透明な窓を隔てた遠い世界は水平線とは名ばかりの曲面。遠く青みがかった大気の層はグラデーション成す。見上げれば空は暗く、昼間だというのに星が見える。
見下ろせば雲の切れ間にぼかした様にも見える蒼いテティス海とヴァレリア湖、その間には緑色の陸地と黄色みがかった山地が挟まれている。
「世界って丸いんだ…」
「綺麗…」
「これは確かに、見ごたえがあるわね」
「知識では知っていたけれど、こうして目にすると実感できるわね」
「これは…見飽きないな」
高度25,000m、この世界の単位では250セルジュ。この高度になると雲はほとんど存在せず(無いわけではない)、大気は極めて薄く人間が活動できる限界を超えている。
とはいえ大気は存在し、ジェット機のような酸化剤を大気に依存する航空機でも飛行することが可能な領域だ。
非大気依存型の導力エンジン駆動ならばプロペラ機でも到達は不可能ではない。重力制御を補助的に用いればなお確実に実現できる。
航空機による初の世界一周を行ったアルバトロス号は、飛行高度のレコードを打ち立てるべくZCFの技術者たちに好き放題の改造を受け、この高度まで到達した。
「…ヤーチャイカ」
私は窓からの景色に目を奪われる。
知識と体験が大きく違うことを、この飛行機は教えてくれる。普段の日常からは完全に切り離された世界。非日常の美しさがそこにはある。
世界は美しく、空はどこまでも続いていて、蒼穹を貫いた先にある深淵に手が届きそう。
「お昼なのに星が見えますよ、エステルお姉ちゃん!」
「そうですね、ティータ。理由は分かりますか?」
「大気が薄いからです。えっと、太陽光が空気分子に散乱されなくて、星の光の観測を邪魔しない…んですよねっ」
高度200セルジュを越えると昼間でも星を肉眼で見る事が出来るようになる。それはティータの言った通りで、とはいえ夜のように完全に見えるわけではない。
宇宙まではまだ遠く、大気の層はまだまだ折り重なっている。
どこからが宇宙かなんていうのは無駄な議論になるが、Xの世界ならば高度100kmを境界とするべきだというのが一般的だろうか。
「なかなかできない体験をさせてもらっているな」
「いつか、こういう風に招待しようと思っていましたので」
「ああ、嬉しいぞエステル」
今日は私の知人、友人たちを乗せて、アルバトロス号を貸切にさせてもらった。
安全保障的な観点からラッセル博士とエリカさんは一緒に乗ることが許されず、ラッセル博士は悔しがっていたが、まあ仕方がないだろう。
ティオとエリッサは二人並んで窓にへばりつくようにして外を見ている。私は父と向き合う形で窓の外を眺めながら、リンゴジュースを一口含む。
このリンゴジュースはラヴェンヌ村特産の新鮮な果物で作られたジュースで、これらの果物はボース地方の名物の一つになっている。
鉱山が閉山になった後、一年戦役による被害を受けたが、リンゴやオレンジ、桃などの果樹栽培で復興を果たしたらしい。
「本当はお母さんも一緒に、こういう風にして飛びたかったんですけどね」
「そうだな。レナも向こうで羨ましがっているだろう」
「こうして見ると、世界は広いですね。本当は飛行機で世界中を旅してまわりたいんですけど」
「いつか、出来るようになるさ。エステル、お前が望めば、お前ならなんだってできるだろう」
導力革命からおよそ半世紀。鉄道や導力飛行船などの登場で世界は確実に移動しやすくなった。父の言うとおり、行こうと思えば行けるのかもしれない。
「東方に行ってみたいですね。本物の東方文化というのも見てみたいです」
「そうかそうか、なかなか良いものだぞ。料理も美味いしな」
「お父さんは行った事があるんですか?」
「昔な。お前が生まれる前だ」
レグナートに喧嘩売るようなヒトだから、若いころはフットワークも軽かったのだろう。
それはそれで父らしい姿のように思えた。
「旅ですか。皆で行きたいですね」
「家族旅行か。また皆でどこかに行こうか?」
「エルモ温泉なんかどうですか? 源泉を見に行きたいです」
「ははは、お前の発想はいつも面白いな。源泉か。そういう旅行も楽しそうだ」
お父さんは昨年のD∴G教団の一斉摘発において、その神懸った戦略眼、そして戦闘能力を発揮して遊撃士としての最高ランク、非公式のS級遊撃士として登録された。
S級はゼムリア大陸に4人しかいない超一流の遊撃士の称号であり、国家規模、あるいは国際規模の事件を解決する能力が有ると見なされることになる。
ユン先生曰く、父カシウス・ブライトは《理》に到達しているのだと言う。
《理》に至れば、一目で万物の真理を掴みとることが出来るらしいが、父を見ていると確かにその通りだと納得してしまう。
棒術にしても既に達人の領域に至っているようで、専門でもないくせに私と互角以上というのはどういう了見か。
