<迷宮から帰還して6日後>
伊丹耀司
クレティ
「――とまぁ迷宮ではこんな感じだった訳だ」
語り終えた伊丹は水差しへ手を伸ばし長時間の説明で疲労と渇きに襲われた喉を潤した。
彼の対面でテーブルへ覆いかぶさるように前のめりで話を聞いていた栗林も、浮かせていた腰を椅子に腰を下ろして一息つく。小さくても中身はたっぷり比重の重い筋肉が詰まった彼女の尻に敷かれた安普請な椅子がギシリと微かに軋み声をあげた。
「それで結局私やレレイがかかった病気……灼風熱の原因はどうなったんです?」
「ミノタウロスを倒す為に仕掛けた罠がちょうど例の被検体が埋められてた位置でさ。案の定でっかい木の根っこが埋められてた死骸を取り込んでて、それを片っ端から焼き払ったら拡がってた病気も収まったから予想通りアレが原因だったんだと思うよ」
「隊長達があのロクデナシ? を取りに行ってくれて、病気の原因まで解決してくれたお陰で私もレレイも前からいた街の病人もあっという間に回復しましたもんねぇ」
2人の会話から分かる通り、クレティ一帯を襲った風土病騒ぎは急速に解決へと向かいつつあった。
砂嵐は未だ続いているが灼風熱の蔓延についてはほぼ収まり、数日ごとに絶えず発症していた新たな患者も出ていない。
こうして栗林もレレイより遅く発症したにもかかわらず既にベッドから出て普段通り活動出来るまでに回復していた。回復力に関しては発症から解熱剤や特効薬となったロクデ梨の投与までの間隔がレレイよりも短かった以上に持ち前の体力の差も大きいに違いない。
「でも本当に大丈夫か? やっぱりアルヌスに戻ってちゃんとした設備で検査を受けた方が良いんじゃないか」
「大丈夫ですよぉ。レレイだって懐抱熱って病気はロクデ梨を投与すればすぐに治るって言ってましたし、私ももう元気100倍バリバリいけます!」
力こぶを作ってのアピールである。女だてらに見事な上腕二頭筋と三頭筋の隆起であった。
しかし伊丹の目にはそんな栗林の態度がどこかわざとらしく映った。
それなりの期間の付き合いかつ戦場で互いの背を護り合い、箱根の騒動や炎龍退治にまで付き合ってくれた仲である。何より上下関係抜きにこんな自分へ女として懸想の念を向けてくれる存在なのだ。
また発症した時みたいにいきなりぶっ倒れられては色々な意味で堪らない。主に己の精神衛生の為に、伊丹は空元気を見せる部下へと敢えて切り込んでいく。
「体は大丈夫でも気持ちの方は大丈夫なのか。無理してんの、バレバレだぞ」
「……やっぱ分かっちゃいます?」
途端、栗林の眉と肩が下方向へ急角度を描いた。力こぶも一気にしぼむ。
「いやぁその、今回の事って私なーんにも役に立てなかったなぁって考えちゃいまして。ほらレレイなんか私よりも苦しんで辛かった筈なのに、今回の病気の種類をちゃんと分析して、どんな薬が必要なのかまで教えてくれなきゃ、きっと私も今頃……」
先の犠牲になったクレティの女達みたいに苦しんで死に、生きた屍になってテュカや、ロゥリィや、ヤオや――そして伊丹に襲いかかっていたかもしれない。
挙句、自分の始末を敬愛する伊丹の手でさせていたかもしれない――
そう考えると灼風熱にかかった時以上の悪寒と寒気を栗林は感じてしまうのだ。ロシア人テロリストの手で危うく処刑されかけた時以上に、そんな『もしも』の展開は恐ろしくて仕方なかった。
「テュカにも付きっきりで看病して貰って、隊長とロゥリィ、それにヤオまで命懸けで薬草を取りに行ってくれたっていうのに……つくづく情けないなぁ私って思っちゃいまして」
まるで雨の日の捨て猫みたいな消沈具合だ。
やれやれと首を振りながら伊丹は立ち上がる。
「クリだってレレイの看病しただろ。感染率50%で致死率70%なんてヤバい病気に感染して発病したんだ。今回の事は不可抗力なんだからお前が気に病む事なんてないさ」
叩くというよりは労わるように撫でるに近いタッチで栗林の背中へと触れてから、伊丹は泊まる部屋がある上の階へと消えていく。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………よしっ」
だから項垂れていた栗林がやがて顔を挙げた時、決意を秘めた表情を浮かべていた事など伊丹には知る由も無かったのだ。
既に日は地平線の向こう側へと隠れた。
相変わらず吹き荒れる砂塵を含んだ風で窓を塞ぐ戸板が揺れる音をBGMに、ヘッドボードへ背を預け足を投げ出した格好の伊丹の手元にはペンと手帳が握られていた。
「『ロクデ梨の投与により灼風熱の患者は快方へ向かう。経過観察の為更に七日間の滞在を経てクレティより出発』……こんなもんで良いかな」
