GATE:Modern Warfare   作:ゼミル

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いつもより糖分多め(当社比)でお送りいたします。


15:Love Story/ある愛の詩

 

 

 

 

<8日前/14:30>

 伊丹耀司

 ファルマート大陸・ベルナーゴ近郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな暗闘を終えた伊丹一行は、死体の処理や屠殺場もかくやな有様となった部屋の掃除とその弁償諸々といった後始末を神殿の神官らに任せるとベルナーゴを辞した。

 

 巡礼者が多く利用する街道から少し外れた見晴らしの良い平原に高機動車を停め、伊丹は栗林と横に並んでフロントグリルにもたれかかりながら空を見上げた。

 

 栗林の方は何かを待っている風に俯き気味に佇んでいる。彼女の手は、大きく突き出した胸の隆起のせいで遮られてしまうせいで意識して背中を丸めないと覗く事の出来ない下腹部へと添えられていた。

 

 余談だが資源探査という名の遠征任務前に密かに新調したばかりにもかかわらず、最近替えのコンバットシャツとブラジャーがきつく感じるようになった栗林である。

 

 伊丹も伊丹で基本的に顔は斜め上を向いて冴え渡る青空に固定されているのだが、視線はといえば事あるごとに栗林をチラッと見ては下腹部を撫でる彼女から目を逸らす、この繰り返しだ。

 

 手持ち無沙汰になった伊丹は迷彩服のポケットから葉巻ケースとオイルライターを引っ張り出す。ケースの中身を取り出そうとするも、すぐにハッとした表情でもう1度栗林を見やり、そそくさと喫煙道具一式をポケットに戻した。

 

 バツが悪そうに肩を落とし背中を丸めてしょぼくれるオタクな上官にして崇敬の対象である地球世界最高の伝説的兵士――

 

 ……そして自分の胎に宿った新たな命の父親である伊丹のそんな姿に、とうとう栗林は我慢出来ずに「ぷぷっ」と吹き出した。

 

 

「笑うなよぉ」

 

「笑っちゃうに決まってるじゃないですか」

 

 

 言い返された伊丹が悪戯を母親に叱られる子供そっくりの情けない表情を浮かべるものだから、栗林は更にクスクスと笑い声を漏らしてしまう。

 

 風の音しか聞こえない静かな平原に、栗林の笑い声がしばらくの間響き続けた。

 

 やがて笑いの衝動が収まったところで、栗林の方から伊丹との距離を詰めると彼の腕に頭を預けると(身長差の都合上、彼女が伊丹の肩に頭を預けるには台座が要る)、片手は己の下腹部に添えたまま伊丹側の手で彼の手をそっと握った。

 

 

「本当に隊長の子供を孕んじゃったんですかねー」

 

「どうだろうなぁ。神様直々のお告げだから本当なんじゃないか?」

 

「でもねー、そう言われても中々自覚が湧かないんですよねぇ」

 

「実を言うと俺もだ。梨紗と一度は結婚してする事はそれなりにしてたけど、お互い仕事と趣味優先で子供が欲しいとかまでは考えてなかったなぁ」

 

 

 スキンシップを取り合っている最中に男の口から別の女の名前(逆の場合は男の名前)が出てくれば不快感を覚えても普通はおかしくない。

 

 にもかかわらず、伊丹の口から前妻の名前が出てきても不思議と栗林の胸中に不快な感情は過ぎらなかった。

 

 まがりなりにも一時は世話になり、一緒に温泉に入り、危機また危機を潜りぬけと短くも濃密な時間を共有した相手だからだろうか? 伊丹以上にオタク全開な貴腐人(腐女子という呼称は年齢的に問題有)という点を差っ引いても悪い人ではない、善良な一般人だったのも一因だろう。

 

 むしろ栗林は、伊丹の元嫁よりももっと深い結びつきを手にした事に対し優越感を一瞬覚え、直後そんな考えを抱いてしまった自分を叱責すると同時に梨紗への罪悪感を覚えてしまった。

 

 

「梨紗さんには何て報告すれば良いと思います? 向こうに戻る事になったらどんな顔して会えば良いのんだろ」

 

「それはむしろ俺の台詞だと思うぞ。元旦那がまだ未成年の子供含めて同時に5人に手ぇ出した挙句部下を孕ませたなんて聞かされた日には……」

 

「……刺されてもおかしくありませんね」

 

