お待たせしました。
多くは言いません。このような結末となりました。
<凋落の時>
ゾルザル・エル・カエサル
皇宮・南宮
鳴り響き続ける轟音と鎮魂歌が新たな皇帝になろうとしていた男の全てを塗り潰した。
ゾルザル・エル・カエサルは己が支配していた筈の皇宮で逃げ惑う事しか出来ずにいる。
空からは
地上では帝国の支配者たる皇帝が君臨し何人たりとも踏み躙る事許されぬ筈の宮殿のあらゆる場所で幾重もの破裂音が弾けては悲鳴が上がり、すぐに途絶えるのを繰り返している。
ありえてはいけない。許される筈が無い。こんな事が起きて良い筈が無い。
だけどもあらゆる要素がゾルザルの耳朶を叩き、鼻腔を刺激し、目に焼き付き、肌を震わせるが為に、ゾルザルは今取り囲む状況も現象も何もかもが現実であると否応なしに理解させられる。
「何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ」
ゾルザルは逃げ惑う。彼の脳裏に、居室から飛び出してきたその時に目の当たりにした者の存在が蘇る。
ゾルザルが知っている姿とは違う、全身を細身の鎧で固め顔も奇妙な兜で隠す装いをしていたが、発した声と纏う気配はまぎれもなくゾルザルの魂に消えぬ恐怖と屈辱と憎悪を刻みつけた張本人だった。
皇帝である己にとっての死神であると自ら宣言した異形の戦士。
あの男――イタミヨウジが鉄の天馬から舞い降りた時、ゾルザルは周囲の警備兵にイタミを殺せと命じて自分は1も2もなく逃げ出したのだ。
何故か? 決まっている、恐ろしかったからだ。
(いや違う! 俺はあの男など恐れてはいない!)
頭を過ぎった考えを自ら否定する。
あるいは誤魔化し、己の弱さから目を背けるという表現の方が正しいかもしれない。肥大した虚栄心と傲慢さと己への甘さに反比例して、ゾルザルの心は己の弱さを認められない程に脆弱であった。
そんな彼の精神を今繰り広げられる現実は容赦なく蹂躙する。
「こちらです殿下!」
安全な逃げ場を求めて中庭を移動するゾルザルを十重二十重に囲む近衛兵を纏める次期皇帝の側近が、長剣を手に角を曲がろうとした時だった。
専属の庭師によって完璧に整えられた生垣を突き破って、馬も無しに走る鉄の馬車が突如行く手に出現した。
それは、荷台の幌を取り外しロールバーではなく荷台に360度旋回可能な鉄柱を設置し、そこへM2重機関銃をマウントしたテクニカル仕様の高機動車だった。運転手と機銃手だけでなく、護衛として数名の自衛隊員も助手席と荷台の空いたスペースに配置されている。
火力と機動性を生かし宮殿中を疾走して遊撃を行っていた彼らは空からの目によってゾルザル達の移動ルートを先読みし、見事行く手に立ちはだかる事に成功したのだった。
機銃手は重機関銃の筒先を近衛兵の集団の戦闘へ向けると、バタフライトリガーを躊躇いなく押し込んだ。
ゾルザルがこれまで聞いた事もないような太く重い破裂音。
12.7ミリライフル弾が近衛兵を襲った。喰らった兵士は尽く人体の一部を失い、削られ、破裂しながら命中した瞬間に息絶えた。
運悪く命中弾が複数着弾した死体に至っては人の原形を失う程に激しく破壊された。それだけの威力を12.7ライフル弾は秘めていた。対
ゾルザルはその瞬間をハッキリと目撃してしまった。目の前で次々と配下の兵が粉砕されていく。
だがそこへ今度は帝国側の兵力である重装甲のジャイアントオーガーが自衛隊のテクニカルのすぐ背後、建造物の陰から出現した。
巨体が発する足音は重機関銃の射撃音に紛れてしまったせいで隊員達は接近に気付くのが遅れてしまった。
遅ればせながら察知した護衛役の隊員が手持ちの64式小銃で迎撃を試みるが、厚い装甲に阻まれて本体までは届かない。僅かに覗く生身の部分へ着弾しても巨体を覆う分厚い筋肉と脂肪がバイタルパートへ到達するには直径1センチ足らずの鉛玉程度では威力不足だ。
