GATE:Modern Warfare   作:ゼミル

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今回ほぼオリキャラメインです。

兵士以外にも戦う者はいる、というお話。


18.9:Line of Duty/英雄の残像

 

 

 

 

 ――ある警官の話をしよう。

 

 何処にでもいる平凡なお巡りさん()()()男の話だ。

 

 

 

 

 彼は人よりも少しだけ刺激を求めていて、人より少しだけ正義感が強くて、名前が一文字違いの親戚が海外で戦死した傭兵である以外はどこまでも人並みな、ただの青年に過ぎなかった。

 

 ただ流されるままに学力相応の適当な大学に進学するのも、地元の企業に就職するのもつまらないと考えて、警察学校の門戸を叩いたのが高校卒業直後の話。

 

 過去に勃発した国対国の戦争の歴史においては若干の充電期間を含めほんの数ヶ月という短い期間でありながら、過去のどんな戦争よりも甚大な被害かつあまりに苛烈な内容となったWW3が勃発し、そして唐突に終息した年の事だ。

 

 海の向こうで交わされる大国間の戦火を傍目に規則づくめの警察学校で教官にしごきにしごかれ、同期の仲間とヒィヒィ言いながら団体生活を過ごせばあっという間に卒業試験。可もなく不可もなく、どうにかこうにか合格を貰えば晴れてお巡りさんの仲間入り。

 

 交番に配属されてからもしばらくの間は教官から先輩の警官に替わっただけの指導を受ける毎日。やれ日誌だの始末書の書き方だの、受け持ち区域のパトロールルートを回りながら何処にどんな路地があって何処に繋がっているか、どんなトラブルが発生しやすくてどう対処すべきかを仕込まれ続ける日々。

 

 それはまだ尻や頭に卵の殻を引っ付けた生まれたての新人警官の誰もが通る道でしかなく、そして彼も例に漏れず今は未熟であっても、多くの先達と同じ経験を積んで同じように何処にでもいる―つまり最低限の知識と経験と職業意識を身に着けた―平々凡々な日本の警察官として勤める日々を送っていただろう。

 

 そんな風に続く筈だった彼の新人警官としての日々は、ある日を境に急転を迎える。

 

 直接的にはその日銀座に集まった数十万の人々の人生を、間接的には日本国内に留まらず戦火の傷を未だ深く引きずる世界各国の常識と価値観を一変させた大事件。

 

 所謂『銀座事件』。異世界の『門』が開き、帝国軍を名乗る異形を引き連れた異世界の軍隊が都心のど真ん中に侵攻するという、最悪のファーストコンタクト。

 

 うだるような蒸し暑いあの夏の日、『門』が開いたその時、彼は銀座の交番に配属された新人警官としてそこに居た。

 

 そして彼は英雄に出会い、歴史に刻まれる伝説の英雄譚を目の当たりにする事になる。

 

 

 

 

 伊丹耀司。二重橋の英雄、後に第3次世界大戦を終わらせ、世界を救った伝説の兵士と呼ばれる男。

 

 

 

 

 良きにつけ、悪しきにつけ、時に英雄の生き様はそれを目にした者の運命を変える――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<15時間前>

 ある警官

 東京・銀座《占領(インディアン)地帯(テリトリー)

 

 

 

 

 

 見慣れた街並みが戦場と化すのに直面したのはこれで2度目だ。

 

 1回目は生々しい暴虐の権化じみた異形の怪物を率いる古代ローマと中世ヨーロッパのごった煮じみた異世界の兵隊だったが、今度の相手は見紛う事なき東の軍事大国製兵器で武装した現代地球の軍隊だった。

 

 鋼鉄の獣の唸り声がすぐ近くを通り過ぎていくのを耳ではなく全身で感じた。警官のすぐ背後、雑居ビルとビルの間の細い路地で息を殺していた人々の中から、引き攣った悲鳴と押し殺しきれない嗚咽が上がるのが聞こえた。

 

 

「静かにしてください! 見つかってしまいますから!」

 

 