「いや、梨紗の性格的に引っ叩くぐらいだと思う。で、その後通報すると思う」

 

 

 青少年健全育成条例に基づく淫行条例違反、というフレーズを思い浮かべた伊丹の口元が引き攣った。

 

 なおクレティでの肉欲の宴に加わった中での最年少は今年で16歳のレレイである。特地では15歳で成人認定だが、日本では依然未成年として扱われる年代である。

 

 

「その前に服務規程違反で処分されちゃうのが先じゃないですか? まぁレレイとの事は言い触らしさえしなければバレないとは思いますけど」

 

「だよなぁ……けど手を出したのは事実なんだから、責任は取るさ」

 

 

 伊丹の言葉に、彼の手に絡まる栗林の指の力が強さを増した。

 

 

「なら、私の事も、責任を取ってくれますよね」

 

「…………」

 

 

 伊丹は、即答できなかった。伊丹を見上げる栗林の瞳が不安げな暗さを帯びた。

 

 

「……俺の両親については前にどこまで話したっけ?」

 

 

 炎龍退治を終え一旦日本に帰還した際、伊丹はロゥリィ達を引き連れて母親へのお見舞いへと赴いていた。

 

 

「家庭の事情でずっと心の病院に入院している事ぐらいで、梨紗さんからも詳しい事情はあまり……」

 

 

 事故だとか、不治の病だとか、肉体的な要因が元での入院ならまだ事情は尋ね易かっただろう。

 

 心的外傷(トラウマ)を筆頭とした精神の病は肉体のそれよりも遥かにデリケートな問題であり、傍目には安定しているように見えていても、実際にはほんの些細な刺激から症状が再発してもおかしくないパターンも珍しくない。また何年もの間精神病院にて治療という名の隔離を受け続ける患者も珍しくはなく、ある面において肉体的問題よりも遥かに完治が難しいのである。

 

 特に、近代以降の実戦を経験してきた軍隊にとってトラウマとは切っても切れない大きな問題のひとつである。戦場帰りの兵士が心的外傷後(PT)ストレス障害(SD)戦闘ストレス反応(シェルショック)を発症し、使い物にならなくなる事例など数にいとまがない。

 

 かく言う栗林も伊丹の前では改善されたものの、学生時代にクラスメイトのオタクからストーカー紛いの行為を受けた結果オタク嫌いになったという経歴の持ち主だ。深刻さに差はあれどこれもトラウマには間違いない。

 

 伊丹は語った。少年時代の伊丹の父親は家族に暴力を振るい、母親はそれに耐えかね父親を殺害した事。正当防衛で罪には問われなかったものの精神のバランスを崩し、やがて焼身自殺を図った事。

 

 自殺未遂に追い込んだ本当の原因は不用意に叱責した伊丹の言葉であり、その罪と、心を病んだ母親という重荷から逃げ出すように精神病院へ入院させ、やがてテュカと炎龍が絡むゴタゴタが解決したのを境に帰郷するまでずっと疎遠だった事も。

 

 

「父親はDV夫で、母親はその夫を殺した人殺し。その子供も兵士なんて稼業を選んじまったお陰で罪に問われていないだけで、今じゃ親以上の人殺しの才能の持ち主ときたもんだ」

 

 

 乾き切った笑いを顔に貼り付けて伊丹は自嘲した。

 

 栗林の握る力が増す。女だてらに格闘徽章を与えられる程鍛え上げてきた彼女の握力は一般人なら骨が軋みかねないぐらいだが、伊丹は痕が残りそうな手の痛みを黙って受け入れた。

 

 

「俺はさ栗林、怖いんだよ」

 

 

 それは心からの弱音だった。

 

 いや、実際の所弱音そのものは自衛隊に入隊してからこの方、厳しい訓練で音を上げたり教官や上官相手に「いやもう限界だから原隊に帰らせて」と懇願したり、TF141に引き抜かれてからは戦場で死にかける度に悲鳴を上げてきた伊丹である。

 

 だが『伊丹耀司』という男の原点……不幸な家庭環境によって負った心の古傷を晒した上での弱音を他人に吐露するのは、これが初めてだったのだ。

 

 

「よく聞くだろ。虐待を受けて育った子供が大人になって子供を作ると、自分が受けた虐待を今度は自分の子供相手に振るうようになるって話」

 

 

