<03:28>
伊丹耀司
神奈川県箱根町・山海楼閣
敵ヘリを1機撃破したとはいえ、戦力比は未だ圧倒的に敵が上だ。
「ロビーを通って車がある駐車場を目指すぞ。出会い頭の遭遇に注意」
間近でロケット弾の爆発を受けたとは思えない様子で伊丹は部下らに告げた。実際には爆発の余波で伊丹の体はまだ悲鳴を上げていたが、逆に言うと戦闘を続行できる程度の痛みに留まっている。
何せマカロフを追って世界中駆けずり回っている間に爆撃に巻き込まれたり、銃で撃たれたり、敵兵(まれに敵の軍用犬やハイエナ)と取っ組み合いをしたりと散々痛めつけられたきたのだ。自然と伊丹は否応なしに苦痛への耐性を身に着けていた。でなければここまで戦い続けられなかっただろう。
瓦礫の山と化した部屋から使えそうな状態の装備をいくつか回収してから、狭く細い旅館の通路を昨夜各国の情報機関から逃げ回った時よろしく、縦列になって進む。
伊丹が先頭、瞬間・継続両面で優れた火力を持つ軽機関銃持ちの栗林が背後に続き、隊列中心部に護衛対象のレレイらに加え梨紗が固まり、殿を富田が守る。
輸送ヘリから降下した敵歩兵部隊は既に旅館を包囲、ないし建物内への侵入を完了しているに違いなかった。何時どこから飛び出してくるやら分かったものではない。
屋内戦では長銃身のM14EBRは素早い取り回しに向いていない為、伊丹は使用銃をM7A1ライフルに変更している。栗林の方はMK46軽機関銃のままだ。
MK46は普通の小銃より重量があるとはいえ、軽機関銃の中では一応屋内戦に対応できる範疇に収まっている。それでも平均以下の身長である彼女が鋼鉄と強化プラスチックの塊である軽機関銃を軽々構えている姿は、少しばかり違和感を感じさせる光景であった。
敵のヘリが宿の周囲を飛びまわる音がひっきりなしに聞こえてくる。騒音のせいで敵の足音や気配を聞き逃してしまわないよう注意せねばならない。
客室の扉がズラリと並ぶ廊下を進む。すると進行方向にある部屋の中から物音。
「……」
無言で拳を作った左手を掲げる伊丹。止まれの合図を受けてピタリと後続も動きを止めた。
気配を消して扉の前に伊丹が寄ってみると、室内を頑丈なコンバットブーツで踏み躙る音が聞き取れた。ハンドサインで室内に敵、と栗林に伝える。
護衛対象らの様子を確認してみると、見た目の割に肝が据わっていたり外見と実年齢がこれっぽっちも比例していないレレイやテュカは意外と落ち着いている。ロゥリィは言わずもがな。
対照的に地球流の戦場に多大なプレッシャーを覚えているピニャ、最も暴力沙汰から縁遠い人生だった梨紗は、特に冷え込む真冬の深夜という環境にもかかわらず冷たい汗で全身を濡らしていた。
意外にもボーゼスはピニャほど神経を張り詰めさせていないようだが、彼女の場合はピニャという優先対象の存在が使命感を抱かせ、落ち着いた態度に繋がっているのであろう。
わずかなドアの隙間から異様に明るい光が廊下側へ射し込む。個人用の暗視装置ではなく、軍用の強力なフラッシュライトで暗い屋内を照らしているのだ。
――装備選択に失敗したな。心の中でそう呟きながら、皆に声は出さず伊丹は手招きだけで部屋の前を通過させる。
自分以外の全員が扉の前を通過させた伊丹は、回収した装備の1つが入ったバックパックへ手を突っ込む。中からコンビニの弁当パックを分厚くしたようなサイズの箱を引っ張り出した。
そこからの伊丹の作業は素早く、まず扉の前に弁当箱を設置すると箱の突起物に挿さった金属ピンにどこからか取り出したワイヤーを結びつけ、延ばした一端をドアノブへ括り付ける。数秒とかからぬ早業であった。
「隊長、アレは……」
「よし、さっさと離れるぞ。なるべく距離を取った方が良いからな」
