第一話 叫ぶムカデと干し芋の絶望
『黒森峰女学園フラッグ車・ティーガーⅠ、走行不能! よって、大洗女子学園の勝利!』
夕方の茜色の光が広い屋敷を照らす。
建てられてからの長い時間を感じさせるその屋敷の一室で、少女はその映像を見た。
白旗を立てるティーガーⅠ、その先で吹き飛ばされているCV38、そして更にその先で砲身から煙を揺らすⅣ号戦車。
「………」
優勝旗を翳す、緑灰色の髪をツインテールに結わえた少女と、それを支えるもう一人の少女。大洗女子学園戦車道隊長と、副隊長。
血の滾りを感じた。
自分と何ら変わらぬ年も同じの少女たちが、奇跡の優勝を勝ち取った姿に。
幼い頃から、「戦」というものに強く惹かれていた。
血煙舞う、互いの命と誇りを賭け相争う戦場に憧れていた。
だが、それが現代日本の少女にとって遠い物である事も知っていた。
否、『遠い物だと思っていた』と言うべきか。
そう思っていただけで、それはすぐ近くにあったのだ。
戦車道。
もともと名前程度は知っていた。弓道が弓を用いて技を競うように、戦車を用いて技を競う競技。だが、必要とされる人員の多さや戦車数の確保の困難さ、演習や競技に必要な相応の広さの場所の用意などの様々な問題から近年は衰退の一途を辿っていた事も知っていたし、実際自分の在籍する楯無高校では10年前に廃止になったとも聞いていた。
最初に見た切っ掛けは、級友との他愛ない会話の合間に出た噂話だった。
「高校戦車道が、面白い事になっているらしい」
「十数年前に戦車道を辞めた学校が、再開させたと思ったらいきなり全国大会に殴り込みをかけ、緒戦で優勝候補の一角だったプラウダ高校を破ったらしい」
「履修者は隊長と副隊長以外、ほぼ全員が素人だそうだ」
ケーブルテレビの戦車道チャンネルでも学生の試合は完全放送される訳ではない。しかしそれでも、画像から伝わる衝撃は十分に強烈なものだった。
特に惹かれたのは噂に聞いた大洗女子学園の戦いぶりだった。それは自身の抱いていた戦車道のイメージを大きく覆した。
砂に伏せて不意を突き、相手を煙に巻き弾切れを誘い、相手の策を一枚上回る仕掛けを用意しておく。そして勝ち上がってゆく姿。
そして決勝戦。相手は10連覇を達成し11連覇を目前とする強豪、黒森峰女学園。初めて買った戦車道新聞の事前予想でも、大洗の勝利は有り得ず「王者・黒森峰に新星の大洗がどこまで食い下がるか」という見解が大勢を占めていた。
決勝戦の同時中継は早朝から見た。
逃げる大洗、追撃する黒森峰。どうにか逃げ切り陸橋を爆破。障害物による進攻の妨害と、連盟車両すら利用する奇襲。豆戦車への乗り換えと西住まほの撃破。更にそこからの学校に移っての西住みほと逸見エリカの一騎打ち。空から降ってきたCV38。そして決着。
数時間に渡る実況を、TVの前から離れる事無く見続けた。
西住みほが撃破され放送が流れた瞬間、自身も大きく息をついた。
───これは戦だ。
優勝旗を掲げる彼女たちが輝いて見えた。
自分も輝いてみたい。そう心から思った。
衝動のままに屋敷を飛び出し、裏山に走った。
夕刻を過ぎ既に外は暗く、満月が浮かんでいた。
裏山の頂に立ち、そこから広がる草原を見る。
えい、
えい、
おう。
自分でも驚くほどの大きさで、勝ち鬨めいた叫びが出た。体の内に籠った熱を吐き出すような叫びが。
他に居るだろうか。彼女らの姿を見て血を滾らせたような少女が。
居るのなら───そしてそれが運よく、自分と同じ楯無高校の生徒だったなら───その人と共に戦車に乗ろう。戦場を駆け、共に輝こう。
赤いリボンを夜風に揺らすその少女は、もう一度勝ち鬨をあげた。
劇場版 カタクチイワシは虎と踊る 第一話 叫ぶムカデと干し芋の絶望
『高校戦車道・優勝記念エキシビジョンマッチ、大洗&コアラの森が征す』
『大学戦車道特集・社会人チームを破った原動力、島田流徹底解析』
『サンダース大付属、強襲戦車競技に参戦? 1対3ながら辛勝。その相手とは?』
「あ”あ”あ”あ”あ”……」
戦車道新聞を広げ、それらの記事を何となく読みながら阪口桂利奈はマッサージチェアーの震動に声を漏らしていた。
「ちょっと桂利奈、それおじさんっぽいよー?」
ドライヤーで髪を乾かしつつ、呆れ声で大野あやが言う。ツインテールを解いた髪は長く、なかなか乾かないようだ。
「だってー、今日は本当に疲れだ、だ、だ、だ……」
言っている途中でマッサージの動きが「叩き」に変わったのか、声がスタッカートになる。
大洗女子学園・大浴場。
