【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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「起爆120秒前です」

 

 

1198年初夏。リベール王国の南西に突き出る半島の先端においてとある地下施設が初めて運用されようとしていた。

 

その事実は世界にはまだ知られることは無く、ごく一部の軍人と研究者が見守る中、その実験は厳かな雰囲気の中で執り行われる。

 

 

「3、2、1、起爆」

 

 

次の瞬間、導力式信管が衝撃波を放ち『速い火薬』を炸裂させる。爆発に伴う衝撃波は球形92分割された火薬の配置に従い中心へと音速を越えて奔りだす。

 

そして巧妙に配置され成形された『遅い火薬』を叩きのめし、これを爆発させた。内側へと向かう衝撃波は完全な球を形成して中心に存在する塊を圧縮する。

 

圧縮されたのはアルミニウム合金の殻に閉じ込められた球形のウラン238の塊だ。ウラン238は圧縮されて中心に存在するプルトニウム239の塊を圧縮する。

 

そうした強烈な圧力がプルトニウム239の塊に封ぜられた小さなベリリウムの球を押し潰した。

 

ベリリウム球は金によって鍍金されており、さらにその外側にはポロニウム210によって鍍金されている。

 

圧潰したベリリウム球はポロニウム210と混合し、ポロニウムが放射するα線をベリリウム原子核が捕捉する。

 

そしてベリリウム原子核は炭素原子核へと変化し、その代わりに束縛されていた中性子を放射した。

 

放たれた中性子がプルトニウム239に衝突。それに呼応してプルトニウム239の原子核は分裂反応を開始する。

 

プルトニウム239は約3個の新たな中性子を放射しながら指数的な速度で連鎖的に分裂を開始。プルトニウム原子1つ当たり200MeVのエネルギーを放射しながら核反応が開始された。

 

球状のプルトニウム239の塊は急速に温度を上昇させ、そして爆発的なエネルギーを解放し始める。とはいえいまだ大部分のプルトニウム239は未反応の状態だ。

 

しかし生み出されたエネルギーにより高温高圧の環境が既に形成されており、それは中心に封入されていた重水素と三重水素が核融合を起こすのに十分な条件を揃えてしまう。

 

そして核融合に伴い驚くべき量の中性子が中心から放射された。高速中性子は十分に圧縮された残るプルトニウム239を加速度的に分裂させ始める。

 

ウラン238の外殻は高速中性子を外に逃がさずに内部へと反射して核反応を増幅させた。そうして、瞬きの間にも満たない時間で『塊』はこの世のものとは思えないほどの破壊的なエネルギーを解放した。

 

地下施設内部において強大なエネルギーが解放される。それはTNT火薬に換算して30,000トリム相当の爆発力に匹敵する。

 

エネルギーは地下施設のセンサー類を蒸発させると、強大な振動エネルギーへと変換されて大地を揺さぶる。地下施設から十分に離れたこの場所でもその振動を感じ取ることが出来た。

 

 

「成功です!」

 

「おお!」「すばらしい!」「これほどの威力、いったいどんな導力兵器なのだ!?」

 

 

この兵器の原理を知る者は研究者を含めてわずかだ。視察に来た軍将官の多くはこの爆弾を導力兵器の一種として認識している。

 

別にそれは構わない。隠蔽するのならば徹底的に。情報を知る者は少なければ少ないほど良い。そうして十分に技術的なリードを得た後で、何らかの国際的な枠組みを作ってしまえばいい。

 

ここにリベール王国は事実上の核兵器の保有国となる。もちろんそれを知る者はまだいない。いずれ正式な発表は行われるだろうし、起爆実験を公開することもあるだろう。

 

だが、今はこれで良かった。抑止力というものは必要な時に、必要なだけ示すべきもので、核兵器は簡単に見せる札ではない。

 

他国が核兵器の存在を知らなければ、あるいはこれを何らかの導力兵器として誤解してくれれば、遠い将来において核兵器を他国が持つことを、拡散することを回避できなくとも、その時期を大きく遅らせる事はできるはずだ。

 

