カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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決戦前夜編
第三十話 二匹の虎と布団と紅茶


「……うん、うん、そう。それで、待合で逸見さんと会って、大洗の会長さんがお世話してくれて、今晩はここで泊めてくれる事になったの。旅館の名前? ちょっと待ってね。ええっと……」

 

 木張りの床に、柔らかな灯の電球。壁には穏やかな色調の山水画が飾られている。

 旅館のフロント近くの古びた電話機で、西住みほは10円玉を定期的に入れつつ話をしていた。電話先は黒森峰の学園艦。

 

「………」

 逸見エリカは彼女の背後でボストンバッグを肩にかけたまま、どこか所在なさげに旅館のロビーを眺めていた。大洗学園艦に系列の宿泊施設を出しているとの事だが、確かに歴史を感じるしっかりした造りの旅館だった。置かれた木製の家具ひとつ見ても使い込まれた感があるが、埃ひとつ無く磨かれている。丁寧に手入れされているのだろう。

「……え? あ、う、うん。ちょっと待ってて。今代わるから……あの、逸見さん」

 みほは受話器の通話口を手で押さえ、エリカの方を見て言った。

「何?」

「えっと、お姉ちゃんがお礼を言いたいから代わってほしいって」

「………」

 みほの言葉に、エリカは無意識に息を呑むと受話器を受け取った。

「……はい」

『エリカか、今回はすまなかったな。うちのみほが迷惑をかけたようだ』

「いっ、いえっ!」

 電話口からの落ち着いたまほの声。それだけで無意識に背筋を伸ばしてしまう。

 かつての別れ際の自分は相当に頭に血が上っていたのだろう。よくあそこまで激しく三行半を叩きつけられたものだとエリカは改めてそう思った。

『また改めて大洗の会長にもお礼には伺うが、エリカからも言っておいてもらえないか?』

「はい! わ、分かりました!」

 エリカは受話器を持ったまま頭を下げた。

『あ……エリカ、少し待ってくれ。代わってほしいと』

 まほの声はそう言うと遠くなった。

 他にも誰かいるのだろうか。そうエリカが考える間もなく、電話口から別の声がした。

『……逸見エリカさん? 娘が迷惑をおかけしたみたいで、本当に申し訳ないわね』

「………!?」

 透明感がありながらも重々しさを感じさせる女性の声。危うくエリカは悲鳴を出しそうになり慌てて口を押えた。

「(西住流家元……!)」

 考えてみれば居ておかしくない話であった。今の黒森峰と西住流は隊長・副隊長が家元の娘という事もあり、その関係は極めて近い。準決勝を終え、決勝に備える現状で視察に来るのはむしろ当然だろう。

「い……いえ……こちらこそ、粗相の無いように……」

 震える声で使い慣れない言葉を返す。

『まほと一緒に、大洗には改めてお詫びに伺うわ。みほにも逸見さんに失礼が無いよう言っておいて下さい』

「……はい」

 ピーピーと10円切れの警告音が鳴る。

『これ以上はいいわ。使った電話代はこちらで出すから、領収書を出しておいて』

「は、はい……」

 電話が切れ、エリカはカタカタ震えながら受話器を戻した。

「逸見さん。お姉ちゃん、何か言ってた?」

 エリカの後ろのみほが尋ねてくる。エリカはそれに疲れ切った声で答えた。

「……ごめん、次からは私に代わらなくていいわ」

 

 

 カタクチイワシは虎と踊る 第三十話 二匹の虎と布団と紅茶

 

 

「……ちょっと」

 旅館の用意された部屋に通され、エリカは眼前にあるものについて後ろの仲居に尋ねずにはいられなかった。

 二部屋あるうちの奥の間。一枚の大きな敷布団、一枚の大きな掛布団、そして二つの枕。

「わあ、大きな布団」

 横のみほはその意味が分かっていないのか、大きさに驚いているだけだ。

「すみません、団体様が来られたのに加えて急なご用意だったもので。お連れ様で来られると大洗の会長様からは伺っていましたので宜しいかと……」

 恐縮する仲居の言葉にそれ以上はエリカは抗議できなくなった。実際、後払いで押しかけたのはエリカ達なのだ。

「その……大丈夫です。こちらこそすみません」

「恐れ入ります……お食事はお部屋にお持ちしますので、お召し上がりの時は19時までにフロントにお電話ください。あと、お風呂は21時までとなっております。自慢の露天もありますので、良ければご利用ください」

