あとなぎこちゃん無事お迎え出来ました。
ああ次はジャンヌPUだ…
――暗闇の中で殺気が蠢いていた。
氷の針で突かれるような感覚がピリピリと肌と第六感を刺激し続ける。
殺意が少しずつ、着実に忍び寄ってくる。
殺気にも色々な種類がある。爆発のように瞬時に膨れ上がり膨大な熱量を撒き散らすが長続きしない瞬間的な殺気。長距離を走るプロドライバーが操る車のエンジンよろしく一定の熱量を安定して維持し続ける、制御された殺気。
今感じる殺気はいわば草木に紛れて這い寄る毒蛇のそれに似ていた。
殺意の主は分かりきっている。仕事を命ぜられたプロの暗殺者集団。
殺意の矛先も分かりきっている。彼らの目的は自分だ。
――だから伊丹は、暗闇の中でじっと待ち続けるのであった。
その瞬間がやってくるまで。
<2週間前>
伊丹耀司
ファルマート大陸・ベルナーゴ近郊
「悪いな。ここまで付き合わせちゃって」
高機動車の助手席で、伊丹は唐突に運転席のレレイへと話しかけた。
「気にしなくて構わない。私も神を祀る神殿都市には興味があった」
「けど大事な導師号の審査が近付いているんだから論文に抜けがないかの見直しとか、もっと腰を据えて精査する時間が欲しいんじゃないかと思ってね」
そう話す伊丹の顔からはその手の書類作成に―大学時代の論文提出や自衛官に着任してからのデスクワーク―彼が苦労してきたであろう事が読み取れた。
「大丈夫。アルヌスを離れる前の段階でカトー老師に私の論文を見てもらい修正すべき部分は既に訂正済み。ミモザ老師からも御墨付きを頂いた以上、何度も論文に余計な修正を加えるべきか悩むのはむしろ逆効果と考える」
「なるほど、梨紗も似たような感じでドツボに嵌ってスランプになってた時よくあったなぁ」
伊丹の脳裏に古くは書きかけの原稿用紙、時代が進むと液晶ペンタブレットの前で頭を抱えて唸り声を上げたり、原稿用紙を乱暴に握り潰してゴミ箱に投げ込んだり、酷くなると奇声を上げて七転八倒していた元嫁の姿が蘇った。
基本的にレレイ・ラ・レーナという人物は作り物めいた冷たい美貌が醸し出す印象の通り非常に優秀な知性を持つ合理主義者だ。
無駄を嫌い、無駄を省き、明晰な頭脳でもって異世界の道具や理論といった未知の存在すらも素早く解析し、本質を見抜き、己の糧としてきた。
導師号審査の為に書き上げた論文など良い例だ。アルペジオやミモザ曰く、異世界知識というブレイクスルーを抜きにしても導師号獲得に数十年もの歳月を費やしてきた他の学徒が書き上げた論文を遥かに上回る完成度であるとの事。それを異世界知識に触れてほんの数か月の少女が書き上げたのだ。
このプラチナブロンドの少女には、満足のいく作品が書けない時の梨紗のような生みの苦しみから来る奇行など無縁に違いない。そんな感想を覚える伊丹。
「それでもさぁ。命を狙われてるのは俺だけなんだから、レレイ達まで俺に付き合って逃げ回る必要はないんだぞ?」
そう、伊丹は命を狙われている。
送り込まれた刺客に所在を掴ませまいと、かれこれ2週間もの間ロンデルを離れ周辺の資源調査と並行しながら所在を転々とし続けていた。
馬よりも遥かに速い高機動車の機動力と空中投下される自衛隊からの支援で足も物資も事欠かないとはいえ、追われながらの野宿は心身を激しく消耗させる事を伊丹は経験から理解していた。
本来ならばほんの16歳の少女や彼女だけでない、部下を含む己を慕ってくれる女性達をそんな逃避行に同道させるのは、伊丹としてはとても心苦しいのだが――
「…………」
返ってきたのは極寒零度の視線であった。
シベリアの気候よりも凍てつきかねない気配を醸し出すレレイの眼光に、伊丹は思わず助手席で身を縮こまらせた。炎龍退治に置いて行こうとしたのがバレた時並みの怒気であった。
「……ゴメンなさい」
あまりのおっかなさに反射的に謝罪の言葉まで口から飛び出してしまう始末。
伊丹の情けない姿に、レレイにしては珍しく呆れの籠もった深い溜息が小さな口から吐き出された。
「私はニホンでヨウジ達に何度も危機から救われた。その借りをまだまだ返しきれていない」
「いやいや箱根とかでの事はどっちかって言えば半分ぐらい俺が原因だし、炎龍退治に付き合ってくれた分で充分チャラだと俺の中では思ってる訳でだな」
