カタクチイワシは虎と踊る   作:ターキーX

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第三十九話 鈴とアリス

 多くのギャラリーに埋め尽くされた観客席に、大きな歓声があがる。

 

「これは実に、実に厳しい展開です! 大洗側、南東から進攻する大学選抜の部隊長三人を迎撃するも返り討ちに遭い三両を失いました!」

 

 実況席の王大河がマイクを握り締めつつ大声で言う。横の解説席に座るケイが口を開いた。

 

「今の大学側が見せた連携……あれは“バミューダ・アタック”ね」

『バミューダ・アタック?』

「島田愛里寿が隊長を務めるようになる前はあの三人の部隊長、メグミ・アズミ・ルミが輪番みたいな感じで隊長と副隊長を務めていたんだけど、その頃によく使っていた戦車による連携技。呼吸のとれた機動戦闘で相手の距離感を狂わせ、常に一両に対して複数の車両が攻撃を行う事で確実に仕留めてゆく。言葉だけだと簡単に思えるかもしれないけど、かなりの練習と息の合った呼吸が必要になるわ。流石は大学選抜ってところね」

『なるほど……そのバミューダ・アタックですが、何か弱点は無いのでしょうか?』

「そうね、定番だけど一番有効なのは相討ちででも三両のうちの一両を撃破すること。あの連携の強みは……」

 

 

 

 観客席にケイの解説が流れる中、並んで座る西住しほと島田千代は静かにモニターを見つめていた。左右の電光掲示板には両陣営の戦力が表示されていたが、既にその8割がたには×印が付けられている。走行不能になったという表示だ。

 

「……綺麗な連携ね」

 

 しほは千代に視線を向けつつ言った。予想外の言葉だったのか、千代の眉が少し上がる。

 

「そう言って頂けるとは意外ですね。西住流からすれば、許されない戦法かと思ったのですけど」

「西住流も別に個々人の連携や戦法を否定している訳ではないわ」

 

 そのしほの言葉は真実である。

 世間的には「高い練度と強い統制により、策に頼らない徹底的な攻めで敵を撃滅する」というのが西住流のイメージだが、これは一側面でしかない。ドイツの電撃戦を手本とした小規模の部隊による高速戦こそ西住流の神髄である。

 しかしこの神髄を実践するには個々人の非常に高い練度と判断力が必要となる。そのため、より初心者にも分かりやすい先の攻撃的なスタイルによる戦術が指導の中心となり、やがてそのまま西住流のイメージになっていったのだ。

 故にしほには理解できた。あのバミューダ・アタックを行える三人の部隊長の技量がどれ程高いのかを。

 そして、しほの中には同時にひとつの疑問が浮かんだ。

 

「あれだけの強さなら……隊長としての自信も相当にあったでしょうに」

 

 その彼女たちが弱冠13歳の愛里寿に忠実に従い、時として捨て石めいた特攻さえも迷わずに行う。それは戦車道を修める女性としては当然の事でもあり──同時に不思議な事であった。

 どれだけ表面上で忠実に振る舞って見せていても、人間の感情とは隠し切れないものだ。援護に向かう動きの鈍さや、指示に対しての反応の迅速さ。そういったところで(例え本人の自覚が無かったとしても)完全な信頼が無ければ必ず緩みが出る。それが彼女ら大学側選抜には全く見られない。

 「島田流の後継者筆頭にして13歳にして飛び級で大学入りした天才少女」という肩書は確かにそれだけで他者を服従させるだけの強みがある。しかし、それだけだろうか。

 しほの言葉の端からそういったニュアンスを感じ取ったのだろう。千代は微笑むと扇子で口元を隠した。

 

「ふふっ、あれで最初に愛里寿を紹介した時は随分と戸惑っていたんですよ?」

「……そうでしょうね」

「でも、あの子はその日の内に三人とも従わせました。実力で」

 

 モニターに遊園地内を移動するセンチュリオンが映し出された。砲塔から小柄な身体を覗かせる愛里寿の姿が小さく見えている。

 

「あの子には誰も勝てません。それが例え西住姉妹だろうと、前大会で優勝したアンチョビさんや逸見さんだろうと」

「貴女自身はどうなの?」

 

 しほの視線が鋭さを増す。

 その刺さるような視線を悠然と受け止めつつ、千代は答えた。

 