下手に他国に脅威と認識される必要はない。エレボニア帝国は復興途上であり、空軍力において圧倒的に劣る以上、この戦力差と技術力の差が解消されない限りは再戦を挑まれないだろう。

 

カルバード共和国は基本的にはリベール王国の友好国ではあるが、仮想敵でもある。とはいえ、航空機を用いた近代戦を経験していない彼らの空軍の配備状況はお寒い限りだ。

 

つまり、今のところリベール王国の直接的な脅威は見当たらず、地域においてリベール王国の軍事的優位性は保たれていた。

 

ここで原子爆弾の存在を公表する意味は無く、むしろデメリットの方が大きいと考えられる。超威力の戦略兵器開発競争など引き起こす意味は無いのだ。

 

せいぜい彼らには航空機開発や防空網の整備を行ってもらっておけばいい。

 

 

「では、データの分析を行ってください」

 

「博士、やはりこの爆弾の原理については教えていただけないのですかな?」

 

「ふふ、それについては陛下の許しをいただかないと」

 

 

強化原爆。通常は20%を超えない核分裂反応の効率を、最大で30%にまで引き上げることを可能とする、核兵器の小型化に必要不可欠な技術だ。

 

これに加えてダンパーや中性子点火機、高性能火薬の密度や組成の見直しを行うことで、最終的には直径30リジュ以下にまで小型化が可能になる。

 

 

「なにはともあれ、なんとか成功しましたね」

 

 

これ以降、半島の地下施設において原子爆弾の起爆実験が行われ続ける。

 

それは秘密裏に行われ、諜報に力を入れるエレボニア帝国にもリベール王国が何らかの強力な導力兵器の開発に成功したという程度の情報しか伝わらなかったという。

 

 

 

 

「これが新型導力爆弾《ソレイユ》の威力か…」

 

 

関係者のみに公開された起爆実験におけるデータを眺める。恐るべき威力。エレボニア帝国の帝都たるヘイムダルすらも一撃のもとに灰燼と化す超兵器。

 

その作動原理や基本的な仕組みすら軍情報部には知らされていないが、その名の通り地上の太陽ともいうべき最強の兵器と言えた。

 

 

「これがあればリベール王国は二度と侵略されることは無い…。いや、リベール王国をゼムリア大陸を主導する立場とすることも現実的になる」

 

「中佐、嬉しそうですね」

 

「ああ、カノーネ君。これほど喜ばしいニュースはないだろう。博士は大したものだ」

 

「お言葉ですが、ブライト博士に頼り過ぎるのもどうかと思いますが」

 

「ああ、分かっているさ。国防とは兵器だけでは成立しないからね。そのための我々だ。しかし、今回の件でますます博士の重要度は高まったと言えるだろう。護衛を増やさなければならないな」

 

「すでに手配していますわ」

 

「ふふ、君はやはり優秀だな」

 

「いえ、中佐ほどではありません」

 

 

カノーネ・アマルティアは士官学校を優秀な成績で卒業し、王国軍情報部(RAI)で頭角を現した秀才だった。

 

彼女の細やかな配慮や機転が評価され、今は自分の右腕として働いてもらっている。西ゼムリアにおける最大規模の諜報機関となった我が情報部では優秀な人材は一人でも欲しい所だ。

 

 

「それで博士は?」

 

「新型戦闘機と爆撃機の開発にかかりきりのようですわ。なんでも音の速度を超えて飛ぶのだとか」

 

「そうか。あのヨシュアという少年については?」

 

「いまだ所属が掴めておりません。担当者には急がせているのですが…」

 

「いや、カシウス准将…、彼が傍においても良いと判断している以上、あの少年自身は悪質ではないだろう。とはいえ、警戒は怠らないように」

 

「分かっております」

 

「しかし、宇宙ロケットに戦略爆撃機カラドリウス、そしてジェット機と新型導力爆弾《ソレイユ》、新型導力演算器カペル。技術情報の管理には一層の注意を払わなければならないようだ。エリカ・ラッセル博士の外遊は取り止めていただくしかないな」

 

「そのように担当者に伝えます」

 