 口でそう言いつつも、こういう反応も仕方ないよな、とも同時に思ってしまう。むしろ恐怖に耐え切れず錯乱して飛び出されてしまわれるのに比べればまだマシな方だ。

 

 銀座某所の交番に勤務する巡査長(『銀座事件』における避難民誘導と不明武装集団阻止の功績により特例で昇進)である()は端的に言って孤立状態に置かれている。

 

 仲間は居ない。ロシア軍としか思えない武装集団による銀座封鎖の前段階、『門』がある銀座駐屯地への襲撃で発生した市民の混乱と避難誘導の最中に同僚とははぐれてしまった。

 

 個人装備の携帯無線は雑音のみで司令部とは繋がらず、私物のスマホはスマホで回線が込み合ってやはり連絡が取れない。

 

 武器も足りない。第3次大戦と『銀座事件』で警察の重武装化が急速に進んではいたが、末端も末端の制服警官、それも交番勤務ともなれば蚊帳の外も同然だ。

 

 よって彼の手元にある武器といえば小型リボルバーのサクラM360Jと伸縮式の警棒程度である。

 

 .38スペシャル弾を使用するM360Jの装弾数はたったの5発ぽっちで、おまけに予備の弾薬は支給されていない。

 

 対して()武装集団は見る限り小型リボルバーより威力・装弾数・射程・射撃精度と何から何まで圧倒的に性能が上なアサルトライフルを1人につき最低でも1丁所持しているどころか、それよりももっと大型の重機関銃や大砲を載せた戦車を乗り回しているときている。

 

 そう、本物の戦車だ。それもロシア製の。

 

 74式や10式のような日本製なら『銀座事件』や特地への自衛隊派遣と『門』出現以降は何度か見かける機会があったが、まさかロシアの戦車までもが都心のど真ん中で走り回る事態になるなんて!

 

 おまけにこれまた自衛隊の所属ではない大型の武装したヘリが複数機、通常からかけ離れた低高度を轟音と共に『門』がある方向へ通過する様も一瞬だが目撃していた。

 

 ……いや、そもそもたとえ自衛隊のものだろうと銀座に戦車がいる時点でおかしいのだが、それが日常の一部となりつつあるのがこの世界の日本なわけで。

 

 閑話休題。

 

 話を戻して敵の防御面に視点を移すと、アサルトライフルと同じく敵兵士の多くは迷彩服の上に装備がゴテゴテ付いた防弾ベストを着ている。

 

 彼も支給品の防刃ベストを着てはいるが、明らかに防御力は敵兵士の方が上だ。そもそも彼含む日本の制服警官に支給されるのは()()ベスト――()物は防げても銃()には通用しない。

 

 仲間も居ない。武器も無い。敵兵士に勝る点など土地勘ぐらいしか思い浮かばない。

 

 

 

 

 ()()()()

 

 

 

 

 鋼鉄の獣の唸り声は大分遠ざかった。通りへと顔を突き出して素早く左右に振り向けてから、彼はM360Jを握り締め震える市民達に告げた。

 

 

「今のうちです。あいつらがまた戻って来る前に移動しますよ」

 

 

 自分は警察官だ。市民を守るのが警察官の役目なのだから。

 

 重火器だの戦車だのまで揃えた重武装の敵集団が保有する武力は圧倒的だが、逃げ遅れた市民を探しては誘導している間に彼は敵集団が重装備の代償に小回りが利かないという弱点を孕んでいる事に気付いた。

 

 大型の火器を積んだ装甲車が主体の敵部隊は図体の大きさに伴い、トラッククラスの大型車が通れる道路を中心に見張りやパトロールを置いているようだ。時折随伴している兵士が1人か2人、車列を離れて自販機やら店内に放置された品物を物色したり、戦果品を仲間に見せびらかしたりしている。

 

 時折、死体も見かけた。見かけた死体全てが一般市民のものだった。

 

 彼に誘導される避難民の多くは死体を目の当たりにして嘔吐した。『銀座事件』でも一生分の死体を見ていなければ彼も耐えられなかっただろう。

 

 銀座という街は歪な網の目状に新旧様々なビルが隣接している土地である。そんな建物との間には装甲車どころか自転車が精一杯な細さの路地裏が数多く存在していた。

 