「今はかろうじて私が勝てていますが……大学で一年も経験を積めば、もう勝てなくなるでしょう」

「随分と謙虚な態度ね」

「客観的な分析です。我が娘ながら……あの子の吸収力は私たち“凡人”とは余りに違いますから」

「………」

 

 しほは無言で視線をモニターに戻す。

 南西側を外周に沿うように走るセンチュリオンは江戸エリアを抜け、ホテルやレストラン跡が立ち並ぶ地帯に入ろうとしていた。

 

 

 

 劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第三十九話 鈴とアリス

 

 

 

『すみません、M3Leeやられました! センチュリオンは南西に向かって行きました、注意して下さい!』

「まずいわね……このままだと丁度鉢合わせになるわよ?」

 

 遊園地南西部中央寄り、コンコルド広場付近。一両のパーシングが白旗を上げている。そのパーシングを背にする一両のパンターと、二両のティーガーⅠ。

 M3Leeの梓からの最後の通信を受け、パンターの砲塔から身を出しつつツェスカが言った。

 

「どうする? 中須賀さん、西住さん?」

「相手の狙いは、こちらの戦力を広場に集めさせて一気に叩く事だと思う。相手の隊長は今は単騎みたいだし、ここで攻撃しないと駄目かも……」

「だったら決まりね。この先のエリアならホテルやレストランとかの頑丈な建物も多いし、迎撃するには良い地点よ」

 

 ティーガーから彼女と同様に身を出していたエミとみほに話を振る。少し自信無さげに言うみほの言葉を受け、エミは頷いた。

 

 

 愛里寿の長距離砲撃から逃れた後、みほ達は遊園地南西部を移動していた。南東部から回り込む動きを見せていた部隊長を一旦回避する形を取り、裏門付近で態勢を整えようというエミの提案である。

 そしてコンコルド広場付近を哨戒中だったパーシングを撃破した直後に梓からの通信が入り、現在に至る。

 

「……あれね」

 

 前方にホテル跡が見えてきた。イベント広場の建物などは簡素なプレハブ造りだが、遊園地の泊まり客を迎えるために建造されたこのホテルは鉄筋造りの堅牢な構造だ。

 

「っ!?」

 

 突然、みほの背に悪寒が走った。半ば直感的に指示を飛ばす。

 

「エミちゃん、ツェスカさん、止まって!」

「!?」

「み、みほ!?」

 

 ツェスカとエミはみほの急な声に戸惑いつつも自身のティーガーを急停車させる。

 その直後、みほのティーガーの直前のアスファルトが爆ぜた。粉々になったタールが散り、土煙が巻き起こる。

 

「嘘、もうここまで!?」

 

 エミは咄嗟に双眼鏡を取り出し砲撃の方向へと向けた。倍率を最大にまで上げて凝視すると、エリア南端の辺りに小さく映るセンチュリオンの姿が確認できた。

 

「あんな距離から……!」

「ここだと射線が通ります。エミちゃんとツェスカさんは散開して、左右からセンチュリオンを挟撃してください!」

「ちょっと待って、みほは?」

「センチュリオンは私を優先して狙ってきています。引き付けるから、その間に回り込んで!」

「それじゃみほが危な……くっ!?」

 

 二発目の砲撃。2000mを超える距離からとは思えない正確さだ。

 危険を買って出ようとするみほにエミは抗議したが、みほはエミを見て答えた。

 

「私なら大丈夫、お願いします!」

「……分かった! ツェスカ、行くわよ!」

「了解! ええっと、西住……さん、ちょっとだけ持ちこたえて!」

 

 僅かの苦渋を顔に浮かべたものの、エミは頷くとツェスカを促した。前方の十字路を左右に分かれてゆくエミのティーガーとツェスカのパンター。

 それを確認するとみほはセンチュリオンの方へと顔を向けた。肉眼では豆粒ほどの小ささでしかない距離だが、そこから叩きつけられる戦意ははっきりと感じられる。

 

「煙幕展開! 敵の注意をこちらに引き付けます!」

 

 

 

「……全速前進。僚機に警戒しつつ西住みほのティーガーを優先して狙う」

 

 双眼鏡の視線の先、みほのティーガーが煙幕に隠れてゆく。

 長距離狙撃が困難になった事を確認し、愛里寿は無表情に言うと車内に戻った。車長席に置いていたタブレットを起動させ地図を展開させるとそこに細い指をなぞらせる。

 