「ラッセル家は自由奔放で困る。天才というものは概してそういうものなのだろうが。エステル博士もたまに好奇心を優先するからな。護衛する担当者らには苦労を掛ける」

 

「ブライト博士はまだ分別をわきまえておられますが、ラッセル家の方々は本当に天才肌ですからね。ふふ、ですがそう言う中佐は嬉しそうですよ?」

 

「仕事のやり甲斐があるというものだろう? 彼らは自ら道を自ら切り開く人種だからね。そういう人間であるからこそ、このような大きな成果を残すのだろう。我々はそれを支えるのが仕事だ」

 

「エレボニア帝国の動きについてはこのままで?」

 

「ああ、《鉄血宰相》殿の拡大主義政策を止める事は出来なかったからね。ならばそれを利用するしかないだろう」

 

 

エレボニア帝国は逼迫する財政を補うために、周辺の自治州や自由都市を強引な、しかし巧妙な手段で併合する動きに走っている。

 

情報部もそれを防ぐために動いたものの、軍事力を背景としたパワーの前には彼ら自治州も屈するしかなかったようだ。例えば一昨年の自由都市ジュライのように。

 

エレボニア帝国も財政のやりくりに困っていたようなので、周辺地域の併合は不可避だったようだ。

 

我が国に対する莫大な賠償金は皇室の資産から大半が供出されたものの、政府は皇室に対する借金の返済の義務を負っている。

 

裕福な貴族たちに購入させた巨額の赤字国債とその利子の返済にも悩まされていたようだ。

 

このため帝国内の税収の多くが借金の返済にあてられてしまい、軍備拡張やインフラ整備を行うにもこれ以上の増税では対処が難しくなっていた。

 

これを解決するために、帝国は積極的に周辺地域に干渉し、その政体を転覆させて強引に併合を繰り返した。

 

そうして得られた地域の税収により、ようやくインフラ整備と軍備拡張を実現できるようになったようだ。

 

そこで情報部は引き続き併合を阻むために自治州や自由都市の者たちを支援するとともに、故郷を奪われた彼らとも接触を保っている。

 

彼らはその内、エレボニア帝国における重要な工作員となってくれるだろう。我々は彼らの横のつながりを有機的に形成し、活動資金や機材の調達を助けるように動き出していた。

 

 

「しかし、《帝国解放戦線》か。皮肉な名前じゃないか」

 

 

 

 

 

 

「ですからこの数式で証明したように、このような形状の航空機ですと横滑りに対する揺り戻しによりダッチロールが発生し、事故につながるわけです」

 

 

私はツァイス工科大学で週に一日、航空力学の講義をとり行っている。

 

メイドのシニさんが運ぶ大きめの台にのって、私は黒板にチョークを持って数式と簡単な図を書き込んでいく。黒板の脇にある大きなモニターには飛行機が楕円を描くように揺れている画像が流れていた。

 

私やラッセル博士、エリカさんの講義は大人気らしく大きな講堂は受講生たちで埋まっている。

 

特に私の授業は難しいけど、おっきな台に乗りながら背伸びして黒板に文字を書いていく幼女がカワイイと評判らしい。

 

お前ら和んでないで真面目に勉強しろ。私は先生なんだぞ!

 

そうして授業を進めていくと鐘の音が放送されて講義の終わりを告げる。この講義で私の受け持ちは終わりなので、今日の仕事はこれでお終い。

 

 

「今日の講義は終わりですね。では今日の講義で出た数式を利用して、他にどのような異常振動が発生しうるか考察するレポートを来週までに纏めてください。では解散」

 

 

受講生たちが悲鳴をあげるような声を上げて肩を落としている。私の講義はハードだと評判らしいが、その分熱心な学生が多いので教え甲斐がある。

 

学生たちは講義が終わっても質問にやってくるので、私はそれに応じていく。Xのいた日本の大学と違って学生たちは毎夜図書館に籠って勉強するらしく、なかなか見込みがある。

 

質問の受付を終えて、私は思いっきり伸びをした。受講生たちが私を眺めて和んでいるが、見せ物ではないのです。

 

