久々の外出許可が出て、約一か月ぶりに家族と会う事が出来る本日。
私、緑谷雫は進路指導の担当直々に書き直すよう催促が来た進路希望調査票とにらめっこしながら休日で賑わう街中をよそ見しながら歩いていた。
大切な家族との時間をこんな事で邪魔されたくない。待ち合わせ時間までに終わらせてしまおう。そう、思って周囲の音をシャットアウトしていたのが悪かったのかもしれない。
気づけば私の目の前には車道を飛び出し、暴走中の一台のトラックが突進してくるところだった。
「あれ? どうしてこうなった……」
避けようにも体は動かず、最悪な事に私とトラックの間には年端もいかない少女が恐怖に動けずにいた。今頃になって周囲の悲鳴が聞こえてくる。
「おい、誰かヒーローを!」
「駄目、間に合わない!」
「逃げて!」
そんなこちらを心配するような無責任な声が聞こえる中、私の思考は不思議な事にとてもクリアだった。
私と少女。全力で行動すればどちらかは助かる。その事実さえあればいい。
「おい、馬鹿止めろ!」
迷う事は無かった。一緒に歩いていた友人の叫び声が聞こえたが、もう耳には入ってこない。
トラックよりも早く、私は少女に駆け寄り心配させないように優しく声を掛ける。それはまるで幼い頃双子の兄に催促されて何度も見た古い動画の中のヒーローの様に。
「大丈夫、もう心配ないよ。だって、私が来たもの!」
個性と呼ばれる超常的な力が当たり前になった世界。
多くの者が四歳くらいで目覚めるその力を私が手にしたのは平均よりもわずかに遅めの六歳のころだった。
小学校に上がり、それぞれが個性を確立していく中、いまだ個性に目覚めていない双子の兄をTHE・ガキ大将と言えるような幼馴染がその取り巻きと共に苛めていたのを目撃した。
六歳と言えば事故が確立し始め、周囲と自分の違いに目を向け始める年頃だ。女の私と違い、自分達と同じ男の子なのにいまだ個性を持てずにいる兄を異質で劣っている者としてみるのはある程度仕方のないことかもしれない。当時の私も割とよく見る光景だったので特に何も思わず、いつものように止めるついでに軽く懲らしめようと間に割って入った。
いつもの光景。
いつもと同じ行動。
一つ違ったのはその時は小学校に入学して初めての出来事だったと言う事。
兄を庇うように立ちはだかる私の行動に苛立ちを覚えたのかガキ大将は私をすり抜け、その両手の”爆発”の個性で無防備な兄の身体に触れようとした。
その個性はまだ体が出来上がっていない子供が受けるには危険すぎるものだった。もし一歩間違えば一生障害が残る危険もある。
一瞬の思考の後、カッとなった私が目を見開いた瞬間。目の前にガキ大将とその取り巻きの姿は無かった。その代わりにあったのは十メートルほど離れた場所にあったジャングルジムが倒壊する音と全身の骨を折った少年たちの姿だった。
これが六歳の夏、私が個性という名の病に掛かった瞬間である。
眼を開けるとそこは知らない天井だった。
反射的に起き上がろうとして自分がベッドの上に寝かされているのに気づく。
「ここは?」
「お、気付いたか」
無意識に口から零れ出た問いかけに応える様に見知らぬ天井の代わりに視界に現れたのは黒髪に関西地方のお年を召した少女達によくみられる眼に悪い紫色のメッシュを入れた頭の悪そうな顔だった。
「緋色、どうしたの? 髪染め失敗しているよ?」
「いや、これお前がやったんだからな!? 髪染めてみたいとか言って人様の髪を勝手に染めた奴のセリフじゃねえぞ!」
「紫がいいって言ったのは緋色でしょう? 何を言っているの、馬鹿なのかな?」
「普通髪染めたいって言ったら自分の髪の事言ってると思うだろ。間違っても実験台にそこら辺にいた奴を昏倒させて一部分だけ中途半端に染めようとなんて思わない」
そう言って、完全に脱色後に染め上げられて元に戻りそうにない自分の頭部の一部分を指差しながら黒野緋色は呼んでいた漫画のページに折り目を付けて立ち上がった。
「お前が起きたって知らせてくるわ」
「うん。ありがとう。そういえば、あの後無事だった?」
「それはお前が助けた女の子の事か? 居眠り運転していたトラックの運転手の事か? それとも隣で頭を抱えるしかなかった俺の事か?」
「全部」
目覚めた時からずっと気がかりだった疑問を口にする。
こうして生きている事から私は無事なのは理解できる。最近流行のトラックに轢かれて転生にしては現実味が有り過ぎるし、仮にそうだったとしても目の前に現れたのが幼稚園からの幼馴染だなんて嫌過ぎる。
一応意識を失う瞬間直前にトラックの運転手を含め、危険が及びそうな人達は
「無事だよ。あの場にいた当事者達もお前がトラックを吹き飛ばしたおかげで一階のロビーを三棟連続でぶち抜かれたビルの人達もな」
「そう、よかっ―――ん?」
今、コイツなんて言った?
