それにしても皆ゾルザルに何の恨みがあるというんだ!(一気に増えた感想数を見て)
<15日前/06:58>
嘉納太郎
東京都千代田区永田町・首相官邸
帝国による日本人拉致被害に対する報復である元老院爆撃。
その立案者と作戦実行を承認した最高責任者は2人だけで専用の執務室に集まり、作戦結果の報告を待っていた。
不意に卓上の電話が鳴る。すぐさま電話を待ち侘びていた男の片割れが受話器を取って応対する。
二言三言交わし終えると男は受話器を下ろし、もう1人の方を見る。その顔には微かな安堵と誇らしさが滲んでいた。
「総理、帝国元老院の破壊を確認しました」
防衛庁経由で特地派遣部隊幕僚からの報告を受けた夏目防衛大臣は、嘉納太郎
「そうか、よくやった。民間人に被害は出てないだろうな?」
「そちらも現地にて前線航空管制を行っていた隊員が被害は目標の建造物のみに留まったと確認済みです」
「よーしよくやった。作戦に参加した隊員達に俺の名前付きで感状を与えるよう取り計らってやってくれ」
「承知しました。しかしそれはいいのですが、例の彼についての対応は如何しましょうか、嘉納さん」
当然ながら『彼』とは伊丹の事である。
拉致被害者の救出の際、よりにもよって皇宮内でしかも皇帝の目の前で第1皇子を散々に暴行し、あまつさえ
真っ先に殴り飛ばしたのはまぁ大目に見るとしてその後がいけない。
現場で一部始終目撃した外務省職員の報告によれば、伊丹を止めようと取り巻きが剣を抜いたところに対し、伊丹は無警告で発砲を行ったという。
日本人としての嘉納は伊丹の活躍に快哉を上げたかった。首相就任以前は防衛大臣として北の半島による拉致被害に砂を噛む思いを味わってきた1人なだけに、今回の伊丹の活躍に一層スカッとした思いだ。
だが政治家としての嘉納は別の意見である。
せめて伊丹には形だけでもいいから相手に警告を行うか、日本関係者を害そうという言質を相手から取れるまで我慢して欲しかったというのが政治的な感想だ。ここまで派手に暴れられては、拉致被害者救出という大義名分が過剰防衛という汚名に塗り潰されかねないからだ。
日本側には幸運な事に、動画や写真といった動かぬ物的証拠が残っていない―正確には帝国には物的証拠を証拠として提示出来るだけの能力がない―
その為、伊丹を含む当事者の自衛官らに緘口令を敷きさえすれば、伊丹の暴走行為という情報は特地内で封殺出来る(流石に拉致被害者の存在そのものの隠蔽はしないが)。
「あ~そうだな……とりあえず皇宮で具体的に何が起こったのかに関しては緘口令を敷かせろ。拉致被害者救出、この一点を押し出しつつ世論が帝国殲滅に傾き過ぎないよう情報統制する必要もあるな」
「銀座、そして第3次大戦の英雄伊丹二尉――彼の出現によって日本の世論は急速にタカ派に傾きつつありますからねぇ。
そこに今度は拉致被害者救出。いやはや、どれだけの人々が帝国打倒と囃し立てるやら。ま、彼らは安全な国内で無責任に煽るだけで実際に血を流すのは特地の自衛隊員達なんですが」
防衛大臣は愚痴と共に首を横に振り、溜息を漏らす。嘉納もそれに倣って深い息を吐いた。
日本が第2次世界大戦への道を突き進ませた原因は当時の軍部が暴走したせいである、というのが現代における一般的な認識だ。
だが実際には、主戦論派のマスコミに扇動された国民の後押しがあってこそ、当時の日本政府は勢いに流されるがまま無謀な国力差を顧みず、大国アメリカに宣戦布告する羽目になったのだ。
それを今の国民は正しく知り、認識し、自省しているのかどうか。
到底怪しいものだというのが嘉納達の認識だ。特にマスコミは野党共々国外勢力の紐付きであったという事実が公にされたのもあり、極一部の例外を除き今やその信頼は地の底よりも更に下に墜ちている。
ともかく、第2次大戦の二の舞は嘉納も夏目も御免であった。
かといって世論を無視する訳にもいかないのが現実である。また過激な主戦論派が打ち出す電撃的侵攻による帝都占領という案が、実際に政府内で考慮されているのも事実だ。
「今騒いでる連中は自衛隊が伊丹と同じ超人兵士の集まりとでも勘違いしてるとしか思えねぇからな。まったく、伊丹が例外中の例外なだけなんだっつーの」
「嘉納さんは彼と個人的な御友人でしたね」
