【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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戦後
010


 

「申し訳ありません、ユン先生」

 

「後悔はないのだな、カシウス」

 

「はい」

 

 

凛とした空気が張り詰めるのは、板張りの東方風の建物の部屋。《知識》から供与される情報に照らし合わせるならば、ここは鍛錬を行うための道場だ。

 

父と私は目の前の老人と正座で向かい合っている。静かな大気の中、父は老人の確認に頷き応えた。

 

父は剣を置いた。そして遊撃士という新しい道を歩もうとしている。父からその事を打ち明けられた時、久しぶりに私と父は面と向かって話し合った。

 

多くの事。お母さんのこと。父が私に望むこと。私がこの先何をしたいか。剣の事についても話し合った。その中で、今回の『報告』のことを知ったのだ。

 

 

「いいだろう、好きにするがよい。じゃが、お主の娘は剣を学んでいるようじゃな」

 

「ええ。我が娘ながらなかなか、筋が良いです」

 

「力を求めておるな。しかし、憎しみでもなく、怒りでもない。静かな、しかし強い意志を感じる。とても齢七つの娘には見えんな」

 

「恐縮です」

 

 

目の前にいるのは父の剣の師である《剣仙》ユン・カーファイ。白髪と長く白い髭、そしてどこか超然とした雰囲気は確かに仙人を思わせる。

 

八葉一刀流を創始した大陸有数の剣士。父は剣を置くことを決めたことを、自らの師である彼に報告に来たのだ。

 

《剣仙》ユン・カーファイ。話によれば剣の道においては知らぬ者がいないという、最強の一角だという。私はせっかくだからと父に同行を願い出た。

 

ついでに剣の手解きをしてもらえないかという欲目が無かったわけではない。私は強くなりたかった。そのために《剣仙》とまで呼ばれた人間に会うことは良い経験になると思ったのだ。

 

 

「娘よ、名はエステルだったな」

 

「はい」

 

「剣を取れ。少しだけ付き合うが良い」

 

「ユン先生!?」

 

 

そうして、どういう訳か《剣仙》に私は挑むこととなる。父にもまったく届かない身で過ぎたことだろうが、これは得難い経験となるだろう。

 

私は対人戦をほとんど経験したことが無くて、ダンさんや父と手合せをする程度。まだまだ未熟で、全てにおいて浅いのだ。

 

お父さんは難色を示しているようだけれど、私は高みを見てみたい。同意を父に求める。

 

 

「お父さん、いいでしょうか」

 

「…分かった」

 

 

そのまま板張りの広間へと移動する。東方風というか、どちらかと言えばXの《知識》にある道場といった感じの場所だ。

 

というか、正面に掛け軸がある辺りそのまんまである。

 

そして渡されたのは刀だった。刃を潰しているとはいえ、太刀を渡されるとは正直に予想外だった。八葉一刀流というのは相当に実践的な流派らしい。

 

そして向かい合い、一礼の後、上段から打ち込む。

 

 

「はぁ!」

 

「ふむ」

 

 

私の剣は簡単にいなされ、避けられ、まったく当たるというヴィジョンが見えない。圧倒的な実力差に、経験すら積めないのではないかというほど、まるで赤子の手をひねるような。

 

それでも、私はいくつもの最適の解を見出して、今できる私の最高の剣を振るう。

 

 

「なるほど、カシウスが筋が良いと言った事は真実か。これほどの才とは思わなかった」

 

「はぁ、はぁ」

 

「氣による増幅は長くは続かん。だが、その歳でよくそこまで練り上げたものだ。型も正しい。剣速も鋭い。頭も回る。カシウス、この娘は逸材じゃぞ」

 

「ぐっ…」

 

 

褒められてはいるが、しかしまだ目の前の老人は一切私に攻撃というモノを行っていない。剣でいなすだけ。

 

しかし、その歩法の在り方は画期的だ。重心移動、読み。全てにおいて圧倒的で美しく無駄がない。目の前の人物は剣において父を凌駕している。

 