 彼は銀座のお巡りさんとして地図アプリにも載っていないような路地裏を先任に指導されながら頭に叩きこんでいたのだが、まさかこのような形で役立つ事になるとは。

 

 そうして表通りばかりに目を光らせている武装集団を路地裏を通り、時には建物内を突っ切って掻い潜っていると、銀座と隣接する地区との境界線である首都高とJRが隣接する高架が見えてきた。

 

 ……銀座を取り囲むように走る首都高、その内高架下を幅広の道路が交差している部分は爆破され瓦礫が行く手を阻んでいる。

 

 わざわざ道路でなくとも向こう側へ渡る手段はいくらでもある。高架下の空間に軒を連ねている店の中を通って裏口なり裏窓を使うなりして出て行けばいいのだから。

 

 誂えたかのように道路の向こう側では個人経営の喫茶店の入り口がぽっかりと開け放たれていた。店主と客は既に逃げ出したのか、中でガタガタ震えながら人災の嵐が通り過ぎるを待っているのか。

 

 

「向こうに店の入り口が開いているのが見えますよね。合図をしたら店の中に駆け込んで、裏口でも裏窓でも見つけてそこから外に出てください」

 

 

 時折武装集団ががなりたてていた放送を信じるならば敵が支配下に置いているのは銀座地区に限られる。別地区である高架の向こう側に出てしまえすれば後は安全な筈……と信じたい。

 

 ここまで何度もしてきたように通りの左右を警戒し、目に付く限り兵隊も戦車も居ないのを確かめると、手を振って避難民に『行け』と合図を出した。

 

 彼自身は殿として残る。十数名の避難民が次々と高架下を目指して通りに飛び出していく。

 

 

 

 

 ――彼の失敗は、自分と同じ目線(高さ)ばかりを警戒していた事だ。

 

 彼は()()()であって()()ではない。『銀座事件』という修羅場の真っ只中を生き延びた人物でもあっても、積み重ねてきた知識と経験は似て非なるものにすぎなかった。

 

 警察官と軍人は装備が違う。戦術も違う。より先進的なのは後者だ。主要道路を闊歩する車両部隊と歩兵が強く印象付いてしまっていたのも大きいだろう。

 

 何よりたかがいち制服警官の若造でしかない彼には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を相手にするなど初めてだったのだから。

 

 

『いたぞあそこだ!』

 

 

 突然ロシア語の叫び声が聞こえた。

 

 同時に鋼鉄の唸り声が行く手の障害物を容易く押しのけ踏み潰す音と共に近付いてくる。

 

 数本先の通りからブレーキ音を鳴り響かせながらBTR-80が飛び出した。

 

 停車するやその側面ハッチから同乗していた兵士が数名、車内から現れたかと思うと、突然出現した装甲車に驚いて道の真ん中で足を止めてしまった避難民へとアサルトライフルを乱射した。

 

 彼の目の前で次々と撃たれた避難民が倒れた。あの日『銀座事件』で帝国軍に殺された犠牲者のように。

 

 撃ち殺された避難民の服と彼の視界が赤く染まった。

 

 

「チクショウ、お前らぁっ!」

 

 

 躊躇う事無くリボルバーの銃口を兵士達へ向けた。

 

 人へ銃を向ける事、人に対して引き金を引くへの嫌悪感は『銀座事件』で顔が見える程の距離まで迫る異世界の兵士へ発砲するのを何十回と繰り返す間に失ってしまった。

 

 彼の手の中で、火薬量の多いライフル弾と比べると明らかに迫力で劣る軽く乾いた反撃の銃声が弾けたが、数十倍になって帰ってきた銃撃の轟音によってあっさりと掻き消された。

 

 周囲を銃弾が切り裂き、隠れている建物の壁面や路上の看板が次々と削り取られる恐怖に耐えて反撃を行えたのもやはり『銀座事件』で濃密な命のやり取りを経験していたお陰かもしれない。

 

 小型リボルバーをしっかりと両手で握って構えて、更に撃つ。すると奇跡的に敵兵の1人に命中した。右胸の辺りを見えない手で突き飛ばされる様にして尻餅を突くのが見えた。

 

 ――そして敵兵は彼には理解出来ないロシア語の罵倒を吐き散らしながらすぐに起き上がった。

 

 案の定.38スペシャル弾では防弾装備を貫けなかったのだ。やっぱりこんなちっぽけな拳銃じゃ無理だ!