 頭を下げるエリカに仲居は更に深く頭を下げると、説明をして退出していった。部屋に残される二人。

「………」

「………」

「……とりあえず、座って落ち着きましょうか」

「う、うん」

 少しの沈黙の後、エリカが促すとみほは落ち着かなげに座椅子に腰を落とした。エリカもバッグと大洗への土産の紙袋を部屋の隅に置き、彼女と机を挟んだ位置にある座椅子に座る。

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

「(気まずいわね……)」

 沈黙が続く。エリカはこの後どうしたものかと内心で頭を抱えた。

 エリカはみほに対して「化物」呼ばわりした事を未だに謝罪できていない。だからと言って心からそれを詫びる気持ちがあるかと聞かれれば、正直なところ難しかった。彼女への苦手意識はまだ拭いきれていないのだ。

 一方のみほはみほで気にしているのだろう。エリカの方を伺いながらも言葉を発せられないでいる。

「………」

「………」

「………」

「……ふぁ」

 更に沈黙が続くなか、ふとみほが口を開いた。鼻をひくつかせたかと思うと、

「くしゅん」

 小さなくしゃみを一つ。そこでエリカはある事を思い出した。

「……ねえ、アンタ。試合中に雨の中で体を出したまま戦ってたけど、シャワーは浴びたの?」

「え? う、ううん。ジャケットだけ戦車の中で替えたけど、そのまま……かな」

 その返事にエリカは呆れて言った。

「そのままって……あの雨じゃジャケットの下まで浸みたでしょ」

「うん。その、ちょっと……寒いかな」

「寒いかなって、ちょっと、そういうのは早く言いなさいよ!」

 慌ててエリカは立ち上がり、奥の部屋の寝床に畳んで置かれていた二着の浴衣を手に取ると一着をみほに渡した。

「え?」

「風呂に行くわよ。それに着替えて」

 

 

 数分後、水色の浴衣姿に着替えた二人は旅館の板張りの廊下を歩いていた。窓の外には夕焼けに映える茨城港の景色が見えている。夏至の近くともあり、まだ日の入りまではありそうだ。風呂に入って出るまでは明るいだろう。

「ん……?」

 別の旅客であろう、浴衣姿の少女とすれ違う。案内を見ながら先行するエリカは僅かな違和感を覚えた。この手の旅館の割には先ほどから老人客よりも少女の姿を見る事が多い。どこかの修学旅行だろうか。

 一度売店に寄り、みほ用の肌着を買ってから浴場に向かう。日帰りの予定とはいえ、エリカは一応一日分の着替えは用意していた。それが幸いになった格好だ。

「(……それにしても)」

 後方のみほが付いてきているか時折エリカは振り返った。物珍しそうに周囲を見回しつつも、エリカの視線に気づくとみほは照れ隠しに笑い、歩調を合わせてくる。

「(全く、戦車を降りたら相変わらずみたいね)」

 

 それはエリカにとってみほの一番不思議なところだった。戦車に乗っている間は戦神めいた判断力と決断力、そして狂戦士めいた無謀な戦術すら厭わない豪胆さを見せる彼女だが、一度降車して日常に戻るとそれらの要素は完全に消えてしまう。

 こうして浴衣姿でエリカに付いてくる姿を見て、黒森峰女学園戦車道の副隊長と判別できる者はいないだろう。

 