「まぁな。俺とアイツの関係が流れちまったお陰で政治家としての俺の人気が便乗して上がっちまったもんだから、気が付きゃ森田さんを蹴落として総裁選に勝っちまった」
己が内閣総理大臣の椅子に座る事が決定した当時を振り返り失笑する。
通称伊丹ショックと呼ばれる、参考人招致を発端とした海外勢力と繋がりを持つ野党議員ならびにマスコミの暴走による騒乱。
そして軍事侵攻規模のテロ事件、伊丹が所属していたTF141の情報公開、極めつけに本位首相辞任と引き換えに行われた政府・マスコミ内の密通者狩りという、連鎖発生した数々の重大事件によって日本政府は揺れに揺れた。
そんな中で行われた総裁選。何処から漏れたのやら、伊丹と数十年来の仲であるという情報が流れた途端に嘉納の支持率が一気に急上昇。
元々政治家としての力量に加え、年季の入ったサブカル知識と歯に衣着せぬ江戸っ子気質から一定の人気を博していた所に、世界的英雄との関係が報道された嘉納の地位は党内でもうなぎ上りに。
そんなこんなで蓋を開けてみれば、党内最有力候補と言われた森田を下し、嘉納は内閣総理大臣の椅子に座る事となった。
なっちゃったのである。
「ですが聞いた所によると森田さん、あの人総裁選を投げようとしていたそうですよ。ほら、今首相になったらアメリカからしつこく責められると思って」
「森田さんは肝っ玉が小さい上に自分で責任を取りたがらない事なかれ主義で有名だったからな……」
来日中の特地来賓に対する米国側の工作を完全にぶち壊しにしただけでなく、米国政府には非常に都合の悪い機密が含まれていると知りながら―しかもWW3の悪役ロシアと手を組んで―勝手にTF141の情報公開を行った事で、日本政府と米国政府の関係は非常に危ういものとなりつつある。
同盟国であり最大の庇護者であるアメリカの怒りを買った直後に好き好んで矢面に立たされる、その覚悟を森田某は持ち合わせていなかった。
また、国外勢力の魔の手は野党のみならず与党の一部議員にも及んでおり、森田閥の議員も若干名処分を受けた事で派閥の力が弱体化したのも影響しているという。
それらの要因によって最有力候補が半ば辞退する格好となり、繰り上がりで次点の嘉納が首相の座に着いたというのが事の真相であった。
今、『門』を最も求めているのは間違いなくアメリカである。
次点で中国だが、そちらは裏取引で協力体制を築いたロシアが睨みを利かせてくれているお陰で動きは鈍い。
第3次大戦で甚大な被害を被ったアメリカは、復興の為の予算と資源を手にする為ならこれまで以上に強引な手段を用いてくるであろう。
手負いの獣ほど恐ろしいものはない。これは欧州各国にも言える。ロシアと同じくイギリスとも裏取引を交わし、EUにおけるストッパー役を任せられたのは望外の幸運だった。
ロシアとイギリスの協力の背景には、日本国内に存在し日本が管理し日本人しか立ち入れない『門』の向こうの異世界に特例で―極少数とはいえ―自国の駐在武官を置いているという、他国にはない唯一無二のアドバンテージがあればこそだ。
両国の武官は現時点で派遣部隊駐屯地か近隣の難民キャンプ、ならびにアルヌスの街以外への外出は固く禁じられている。武官が発信する情報も当然の如く日本政府による検閲が行われている。
今の所、ロシアもイギリスもそれで満足していた。
アメリカや中国ですらほぼ入手出来ない特地の生の情報、それを何と日本政府公認で定期的に受け取れるとなれば文句の出ようがない。日本政府がその気なら簡単に情報源を地球に送り返せるのだから尚更である。
この手の情報収集工作には協力者との関係構築が極めて重要である。特地の場合、協力者とは自衛官を含めた日本政府と現地住民を指す。
機械技術が皆無の異世界では地球世界で主流の無人偵察機・偵察衛星によるリアルタイムの監視、電話の盗聴、情報ファイルへのハッキングなど不可能である。
貴重な武官を駐屯地内の重要施設へ忍び込ませてスパイさせる、なんて真似もリスクとリターンが全く釣り合わないので却下。
故に、特地で行う情報工作は極めてクラシックなやり方に限定される。
現場の工作員が現地住民や自衛官らと信頼関係を結ぶ事で情報網を構築していくという手法、つまり