機銃手がM2重機関銃の向きをジャイアントオーガーへ転じようと試みたが、それよりも大きく踏み出された高軌道車に匹敵するサイズの足が迫るのを見て取るや、慌てて荷台から飛び降りた。他の隊員もそれに倣う。
大木のようなジャイアントオーガーの脚部が高機動車を蹴飛ばした。空き缶のようにひしゃげた車体が破片を撒き散らしながら何回も転がっていく。
這う這うの体でジャイアントオーガーから距離を取る自衛隊員達と、帝国兵をミンチに変えた自衛隊のテクニカルをあっけなくねじくれた煙を吐くオブジェへ変えたゾルザル肝煎りの秘密兵器の活躍に、次期皇帝は恐怖の表情を歓喜へと変えて快哉を発した。
「良いぞ! 見たなお前達、ジエイタイなど我が帝国の前には――――」
空気を叩く羽音。突如天から差し込んだ白光。
次いで騒々しい夜空から降り注いだTOW・対戦車ミサイルと20ミリ砲弾がゾルザルのご高説を遮り、ジャイアントオーガーへと襲い掛かった。
TOWの弾頭は最大900ミリもの装甲貫徹能力を持つ。特地よりも遥かに優れた地球の製鉄能力で形成された装甲板を、だ。
特地の現地住民にとっては、まるで極小の火山が噴火したかのような爆発だった。
最初にTOWが着弾した時点で命中したジャイアントオーガーの胴体部は大部分が爆散し、消滅した。爆風と衝撃で胴体から切断された頭部が兜ごと、あたかも弾薬庫に誘爆した戦車の砲塔よろしく空高く打ち上がる。
ゾルザルの顔に浮かんでいた会心の笑みが瞬時に凍りついた。
この時点でジャイアントオーガーは即死していたので、遅れて降り注いだ20ミリ砲弾は云わば死体撃ちをした格好だ。直前のM2重機関銃で撃たれた帝国兵、そのスケールアップ版が再現される。
破片と血しぶきを上げながら全身を削り抉られたジャイアントオーガーの巨体が崩れ落ちると同時、兜に覆われたままの怪異の生首がゾルザルのすぐ目の前に落下……否、着弾した。
もう数メートルばかり落下地点がズレていたら、フライパンに叩き潰されたトマトじみた身元判別不能な死体の仲間入りをゾルザルも果たしていたのは違いない。
『エキストラ06よりハンター04へ、航空支援感謝する!』
「ひぃっ!?」
兜のスリット越しに、5キロ超の高性能爆薬の直撃が齎した圧力によって穴という穴からドロリと鉄錆色の液体を漏らすジャイアントオーガーの生首と目が合って、ゾルザルは思わず情けない悲鳴を漏らした。
それどころか腰を抜かしてその場で尻餅すら着いてしまう。皇帝に相応しい振る舞い云々などといった考えなど、重装甲の巨大怪異というゾルザル自ら立案した秘密兵器がいともあっさりと目の前で爆散させられた瞬間に吹き飛んだ。
それは周囲の近衛兵も似たようなもので。
「う、うわああああぁ!?」
同じヒトの兵士どころか、頭蓋を揺さぶる爆音を伴いながら巨大怪異さえも一瞬で原形を留めぬ有様にされるさまを目撃してしまった近衛兵は、何とへたり込むゾルザルを置いて逃げ出してしまった。
「待て貴様ら! 皇帝であるこの俺を置いて――――」
今度は蜂の群れの羽音を何万倍にも増幅させたような爆音だった。
ガンシップ仕様のUH-1J改のスタブウィングにぶら下げたM134ミニガンが毎分6000発もの速度で7.62ミリ弾を吐き出す音。
12.7ミリ弾の着弾による結果が粉砕なら、7.62ミリ弾の超高速連射のそれは切断に近い。あまりの連射速度に数発おきに装填された弾道修正用の曳光弾の光跡がまるで1本に繋がって見える程だ。
どちらにせよ一瞬の内に何発何十発と高威力のライフル弾を喰らった兵士は12.7ミリ弾の犠牲者とは別の意味で凄惨な死体と化していく。
気が付くと、ゾルザルだけが生きてその場に残された。