「………」

 

 

 島田愛里寿は自身を“天才”と思った事はない。

 戦車道流派において西住流と並ぶ名門・島田流に生まれ、物心ついた頃には戦車に触れ、戦車に乗る女性たちに囲まれ、そして戦車に乗ってきた。

 戦車道を修める上で恵まれた環境に置かれていた事は事実だろう。だがそれはあくまで“環境”であり自身の“才能”ではない。他の戦車道を修める少女達がそうであるように普通に座学を学び、実践し、試合によって経験を積んできた。それだけだと愛里寿自身は思う──正しくは、そう思っていた。

 違和感を覚えたのは小学校高学年になりたての頃、島田流と縁のあるヨーグルト学園の戦車道メンバーが指導を受けに来た時のことだ。

 

「愛里寿、貴女が相手を務めなさい」

 

 島田流家元である母は時折気まぐれめいた提案を行う。この時もそんな感じで、急に言われて戸惑ったものだ。

 用意された戦車は愛里寿がⅢ号戦車、対するヨーグルト学園の戦車はⅣ号戦車数両。

 おそらく母は意図的に勝てないような組み合わせで自分に挑ませようとしている。そこから何かを学び取れと言うのだろう。そう思った。

 

 

 結果──愛里寿は完勝した。

 

 

 自身として何か特別な事をしたつもりは無かった。困難な状況ではあったが、その中で勝利するための流れを組み立て、可能な限り的確な指示に努め、敵の動きを予測し、より正確な攻撃を心掛けた。それだけだ。

 はじめは小学生である自分に相手が手加減してくれているのかと思った。しかし試合終了後、戦車から降りてきたヨーグルト学園の生徒たちの焦燥した表情から彼女らが本気だった事を理解した。

 

「よくやったわね。いい試合だったわ」

 

 母にとってこの展開は意外でもなかったようで、ただそう言って微笑んだ。

 

 

 その日から愛里寿の環境はにわかに変わっていった。

 戦車道で教わる内容はより大局的な部隊長、大隊長に求められる能力を高めるものとなり、同時に様々な状況の演習に愛里寿は挑む事になった。

 学校のクラスメイトと趣味を共有できず友だちを作れない事だけは寂しかったが、「ボコられクマのボコ」がそんな感情を癒してくれた。

 愛里寿の屋敷に戦車道関連のメディアが頻繁に取材に訪れるようになったのもその辺りからだ。「島田流の天才少女」という誌面の煽りに、最初は面映ゆさより戸惑いが強かったのを覚えている。

 

「愛里寿。中学も近いし貴女に家庭教師を雇おうと思うの。どうかしら?」

「……問題ありません、お母様」

「ありがとう。今の学校で教わっている内容より難しいかもしれないけど、貴女ならできるわ」

 

 5年生になった時に母から提案された時も、愛里寿は普通にそれを受け入れた。学校の授業にどこか物足りなさを感じていたのは事実だったからだ。

 家庭教師が教える内容は確かに小学校の授業に比べ難度は高かったが、それでもついてゆけない内容ではなかった。次々にテキストが変わり、飛躍的に教える内容が高度になってゆくのも「中学ではこの速度が普通なのだろう」と思っていた。

 戦車道の演習でも、その頃には自分が隊長役を務めるのが普通になっていた。自分より遥かに年上の女性たちに指示を飛ばす事に最初は戸惑いもあったが、彼女らが自分に対し強い信頼を抱いているのが分かるようになり、次第に大胆な指揮を執れるようになってきていた。

 

 

 そんな感じで二年が過ぎた6年生の冬、愛里寿は奇妙な試験を受けた。

 自分と母親だけで向かった建物で高級そうなスーツに身を包んだ幾人もの男性や女性と面談し、そして小さな教室で独りきりでテストを行った。

 そのテストには、学校で教わった内容は全く出なかった。その代わりに家庭教師から教わった内容が多く反映されていた。

 学校のテストより遥かに長い試験時間を持て余し、「ボコのうた」を小さく歌ったりもした。

 そして──テストを終えてから数日後、愛里寿は母に呼ばれ応接室で差し向かいに座らされた。

 