そして真理を掴みとるのは武術だけに留まらない。軍にいては軍略において最高峰と称えられ、遊撃士としてもその推理と洞察力、問題解決能力は少しも衰えない。
《理》に通ずるとされる《剣聖》の称号を得ている者たちでも《理》に到達した者は一部しかいないというほど。
だから、お父さんに匹敵するような人間は、おそらくは世界中を探し回っても5人もいないのではないだろうか。我が父ながら鼻が高い。
「なら約束です。たまには家族サービスして下さい」
「分かった分かった。ほら、友達の所に行って来い」
「ふふ、分かりました」
そうして私は席を立つ。
幅3アージュ強の長細い空間であるが、元々は無補給無着陸の世界一周旅行を実現するために特別に改造された機体なので気圧や機内温度などは過ごし易く調節されている。
そして内装は客商売を見込んで豪華なものとなっていて、幅が広く座り心地の良いリクライニングシートに、ディスプレイ付きというの贅沢な仕様だ。
私はこの前知り合ったばかりのエリィの隣に行く。文系志向の彼女もこの光景には目を奪われているらしい。
今回はリベール王国での思い出になればいいと、ジョアンナさんと一緒に招待したのだ。
「どうですか、エリィ?」
「すごく感動したわ。でも外国人の私なんかを乗せてしまっていいの? アルバトロス号っていえばリベール王国の航空技術の象徴、最高機密の塊でしょう?」
「大丈夫ですよ。エリィは私の友達なんですから…というのは恰好づけでして、実は元々そういう予定になっているんです」
実の所、アルバトロス号を用いた成層圏飛行を観光客目当てに活用しようという話が持ち上がっていて、今年の終戦記念日か女王生誕祭に向けて調整が進んでいる。
技術というものは本来兵器としてだけではなく、人々の暮らしを便利にしたり、夢や希望を与えたりするものでなければならない。
技術関連のセキュリティーについての詰めの話が進んでいて、他国の工作員によってハイジャックされた場合の対策も練られている。
新型の戦闘機のお披露目と共に、今年の女王生誕祭の目玉となる予定だった。
「というわけで、後で意見を聞かせてもらえると嬉しいですね」
「そうなの。リベール王国はそういう部分が開かれていて印象がいいわね。エレボニア帝国なんかじゃ絶対に考えられないわ」
「あそこは貴族のためのモノを作りそうですけどね」
帝国の貴族は武を重んじるものの質実剛健というわけではなく、煌びやかなものとか豪華なものが大好きだ。
大貴族ならば個人で豪奢な飛行船を持っているということだってある。
「言えてるわ。カルバード共和国ならお金持ちのためかしら」
「んん、実はこれについては予約制にしていますし、結構お金を取る予定なんですよね。身分が確かでないヒトは乗せたくないので」
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと得しちゃった気分かも」
「生誕祭が終われば、子供たちや学生なんかを無料で招待する予定なんですけどね」
「教育の一環…か。それってすごく効果的かも。科学技術への関心も高めて将来の優秀な技術者の芽を育むとともに、リベール王国の国民としての誇りも醸成するって感じかしら」
「ふふ、エリィは考え過ぎですよ。単純に楽しんでほしいだけです。飛行機を作った人間としての願いです」
「もしかしたら、そういう純粋な思いみたいなものが本当は必要なんでしょうね」
「皆がそう思えば、世界は今より平和になっているでしょうね。ヒトという生き物はなんだかんだと余計なものを抱え込んでいますから。まあ、それはそれで面白いのかもしれませんが。ただしティータが可愛いのは真理です」
「ふふ、そうよね。あの子、なんであんなに可愛いのかしら。健気で、一生懸命で、お持ち帰りしたくなっちゃう」
「その祖父と母親は結構面白い性格の人物なんですけれど」
「アルバート・ラッセル博士のお孫さんなのよね。本からの知識しかないのだけれど」
現代導力学の権威と言えばA.ラッセル博士、G.シュミット博士、L.ハミルトン博士の三人は外せない。
導力器の発明者にして導力革命の発端となったC.エプスタイン博士の高弟である三人によって導力革命は主導されたと言っても過言ではない。
ラッセル博士はリベール王国での導力革命の立役者で、ZCFを設立した。G.シュミット博士はエレボニア帝国における導力革命を指導した人物で、今はルーレ工科大学の学長をしている。
L.ハミルトン博士は導力革命による技術格差の出現を予見して、僻地の技術振興に力を入れた。エプスタイン財団はL.ハミルトン博士の思想に大きく影響されている。
ちなみに全員変人らしい。ノバルティス博士といい、天才導力学者には紙一重の人物しかいないのか。…私はまっとうな常識人ですよ?