 

 そうこうしている内にM360Jは空撃ちしか発しなくなった。弾切れだ。彼は泣きたくなった。

 

 更に泣きたくなる事に、歩兵を下ろして以降は沈黙していた装甲車の砲塔が動き始めた。銃身の太さも長さもアサルトライフルの倍以上はありそうな機関砲が突きつけられるに至り、彼はとうとうその場から逃げ出した。

 

 直後、機関砲が吠えた。発射された砲弾は壁面どころか建物の一角ごとブチ貫きながら彼の背後を通過していった。流れ弾が燃料タンクに命中した放置車両が爆発し、這う這うの体で走る彼の背中を熱風が炙った。

 

 せめて先に高架下に逃げ込めた市民はそのまま安全な場所に避難できますように。そう祈りながら、手近な建物の中に飛び込み、奥の裏口から更に別の建物の中へと逃げ込む。役立たずの拳銃などとうに投げ捨てた。

 

 装甲車の音が聞こえなくなると、ようやく彼は足を止めた。壁にもたれ掛かって何度も深呼吸を繰り返す。両足が生まれたての四足歩行動物みたいにガクガクと震えて心臓の鼓動が喧しい。

 

 

「……チクショウ」

 

 

 戦闘の緊張感が生み出す意識の昂りから醒めるにつれ、助かるかもしれなかった避難民を目の前でみすみす殺された事への無力感が彼を苛んでいた。

 

 弱弱しい悪態が自然と漏れた。次いでこうも考えてしまう。

 

 

 

 

 

 ――あの英雄なら。

 

 万の軍勢を前に、()()()()()()()()、ありとあらゆる手管を駆使し、どこまでも英雄的に戦い通した伊丹耀司なら……あそこで殺されてしまった避難民も助けられたのだろうか? 

 

 たかがいち警官でしかない自分はやっぱり無力なのか?

 

 

 

 

 

 仄暗い澱みに犯されようとしていた思考は、不意に近くから聞こえた物音によって現実へと引き戻された。

 

 顔を上げた彼は自分が今居るのが宝石店である事に遅ればせながら気付く。銀座には宝石店や高級ブランドを扱う店舗が数多く存在している高級ショッピング街としても有名だ。

 

 宝石をふんだんに使ったきらびやかなアクセサリーを収めたショーケースが配置された店内、表通りに面した本来の入り口からは奥まって見えない空間で、複数の人影が外から見られまいと身を寄せ合って縮こまっていた。

 

 多くが統一した制服を着た従業員だ。先客、というよりは最初からいた住人と呼ぶべきか。1人だけ客だろう、こういっては何だが激しい隆起を描く胸元が特徴的な大学生ぐらいの私服女性もいた。

 

 彼・彼女らもまた逃げそびれた市民である事は明らかだ。

 

 その時今度は荒々しく裏口のドアが開け放たれる音が店内に響き渡った。次いで荒々しい口調で喚かれるロシア語に、彼は顔色を蒼褪めさせざるをえなかった。

 

 

『逃がさねぇぞ日本人(ヤポンスキ)の警官野郎! よくもちんけな豆鉄砲で俺を撃ちやがって!』

 

 

 ズカズカと隠すつもりもない足音。もう数秒もすればロシア人の兵士は彼の居る店内まで辿り着くだろう。

 

 もう1度彼は先に隠れていた避難民を見た。近付いてくる剣呑な足音を前に恐怖で震え身を縮こまらせている。

 

 ここに逃げ込むべきではなかったと後悔した。そのせいで息を潜めて隠れていた市民まで巻き込んでしまった。警官の自分がだ。

 

 あの兵士達は逃げ惑う市民を平然と虐殺した。

 