 かつてヤオに精神的に追い詰められたテュカが辛い現実から逃れようと伊丹を炎龍に殺された己の父と同一視した時に、彼の中で抱いた思い。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「自分の子供に、俺の親と同じ事を繰り返して不幸にしちまうんじゃないかって、そう思っちまうんだ、俺は――」

 

「隊長」

 

 

 静かな口調で栗林が短く声を発した。

 

 

 

 

 

「ふんっ!」

 

「おごっふぇ!?」

 

 

 次の瞬間、強烈な衝撃が伊丹の脇腹を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「うげっ……ちょっ……おまっ……」

 

 

 伊丹は左の脇腹を押さえながら悶絶した。傍目から見れば伊丹の手に絡めていた方の手を外し、彼の脇腹を軽く小突いただけのように見えただろうが、実際には拳がめり込んだ瞬間伊丹の肉体が「く」の字に折れ曲がるほどの威力が籠もった一撃であった。

 

 受けた瞬間、伊丹が味わったのは腹の中を左から右方向へと貫く一点集中された衝撃である。銃弾に撃ち抜かれた時とはまた違う、ハンマーでも叩きつけられたかのようなダメージが伊丹の体の芯まで重く響いている感覚だ。

 

 今の伊丹は栗林と同じく戦闘用ベストを着用していない迷彩服姿だったので、その威力を余す事無く無防備に喰らってしまった塩梅である。

 

 

「こ、これはまさか数々の作品で必殺技とされてきた寸勁ってやつなのでは……!?」

 

 

 栗林、恐ろしい子! と苦悶しながら伊丹は慄いた。

 

 与太な考えを抱ける辺り意外と余裕はあるようだ。これが肝臓のある右脇腹であれば、或いは脾臓から外れていなければ、それこそヘビー級の拳を急所に受けた対戦相手よろしく問答無用で崩れ落ちていたに違いない。

 

 

「目が覚めましたか? 隊長」

 

 

 ひとつ鼻息を荒く吐いてから、腹を抱えて蹲った分彼女よりも高度が低くなった伊丹の顔を両手に腰を当てて見下ろして栗林は言った。

 

 

「でもこれで良い証明になったんじゃないですか」

 

「い、いきなり上官にボディブロー打ち込んどいて何の証明になるってんだよぉ!?」

 

「もし隊長が嫁や子供に躾の度を超えたDV夫になっちゃっても私の愛の拳で止められる事の証明ですよ」

 

 

 栗林の両手が伸ばされ、伊丹の頭に添えられたかと思うと手元へと引き寄せる。あっさりと伊丹の頭がコンバットシャツをパンパンに張りつめさせる栗林の大きな膨らみの下半分から腹部にかけてに埋まる形になった。

 

 任務柄、栗林は化粧も香水もしていないにもかかわらず、柑橘類とミルクに似た甘酸っぱい芳香が伊丹の鼻腔を埋め尽くした。

 

 

「まだ赤ちゃんが人の形にもなっていない段階なのに、ずっと先の事で不安になるなんて隊長らしくありませんよ。

 先の事は分からないんですからその時になったら何とかする。とりあえず何とかしちゃう……きっと耀司さんなら出来ますよ。だってこれまでもそうしてきたんですから」

 

 

 栗林の言葉が、彼女の匂いと、体温と、力強い鼓動と一緒くたになりながら伊丹の奥底へと染み込んでいくのを感じた。

 

 今更ながら、伊丹は彼女に初めて名前で呼ばれた事に気付いた。関係を持って以降、ロゥリィ達からはよく名前で呼ばれるようになっても、自衛隊という厳格な上下関係に身を置く立場だからか伊丹と栗林が互いに呼びかける際の三人称はそのままであった。

 

 だからだろうか? 栗林が自衛隊員としての階級ではなく伊丹個人の名を呼びかけた上での彼女の言葉は、するりといとも容易く伊丹の心へと入り込んだ。

 

 

「それに独りで思い悩む必要だってありません。私も居ますし、レレイも、テュカも、ロゥリィも、あとヤオも一緒なんですから。皆で相談して助け合って、たまにはケンカして、お互い問題が在ると分かったら反省して――

 そうやって子供を育てていけばいいんです。家族ってそういうものじゃないですか」

 

 

 それはまるで子供をあやしながら間違いを諭す母親のように優しい声だった。

 

 今度は伊丹が栗林の腰に両腕を回して力を篭める番だ。ただし彼女の体に、彼女の胎内で生まれたばかりの新たな命に負担がかからない位の、ギリギリの強さで。

 