そんな事を考えていると、とたとたと機内をせわしなく動いていたティータが私の所にやってきた。表情はご機嫌と言った感じで、好奇心に目を輝かせている。
「エステルお姉ちゃんっ、機関部を見に行っていいですか?」
「飛んでる最中は危ないのでダメです」
「ええ~」
「それに寒いですよ。気密は保たれていますが」
この上空250セルジュの世界の外気温はマイナス70℃前後。寒いというよりも、痛いとか、凍りつくとかそういうレベルである。
機関室はそこまで寒くはないが、今の私たちの服装で行けば凍えることは間違いなかった。一方、私の傍に座るエリィはティータに興味津々だ。
「ティータちゃんも導力学者になるの?」
「はいっ。今は見習い技師なんですけど、いつかはおじいちゃんやエステルお姉ちゃんみたいに、皆の役に立つモノを作ってみたいです」
「そうなんだ、すごいわね」
「ティータは優秀なんですよ。来年には大学に来るんですよね」
しかもかわいい(これ凄く重要)。
「えへへ、予定ですけどね」
「…リベール王国のヒトって優秀なのね」
「どうでしょう? レマン自治州も人材には事欠かないみたいですけど」
「エプスタイン財団のお膝元ね」
「クロスベルだって、IBC総裁の経営手腕は抜きんでていますし、まあ隣の芝生は青く見えるものです」
「ディーターおじ様…、うん、マリアベルもすごいし、私も負けてられないわね」
「ディーター総裁と知り合いなんですか? まあ、マクダエル市長の孫娘ですから、おかしくはありませんが」
「ええ、家同士の付き合いがあるのよ。おじ様の一人娘のマリアベルとは幼馴染だし。でも、技術面での才能が乏しいのはちょっと不安かも」
「エプスタイン財団との関係は深いと聞いていますが?」
「IBCはね。世界最大の銀行だし、エプスタイン財団とも縁が深いみたいだけれど。導力ネットワーク計画はリベールとクロスベルが最先端なのよね」
「クロスベルはエプスタイン財団主導、リベールはZCFが主導していますが。方式も少し違うんですよ。互換性はありますけどね」
ソフトウェア開発においてはエプスタイン財団が強く、導力演算器のようなハードウェアに関してはZCFがリードしている。
とはいえ得意分野には違いはあるが、そこまで大きな技術格差は無い。むしろ技術交流は頻繁に行われており、競争相手ではあるが、決して足を引っ張り合うような間柄ではない。
導力演算器の核であるプロセッサーやRAM、ハードディスクといった精密導力機械部品の供給はZCFが行っているし、ソフトウェア研究開発では頻繁に共同研究を行っている。
基幹ソフトであるOSについてはエプスタイン財団が開発したものを参考にしており、私の発案によってXのいた世界のモノを参考に構築されている。
「ZCFはそういう方面に強いわね。飛行船と航空機の飛行制御技術、導力演算器に関してはトップなのよね。ヴェルヌは器用貧乏ってイメージだけど」
「あそこは効率を重視していますから、量産技術については学ぶ部分は多いですね。デザインに関しても垢抜けていますし」
「でも壊れやすいっていうイメージがあるのよね」
「安い製品については確かにそういうイメージはあります。ヴェルヌ社の導力車はドアが外れるのだとか」
「ZCFの導力車は酷使に耐えるイメージがあるわ。ラインフォルト社は高級車っていうイメージかしら」
ゼムリア大陸の導力車市場はリベール王国のZCF製、カルバード共和国のヴェルヌ社製、エレボニア帝国のラインフォルト社製の三大メーカーによる熾烈な競争がなされている。
それぞれに特徴があり、甲乙つけがたいというのが導力車専門誌のコメントだ。
ZCF製はとにかく信頼性と品質が高いというのが評判だ。過酷な使用条件にもよく耐え、壊れにくく、騒音も振動も少なく、安定した走りを実現する。
小型高出力のエンジンは意外なほどに力強く、急勾配の斜面にもよく対応する。
これはエネルギー効率の高さによる側面でもあり、エンジンの出力を無駄なく走りに還元するからでもあった。
ヴェルヌ社製は豊富な車種と垢抜けたデザイン、安価な価格が魅力で、大衆車というものを普及させたのはヴェルヌ社だと言ってよい。
壊れやすいだとかそういうイメージはあるが、それは低価格帯の車種であって、高級車モデルならば信頼性は悪くないと評判である。
