FGO6周年福袋はモルガン狙いの結果清盛2枚目で無事死亡しました(´・ω・`)
富田 章 特地派遣部隊・二等陸曹
ファルマート大陸・アルヌスの丘/自衛隊駐屯地中心部・『門』防護ドーム屋上
自分は今間抜けな面を晒しているだろうという自覚はあった。
実際双眼鏡を覗き込んだまま富田の顔はポカンと顎が中途半端に外れて固定されてしまったかのような状態だ。傍から見れば率直に言ってアホ面以外の何物でもない。
「
すぐ隣から聞こえた呟きに我に返る。双眼鏡から目を離した富田は、隣でオーソドックスな伏射体勢を取る初老の男性をまじまじと見つめてしまった。
マクミラン、と名乗った英国陸軍の制服に身を包む、富田が他に知る髭が特徴的なイギリス人の老兵よりも更に年上だろうこの男性。
元は海外からの特地視察団のメンバーで、銀座占拠時に敵の目を盗んで独り特地へと逃れてきた、そこまでは富田も把握していた。立ち振る舞いと独特の張りつめた気配から、後方のデスクワーク専門ではなく
だがまさか老いて尚凄腕のスナイパーである事までは予想していなかった。
鹵獲した武装集団の装甲車から狙撃用ライフルを見つけたかと思えば、気配をまるで抜き放ったナイフの如き鋭さに一変―以前の
呑み込まれてしまった富田は制止も忘れて英国紳士に指図されるがまま、ホイホイドームの屋根に上って観測手の役目を押し付けられて――今に至る。
ほんの照準が1目盛り、銃口が数ミリブレただけで数百メートル先では何十センチ、更に距離や環境が変化すればメートル単位での着弾のズレとなって反映される。
その誤差を最小限に抑え込んで
狙撃を実際に成すには専門的な知識と、知識から導き出した条件を数学的に置き換える計算能力と、計算結果を現実の結果とする為の才能と訓練。
何より不可欠なのが、一発勝負の本番に至るまでの疲労とプレッシャーを銃の僅かなブレに一切反映されぬよう抑え込む、強靭な精神力である。
レンジャー課程と空挺団課程を修めた富田は自他共に認める優秀な兵士だ。当然観測手としての技能も積んでいたし狙撃技能も習得済みである。
だからこそ、マクミランの技量がどれだけ凄まじいかも分かってしまった。
この英国紳士は最低限の試射で.338ラプアマグナム弾仕様のAXMC、初めて握ったライフルの弾道特性とスコープの照準規正を終えるや、駐屯地内を徘徊する
ダーはかなりの巨体だが、脚部も発達していて大型の熊に匹敵するサイズでありながらその動きは熊というよりは猫や狼系の獣のように敏捷だ。ひと跳びで障害物や建築物の上に飛び乗る姿も富田は遠目ながら目撃していた。
間近で相対すれば大の男でも大きく見上げねばならない程の体躯に比例して頭部も人間より一回り以上大きい。それでも瞬発力と凶暴性に偏った獣特有の不規則な動きを考えれば、何百メートルも先から命中させるのは至難の業だ。
着弾迄のタイムラグを前提としたダーの動きを先読みして銃弾を
狙撃とはそういうものだ。標的を捉えてから射撃を行うまでに狙撃手へ加わるプレッシャーもバカにならない。標的の数が多く、距離は遠く、激しく動き回り、おまけに自分や友軍や民間人の命がかかっているとなれば、狙撃手の神経は急速に摩耗し、精神の疲弊は命中精度にも影響を及ぼす。
その筈なのだ。
それなのに。
「.338ラプアでも最低頭に2発でようやくか。中々しぶとい」
口では言いながらもマクミランは淡々と、そして次々にダーのバイタルパートへ直撃させ続ける。
既にマガジンを2個空にし、使用済みの薬莢が弾き飛ばされる先の地面にはいくつもの空薬莢が転がっていた。
この男マクミランは、照準規正と弾道特性を把握する為の試射を除けば
