【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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地上に落ちた太陽を思わせた光度は収まり、今は大地の亀裂がほのかに輝くだけ。あれほど荒れ狂った雷光の蛇は、小さな放電となって僅かに音を散らせるのみ。

 

郊外において一際目を引いた大きな屋敷は、激しい空爆を受けたかあるいは大地震でも直撃したかのように崩れ去り、瓦礫の山となって無残にさらされている。

 

 

「少し派手すぎましたか。大丈夫ですか?」

 

「フッ、いまだ剣聖を名乗っていないことがおかしなほどだな」

 

「娘さん、巻き込まれたようですが、生きていますかね?」

 

「そうそう死ぬような鍛え方はしていない」

 

 

これはいわゆるコラテラル・ダメージというものに過ぎない。防衛目的のための、致し方ない犠牲だ。

 

なので、仮面が割れて顔が見えるようになったのも副次的な被害である。私は悪くない。

 

いや、彼女も敵なのだしコラテラル・ダメージでも何でもないのだけど。そもそも、ヨシュアやエリッサたちには傷一つ付けていない。

 

クリスタさんが気絶しているが、こちらは私のせいではないと思う。多分。というか、このヒトには当分頭が上がらないかもしれない。

 

 

「なかなか可愛らしい女の子です」

 

「自慢の娘だ」

 

「親バカですか?」

 

「娘を持つ父親というのはそういうものだ」

 

「顔、似てませんね」

 

 

どうしてこんな厳ついかんじの老人から、こんな可愛らしい少女が生まれるのか。いや、女の子は母親に似るともいうし。

 

あるいは、このお爺さんも昔は中性的なイケメンだったのかもしれない。

 

 

「母親似だからな。しかし顔を見られては娘の将来に関わってしまうな。これではますます退けなくなった。なんとも割に合わない仕事だ」

 

「ああ、わりと後ろ暗い仕事している意識は持ってるんですね」

 

「因果なものでな。恨みは嫌ほど買っている」

 

「因果応報ですね。まあ、勝手に転んだだけでも他人を呪えるのが人間というものです」

 

「歳若い娘が厭世的過ぎるな」

 

「他人を憎むのに理由なんていらないんですよ。箸が転がってもヒトを憎むのが人間というやつです」

 

「絶望的な世界観だが、まあ同意できる部分は多い」

 

「それでも愛と正義が世界を救うと信じたい、そんな乙女心を察してください」

 

「生憎だが、それを暗殺者に求めるのは酷な話だとは思わないか?」

 

「ハッピーエンドを切に求めます。そういうわけで、私に雇われてください」

 

「私は高いぞ」

 

「待遇は要相談で」

 

「とはいえ、依頼を完遂してこその信頼というものがある。契約を守らなければ干されるのがビジネスの世界だ」

 

「私は一向に気にしませんよ」

 

 

私は太刀を大地から引き抜く。亀裂の発光が収まり、そして星空が空に戻った。《銀》の姿を隠していた黒装束は破れ、顔を隠していた仮面は剥がされた。

 

目の前の人物は東方系の、年齢としては父と同じぐらいの壮年の男性。そして、気絶している方の《銀》は黒い髪の少女だった。

 

《銀》を名乗る男は口からかなりの量を吐血している。内臓を焼く雷光ではあるが、把握するに戦う前から彼の体は既に崩壊しかかっていたのだろう。

 

おそらくは病の類。加えて疲労。それがなければ、技を出す前に潰されていたかもしれない。

 

そして《銀》は立ち上がる。それが《銀》を名乗る者としての矜持か、正体を見破られた以上は生かしておくことが出来ないらしい。

 

 

「なんとも因果な商売ですねぇ」

 

「貴様こそ、齢13にして私に狙われるなど、業が深すぎるのではないか?」

 

「あー、まだ一応12なんですがね。しかし同意です。まったく、どうしてこんな事になったのやら」

 

 

本当に、どうしてこんな場所まで来てしまったのか。私はただ空を目指したかっただけなのに。

 

今では人殺しで、英雄なんて訳の分からないモノと呼ばれるようになって、こうして伝説の暗殺者なんかと話をしている。

 

その非現実感にため息をついて、夜空を見上げた。

 

周囲の導力灯を根こそぎ短絡させたため、人口の光が失われ、満天の星が天蓋となって闇に煌めく。

 

 

「それで、娘さんにも同じ道を歩ませるのですか?」

 