 

「……まさかお前に諭される日が来るなんてなぁ」

 

 

 下半分は押し付けられる格好のまま顔を持ち上げ、栗林の顔を見上げた伊丹は目元だけで笑った。

 

 先程までの暗さが消えた、何時も通りの笑顔だった。

 

 

「ちょっとそれは酷くないですか。私も日々の鍛錬と実戦を重ねて成長しているんですからね!」

 

「ははっ悪い悪い。でも言われてみると確かに前よりも大きさも張りも成長してるんじゃないか、これ」

 

 

 自己申告B92から更なる成長を見せる栗林の胸元へ今度はわざとらしく顔を押し付けて堪能する。

 

 

「もうっ完全にセクハラってレベルじゃないですよそれ……でも耀司さんは特別に許してあげます」

 

「そういえばそれ」

 

「?」

 

「名前。呼び方がいつもと違うくなってるぞ」

 

「んー、ずっと隊長呼びっていうのもいい加減どうかなーと思ったんですけど、ダメかな?」

 

「……いや。別に良いさ。でも隊の皆がいる時はこれまで通りにするんだぞ」

 

「公私は切り換えないとですからね。了解です」

 

 

 脇腹の苦しみも抜けてきたので栗林の腰に回した腕を外し、至福の谷間からも抜け出して体を起こそうとした伊丹だったが、それを伊丹の頭に固定されたままの栗林の両手が邪魔をした。

 

 また手元に引き寄せられた伊丹の顔と栗林の顔が触れ合った。

 

 

「んっ……んんっ」

 

 

 重なった唇の間で自然と舌が絡み合う水っぽい音が生じた。餌に食らいつく猫科の肉食獣そっくりに栗林の方から、何度も伊丹の唇を舌ごと吸っては離れを繰り返す。

 

 

「……公私は切り換えないといけないんじゃなかったっけ?」

 

「お別れ前に隊長成分の充電です!」

 

「何だそりゃ」

 

 

 言いながら、伊丹も思わず笑みが零れた。同時にふと頭に浮かんだ思いがポロリと言葉になって口からも零れ落ちる。

 

 

「本当、イイ女だよ。()()

 

「えへへ」

 

 

 だらしなく笑み崩れる栗林。普段は猫科の獣チックだが、今の笑顔は人懐っこい大型犬っぽかったり。

 

 視線を感じて振り返る。高機動車内で待機していた面子が揃いも揃って前のめりに一部始終を見物していた事に伊丹は遅ればせながら気付いた。

 

 テュカとレレイとヤオは少し羨ましそうな眼差しを。ロゥリィはにんまりと楽しそうに笑みを浮かべていて、シャンディーは目元をアルペジオは口元を両手で隠しながらもガン見の体勢である。顔どころか耳まで真っ赤に染まっている辺り処女2人には中々刺激が強かった模様。

 

 伊丹を除けば黒一点のグレイは年長者の余裕か女性陣ほど前のめりではないものの、伊丹と目が合うと目礼でもって祝福を表した。

 

 遅れて見物されていた事に気付いた栗林は、羞恥か情熱的な交わりの名残によるものかは分からないが、頬を朱に染めながら幸福感全開で嬉しそうにはにかむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ時間かな」

 

 

 再び空を見上げながら伊丹が呟くと、風に揺れる草むらのざわめきに混じって力強いエンジン音が接近してきた。

 

 自衛隊の大型輸送ヘリ、CH-47(チヌーク)の機影がグングン大きさを増し、伊丹達の前方へ着陸態勢に移る。

 

 

「それじゃあお先にアルヌスに戻りますね。それから皆の事はこれまで通り、私が居ない分まで愛してあげて下さい」

 

 

 栗林はこの場で資源調査班から一時離脱する。アルヌスに戻り次第、駐屯地の診療施設で彼女には診察を受けてもらう予定だ。

 

 本来C-1輸送機による空中投下という形で行われてきた物資補給を無理を言ってヘリコプターによる輸送に変更してもらったのもこの為であった。

 

 どのような結果が出るにせよ、伊丹は全てを受け入れ、責任を取るつもりだ。

 

 

「ああそうだ」

 

 

 思い出したように伊丹は迷彩服の胸ポケットから紙片を取り出し栗林に渡す。

 

 