 警察官は市民を犯罪者から守るのが義務だ。

 

 そして守らなければいけない市民を目の前でむざむざと殺され、抵抗しようにもあまりに非力で逃げ出してしまった身であっても。

 

 

 

 

 ()()()()

 

 

 

 

 ……自分はまだ警察官なのだ。

 

 警察官である以上は、義務を果たさねばならないのだ。

 

 

 

 

 

 だから、彼は警棒を抜いた。

 

 ここには逃げ遅れた市民がいる。市民を害そうとする犯罪者(武装兵)がいる。逃げ場なんて無い。

 

 義務を果たせ。まだ動けるのならまだ戦える筈だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 出来る限り気配と足音を消して裏口から店内スペースに入る扉のすぐ横につく。

 

 直後、蝶番ごと外れてしまいかねない勢いでドアが蹴り開けられた。あまりにギリギリのタイミングだったので彼は呼吸すら忘れた。

 

 

『ここに隠れてるのか、ああ!? かくれんぼがしたいんだな黄色い鶏野郎!』

 

 

 壁一枚以下、ほんの十数センチで罵倒が聞こえる。怒りと殺気の篭もった叫び声に避難民が更に身を竦ませる。

 

 ロシアからの脱走兵は頭に血を上らせていたが故に視野が狭くなり、突入時の注意点も忘れていた。

 

 ドアのすぐ横に張り付いていた彼が視界に入り、兵士が銃口を向けるよりも、無防備に突き出されたアサルトライフルの銃身とそれを保持する兵士の手へ警棒を振り下ろされる方が速かった。

 

 手応え――あり。合金製の警棒が筋肉が薄い手首をライフルごと打ち据え、物騒な飛び道具が床に叩き落とされる。

 

 続いて目だし帽(バラクラバ)とヘルメットに覆われた頭部を打とうと警棒を振り上げるが相手もさる者、奇襲されライフルを落としたと理解するや、敵兵は彼にタックルを仕掛けた。密着したせいで敵兵の肩が邪魔になり、警棒を持つ右腕を押さえ込まれる格好になってしまう。

 

 身長差は数センチほど、だが敵兵の方が筋肉量は少なくとも一回り上回っていて、予備弾薬や防弾プレートが詰まった戦闘ベストを筆頭に計数十キロにも達する装備類分の質量差も加わり、筋力でも重量でも劣る彼はあっさりと押し負けてしまった。

 

 咄嗟に片足を強く床に押し付ける。すぐに押し付けた靴底ごと更に後ろに押し切られそうになるが、ほんの一瞬だけでも踏ん張りが効けば良い。

 

 敵兵の肩に押さえ込まれた右腕を敵兵の後頭部に当て重心を崩し、軸足を中心に思い切り身体を捻った。彼を上回る重量の兵士が空中で半回転した。

 

 警官の必須技能、犯人制圧に特化した逮捕術には柔術をベースとした投げも含まれる。

 

 だが押し切られながらの不安定な姿勢だったせいで投げた彼の体勢も崩れしまい、煌びやかなアクセサリーが並ぶ展示ケースに一緒になって突っ込んでしまう。

 

 騒々しい音と共にガラスが砕け、散った破片が剥き出しの顔や手に幾つもの切り傷を刻んだ。投げ飛ばされた兵士は腰から展示ケースの上に落ちて1回バウンドしてから、更に半回転して床の上に転がった。

 

 新たに負った傷から血が流れている事にも気付かず、彼はすぐに立ち上がると今度こそ警棒で叩きのめしてやろうと起き上がり――

 

 目の前で閃光が瞬き、奇跡的に頭に乗っかったままだった制帽が勝手に宙に舞って、乾いた破裂音が店内に轟いた。頭のすぐ上を熱い何かが掠めていくのも感じた。

 

 

『ぶっ殺してやる』

 

 

 ガラスの破片だらけの床から立ち上がりながら、大部分を隠した顔のパーツの中で唯一露わになった瞳を激情に染めた兵士が自動拳銃を突きつけていた。

 