「それはあやつ次第だな。これから《銀》はさらに必要とされるだろうが、しかし続けなければならぬモノとは思わんよ」

 

「わりとフレキシブルですね、意外です。家業を継がせるのは一族の義務とか、そういうのだと思っていました」

 

「フッ、伝統や格式などとは無縁なのでな」

 

「でも、娘さんには技を継がせているみたいです」

 

「私が残せるのはコレぐらいだ。因果なものだがな」

 

「やっぱり、私に雇われてみませんか? 待遇は良いものにしますよ。有給休暇、残業手当、出張手当、扶養手当、医療保険、年金も込みで、しかも今日から貴方も終身雇用の国家公務員」

 

「犬になるのは性に合わん」

 

「カッコイイですねぇ。痺れます」

 

「泥をすすったことのない人間の言い分ではあるがな」

 

「全くです。私の誘いを断ったことを、貴方はきっと後悔します。でも私はたいへん心が広いので、そんな貴方でも勧誘をあきらめません。だから、私と契約して公務員になってよ!」

 

「では、再開するとしようか」

 

「いや、その、もうちょっと和やかトークに付き合ってもらえませんか? ジョークと嘘は人生の潤滑剤ですよ?」

 

「時間制限というものは、あらゆるものに常に付きまとう」

 

「嫌な真理です。納期とか大嫌いな言葉ですね」

 

 

互いに大地を蹴った。神速の一撃が中空で衝突する。八葉一刀流の特殊な歩法に対して、《銀》は戸惑うことなく対応してくる。

 

おそらく、東方の剣術を習得した相手と何度も剣を合わせたことがあるのだろう。星の下、鋼が交差し火花を散らす。

 

技の冴えも戦闘経験も相手が上。膂力は男性であり大人であるあちらが圧倒的に上。だが、その身を蝕む病という要素が速度という一点において私を有利にしている。

 

トリッキーな暗器の使用も、黒装束が破れては武器が丸見えになっていて、形状からその機能を予測することは難しくない。

 

膂力も体重も武器の重量も相手が上なので、いちいち攻撃を受けるたびに手が痺れるし、身体ごと弾き飛ばされる。

 

技が巧妙で、速度でなんとかいなすものの、時おりまともに彼の攻撃を受け止めなければならない。

 

速度差で戦闘の主導権を握ることが出来る。今の彼相手なら持久力の点でも劣ってはいないだろう。

 

ただし、私の戦い方は余計に動くので体力の消耗が激しい。

 

弐の型の要領で一気に間合いを詰めて、足を狙う。だが読まれた。最小限の動きで回避されて、鋭い反撃として大剣による水平切りが襲ってくる。

 

バックステップで回避すると、手裏剣、クナイの一種と思われるナイフを投げつけられる。ギリギリ上体をそらして回避。

 

ここにおいて時間は私の味方だ。

 

既に通報はなされていて、近くの軍基地からの増援も時間の問題。相手は気絶している娘を守りながら戦う撤退戦に追い込まれるだろう。

 

だから、この戦いは拮抗させ続ければ問題は無い。

 

まあ、正直、今も身体は傷だらけにされていて、自分が想像しているほどには時間稼ぎ出来るのかは不透明なのであるが。

 

まったく、乙女の柔肌をなんと心得ているのか。傷残らないといいなと思いつつ、鎖付きの分銅による追撃を上半身を右にそらすことで回避。

 

埒が明かないので速度差を利用して、そのまま踏み込んで袈裟切りを放ったが大剣で受けられる。

 

身体をひねって追い打ちに突きを放つも、相手は体を横に滑らしてこれを紙一重で避ける。

 

そのまま刃を返して水平斬りに移行、しかし篭手で受けられた。

 

《銀》が口から射出した針を仰け反るように回避、気づけば《銀》は札の付いたクナイをポンと投げた。理解している。あれは手榴弾の一種だ。

 

私はそのままバック転で後方に下がり、《銀》もその場から離れた。その次の瞬間、紙の札は《銀》によってこめられた術式に従い閃光と熱波を伴う爆発を引き起こす。

 

 

 

 

爆雷符の爆発が視界を覆う。これを利用して、完全に気配を断ち、周囲の自然と同化する技『月光蝶』を用いるが、それを行ったのは相手も同じだった。

 

あの若さにしてこの氣の運用精度。完璧な隠形。おそらくこの業においては、武における達人の領域に達していると表現しても良いだろう。爆炎が収まり、注意深く気配を探る。

 

恐ろしい娘だ。

 

