」
これはヒトガタだ。
自身と同じ
「初めて見たわ…………同族のヒトガタ」
「俺もだな」
男の…………ボーマンダの言葉は短い。
だがその視線は決して悪意的なものではない、どちらかと言うと、好意的…………否、好奇的と言ったほうが良いだろうか。
「何故ここに…………否、そうか」
独り呟き、何かを納得しようにボーマンダが呟く。
「
呟かれた言葉に、エアが首を傾げ。
気づく。
そう、つまりそういう事か、と。
この場所にヒトガタがいる意味。
野生、だなんてあり得ない。こんな街中に野生のヒトガタ…………それもボーマンダなんて洞窟の奥にいるような種族がいるなんてあり得ない。
だから必然的に目の前のボーマンダも誰かトレーナーの手持ち、と言うことになるが。
と言うことは二つに一つ。
挑戦者側か、四天王側か。
そしているではないか…………次の対戦相手、最後の四天王に。
それが次に戦うトレーナーだったはずだ。
と、なれば。
「アンタが…………そう、次の相手ってわけね」
どうしてこんなところに、とは言わない。
そんなことはどうでも良い。
ただ戦う相手の顔はしっかりと覚えた。
だから、次に会った時は…………。
「
全力で叩きつぶす、そう考え。
ボーマンダが自身を呼ぶと同時、その手を取る。
余りにも自然な動作に、一瞬反応が遅れ。
くん、と手が引かれる。
とすん、と。身長の差からかそのまま相手の腕の中に抱き抱えられるような形になり。
「汝、俺のモノになれ」
呟かれた言葉、思考が止まった一瞬を突いて。
その顔がゆっくりと近づいてきた。
* * *
それは最早、ボーマンダにとって本能と言っても過言ではない。
そもポケモンとは元来野生に生まれた存在だ。
特にヒトガタとは普通に生まれさせようとしても早々生まれる物では無く、野生の中で偶然生まれたものをトレーナーが見つけ、捕獲するのが一番手っ取り早い。
ボーマンダもまた、タツベイの頃に自身の主に捕獲され、それから長い時間を共に生きてきた。
けれど、人に捕獲されたポケモンだとしても、野生の…………と言うよりは
優秀なメスと
余りにも野生的、と言えば野生的な、動物的と言えば動物的な、けれどそれは本能だ。
それは分からない、そもそも人間だって本当に番を何を基準に選んでいるのか、分かっているのだろうか。
ヒトガタであるボーマンダは人に交じって生活することも多かったが、疑問に思う。
惚れた、恋した、そう
否、そもそも子を残そうと番を作ること自体は生物としての本能だと言うのに。
だとするならば、番を選んだ理由に本当に相手の能力を見ず選んだと言えるのだろうか。
人はどうしてかそれを嫌う。
感情で、心で相手を定めようとする。
理由をつけて、まるで自身が高尚であるかのように振る舞う。
まあそれでも良いのだろう。人間はそうやってしか生きられない生物なのだから。
だがそれはヒトの理だ。
ボーマンダにとっては…………ポケモンにとってはそうではない。
ボーマンダは覇者だ。
統べるべき竜の王だ。
このホウエン地方に、彼よりも強い竜は存在しないと思っている。
ボーマンダと言う種族において、自身が最強であると言う自負がある。
故に、ボーマンダには理解できない。
唇と唇を重ねる。
否。
正確には…………重ねようとして。
* * *
激怒した。
何を言われたのか、一瞬脳が理解を拒否し。
けれど自身に行われようとした行為を脳が理解した瞬間。
沸き上がった感情は憤怒だった。
“俺のモノになれ”
そう告げた目の前の男に対する返答は、握り拳であった。
男の頬にめり込み、振り抜いた一撃が男を数歩後退させる。
「…………何をする?」
まるでそれが不思議なことであるかのように、男が殴られた頬に手を当てながら首を傾げる。
「アンタこそ…………何しようとした!!」
ぎりり、と歯を軋らせる。
「分からぬか?」
心底不思議である、と男が呟く。
「何故拒否する? 強いオスを求めるはメスの性。そして優秀なメスを求めるはオスの性であろう?」
呟かれた言葉に、ぶちん、と何かが明確に音を立てて切れた。
「ふざけんなあああああああああ!!!」
一息にその間を詰め、再び拳を振り上げて。
「ふむ…………よく分からんが、まあ良いか」
あっさりと、ボーマンダはその拳を片手で受け止める。
「焦らずとも一週間後、決着はつく…………」
振り払おうと手を引こうにも、万力のような力で握りしめられ、びくともしない。
「正面から汝を下そう…………その時こそ、汝を俺のモノにしようか」
呟きと共に拳を放される。
引く勢いと合わさって、思わず数歩後退し。
「その時まで、待っていろ」
言いたいことだけを言い放ち、ボーマンダが屋上の縁のフェンスへと足をかけ。
ふっと、一足跳びに空へと飛びあがって行く。
「……………………ふざけんじゃないわよっ!!!」
後には一人、エアだけが残された。
* * *
“なんかエアがすごく不機嫌だ”
次の四天王であるゲンジの情報を過去のネットから拾い集めていれば気づけばすっかり日も暮れていた。
リップルは風呂上がりで濡れた服を乾かしながら床を濡らしているし、シャルは目を覚ましてテレビを見ているし、チークとイナズマは売店で買ってきたらしい鼠の玩具で遊んでいる。
そうして雑誌を読んでいたシアに声をかけられ、そろそろ良い時間だと言うので、みんなで夕飯でも食べようか、と考えているとドカン、と派手な音を立ててエアが部屋に戻って来る。
そして部屋に入ってきたエアを見た全員の感想がそれである。
怒気と言うか、怒りのオーラが全身から溢れている感じ。
「…………エア?」
「…………何?」
声をかければ、じろり、とエアがこちらを見つめる。
「なんでそんなに不機嫌?」
問いかける言葉に、エアが数秒沈黙し。
「何でもないわよ…………」
さらに増した怒気に、何か藪蛇だったと直観し、全員で顔を合わせる。
触らぬ神に祟り無し…………そっとしておこう、と言うことで結論付ける。
取りあえず飯でも食おうと全員を連れてホテルで夕飯を取る。
エアがいつもの三倍くらい食べてたが、怒りでエネルギーが発散されてしまったのだろうか。
それとも。
思わず暴飲暴食するほどストレスをため込んだ、とか?