足早に扉から距離を取る。数部屋分離れた時、遂に客室に侵入していた敵兵らが廊下に出ようと扉を開いた。併せてワイヤーが引っ張られ、更に弁当箱へ緩く固定されていた金属ピンは張力にあっさりと屈し、するりと弁当箱から抜け落ちた。
直後、弁当箱が爆発した。
弁当箱の中身はたっぷり700グラムのC4爆薬に付け合わせの起爆用信管、そして白米代わりにぎっしりと詰まった700個の鉄球である。
弁当箱の正式名称はM18クレイモア指向性地雷といった。爆発すると扇状に鉄球をばら撒き、効果範囲内の人間を殺傷する。鉄球1発1発の威力だけでも散弾銃の弾薬を上回る威力を持つ。
至近距離からそのような鉄球の雨をまともに食らった末路は当然ながら悲惨だ。室外に出ようとしていた数人の敵兵らの肉体は原形を留めぬほど―まるでロケット弾を食らった直後のロゥリィのように―破壊されてしまう。尤も彼らはロゥリィと違って再生しなかったが。
「何今の爆発!?」
「気にするな、さっきの敵が罠にかかっただけだから」
テュカの悲鳴に軽く応じて伊丹は再び先頭に立つ。
客室フロアを抜けると、ロビーや宴会場といった施設が集まるメインフロアを繋ぐ渡り廊下に差し掛かった。施設の構造としてはフロア同士を接続する唯一のルートである。
それは相手も把握しているようで、渡り廊下を一望できる林の中に複数の敵兵が配置されているのが見て取れた。10人近い集団が相手の目を掻い潜って渡り廊下を渡るのは不可能だろう。
「スモークを使う。俺が向こう側を確保するから栗林と富田は皆が渡り切るまで軽機とランチャーで援護しろ」
「了解です」
全身は晒さず、発煙手榴弾を持った手だけを突き出して投じると、渡り廊下から若干離れた地面に落ちた、化学反応によって発生した白煙が見る見るうちに沸き立つが、廊下を覆い隠すまでには少しばかりの時間が必要だった。
当然ながら敵も煙に気付き、仲間らにロシア語で警告を呼びかける声が聞こえた。
「でぇりゃぁ~!」
敵が対応するより早く富田と栗林が動く。
まず栗林が発砲。しゃがみ撃ちの体勢で林の中の敵影へ、ベルトリンク式を生かした長い連射を加えていった。セオリーでは数発ごとに区切って照準修正と反動制御が求められるが、今回はとにかく『こっちに向かってずっと弾が飛んでくる』と敵に思わせて動きを封じる事が最優先だった。
彼女の目論み通り、敵影は慌ててその場に伏せたり、木の陰に隠れようとした。放たれた弾丸のほとんどは地面をえぐるか木々に弾痕を刻むかのどちらかであったが、中には弾幕に引っかかり、もんどりうって倒れる者もいた。
そこへ富田も加わり、彼はライフルから持ち替えたグレネードランチャーの回転式弾倉に装填した弾薬を一気に撃ち尽くす。対人榴弾の着弾により森の中で次々と爆発と悲鳴が連続した。
その頃には敵の視界を遮るには十分な白煙が渡り廊下周辺に広がりつつあった。
「今だ、ゴーゴーゴー!」
真っ先に伊丹が駆け出せば、釣られて後続も彼の背中を追って猛ダッシュする。
敵もやられてばかりではなく、煙幕に紛れてメインフロアへ渡る気だと見抜いた生き残りが銃撃を行う。狙いは正確とは言えず、素早く通過した女性陣に弾丸が命中する事はなかったが、音の壁を越えた銃弾が次々と周囲を通過していくたびに感じる衝撃波交じりの飛翔音は激しく心臓に悪い。
「渡り切ったぞ。富田、栗林、お前らの番だ。援護する!」
「了解!」
辿り着くや素早く援護態勢をとって伊丹は叫ぶ。言われた通りに射撃を止め、渡り廊下に飛び出す部下2人。
だが刹那、林の中から銃の発砲炎とは別種の派手な煙を伴う閃光を認識するなり、すぐさま命令を撤回した。
「危ない戻れ、
咄嗟に叫んだ伊丹の警告は部下らの耳に届いたのだろうか?