おまけにその全てが、人獣問わず急所に該当する部位へ直撃していた。
ダーの生命力が高過ぎるせいで複数発命中させざるをえないのであって、仮に人体への着弾だったなら1発で即死か最低でも行動不能に陥らせる、そんな部位をマクミランは的確に撃ち抜き続けているのだ。
最早銃の性能が良いとか、距離の問題とか、標的のサイズが大きいおかげだとか、それで済む範疇を超えていた。
中には空中に跳び上がった瞬間のダーの太い脚部が地面へ触れるより先に頭部へ命中させる、なんて決定的瞬間も富田はばっちり目撃していた。それも複数回。
本来数百発の小散弾を篭めた弾薬で行うクレー射撃を、通常より小さく、遠くへ飛んでいく標的相手にたった1発しか飛ばない一粒弾だけを使って当て続けるような所業だ。
先程から富田は自分の目を疑いっぱなしである。そんなレベルの神業だった。
「何者なんですか、貴方」
「昔の古なじみだ。
つい富田が尋ねてしまったのも無理はあるまい。
彼の疑問に答えたのはマクミランではなく、新たにドーム外周部の点検用ハシゴを使って登ってきた別のイギリス人だった。こちらは以前から富田も面識を持つ人物だ。
「プライス大尉!」
「オフィス住まいにしては腕は鈍っていないようだな」
「
「破壊工作員が持ち込んだ狼男の同類が暴れ回っている事までは聞いている。化け物相手と聞いてコイツを持ってきた」
プライスが背負っていた長大な重量物を床に下ろし、倉田を挟んで隣にセッティングを行っていく。チラリとそれを横目に見たマクミランはどこか懐かしげに目を細めた。
比較的大型なAMXCを目に見えて上回る、銃身込みで全長140センチ重量10キロ越えのバレットM82A1対物ライフル。
使用弾薬の12.7ミリNATO弾は車載や固定式の重機関銃にも使われる。その威力と射程は.338ラプアマグナムを遥かに上回る。まさに化け物退治にうってつけのモンスターライフルだ。
「プリピャチを思い出すか?」
「フン、思い出話に花を咲かせるのはまた今度だ。基地の中をうろついてる怪物はタフだぞ。なるべく頭か背骨を狙え」
「ドラゴンの目玉より頑丈かどうかチェックしてやるとしよう」
腹這いに寝そべり対物ライフルのスコープを覗き込んだプライスは、息を吐き出していってからほんの僅かに息を止めたその瞬間に引き金を絞った。
.338を上回る大口径に比例して装薬量も増量された12.7ミリ弾を発射した時の轟音は最早砲声レベルだ。当然威力も桁が違う。
哀れにも標的に選定された500メートル先のダーはたったの一撃で顎から上半分を完膚なく粉々に吹き飛ばされた。
「
「図体はデカいがプリピャチの犬に比べりゃチワワと大差ない」
「昔話をしたがるのは歳を取った証拠だぞ」
「……ああ、昔同じ事を言われたよ。南側は任せた。俺は東側で偵察機を飛ばしに向かう下の連中の援護を行う」
「
「それはお互い様だ」
.338ラプアの銃声にそれを上回る轟音が加わり、その度に新たに頭部を吹き飛ばされたダーの死体が量産されていく。
先程までの蹂躙具合が嘘のように、基地内を徘徊するダーはあっという間にその数を減らしていくのであった。
栗林 志乃
自衛隊駐屯地・診療施設
診療施設に降りかかった顛末は、端的に言えば不運の結果であり、同時に当然の展開だったのかもしれない。
アルヌスに潜入していたゾルザル派ゲリラ兵及び工作員の蜂起が発生した時点で駐屯地内の診療施設は既に修羅場と化していた。
原因は帝都・翡翠宮に於ける講和交渉団ならびにピニャ第3皇女救出作戦にある。
