GATE:Modern Warfare   作:ゼミル

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20式小銃正式配備おめでとうございます。
地元の駐屯地に配備されるのが何年後になるかは分かりませんが間近で見れる日が楽しみです。
来年の総火演には登場しますかねぇ…?


前話の展開で感想欄が喧々諤々になりましたが今回も割と超展開(ヒント:追加タグ)
あと大分MWシリーズオマージュ入ってます。

追記:2個目の推薦を頂きました。ありがとうございます。


18:The Sins of the Father/父と子

 

 

 

 ――その男が犯した中で最も重い罪を挙げるとしたら。

 

   それは家族という繋がりすら切り捨てた事だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<18時間前>

 ゾルザル・エル・カエサル

 帝都・皇宮/ゾルザルの居室

 

 

 

 

 

 帝都の空に暗雲が忍び寄りつつあった。

 

 ゆっくりと山の向こうから流れてくるその雲は、帝都上空に到達すれば天の怒りが具現化したかの如き激しい雨と稲光をもたらすであろう事が容易に想像出来るほどに大きく、分厚く、そして不気味に色濃かった。

 

 まるで今の俺のようだとゾルザルは瞑目した。

 

 

「……今頃はアルヌスに送り込んだ連中も動き出している頃か。テューレ。お前が手配したハリョとやら、本当にあてになるのだろうな?」

 

 

 ゾルザルの問いかけに、3歩後ろで控えていたテューレがスラスラと答えた。

 

 

「ええ、ご安心下さい、殿下。ハリョはあらゆるヒトの社会に隠れ暗躍する事で生き長らえてきた者達。市井に紛れ込む事など彼らには容易い事です」

 

「用意したダーとやらか? それもお前の文句通りならよいが、もし俺の期待に応えられなかった時は――わざわざ説明せずとも分かっているな」

 

「心得ておりますわ殿下。元よりは私は殿下の奴隷の身。如何様にもどうぞ」

 

 

 主に忠誠を述べるヴォーリアバニーだが、ゾルザルが背を向けているが故に彼の目に入らないその口元はわずかに嘲笑に歪み、その瞳は妖しくも壮絶な冷たい光を宿していた。

 

 これより帝都、いや帝国には嵐が吹き荒れる。それには忌々しい自衛隊によって占拠されたアルヌスも含まれる。

 

 だがこの嵐が引き起こすのは破壊ではない。

 

 ()()()()()

 

 嵐が通り過ぎた時、帝国からは見苦しくも保身ゆえに敵におもねる悪しき老害は一掃され、精力と克己心溢れる選び抜かれた若きエリート達の下、どれほど強大な外敵であろうと()()()()()()でもって帝国は立ち向かい、そして勝利し、更なる繁栄を約束される。

 

 それをもたらす存在こそこの帝国皇太子であるゾルザル・エル・カエサルに他ならない。彼自身、そう信じ切っていた。

 

 皇太子という立場すら、嵐が消え去る頃には新たなものへと変貌しているだろう。

 

 

 

 

 

 居室の扉が叩かれる。

 

 ゾルザルが「入れ」と許可を出すと、軍装を纏った青年の小集団が礼を失しない程度に早足で背を向けたままのゾルザルへと歩み寄った。

 

 

「殿下、万事滞りなく兵の配置が完了しました」

 

 

 振り返れば若き将校らが片膝を突き頭を垂れていた。

 

 ミュドラ勲爵士、カラスタ侯爵公子、そしてこの場には居ないヘルム子爵には共通点が在る。

 

 今やゾルザルの腹心と呼ぶべき彼らには共通点がある。3名は『銀座事件』において日本の捕虜となり、後日講和交渉が始まった際向こうから手土産代わりに返還されるまで虜囚の身であったのだ。

 

 誇り高い帝国貴族である彼らにとって解放されるまでの約1年間は―言葉も常識も通じず、捕虜の待遇ですら厳格に定められている事すら知らなかったせいもあって―何時処刑されるかも分らぬまま不安に耐え忍ぶしかない恐怖と屈辱の記憶に他ならず……

 

 敵の虜囚に堕ちたとして蔑まれてもおかしくない立場だった彼らは、同じく二ホン軍から辱めを受けたというゾルザルから労わりの言葉をかけてもらえたのをきっかけに、屈辱を与えた二ホンへの復讐という共通の目的の下、ゾルザルの手足となって主に必要な戦力の抽出と人員の配置に携わってきた。