ラインフォルト社製は高級車のイメージが強く、豪華な内装が特徴の一つだが、同時に丈夫で馬力があるというのが最大の特徴だ。
ラインフォルト社製の導力車は大きく、ボディも厚い鋼板を使用しているので衝突事故に強い。
大きなエンジンを載せているので馬力も桁違いだが、価格帯はかなり上という設定になっている。
強いて比べるなら価格の安さとアフターサービスの良さはで言えばヴェルヌ社製>ZCF製>ラインフォルト社製といった順番になり、
最大速度と頑強さならばラインフォルト社製>ZCF製>ヴェルヌ社製。乗り心地と故障の少なさはZCF製>ラインフォルト社製>ヴェルヌ社製といったところだろう。
なので貴族や大金持ちならばラインフォルト社製を選ぶし、比較的裕福な家庭ならばZCF製かヴェルヌ社製の高級モデルを、中流層ならばヴェルヌ社製を選ぶといった感じになる。
まあ、実際は好みの問題で、リベール王国ではZCF製が好まれるし、エレボニア帝国の上流階級にはラインフォルト社製が好まれる。
ヴェルヌ社製は比較的どこでも走っているイメージだ。販売台数でヴェルヌ社の右に出る自動車メーカーは存在しない。
「それぞれの特徴はそれぞれの起源に深く関係していますから」
「ZCFは時計工房から飛行船製造が起源で、ラインフォルトは銃火器から鉄道が起源、ヴェルヌもルーツは銃火器だけれど導力車が導力技術の起源なのよね。確かにZCFは精密機械、ラインフォルトは軍用品、ヴェルヌは量産品のイメージね」
「マスプロダクションも品質管理の概念もヴェルヌ社が発祥ですけどね。あそこの消費者目線を大切にする姿勢は学ぶべきかもしれません」
ZCFもラインフォルトも作れるから作ったとか、作りたいから作ったとか、生産者というか職人視線で物作りする悪癖があるので、学ぶべき点は多い。
などとエリィと話していると、後ろからエリッサが抱き付いてきた。顎を私の頭の上に乗せて、腕をまわしてくる。ウザイ。
「何難しい話してるのよエステルー。私にもかまってー」
「はいはい。分かりましたよ」
「ふふ、仲がいいのね」
「まあ、家族ですし」
「私はそれ以上の関係に踏み出しても…」
「ははっ、はぁ…」
その後、女の子だらけの中でハーレム状態にあるヨシュアを徹底的にからかったり、
ちょっとした自然科学に関する講義を行い一部の『生徒』を睡眠状態に誘ったり、
パイロットさんに掛け合ってちょっとしたアクロバティックな飛行をしてもらったりと、私たちは空の旅を楽しむ。
「やっぱり、うん、飛行機はいいですね」
世界中を飛行機の航空路線で結びたい。観光地なんかで、ちょっとした軽飛行機による空からの遊覧などを企画する会社を作ってもいい。
空は独占されるべきものではない。私が年老いた頃には、宇宙旅行なんてものを気軽に楽しめるようになったら、そんな夢想を私は心の中に抱いた。
◆
映像がスクリーンに投影される。音は無い。ただ、映像だけが流れる。
突然緋色の火球が湧き上がる様に生まれ出でて、中心より白い雪崩にも似た衝撃波が同心円状に広がる。そして巨大なキノコ状の雲が形成される様が映し出される。
そして次に十匹ほどの草食性の魔獣が光を浴びた瞬間に、まるで影が消し飛ぶように消滅する様が映し出された。
緑色の葉を茂らせた木々が熱風に煽られて一瞬で引火する様、爆風によって家屋が軒並み吹き飛ばされる様。
全てが終わった後、レプリカとして本物と同じように作られた煉瓦造りの建物が軒並み瓦礫の山と化している映像、戦車や装甲車両がひしゃげたり横転している映像。
そして、大地に刻まれた深く巨大なクレーターが映し出される。
最後に熱線、爆風、放射線等による被害半径、致死率、放射性降下物の拡散状況、その他様々なデータが表示されていく。
軍の関係者たちは絶句したり、褒め称えたり様々な反応を返す。対してアリシアⅡ世女王陛下はそれを悲しげな表情で見つめ続け、言葉一つ洩らさなかった。
「以上がこの新型爆弾の大気圏内起爆実験の結果となります」
「…我が国はこんなものを持ってしまった、そういう訳ですね」
「はい。小型化に向けた研究開発も順調に進んでいます。原材料の安定供給にも目処が立ちました。量産体制が確立できれば年に数十個の単位で生産することが可能になります。また、完全な『導力フリー』も近く実現するでしょう」