戦車道の訓練を昼前で終えた大洗女子学園戦車道メンバーは揃って入浴し、練習の汗を洗い流していた。
WWⅡの戦車の大半は搭乗員の快適さなどは考慮されていない。それは空調機器についても同じだ。どのスポーツにおいても夏場は最も体調管理に注意しなければならない時期であるが、戦車道にとっても最も過酷な時期である。
夏休みを利用しての練習という事もあり、隊長の逸見エリカの判断で早朝集合、午前解散、その後入浴が彼女らの日課となっていた。
ちなみに聖グロリアーナでは、夏場の鉄の蒸し風呂の中で熱い紅茶を涼しい顔で飲み、更にブリテンジョークのひとつも言えて初めて一人前だと言われている。
「ふぅ……」
ウサギチームは先に上がったが、多くのメンバーはまだ湯船に浸かっていた。
エリカは息をつき、頭のタオルを巻き直した。
「今日は暑かったですねー」
横の優花里がリラックスしつつ言う。
「そうね、正直堪えたわ」
「八月も終わりと言うのに、まだ暑さは続きそうですね……」
「あ!?」
華がそう言うと、横の沙織が何かに気付いたように声を出した。
「どうしたの、沙織?」
「夏休みの宿題、まだやってない……」
「また学校か……面倒だな。学校なんて無くなってしまえば良いのだ」
更にその横の麻子が心底面倒くさそうに言った。それに華とエリカが返す。
「折角廃校を免れたばかりなんですから……」
「そんな事言って、アイツが聞いたら怒るわよ?」
そう言われ、麻子は何かを思い出すように呟いた。
「アイツか……エキシビジョンで会った時に見た限りでは、元気にやってるようだな」
麻子の言葉に、エリカも懐かしむように答える。
「そうね……またアンツィオとは次の優勝記念杯でも戦うんだから、しっかりしないと」
「皆さんの練度も上がってきていますし、また優勝を目指しましょう!」
元気よく優花里がそう言いつつ拳を固める。
優勝記念杯とは、高校戦車道の全国大会で優勝した学校の地元で行われる記念大会である。高校戦車道の公式試合は一年の内に大小含めて幾つか行われるが、その中でもそれなりの規模を持つ大会だ。
戦車数は決勝も含めて10対10でフラッグ戦で行われる。全国大会の20両を揃えられない中小校でも参加しやすいため、全国大会を見送って優勝記念杯に参加する学校も少なくない。地方によっては、その参加権を巡って小規模ながら試合で枠を取り合うところもあるようだ。
そしてその大会が、秋口に大洗を舞台に行われようとしていた。
その事を考えつつ、エリカはふと何かに気付いた。
「……そう言えば、会長たちは?」
湯船を見回す。いつもならば柚子、桃、杏の三人が揃って一緒に入浴している筈なのだが、気付いてみれば今日に限って解散後に風呂にも来ていないようだ。
「何か呼び出しがあったみたいですよ。緊急の要件だとか」
優花里が言った。そう言えば、何か放送が流れていたのをエリカも思い出した。
「……大変ね、会長も」
そういえばあの三人も今年で卒業か。杏の代わりを務められる二年生とか居るのだろうか。
そんな事を考えつつエリカは湯船で体を伸ばし、大きく息をついた。
「大洗女子学園ですが、8月31日での廃校が決定しました」
「……はい?」
我ながら間の抜けた声を出したものだ。声を発した直後に角谷杏はそう思った。
大洗町役場の応接室。意図してか設置ミスかは分からないが、窓を背に水平に二つのソファが並べられ、その間に応接机が長く置かれている。
その窓を背にした側に逆光を受けて座る、紺色のスーツに黒縁眼鏡、七三分けの髪型の男性。「融通の利かない役人」のイメージをそのまま実体化させたような姿。
学園艦管理局長・辻廉太。杏が生徒会長を務める大洗女子学園を含む国公立の学園艦を管理運営する組織の長であり、近年進められる学園艦統廃合の責任者であり、戦車道全国大会での優勝を条件に大洗女子学園の廃校を撤回すると、杏が約束した人物であった。
顔を合わせた時には、皮肉のひとつでも言ってやるつもりだった。
「これで大洗を廃校にできなくなりましたね」とか「今後大変かと思いますが、約束は約束ですので」とかを言っても許される程度の苦労はしてきたつもりだった。
そこにコレだ。
あくまで淡々と辻局長は言葉を続けた。
「もともとは3月末の予定でしたが、その間の諸経費や生徒の他校への受け入れの事情などを考慮した結果『3月では遅い』という結論に達しました」
そこまで言って、口を閉じる。杏が何かを言おうとしているのを察するように。
杏はひくつく頬を無理矢理抑えつつ、ゆっくりと言葉を発した。