レポート追加してやろうかなどと大人げないことを考えつつ、シニさんが私の羽織っていた白衣を脱がしてくれる。

 

そうして教壇から降りて講義室から出るとヨシュアとエリッサが待っていた。

 

 

「お疲れさまー、エステル」

 

「待っていてくれたんですか? エリッサ、ヨシュア」

 

「ははは、お疲れさま。でも助かったよエステル。エリッサの話がくどくてね」

 

「何言ってるのよーヨシュア、まだエステルの素晴らしさの半分も語れていないじゃない」

 

「何語ってるんですか二人とも」

 

 

本来は授業が終わった後は研究室などに顔を出して、教授たちと談義や討論、助言などを行うのだけれども、今日は皆でツァイスの街での買い物をする予定だった。

 

ツァイスは五か年計画の影響を最大に受けた都市であり、商業施設も驚くほど充実し始めている。

 

ヨシュアとエリッサの関係は最初少しぎこちないものだったが、いつの間にかエリッサがヨシュアを同類と見なすようになったらしく、少しばかり関係が改善している。

 

ただし時々私の隣を争ってエリッサがヨシュアに突っかかる時がある。そういう時はヨシュアが苦笑いしながら場所を譲るのだ。

 

 

「お疲れ様です、エステル様」

 

「シニさんもご苦労様」

 

 

今日の直近の護衛はシニさんで、講義をする時も傍に付いて講義のサポートなどをしてくれる。護衛役は交代制で、シニさん、クリスタさん、メイユイさんがローテーションで護衛役をしてくれる。

 

 

「シニさんもそう思うよねー?」

 

「またその話かいエリッサ」

 

「ふふ、エリッサ様の言う通りです。お嬢様の素晴らしさを理解しないヨシュア様がいけないのですよ」

 

「参ったな、二対一か。エステルも何か言ってよ」

 

「仲良きことは素晴らしきかな、です」

 

「答えになってないよ!」

 

 

シニさんが運転する車でオールドシティを行く。オールドシティとはツァイスの旧市街地であり、ZCFの本拠である中央工房や導力革命初期から続く中小の工房が立ち並ぶ場所だ。

 

今は賑わいの中心ではなくなったものの、ここに来れば大抵の部品を揃える事が出来る。ラッセル家もこの地区に存在する。

 

この数年でツァイスは驚くほどに巨大化した。カルデア丘陵を開発し、トラット平原を飲み込んでテティス海沿岸工業地帯を都市圏に内包するほどに。

 

ツァイスは既に人口120万を超え、人口80万人のエレボニア帝国の帝都ヘイムダルを抑えて西ゼムリア最大の都市へと変貌したのだ。

 

現在ツァイスは18の区画に分けられており、代表的な区画は中央工房を中心とした旧市街オールドシティ、西のカルデア丘陵を開拓した学術研究区画イーストヒルズ。

 

トラット平原北部に拡大した歓楽街ウェストトラット、行政区画であるセントラルトラット、リッター街道方面に拡大した金融街サウスリッターなどだ。

 

カルデア丘陵の6つのヒルズ区画には住宅街や大学などの教育機関が立ち並び、リッター方面には金融施設や大工場、企業の巨大なビルディングや導力ジェネレーターが建ち並ぶ。

 

オールドシティには昔ながらの中小の工房や中央工房があり、トラット方面には歓楽街や行政区画、オフィス街など摩天楼などが立ち並んでいる。

 

また、ツァイスの地下では広大な地下空間の開発が行われており、既にグランセルとツァイスを南北に結ぶ地下鉄メトロが走っている他、18の区画は全て地下鉄網によって結ばれている。

 

地下都市はこの地下鉄網を中心に発展する予定であり、これは空爆にそなえる防空施設としての意味もあった。

 

またカルデア丘陵には二本の大きなトンネルが貫通しようとしていて、これが完成すると高速道路オトルトがルーアンからボースまでを完全に繋ぐことになる。

 