私は気合を入れて、再び剣を向ける。まだ足りない。

 

 

「ほう、まだ動けるか。負けず嫌いというわけではないな。その目、わしから技を盗む気じゃな」

 

「行きます!!」

 

 

そして、初めて彼が剣を振るう。速い。鋭い。そして重い。ごく自然な体勢から振るわれた剣の軌道は、まるで最初から決まっていたかのように私の剣を切り飛ばした。

 

斬ったのだ。鋼鉄の剣を、同じ鋼鉄の剣で。見惚れる。これが《剣仙》の技。剣の道の到達点にある男の剣。そして、彼の剣が私に突き付けられた。

 

 

「ほほう。まるで新しい玩具を見つけた童子のような目じゃな」

 

「すごいです! 完敗でした。今のは斬鉄というやつですか? どういう仕組みなんです? わたし、気になります!」

 

「貪欲。悪くない、悪くないな娘よ。カシウス、決めたぞ。この娘、しばし預からせてもらおう」

 

 

どういう訳か私はユン先生に気に入られ、彼に弟子入りすることになる。ユン先生はリベールにやってきて、私に八葉一刀流を叩き込んでやると言っていた。

 

父は困ったように笑って肩をすくめていた。でも、私は嬉しい。これで強くなれる。最強に近づける。

 

 

 

 

ユン先生は父が剣を置いて、ダンさんに棒術を習い始めていることに不満があるようだが、その分私を鍛えることで発散させるようだ。

 

最近の鍛錬で私の剣の腕はめきめきと上達している。まあ、ユン先生には全くかなわないのだけれど。

 

 

「しぃっ!」

 

「うむ、型は完璧じゃな」

 

「五の型《残月》ですね」

 

 

抜刀術を基本とした型「残月」。ユン先生がやると、抜刀から納刀までの一連の流れが本当に目視できない。

 

父も修めているらしく、見た目も派手でカッコいいが抜刀術というのはそこまで実戦的ではないように思える。

 

そうして何度か指導を受けて小休止。

 

 

「して、カシウスは遊撃士を目指すか」

 

「そのようです。父子家庭の親のくせに日雇いの仕事とかどうかしています」

 

「その割には怒っていないようじゃが?」

 

「あの人が楽しく生きられればそれで。お母さんが死んだときの、お父さんは酷かったですから」

 

 

それに、もしかしたら遊撃士という仕事はむしろ父にとって天職かもしれない。

 

もともと軍の枠には収まらない性格の人だし、視野の広さも洞察力も交渉術も個人的な戦闘能力も群を抜いている。

 

そういった優れた慧眼とコミュニケーション能力は、魔獣退治や人間関係のトラブル、国際的な案件を扱う遊撃士にとっては不可欠な能力だ。

 

きっと本人は、本当に守るべきものを守りたいときに駆けつけることが出来る、そういう自由の効く仕事を選んだのだろうけれど。

 

 

「お主はどうなんじゃ? 母を失った悲しみはカシウス以上じゃろう」

 

「そうですね……。お母さんの死に顔も見れませんでした。お腹の子供にも結局会えませんでした。でも、エリッサがそれ以上にひどい状態だったので、逆に冷静になれたのかもしれません」

 

「あの娘か」

 

 

ユン先生と私は木陰で模造剣を振っているエリッサに視線を向ける。最近は心も回復してきたのか、明るい笑顔も見せるようになった。

 

今では私の真似をしてユン先生に剣の指導を受けている。健全な精神は健全な肉体に宿るというのは、案外的を射ているのだろう。

 

そんな彼女もエレボニア帝国が絡むとその様相は一変する。彼女を生かしていたのは復讐心だったが、今はどうなのだろうか。

 

 

「狂気を感じるな。危うい。あの娘は親を殺されたのか」

 

「はい。もともとは少し心配性で、でも明るくて、可愛らしい子だったんですけれどね」

 

 

