煙草
デンバーは隔離された喫煙室に向かっていた。誰に憚ることのない司令官でも、さすがに公共の場で喫煙を遠慮するくらいのマナーは持ち合わせている。喫煙室のエアカーテンを抜けると先客が居た。
「あ、デンバー司令、失礼しました」
「ああ、喫煙中に敬礼なんて要らんよ。フィルウォー中尉」
急いで煙草を灰皿に置き、敬礼をしようとしているフィルウォーを止めると、デンバーも紙巻煙草を取り出し、火をつける。その煙に一酸化炭素がたっぷりと含まれている事は知っているが、この一口が格別なのだ。大きく吸い込んで煙を吐き出して落ち着くとデンバーはフィルウォーに話しかける。
「最近はめっきり愛煙家が減ってしまってね。肩身が狭いったら」
「喫煙室をほとんど独占できると思えば、いいことなのでは?」
「ああ、確かに。喫煙所で上司と合うと現実に引き戻される気がするからな。君にとって今の状況だがね」
「いえ、そういう意味では……」
喫煙者独特の癖なのかふたりとも世話話の途中だが目はどこか遠くを向いている。
「司令は司令室で何時も吸っているイメージですね」
「そうだね。一応、司令室にはラス中佐に頼んで、エアカーテンをつけてもらったから受動喫煙は無いと思うが。もっとも戦闘中に煙草をふかすと顰蹙を買いそうだから、ニコチンガムも常備しているがね」
「……そうですか」
胸ポケットからタブレット状の代用ガムを得意げに取り出して見せるデンバーに、引き気味のフィルウォー。きっと生粋のニコチン中毒者にしか分からない世界なのだろう。
「むしろ、君の隊は君しか煙草を吸う人間がいないのだね。意外だ」
「意外ですか? アントリオン隊では私だけですが、工兵隊連中は良く咥えていますよ」
「いや、君らはパイロットだからね」
「パイロットでも吸うことが禁止されているわけではありませんから。しかし、肺をやられてパイロットを下されるなんて御免です。実はこれも無煙煙草なのです」
カートリッジから安全な成分だけを抽出して口内に霧状にして吸うものだ。間接喫煙はないし、タールやニコチンもごく少量しか入っていない。煙草習慣が抜けない者に手渡されるアイテムだ。
「昔は、パイロットはみんな吸っていたものだけどね」
「バイド戦役の頃はみな覚悟を決めざるを得なかったですから。何せ未帰還率が5割を超えていた時期もありますから、肺炎になることを心配しても無駄でした」
「そうだね。今は病死の危険を考えられるようになっただけ幸せなのかな」
紫煙は天井のダクトに吸い込まれていった。