さらにカルデア丘陵の南にはテティス海沿岸工業地帯が形成されており、自動車や船舶、鉄鋼や各種金属、航空機や化学製品、兵器が製造されている。

 

 

「この街も大きくなりましたねぇ」

 

「昔とはだいぶん変わったねー」

 

「昔はどんな様子だったんだい?」

 

「少なくとも地下鉄なんて走って無かったかもー。あと、あんなおっきなビルは無かったなー」

 

「あれは流石に技術大国の貫録だよね」

 

「ツァイスランドマークタワーですか。空室がでなくて良かったです」

 

 

240アージュという高さの摩天楼は世界で最も高い超高層建築と表現しても間違いではない。

 

エルモ温泉という活動的な七耀脈の存在から地震の可能性を考えての設計となったが、それを抜きにすれば400アージュを超えるビルディングだって建設できただろう。

 

地震対策には凝りに凝っていて、水の移動を利用した制震機や反重力発生機関による中空構造、合成ゴムなどを利用した基部など様々な最新技術が取り入れられている。

 

おそらくマグニチュード8クラスの地震が起きて周りの建物が全て倒壊しても、あれだけは悠然と立っていられるだろう。

 

 

「皆さん、つきましたよ」

 

「さて、ティータは元気ですかね」

 

 

ツァイスに来たならティータを捕まえなければ嘘だった。今年で8歳になるティータはとても優秀で、飛び級なんてものを実現している。

 

9歳までにツァイス工科大学に入学しかねない勢いで、その天才ぶりは流石ラッセルファミリーと言うべきだった。

 

つまり、賢くてカワイイ。すなわち正義である。正義はカワイイ。何もおかしな論理ではない。

 

 

「ティーター、いますかー?」

 

「エステルお姉ちゃん?」

 

 

ドアを叩いて声をかけると、家の奥から天使を思わせる声とトタトタという足音。カワイイ。扉が開かれると、ちっちゃくて金色の髪の、赤い帽子を被った少女が私を満面の笑みで見上げて迎えてくれた。

 

カワイイ。とにかくカワイイ。全てがカワイイ。何もかもがカワイイ。

 

 

「ティータぁ、元気にしてましたか?」

 

「あはは、お姉ちゃんくすぐったいですよ」

 

 

すぐさま抱きしめて頬ずりをする。プニプニほっぺがカワイイ。照れ笑いで困った顔もカワイイ。ちっちゃな手足とか、青色の澄んだ瞳とか、もう食べてしまいたい程にカワイイ。

 

ああ、お持ち帰りしたい! このまま攫ってしまいたい。私の娘にしてしまいたい。ティータかわいいよティータ。

 

 

「うらやましい…」

 

「どっちが?」

 

「ティータちゃんが」

 

「やっぱりそうなんだ」

 

「私もエステルにあんな風にスリスリされたい」

 

「いつもそれしようとして叩かれてるよね」

 

「愛が痛いの」

 

「そうなんだ…、君もめげないね」

 

「うん、私、負けない」

 

 

たっぷりとティータ分を補給した後、私はティータを開放する。今日は皆でお買い物なので、いつまでも抱き付いている訳にはいかないのだ。

 

非常に遺憾であるが、残念であるが、これはティータの感情を思慮しての事なのだ。苦肉の判断である。

 

 

「じゃあ、シニさん、行きましょうか」

 

「はい、エステル様」

 

 

シニさんは優雅なカーテシーで私の言葉に応じる。買い物はウェストトラットの歓楽街がメインだ。

 

あそこにはデパートやショッピングモール、東方人街が集まっていて、ただ単に歩いているだけでも楽しいのである。トラット西公園の真下の市営の地下駐車場に車を止めると歓楽街まですぐだ。

 

トラット中央道を横切れば、アーケード街が広がる。地下鉄を使えばエルモ温泉まで日帰りで行けるが、今日はそこが目的地ではない。

 

まずは東方人街で腹ごしらえである。東方人街には東方からの移民たちが開業するレストランが数多く出店していて、グルメファンにはたまらない場所らしい。

 

東方人街は龍や赤、青、緑、黄色の色彩で花のような文様の描かれた、東方風の瓦と彫刻がなされた門の向こう側に広がっている。

 