「愛里寿、貴女も来年で卒業ね」

「はい、お母様」

「それで卒業してからなのだけど……貴女には急な話になるわね。大学に、上がって欲しいの」

「………?」

 

 愛里寿は小首を傾げた。母の言葉の意味が今回ばかりは分からなかったからだ。

 

「お母様、私はまだ中学に入学もしていません。『いずれ大学に入ってほしい』という意味でしょうか?」

「いいえ。言葉通り、来年から貴女には大学に入学してほしいの」

 

 ますます意味が分からなかった。小学生の自分がいきなり大学に上がれる筈がない事は流石に理解できた。

 

「そう言われても、大学に進学するための資格が私にはありませんが……」

「いいえ、貴女は既にその資格を手にしているわ」

 

 そう言うと母は一通の封筒を接客机に置いた。既に開封されているようだ。

 

「前に貴女に受けてもらった試験は、大学入学のためのものだったの……結果は合格よ。これまで嘘をついて教えて、ごめんなさいね」

「え?」

 

 何故そんな嘘を?

 愛里寿がそう思うのは予測していたのだろう。実際にそう問いかける前に母は言葉を続けた。

 

「例えば愛里寿、いきなり『中学・高校を飛び級して大学に入れるような内容を教えたい』と言って、貴女は受け入れてくれたかしら?」

「それは……」

「無理だったと思うわ。例え貴女にそれだけの能力があると言っても、信じては貰えなかったでしょうね」

 

 そこまで言うと、千代は姿勢を正して愛里寿に言った。

 

「母親の私からこう言われても困ってしまうかもしれないけど……愛里寿、貴女は天才よ。少なくとも“天才”と呼ばれるに足りる学習能力と吸収力を持っている」

「お母様、私は、そんな……」

「それは戦車道でも同じ。今、貴女に教えている内容や演習は門下生でも社会人の、それも高段者に教えているそれと同じもの。それを貴女は抵抗なく受け入れ、実践できている」

「………!?」

「貴女なら出来る。島田流を『西住流と並び称される』程度でなく『並ぶものの無い』流派に押し上げる事が」

 

 そう言う千代の瞳には迷い無い確信があった。

 

「……分かりました、お母様」

 

 本当に自分が“天才”かは分からない。

 しかし母が自分の才能を信じ、期待してくれているならば──それに応えたい。そう思い、愛里寿は頷いた。

 

 

「……!」

 

 砲声と共に愛里寿の意識が引き戻された。ティーガーの88mm砲にしてはやや軽い。パンターの75mm砲か。

 タブレットをタップし、幾つかのポイントにマーカーを付ける。道路の構造と建物の高さ、遮蔽の有無。それらを脳内でイメージする。

 

「……速度を落とせ。相手はこちらを誘い込んでくる。それに乗るぞ」

 

 

 

 パンターの75mm砲が火を吹き、センチュリオンに撃ち込まれる。しかしセンチュリオンは微妙な速度の緩急でそれを回避した。まるで普通の自動車を動かしているような滑らかな動きだ。相当に操縦手の技量も高いのだろう。

 

「無暗に撃っても当てられる相手じゃないわ、慎重に狙って!」

『わ、分かってるわよ!』

 

 エミのティーガーとツェスカのパンターはセンチュリオンの走るエリアの大通りを挟むように並走していた。

 砲塔から身を出したままエミは手元の地図を広げ、周辺の通りの構造を確認する。ホテルエリア中央を貫く大通りから一本筋を離れた通りに高い建物に挟まれた細い辻がある。視界は悪く、互いにとって攻撃を回避するには難しい場所だ。1対3の有利を活かすのであれば、ここがベストの位置。

 

「みほ、ここのポイントに誘い込めないかな?」

『エミちゃん?』

「この位置なら交差点の中央に出るまで視界が開けないから、相手はこっちの位置や距離を確認できない。危険はあるけど確実に仕留めるならここだと思う」

『……分かった。やってみるね』

 

 少し離れた場所から88mmの砲声が聞こえた。みほのティーガーが陽動に動いたのだ。

 

「ツェスカ、そっちの方にセンチュリオンが向かうわ。レストランの陰に隠れて、相手が四つ角に出た瞬間に東西から砲撃。いい?」

『了解。そっちこそ急ぎなさい』

 