今回の場合は『門』を越える際に日本政府の検閲が入るので本国も動かねばならない。粘り強く日本政府に脅しすかしおだて搦め手を駆使し、情報制限の締め付けを少しずつ緩めさせていく必要がある。
それには時間が必要だ。現場にも、本国にも。
元々国際政治的な支援と引き換えの駐在武官なので、日本側もロシアとイギリスによるこれらの情報工作活動を事実上黙認している。
そもそもの話、駐在武官として特地に滞在中のイギリス人と2人のロシア人、彼らの背景自体が特大の政治的爆弾なのだが、そこら辺の話は置いておく。
重要なのは『門』の向こう側に存在する資源と汚染されていない土地を求め、第3次大戦で著しく国力を疲弊させた各国が世界の表裏で激しい暗闘を交えているという点だ。
数々の大国が競い、あるいは結託し、日本への干渉を強めている。中国はロシアが、EUはイギリスがストッパーとして日本を援護してくれている。
しかしアメリカだけは決定的なストッパーが存在しない。嘉納にはそれが不安だった。
「今度の外相会議でもどんな無茶な注文を付けてくるやら。とにかくこちらの方針としては強気で踏ん張るよう、外務省に釘を刺しておかにゃなんめぇ」
政治家は直接刃を交え、己の血を流し、命のやり取りを行う訳ではない。
しかし最前線の現場とは戦い方に違いはあれど、政治家もまた己の戦場で決断し、命令を下し、時には犠牲を払いながら勝利を目指して戦う兵士なのである。
<15日前/09:41>
ピニャ・コ・ラーダ
帝都・元老院議事堂跡地
どうしてこうなってしまったのか。
議事堂を構成していた巨大な石材の残骸に腰掛けたピニャは頭を抱えて何度も己に問いかける。
帝国元老院を象徴する議事堂は地揺れの翌朝突如として発生した大爆発により、見るも無残な瓦礫の山へと一変した。
議事堂の破壊を行ったのが自衛隊である事は間違いない。爆発の直前、龍よりも遥かに速く飛翔する
これは報復だ。自国民を拉致し奴隷としていた帝国に日本が下した怒りの雷だ。
事の大まかな実態はピニャや皇帝、ゾルザルのみならず、当時その場に居合わせなかった元老院議員らも又聞きという形で把握している。
今議事堂跡地では講和派議員のカーゼル公爵が、元々日本は平和裏な講和を望んでいたにもかかわらず、突如としてこのような暴挙を行った経緯を集まった議員らへと朗々と語っている最中だ。
「事の始まりは開戦前、敵を知る為に異境の住民を数人『門』の向こうから攫ってきた事である。敵国の使者はこれを知るや大層怒り、事もあろうに陛下の面前において皇子ゾルザルを打擲するに及んだ!!
――陛下、間違いありませんな?」
集まった人々の注目が一斉にゾルザルへと注がれる。
一言で表すならば、よくもこの場に顔を出せたと立場に関係なく思ってしまうほど酷い有様だ。
顔面の大部分が腫れ上がり、その上ガーゼや包帯に覆われている為、特注で仕立てられた専用の装いを纏っていなければ第1皇子と分からない。服に隠れているが上半身も包帯でグルグル巻きにされている。
極めつけに硬いブーツで踏みつけられたのが未だに響くのか、股間に氷嚢を当てた姿を集まった議員達に晒している始末。
打擲ではなく拷問の間違いでは? というのがゾルザルの有様を見た議員らの大半が抱いた感想だった。
実際、下手人の伊丹自ら拷問宣言しちゃったので彼らの感想は間違ってはいない。
「そ、そうだ。ニホンの奴らは卑劣にも、父上の身を案じて駆けつけた俺の不意を突き、無抵抗な俺に暴力を振るったのだ」
不意を突いたのは間違っていないが無抵抗というのは正しくない。
だがゾルザルは帝国において玉座に君臨する皇帝モルトに次ぐ権力の持ち主。ピニャですらこのゾルザルの発言に異を唱える事は、簡単には許されない。
問いかけたカーゼルの方も、ゾルザルの愚かしさは常々理解していたので、彼の証言は話半分に受け取った。内心の嘲笑を真面目腐った表情の下に隠して弁舌を更に奮う。
「我が帝国の皇子を打擲にしてみせた、これだけでも宣戦布告に匹敵する所業なのは間違いあるまい。
だが、何故だ? 講和の為に何度も丁寧な下準備を積み重ね、キケロ卿のみならず私の方へも紹介を経ての接触を持ちかけていたニホンが、何故方針を一変してこのような暴挙に至ったというのか。どうしてここまでの怒りを見せたのか?