朱色の色彩と特徴のある黒い瓦が目立つ疑似的な木造建築が立ち並び、多くの店の軒先で肉まんなどの点心や軽食を販売している。

 

と、すぐ後ろでクーっというお腹の虫が鳴る音が。振り向くとシニさんが涎を垂らして露店の肉まんを眺めていた。

 

 

「シニさん、涎たれてますよ」

 

「んっ、はっ!? 失礼いたしました」

 

「シニさんは食いしん坊さんなのですねっ」

 

「そうなんだよーティータちゃん、シニさんっていつもつまみ食いしてるんだよー」

 

「あはは、僕もたまに見かけるよ」

 

「も、もう、エリッサ様にヨシュア様、恥ずかしいので勘弁してください」

 

 

シニさんは意外に食道楽で、結構な量を一人でペロリと平らげてしまう大食漢だ。クリスタ・エレン姉妹がなんであんなに食べて太らないのかとものすごい顔をするぐらいの大食いさんである。

 

遊撃士というのは燃費が悪いのだろうか? シェラさんに聞いた時には顔を横に振っていた。いつもはソツが無い感じなのにね。

 

 

「じゃあ、このお店にしましょうか」

 

「豆福樓ですね。私知ってます、最近話題のお店なんですよ」

 

「そうなんですか。どんなお店なんですか?」

 

「確か、大豆を使った豆腐っていうモノを使った料理が美味しいんだそうです」

 

「二人ともここでいいですか?」

 

「いいよー」

 

「僕も興味あるかな」

 

 

ティータの説明からして、どうやら豆腐料理を出す店らしい。エリッサとヨシュアに確認して、私たちはこの店に入る。

 

東方風というか中華風といった店内は朱色を基調として、屏風や福という文字を逆さまにしたもの、雷紋といった幾何学模様に、提灯や龍の彫刻を施した壁といった異国情緒あふれるインテリアは見ていてとても楽しい。

 

店員のウェイトレスさんは赤色に金糸の刺しゅうを施したチャイナドレスを身に纏っていて、少しばかりセクシーだった。

 

丈の短いスカートに深いスリット。どこの風俗店かと思ったが、この世界の女性は意外と露出度が高めなので今更気にしない。シェラさんとかシェラさんとか。

 

 

「アイヤ、いらっしゃい。何名様ネ?」

 

「5人で」

 

「わかったヨ。こっちの席ネ」

 

 

胡散臭い発音のウェイトレスさんに案内されてテーブルへ。そうして朱色の回転式の丸いテーブルを囲む。

 

メニューは東方文字で書かれていて、その下に小さく共通語で注釈が書かれている。東方文字はXのいた世界の漢字と酷似と言うか、そのまんまでどこか意図的なものを感じてしまう。

 

 

「さて、何を頼みましょうか」

 

「マーボ-ドウフっていうのが美味しいらしいんですよ」

 

「じゃあ、それを頼みましょう。エリッサはどうします?」

 

「ん、この豆腐シューマイっていうのが美味しそうかも」

 

「僕は薬膳麻婆豆腐っていうのを頼もうかな」

 

「豆腐サラダも美味しそうですね。あと湯葉春巻きというのも頼みましょう」

 

「豆乳ってなんなの?」

 

「茹でた大豆を絞ったジュースですね。濃厚でミルクのような感じなので豆の乳と書きますが、少しクセがあるらしいです」

 

「エステルはなんでも知ってるねー」

 

「本で得た知識ですよ」

 

「ではお嬢様、私は煉獄麻婆《閻魔》をお願いいたします」

 

「シニさん、それ激辛注意って書いてありますよ?」

 

「ふふ、それが楽しみなんじゃないですか」

 

 

そうして私たちはウェイトレスさんを呼んで注文をし、そしてしばしの歓談をすることとする。

 

 

「エステルの授業、大人気だよねー」

 

「私もお姉ちゃんの講義受けてみたいです」

 