 

 この居室を作戦本部として彼らは密かに会議を重ねた。先日ゾルザル直々に引き抜いたお気に入りの料理人や腹違いの妹であるピニャどころか、直系の弟たる第二皇子のディアボですら近付けさせない、今やこの空間は彼らだけの聖域だった。

 

 生家が有力貴族や大商人である彼らが生まれ持った地位に加え、実家ならびに軍への在籍中に構築したコネクション、加えて何より帝国の最高権力に匹敵する皇太子たるゾルザルの後ろ盾を駆使すれば、必要な戦力と必要な装備を秘かに確保し、配置し、複数の偽装ルートを用いて集結させる事も手間はかかったが決して不可能ではなかった。

 

 ――特にゾルザルの父であり帝国皇帝であるモルトが酒杯に仕込まれた毒に倒れ、講和派の貴族と元老会議員が未だ動揺から抜け出せず己の身可愛さに現状維持で精一杯な状況下ともなれば尚更だ。

 

 皇帝が臥せた直後に強権を振るって皇太子府の設立を宣言し、無理矢理掌握に動くという一見帝国の実権を握る最短の道を選ばなかったも講和派と日本の油断を誘う為。

 

 今更単純な権力など求めてはいなかった。玉座の間で半死半生を彷徨う程の暴行を受けたあの日から、ゾルザルの暴君としての性質は別の方向性へと変貌を遂げていた。

 

 色と権威に溺れる以前の己を知る元老院議員の中には一見大人しくしている事に訝しむ者もいただろうがもう遅い。

 

 ……誰が皇帝の杯に毒を仕込んだのか、なんて根本的な疑問すら。最早ゾルザルにはどうでもよかった。

 

 

「竜騎兵による伝令はこれまで以上に密とさせよ。兵と将の間で迅速かつ正確な情報伝達が交わされてこその軍略なのだからな」

 

「はっ!」

 

「最早俺達に後戻りは許されん。この度の戦で以って我が物顔でアルヌスに居座る二ホン軍を一撃で粉砕し、連中に誑かされた老害どもを取り除き、大陸の本来の覇者たる正しき帝国の姿を取り戻すのだ。俺達の手でな。頼りにしているぞ」

 

「有難きお言葉痛み入ります。我らが舐めた辛酸と屈辱はこの時の為にあったのです。この屈辱を糧に二ホン軍を打ち倒せるのであれば、我々はどのような汚名も邪道も厭いませぬ」

 

 

 帝国の兵力では戦列をまともに並べて正面からぶつかっても二ホン軍には勝てまい事など彼らは銀座で、アルヌスで、そして玉座の間で身を以って学んでいた。

 

 だったら()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()

 

 強大な敵は背後から、あるいは密かに懐へ忍び込んだ上で不意を突けばよい。その奇襲につぎ込んだ力が多大である程、敵が負う被害も甚大となる。そして混乱が抜けきらない間に本命の一撃を叩き込み、完膚なきまでに抵抗の意志を奪い尽くす。

 

 かのような戦略が呆れる程有効な手段である事は他でもない、ゾルザルの居室の壁一面に貼り付けられた報告書の記述、すなわち妹ピニャが集めてきた日本が存在する『門』の向こう側の世界の歴史こそが証明していた。

 

 

 

 

 歴史は勝者によって記される。

 

 

 

 

 勝者になってしまえば、そこまでの過程がどれだけ酸鼻を極める内容だとしても正当化される。その権利が与えられてしまう。

 

 片方の賽はとっくに投げ終えた。これからアルヌスで起きる事はそれを計画し、実行に移したゾルザル達ですら最早止められない。

 

 もう1つの賽はこれから投じられる。他でもないゾルザルの手によって。

 

 

「我が兵に伝えよ。次代皇帝ゾルザル・エル・カエサルの名の下に敵国である二ホンと内通した全ての元老院議員と貴族の捕縛を命ずる。抵抗するのであれば生かして捕らえる必要はないとも、な」

 

「「「――はっ!」」」

 

 

 力強い唱和の声が響き、ヘルムら同志達は足早にゾルザルの居室から姿を消した。

 

 ヘルム達が去ってもしばらくの間、テューレを控えさせたままゾルザルはその場に立ち尽くしていた。

 

 講和派の元老院議員と貴族を全て排除する。日本と結託しようとした老害どもを取り除く。

 