「失礼ながら、少し、お話が違うようですが」
「と、言いますと?」
「戦車道の全国高校生大会で優勝すれば、大洗女子学園の廃校は『撤回する』……そういうお約束だったのでは?」
「……少し言葉の行き違いがあったようですね。大洗が優勝すれば『廃校の撤回について検討させていただく』……そう、あの場ではお約束した筈です」
ああ、やられたな。
どこか冷めた頭で素直に杏はそう思った。
もし時間を戻せるならば、杏は優勝した直後の自分の後頭部をはたいてこう怒鳴るだろう。
「確定してないのに喜ぶな馬鹿! 相手が言い訳を考える前に、廃校撤回のハンコを貰いに行け!」
優勝してから一か月弱。学生風情を言いくるめるには十分な言い訳を考える時間と準備期間を与えてしまったのは杏の失策だった。安心しきっていた。王者黒森峰を倒し、優勝する姿が全国放送された事で約束を反故にはできなくなった。そう思い込んでいた。
今思えば、それは何と甘い見通しだったことか。相手はそもそも大洗の廃校を前提に動いていた連中だ。そう素直に引き下がる訳が無かったのだ。
「こちらとしても優勝校の廃校の是非について、改めて検討を重ねさせていただきました。結果としてはご期待にお応えできず、申し訳ありません」
その表情に申し訳なさを欠片も見せず、辻は形ばかりの詫びの礼をした。
「……ご尽力、感謝致します」
杏も表情に欠片の感謝も見せず、形ばかりの礼を返す。
ああ、そう言われればこっちはこう返すしか無いよな。
ここで「誠意ある対応」をしなかったら「精一杯の努力をしてくれた相手」に対して失礼になる。そうなれば話はここで終わりだ。
───さて、どうする?
全身が怒りと動揺で震えている。否応なしに焦りが心から湧き出し、冷静になろうとする杏の思考を妨害する。
落ち着け角谷杏、ここで相手の決定を覆す事は諦めろ。まずは状況の確認、そして可能な限り相手から情報を引き出し、駆け引きの糸口を見つけだせ。あとは、時間が必要だ。できるだけの時間を稼ぎ、そして動け。
僅かな時間の中で自分のすべき事を見定めると、杏は少しの深呼吸をした後に言った。
「……異議申し立ての期間は設けられている筈です。それは構いませんね?」
まずは正面からの揺さぶり。
「無論、それは当然の権利です。ですが、こちらとしましては撤収の準備も同時に進めていただきたい」
効果なし。予算的な事情がある以上、異議が棄却されるのはほぼ確定か。
「そう言われましても学園艦の生徒9000人、その家族や職員含めた3万人を一週間で他所の場所を用意して、引っ越させるのは不可能です。職員等にも、解雇の場合は最低二週間前の告知が必要と労働法でも定められている筈です」
食い下がり。これは実際事実だ。学園艦に専属で職に就いている者などはいきなり失職する事になってしまう。
辻はそう言われると、傍らの革の鞄から幾つかの書類の束を出した。
「急な話ですので、こちらとしても最大限のケアはさせていただきます。生徒たちの転校までの一時預かり先については、本土の廃校などを中心に幾つか候補を纏めておきました。いずれも即日入居可能な状態です」
やはり、こちらがそう言ってくるのは予想済みか。
「ご家族や職員の方については、この後に来られる学園長にご説明するつもりでしたが……当然ながら手当は退職金含めて負担させていただきます。次の職場の斡旋も、他省庁との連携を含めてセーフティーネットのご用意があります」
騙されるな。気前がいい訳じゃない。
学園艦ほどの巨大建造物の解体となれば、文科省と建設・造船業との間で億どころでない金が動く。職員数百人を退職させてなお足りるだけの金が。
「こちらとしましても……」
次に杏が言う言葉を考えている内に、辻が先に声をかけてきた。
「はい?」
「こちらとしましても、現在の大洗学園艦に住まわれている方々の経済的・精神的な負担を可能な限り軽くした上で今回の撤収を進めたいと考えています。ただ、そのためには学園艦側の方々のご協力も必要です」
そう語る辻の表情には全く変化が無い。
「ご協力が難しく、必要以上に撤収に遅れが見られた場合……他省庁にもご迷惑をおかけする手前、次の職場の斡旋などが難しくなります。そこはご理解いただきたい」
しかし、その眼鏡の奥の瞳には明らかな威圧と、嘲笑が含まれていた。
「……分かりました」
ああ、なるほど。これが『配慮有る大人のやり方』ってやつか。
要は相手はこう言っているのだ。「とっとと学園艦から出ないとお前らの親は無職になるぞ」と。
全く、女子高生相手にそこまでやるかね?