 そうこうする内に二人は大きな暖簾が掛けられた浴場に到着した。入り口に並ぶ部屋番が書かれたスリッパの数は多くない。さほど混んではいないようだ。

「……ん?」

 やはりそこでもエリカは違和感を覚えた。男湯のスリッパが極端に少ない。

 暖簾をくぐるとそこは銭湯の更衣室を思わせるロッカーが並ぶ。一角にはマッサージチェアがニ脚にドリンクの自動販売機に化粧台。オーソドックスな造りだ。

 エリカとみほは適当なロッカーを選ぶと浴衣を脱いで納め、手首にロッカーキーを付けるとタオル一枚を手に浴場に入った。

「うわぁ……!」

 サウナ、ジェット風呂、露天風呂に電気風呂。様々な浴槽の種類と浴場の広さにみほが感嘆の声を上げた。

 

 学園艦にも船舶科の生徒用の浴場などが用意されているが、基本的には生徒は個々人で生活している。大洗戦車道では皆で入浴する機会がそれなりにあるが、少なくともエリカの記憶では、黒森峰ではシャワー程度で大浴場を利用するなどは無かった。みほにとっても珍しいのだろう。

 

「凄いね、こんなに色々なお風呂があるんだ……ねえエリカさん、どこに入る?」

 テンションが少し上がったのかもしれない。みほは瞳を輝かせてエリカに言った。

「そうね……折角だし、露天に行く?」

「うん!」

「って、ちょっと待ちなさい! ちゃんとかけ湯しないと……」

「う、うん」

 入口の横のかけ湯用の浴槽の手桶を取り、エリカは腰を落とすと自身の肩から湯をかけた。つられてかがんだみほに気付くと、無言で彼女にも湯をかける。

「ひゃっ」

 声を出してしまうみほ。

「……全く」

 崖の崩落に眉ひとつ動かさなかった少女の反応とは思えず、エリカはため息をついた。

 かけ湯を終え、突き当りの厚いガラス戸に向かい開ける。夕方のやや涼しくなった空気が流れ込んでくる。初夏とはいえ流石に肌寒い。エリカ達は足早に濡れた石畳を踏みつつ露天風呂に向かい、その身を浸からせた。

「ふぅ……」

「はぁ~……」

 大きく息をつくエリカと、それ以上に大きく息をつくみほ。冷え切った体はみほ自身が思っていた以上に疲れていたのかもしれない。

 ふと、エリカはみほの肩口に小さい痣が出来ているのに気付いた。

「西住さん。肩の後ろのところ、アザが出来てるわよ」

「え? 本当!?」

 慌ててみほは自分の肩を見ようとする。

「わぁ……やっぱりあの時、ちょっと当たってたんだ」

 みほの言う「あの時」と言うのは、今日の聖グロリアーナとの試合で彼女自身が起こした崖の崩落の事だろう。エリカは観客席から見た光景を思い出しつつ言った。

「ねえ、ちょっといい?」

「え?」

 露天風呂の岩肌に体を預けつつ、みほはエリカを見た。

「アンタの試合、見させてもらったけど……また偉く無茶をしたものね」

「そ、そうかな?」

「『そうかな』って、普通に考えて危険なのは分かるでしょ!? 下手すればアンタ、生き埋めになってたのよ?」

「ああ、あの時の……」

 そこでみほは初めてエリカの言う「無茶」の事が崖での戦法の事だと気付いたようだった。

「まあ崖からそれなりに距離もあったし、ティーガーなら多少、土がかかっても乗り越えられたから、大丈夫かなって」

「……それ、体を出してたアンタの安全が含まれてないわよね?」

「あそこで体を出しておかないと、こっちも聖グロリアーナの戦車が見えなかったから……」

「………」

 

 エリカは言葉もなかった。みほの一つ一つの判断は間違っていないのかもしれない。しかし、それを組み合わせて起こる危険。それが彼女の中で抜け落ちているとしか思えない。

 少しだけ考え、エリカは湯気越しにみほを見据えて尋ねた。

 