……ピニャ殿下。皇子に暴行を加えたニホン人はそもそも殿下が皇宮へと招き入れた者達との事。
以前よりニホンとの接触を重ねていた殿下であれば、事の経緯と彼らなりの考え方について知っておられるのではないですかな」
ほら来た。この展開を予想していたピニャは己の心臓と胃と膀胱が縮み上がるのを感じた。
彼女が伊丹達を皇宮まで連れてきてしまったのは、ピニャ達と違って世界が揺れる現象に彼ら日本人が詳細な知識と対応能力を有していたからだ。
……が、実の所は地揺れが怖かったからの一言に尽きる。まるで怪談話を聞いてしまったせいで夜の便所に独りで行けなくなってしまった子供そのものの理屈だ。
流石にそれを場正直に白状する訳にはいかない。故にピニャは伊丹達を皇宮に入れてしまった経緯を語るのではなく、己が見聞きし集めた日本の情報を皇帝と元老院議員らへと発表する道を選んだ。
何故最初からこの情報を帝国議会に流さなかったのか。
それはピニャが日本国内で得た情報があまりにも偏り、ショッキングで、帝国の権威に凝り固まった皇帝や議員の常識からかけ離れ過ぎていたからだ。
昨晩の伊丹による鏖殺、そして今朝の爆撃によって帝国の重鎮らに現実を叩きつけられたこのタイミングは、むしろピニャには好機であった。
「そもそも妾が彼らと出会ったのはイタリカにおいて――」
ピニャは語る。
イタリカで、アルヌスで、銀座で。
彼女が目撃した日本率いる自衛隊が持つ武器の威力、兵のほぼ全員へと優れた武器を行き届かせる組織力、アルヌスそして銀座で目の当たりにした建築能力の高さを。
しかもこれらは序の口である。
「二ホンの図書館には膨大な数の文献のみならず『ぱそこん』というカラクリが幾つも置かれ、それによってより二ホンだけではない『門』の向こうに存在する他の国々にて起きた、様々な戦乱に関する詳細な情報をも調べる事が出来た。
そして妾は思い知らされたのだ。『門』の向こうの世界では地獄というものが現実のものとして地上に顕現していたという事を。そして二ホンがその気になれば、我々帝国でも容易に地獄が生み出せるという事実をだ」
ピニャは紙束を元老院議員らへ提出した。図書館にて限界まで集めた第3次世界大戦の資料に、情報公開に備えてピニャなりの翻訳や所見を書き加えた一種のレポートである。
同一の内容を複数セットで印刷した訳ではない為、議員達は肩を寄せ合いながら回し読みする格好となる。
中身に目を通した議員は、まず皇室お抱えの芸術家でもまず不可能なまでに詳細に描かれた画像に感心する。次いで画像の全貌に驚愕し、その次のページに書かれた文章の意味を理解するに至ると、揃って顔色を青白く変えていった。
戦火に呑まれる、帝都などとは比べ物にならない摩天楼が連なる大都市。
人も建物も灰燼と化す神の光。
毒の煙に覆われて1つの巨大な墓標と化した街並み。
異装の兵士によって積み上げられる民間人の屍の山。
「
これを読んだのならば皆方にも分かるであろう。戦争の概念とやり方そのものが、二ホンと我々とはあまりにかけ離れているのだ。
ほんの1年前に『門』の向こうの国々の間で起きた戦争によって発生した犠牲者の数は1億人にも上るという。これは兵のみならず現地の住民を含めた数だそうだが、それほどまでの犠牲が出たにもかかわらず、戦争の当事者である国々は未だ国体を維持しているそうだ。
それに引き換え我らはどうだ? アルヌスへと攻め込んだ連合諸王国軍、その規模は10万に達していたというが、彼らはどうなった? それは今のアルヌスを一目見れば容易く理解できるであろう」
「殿下、お言葉には気を付けて下さいませ」
カーゼルの苦言。それに対しピニャが返したのは暗い冷笑であった。
「妾は事実を述べているだけだ。そう、この場の誰もが理解していながら、奥底では潜在敵国であった諸王国軍の戦力が減って助かったとほくそ笑むだけで、諸王国軍を撃退したジエイタイの実力を見図ろうとしてこなかった貴様らにな!」
「殿下、それはいくらなんでも言葉が過ぎますぞ!」
「……ともかくだ。妾が言いたいのは『門』の向こうで行われる戦争というのは、このような1度に何万もの死者を生み出す恐ろしい兵器を使って行われているという事で、妾が恐れているのもこの事なのだ」
「もしやまさか、二ホンがこのような恐ろしい武器を我々に使用するとでも?」