側近は死んだ。ゾルザルが自信をもって導入したジャイアントオーガーも死んだ。他の近衛兵もゾルザルを置いて逃げようとして、そして死んだ。
そんな死にざまを見るのはゾルザルは初めてだった。
1秒前まで人間だったモノが一瞬で弾け飛び肉片と化す。そんな死にざまなど魔導師の魔法や怪異の剛腕ですら困難だ。
ピニャが集めた情報で『門』の向こうの兵隊は魔法とは違う、鉄の筒の中で破裂を起こしてその勢いで小さな鉄の鏃を飛ばす『ジュウ』という武器を使うという事は知っていたし、実際に屈強な兵士達が次々と血しぶきを散らして斃されていく光景も間近で見せつけられすらした。
『ジュウ』にとどまらず馬も無しに走り回る
それらが『門』の向こうでは何十も何百も存在し、向こうの兵隊は双方鉄の兵器を繰り出して『ジュウ』を撃ち合ったり、兵士を送り込んだり、かの元老院議事堂跡地よろしく籠城する兵隊ごと砦を吹き飛ばすような、帝国がこれまで体験してきたようなどんな戦よりも激しい戦闘をしてきたのだと知識の上では理解している。
中にはたった1発で万の人間を街ごと滅ぼす毒を持つ神話もかくやな
ピニャが収集した情報をゾルザルも入手し何度も隅から隅まで目を通したから知っている。『ジュウ』という武器の性能もその目で見た。『門』の向こうの異世界の戦争がどんなものだったのかも知識としては知っている。
繰り返すがそれだけなのだ。知っただけ。学んだだけ。ほんの僅かな一例を体験しただけ。
そこから先、個人単位の携行火力を超越する更なる大火力が飛び交う戦場を、ゾルザルは見ていないし、経験もしていない。
結局の所ゾルザルが実際に体験した戦場の経験は特地の大半の人々同様、様々な兵種が戦列を組み、剣や槍や楯を持って真正面からぶつかり合って競うような、昔ながらの特地流の戦いで止まっていたのである。
それも大半は大陸の支配者として圧倒的大軍勢を引き連れ実際の指揮は家臣任せ、物量頼りで少数勢力を一方的に蹂躙する様子を安全な最後方から見下ろし愉悦に浸るという娯楽感覚での参加であり、泥に塗れ敵の返り血を浴び殺し殺され合う最前線の兵隊としての経験は皆無であった。
対して、ピニャ。
彼女は特地の常識が通用しない圧倒的な火力という名の暴力に幾度も晒された経験を持つ。自衛隊との遭遇以前から自ら剣を手に仲間を率い、危険な怪異や盗賊と切った張ったもこなしてきた正しい意味での実戦経験者でもある。
イタリカに始まり東京、熱海、大島、特地に戻ってからも翡翠宮攻防戦においてと、自衛隊や地球の諸外国勢力が繰り出す鉄火を時にはその身へ向けられた事すらあった。
極めつけがアルヌスで炸裂した化学兵器爆弾。炸裂し、ゾルザルが送り込んだ帝国兵が幾万も死んでいく地獄が生まれた瞬間すらも、
どれもが恐ろしい体験だった。そしてそれら恐ろしい兵器によって帝国が蹂躙……
いやそれすらも甘い。皇族も、貴族も、帝国民も、奴隷も、土地も、帝国が所有するあらゆる存在が焼かれ、毒に穢され、滅ぼされ尽くされる。そして自衛隊は
そんな己の体験が土台となった妄想が生み出す恐怖にピニャが囚われ、苛まれ――――やがて正しく狂った。
それでも彼女は立ち上がった。狂いながらも残された皇族として、ゾルザルの暴走と帝国の生存の為に(例えその手段が売国同然の行いだと自覚していても)行動を起こした。
こうして一か八かの1発勝負に至れたのも実体験の積み重ねが大きい。
彼女は特地の現地住民としては珍しく、特地流・地球流双方の戦い方を学び経験を重ねてきた人物であった。
才能はともかく、経験に培われた胆力とプレッシャーへの耐性は少なくともゾルザルより余程優れていた。銃声や砲声、爆発音もこれまでの一生分耳にしていて耐性もついている。
もし仮にピニャが今のゾルザルの立場に置かれたとしても、歯を食いしばって恐怖と混乱を呑み込み、帝国第3皇女として相応しい指揮を執っていたのではないだろうか?