先日、アゼリア湾の遥か南西に存在する島において、厳戒態勢の中、原子爆弾の初の大気圏内における起爆実験が行われた。
戦場での運用を目指すのならば避けては通れない実験であり、装甲車両や塹壕による被害の軽減、地上における放射性降下物の飛散状況といったデータなどがとられた。
実験による爆音はリベール王国本土にまで響き、人々の噂に上ったので完全な隠蔽は出来なかったものの、地下実験では得られなかった様々なデータを採取することに成功した。
同時にその恐ろしさを実感することにもなったのだけれど。
使用された原子爆弾は核出力100kt程度の強化原爆であり、導力演算器による設計の見直しにより、ラグビーボールのような形状をしている。
これは二点着火方式の爆縮装置を用いた、中空式のプルトニウムコアを持つタイプの核爆弾であり、インプロージョン方式では小型化に最も適する形状といえた。
初期のものが4トリムを超える重量であったのに対し、今回の爆弾は僅か0.5トリムにまで減量に成功し、なおかつその威力も飛躍的に向上している。
現実的には核出力500キロトン級の核融合兵器を戦略爆撃機に搭載して仮想敵国の主要都市を全て消滅させることが可能になるまでが既に視野に入っている。
ただし放射能汚染の問題から考えて、よりクリーンな水素爆弾の開発を行うことが望まれる。導力という要素を加えればそれは十分に達成可能な目標だった。
導力器に頼らない『導力フリー』技術については《結社》への警戒によるものだ。
強力な導力パルスへの対策については既に考案しているし、近く実現する見込みだが、あの技術力から考えてどのような対策をとるべきか予想しきれない。
核兵器を応用した導力パルス兵器ならば作れるのだけれども。
軍将校や高級官僚、大臣たちが盛んに議論を交わす。今回の会議は非公開ながら公式な場であり、リベール王国が初めて核保有に関わる議論を行う重要な場だった。
彼らの多くは導力兵器の延長としか聞かされてはいないが、それでもその超威力は彼らの心の闇を炙りだすには十分だったのだろう。
この会議においてはリベール王国がこの兵器の存在を公に公開するのか、どの程度配備するのか、今後の研究についてはどうするのかといった事が決定される。
最悪の方向に転べばエレボニア帝国を滅ぼそうなんていう極論に至るのだが、女王陛下がいる限りそれはありえない。
「公開によるデメリットが大きいと君は考えるのかね?」
「はい。現状、王国の国防に問題はありません。この上で新型導力爆弾《ソレイユ》を発表すれば、近隣国家に無用な警戒を抱かせてしまうでしょう。貿易に支障が出る可能性も否定できません」
過剰な軍備は国益に繋がらない。負けるかもしれないというラインに落ちつけていた方が、協調外交という面ではやりやすい。
圧倒的な軍事力を誇りたいなら、それ以前に圧倒的な経済力を持つべきだ。そういうのは超大国の特権である。
「だが、リベールがこの兵器を持っていると知れば、全ての国が我が国の意見を無視できなくなるのではないかね? それによって多くの国益を生み出すことも難しくはない」
「エレボニア帝国により大きな妥協をさせることも可能じゃないか? 関税を引き下げさせ、市場の開放を迫ることも出来る」
「いや、領土割譲を迫ることだって不可能ではない」
「待ってください。短期的には確かに大きな利益が得られるかもしれません。しかし、中長期的に考えればデメリットの方が大きいと私は考えています」
他国は間違いなく強力な戦略兵器の開発に走るだろう。BC兵器という可能性もあれば、未知のアーティファクトに手を出すということもある。
その先にあるのは果てしない軍拡競争だ。
Xの世界のソビエトの二の舞は勘弁願いたい。核兵器を重視しすぎて、通常戦力がおざなりになるのも良くない。
「それは軍情報部が上手く動けばいいだろう。仮に相手が超兵器開発に名乗り出るというのなら、先に潰してしまえばいい」
「下手な動きを見せれば先制攻撃を実施すればいいだろう。帝国を併呑すれば、ゼムリア大陸に我々を阻める者などいなくなる!」
「いや待て、統治コストを考えてほしい。わが国の国力では西ゼムリアの覇権を維持するのは不可能じゃないか?」
「そうだ、武力による統治など破綻するに決まっている」