心配性でおせっかいな所のある、家庭的で女の子らしい女の子。それがエリッサのイメージだった。

 

大きくなったら居酒屋アーベントの看板娘になって、ウェイトレスをしながら笑顔を振りまくのだろうと思っていた。

 

 

「今はだいぶん回復したようじゃな。だが、あの娘が嬉々として振る剣の先にあるモノは人間のように思える」

 

「無茶な事をするといけないと、言い聞かせてはいますが」

 

「お主の言葉になら耳を貸すじゃろうな。相当、お主に執着しているように見える」

 

「依存に近いのだと思います。でも、今はそれで構いません」

 

 

まだ6歳だ。ようやく七耀学校に通う年齢。親から無償の愛情を注がれる時期。それを目の前で奪われたのだ。

 

エリカさんたちもそれが分かっていて、エリッサを可愛がってくれる。あと10年はこのままでいい。独り立ちはもっと先で構わないだろう。

 

 

「お主もさして変わらん年齢じゃろうに」

 

「早熟ですので」

 

「それだけでは無さそうじゃがな。…お主は、異質じゃ」

 

「そうですね、自覚はあります」

 

「しかし、人間一人の力には限界があるぞ」

 

「分かっています」

 

 

頭の中では分かっている。知識として認識している。ヒトは一人では何もできない。そういった哲学のようなものが《知識》から提供される。それは知識と言うよりも常識と言うべきもの。

 

だから、大きなことを成すのなら、ヒトに頼ることは必要だ。幸いにして、私の周りには頼りがいのある大人たちがたくさんいる。

 

父はもちろん、ラッセル博士やエリカさんやダンさんも頼りになる。今はユン先生に教えを受ける形で頼っている。

 

大きな借りだけれど、その借りは頼られるだけの価値のある自分となって返せばいい。

 

自己資本の大きさが借り入れられる資本の大きさに繋がるのだ。だから、

 

 

「私は力が欲しい。私の周りのものを全部抱えてこぼさないだけの力が」

 

 

無謀な望みだ。分かっている。個人で実現できるようなものじゃない。多くの人を巻き込んでしまう、自分勝手な願いだ。

 

それでも、欲しいのだ。

 

 

「貪欲じゃの。例の集まりもその一環か? 何やら女王への謁見まで果たしたらしいの?」

 

「耳早いですね」

 

「巷では噂になっておる」

 

「そんな馬鹿な…」

 

 

いや、確かに派手に動いていたかもしれないが、こんな半ば隠棲している世捨て人みたいなヒトの耳にまで入っているなんて驚きの事実である。

 

どうせお父さん経由の話だろうけれど。

 

 

「ただの勉強会なんですけれどね」

 

「ただの勉強会が国まで動かすようになるものか。お主、クーデターでも起こす気か?」

 

 

勉強会にクーデターとかもう物騒な話にしか聞こえないんですけれど。別にアリシア女王陛下をどうにかしようなんて誰も思ってないので。

 

それはともかく、勉強会というのは、一応私が発起人となった、元々はリベール王国の諸問題について話し合いましょう的な集まりである。

 

もっとも、集まった人間は一種の、リベール王国の将来を憂う、まあつまり憂国の士といった傾向を持つ人たちだった。あ、これ、今から思うに、すごい危ないやつだ。

 

 

「もともと、王国の内情や戦役の現場なんかを知る人たちは危機感があったんですよ。王国の圧勝が、実は薄氷の上のものだった事にも気づいていたのです」

 

 

航空機が実用化されたのが戦役が始まる前年、つまり、少しでもそれが遅れていたらボースは早々に陥落していた。そのままロレント、果てはツァイスまで一気に占領されていたかもしれない。

 

リベール王国の技術力がエレボニア帝国を圧倒しているわけでもない事も実情を知る者なら認識している。

 

冶金技術や化学分野、火砲については帝国の方が進んでいる。リベール王国が優れているのは工作精度や演算器関連、航空分野といった一部だけ。あとは似たり寄ったりだ。

 