まあ理由を言ってくれないとどうにもならないので、今はそっとしておくしかないか、と結論付け。
その夜の内に、エアに呼び出された。
いや、呼び出されたという言い方もどうなんだろうと思わなくも無いが、それでも呼び出された、としか言いようが無い。
夕飯を食べ終わり、不機嫌なエアの様子にくわばらくわばらと唱えつつ、やることも特にないので全員で寝る。
そうして深夜、ふと目を覚ます。
誰かが自身の体を揺らしていた。
「…………エア?」
闇の中でも僅かな光を反射する綺麗な赤の瞳が見えた。
「屋上…………来て」
呟き、自身が起きたのを確認するとそのまま部屋を出て行く。
「……………………屋上?」
半分寝ぼけ眼。と言うか他の面子は完全に寝入っていると言う状況。
一体何事だろうか、と回らない頭でうつらうつら。
てくてくと階段を昇って行き、屋上の扉を開き……………………いた。
屋上の一番奥。フェンスの前にこちらに背を向けて立っている。
「エア…………どうした?」
その背に近づきながら問いかける…………だが返事は無い。
そうして手を伸ばせば届く距離、その肩に手を置き。
瞬間。
がしゃん、とフェンスが揺れる。
肩に置いた手を掴まれ、そのままフェンスへと押し付けられたのだと気づく、と同時に衝撃で意識がはっきりと覚醒する。
「…………え…………あ…………?」
どうしてこんなことになっているのかそれでも理解できず問いかけようとして。
目の前で、少女が泣いていた。
「……………………エア、本当に、どうした?」
「……………………うるさい、バカ」
問いかけ、返ってきた罵倒に戸惑う。
別に罵倒されたことに戸惑っているのではなく。
ただボロボロと、止めどなくその瞳を濡らす涙の意味が分からなかった。
ぐっと、自身の襟元を掴み、エアが自身をフェンスに押し付ける。
「え…………えあ…………くるしっ?!」
呟きを遮るように、エアの顔が迫り。
唇が触れ合う。
思考が、呼吸が止まる。
同時、襟元を掴むエアの手が緩む。
けれど、放されずに。
ぽすん、と自身の胸元にエアが顔を押し付けてくる。
「分かってるのよ」
声が、震えていた。
「分かってる…………本当は分かってるわよ」
嗚咽を交えながら、ぽつり、ぽつりとエアが言葉を漏らす。
「私がおかしい…………私が間違ってる…………私は…………私は、ポケモンだから」
口を開こうとして、言葉が出ない。
首は解放されている…………それでも、何を言えばいいのか、分からない。
思考が動かない、ただ再開された呼吸の音だけがエアの言葉の途切れた静寂を埋めていく。
「それでも…………それでも…………好き、だから…………仕様が無いじゃない…………」
思考は回らない。言葉の意味が理解できない。
今のハルトには、目の前の少女がエアと言う名の少女と合致しない。
自身の知るエアと言う少女と、目の前の少女が本当に同じ人物なのか、分からなくなる。
「望んだなら…………願ってしまったなら…………仕様が無いじゃない…………」
それでも、止まった思考でも、一つ分かることがある。
「渇望した…………だから、私は…………こんな形になったのに…………」
今度は、こちらの番だ、とエアの頬に手を当てる。
「…………はるっ」
泣きはらした顔で、自身の名を呼ぶよりも早く。
少女の唇と自身の唇を重ね合わせる。
「……………………………………………………」
少女が目を見開き、凍り付く。
一体どれだけの時間、そうしていたのか。
「…………ぷはっ」
苦しくなった呼吸に、顔を上げる。
そうして。
「良く…………わかんないけどさ」
未だに動かない少女の頬に手を当て。
「俺
しばしの沈黙。
どうしよう、そんな困惑が心中に広がりだし。
「……………………バカ」
ぽつり、とエアが呟き。
もう一度だけ、唇を重ねた。
ぐはっ(吐血
俺には…………これが…………精一杯…………だった…………ぜ(バタリ