ヘリボーンによる救援部隊到着までの数時間、当時現地にてVIPの警護に就いていた少数の自衛隊員、及びピニャ配下で古兵と少女騎士主体の薔薇騎士団数百名が、ゾルザル配下の帝国軍部隊と激突。
救援部隊到着まで防衛線の維持にはギリギリ成功し、日本側に犠牲者は出なかったものの、薔薇騎士団員には多数の戦死者及び負傷者が発生してしまっている。
大小様々な傷を負った薔薇騎士団員が、空中ピストン輸送で運び込まれた先こそが自衛隊駐屯地内の診療施設だった。
矢を受けた者もいれば防衛線まで肉薄した帝国兵に斬りつけられて手足を失った者もいる。油壷の火炎弾を浴びて広範囲に火傷を負ってしまった老兵や少女騎士も少なくない。
輸送ヘリでピストン輸送された負傷者は診療施設前のヘリポートへ降ろされては診療施設内へと運び込まれた。
ヘリポートから診療施設までの地面には、完全に止血し切れなかった傷口から漏れた血痕が幾つも残された。銀座を占拠したバルコフ達を欺く為に敢えて要求通り駐屯地内の兵員を撤退させる真っ只中だったせいで、この時ばかりはそれらを処理する人手も足りず、血痕は放置された。
……獣は血の臭いを嗅ぎつけるものだ。そして特地の怪異は特殊な技能を持つ怪異使いに使役される事は多々あれど、本質的には獣と大差ない存在だ。
故に、新鮮な血の残り香を漂わせた多くの怪我人が集まる診療施設へと、正体を現して凶暴な獣の本性を露わにした少なくない数のダーが押し寄せてしまったのである。
診療施設は施設自体の存在意義を考えれば当然の事ながら構造的に籠城に向いていない。
ベッド数300、処置室・手術室併せて20を超える規模の堅牢なコンクリ作りだが、地上階しかない平屋構造なので容易に外部から侵入されてしまうからだ。
苛烈な防衛戦で負傷者が多数出ているという情報は入っていたので衛生科の医官や看護師は揃っていたが、基地内で重要施設でもないから武装した警備の隊員が常駐している訳でもなく。
せいぜいが負傷者として処置を受けていた隊員が携行していた9ミリ拳銃程度。
その数も手の指で足りる位ともなれば、体長数メートルものダーに銃の弾数よりも多い規模でもって襲いかかってこられては撃退どころか抵抗も困難で、貴重な弾薬も迎撃の序盤であっさり使い果たしてしまった。
当時、栗林は怪我人の処置に奔走する医官と看護師の補助として施設内を駆け回っていた。派遣部隊初の妊娠経験者という事で検査入院中だったのだが、次々と運ばれてくる怪我人に見かねて手伝いを申し出たのである。
妊娠発覚まではバッリバリの現場要員であった栗林は応急処置の知識も最低限持ち合わせている。体調と立場の違いを慮られ、仕事の内容は倉庫から処置に必要な衛生用品を取って来たり、運ぶのに使ったストレッチャーを邪魔にならない場所へ戻したりといった雑用程度ではあったが、殺気だった喧騒の中でジッとしているのは彼女の性分ではなかったので、その時まで栗林はキビキビと雑用を熟していた。
そこへダーの襲撃だ。
当時診療施設に集まっていた者達にとっての不幸はまるで中に居た彼らを逃がすまいと、幾つかある出入口へほぼ同時にダーが押し寄せた事だろう。
事態に気付いて患者の避難誘導にあたろうとした医官や看護師に出来たのは、侵入してきたダーの進行速度を少しでも遅らせようとその場に在る物でバリケードもどきを作りながら、見かけた患者を片っ端から付いてくるよう声をかけるか、自力で動けない重傷者を乗せたストレッチャーを必死に引っ張る位で。
力及ばず、処置を受けて生き残れた筈だった薔薇騎士団員の怪我人や襲撃前に逃げ込んできていた避難民、彼らを誘導しようとして自分が逃げ遅れた看護師など、少なくない数がダーの犠牲者となってしまった。