言い終えるよりも早く発射されたRPG7の弾頭が、渡り廊下の手前に着弾。
「ぐおっ!」
「きゃあっ!?」
対人・対装甲目標、両者に対応できるよう設計されたロケット弾は、直撃しなくてもちょうど渡り廊下を移動中だった富田と栗林をなぎ倒すだけの威力を発揮した。爆風に突き飛ばされた2人は廊下の手すりへ強かに体を打ってしまう。
厄介な事に、ロケット弾の爆風によって煙幕が発生源ごと吹き飛ばされ、伊丹らを隠してくれる筈の煙のベールも急速に薄れつつあった。
すぐさま部下らの下へ伊丹は駆け寄る。
「2人とも立てるか!」
「何とかいけます……」
応じながら身動ぎする富田と栗林であるが、爆風に打ちのめされての全身強打の後遺症か、その動きは鈍い。特に体重差からより勢い良く吹っ飛ばされた栗林は一時的に意識が朦朧となっていた。
また発煙手榴弾を投じるなんて悠長な余裕はない。使えそうな手段と装備から適切な答えを弾き出すべく伊丹の思考がフル回転する。
「ピニャ殿下にボーゼスさん、2人を運ぶのを手伝ってくれ! ロゥリィはさっきの時みたいにハルバードを盾代わりに彼女らを守るんだ!」
女だてらに騎士団を率いる2人は相応に鍛えており、ロゥリィのハルバードが下手な装甲車両を破壊可能な空対地ロケット弾を食らっても歪みすらしない程の耐久力であるのは先程実証済みだ。
仮に前者2人が腰を抜かして出てこなくとも、戦闘……というよりは殺戮狂じみた一面も持つロゥリィならば臆さず動いてくれるだろう。ハルバードという名の盾を持つ彼女さえいれば最低限部下らを攻撃から保護できる――ここまで伊丹は瞬時に思考し、彼女らを指名したのだ。
結局の所、ロゥリィのみならずピニャとボーゼスも伊丹の指示通りに隠れ場所から出てきて動けない自衛隊員2人の救助を手助けしてくれた。ピニャと栗林、ボーゼスと富田という組み合わせで負傷者を運ぼうとする。
「トミタ様、お気を確かに!」
「すみませんボーゼスさん」
「イチャつく前に足を動かせ足を!」
伊丹はハルバードの陰から身を乗り出して応射する。敵兵も当然の如く撃ってくるが、ヘリの機銃ほどの火力はなく、ロゥリィのハルバードは
伊丹の目が、林の中で蠢く敵のシルエットの中に異彩を放つ存在を捉えた。小銃の形状からかけ離れた筒状の物体に棍棒じみた形状の代物を挿し込み、肩に背負うその動作は紛れもない、RPGの装填動作だ。
「またさっきのロケット弾が飛んでくるぞ、急げ!」
「ちょっとぉ、私のハルバードにも限度ってものがあるのよぉ」
ヘリからの爆撃が若干トラウマ気味なのかロゥリィが思わず愚痴る。急かしながら伊丹も発射を阻止しようと、RPGの射手へライフルの狙いを定めた。敵もまた同時に発射機を背負い直し、姿が露わになった伊丹らへと照準を合わせる。
発砲音とハルバードが弾丸を弾く音が鳴り響く最中、今度は伊丹の聴覚が銃弾のそれとは別種の風切り音を聞いた。
すると伊丹が撃とうとしていたRPGの射手に異変が生じた。突如照準器を覗いていない方の目から棒らしき物体を生やし、その場に崩れ落ちたのだ。
それだけにとどまらず、前のめりに倒れかけた次の瞬間、射手が爆発した。倒れこんだ拍子に引き金にかかった指が痙攣したのか、ロケット砲を自らの足元に発射してしまったらしい。周囲の味方を巻き込む自爆であった。
「ふぅっ、ぶっつけ本番だったけど上手くいったわね。こっちの世界の弓が優秀で本当に良かったぁ~」
昼間に購入したばかりのアーチェリー……より正確には、海外では狩猟用としても用いられるコンパウンドボウを下ろしながら、テュカが満足げな息を漏らした。