人口も動員数も当然帝国が圧倒的に上だ。頭脳についても、リベール最高峰のアルバート・ラッセル博士と双璧を成す天才、G・シュミット博士を帝国は擁している。

 

工業力は間違いなく帝国の方が大きい。正直、これでは王国が勝てる要素を見つけ出すというのがナンセンスだ。

 

 

「今回の勝利を導いた要因は、航空戦力という新しい概念をリベール側が独占していたこと、そしてお父さんが反則過ぎたことの2点だけです。そして、概念というのは広まるもの。次、エレボニアが王国に復讐戦を挑むことがあれば、彼らは当然、飛行機や飛行船を導入しているでしょう」

 

 

だからこそ、少しでも実情を知るなら同じ不安を抱くだろう。次は勝てるのか? 次在った時、王国を守り切れるのか?

 

カルバード共和国への不信はそれをさらに助長した。共和国がこの戦役に参戦したのは、王国の勝利が確定してからだ。

 

確かに同盟を結んでいたわけではないが、長年の友好国がまるで漁夫の利を狙おうと虎視眈々と目を光らせる様は、王国民に共和国への強い不信感を生み出していた。

 

 

「よく言いよる。不安を煽ったのはお主じゃろうに」

 

「私は途中から乗っかっただけです。一番活発に扇動していたのは、あの大尉さんですよ」

 

 

アラン・リシャール。戦役においては私の父の下で活躍し、戦後の論功行賞にて大尉となった金髪の美丈夫だ。

 

モルガン将軍と話をした後に、いきなりやって来てもっと話を聞きたいと食らいついてきた青年将校。そういえば、彼が一番、どこか必死だったような気がする。

 

うん、彼、皇道派みたいな感じに2・26よろしくクーデターとか起こしそう。もちろん冗談ですが。

 

 

「ふむ、ところで王城で姫君を口説き落としたのは事実かの?」

 

「深刻な情報漏えいが発生したようですね。FBI作らないと…。あ、エリッサ、違うんです。あれはお友達になっただけでしてててててっ!!」

 

 

 

 

それは5日ほど前のこと。

 

王城、すなわち女王陛下がお住まいになっているグランセル城に招かれた日のお話だ。

 

グランセル城。実は戦後すぐの論功行賞で、勲章を賜った時にも一度訪れているので、入るのは実は二度目だ。

 

さて、この城はリベール王国の中心にある。それは王国の政治的、地理的の両方の意味において。

 

地理的にはヴァレリア湖の東岸に突き出るようにして聳え立ち、地図を見ればそこが王国領の中心ともいえる場所にある事が分かるだろう。

 

政治的な意味としては、国家元首が住まうという意味もあるが、行政区画が設置されているのもこの城だ。つまり、物理的にもシステム上においても中心に位置するのである。

 

そんな城であるが、その外観はそれはそれはお伽噺のお城のように優美だ。青い湖に浮かぶ白亜の城。実に絵になる。

 

実のところ、防衛施設としても優れている事が歴史的に証明されており、王城の御前であるグランセルの市街を楕円形に取り囲む城壁《アーネンベルグ》と共に鉄壁の守りを実現している。

 

さて、そんな美しい城に女王陛下から直々に招かれた私はけっこう緊張してしまっていた。

 

招かれたのは女王陛下の個人的な事情が半分。こちらは陛下が私の父と単なる王と将という関係ではなく、友人としての付き合いがあることに関係することらしかった。

 

それだけなら気楽だったのだけれど。初老の女王陛下とお茶を飲んでまったりするだけで済む話だから。

 

そう、もう半分の理由が私を緊張させていた。ぶっちゃけて言えば、勉強会についてである。

 

勉強会の規模は3カ月程度の間に、とんでもない規模にまで拡大していた。というか、知る人ぞ知るというぐらいの規模になっていた。

 

モルガン将軍やラッセル博士、ジェニス王立学園の学園長まで絡んでいるとなれば、そもそものネームバリューからして相当なものだったのだけれど。

 