 改革には血と痛みが伴うが、覚悟さえあれば耐えられる。耐え切った暁には帝国は真なる大陸の支配者としてより強くなれる。

 

 それが出来るのは老いさらばえた年寄りどもではない。若く力と情熱を持ち、過去の屈辱を糧に成長を遂げ、理に適うのであれば敵国の戦訓や手法を取り込む事すら厭わぬ自分達以外に他なるまい。

 

 これは決定事項だ。誰であってもゾルザルが新たに築き上げる帝国の害となる人物にはこの世から消えてもらう。

 

 

 

 

 そう、()()()()()()

 

 ……それがたとえ()()()()()()()()()()()であっても、例外ではない。

 

 

 

 ゾルザルは、貼り付けた羊皮紙で埋め尽くされた壁板に突き立てた短剣を引き抜いた。刃に貫かれて板炎龍討伐を喧伝するチラシがひらひらと床に落ちる。

 

 

「……お前はここで控えておけ。――が来たら俺の所に来るように伝えろ」

 

 

 テューレにそう告げて部屋を出て行く。

 

 ゾルザルの荒々しい足音が聞こえなくなる程に離れた頃、必死に押し殺すような、だが聞いた者が居れば背筋に悪寒を覚えさせるテューレのドス黒い笑い声が主の去った居室に響いた。

 

 

ふふっ、あははっ、うふふふふふははははははははは!

 そうよ。思う存分血を流し合いなさい。貴様が奪った我が同胞の分まで、帝国も、私を見捨てたジエイタイも! 血を流してしまえばいいのよ! あははははははははははは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<17時間前>

 ピニャ・コ・ラーダ

 

 

 

 

 

 ピニャにとってその事態はまさに寝耳に水に他ならなかった。

 

 身を以って『門』の向こうの技術格差を魂に刻み込んだ彼女は当時宮廷内を歩いていた。

 

 皇帝モルトが倒れてからこの数週間、交渉開始寸前までこぎつけた二ホンとの講和交渉がこのゴタゴタでお流れになってしまってはならないと、日本側の講和交渉団が現在滞在中の翡翠宮へ何度も足を運びつつ、主だった元老会議員と有力貴族に説得を重ねる日々を過ごしていた。

 

 彼女を講和成立の実現へ突き動かしている原動力は恐怖であった。

 

 現時点でも自衛隊と帝国の技術格差と戦闘力は比べ物にならないというのに、これ以上日本を本気にさせて化学兵器だの核だのといった超兵器までも帝国に向けられる事になったら……そんな中途半端に異世界の技術と戦争を知ってしまったが故の怖れ。

 

 別にピニャは日本に帝国を売り渡そうなどという目論見など考えていない。元老院議員らも何度もピニャと言葉を重ねる内にその点については理解してくれた様子。

 

 相手はピニャが生まれてもいない当時から喧々諤々の政争を経験してきた老獪ばかりだが、玉座不在という不安定な内情にもかかわらず説得の感触は上々。やはりピニャが広めた地球側の戦争についての資料と炎龍の首という分かりやすい物証は効果覿面だったようだ。

 

 未だ皇帝モルトが目を覚まさないので本格的な講和交渉の再開時期は定かではないが、帝国内の権力層は着実に講和派が占めつつある。帝都が核の炎に呑まれて消滅する悪夢を見る回数も心なしか減った。

 

 ただ最大の不安材料である兄ゾルザルが父上が倒れて以降妙に大人しいのが気にかかったが、講和に向けての説得に駆けずり回っていたピニャからは少なからず目を他所へ向ける余裕が失われていた。

 

 その為、ゾルザルがとうとう表立って活動を本格化させた時、ピニャは完全に不意を突かれる格好になったのである。

 

 

 

 

 

 秘書のハミルトンを伴い、この日会合予定だった元老院議員を待たせている宮廷の一室へ足を運んだピニャが目撃したのは、相手の地位など一顧だにせず乱暴に議員を兵士が引っ立てていくまさにその瞬間であった。

 

 

「貴様達! 卿に一体何をしているのだ!」

 

 

 皇女直々の詰問に、顔を極度の緊張で強張らせながらも、兵の指揮官は堂々と応じた。

 

 

「ピニャ殿下、我々は二ホンとの内通が疑われる元老院議員の捕縛を命じられております。抵抗あるいは邪魔する者は何者であろうともその場で切り捨てても構わない、とも下知を与えられております」