そうして栗林を含めた施設内の生存者がダーの群れに追い込まれるようにして辿り着いた先が、リハビリ用のトレーニングルームである。
「負傷者は部屋の奥とにかく入り口から遠い所! 動ける人間は部屋に置いてある物でバリケードを作るのよ!」
逃げ込んだ側にとってトレーニングルームは幾つかの点で有利な点があった。まず動けない負傷者をストレッチャーごと複数運び込んでなお余裕がある程に部屋が広い。
想定した患者が体が資本の自衛隊員なので、スポーツジムにあるような大型のトレーニング器具も複数揃っている。男手の避難民の力も借りて器具を動かせばそれだけで即席のバリケードが完成だ。どれもかなりの重量だし、なんなら追加の重りも大量にあるのでちょっとやそっとじゃ動かせない。
逆に不安要素もある。室外の廊下から中を見渡せる大きな窓は破られれば用意にダーの侵入を許してしまう。何よりどの壁面も外と面していないから、トレーニングルーム内から施設の外に脱出する事は不可能。
栗林達は救援が駆け付けるまで、まともな武器も無しにダーの群れから籠城し続けねばならなくなったのだ。
「こちら栗林二曹! 現在医療施設にて多数の正体不明生物に包囲され籠城中! こちらの大半は怪我人か非武装でこのままでは持ち堪えられない! ああもうちょっと誰か聞いてないの、早く救援を――きゃあっ!?」
携帯無線機を手に慌てて頭を下げる。チェストプレスマシンと縦に立て掛けたベンチプレスの間から突き出された腕が1秒前まで栗林の頭があった空間を通過し、爪が掠めた無線機が中身の電子部品を撒き散らしながら彼女の手からもぎ取られた。
「ドジった! くっこのっ、耐えるのよ皆!」
「ここが踏ん張りどころだぞ! 今日だけで何千って兵隊や怪異共相手に生き延びたんだ、こうなりゃ最後の最後まで足掻いてみせやがれ!」
頭と腕に包帯を巻いた古参兵上がりの薔薇騎士団員が即席バリケードに両手と肩を押し付けながら発破をかけた。
ダーがバリケードに突撃したり、巨腕を叩きつける度に重量物である筈のトレーニング器具がガタガタと軋んで数センチばかり位置がズレた。
立て籠もる事に成功したとはいえ状況は悪化の一途を辿っている。栗林達の存在を察知したダーがどんどん集まり、バリケードへの圧力を高める一方だ。ロゥリィクラスまでとはいかないが、内側から数少ない男手や栗林といった一部の動ける女性が必死に押さえつけていなければあっさりと瓦解されてしまいそうなぐらい、ダーの膂力は凄まじい。
また激しく揺さぶられたトレーニング器具が更に何センチか動いてしまう。生じた隙間から、牙を剥き出しに涎を撒き散らしながらダーが無理矢理鼻先を捻じ込む。
「入ってくんなぁ!」
栗林は、足元に転がしていた金属の棒を素早く拾い上げるや首を突っ込んできたダーの下へ躍りかかった。
手にしたのはベンチプレス用の重りを取り付けるバーベルシャフト。全長は栗林の身長を楽に上回る2メートル越え、重量はシャフト単体でも20キロにも達する。
64式小銃換算で5丁分もの質量を持つ身の丈より長い鋼鉄の棒をブンブンと振り回し、遠心力を加えた振り下ろしの一撃を栗林はダーの頭蓋へ叩きつけた。
下手な口径の銃弾よりも強烈な一撃は、ダーの頭蓋を砕くとまではいかなかったが体毛の護りを破ってぱっくりと大きな裂傷を生み出した。頭をカチ割られたダーが悲鳴を上げてバリケードの向こうへ引っ込む。
新たに割り込もうと試みる別のダーを銃剣術の型通りに突き出したシャフトで迎撃。そうして時間を稼ぐと、避難民が動いてしまったトレーニング器具を押して元の位置へ戻し穴を塞いだ。