アーチェリーという武器は、銃ほどではないがそれでも射程距離だけで言えば数百メートルにも達する。しかしそれはあくまで矢が飛ぶ限界距離であり、人を殺傷可能な有効距離は半分以下だ。ちなみにオリンピック競技としての野外アーチェリーにおける的までの距離は70メートルである。
月明かりがあるとはいえ、夜の林に蠢く人のシルエットだけを頼りに、何十メートルも離れた敵の眼球を使い慣れないコンパウンドボウで実戦の真っ只中という過酷な条件の中、見事1発で敵の頭部を射貫いたテュカの腕前と勝負度胸は下手なオリンピックメダリストよりもよほど神業めいていた。
「テュカ、ナイスショット」
「ふふん♪」
これには伊丹も彼女の腕前と危機への対処、二重の意味でテュカを称賛した。
ナイスショットという単語は初耳なテュカだが、言葉のニュアンスから褒められているのは分かったので、彼女も得意げかつ嬉しそうな笑顔を伊丹へ向けるのだった。
「動けそうか2人とも」
「ええ、どうにかこうにかですが」
「あ、あれっ? 私気絶してました?」
「その半歩手前って感じだったな。頭痛や吐き気、めまいや息苦しさはないか? 骨が折れたりは? やせ我慢しないで正直に答えるんだ」
爆薬の炸裂による衝撃波によって体の奥深くまでダメージが及ぶ事は決して珍しくない。むしろ目や耳、鼻や口といった体表上の穴にあたる器官から強烈な圧力と高熱を伴い侵入し、脳や内臓に深刻な障害をもたらしやすいのだ。
なので伊丹が着た事もある爆発物処理用の対爆スーツもヘルメットに気密性があり、もし爆発した際に衝撃波から装着者の鼓膜を保護するよう設計されている。一般的な前線の兵士が着用するヘルメットや防護アーマーの場合は、衝撃波よりも飛散した破片からの保護を優先する設計だ。
「ちょっと耳鳴りがしますけど、それ以外は平気です。骨が折れたりとかも多分なさそうです」
意識が遠のいていたせいでピニャに引きずられる格好で運ばれた栗林も耳を押さえながらようやく身を起こす。
今の栗林は爆風に叩きつけられた勢いと弾頭の破片によりセーターの胸元やタイトスカートが切り裂かれ、豊か過ぎる胸元を支えるブラやストッキングに包まれた引き締まった太ももが見え隠れしていた。
兵士としての装備がなければレイプ未遂被害者かと勘違いしそうな姿であるが、立場も状況も逼迫している栗林は全く気付いていない。戦闘モードな伊丹も指摘するのは全て終わってからだという事で指摘しなかった。
「よし、だったら銃を取れ。ロビーはもうすぐ、後はそこを抜けて駐車場に向かうだけだ」
そこまでも大変だろうし、車に乗れたとしてもそれで終わりじゃないだろうがな――とは口には出さなかった。そんなのは分かり切った事だ。
メインフロアの中心であるロビーは『これぞ観光地の宿泊施設!』とばかりに広くスペースが取られた吹き抜け構造で、和風の内装ながらそこかしこに自動販売機や休憩用の横長なベンチや四角張った個人用の肘掛け付き椅子、また照明は落とされているが受付用のチェックインカウンターに宴会場がある2階へ続く大階段、商品棚が並んだ土産物屋のスペースも配置されている。
目指すべきは駐車場に通じるロビー前の正面入り口だが、そこへ辿り着くにはロビー中央を突っ切らなければならない。
妙に静かな空間だった。外からヘリの音は聞こえ続けているが、荒れた様子はなく、ガラス張りの自動ドア越しに広がる駐車場も暗い静けさが広がっていた。
故に、伊丹は足を止めた。警告の看板が立っていない地雷原のような、目に見えない危険の気配がした。
出来る限りロビー側に姿を晒さないよう、壁際に体を押し付けながら、後続へ端的に告げる。