 

「な……そのような命を誰が出したというのだ!?」

 

「ゾルザル殿下の御勅命です」

 

 

 愕然と凍りつくピニャ。その間に屈強な兵士達は抵抗する講和派議員の細腕をあっさり抑え込んで引きずり去ってしまった。

 

 

「ピニャ様」

 

「っ、兄上の下へ向かうぞ!」

 

 

 ハミルトンに声をかけられ、我に返ったピニャは急反転し早足に元来た道を戻る。目指すはゾルザルの居城。

 

 今や皇宮中を剣呑な騒々しさが覆っていた。先程ピニャの目前で繰り広げられた連行劇があちこちで再現されている。

 

 兵は宮殿内の人間を手当たり次第に拘束しているわけではなく、兵達に連れていかれているのはやはり講和派議員を筆頭に、ピニャが講和交渉への助力を求めた元老院議員や貴族ばかりだった。

 

 一方で、ピニャの説得に応じなかった主戦派の元老院議員は放置されているが、次々と講和派議員が乱暴に拘束されていく様を遠巻きに見つめる彼らの眼差しは不安と動揺に揺れていた。

 

 もしやゾルザルは彼らにすら手回しする事無くこの騒動を起こしたというのか?

 

 

「おおピニャ様! どうかこの者達をお止め下さらぬか!」

 

「少しの間耐えてくれ! 妾はゾルザル兄上を説得しに行く!」

 

 

 中には通りがかったピニャを目ざとく見つけ、助けを求める議員もいた。

 

 縋る声を置き去りにしてピニャは進み続けた。その度に噛み締めた唇と握り込んだ拳の爪が皮膚へ食い込む力が強さを増す。

 

 

「ピニャ様、捕まっているのは皆ピニャ様が講和交渉の為に――」

 

「皆まで言われずとも分かっている! これはゾルザル兄様による講和派の弾圧だ!」

 

 

 そこまで吐き捨てた時、皇帝長年の腹心でありモルトが倒れてからも帝国の執政を取り纏めていた内務相のマルクス伯爵までもが連行されていく光景が廊下の先に見えた。

 

 老獪な伯爵は明らかにぐったりとしていて、禿頭や口元から赤い液体をべったりと滴らせながら文字通りの意味でズルズルと兵士に引き摺られていく。

 

 

「マルクス伯までだと……講和派のみならずこれを機に父上に任命された現役の閣僚すらも排除するつもりなのか!?」

 

 

 現役閣僚まで排除の対象となれば完全に程度を超えている。最早弾圧の範疇に収まらない。

 

 

 

 

 

 

 ――これはゾルザルによるクーデターだ。

 

 

 

 

 

 

 やがてゾルザルの居室前へと辿り着いたピニャとハミルトンを出迎えたのは兄が保有する奴隷であった。

 

 

「そこをどけ。兄上に会わせるのだ!」

 

「ゾルザル様はただいま御部屋には居られません」

 

「ならば何処に居るというのだ!」

 

 

 最近兄が何処へ行くにも連れ回していた白のヴォーリアバニーは慇懃な態度でゾルザルの現在の居場所を告げた。

 

 競歩もかくやな速度で再び移動し始めたピニャは見落としたが、ハミルトンは離れていく自分達へ首を垂れるヴォーリアバニーの奴隷が口元に嘲笑を浮かべていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 大陸を支配する帝国とその実権を握る皇族の象徴である宮廷の広大さが今ばかりはとても恨めしかった。教えられた場所へ着く頃には、ピニャもハミルトンも額や騎士服を汗でじっとりと湿らせていた。

 

 その宮殿の一画へ足を踏み入れると、自然とピニャとハミルトンの足運びが慎重さを帯びる。

 

 毒か病気か、意識を取り戻さない皇帝モルトはこの区画で療養を受けているのだ。本来手出し無用の神聖な場所であるこの一画もまた、明らかに病人の護衛ならざる剣呑な気配を帯びた完全武装の兵士によって取り囲まれている。

 

 

「ハミルトンはここで待て」

 

 

 ピニャは一旦そう云い捨て、辺りの兵士から感じる視線と不快感を覚える程に張りつめた空気に胸騒ぎを覚え、万が一に備えるべきかと思い直す。

 

 