皇宮は相変わらず羽音と、砲声と、爆発音と、天から降り注ぐ鎮魂歌が支配していた。
爆音と、それに負けぬ神々の嘲笑か宣告を思わせる男女入り混じった合唱がゾルザルの鼓膜を、頭蓋を、全身を、魂すらも揺さぶり、苛み、狂わせていく。
絶え間ない砲撃音と衝撃波によって神経を、飛翔音を伴いながら迫る砲弾がもたらす死の恐怖によって精神面を繰り返し痛めつけられた者は精神の均衡を失う。
専門の訓練を積んだ地球の兵士ですら珍しくないのだ。火砲を知らぬ特地の人間である為に耐性を持たず、傲慢さと暴力性で覆い隠した心の脆さを抱えたゾルザルは急速にシェルショックを発症していた。
何なのだこれは。
俺は何を見せられているのだ。
ここは皇宮なのだぞ。俺は皇帝なのだぞ。帝国の支配者なんだぞ!
銃声が響き、砲声が轟き、悲鳴が聞こえて、すぐに途切れる。それらを耳にする度が神経がまるで錆びた短剣を
死んでいく。壊れていく。帝国の象徴である精強な兵も豪奢な宮殿も、ゾルザルが得た筈のモノが失われていく。
また近くで発砲音が鳴って、ゾルザルはビクリと跳び上がった。顔も視線もグラグラと危なっかしく右往左往している。その姿は最早威風堂々とした皇帝の姿ではなく、戦場に怯える哀れな男以外の何物でもなかった。
彼も一応剣を刷いてはいたのだが、一方的に兵達を圧倒していく火砲の威力を前に存在すら忘却してしまったかのようにゾルザルは手を伸ばそうとすらしていなかった。
突然ゾルザルの姿が光に包まれた。近衛兵やジャイアントオーガーを鎧袖一触した鉄の天馬がサーチライトでゾルザルを照らしたからだった。
ジャイアントオーガーをミンチに変えた武器が己にも向けられている――――そう認識した所で遂に限界が訪れた。
「あ、あああ、あーあーあー!!?」
とうとう裏返った悲鳴を上げたゾルザルは、兵達の死体を置いて駆け出した。
本能的な逃避反応。あまりの恐怖に表情筋が引き攣って戻らない事にも気付かず、無我夢中といった様子でもつれる足を無理矢理動かす。
ゾルザルは半ば無意識の内に銃声や悲鳴の密度が最も薄い方角を目指して移動していた――――南苑宮の方へと。
『ハンター04よりエキストラへ、悪役がそちらへ向かった……ああそうだ……何?……了解。そちらに対処を任せる』
どういう道筋を通ったのかすら記憶が定かではなかったが何とかゾルザルは南苑宮が目視出来る距離まで辿り着く事に成功した。
南苑宮の周囲は奇妙な程に静けさが広がっていた。空では相変わらず鉄の羽音と歌声が夜空を震わせているものの、地上においては機関銃を乱射しながら隊員を満載して走り回る自衛隊車両の姿、またエンジン音に銃声といった音が南苑宮周辺では奇妙な程に発生していない。
それでも背後から様々な種類の砲声が聞こえる度、ゾルザルは情けない悲鳴を漏らして少しでも命を砕く轟音から離れようと足を動かした。
恐怖に震えるあまり何度も足をもつれさせては無様に地面に転がり、時には近衛兵の死体から零れた鮮血や臓腑の中に顔から突っ込んでしまったせいで、今やゾルザルはこの日の為に特別に誂えた衣装諸共土と草と血肉に塗れた酷い有様だ。
そもそも帝国各地から出席を命じた貴族や豪商が出席する晩餐会の場を守るべく、それなりの規模で以って南苑宮周辺に配置されていた筈の帝国兵までも姿を消している事への違和感すら抱けない程に、今のゾルザルは追い詰められている。
会場へ入る大扉の前まで辿り着くと、扉の隙間から光が漏れていた。ゾルザルの目にはそれが害あるものを一切通さぬ天使や戦乙女によって守られた天国への扉であるかのように映った。飛びつくように扉を押し開ける。