というわけで、「話し聞かせろやおらぁ!」的な理由で呼ばれたわけである。なお、女王陛下は上品な方なので「おらぁ!」とかいう言葉は使わない。多分。

 

それはさておき、私は人生初めてグランセル城の中に入る事となった。

 

中に入れば、やはり白亜の世界が広がっていた。壁には植物の蔦や花をモチーフにした文様が彫刻されており、品のいい紅い絨毯が回廊の真ん中に敷かれ、

 

一定間隔で置かれた立派な磁器の壺に花が飾り立てられ、所々に青い色調の国章が刺繍されたタペストリーが掲げられている。

 

威厳と清廉さを兼ね合わせたような内装は、白の外観のイメージを壊すことはなく、実によく纏まっているように思える。

 

陛下の居所まで案内してくれたのは、少しばかり気難しそうな雰囲気の高齢の女性で、ヒルダさんという方だった。陛下の身の回りの世話を任されているらしい。

 

実際は見た目よりも柔らかい人当たりで、私にも優しくしてくれた。私みたいな小娘をエステル殿という敬称で呼ぶのはちょっと慣れないけれど。

 

屋上に案内されると、その空中庭園の美しさに息をのむ。屋上は実のところ初めてだった。

 

それは口語では表現できないような美麗さ。いくつものテラスを重ねたような構造は《知識》にあるパムッカレの石灰棚を思わせる。

 

真珠のような純白の棚に、芝や樹木が植わっており、それは創作の物語に登場する幻想的なお城のよう。

 

 

「しばしお待ちください」

 

 

女王宮の前の赤絨毯の上でしばらく待つ。

 

門の前には親衛隊の隊員が守っていて、その青い制服は緑色の陸軍のそれとは違ってカッコいいデザイン。白隼の翼をイメージした羽飾りのついた青い帽子を頭に乗せていて、垢抜けた感じ。

 

しばらくすると、準備が整ったようでヒルダ夫人が現れる。女王宮は広く、二階に女王陛下の私室があるらしい。

 

ちなみに一階にはクローディア姫の部屋があるらしい。本名クローディア・フォン・アウスレーゼは私と同い年の女王陛下の孫娘と聞いている。

 

 

「陛下、失礼します。エステル殿をお連れいたしました」

 

「ご苦労様でした。どうぞ入って頂いて」

 

「かしこまりました」

 

 

扉の奥から落ち着いた女性の声が聞こえる。ヒルダ夫人はそれに一礼すると、私をそのまま部屋に通す。

 

部屋に通された私を出迎えたのは、青みがかった髪を後ろで纏めた、青を基調とした少しばかり時代がかったドレスを纏う、気品ある優しげな印象の中年の女性。

 

アリシア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国第26代女王アリシア2世陛下。彼女は窓のそばに立って、私に微笑みかける。

 

そしてその横にはもう一人、年の頃はおそらく私とそう変わらないだろうショートヘアーの青い髪の少女が立っていた。

 

淡い若草色のドレスを着た彼女は、陛下の後ろに半分隠れて私をじっと見ている。なるほど、彼女がクローディア姫か。

 

 

「ようこそいらっしゃいましたね、エステルさん」

 

「またお目にかかれて光栄です陛下」

 

 

春に拝謁して以来、数カ月ぶりに直接の対面だ。しかし前回父と一緒だったのとは違い、今回私は一人。人生の難易度が高い。

 

 

「クローディア殿下、お初にお目にかかります。エステル・ブライトと申します」

 

「あ…、はい。初めまして」

 

 

にこやかに姫様にも笑顔で挨拶すると、お姫様はおずおずと私に挨拶を返してくれた。ものすごく可愛らしい少女だ。美人さん。

 

王族というのは美形というのが決まっているのかと言うほどに、彼女は可憐で美しい。将来はとんでもない美女になるだろうことは請け合いだ。

 

 