「ふふ、ティータにはまだ早いかな。でも、ラッセル博士の導力学の授業ならティータにも分かるかもしれませんね」

 

「お嬢様の講義は大学でも一二を争う厳しさなのだそうですよ。面白くて分かりやすいけれども、受けた後の疲労感が途轍もないのだとか」

 

「はは、学生に無理させてない?」

 

「失礼ですね。大学生なんて生き物は青春をかなぐり捨てて学問に勤しむべきなのです」

 

「そういえば、この前大学に迎えに行ったときには夜遅くまで図書館から人の気配がしていたね」

 

「レポートを書いているのでしょう。工科大学の蔵書数は相当なものですから」

 

 

ちなみに私も何冊か本を書いている。大抵は教科書や専門書で、各方面から頼み込まれて書かされたものだ。航空力学や物理学に関する著書だが、売れ行きはいいらしい。

 

面倒な仕事ではあるが、後に続く技術者や研究者のために著書を残すのもこの世界のパイオニアとされる私の仕事の内だろう。ちなみに専門書を書く上ではエリカさんなどにお世話になったりした。

 

 

「ラッセル博士も教科書作りで悲鳴あげてましたね…」

 

「あはは、おじいちゃんってそういうの苦手だから」

 

「私もエステルの書いた本読ませられたよー。エステルの頼みだから断れなかったけど、頭がパンクしそうだった」

 

「ふふ、ヨシュア。関係ないという顔をしている貴方にも、そのうち校正の手伝いをしてもらうことになりますので」

 

「僕、専門知識持ってないんだけど」

 

「私だってそんなの持ってないよー! ヨシュア、今度は半分任せるからねー!」

 

「私だって論文書く暇を見つけて執筆しているのです。本当は研究だけしていたいんですけどね」

 

「今何作ってるの?」

 

「すごく速く飛ぶ飛行機とだけ言っておきましょう。ふふ、皆きっと驚いてくれます」

 

「カラドリウスだけでもう充分驚かせてると思うけどな。あれよりも速いとなると、音速を超えるんだ」

 

「はい。まあ、楽しみにしていてください。今年中には試作機が飛びますから」

 

 

次世代主力戦闘機開発計画の産物のお目見えである。搭載するための量産型ターボファンジェットエンジンも既に試作品が完成しており、試作機の機体も既に完成までもう少しといった状態だ。

 

試験機で研究されていた新機軸のシステムを多数導入しており、航空技術において他国を一気に突き放す予定になっている。

 

 

「お姉ちゃん、あれは関係ないの?」

 

「あれ?」

 

「ほら、おじいちゃんとお母さんと一緒に実験してた…」

 

「ああ、新型無線ですね」

 

「新型?」

 

「んっとね、導力波を使わない無線通信システムでね…」

 

「ティータ、一応色々と秘密が多い技術なのであまり表では話さないでください」

 

「はわっ、ごめんね、お姉ちゃん」

 

「ふふ、気を付けてくれたらそれでいいんですよ」

 

 

ティータに注意をする。ティータが焦って謝るが、私は笑顔で応じる。

 

あまり怖がらせたくないが、技術情報と言うのはどこで漏れるか分からないし、情報部からヨシュアやエリッサには身内であってもあまり技術情報を漏らさないでほしいという注意を受けているので、普段から慎重に言葉を選んでいる。

 

新型無線は電波と導力波の二つを同時に用いた通信システムのことだ。

 

この二つは波長によっては大気中をよく透過し、遠方との情報のやりとりを可能にする点で酷似しているが、互いに干渉しあわないため同時に使用することで二倍の情報のやり取りを可能とする。

 

この研究については、実は導力波と電波の二つのアンテナを同じ機器の中にコンパクトに内蔵するシステムをエリカ博士が考案してしまい、研究が一気に進んだという背景がある。

 

本当は導力に頼らない通信システムの開発が主だったのが、通信革命を起こしかねないものになってしまったのだ。

 

まあ、同じ波という性質を持っている以上、アンテナも似たような形状になるのが自然だったとはいえ、ラッセル家は化け物かと思ってしまう私がいた。

 