「私の中では違う………だからもっとヨウジは私を頼って欲しい」
「……いいの?」
「構わない………………伴侶とはそういうもの」
最後の言葉だけは伊丹から視線を外してからの発言だった。
今度は伊丹の視線がレレイを射抜く番だ。色白の頬がほんのり朱に染まっている。心なしか前方に固定された瞳も不安定に揺れているような。
それはまるで中々懐かない子猫が珍しく甘えてきた時に似た愛らしさで、伊丹は抱き締めて頭を撫で回してやりたい衝動に襲われた。運転の真っ最中でなければ実行していたかもしれない。
言われた方も照れるやら恥ずかしいやら、でも勝手に口元は緩んでしまったり。中々お目にかかれない反応を見せるレレイから視線も外せない伊丹である。
そんな甘ったるく生暖かい空気は、
「ち ょ ぉ っ と?」
伊丹の眼前に突如出現したアルペジオの頭部によって一瞬で粉砕された。
その眦は急角度を描いて吊り上がり、額にはご立派な青筋が浮かんでいる。義妹が一回りも年上の伴侶(予定)相手にイチャつく様を目の前で見せつけられたアルペジオの声はそれはもう怒りに震えていた。
「こんな! 狭い空間で! 人の目の前で甘ったるい空気を発生させるなぁっ!」
「ままま落ち着いて下さいアルペジオさん。それとも義姉さんの方が良いですか?」
「止めて! 年上の男に義姉さん扱いされたらそれこそ死にたくなるから!」
アルペジオは憤怒の形相から一転、血を吐くような叫び声をあげながら頭を抱えて悶える。栗林には負けるが確実にヤオは上回る巨峰が服の下でゆっさゆっさと暴れた。
彼女以外の乗客、テュカとロゥリィとヤオと栗林、ついでにロンデルでイタミが命を狙われている事を知らせに駆けつけて以降行動を共にしているグレイとシャンディーは、前方でのやりとりを微笑ましそうに、あるいは楽しそうに、もしくは顔を赤くしながら興味深げに座席から腰を浮かせ前のめり気味に見守っていた。
「落ち着いてアルフェ。それよりも早く自分の席に戻る事を推奨」
「はぁ? 何――」
その時、路面のギャップで高機動車の車体がガタンと跳ねた。
「ふぎゃん!?」
後部座席から身を乗り出して無理矢理運転席と助手席の間に捻じ込む体勢のアルペジオの体が振動で大きくバランスを崩れる。
ゴチンという鈍い激突音と突然冷水をぶっかけられた猫を思わせる悲鳴が生じた。口と額を手で押さえながら悶絶するアルペジオ。座席に頭をぶつけた上その拍子に舌まで噛んでしまった様子。
「……だから言った」
「もっと
涙目になったアルペジオの叫びをきっかけに笑い声が後部座席のあちこちで上がった。
シャンディーだけが笑い声に加わらず、その代わりアルペジオそっくりに頭と口を押さえて涙を浮かべていたのは余談である。
ともあれロンデルを離れこの2週間西へ東へ南へ北へ走り回り続けてきた伊丹達は、現在明確な目的のもとある都市を目指していた。
ベルナーゴ――冥府の神ハーディを祀る神殿都市。
ハーディは端的に言えば死の象徴たる神だ。死者が赴く
特地に於いて、亡くなった血縁者や親しい者の冥福を祈ろうとすれば実際に信仰するか否かを問わず必然的にハーディへと祈りを捧げる形となる。そのような事情もありハーディのお膝元であるベルナーゴはお墓参りに近い感覚で神殿へ参拝する多くの人々で賑わう一大聖地だ。
実際ベルナーゴの大分手前にもかかわらず、神殿都市へ通じる巡礼路には目に見えて参拝に訪れたであろう様々な旅人の姿を伊丹達も見かけるようになった。
都市のスケールも凄まじく、帝都よりもはるかに大規模かつ優雅と厳かさが両立されたデザインの建造物が、やはり帝都よりも調和の取れた配置で整然と見渡す限りの広範囲に立ち並んでいた。下手をすれば東京やNYの摩天楼にも匹敵する巨大建造物すら複数見受けられた。
アルペジオ曰く、ベルナーゴは帝都より成り立ちが古いロンデルよりも更に古い時代から存在してきたのだという。
「こいつはぁまた……」
「うわあすっごぉ……」
栗林などベルナーゴを一望出来る高台まで辿り着くなり目と口を大開きにして言葉を失う始末。戦乱に荒れた場所限定という注釈が付くが、世界各地を巡った経験を持つ伊丹ですら驚嘆してしまった程だ。