巨大な扉が予想以上にあっさりと開いたものだから、勢い余ったゾルザルはまた床に転がる羽目になった。床に体を打ち付けた痛みや無様な醜態を晒した屈辱よりも、灯りの点った安全な屋内へ逃げ込めた事への安堵の方が勝った。
会場にはゾルザルが招待した者達が集まっていた。場を包む空気や彼らの表情に漂う張りつめた気配に、やはりゾルザルは気付けない。
「て、敵襲だ! ジエイタイの兵共が皇宮を襲っているぞ! 何をしている貴様ら! 早く兵を呼び集めるのだ! 連中は皇帝である俺を殺そうとしているのだぞ!?」
血走らせた目を限界まで見開き、血と泥と汗で汚れた顔を右へ左へ激しく振りながら喚きたてながら、何時敵が踏み込んでくるか分からない扉から少しでも離れようと会場の中心へ向かうその様子は気狂いしたようにしか見えなかった。
開けっ放しで放置されたままの大扉から、小型ドローンがゾルザルの後を追って会場内へと入り込んだ。
ゾルザルが足を進める度、帝国と皇帝に忠誠を誓う筈の帝国貴族である招待客らは新たな皇帝を気遣い駆け寄ろうとするどころか、むしろ関わり合いになりたくないと言わんばかりに距離を取った。自然と拓けた人垣の道をゾルザルは狂乱のまま進んだ。
そしてようやく気付く。
周囲の者達の雰囲気のおかしさに。辿り着いた会場最奥の檀上、その玉座の前に立ち、ゾルザルを見下ろす者の存在に。父だった先代皇帝誅殺の罪を着せて追放した妹の存在に。
「やあ、兄様」
ピニャはゾルザルを見下ろしたまま朗らかに微笑んだ。
……笑った、のだろう。ゾルザルや会場の招待客、ピニャからの願いで人垣に隠れながら様子を窺う自衛隊員達の目には、哀れな獲物を前にした悪魔か悪霊か死神が浮かべた嘲笑のように映った。
「ピニャ、貴様、貴様が何故ここに居る!?」
「見ての通りですよ兄様。分からぬのですか? 妾はここに居られるデュラン殿と共にジエイタイと同盟を結び、こうして行動を共にしているのです。そもそも妾がジエイタイと密通していると巷に流布したのは兄様御自身ではないですか」
「お前達何を突っ立っている!? ここに我が父を弑し、神聖なる宮殿へ敵を招き入れた裏切者が居るのだぞ! さっさと捕らえぬか!」
壇上を指差し唾と共に怒声を出席者へ撒き散らすゾルザルだが、それに従う者は誰1人として出てこない。
「無駄ですよ兄様。既にこの場は妾達によってとっくに掌握済みなのですから」
「な、くっ」
歯噛みする。視線を向けられた者が悉く顔を背けてみせた事で流石のゾルザルも理解する。
再びピニャを睨みつけた拍子、視野狭窄に陥っていたゾルザルは遅ればせながら彼女の背後の壁に己の姿が大写しにされている事にも気付いた。
もしかすると居室に置いた青銅を磨き上げて拵えた鏡よりも鮮明に描画された現在のゾルザルの風貌は、新たな皇帝としての威厳など見る影も無い程に穢れ落ちぶれた凋落者以外の表現が思い浮かばぬ姿をしていて。
驚愕に身動ぎすれば大写しにされたゾルザルの似姿も同じように動いた。もう1度ゾルザルは居心地悪そうに固まる大勢の招待客へと振り返り、その動きも同様に映像に流されているのを見て取り――――
ゾルザルの顔色がまず白くなったかと思うと一気に赤くなり、最後はドス黒くと目まぐるしく変化した。
「ぴ、ぴ、ピニャ、まさか、お前、お前っ」
「ようやく気付かれたのですか。ええその通り、事の一部始終を兄様が帝国中から招き、この場に集まられた皆に披露いたしました。『ライブハイシン』、と言うそうですよ?