「おそらく待ち伏せされてる。このまま出ていくのはマズい」
「だと思ったわぁ。血の臭いが染みついた獣の臭いがプンプンするものぉ」
「じゃ、じゃあ別のルートから車を目指した方が!」
「それはお勧めできないな。数十分や数時間って単位で考えると自衛隊の援軍が期待できる俺達が優位だが、5分や10分ってレベルとなると歩兵の数も航空戦力も揃ってる敵の方へ時間は有利に働くだろう」
「だったらどうするというのですか!? このままではピニャ様の身が!」
「よせボーゼス!」
壁際に集まって話していると、ロゥリィが獰猛な笑みを浮かべながら挙手をした。
「だったら私が行くわぁ。さっきは失敗してしまったけどぉ、今度こそきっちり不届きな客人がたの首を狩ってきてみせるわよぉ」
亜神の申し出に対し、伊丹は小さく溜息を吐くと無造作かつ容赦なくロゥリィの額を小突いた。
「あたっ! ちょっとぉ、何よぉ?」
「単騎特攻なんて却下だ却下。そんなもんはな、にっちもさっちもいかなくなってもうこれ以外に選択肢がないって時にこそ仕方なくやるもんであって――」
ヘリの音が近付いている。
最初に客室を攻撃された時のように、だが今度はロビー全体が騒々しくカタカタと震えている。
羽音とエンジン音による傍迷惑な二重奏は間違いなくヘリのそれだが、伊丹は何となく違和感を感じた――最初に目撃したMH-6、そしてMi-8の駆動音とも微妙に違う。もっとハイパワーなエンジンの唸り声に思えた。
敵の航空戦力は確認されている時点で5機。内訳は伊丹が目撃したMi-8とMH-6が最低でも1機ずつ。MH-6は既に伊丹が1機撃墜済み。残りの内訳は不明。
(まさか……)
嫌な予感がするが、今更敵の侵入を許してしまっている旅館に立てこもるわけにはいかない。
「隊長、先程みたいに煙幕を使うというのは」
「さっきはともかく、今度は向こうも俺達が正面玄関を通るっきゃないって分かって待ち構えてるだろうから、出口に集中砲火を浴びせられようもんなら一巻のおしまいだろうな」
「じゃあ
名前の通り強烈な閃光と爆音により敵の視覚と聴覚を一時的に麻痺させる事を目的とした手榴弾を指す。
殺傷用の破片を飛ばさないので(ただし発熱により引火の危険性はあるが)主に敵と人質が混在している屋内で多用される非致死性武器の一種だ。やはり用意した装備に混じっていた1つであり、自衛隊組は全員数個ずつ所持している。
栗林の提案通り、敵の不意を突くにはうってつけの装備ではあるが、
「良いアイディアだけど場所がなぁ。広いし遮蔽物も多いから1個だけじゃ不十分だろうし、満遍なく効果を与えるには数と助走が必要だけど、それだと向こうに姿を晒さなきゃいけなくなる」
十分なショック効果を与えるにはグレネード本体を対象に効果が及ぶ範囲内に届かせる必要があった。身を隠しながら手首のスナップだけでグレネードを投じられる距離には限界があり、投げられる個数も1度に1個だけである。
理想なのは飛び出した伊丹らが「いっせーので」とタイミングを合わせて一斉に敵が隠れていそうな空間へバラバラの方向へ投じる事だが、それでは十分な溜めを作っての投擲モーションから起爆までの間、敵に対し無防備な姿を見せつけてしまうのだ。
何より広い空間でスタングレネードを使用する場合に最も厄介な問題は、時限信管が起爆するまでの時間が極端に短い事である。
安全レバーが外れてから起爆するまでの猶予は2秒弱。破片手榴弾の半分以下である。そういう意味でもスタングレネードは遠投に向いていない。
「だったら私が代わりに投げてあげるわぁ。ちょっとやそっとの傷じゃ私は止められないものぉ」