ビル? 三棟? 何それ、私知らない。怖い。
「達磨落としみたいだったぞ。駆けつけたヒーロー達も物凄い力でぶち抜かれたおかげで倒壊する事は無かったって微妙な顔してたからな」
「あ、あはは」
「折角取った外出許可が無駄になったな。今日は一日検査入院だ。一応無傷らしいけど、緊急時とは言え個性を勝手に使った事と被害が被害だから警察の人が取り敢えず巻き込まれたことにしておけってさ。お疲れさん」
「ちょっと待って! 私今日まだ何もしてない! これから楽しく買い物とか家族とおしゃべりする予定だったのにまだ何もしてないよ!? こ、こんな筈じゃ―――」
こんな筈じゃなかった。
一週間前から携帯のスケジュール機能を総動員して建てた緻密な計画が音を立てて崩れ去っていく。
本来なら今頃は久しぶりに会う兄とゲームセンターで写真を撮って、勝手についてきた邪魔な友人にUFOキャッチャーの景品を全種類集めるように命令して追い払い、夜は夜景の見えるおしゃれなレストランで兄と二人で食事をする予定だったのだ。
「そして、店員にあらかじめ用意していた指輪をグラスに沈めてもらって偶然を装って発見し、「なあに、これ?」って悪戯っぽく微笑みながら既成事実をッ――――」
「おい、待てこの変態ブラコン女。テメェ、出久に何させる気だ? 大体中学生がそんなところで酒飲んでいいわけねえだろ!」
「お金はこの日の為に溜めた! グラスに注ぐのもギリギリ合法な外国のジュースだ。ちょっと気分が高ぶって何かあっても問題ない!」
「大ありだよ!」
大丈夫。
その時現場にお前の姿は無い。その時間は予定によると一人寂しく大手牛丼チェーン店で大量のぬいぐるみと共に晩酌をしているはずだ。
しかし、その予定も全ていま水泡に帰そうとしている。
情けは人の為ならずというが、人助けをしたというのにこんな事があっていいのだろうか? いや、無い!
「ぐぬぬぬ!」
全身の力を込め、ガッチガチに拘束されている見せかけのギブスやら何やらを強制的に取り外そうと試みる。
私がいま求めるのは自由。それを邪魔する戒めは全て粉砕してくれよう。
「何してるんだ?」
「例え、この病院を破壊してでも私は家族に、出久に遭うんだ! その為なら、ぐぬぬぬぬ!!」
「ナースさぁぁん! 病人が発狂しています!! 今すぐ鎮静剤を! 一番強力なのを!」
血相を変えて馬鹿が飛び出していく。
あっという間に誰もいなくなった病室。監視のいなくなった室内で私は力むのを止め、隙を伺って近くに隠し持っていたお見舞い用の果物ナイフを使って理性的に拘束を解いていく。
「馬鹿め。流石の私でもこんなところで個性を爆発させればどうなるかわかっているわ。それにしても厳重に縛ってあるな。ナイフが無かったら危なかった。差し入れしてくれた人に後でお礼を言っておかないと」
「そうか。それはよかった。喜んでもらえてこちらも嬉しいよ」
「……」
「……どうぞ、続けてくれ」
その日、私は果物一式と果物ナイフを差し入れしてくれた刑事。塚内さんに心の底から感謝した。ええ、そりゃあもう。半分自由の身になっていた身体をベッドの上に擦りつけるくらいには。