「ふふ、さあ来なさいクローゼ。エステルさん、大したおもてなしはできませんが、お茶にいたしましょうか」

 

「は、はい。おばあさま」

 

 

陛下に促され、私達は陛下の部屋にある趣味の良いテーブルの席につく。

 

カップにソーサーにポット。全てが丁寧で繊細に作られた品だ。あまり詳しくない私でも、ぱっと見でその品質の高さがわかるほど。

 

陛下は丁寧な手つきで自らお茶を用意してくれる。メイドにさせないのかと首をかしげていると、紅茶を淹れるのは趣味なのだと女王陛下は微笑む。

 

 

「貴女には一度、こうやって個人的にお会いしたかったのです」

 

「光栄です。父が関係しているのでしょうか?」

 

「ええ、カシウス殿は私の亡き息子、この子の父親であるユーディスの友人でした」

 

「父とですか?」

 

「ええ、士官学校からの学友だったのです。親友と、そういった仲だったようです」

 

 

それは初耳だ。なるほど、父は王子様との親交から王家との繋がりを得たのか。

 

故・王太子ユーディス様はその美貌と才に恵まれた国民にも人気だった王子様だったらしいが、クローディア姫が生まれた翌年の1187年、海難事故により夫妻ともども逝去されている。

 

 

「此度の戦でも彼の活躍は聞いています。もちろん貴女の活躍も。ですが、これほどまでに国に尽くしてくれた貴方たちから、この戦争は大切なものを奪ってしまった」

 

「……そうですね。ですが、失ったのは私達だけではありません」

 

「ええ。それも全て私が至らない女王だったばかりに…です。貴方たちにはどうお詫びをすれば良いのか……」

 

「陛下、母が死んだのは陛下の責任ではありません」

 

 

憎むべき相手は帝国だろう。彼らの宣戦布告は、正直な話、誰も予想できなかった。そもそも、対帝国への選択肢は、リベール王国の国力を考えれば外交努力による危機回避ぐらいしかなかった。

 

そもそも、私自身、まだ誰も憎めず、怒りを覚えることすらできずにいた。

 

 

「いいえ。どんな言い訳をしようとも、国の責任は私にあります。でなければ、私はただの飾り物でしかありません」

 

 

深い悲しみを湛えた表情に、彼女の言葉の本気を垣間見た。良い女王様だ。小国の王としては最善に近い人格者だ。

 

 

「貴方たちの功には不足ながらも金銭によって報いました。しかし、それで全てが許されてしまうかは別の話です。貴方たちが失ったものに、真に報いるならどうすればよいのか、私には答えをだせないのです」

 

 

彼女の不幸はリベール王国が中途半端に力を持っていたことだろうか。大陸有数の七耀石鉱山に世界トップクラスの研究機関というのは、ある意味においてこの国の安全保障を脅かしている。

 

それ故に培われたのが諸外国からも評価される外交手腕なのだろうが、それを十全に振るうにはこのヒトは優しすぎる。

 

でも、それも個人的には好ましく思えて、これ以上この女王様に私の事で気を病んで欲しくないなと、そう思った。

 

だから、

 

 

「なら、僭越ながら我がままを聞いていただけますか?」

 

「我がままですか?」

 

「はい。クローディア殿下とお友達になりたいのです」

 

「まあ」

 

 

話をちょっと明るい方向にもっていこう。

 

それに、この可愛らしいお姫さまと仲良くなってみたいな…なんていう、そんな気持ちも確かにあるから。

 

 

 

 

「なら、僭越ながら我がままを聞いていただけますか?」

 

「我がままですか?」

 

「はい。クローディア殿下とお友達になりたいのです」

 

 

その日の、その言葉の鮮烈な印象を私は忘れることはないだろう。

 

その人はお祖母さまに呼ばれてやってきた。

 

顔も覚えていないお父様のご友人、この国を救った将軍の一人娘なのだと聞いていた。私と同い年の女の子。

 

私と違うとすれば、その女の子もまた国の英雄なのだそうだ。

 