「ピンを抜いた直後に撃たれて万が一落としたりしたら逆にこっちが酷い目に遭うからその案は却下だ」
「え~」
方策を議論している間にも敵の仲間が別ルートから背後ににじり寄りつつあるかもしれないのだ。
仕方なく、リスクを承知で助走をつけての投擲を行う事に決めた伊丹が部下2人に再度援護射撃を命じようとした、その直前。
さっきから黙っていたレレイが不意に手を挙げた。
「どうしたレレイ?」
「確認しておきたい。今この状況に於いて求められているのは『すたんぐれねーど』というのを時間差なく、複数の離れた地点へ投じる事と判断してよいか?」
「ああその通りだ。起爆するまでの猶予も短いから、できれば勢い良く飛ばせればなお良いね」
するとレレイは小さく頷き、
「では、私に考えがある」
賢者見習いはハッキリとした口調で告げると、言葉短かにある指示を出す。
「こんなもんでいいか?」
レレイのアイディアにより、まず数十センチばかりの長さに切ったワイヤーを数本用意した。
それぞれスタングレネードの安全ピンに結び付け、もう一端は別に用意した数メートル長のワイヤーへすっぽ抜けてしまわないようにきつく一纏めに括る。
ワイヤーはクレイモアを設置した時にも使用したものだ。これにより長い方のワイヤーを強く引けば複数の手榴弾に挿されている安全ピンを一斉に引き抜く事が出来る。
「これで良い。
「魔法を使えるだけでも大したもんさ。個別にバラバラの方向へ飛ばす事自体は可能なんだろ」
「直線軌道であれば、予め力の方向を設定すればいいだけなので十分に可能……始めて良い?」
問われた伊丹は順番に皆の顔を眺めまわす。緊張からか全員無言ではあったが、代わりに目礼、頷き、口元を楽しそうに歪めるなどといった反応でもって覚悟表明を見せた。
確認し終えると、伊丹と入れ替わりに先頭に立って杖を手に待ち構えるレレイの肩を叩いて合図を送る。
「やってくれレレイ。皆、合図するまで耳を塞いで絶対にホールの方を見ないようにしろよ!」
「では始める」
どう発音しているやらサッパリ分からない不思議な声色による詠唱がレレイの口から流れ始めた。すると風鈴か千羽鶴よろしく複数のワイヤーに括りつけられたスタングレネードがふわりと勝手に浮き上がった。
続けてレレイが心持ち強めの口調で更に唱えると、ただでさえ物理法則を無視して浮いていた数個の金属筒が弾かれたようにロビーへ向かって飛翔した。目で追える速度ではあったが、それでもメジャーリーガーの剛速球なんぞ目じゃないレベルの速さだ。
魔法の力によって放射状に射出された複数のスタングレネード、その安全ピンに結わえられたワイヤーは瞬時に張り詰める。そして長い方の一端は手近な柱にちょっとやそっとじゃ外れないようしっかりと巻きつけてあった。
魔法の推進力とワイヤーによる牽引力、2つの外力に安全ピンはあっさりと屈した。まず安全ピンが抜け落ち、続けざまにピンというくびきから解放された点火レバーが弾け、信管を作動させる。
瞬間的にかかった張力によって錐揉み回転に陥りつつも、点火したスタングレネードはほとんど速度を減じず1個はカウンターに、1個は土産物屋に、また1個は2階部分の吹き抜けに面する通路へ飛び込むといった塩梅で、ロビーのあちらこちらに転がっていった。
「レレイ!」
「おおっ?」
近くの柱から延びたワイヤーが張り詰めたタイミングで、伊丹はレレイを胸元へ抱き寄せた。魔法発動の為に、彼女だけ対ショック態勢を取れなかったからだ。
銀色の髪へ腕を巻き付けるようにして彼女の耳を覆い、胸元へ顔を押し付ける事で閃光が目に入らないようにする。