「そんなものはエレボニア帝国風にやればいいだろう。分割して、情報部による統制を強化してしまえばいい」
何言ってるんだこいつら。
机上の空論である。そもそも純粋なリベール王国の人間は800万人弱程度でしかない。そんな人口規模で数億の人間を統治しようとすれば必ず破綻する。
急速に拡大した巨大帝国というものは基本的には100年も保ったためしがないし、余計な憎しみを買うだけで面白くもない。
私はそんな面倒な政治に関わるつもりなんてさらさらないし、そして今の議論を静かに見つめるこの国の主もそんなつもりはなさそうだった。
「皆の者、落ち着きなさい」
女王陛下の言葉に一同が静まる。いままで沈黙を守って来た彼女に大臣や将軍たちの視線が集まった。
「一時的にとはいえ、他国に対して圧倒的に有利な立場を得た事。これによって気持ちが逸ることは理解できます。しかし、我が国は今までそういった立場に立った者たちの栄枯盛衰を1200年も見てきたではありませんか。我が国がそのような轍を踏むわけにはいきません。私たちは100年先を考えて決断しなければならないのです」
女王が一息つく。
「国が急激に巨大化すれば歪みが生じ、欲望は際限なく肥大化し、傲慢が蔓延し、我が王国は始祖より受け継いだ高潔を失い、滅びの道を歩むでしょう。私はエステル博士の考えに賛同します。我が国自ら6年前のエレボニア帝国の野蛮な侵略と同じことをするわけにはいきません」
「わしも陛下のお言葉に賛成する。エレボニアに再戦を挑むだけならまだしも、いたずらに世界を敵に回すような戦略は立てられん。不確定要素が多すぎて何が起こるか予想もつかん」
女王陛下の意見に対して、モルガン将軍が賛同の意を示す。さらに予算に関わる財務官僚が国家財政の観点から消極的な賛意を示し、主戦派の舌鋒は鈍りだす。
さらに外相が外交カードとして切り札はいざという時のために隠しておくべきだとの意見を述べて、大勢が傾き出す。
「研究開発については引き続き進めるべきだとは思うが? 切り札とするならば、より強力なものとするべきだろう」
「博士、《ソレイユ》の威力はどこまで高める事が出来る?」
「理論上の上限は存在しません。ただし、爆発のエネルギーは平面方向だけではなく、上の方向にも逃げてしまいます。ですので1個の強力な爆弾よりも、複数のほどほどの威力の爆弾をばらまく方がより広範囲に被害をもたらすことが可能になります」
「なるほど」
「ならば、小型化が重要になると言う事かね?」
「はい。現状でも戦闘爆撃機に搭載可能な爆弾は十分に製造可能です。将来的には戦術兵器、戦略兵器といった形で柔軟に用いる事が可能になるでしょう」
「このレポートによるならばロケットと組み合わせることが出来るとあるが?」
「それは長距離弾道ミサイルという戦略思想です。国内の地下基地から直径2アージュ以下、全長20アージュ以下の大型ロケットに《ソレイユ》を複数個搭載して敵国に投射する…というのが基本的な発想ですね」
「命中するのか?」
「誤差100アージュに抑える事は十分に可能です。最大射程は100,000セルジュ以上を目指すことになるでしょう
もっとも、コスト面から考えれば仮想敵をエレボニア帝国、あるいはカルバード共和国としている以上、短距離~中距離弾道弾が主役だろうが。
「なっ…、それはつまりゼムリア大陸全域を?」
「はい、多少の準備は必要ですが。迎撃は現状の技術では不可能です。迎撃を困難にする手段もいくらでも考案可能です」
そもそも隣国を狙うのならそれほど射程は必要ではない。せいぜい50,000セルジュの射程があればエレボニア帝国もカルバード共和国も全て攻撃可能圏内に飲み込んでしまえる。
とはいえ、弾道弾は攻撃出来ることを示すための兵器であって、実際に攻撃に転用することはまずあり得ないのだけれど。
「ロケットの開発目的はそれだけなのですか?」
女王陛下が私に質問する。
「いえ、主要な運用目的は商用と科学的調査となるでしょう。惑星の周囲に導力波の遣り取りを行う人工衛星を周回させることが出来れば、通信・流通に革命をもたらすことが可能になります。また、導力カメラを搭載すれば宇宙から気象の変化を観察することが可能になります。天災の予測に大きく貢献するでしょう」
「ああ、前に貴女が言っていた通信衛星と気象衛星ですか」