お姫様という肩書以外は何の変哲もない私。それに比べて、国家の英雄で、頭が良くて、国民のみなさんに尊敬される同い年の女の子。

 

まったく釣り合わない。どんな人だろう。興味はあったが、怖くもあった。会えばきっと打ちのめされてしまいそうだから。

 

そうしてその人はヒルダ夫人に連れられて、お祖母さまの部屋に入ってきた。本当に私と変わらない年頃。

 

ツーサイドアップで纏めた栗色の長い髪、熱された金属のような赤色の瞳、可愛らしい容姿なのにもかかわらず毅然とした態度。私は思わずお祖母さまの後ろに隠れてしまう。

 

その後、その女の子はこの国の王様であるお祖母さまを前に、ごく自然に、特に気負っている様子もなく平然とお話を始めてしまう。

 

それを見て、私はなんとなく、このヒトは違う世界のヒトなんだなぁと、そんな風に考えていた。

 

けれど、突然、女子は私なんかと友達になりたいだなんて言いだした。

 

もっとも、今までパーティなどで私の友達になりたいと近づいてくる子はたくさんいた。

 

だけれど、その子たちは皆、私がお祖母さまの孫だからという理由で、その子の親の命令で近づいてくる子ばかりだった。

 

私は引っ込み思案で、そんな子たちの手を取ることは出来なかったけれど。彼女もそうなのだろうか?

 

 

 

「クローディア、どうします?」

 

「え、あの?」

 

「クローディア殿下、私とお友達になってもらえませんか?」

 

 

お祖母さまの瞳に先ほどの悲しそうな色から一転した、悪戯っぽいさが垣間見える。どうやら、楽しんでおられるらしい。

 

そこで、はっと気づく。もしかして、このヒトはこれ以上お祖母さまを悲しませないために、こんなお願いをしたのだろうか?

 

私は今度はしっかりと女の子の眼を見て問う。

 

 

「どうして私なんかと?」

 

「お友達になりたいのに理由なんて必要ないでしょう。強いて言えば、殿下が可愛らしかったからでしょうか? クローディア殿下、貴女はとても美しい」

 

 

胸が高鳴った。急に頬が熱くなった。いきなり何てことを言うのだろうこの女の子は。これではまるで、舞踏会でダンスを申し込まれる淑女の立場だ。

 

でも、と思う。

 

この子とお友達になれたら、それはとても楽しそうだと思うのだ。なるほど、確かにこの気持ちに理由をつけて言葉にするのは無粋のような気がした。

 

 

「私なんかでいいんでしょうか?」

 

「私は貴女と友達になりたいんです」

 

「あ…」

 

 

女の子が私に手を差し伸べる。私はその手を無性に取りたくなって、おずおずと手を伸ばす。それはとても勇気のいることで、私は確認するようにお祖母さまの顔を窺った。

 

この手をとってもいいのでしょうか?

 

言葉にしない私の問いに、お祖母さまが笑った気がした。胸のつかえがとれて、私は女の子の手を取る。それは何だかとても嬉しかった。

 

 

「分かりました、エステルさま。どうか私とお友達になってください」

 

「エステルと、呼び捨てで構いません。さま付けはちょっと他人行儀です」

 

 

呼び捨てはちょっとハードルが高いような…。私は逡巡して、そして結局妥協点を窺う。それでも顔から火が出そうだ。

 

 

「え、えっと、じゃあ、エステルさん」

 

「まあ、いいでしょうクローディア殿下」

 

 

どうやら許してもらえたようだ。でも、殿下という敬称に少しだけ寂しさを感じた。だから意地悪な彼女に仕返しをしようと考えた。考えただけなのだ。

 

それは衝動的な言葉で、私自身、その言葉を発したことに驚いた。

 

 

「あ、あの、私もっ」

 

「?」

 

「クローゼと呼んでください」

 

 

クローゼは私のフルネームを省略した、愛称のようなものだ。

 

お姫さまとしてのクローディアではなく、私とお友達になってほしい。もしかしたら、そんな気持ちがこんな言葉を口から出させたのかもしれない。

 

エステルさんはそんな私の言葉に驚いたような表情をした。はしたないと思われてしまっただろうか?