されるがまま伊丹の胸元に飛び込んだレレイもレレイで、さりげなく自分から彼の胸板に額を擦り付けたのだが、残念ながら彼女が感じたのは防弾プレートと予備マガジンのゴツゴツとした硬さのみであった。
轟音と閃光の嵐が吹き荒れた。
複数のスタングレネードを空間中に満遍なくバラまいた上でほぼ同時に起爆させた結果、そこだけ超局地的な大地震が起きたかのようにロビー全体が瞬間的に激しく震えた。実戦で嫌というほど爆音慣れした伊丹ですら肝を潰しかけた程だった。他の面々も痛そうに耳を押さえていたり、余波だけでちょっと意識が遠のいてしまったのか、頭を左右に振っている者が大半だった。
予め身構えていてこれなのだから、不意を突かれた側への影響は甚大である。照明が落ちた暗いロビーに潜む間に闇に目が慣れてしまっていれば尚更だ。
顔だけ突き出してロビーを覗くと、顔を押さえて苦悶の声をあげながら柱や自販機の陰から体をはみ出させている者や、尻隠して頭隠さずとばかりにカウンターの奥から頭に手を当てて蹲った体勢で姿を晒している者、悶えるあまり手すりを越えて2階から落下してくる者と、スタングレネードの効果に打ちのめされた敵が次々と隠れ場所から出てきつつある。
「よし行くぞ皆、強行突破だ!」
一斉に飛び出しながら伊丹らは近場の敵を手当たり次第に倒していった。
耳を押さえてふらついていた敵へ、伊丹が5.56ミリ弾の短連射を叩き込む。
四つん這いになりながらも、伊丹らの突撃に気付いて銃を持ち上げようとしていた敵の胴体に、富田の放ったSA58の7.62ミリ弾が風穴を穿つ。
障害物競走よろしく椅子を飛び越えた栗林が、まずカウンターに、次に土産物屋のスペースへと軽機関銃の掃射を加え、木材でできたカウンターや軽金属製の商品棚ごと数人の敵兵を穴だらけに変える。
2階の敵兵をテュカの矢が射貫く。ロゥリィがゴルフスイングよろしくハルバードを振るって別の四角張った椅子を弾き飛ばし、直撃を食らった敵兵の全身の骨が粉砕された。
進路上で未だ蹲ったままの敵がいたので、とりあえずレレイはそいつの頭を杖で殴りつけてからさっさと進む。まだ意識があったので、念の為後続のピニャはその敵の首をナイフで掻っ切っておいた。梨紗は今日2度目の失禁をしながら必死に皆の後を追う。
正面入り口は照明同様電源が来ていないらしく近づいても開く様子を見せない。こじ開ける暇も惜しく思った伊丹は弾切れを起こしたM7A1を下ろし、ホルスターからグロック18を抜いて厚めのガラスに多数の弾痕を穿つと、そのまま肩からぶつかって無理矢理ぶち破った。
こうして伊丹らは旅館の外へ脱出を果たしたのである。
「まだ油断するなよ、敵は外でも待ち伏せ――」
正面入り口から飛び出してきた伊丹らをサーチライトが照らした。
出所もやはり滞空中のヘリからである。そこまではロゥリィの暴走で部屋を空爆された時と同じだが、再び伊丹達を照らすサーチライトの主はMH-6ではない。
そのヘリは
Mi-28・ハボック攻撃ヘリ――陸戦の王者である戦車ですら屠る鋼鉄の蜂が、どれだけ鍛え抜かれていようともいち歩兵に過ぎない伊丹を無機質に見下ろしている。
「…………それは反則だろぉ」
力なく呻いた伊丹に向けて次の瞬間、ハボック機首下の30ミリ機関砲が咆哮した。
『戦争では、勝つも負けるも、生きるも死ぬも、その差は紙一重である』 ――ダグラス・マッカーサー
NGワード:マクミラン大尉
3人娘にもちゃんと見せ場を与えようとしたら冗長気味になってしまった感。
やはり話を書くのは難しい…
批評・感想お待ちしております。
7/11:誤字修正