驕るわけではないが、私は《銀》としての技を極め、歴代の《銀》たちの中でも上位に食い込む技量と実力を持つと亡き祖父や父に称されていたし、自分自身でも自負している。

 

だが、あの娘はあの若さにしてこの《銀》に食らいついてきている。八葉一刀流の名高き《剣仙》ユン・カーファイに師事したとはいえ、これは異常と言えた。

 

確かに私の体は不治の病に蝕まれ始めており、全盛期ほどの動きを再現することは困難となっている。

 

それでも例の《結社》の《蛇》や教会の《騎士》どもにも遅れはとらない自信はあった。

 

しかし、この娘と相対する前には、執事服の手練れの男と、メイド二人相手に手間取り、体力を奪われた。

 

特に、あの金髪のメイドには引っ掻き回され、消耗を強いられた。

 

そして、先ほど受けた強力な一撃。肉体は既に限界を迎えようとしている。

 

なにより、少女は速く、技は冴え、強い。

 

実力を比較するなら、まだまだ私が上。だが、この戦いを通じて少女は恐るべき速度で成長を遂げようとしていた。

 

先ほどまで通じていた攻撃が通じなくなる。先ほどまで余裕を持って対応できた少女の剣に、今は死を感じ取った。

 

間違いなかった。あれは私を喰うだろう。《銀》という伝説を喰らって、少女は《剣聖》という名の次の領域に跳躍しようとしている。

 

確信するのは、ここで退けば、次に少女を打倒する機会は訪れないということだ。次出会えば、衰えた私は必ず打倒される。ここで殺さなければ、二度と殺すことはできまい。

 

そして、一瞬の揺らぎが生まれた。それはどちらが察したものか、どちらが集中を切らしたのか、とにかく行動に移った瞬間、私も少女も互いを認識したことに間違いは無かった。

 

そして、互いに視認すらできないまま、己の感覚に全てを賭けて激突する。

 

 

「……」

 

「……フッ」

 

 

互いの姿が露呈する。少女の目が見開かれた。彼女の剣によって彼女の目の前の《銀》は上半身と下半身が泣き別れした。

 

だが、次の瞬間、それは霞のように揮発して紙の札へと還元される。二枚の札の内、一枚は分け身のため。もう一つは、

 

 

「くぅっ!? 分身だけじゃないっ?」

 

 

少女が必至にもう一枚の札から離れるべく横に跳ぶ。そして間髪入れずに札が爆発を起こした。

 

強烈な爆発の殺傷半径から少女は逃れるものの、熱は少女の肌を焼き、爆風は強かに少女を打ち据える。

 

そして私は少女の致命的な隙を突く。

 

 

「縛!」

 

「しまっ!?」

 

 

鎖のついた鉤爪が少女を縫い留めようとする。

 

少女は真っ先に自由を奪われた利き腕から剣を左手に移し、精密な剣術でもって残りの鉤爪を叩き落とす。完璧に嵌ったと思ったが、なかなか上手くは行かない。

 

惜しい娘だ。将来、少女は間違いなく自分の全盛期を超える存在になっただろう。

 

 

「滅!!」

 

「このっ!!」

 

 

交差。私の振るう剣が、少女の利き腕ではない左手一本で振るわれた太刀と衝突する。もっとも、このままでは太刀ごと少女を分断するだろう。

 

だが、

 

 

「させ…ないっ!」

 

「ぬぅっ?」

 

「ヨシュア!?」

 

 

確定しようとしていた未来は、しかし乱入者によって阻まれる。

 

殺しきる時間が惜しかったとはいえ、無力化したはずの黒髪の少年の一撃を私は防御せざるを得なかった。

 

直前まで気づけなかったのは少年の隠形の精緻さ故であるが、この技巧の高さはいったい何なのか。

 

いや、いつだったかその噂を耳にしたことがある。琥珀色の瞳の暗殺者、漆黒の牙。

 

とはいえ、考え込んでいる暇はない。ヨシュア・ブライトを蹴り飛ばし、次に備える。距離をとる暇はなく、正面から迎え撃つ以外にはない。

 

何故なら、エステル・ブライトは既に拘束から逃れ、居合抜きの構えから踏み込んできているからだ。

 

 

「二之太刀」

 

「来いっ!」

 

「《月蝕》」

 

 

交差

 

 

 

 

「ははっ、くっ、はははははっ!」

 

「なに笑ってるんですか。こちとらお父さんから貰った大切な剣が折れて、テンション急降下ですよ」

 