 素っ気ない風のツェスカの声。しかし、そこには試合開始時に感じた明確な敵意は無い。

 

「ありがと、許してくれて」

『そ、そういうのじゃないわ。言っておくけど、貴女が全く悪くなかったとは思わない』

「………」

『……でも、中須賀さん。貴女なりに苦しんでいたのは分かった。それだけよ』

「……やっぱり、ありがと」 

 

 礼をもう一度言い、エミは通信を切った。、そう、今はそれでいい。

 センチュリオンの砲声が遠ざかる。どうやら大通りから一本向こうの通りに予定通り向かったようだ。エミのティーガーはそれを追うように大通りを横切り、やや細い通りに入った。

 双眼鏡をエミは構え、前方の遠くを見た。レストランの物陰からパンターが僅かに身を覗かせている。

 

『エミちゃん、ツェスカさん、センチュリオンが通りに入った! 射線が通るまで、あと500m!』

「了解っ! 砲弾装填完了次第停車!」

『了解。砲撃準備は出来てるわ!』

 

 そこにみほからの通信が入って来た。エミは頷き、装填手と操縦手に指示を出した。

 みほのティーガーの砲撃が南側に向けて放たれる。しかし着弾音は無い。細い通りではあるが全く左右に余裕が無い訳ではない。そこで紙一重で回避しているのだろう。

 だが、彼女が辻に出た瞬間に襲うのは三方からの同時砲撃。回避する術は無い。

 

『残り200m!』

「合わせるわよ、ツェスカ!」

『ええ!』

 

 その間に装填が完了し、エミのティーガーは停車した。センチュリオンは足も速い。あと十数秒もすれば──

 

「……見えた!」

 

 通りに姿を見せるセンチュリオンの姿。

 

『「撃て!」』

 

 エミとツェスカは同時に叫び、砲撃を放った。ふたつの88mm砲とひとつの75mm砲の音が同時に響く。

 その瞬間、センチュリオンの履帯が唸った。

 

「!?」

 

 踊るようにセンチュリオンの車体が回る。その側面、僅か数十㎝ほどの位置を通過するエミの砲弾。そして、こちらに接近する75mm徹甲弾。

 それは時間にして1秒にも満たない、本当に一瞬の出来事のはずであった。しかしエミは確かにそれを見た。センチュリオンの砲塔上の島田愛里寿の、刺すような視線と共に。

 

「しまっ……!」

 

 後退の指示を出す間も無く、エミのティーガーはパンターの砲撃を正面から受けた。同時に反対側から聞こえる着弾音。

 小銃の発砲音めいた白旗の射出音が、同時に二つ鳴った。

 

 

 

「………!」

 

 観客席のしほの手に、無意識に力が籠った。

 

「……お分かり頂けたようですね」

 

 モニターに視線を向けたまま、横の千代が言う。

 

「あの子は一度試合で経験した事は決して忘れません。どの状況において、どの戦車がどのような動きをするか。幼い頃から全て記憶しています」

「……なるほどね」

 

 様々な“道”を修める過程において、その知識や技術を取得することは入り口でしかない。肝心なのはその技術を取得した上でより活用するための“経験”であり、その経験を積み重ねる事によって磨かれる“直感”である。

 より多くの経験を得ていれば、相手の行動を理解し、それを読んだ行動を最小限の時間で判断する事ができるようになる。無論それは本来は理想論でしかなく、また経験したからといってその全てを自身の中に残せるものでもない。

 

 

 しかし──その経験を100%蓄積する事が出来れば?

 

 

 仮にそんな人間がいれば、経験をした期間が物心ついてからの数年間であろうと常人の数倍の密度の経験を積んでいる事になる。同時に常人ならば10年かけて磨き上げる直感も数年あれば身に付けられるだろう。

 それであれば、双方向からの攻撃を曲芸じみた動きで回避し逆に同士討ちを狙う──西住流家元の西住しほにして、習得に幾年も費やした技──を13歳にして使う事もできよう。

 そしてそういった人間には非常にシンプルな称号が与えられる。

 「天才」と。

 

「………」

 

 これで大洗側7両に対し、大学側7両。

 しほは無言で膝の上の拳を握り、モニターに映るみほの姿を見つめた。

 

 

 

劇場版カタクチイワシは虎と踊る 第三十九話 終わり

次回「ムカデと道化師」に続く

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