バチカンよりも、エルサレムよりも厳かでファンタジックなベルナーゴという都市はまさに、聖地たるに相応しい威容を誇る場所であった。
そんな異世界の異神のお膝元へ伊丹達がやって来た理由は単純明快、ここの神殿からの招待状が伊丹に届いたからである。時期としては炎龍討伐直後の出来事だ。
ベルナーゴはロンデルから車で2日の距離に位置しており、どうせ追っ手が
神殿に向かうと、門前は多数の商店と露店が犇めいていてどの店も参拝客相手の商売に勤しんでいる。
「ちょっと待ってくれお兄さん! アンタもしかして『炎龍殺し』のイタミじゃないか?」
屋台の前を通りがかった刹那、急にそんな声をかけられた。
伊丹は聞こえなかったフリをしてそのまま通り過ぎる。他の通行人が反応してしまわない内にさっさと雑踏の中に紛れ込んでから、伊丹は小さく溜息を吐いた。
「炎龍退治の話はここにも伝わってるみたいだねぇ」
「英雄であるイタミ殿がベルナーゴに滞在している事が刺客の下へと伝わる前に要件を済ましてしまいましょう」
グレイの発言に同意するかの如く余計な注目を集めない程度に早足で神殿を目指している内に、この手の土産物屋にありがちなベルナーゴ神殿の意匠が刻まれたカップや木彫りの置物といった品物以外にも様々な鉱物と宝石が商品として売られているのに伊丹は気付いた。
同じように商品を覗き込んでいたアルペジオに尋ねてみると冥府があるのは地面の下、そこから地面の下に眠る鉱物資源はハーディの所有物として特地では認識されているのだそうだ。
そんな理由から各地の鉱山で産出された鉱物や宝石の一部はベルナーゴ神殿へと捧げられ、神殿側は供物の更に一部を土産物として売り財政に寄与しているとの事。
(上が聞いたら頭抱えるんじゃないかこれって)
「まぁそこら辺の交渉や対応は俺達の仕事じゃないし、どうでもいいかぁ」
即決である。実際伊丹の任務は資源探索であって採掘計画の立案だの交渉は命じられた任務に含まれていないから彼の判断は間違っていない。
ともかくまずは神殿での用事を済ませるのが先だ。
どうやって拵えたのか見当もつかない真っ黒な羊皮紙でしたためられた招待状を入り口を守る神官に見せれば、一行はあっさりと神殿内へ案内される。
なお、ベルナーゴ神殿の神官は皆白ゴス服を纏っていた。乳も股間も丸出しに改造していたジゼルが特別なだけだったようだ。アレがハーディの信徒の普段着だったら伊丹は別の意味で大いに困惑したところである。
「クリ、カメラのスイッチ入れとけよー」
「大丈夫です。神殿に入る前から記録は開始してます」
ズルいかもしれないがこれも一応任務の一環なのだ。アクションカムの存在は用途を説明してやらない限りカメラの『カ』の字も知らぬ特地住民からは変わった装身具としか認識されていない。
迷彩服の肩に乗っけた小型カメラで堂々と神殿内の様子を記録しつつ、先導の白ゴス神官の後に続くとやがて地下に続く階段へと導かれた。
文字通り地の底へ向かって延々と下ること数分。
足元が階段から広く平坦な床に変わったかと思うと、伊丹の目の前には広大な地下空間が広がっていた。
灼風熱の治療薬を求めて突入した地下迷宮など目ではない。1本1本が
規則正しく配置されたそれらが形成する通路の最奥では篝火に照らされた祭壇と、巨大な石碑の姿が浮かび上がっている。
まさしくここは地下神殿に他ならなかった。
伊丹達を除けばこの場には白ゴス神官と、祭壇で祈りを捧げる司祭しか存在しない。地上が一般的な参拝者向けの神殿なら、地下神殿は限られた信者や神官のみ参加出来る特別な儀式にのみ用いられる真の祭祀場なのだろう。
祭壇の前まで伊丹達が辿り着くと、祈りを捧げていた司祭が厳かな口調で声を張り上げた。
「来訪者達よ。主上ハーディがご降臨される。それぞれの流儀で最上の敬意を示せ」
「おっいきなり!?」
次の瞬間、どこからともなく篝火よりも強烈な白光が頭上から祭壇を照らし出した。
――主神ハーディが降臨したのである。
『神は支配する為に存在する事すら必要としない唯一の存在である』 ――ボードレール
漫画版のベルナーゴの街並みは必見です。
やっぱり竿尾先生パナイです。
感想お待ちしています。