「報告とか一通り済ませてからで良いから、アルヌスに戻ったらこの番号に連絡して書いてある通りに伝えといてくれないか」

 

「えっとこれは……」

 

「まぁなんだ、一緒に日本に戻るタイミングが何時回ってくるか分からないんだし、結婚式もすぐには無理でもこれぐらいは予め準備ぐらいしておこうかと思ってな」

 

 

 今度は伊丹から栗林の耳元に顔を寄せて、

 

 

「せめて指輪ぐらいは、な?」

 

「~~~~~~~~~~っ、はいっ!!」

 

 

 またも頬を紅く染めながら栗林は力強く頷いた。

 

 補給物資を下ろし終えたCH-47の搭乗員が身振り手振りで合図を送っているのに気付くと、栗林の背中を軽く叩いて送り出してやる。高機動車のフロントタイヤに持たせ掛けていた個人装備一式を軽々と持ち上げて輸送ヘリへと小走りに向かう栗林の背中を伊丹は目で追いかけた。

 

 後部ハッチから貨物スペースに乗り込んだ栗林がおもむろに振り返る。彼女の口がパクパクと動いていた。ローターとエンジンの駆動音が声を掻き消していたが、言葉自体が短かったのもあって唇の動きから伊丹にも内容を理解する事が出来た。

 

 

『愛してます』

 

「――ああ、俺もだよ」

 

 

 ハッチが閉まり栗林の姿が見えなくなる。伊丹の言葉が届いたか否かは、閉じられる間際に浮かんだ栗林の表情から一目瞭然だった。

 

 頬がわずかに熱を持ち、自分の顔も赤くなっているのを自覚して伊丹は頬を掻いた。

 

 轟音に紛れて周囲には聞こえないと分かっていても、梨紗にすら言った記憶が思い出せない程度には自分には縁の無かった愛の言葉を実際に使ってみると、やっぱりガラじゃない台詞なだけに恥ずかしいやら照れくさいやらである。

 

 

 

 

 

 

 

 栗林を乗せた輸送ヘリが高く舞い上がり、やがて機影が見えなくなったところで「ふうっ」とひとつ吐息を漏らした伊丹の背中に小さな手がバシリと叩きつけられた。

 

 

「まったくぅ見せ付けてくれるじゃなぁい」

 

 

 そう言ってロゥリィの手が繰り返し伊丹の背中を叩く。

 

 見た目は細身のゴスロリ少女でも、中身は栗林よりも豪腕な正真正銘の亜神。平手打ちの威力も半端ではなくぶっちゃけ伊丹の顔がどんどん痛さで歪んでいくぐらいには強烈だった。

 

 

「ゴメンゴメン悪かったから痛い痛いギブギブギブッ!」

 

 

 慌ててロゥリィの射程圏外へと逃れる。ジンジン痛む背中からして服を脱いだら手の平の形をした腫れが幾つも背中に刻まれてそうでちょっと怖い伊丹だったり。

 

 

「だけどぉこれで本妻はぁクリバヤシに決まりなのねぇ。覚悟はしてたけどぉやっぱりちょっぴり残念だしぃ、悔しくもあるわねぁ。それはそれとしてエムロイの使徒ロゥリィの名に懸けてヨウジとクリバヤシを祝福するわぁ」

 

「痛ててて……けど俺がこの期に及んで言うのもなんだけど、皆もそれで良いのか?」

 

 

 ロゥリィ、テュカ、レレイ、ヤオと、関係を結んだ女性陣の顔を順繰りに見つめた上で伊丹は尋ねた。

 

 彼の問いかけに代表して答えたのはロゥリィである。

 

 

「構わないわよぉ。私ぃはそもそも未だ陞神に至らぬ肉の躰を持つ亜神ではあるけれどぉ、まがりなりにも神である以上はヒトとの子を宿す事が出来ないしねぇ」

 

 

 地球の神話では男女問わず神と人が―中には神が変身した獣相手に―交わって誕生した半神半人(デミゴッド)の存在はさほど珍しくないのだが、現実に神が実在する特地では逆に神と人の間に子供が生まれないのだという。

 

 

「だから楽しみなのよぉ? ヨウジとクリバヤシの血を引いた子供ならきっと強い戦士に育つわぁ。大きくなったら私手ずからハルバードの振り方を教えてあげるのぉ。あっそうそう、その前にナッシダのお祝いもしてあげなくちゃいけないわねぇ」

 

 