いち早くピニャの言いたい事を悟った元老院議員の顔色は最早死人同然だ。
「二ホンはだな、これまでは我ら帝国に対し手加減をしていくれていたのだ。彼らが最初から帝国を滅ぼすつもりであったならば、この帝都に『カク』や『毒ガス』を使えば良かっただけなのだからな。
にもかかわらず、『門』が開いて初めて向こう側へと攻め込んだ侵攻部隊や、連合諸王国軍が奪還の為に攻め込んだのを撃退した時を除けば、ジエイタイは自発的に我々へと攻撃を加えてこないどころか、平和裏な講和を向こうの方から持ちかけてきた。それも昨晩までの話だったが……」
諦観の笑みを浮かべながら思い出したかのような口調でピニャは付け加える。
「そうだ、これも語っておかねばならないだろう。二ホンという国家が持つ力も恐ろしいが、二ホンにはもっと恐ろしい存在があるのだ」
新たな書類が議員達へ渡される。
そこに記載されていたのは1人の人物であった。異世界の服装に身を包んだ、平たい顔つきの一見冴えない容貌のヒト種。
議員の中には驚きを顔に浮かべる者もいる。それは日本政府共催の園遊会でピニャから紹介された、もしくはつい昨晩ゾルザルを血まみれになるまで殴りつけた人物であったからだ。
「かの者の名はイタミヨウジという。此の者こそが我が兄ゾルザルを打擲し、それどころか『門』の向こうへと出撃した我ら帝国軍をたった独りで撃退した二ホン国の英雄である!」
曰く、烏合の衆であった現地兵を取り纏めて住民を逃がす為の防衛部隊を編成した立役者。
曰く、生身であのジャイアントオーガーすら撃破した豪傑。
曰く、捕虜となった味方の軍を逃がすべく集結した帝国軍へと挑んだ挺身の徒。
曰く、雪崩を打って襲いかかる帝国兵を向こうに回し、友軍を逃がしきるまで数百の兵を単騎で血に沈めた無双の戦士。
曰く、剣で斬られようが竜騎兵の槍で突かれようが攻城用の弓で貫かれようが決して斃れぬ、不撓不屈の豪傑。
本当にこの男が帝国軍を独りで撃退したというのか。
議員らが抱いた当然の疑問は、皇居前に集結した万の帝国軍を前に帝国兵や騎士の躯の山に取り囲まれながら、独り仁王立ちで立ち塞がる伊丹を写した写真によって容易く砕かれる。
「しかもこの者が恐ろしいのは我々帝国のみに限らず、二ホン同様帝国よりも遥かに絶大な力を持つ『門』の向こうに存在する他の国々が引き起こした1億人もの犠牲を出した戦争、それをたった3人の戦友と共に終結へと導いた英雄という事だ。
分かるか? つまり帝国を超越する力を持つ異世界の大国をも止められるだけの武勇を、イタミ殿とその仲間は個人で持ち合わせているのだぞ」
帝国でいう皇帝に当たる権力者を救出したり、仲間を殺された報復に将軍や大国の裏の支配者といった重要人物を大部隊の護衛諸共暗殺した実績も持っているという。
「この者は異世界の亜神、それとも正神に匹敵する存在なのですか?」
「妾も本人に聞いてみたがイタミ殿自身はいたって普通の人間だそうだ」
そこまで説明し終えると、ピニャは魂すらそのまま抜け出てしまいそうなぐらい深い深い溜息を吐き出した。
「……このような自国の民の為のみならず、他国同士が行う戦争を止める為ですら命を懸ける程に義侠心溢れる英傑が、二ホンの民を捕らえた上で奴隷にしていたと知り、その生死すら定かではないと知ってしまった」
その結果が今のゾルザル、そして崩壊した元老院議場だとピニャは言い放つ。
「それはイタミ殿の母国である二ホンも同様だ」
日本には奴隷という習慣がなく、身代金の有無を問わず捕虜の生命や安全は保証されるのだと、外務担当者から説明された内容を元老院議員らへと教えた。
「帝国は二ホンを、何より個人で一国すら相手取れる神話の英雄に匹敵するイタミ殿、その両方の怒りを買ってしまった……」
これから一体どうなってしまうのか。
自分には分からない、分かりたくもないし語りたくもないとばかりに口を堅く引き結んだピニャは、屋根が消え去った議場の空を見上げる。
ピニャの内心や帝国を覆おうとする暗雲など知った事ないとばかりに、空は青く澄み渡っていた――
『賢者は原因を討議し、愚者は原因を裁決する』 ―アナカルシス
元老院「一体何が始まるんです?」
ピニャ「大惨事大戦だ」
あ、何時の間にか累計ランキング100位以内に入ってました。
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