既に怒りを通り越し、逆に平穏な心境で杏はそう思った。
「すぐに全生徒への告知と撤収に取り掛かります。ただ、里帰り中の生徒もいますので数日は見ていただければ」
「その辺りはお任せします。こちらとしては最終的に間に合わせて下されば結構ですので」
静かな言葉の下で、激しい感情の応酬が行われていた。
相手は思った以上に用意周到だ。しかし、それでも「戦車道で優勝した学校を前倒しで廃校にする」という理不尽さを覆い隠す程ではない。どこかに必ず歪みがある。その歪みに手をかけ、一気にひっくり返す。
どこかで今回の優勝を再アピールする機会を作ろう。それを拡散できれば……
「……ああ、それとですね」
思い出したように辻が言った。
「何でしょうか?」
「大洗女子学園の所有する戦車は、文科省預かりとなります。近日中に回収に伺いますので、それまでに準備をお願いします」
───問題がまたひとつ増えた。
昼前に町役場に入ったはずが、思ったより時間が経っていたのだろう。杏が外に出てみれば、既に日は西に傾き始めていた。8月も下旬となると日の落ちるのも早い。
「ん~……」
背を伸ばし、空を見上げる。今年の残暑は厳しくなりそうだ。杏はそんな他愛ない事を考え、少しでも頭を切り替えようとした。
「………」
抑えようとしても瞳が潤む。足が竦む。
「……参ったなァ、もう」
上げていた顔をうつむかせ、杏は呟いた。その足元に雫が一粒落ちる。
泣くな。
お前が泣き出したら、誰がこの状況を救ってくれる?
お前がここで足を止めたら、誰がこの事態を動かせる?
悔しいのも、悲しいのも、全部動く力に変えろ。
それがお前に出来る唯一の行動だ。角谷杏。
「よしっ!」
杏は自身に気合を入れると、自分の頬をぺちぺちと叩き顔を上げた。
大洗学園艦に戻りつつ、携帯を取り出す。
正直、この番号にかける事には抵抗があった。『彼女』は十分な仕事をした上で大洗を去った。柚子や桃と共に自分たちの力だけで何とかするのが当然で、彼女にとっては迷惑なだけだろう。
しかし状況はそれでどうにかなるほど緩くはない。逆転のために残された時間は撤収から解体着工までの僅かな期間だ。
僅かな逡巡の後、杏は履歴からある番号を選んだ。
「……お忙しいところ申し訳ありません。大洗女子学園で生徒会長をしている角谷と申します」
電話先と少しの会話を交わし、メモを取り、電話を切る。改めて別の所に。
「あ、申し訳ありません、わたくし……」
暫くの後、向こうからの返事。
「練習試合中、ですか……申し訳ありません。至急の件なので、できれば……はい、はい、すみません」
足を止め、携帯を持ちながら頭を下げる杏。
やがて、電話口から声が聞こえてきた。聞き慣れた少女の声が。
『あー、もしもし。どうした杏? すまないが、ちょっと今練習試合中で……』
この一言が、彼女に更に苦労をかけてしまうであろう事は知っていた。
だが、彼女の力が必要だった。
杏は大きく息を吸い、静かに言った。
「すまない、アンチョビ……しくじった。大洗女子学園は、廃校となる」
劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第一話 終わり
次回「イワシと鐘と鳴る電話」に続く