「こっちにも!?」
足に深手を負いストレッチャー上から動けはしないが意識は鮮明な少女騎士の怪我人が栗林がいる位置とは反対側を指差しながら叫んだ。
栗林が目を向ければ今度は鼻先どころか片腕までバリケードの隙間に捻じ込んで突破しようともがくダーの姿が。避難民が押し返そうにも、振り回される剛腕とその先端の爪は掠めただけでも大怪我を負うレベルの勢いで振り回されていて中々近付けそうにない。
シャフトを構えそちらに向かおうとした栗林よりも先に誰かがダーへ向かって突っ込んだ。
「ちょ、先生!?」
口元のホクロが色っぽい、一応妊婦な栗林の担当医でもある眼鏡をかけた女性医官が、迷彩服の上から羽織った白衣をマントのようにたなびかせて駆け寄っていく。
彼女の両手には何かが握られていて、胸の前で擦り合わせるような動作をしているのを栗林の目は捉えた。
「離れて!」
周囲へ警告しながら女性医官は意外な身のこなしで剛腕を掻い潜ると、ダーの頭部を左右から挟み込む形で手にしていた物を押しつけた。
次の瞬間、ブレーカーが落ちた瞬間のような音が生じた。
同時にダーの短い悲鳴も聞こえ、隙間から突き出ていた怪異の頭部と片腕が見えない手で引っ張られたかのようにバリケードの向こう側に消えた。それどころか巨体がぶっ倒れる衝撃音すら伝わってきた。
「今のうちにバリケードを!」
女性医官に指示を飛ばされて周囲の避難民が慌ててバリケードの修繕に取り付く。
彼女の方を見やる栗林の存在に気付いた眼鏡の女性医官は外国のコメディドラマよろしく大仰に肩を竦めた。疲弊が滲むその顔は負傷者の返り血で汚れている。
「まさか自分が仕事道具でフィクションそのままの使い方をする羽目になるとは思わなかったわ」
両手に持っていた除細動器のパドルをぶらぶらと揺らして苦笑いを浮かべる。トレーニングルームに立て篭もる直前、何か役に立つかもしれないと廊下に放置されていた中から手当たり次第に運び込んだ機材の1つだった。
ちなみに除細動器と今や民間にも普及したAEDは似て非なるものである。具体的にはAEDは半自動体外式除細動器の略称であり医学の素人である民間人でも扱えるよう、電気を伝えるパッドから心音の異常を自動的に診断し電気ショックを行うか否か決定する。
単純な除細動器には診断機能が搭載されていないので接続したパッドのボタンを押せば手動でも電気ショックを流せる。逆にAEDの場合、機械が決定しなければ使用者が手動で電気ショックを流そうと試みても作動しないという点が大きく違う。
「このままじゃジリ貧よ。武器も戦えるだけの人でも何もかも足りない。そもそも仮に妊婦である貴女が率先して戦わなきゃいけない時点で状況は最悪としか言いようが無いわ」
「ここに備え付けてある電話で救援は呼べないんですか?」
「ダメ、他の医官が繰り返し司令部を呼び出してるけど繋がらない。それだけ向こうも混乱しているのか、それとも回線がどこかで切断されてしまったのかも……」
武器といえば、せいぜいが栗林が振り回しているバーベルシャフトのような一部の棒状のトレーニング器具か、ダンベルや負荷調整用のウェイトを鈍器代わりに使う位だ。
そのようなにわか武器で下手な熊よりも大きく、タフネスと獰猛さは格上なダーを一時的に退かせる事は出来ても斃す事はできる訳もなく。
振り返れば不安げに、或いは戦傷や逃げ込むまでに負った怪我の痛みに顔を歪めて動けずにいる何人もの避難民と負傷者が目に入り、栗林は直視できずすぐに顔を背けてしまう。
「こんな時、隊長なら……」
柄に無く弱音を漏らして胎の子の父親の顔を思い浮かべて縋ってしまう、そんな窮地の中で、栗林は――――