「いや、今のは取り消そう。何処からでも構わぬから馬を用意してすぐにここから去れるよう、目立たないように近くで備えておいてくれぬか」

 

「はっ。ピニャ様、お気を付け下さいませ。何だか嫌な気配がいたします」

 

「分かっている。お前もあまり目立たぬようにしろよ」

 

 

 秘書の少女騎士が宮殿上空を覆う黒雲の空の下へ去っていくのを見送る事無く、ピニャは静養所へと入っていった。

 

 迷う事無くゾルザルも居るであろう皇帝の病室へと踏み込む。

 

 

「ここに居られるか兄上!」

 

 

 騒々しい音を立てるギリギリの勢いでもって扉を押し開ける。

 

 もし日本側の人間が見たら「これが本当に病室?」などと呆れそうな程度には広い面積と豪奢な装飾品だのカーテンだので飾り付けられた室内は、本来まだ日の高い時間帯にもかかわらず窓から差し込む筈の日光は分厚い黒雲に遮られ、灯りの一つも燈されていないのもあって薄暗い。

 

 そんな病室に存在する人影は2つ。意識が覚醒しないままベッドに横たわる皇帝モルトと、父親の傍らでピニャに背を向けて座る皇太子ゾルザルだ。

 

 

「兄上、どういうおつもりなのか話して頂きたい。どうして講和派議員のみならず、現閣僚であるマルクス伯まで拘束しておられるのですか! 兄上は何をなさるおつもりなのだ!?」

 

 

 怒鳴るとまではいかなくとも激しい声色で発せられたピニャの詰問はゾルザルの耳にも間違いなく届く程度の音量だった筈だ。それ以前に扉を強く開け放った時点の音で察知していてもおかしくない。

 

 予想に反して、ゾルザルの反応は緩慢なものだった。今初めて気付いたと云わんばかりにゆっくりと振り返る。

 

 

「ああ、ピニャか。お前も来たのだな」

 

「兄上……?」

 

 

 一瞬、ピニャは目の前のゾルザルが全くの別人に思えた。

 

 目から光は消え、表情から生気は感じられず。生まれ持った逞しい体格と傲岸不遜な性根に相応しい、普段からゾルザルが振りまいていた暴君そのものの態度が今の彼からは完全に消え去ってしまっていた。

 

 あまりの不気味さに、大まかな表情しか判別できない位にしか室内が暗いのも相まって、まるでハーディの下へ召される事無く未練を抱えて彷徨う亡霊のようにすら見えてしまったぐらいだ。

 

 異母兄妹であるピニャも初めて見るかもしれないゾルザルの異様な雰囲気に、彼女は心配よりも先に警戒心を抱いてしまった。

 

 自分がここへ辿り着くまでの間に何があったというのだ?

 

 

「なあピニャよ。父上にとって俺達はどういう存在だったのだろうな?」

 

「え、えっ?」

 

 

 唐突に投げかけられたゾルザルからの問いかけにピニャは戸惑った。

 

 妹が考えを口に出すのを待たずに皇太子()()()男は力無い声で続ける。

 

 

「ああそうとも、昔から父上はそうだった。父上は如何なる時、如何なる場所、如何なる者を前にしていても帝国の国主たる皇帝として振舞っておられた。それが俺のような()()()()()()()()であってもだ」

 

「それは仕方の無い事ではないか兄上。今兄上自身が仰ったように父上はこの広大な大陸を統治する帝国の国主なのです。

 高貴な身分の者には身分相応の振る舞いが求められるというもの。宮廷内も一枚板ではないのです。皇帝である父上の振る舞いに些細な瑕疵(かし)ひとつあっただけでよからぬ事を目論む者も居るかもしれないのですよ」

 

「ニホンと密通していたお前達のようにか?」

 

「違います! そのような者達の目が何処にあるかも分からない以上、父上も下手に周囲へ弱みを見せるような振る舞いをするわけにはいかなかったという事を妾は言いたかったのです!」

 

 

 ゾルザルの皮肉に自分がこの場へ足を運んだ理由を思い出したピニャは目つきを鋭いものに変え、改めてゾルザルを睨みつけた。

 

 

「このような身内話に花を咲かせに来たのではありませぬ! 兄上は――」

 

「それでも、だ」

 

 

 別にゾルザルが激しい口調で怒鳴ったわけでもない。むしろ普段の尊大で無駄にやかましい喋り方と比べればとても静かな声だった。

 