「最終的には月に人類を到達させることを目標としています。宇宙開発については長い目で行いたいですが」
通信衛星にGPS、気象衛星、資源探査衛星。人工衛星が人類にもたらす貢献は大きなものになるはずだ。
軍事的にも経済的にも宇宙開発において先進するという選択は間違いではない。
「それは上空からの偵察も可能と言う事かね?」
「はい、軍事目的として偵察衛星がもたらす情報は戦場を変革するでしょう。敵軍が何処に集結しているのかだけではなく、戦争準備の過程、敵重要施設の監視、敵艦の動向。全てをつまびらかにするでしょう」
軍人たちが唸る。というか、話がズレてしまった。この場は核兵器について議論する会議だ。
「陛下、《ソレイユ》の研究開発の継続についてですが…」
「そうですね。将来、他国がこれと同じものを開発する可能性は?」
「十分にあります。むしろ、無いなどとは言えません。確実に、何処かの国が開発するでしょう。あるいは、これに匹敵するような新概念の導力兵器が登場したとしても驚きはしません」
「その場合は何らかの国際的な枠組みを作るべきかもしれませんね」
「はい。その場合、少なくとも保有数や技術拡散の制限については縛りを設けるべきでしょう」
核拡散防止条約というものがXの世界にはあったが、はたしてどの程度の効果が期待できるのか。
相手が了承しないならば、あるいは多少強引な手段で黙らせる必要が出てくるかもしれない。
世界はリベール王国には広すぎて、世界の警察なんて役目は果たせないけれど、全面核戦争なんていう悪夢だけは生み出したくない。
相手が弾道弾を持たないならば、それを利用して無理やり技術を放棄させるような事も可能かもしれない。
ミサイルディフェンスのようなシステムも将来的には開発研究すべきだろうか。
ラッセル家のおかげで戦術級のレーザー兵器ならば導力技術を応用することで開発は容易だ。スターウォーズ計画をやるとは思いもよらなかったが。
「研究開発に関しては継続することを認めましょう。皆さんはどうですか?」
「異議はありません」
「ですが―」
女王は言葉をつづける。
「配備については議論が必要だと考えます」
「どういうことですかな、陛下? これほどの兵器、実戦配備すれば我が国の防衛力は飛躍的に高まりますぞ」
「使用する相手がいない状況で、実戦配備しても仕方がないでしょう」
「陛下、国防は臨機応変であるべきです。あらゆるオプションは手元に置いておくべきではないでしょうか?」
私は少し焦って反論する。公開はしない、研究開発は続行。ここまでは良い。だが、実戦配備に『待った』がかかってしまうとはどういうことか。
確かに使いたくはない兵器だが、持っていないことがバレてしまえば、相手の急激な侵攻、作る前に倒してしまえなんて言う心理を生み出しかねない。
抑止力とは存在することに意味がある。あるかどうかも分からない抑止力に期待などできない。力は示さなければ、相手に伝わらないのだ。
数を制限してでも、敵国の指揮系統を麻痺させるだけの、敵が戦争を起こす気にならない程度の核兵器は配備すべきだ。
「国防は確かに臨機応変であるべきでしょう。ところでモルガン将軍、この《ソレイユ》を用いる国防計画を前提とするならば、正面戦力の削減は可能だと考えますが、いかがですか?」
「…確かに正面戦力の必要性は薄れるでしょうな。《ソレイユ》は強力である故、持っているだけで国防が成り立つだろう」
会議室がざわつき始める。国防費の圧縮を望む財務官僚は別として、軍人たちが険しい顔をし出した。
それは恐れているのだ。この兵器が通常戦力の軍縮につながる可能性を。それはポストと予算の減少であり、彼らを支える派閥の勢力減衰を示した。
「……いや、女王陛下のおっしゃる通りですな。《ソレイユ》に比肩する兵器を持つ国が他にいない以上、我が国がこれを多く持つ必要はない」
「確かに。それよりは正面戦力の充実を行うべきでしょう。その方が相手も勘違いしてくれる」
軍人たちの意見が女王陛下の意見に傾き始める。会議の流れが決定しだして、核武装を肯定する者たちが、今では少数派に追い込まれていた。
「これだけの威力を持つ兵器をいたずらに保有することはリスクにも繋がるでしょう。研究開発と少数の保有については仕方がないと考えますが、《ソレイユ》の実戦配備に慎重になるべきと考えます」