資源探査任務で遭遇した出来事や行動内容の記録……要は日誌である。
クレティで遭遇した騒動の一部始終を翌日の予定分までまとめて書き終えた伊丹はペンと手帳を枕元に放り出して大きく背伸びを一つ。執筆作業で凝り固まった肩や背筋から小気味良い音が生じた。
「明日に備えてさっさと寝るかぁ」
LEDランタンの光量を落とそうと枕元へ手を伸ばしたその時、ノック音が室内に響いた。
『栗林です。入っても良いですか?』
「おう構わないぞ」
元は娼婦との同衾に使われるような場所だ。そんな安宿もあって部屋の扉にはまともな鍵すら備えていなかったので、伊丹が許可を出せばいともあっさりと栗林が入ってくる事が出来た。彼女は後ろ手でそっと扉を閉める。
「どうしたのよクリ、何か相談事?」
「相談、といえば相談といいますか、そのぉ」
迷彩服姿で入室してきた栗林の態度は何処かぎこちない。特地で一般的な油に着火するタイプよりも格段に安定かつ光量が強いLEDランタンに照らされた彼女の顔もこころなしか紅い。
朱が差した栗林のそんな顔色に、伊丹の脳裏では数日前の酒場での出来事がフラッシュバックした。
「もしかしてまた灼風熱が再発したとか……」
一気に顔を険しくして腰を浮かせた伊丹を栗林は慌てて止めた。
「違います違います! いやでもそれに関係しているかもといいますか」
「あの病気はレレイの方が詳しい。彼女を呼んでこないと――」
「だから違いますってばもう! 話を聞いてください隊長!」
目を三角にして顔を別の理由で更に紅潮させる栗林の剣幕に一転してヘタレた伊丹の尻が元のベッドの上へと戻る。核戦争を阻止しようが龍退治を成功させようが、スイッチが入っていなければ伊丹という男は所詮こんな感じなのである。
栗林とレレイの病状が回復した事から付きっきりの看病も必要なくなり、今は1人一部屋という配分で宿屋を利用しているので室内は伊丹と栗林の2人っきりだ。
ベッドの上で胡坐をかく姿勢になった伊丹に対し、栗林もブーツを脱いでからベッドの上に座る。何故か正座で。
おほん、とこれまたわざとらしい咳払いを挟んでから栗林はゆっくりと口を開いた。
「実は、隊長にお願いがあってやってきました」
「お、おう。お願いって何だ。やっぱり例の病気に関する事なのか?」
「あ、ある意味ではそうです。でもこれは隊長にしかお願い出来ない事なんです」
大概の問題は拳と蹴りと腕力で解決する脳筋栗林がこうも深刻……深刻? な口振りでの相談事など彼女の上官になってから初めてだ。姿勢を正して向き合わざるをえない。
「レレイもそうでしたけど、私が灼風熱を発症した時かなりの高熱になりましたよね」
「そうだな。すぐに解熱剤を飲ませたお陰で時間そのものは長くはなかったと思うが一時は40度を超える熱が出てたぞ」
インフルエンザのように特効薬を投与すれば短時間で効果が発現するタイプで良かったとつくづく思う。またインフルエンザは症状が沈静化しても数日間は
「でも……」
「でも?」
「……高熱にかかると稀にですけどその後遺症で子供が出来なくなるって」
「それは俺もどっかで聞いた事あるよう、な、気、が……へ?」
「私って病気にかかったのもアレが初めてで……もしかしたらって思うと不安なんです」
だから、と続けながら栗林はゆっくりと迷彩服のボタンを外しだした。
迷彩服の下から肌着どころかブラに隠されてすらいない栗林の爆乳が伊丹の目の前に曝け出された。若干濃いめの桜色を帯びた先端が彼女の動きに合わせて誘うように揺れていた。
裸迷彩服という海外ポルノか二次元界隈のジャンル物ぐらいでしかお目にかかれない姿の栗林は、袋小路に追い詰めた獲物へと迫るネコ科の獣そっくりに四つん這いの体勢を取ると呆然とする伊丹へ頬を擦りつけながらこう囁いたのだ。
「だから――隊長が
「待て待て待て待て! 落ち着け! 早まるな!」
我に返って少しでも栗林と距離を取ろうと試みた伊丹であるが生憎すぐ背後はヘッドボード、つまり後方に退路は無く、ならば横に転がって逃れようとするがベッドから転げ出るよりも栗林の両腕が腰へ巻き付く方が先であった。
「おーちーつーいーてーまーす! 早まってもいませんし私は正気も正気大正気です!」
「ハッ! 自分で正気っていう人間ほど実際はそうじゃないんだっつーの! 検査って何だよ検査って間違いなく後ろに(意味深)ってついてるヤツだろそれ! ネットスラングはリアルじゃ通用しないんだぞ!」
「じゃあ言い直します――私と子作りしてください!」
「表現の問題じゃないんだよ!」
「だったら何て言えば良かったんですかー!?」
どったんばったん