妾の挑発にまんまと引っ掛かった兄様が我が父である先代皇帝モルトをその手で殺めたと白状したのも、イタミ殿やジエイタイがその圧倒的武力を発揮しこの皇宮中を蹂躙し、それに恐れをなした兄様が無様に逃げ回る様も、
「なっ、な、な、が、あ?」
ゆっくりと首を締め上げられる鶏の断末魔の喘ぎを思わせる音を漏らすゾルザルへ、ピニャは付け加えた。
「ちなみにこの『ライブハイシン』は皇宮の外の帝都に住まう者達にも披露されているそうだ。
もし今日の事を兄様お得意の蛮行で口を封じようと思ったらそうだな、この場に集まる貴族の当主郎党に商人達以外にも帝都に住まう者達を合わせて100万もの証人を残らず葬らねばならないでしょうが……
おっと妾とした事が、その為に必要な兵の多くはイタミ殿とジエイタイによってエムロイとハーディの御許へと旅立たってしまったのを忘れてしまっておりました! 補充の兵を徴兵するにしても徴兵先である貴族達もまた目撃者なのですから、兄様が勅命を下しても従う者がどれだけ残っているのやら」
「お、ま、き、きさま」
「――――そもそも己の兵にまで見捨てられた挙句、ああも無様な遁走を晒した哀れな敗軍の将にどれだけ従う者が居るかも怪しいものですが」
「ピニャああああああああああああああぁぁァァァっ!!!?」
とうとう限界に達したゾルザルが狂気の表情で絶叫し腰の剣へと手をかけ、控えていた自衛隊員達もそれを見てピニャの安全を確保すべく銃を持ち上げた。
その時、唐突にゾルザルがくぐったばかりの大扉が再び音を立てて開いた。反射的にゾルザルが、ピニャが、自衛隊員が、会場に集まる招待客達までもが動きを止めてそちらを見た。
死神が、立っていた。炎龍鱗の鎧で全身を覆った髑髏の仮面の男。
ゾルザルの顔が凍りついた。狂気の表情が一瞬で再び恐怖に塗り潰された。
招待客の多くも似たような反応を示した。扉の近くに居た者の中には情けない悲鳴を上げて腰を抜かした者すら続出した。皇宮中の近衛兵を根こそぎ殺し尽くさんばかりに暴れ回る様をライブ配信を通してまざまざと見せつけられたのだから仕方あるまい。
ピニャだけが、まるで愛おしいものを見る眼差しで薄い笑みを保っていた。
全身に硝煙と臓物と炎の臭いを纏わりつかせた死神の手からホールドオープンした自動拳銃が滑り落ちて、大理石の床へぶつかるとけたたましい音を立てて転がった。
死神もまた会場の中心へと向かって歩み出した。1歩ずつ踏み出す度に進路上に立っていた招待客らが慌てて飛びのいた。
ゾルザルの時は気が触れた者への嫌悪感や忌避感に近い感情からの行動であったが、今度は純粋な恐怖心の発露の結果であった。刺すを通り越してまるで灼けるような殺気を全身から滲ませた死神はまるで陽炎を背負っているかのように見えた。
次に死神は炎龍鱗の
続いて腰に巻いていたグレネードランチャー用の弾薬ベルトも外して捨てる。チェストリグも弾薬ベルトも所持していた分の弾を全て撃ち尽くしたので空っぽだ。
髑髏のペイントが描かれた兜を外すと、人種的に掘りが深い顔立ちが標準の特地基準では平たい顔つきの、一見平凡なようだが直接相対すると背筋が震えあがる程の凄みを帯びた眼差しが外気に晒された。鷹か狼を思わせる眼光はピタリとゾルザルをロックオンして離れない。
それ1つで伝説の武具として延々と語り継がれてもおかしくない、炎龍の鱗をふんだんに使った兜までも無造作に放り捨てた頃には、彼もまた檀上前へと到達していた。視線の先には最早ゾルザルとピニャ以外に人の姿は少なくとも