 これも警官と兵士の差だった。制服警官にとってのメインアームである拳銃は兵士にとってのサイドアーム(護身用)に過ぎない。

 

 警官以上の重武装が基本の歩兵にとって主武器であるアサルトライフル等の重火器とは別に拳銃を持ち歩くのが最低限の標準装備なのである。

 

 警棒vs拳銃。一見勝敗は明らかに思える。

 

 だが手足は動く。武器はある。まだ生きている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 恐怖はある。それ以上に逃げ遅れた人々がこの場に居るという事実が、市民を守るという意志が彼を支えていた。

 

 

「うわああああっ!」

 

 

 雄叫びを上げて自分から立ち向かう。銃口を覗き込む格好になっても、今度こそ彼は逃げなかった。

 

 だが彼の一撃が敵兵に届く事はなかった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その前に突如別の銃口が敵兵の頭に押し付けられたのを目の当たりにして、思わず足を止めたからだ。

 

 

『動くな』

 

 

 硬質な声が短く言い放ったのもロシア語だったが、言葉のニュアンスと状況から自然と意味は彼にも理解出来た。

 

 おそらく反射的な動きだったのだろう、敵兵はギョッとした顔で声の出所へ振り返ると同時、彼に合わせていた銃口を動かした。

 

 新たな銃口の主が手首のスナップを利かせて放った拳銃のグリップによる痛打が的確に敵兵の顎を叩き、脳震盪で昏倒させる方が先だった。

 

 意識を失った持ち主の手から離れた拳銃が、床を滑ってどこかへと消えていく。

 

 

 

 

 

 

「危ない所だったな。大丈夫か?」

 

「あ、はい多分」

 

 

 予想外の展開に呆然としながら、慣れた手つきで気絶した敵兵を拘束する闖入者の姿に焦点を合わせる。

 

 一言で形容するなら、この銀座の街を現在進行形で占拠している武装集団と大差ない人物だ。

 

 つまり迷彩服姿で、おまけに明らかに警察の特殊部隊でも自衛隊の物でもない装備で完全武装していた。違いといえば顔は隠しておらず、その容貌は間違いなく日本人だった。

 

 年齢は大学生ぐらいだろうか? 高校を出てすぐに警察学校入りした自分よりも少し年上だろう。

 

 それにしてはやけに眼光も気配も鋭く、軽薄さの欠片を感じさせないしっかりとした芯を感じさせる立ち振る舞いだ。何より纏う空気があの日彼が見た銀座の英雄こと伊丹耀司(兵士モード)を彷彿とさせた。

 

 

「野本君!」

 

「トモさん! ああ無事で良かった。戻るのが遅くなってすまない」

 

 店内で唯一客風の私服だった若い女性が、その巨大な胸部装甲を派手に揺らしながら迷彩服の青年に抱き着いた。

 

 どうやら2人はかなり親しい関係の様子である。一応命の恩人らしき人物が可愛くてスタイル抜群の彼女持ちと知って、体中ボロボロなのも忘れてちょっと羨ましく思ったり思わなかったり。

 

 

「君は……」

 

 

 青年もまた彼の顔を改めて見つめた。その時の青年が浮かべていた表情はどこか虚を突かれたような、居ない筈の誰かを見てしまったかのような、そんな顔をしていて。

 

 

「自分は野本だ。名前を教えてもらえないか」

 

「僕は、違った本官は――」

 

 

 

 

 

 

 渡部良()と名乗ると、野本と名乗った青年は「やはりそうか」と納得したかのように短く呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『軍隊と警察の違いがわかるかい!? 軍隊は敵軍に降伏していいんだ。そのための国際条約まである。

 だがな、警察は違うぜ。警察は決して犯罪者に降伏しちゃいけないのさ!』 ――『ARMS』

 

 

 

 




今回登場のオリキャラの元ネタが知りたい人は電子版が絶賛公開中の迷彩君をチェックだ!(ダイマ
彼は作中の銀座事件で伊丹のジャガーノート化の手伝いとかしてた警官と同一人物という設定です。

ARMSは作者の青春時代直撃でした。

次回はアルヌス中心になる予定。


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