ある程度の根回しは済んでいたらしい。女王の意見に賛同する声が強くなり、流れは決定的になった。
平和主義の彼女故に超兵器の保有には否定的だろうとは思っていたが、派閥論理に楔を入れてくるのは外交上手の彼女らしいか。私は溜息をつく。
「分かりました。《ソレイユ》の配備は中止ということで構いませんが、弾道弾などの攻撃手段、そしてそれを他国が保有した場合の対抗策の研究については許可をいただきたいのですが」
「…構わないでしょう。皆さんはどう思われますか?」
そうして会議は続く。
◆
「甘いな。女王陛下は甘すぎる」
「全くです。力を示せずして、国防は成立しませんわ」
アラン・リシャールは会議の後、情報部のビルの私室に入り資料をデスクの上に投げた。
今回の会議はこの国の行方を決める上で極めて重要だった。確かに《ソレイユ》を秘すことは理解できる。
だが、配備を行わないというのは到底理解も納得もできなかった。
「軍のお偉方も自分の身を守ることしか考えていない。王国の発展速度を考えれば通常戦力の削減などせずとも、《ソレイユ》の配備は十分に可能だと言う事を分かっているだろうに!」
だが、彼らは削減の可能性を考えてしまった。かもしれないというだけで、彼らは国防をおざなりにして保身に走ったのだ。
そして平和主義、協調主義の女王の計に見事に嵌ってしまった。彼らにとって国防などどうでも良いのだ。ポスト、派閥の維持。それが出来れば彼らは良いのだ。
しかも彼らはそれだけではなく、様々な不正を正そうともしない。
外国のマフィアから賄賂を受け取り陸路や海路から侵入する不法移民の手引きを行い、利益ばかりを優先する愚かな拝金主義者の企業家たちの権益を守り、優良な新興企業を潰しにかかる。
彼らは癌のような存在だった。
「女王陛下は賢王であらせられるが、有事の際には心もとない」
「確かに。しかし中佐、現状ではこの流れは…」
「ああ。エレボニア帝国もカルバード共和国も、各国の内政問題は頂点に達しようとしている。内政問題によるツケを外国との戦争で誤魔化すことは歴史的にも良く行われて来た」
世界中の情報を取扱い、そして分析する情報部だからこそ分かる事だ。
導力革命は世界を便利にしたが、同時に世界を狭くしてしまった。貧富の差は拡大し、国家間の国力の差も目に見えて大きくなりだした。
貧民は都市に集中し、情報や思想は導力波に乗って瞬く間に世界中に拡散し、飛行船や列車を用いて人々は数日で大陸を横断できるようになってしまった。
そしてそれが多くの問題を引き起こそうとしている。
そもそも人の接触の数だけ問題が発生するのだから、世界が狭くなるだけでその軋轢は飛躍的に大きくなる。
いや、それだけではない。見ていれば肌で感じる。まるで世界が次の段階へと移行するような、その前夜のような雰囲気。氷が水に変わるような、あるいは幼虫が成虫へと変態するような。
その過程においてきな臭い、非常に厄介な事が起こる可能性がある。
カルバード共和国とエレボニア帝国の全面戦争だけならばマシだが、あるいはゼムリア大陸全域において大きな戦争が、世界大戦と言うべきものが起こってもおかしくはない。
そしてそれにリベール王国が巻き込まれないなどと言う保証はないのだ。
「大陸は混乱の時代に突入するかもしれない中、我が国を相手にするのはリスクが大きすぎると彼らに印象付けなければならない」
「おっしゃる通りです」
「我が国には強く、そして清濁を飲み込みながらも国益を第一とする指導者が必要だ。カノーネ君、この国際状況で協調的な政治姿勢を継続し続ければ、我が国にて致命的な問題が生じるとは思わないか?」
「いえ、確かに…。しかし中佐、まさかそれでは?」
「ああ、事態は憂慮すべきだ。いざとなれば、君はついて来てくれるか?」
「もちろんです。中佐のためならば地獄までもお供いたしましょう」
フラグが立ったよ!! やったねエステルちゃん!
27話でした。
成層圏を生で見てみたいですね。高高度から地球の丸みを実感してみたい。あー、宇宙旅行安くならないかな。50万円ぐらいで行けるようになったら嬉しい。
宇宙食を宇宙で食べてみたいです。無重力でプパプカ浮きながら大量の水で顔を洗いたいですね。軽く死ねるZE!