 にもかかわらず、得体の知れない迫力と不気味さを感じ取ってしまったピニャは、二の句を継げなくなってしまった。

 

 

「あの地揺れの日、玉座の間で二ホンの兵隊に殺されかけていた俺に、少しでも家族への情というものを父上が覗かせていてくれたならば……俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ゾルザルが立ち上がる。同時に黒雲から一筋の稲光が宮殿の敷地へと叩きつけられ、轟音と共にカーテンすら突き抜ける程の眩い閃光が寝室を照らした。

 

 そしてピニャは目撃したのだ。

 

 

 

 

 

 

 ――寝台の皇帝(父上)へ突き立てられた短剣と血染めのゾルザル(兄上)を。

 

 

 

 

 

 

 

「あに、うえ?」

 

「父上は強くなどなかった。俺達を己の血族だとも思っていなかった。権力にしがみつき、我が子に後を継がせるだけの覚悟も、我が子を庇う気概すらも失った老いぼれになり果てたのだ」

 

 

 自分は何を見てしまったのだ?

 

 今自分が見たものは現実なのか?

 

 

「お前がした事を知っているぞピニャ。奴らに何を話したのかもな」

 

 

 目の前にいるのは本当に兄なのか?

 

 あそこにある死体は本当に父上なのか?

 

 ――兄が、本当に、父上を殺したのか?

 

 

「家族よ、妹よ、俺を裏切った女よ」

 

 

 ゆっくりとゾルザルが近付いてくる。一歩一歩距離が詰まるごとに、ピニャは足元が崩れ落ちて暗黒の断崖へと己が呑まれそうになっているような錯覚に襲われた。

 

 伊丹と日本、『門』の世界に触れて以降、己を削り血反吐を吐きながら奔走し積み上げてきた成果と希望が粉砕されるどころか、家族(父親)という幸運にも最初から持ち合わせていた宝ですら、同じ家族である筈の兄に奪われて。

 

 

「今日、こことアルヌスで起きる事によって帝国は新たに生まれ変わる。誰にも止められはしない」

 

 

 動けない。無に帰したショック以上に、

 

 また一歩ゾルザルが近付く。服と両手を染める父親から流れ出た血、鉄錆と死臭が嗅ぎ取れる程の距離。

 

 

「お前にも、二ホンにも、そして――」

 

 

 ピニャはゾルザルの眼を仰ぎ見た。

 

 闇があった。虚無があった。死があった。

 

 苦しそうで、悲しそうで、だけどそれ以上にあらゆるものを焼き尽くさずにはいられない狂気があった。

 

 

 

 

 

 

「――あの男(伊丹)にもだ」

 

 

 

 

 

 

 これ以上ピニャには耐えられなかった。

 

 悲鳴を上げて逃げ出した。より正確に言えば理性がようやく現実を認識し、生存本能が主導権を握ったのである。

 

 もうこの場には居たくない。兄上の前に立ちたくない。自分も父上と同じように殺される!

 

 帝国第三皇女という高貴な立場なぞかなぐり捨てたなりふり構わぬフォームで必死に寝室から逃げ出すピニャの視界に、彼女のただならぬ異変を感じ取ったハミルトンが自分とピニャの分の馬を引き連れて進行方向上へと姿を晒した。

 

 

「ピニャ様こちらです!」

 

「は、ハミルトン、今すぐここから逃げるのだ! ここに居ては我々もあ、兄上に殺されてしまうぞ!」

 

「そっそれでは翡翠宮へ向かいましょう! あそこならば薔薇騎士団も二ホンの交渉団を護る部隊もおられますから!」

 

 

 感情の激流で今にも心が張り裂けてしまいそうな顔のピニャとハミルトンを乗せた馬は翡翠宮の方向へと走り去っていく。

 

 それをゾルザルは、控えていた兵士に追跡を命じる事もせずただ見送るだけだった。

 

 

 

 

 

 

「ああそうだろう。お前が逃げる先など決まりきっている……そこがお前の墓標となるのだ」

 

 

 

 

 

 

 やがて帝都に雨が降り始めた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『罪から出た所業は、ただ罪によってのみ強力になる』 ――『マクベス』

 

 




はい、皇帝陛下ボッシュートでーす。
原作でも最後までお邪魔キャラだったしむしろいない方が話がスムーズだからね仕方ないね!



執筆の原動力となりますので感想お待ちしております。

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