ロマン・バルコフ
日本・銀座駐屯地/『門』付近
目を覚ますと、世界が引っ繰り返っていた。
暗く霞む視界に何とかピントを合わせる。天井と床が壁に、指揮管制の為の機材が並んでいた壁が床と天井に入れ替わっていた。
立て続けに凄まじい衝撃に襲われ、その最後に起きた爆発によって移動司令部そのものが引っ繰り返ってしまったのだと理解した瞬間、全身を激痛が襲いバルコフは呻き声を上げた。
司令部内に居た他の部下は―バルコフ手ずから射殺した副官も含め―全員息絶えていた。首が異様な角度で折れ曲がっていたり頭部から血を流して目を見開いたままピクリとも動かなかったり、体が固定されていない状態で横転した衝撃が命取りになったに違いない。
少しでも空気を取り込もうとする度に走る鋭い痛みに耐える。様々な可燃物の臭いを知覚して視界が黒く曇っている理由に気付いた。対NBC処理が施されている筈の車体が破壊され、生じた亀裂から直接外気が入り込んできているのだ。
ふらつきながらも立ち上がる。更に激痛が貫いた。特に痛む部分に手をやると、腹部が何かの破片に実際に貫かれている事に遅ればせながら気付いた。
部位と、傷の深さと、絞らずとも滴りそうな程血を吸った迷彩服の濡れた感触からバルコフは悟る。
――――自分はもう助からない。
「私は……」
歪んだ状態で半開きになっていた車両後部のハッチを何とか押し開け、転がるように車外へ這い出る。途端に尋常ではない熱波が肌を焼いた。
横転した車の外は、炎と黒煙に包まれていた。近くに転がる残骸はMi-8か。撃墜されたヘリが移動司令部に直撃し、搭載していた燃料と兵装が爆発したのだ。
何もかもが焼けている。バルコフが指揮していた兵隊も、兵器の数々も、バルコフが成し遂げようとしていた野望も。
最初は愛国心からだった。
やがて力に取り付かれた。
高潔だった筈の愛国心は武力と権力の増大に連れて歪んでいった。祖国の為なら祖国の脅威となる存在を力でねじ伏せ、虐げ、殲滅するのが正しいのだと。
その終着点が第3次世界大戦を引き起こす陰謀への加担。欧州全土への化学兵器攻撃の実行。
全ては祖国をより強大なものにし、祖国の敵となるあらゆる存在を排除する為。そう固く信じて。
必要な事であると、彼は己を疑わない。
祖国の為と大義を掲げて、世界の半分を燃やした果てに――バルコフは敗者となった。
それが、彼には我慢ならなかったのだ。
「こんなところで私は……!」
腹の傷だけでなく口からも血反吐を漏らしながら、バルコフはまだ斃れない。執念、いや妄執が、死に絶える寸前の肉体を突き動かす。
墜落したヘリが生み出した炎の海が壁となって、銀座と『門』の奪還に押し寄せた自衛隊はバルコフの下まで辿り着けないでいる。バルコフが最期の抵抗を果たすには今しかなかった。
移動司令部は横転してしまったが、司令部周辺には車両が集結していたので、ヘリの墜落による被害を免れて動きそうな車両が何台か存在した。体をふらつかせながら何とか手近な車両へと向かう。
その途中、兵士の死体から未使用の破片手榴弾が並ぶグレネードポーチベルトを、バルコフは失血の影響で震える手で回収した。
車体に血痕をへばりつかせながらバルコフが乗り込んだのは市ヶ谷襲撃に使われた対戦車ミサイル運用システム搭載の偽装ティーグル装甲車だ。格納式の発射機にはまだ4発の対戦車ミサイルが残っている。
朦朧とする意識の中、唸り声をあげた装甲車が炎と黒煙の幕へ突っ込んだ。
煙を抜けたバルコフの視界に、『門』が存在するドームの姿が浮かび上がった。