「危険だと思わなかったって事?」

「そんな事はないけど……あの場面で、ティーガー1両でクロムウェルとクルセイダーを相手に一度に倒すには、ああするしか思いつかなかったから」

「……そう」

 エリカは疲れたように自身も岩肌に体をもたれさせた。そこで実行してしまう事が本来おかしいのだが、この場で突っ込んでもみほを困らせるだけだろう。

 ふと、みほは思い出したように言った。

「あ、でも、前の試合の逸見さんも凄かったよね。いきなり隊長車を撃ったのは驚いたよ」

「アレは隊長の指示よ。幾らなんでも、その場の判断であんな事は出来ないわ」

「え? それじゃ、二回戦で継続高校の隊長車を弾切れさせたのは?」

「アレも隊長の作戦。その前の煙幕で倒したかったんだけどね」

「へぇ~~……アンチョビさん、凄い隊長さんなんだね」

「いえ、アレはバカよ」

 感心するみほに、エリカはばっさりと切って捨てた。

「……でも、バカだから普通の発想が通用しないのよ」

 

 実際、アンチョビの指揮官としての練度は極端に偏っている。二回戦でエリカが請け負ったような電撃戦や、あるいは正面からの撃ち合いでの砲火の集中などの、戦車の運用としては正統派と言える戦術の指揮を執る事について彼女はとことん苦手なのだ。

 しかし、それ故に彼女は普通の指揮官が発想のスタート地点とする定石に捉われず作戦を考える事が出来る。それは無論、アンツィオ・大洗ともに奇策に走らねば勝てない弱小校であった事も無関係ではないだろう。

 「定石に捉われない」という意味では、かつてミカがエリカ達に言ったようにアンチョビとみほは似ているのかもしれない。エリカは湯船でくつろぐみほを見つつそう考えた。

 

「あら? 貴女たちは……」

 その時、湯気の向こうから声が届いた。落ち着いた感のある、少女の声。

「え?」

 聞き覚えのある声にエリカ達はそちらを見た。湯船に盆とカップを乗せ、器用に紅茶を飲みつつ露天風呂を堪能する一人の金髪の少女と、傍らで湯船の淵にポットを戻す小柄な少女。

「これはまた、珍しい組み合わせですわね。貴女方も連絡船の欠航で?」

 聖グロリアーナ女学院戦車道隊長、ダージリンはそう言うと音も立てずカップを取り紅茶を一口飲んだ。

「ダージリンさん!?」

 驚くみほ。横のエリカは彼女の言葉に引っかかりを感じ、逆に尋ねた。

「貴女方『も』……って、ひょっとして、聖グロリアーナ戦車道の全員が乗り遅れたの?」

「乗り遅れた訳ではありませんわ」

 すました顔で答えるダージリン。その横のオレンジペコが苦笑しつつ返す。

「その、試合終了後のお茶会を終わらせてからでも本日中に学園艦に到着できる予定だったんですけど……」

「……お茶会」

 聖グロリアーナ生徒の英国人もかくやと言われる紅茶と茶会好きはエリカも耳にしていたが、それは噂以上だったようだ。

「そちらこそ、大洗の副隊長と黒森峰の副隊長が揃ってどうされたんですの?」

 ダージリンのもっともな質問。エリカは手短に連絡船の待合でみほと遭遇してからの一連を説明した。

 

「―――それはまた、大変でしたわね」

 あまり大変そうでなくダージリンは言う。

 聖グロリアーナがこの旅館と関係があるとは考えにくい。おそらくは普通に全メンバー分の宿代を出してチェックインしたのだろう。なかなかのお大尽ぶりだ。

「こんな格言をご存知? 『躓く石も縁の端』……こういった出会いは、大事にすべきと考えていますの。良ければこの後、一緒にお茶でもいかが?」

「あ、は、はい! よろしくお願いします!」

 こういった誘いに慣れていないのだろう。みほは緊張しつつ、湯に顔が入るほど深く頭を下げた。一方、エリカはまだ警戒を解いていなかった。

「……何のつもり?」

「何もありませんわ……それに、貴女から聞きたい事もあるのではなくて?」

 そう言うとダージリンは紅茶をもう一度飲むと、柔らかな笑みでエリカを見た。

 

 

カタクチイワシは虎と踊る 第三十話 終わり

次回「虎の茶会、虎の見る夢」に続く

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