 生まれるどころか胎児以前の段階だというのに、頬に手を当て猫耳チックな頭のフリル飾りを振り振り揺らして未来予想図をロウリィは嬉々として語った。

 

 その喜びようはまるで自分が腹を痛めて産んだ子供の事のようで――

 

 ロゥリィの言動は神の端くれであるが故に伊丹の子供を産めないという無情な現実からの逃避か代償行為か。

 

 わざわざ指摘してやる必要はない。内心を押し隠し、いつもの気の抜けた笑顔を浮かべて彼女の発言に敢えて乗っかってやる。

 

 

「おいおい、生まれる前から教育方針を決めちゃあ逆に嫌われちゃっても知らないぜ」

 

「う゛っ……おほん。そ、そうよねぇ。ウチ(エムロイ教)のハルバードは練習用でも重たいものぉ体が育つまで待ってあげないとぉ」

 

 

 自身の発言の内容があまりに気が早過ぎるのを遅ればせながら自覚したようだ。あのロゥリィが羞恥で顔を赤くして縮こまるという、極めて珍しい姿を伊丹達は目撃する事となった。

 

 

「元より取引で自らヨウジの所有物となったヤオを除き、私達とクリバヤシはお互い対等な関係のつもりだった。それはヨウジの寵愛を求めるようになった今でも変わらない。それに地球では一夫一妻が基本と聞いているが、1人の人物が寵愛の対象を複数持つのはこちらの世界では大っぴらとまではいかないが、権力や財力に優れた者の間では珍しくない」

 

 

 次にレレイが彼女達なりの共通認識を淡々と述べ始める。

 

 

「ただし最初の子供が生まれた場合は別。事前に本妻が決められていない場合、基本的に一家の後継ぎとなる長子を最初に孕んだ女が本妻の地位に就かなければ逆に余計な混乱の素となる。だから我々の中で最初にヨウジとの子を孕んだクリバヤシが本妻となるのが妥当――というのが私達の考え」

 

「お、おう。そうか」

 

「……だ、だけど」

 

 

 立て板に水を流すような口調から一転、言葉を詰まらせた少女は伊丹に手が届く距離まで詰めてきてから、まるで迷子になった子供のように迷彩服の袖の端っこだけ握り締めて。

 

 

「で、出来ればよっ、ヨウジとは……クリバヤシが本妻で、彼女との子が長子でも気にしないから……これまで通り私達もヨウジの傍に居させて欲しい。

 ……そして、愛して欲しい。対価は、払うから」

 

「馬鹿だなぁ。対価なんて一言も払えなんて言ってないだろ? 大丈夫、レレイも、ロゥリィも、テュカも、ヤオも、栗林も、皆これまで通り一緒に居よう」

 

 

 傍から聞けば完全に五股宣言である。にもかかわらずレレイは親しい者ならば判る程度に目元を僅かに緩めて喜びを示すと、安心したように伊丹の迷彩服に顔を埋めた。

 

 

「私は最初から不満も文句も無いわよ? あ、でもでもヨウジとの子供は欲しいなぁ。あんなに幸せそうなクリバヤシを見てたら私も欲しくなっちゃった」

 

 

 と気軽に爆弾発言を投下したのはテュカである。金髪エルフの発言に最後の1人であるダークエルフも便乗した。

 

 

「此の身はイタミ殿の所有物ではあるが、イタミ殿が望むのであれば5人でも10人でも子を孕んでみせよう。此の身は長命種、腹に子を宿せる期間も長いので種さえ着けば只人よりも多くの子供を産めるのだからな」

 

「あっヤオズルい! 私だってヨウジの子供い~っぱい欲しいんだから!」

 

 

 とうとうおかしくなって伊丹は噴き出した。ロウリィも笑った。レレイは伊丹にくっついたままで、やがてテュカもヤオも朗らかに笑い声を響かせた。

 

 

 

 

 これが、彼らなりの愛の形だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――もしこれから待ち受ける運命を知りえていたならば、彼らは決して栗林を独りアルヌスへ戻らせなかっただろう。

 

 

 

 

 嵐の前触れを、彼らはまだ知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

『愛情には1つの法則しかない。それは愛する人を幸福にする事だ』 ――スタンダール

 

 

 




なお3章冒頭()

1度伊丹にクリボーの名前を呼ばせてみたかった結果こんな感じに。
自分でも書いててなんですがまさかここまで栗林がヒロイン化するとはなぁ……


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