しかしおかげで、無線システムの大幅な小型化の実現も視野に入ってきていて、現在では携帯電話の実用化すら研究されつつある。

 

同時に導力波と電波の二つを並行して用いるレーダーシステムも開発されていて、ステルスという概念に対してある程度の対策が出来ると考えられていた。

 

少なくとも導力波レーダーしか開発していない他国にとっては電磁波に対するステルス性など考えも及ばないだろう。

 

あとは、《結社》がどの程度、電磁波について考えているのかにもよるのだが。

 

 

「豆腐サラダあるネ」

 

 

そうして料理がやってきた。話をしながら料理をとりわけ、和気あいあいと食事をする。麻婆豆腐はピリ辛で美味しく、他の豆腐料理も素晴らしい味だった。

 

朧豆腐などは蕩けるほどの濃厚さで、絶品だったと太鼓判を押せる。だが、そんな和やかな雰囲気が続いたのはアレが現れるまでだった。

 

 

「うわっ…、それって食べられるの?」

 

「よ、溶岩のように赤いですねぇ」

 

「目が痛いですぅ」

 

「煮えたぎってるよ…。シニさん、それ本当に食べるの?」

 

 

シニさんの前の出された物体。マグマのように煮えたぎる深紅色の液体に白い豆腐が朱色に濡れて浮かんでいる。

 

それは現世に現れた地獄そのもの、いや、煉獄だ。煉獄麻婆《閻魔》。香りだけでも辛く、見るだけでも涙が出てきそうな、そんな悪夢がテーブルの上に降臨した。

 

 

「ふふ、中々美味しそうですね」

 

「え、食べるんですかそれ…って、シニさん早まったら!?」

 

 

シニさんがレンゲを手に取り悪魔の料理を口に入れ始めた。カツッ、カツッ、カツッ。レンゲと皿が衝突する音だけが響き渡る。

 

カツッ、カツッ、カツッ。周りの客たちもメイドが織りなすその異様な光景に目を点にして伺っている。カツッ、カツッ、カツッ。エリッサが恐怖半分興味半分でソレを覗き込む。

 

 

「お、美味しいの?」

 

「…美味ですね。山椒の香りが良く効いていて、実に絶品です。気力が漲ります」

 

「た、食べてもいい?」

 

「エ、エリッサっ、だめですソレは!」

 

 

しかしエリッサは私の制止を振り切って、その悪魔の食べ物に手を出してしまった。そしてレンゲでそれを掬い、一口だけおそるおそる口の中へ。

 

そして悲劇が起こった。エリッサが口を抱えて悶絶し、痙攣しながら真っ赤な顔をして倒れこんだ。

 

 

「ん~~!? ん~~!!!?」

 

「エ、エリッサァァァァ!?」

 

 

カツッ、カツッ、カツッ。

 

 

「エリッサ、水です。早く飲んで」

 

「あ…、お母さんが手を振って…る?」

 

「ダメです! ソッチ行っちゃダメです!」

 

 

カツッ、カツッ、カツッ。

 

 

「あ…、エステル? 何で泣いてるの?」

 

「ああ、エリッサ、良かった。生きていてくれて、本当に…」

 

 

カツッ、カツッ、カツッ。

 

 

「何が起こったの? ここはどこ?」

 

「エリッサ、つらいことは思い出さなくて良いのです。さあ、水を」

 

「エステル、口の中に赤く燃えた炭を放り込んだみたいで熱いの」

 

「大丈夫、今、導力魔法で治療しますから」

 

 

カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。カツッ、カツッ、カツッ。

 

 

「ふぅ、おかわりをお願いします」

 

 

外道麻婆事件。私たちは後にこの凄惨な事件をそう呼ぶことにした。

 

 

 






神の火だ。外道の火だ! マンハッタン計画の後に来るのはアイビー作戦とかキャッスル作戦とかですかね。島1つ消し飛ばそうぜ!

24話でした。

煉獄麻婆《閻魔》については原作突入後も再登場させる予定です。この麻婆豆腐がこの上なく似合う人物がいますので。職業的にも、所業的にも。


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