 

 

「……はい、クローゼ。そう呼ばせてもらいますね」

 

 

その言葉に私は安堵すると共に、心が温かくなった気がした。

 

 

 

 

顔を赤らめてほほ笑む美幼女の手を取る私。あれ? これ明らかに私が口説いている風になっているような?

 

幼女を口説く。納得の犯罪臭。けれど、私自身もまた幼女なので合法である。

 

 

「それで…その、エステルさん。お友達って具体的に何をするんでしょう?」

 

 

なるほど、クローゼにとって私が初めての相手という意味ですか。これから私が手取り足取りお姫さまに《友情》を教え込むわけですね。

 

卑猥な表現をしてしまいましたが、クローゼが実はぼっちだったという直接的表現よりは詩的だと思います。

 

では、ファーストステップ。テンプレートから始めましょう。

 

 

「クローゼ。最初は名前を呼ぶだけでいいのです。名前の交換が、人と人とのつながりの始まりなんです」

 

「じゃあ、あの、エステルさん」

 

「何ですかクローゼ」

 

「エステルさん」

 

「クローゼ」

 

 

手を握り合い、名前を呼び合う。くすぐったい体験である。そしてクスクスと笑いあう。何だろう、この子可愛い。なんという可愛い生き物だろう。

 

《知識》曰く、この衝動こそが『萌』なのだという。恐ろしい。これが『萌』。多くの大きなお友達を暗黒面に引きずり込む概念。

 

なるほど、これは暗黒面(ロリコン)か。そうしてしばらく見つめ合い、名前を呼び合っていると女王陛下がクスリと笑った。

 

 

「まるで、クローディアを口説いているみたいですね」

 

 

はい、私も途中からそう思っていました。

 

 

「本当に、貴女をよんで良かった。今そう思います。エステルさん」

 

「私もです陛下。クローゼとお友達になれただけでも、お城に来た甲斐がありました」

 

 

笑みを交わす。そして陛下が一呼吸の間を置いた。それだけで、部屋の空気ががらりと変わる。

 

 

「それでは、もう一つの話題に移りましょうか」

 

 

やっぱり来たか。クローゼが空気を読んで一礼と共に席を立つ。

 

 

「お祖母さま、エステルさん。私は席をはずしますね」

 

「ええ、ごめんなさいね」

 

「いいえ、お祖母さま。今日は本当にありがとうございました」

 

 

春風のような笑みを浮かべて彼女は去っていく。そして、部屋には私と陛下だけが残された。幼女にはいささかハードルの高い案件である。

 

どうしてこうなった。

 

まあ、それでも、考えようによってはこれは幸運なことなのだろう。私の身勝手を実現する上でこれは絶好の機会なのだから。

 

 

 

 




あ…ありのまま今起こったことを話すぜ! 「俺は女王陛下との謁見を書いていると思ったら、いつのまにかエステルがお姫様を口説いていた」

な…何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何をしたのか分からなかった…。頭がどうにかなりそうだった…。誤字だとか脱字だとか、そんなチャチなもんじゃあねえ。もっと恐ろしい物の片鱗を見た気がするぜ。

第10話でした。改訂前と内容は変わりません。

賛否両論の百合的展開。しかし、残念ながらこの作者の傾向です。諦めてください。

孤児院? 姫君は避難しなかったので、そんなフラグは立ちませんでした。戦争があまりにもリベール優位に進んだ影響です。

原作ではレイストン要塞とグランセル以外はほぼ占領されましたが、このSSではロレントまで。原作乖離がはなはだしくなってきましたね。

幼馴染 → エステル ← お姫様

ここにセシリア姫まで混ざるのか。胸熱…、いや、わけがわからないよ。



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