ガチガチと繰り返し何かがぶつかり合う音が聞こえだした。ガタガタと震え始めたゾルザルの歯が鳴らす音だった。
ゾルザルにとっての悪夢であり憎悪の対象であり……何よりも恐怖する存在が今、遂にゾルザルの前まで辿り着いたのだ。
宣言通り、ゾルザルへ死をもたらす為に。
「お前の死神がここまで来たぞ、ゾルザル・エル・カエサル」
ゾルザルの呼吸が止まった。力無く数歩、後ろへよろめく。
今や気持ち悪い汗を顔中に浮かばせたゾルザルは揺れる瞳を伊丹とピニャへ交互に向けた。
前には己を絶頂から叩き落した妹が立っている。
後ろにはゾルザルにとって最大の恐怖である死神が立ち塞がっている。
周りは冷徹な目で一挙一動を監視する自衛隊員と己の身可愛さにゾルザルを見限った招待客達に取り囲まれている。
誰も助けない。誰も庇わない。周囲のあらゆる人間がゾルザルの破滅を確信した目で見下ろしている。
どうしてこうなった、俺を見るな、誰か助けろ、俺は皇帝だぞ、何で俺がこんな目に、俺を俺が俺を俺が俺を俺が俺を俺を俺を俺を俺を俺を俺をおれをオレをオレが俺をおれがオレを――――
破局点。
ゾルザルの精神が再びの限界を迎える。
「ぐ、ぎ、が、ひ、うあああああああああああああぁぁっ!!!」
ゾルザルは絶叫を発しながら駆け出した。
伊丹の方ではない。結局ゾルザルは最後まで己の恐怖を認め、受け入れ、立ち向かおうとはしなかった。
完全な狂気に支配された顔つきのゾルザルがピニャへ向かって急速に距離を縮めていく。とうとう腰の剣を抜き放ってみせると、この後の惨劇を想像した招待客の間から悲鳴が上がった。
ピニャは動かない。
その必要はないと分かっていたから。
――――銃声。
礫が一斉に直撃したような衝撃が立て続けにゾルザルを襲った。
壇上の両横、舞台袖に身を隠していたプライスがM4を、同じく潜んでいたユーリがAK12を発砲した音だった。
装填した弾薬はどちらもプラスチック製の
脳や内臓を連続で強打される激痛と苦しみに見る見るうちに進む勢いは弱まり、結局ピニャから1メートル程まで迫ったところで耐えられなくなったゾルザルは剣を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
最後の1メートルはピニャの方から近付いた。顔にも着弾したせいで口の端から血を垂らしたゾルザルが、狂奔から一転虚ろな目で彼女を見上げた。
その手には護身用として渡されたグロック26が握られている。プライス達と違い、彼女の拳銃に装填されているのは実弾だった。
まっすぐと伸ばされた手に握られた拳銃の銃口がゾルザルの額に触れる。
「さらばだ、兄様」
別れの言葉を告げた一瞬だけ、ピニャの表情はただ理想に燃える帝国第3皇女の面影を取り戻して。
しかしピニャは引き金にかけた指を緩める事無く、グロック26の撃鉄が落ちる2.85キログラム分の力を最後まで加え切った。
乾いた銃声が、響く。
それが今夜皇宮を舞台にした殺戮と硝煙の演出劇の終わりを告げる、幕引きの銃声となった。
『人間がもう少し気狂いでなかったならば、戦争から生まれる悲劇を免れた筈である』 ――アンドレ・ジッド
次回、完結。
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