男女が密着し合って横になる事前提でチョイスされた、1人で使うにはやや大きいが2人並んで寝るには小さ過ぎるベッドがくんずほぐれつする伊丹と栗林のせいでギシギシと悲鳴を上げる。
「俺前にも言ったよね。『色恋沙汰こそ理性を働かせてよく考えた上で結論を出すべき事柄だ。その場の勢い任せで男と女が深い仲になってもロクな結果にはならないぞ』ってさ」
「よく考えた上での結論ですしその場の勢い任せでもありません」
感情の昂りを目から滲む水滴という形で表出させつつ言い返す栗林の声は上ずり気味ではあったがしっかりとした理性の下に紡がれていた。
「やっぱり私、隊長とこういう関係になりたいんです。隊長の子供を孕んだって構わない、むしろそうなれば良いって心の底から思ってます。
だって私も、隊長も、戦場で死にそうになったり、或いは今回みたいに病気で倒れたり……何時死んじゃうか分からないんですから」
だから体の繋がりで生を実感したい。伊丹耀司として、栗林志乃として、ヒトという種の一個体として生きた証を残したい。
それは食欲と睡眠欲に並ぶ知的生命体が元来根ざす欲求そのものだ。
「私も炎龍退治から戻ってから隊長に言いましたよね。『どこまでも隊長にお供します。置いてかれそうになっても諦めずに追いかけます』って」
「……ああ。そうだな。確かに言われたよ」
「でも病気に倒れちゃったせいで隊長のお供は出来なくて。それどころか病気で死にそうになった私とレレイの為に隊長達を危険な場所に送らなきゃいけなくなったんです」
「病気に関しちゃあれは不可抗力だ。お前もレレイも何も悪くないよ」
「それでも私、気付いちゃったんですよ。ずっと隊長の傍に居たいと願ってもどっちかが死んじゃったら無理なんだって」
「そりゃそうだ。言っとくが俺はクリが死んでも後追いするつもりはないし、逆に俺が先に死んだ時もお前にそんな真似は絶対許さないからな」
伊丹のお腹に顔を押し付けて抱き着いたまま、栗林はクスリと笑みを漏らした。
「そんな隊長だからきっと好きになっちゃったんだろうなぁ私」
「俺だってお前にそう思われて嬉しくないって言ったら嘘だけどやっぱりこれはないだろぉ」
「それについては謝ります。ですけど――死に別れるかもしれないって思ったら、せめて女として少しでも悔いを残さず済むように、惚れた男の子供を孕みたいと考えるのは当たり前だと思うんですが」
「それは……うーん」
物語のクライマックス近くで主人公がフラグを立てたヒロインと一夜を共にするのは数ある創作のお約束の中でも古くから存在するポピュラーな展開である。
そういう描写を挟んでおけば、たとえ主人公が最終的に死んでしまう結末だとしても、一夜を共にしたお陰でヒロインの胎内に宿った子供が明るい未来を生きていくという救いのあるエンディングにする事で視聴者からの評価をプラス方向へと誘導する事が出来るからだ。
しかしまさか自分がそんなシチュエーションの当事者っぽい立場に置かれるのは伊丹にとっても流石に予想外であった。そもそもそれだと自分に死亡フラグが立ってしまうのでは? なんて感想が脳裏に過ぎったり。
御託はともかく今の状況である。
栗林は伊丹の子供を孕みたいとまで宣言し、何より重要なのは伊丹自身も栗林の事を部下以上に女としても意識している点だ。ここまで迫られて意識しない方がむしろ異常だし、栗林にも失礼というものだ。
伊丹の腰辺りに抱き着く、つまり必然的に迷彩服の前がはだけ直接押し付けられる格好になった栗林の膨らみの下で、急速に自己主張を始めた男性特有のとある器官の存在が答えであった。
「あっ……♪」
乳房を刺激する硬く張り詰めた感触の正体を悟った栗林の呟きに驚きよりも悦びの色が帯びていたのはきっと気のせいではあるまい。
『お互いがそういう気持ちになれたならそういう事をしたって良い』というのが伊丹の持論であり。現在の状況はまさに該当するわけで。
連れ込み宿に泊まっていても今は任務の真っ最中なんて野暮な考えは、とうとう我慢出来ずに栗林が唇を押し付けてきた時点で伊丹の頭から吹き飛んだ。
「栗林っ」
「たいちょぉっ」
熱い口づけを交わしたまま栗林の上着がベッドの外へ放り出され、伊丹ももどかしそうに迷彩服のボタンを外す。
砂嵐をBGMに2人の体が1つのベッドの上で絡み合う――
……と、そう簡単に問屋が卸してくれないのが現実で。
「ちょっと待ったぁー!」
そのまま部屋に向かって吹き飛ぶのではという勢いで開け放たれた扉からレレイ・テュカ・ロゥリィの3人にヤオが室内へと突入してきたのである。
『愛とは決して後悔しないこと』 ――『ある愛の詩』
原作でもテュカと監視されながらぬっちょぬちょ(未遂)してたしセーフ(詭弁
執筆の燃料になりますので感想お待ちしてます。