認識するや、アクセルを床に触れる位強く踏み込んだ。
突然煙の中から現れた装甲車に、駐屯地全体をほぼ掌握したも同然だった自衛隊員は不意を突かれた。
ドームを目指すティーグルに銃撃を加えるが、銃弾は装甲に阻まれバルコフまで届かない。半ば意識を失いかけたバルコフの状態を反映するかのように装甲車は危なっかしくスラローム運転を繰り返していて、それが逆に的を絞らせない結果にも繋がった。
第1戦闘団の74式戦車、それからニコライが乗ったT-90戦車が主砲で迎撃しようとするが、周りに友軍が多過ぎた。貫通した砲弾や装甲車の破片が飛散して味方の隊員に被害が出る事を恐れたそれぞれの乗員が発射を躊躇している間に、ドーム外に散開していた戦車の間を縫い、時には車体を擦りつける様にしてバルコフはドーム内への侵入に成功してしまう。
ドームの入り口を通過した際、バルコフは運転席のドアに設けられた銃眼から破片手榴弾を投じていた。遠ざかる装甲車に追撃を試みようとした自衛隊員達の近くで爆発。多数の負傷者が出て、ドーム外の自衛隊員は足止めを受けてしまう。
「止まれ!」
「警告する暇があるなら撃って止めろ!」
当然ながらドーム内部にも自衛隊員が護衛として配置されていた。運転席へ集中的に銃撃が行われる。フロントガラスも防弾仕様だからバルコフまでは到達しない代わりに、蜘蛛の巣上の亀裂が生じ視界が奪われる。
明滅を繰り返す意識と視界。身体のコントロールも途切れ途切れだ。
防弾ガラスの表面が真っ白に染まる程の銃撃に僅かに動揺したのもあって、アクセルを緩める事すら忘れてしまったバルコフを乗せた装甲車は。
「私は、まだ……このまま、終わるわけには……!!」
そのまま特地へ繋がる『門』の向こうへ呑み込まれてしまったのである。
ユーリ
銀座シックス屋上庭園
もちろんユーリも事態を把握していた。
彼の場合、立ち上る間に僅かに薄れた黒煙の隙間から装甲車に乗り込むバルコフの姿を偶然見つけたのが理由だったが。
無線でバルコフの発見を知らせる前に装甲車が動き出してしまうのも目撃してしまったユーリは「クソッ!」とロシア語で吐き捨てた。
屋上庭園に集まった味方は未だ事態に気付いていない。遅かれ早かれ気付くだろうが今は説明する時間も惜しかったユーリは使える物が無いか周囲を見回す。
これなら使える、と拾い上げたのはノヴァ6発射機と遠隔制御システムを繋ぐ為の予備ケーブルの束。太さも長さも素材も十分に思えるそれをコンバットベルトに通す。
そこでユーリの行動に野本が気付いた。
「ユーリ? 一体何を――」
「すまないが説明は後だ!」
振り返らずに叫ぶや、ユーリは戦闘の余波で転落を防ぐ設備が物理的に無くなった屋上庭園の端から飛び降りた。
ベルトに通したケーブルで落下速度を調節。地上に辿り着く頃には既にバルコフが乗った装甲車はユーリの前を通り過ぎてドームの中へ消えていく所だった。
「逃がすか!」
丁度近くに停まっていた車両に駆け寄る。バルコフが乗っていたティーゲルよりも巨大な6輪仕様のウラル・タイフーン。立ち塞がる障害物を押し退ける除雪車のそれに近い楔型のブレードが全部バンパーに溶接されている。
ドーム前の混乱と聞こえてくるやり取りからしてバルコフの車両はそのまま『門』を通過して特地側に逃げ込んだ様子だ。
ユーリも運転席に乗り込み、追跡を開始した。
『権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する』 ――ジョン・アクトン
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