「ふふっ、すまない。いや、しかし、これほどとは思わなんだ」

 

「いや、それならさっさと退いてもらえませんか? 正直、私、眠いんですけど」

 

 

根元から断ち切られた大剣を地面に放り投げ、大声で笑う怪人。

 

何がおかしいのだろうか。こちとら大事な刀は折られるし、周囲は死屍累々だしで偉い迷惑だ。

 

亀裂が走り、もはや剣として機能しようのない状態にまで破損した古刀《迅羽》。私はそれを鞘に納めて怪人と同じように地に落とした。

 

剣が毀れたのは私の責任だ。単純に未熟な腕であのバカでかい大剣と殴り合ったせいでガタがきてしまっただけである。

 

ヨシュアの決死の行動のおかげで、なんとか拘束から逃れられたけれど、あの絶好のタイミングで得られた成果が相手の剣一本というのは情けなさすぎる。

 

なお、ヨシュアは傷が開いたせいで動けない様子。

 

 

「ヨシュア、無事ですか?」

 

「ぐっ…、大丈夫、いける…から」

 

 

立ち上がろうとするヨシュアはまるで生まれたばかりの小鹿のような状態。

 

 

「ダメっぽいですね」

 

「ごめん、エステル…。僕が不甲斐ないばかりに」

 

 

とはいえ、一時の危機を脱することは出来た。私は気絶しているエリッサの元に走り、彼女の太刀を拝借する。

 

相手も同じ事を考えていたようで、振り向いた時には後継者の女の子の持つ大剣をとり、手にしていた。私たちは再び向かい合う。

 

とはいえ、私の方はもう体力が限界だ。これ以上、同じペース、同じ精度で動き続ける自信はない。

 

 

「…埒があきませんね。禁じ手を使わせてもらいます」

 

「ほう?」

 

「先生からは絶対に使うなと念を押されていたんですがね…」

 

「それは恐ろしいな」

 

 

実際に今の私が使うべきではない戦技だ。なので、最後の悪あがきをしてみる。

 

 

「ですので、ここはドローにしません? ほら、私たちって剣を交えて真実の友情を育んだ感じの間柄じゃないですか。いわば、《強敵》と書いて《トモ》と呼ぶ的な」

 

「小説の読みすぎではないかと言いたくなるが、お前とはこのような形で知り合いたくはなかったとは思っている。だが、仕事は仕事だ」

 

「つれないですねぇ」

 

「正直な所、いつまでもこうして剣を交えていたい気分ではある。だが、時間も押している」

 

「貴方の肉体的な限界ですか?」

 

「お前を救援する者が、もうすぐ傍まで来ている。時間稼ぎはそこまでにしてもらおう」

 

 

バレたか。舌打ちをする。なんて理不尽な話だ。いまだ未熟なこの身であるのに、いきなりユン先生と同格とエンカウントである。

 

束になってかかってようやく五分。

 

そして《銀》の殺気が高まる。冗談抜きらしい。私は太刀を鞘に納め、居合の型をとり、呼吸を整える。

 

 

「……分かりました。では、始めましょうか」

 

「ゆくぞ!」

 

 

まるで瞬間移動でもするかのような踏み込みで《銀》が迫る。それを私は、

 

 

「常住死身、朝毎に懈怠なく死して置くべし」

 

「!?」

 

 

内面から呼び起こす。世界が変わる。否、私が変わったのだ。世界が変わる事と自分自身が変わる事は、相対的には同じことだ。

 

急速に時間の流れが減速する。極端に引き延ばされた時間の流れの中、私は世界を俯瞰する。

 

《銀》は私の変化を知覚したようだ。鍛え上げられた知覚能力と積み上げられた経験に裏打ちされた、恐るべきその洞察力は私の変化をかなりの精度で理解したようだ。

 

しかし、その表情は喜色。闘いに喜びを見出すような狂人の貌。しかし、理性を失わず、分身を生み出し、あらゆる手段で私を迎え撃とうとしている。

 

だが、

 

 

「!?」

 

 

その知覚をすり抜けて、私は《銀》の頭上をとっていた。極度に遅延する時間の流れの中、私は私の姿を見失い狼狽する《銀》を俯瞰する。

 

私の精神が体感する時間が私の身体能力を上回る形で限りなく引き伸ばされ、世界がスローモーションのように感じられる。

 

禁じ手は麒麟功の発展形とも言える自己強化系の戦技。《斉天大聖功》。

 

限界を超えた強化が肉体の強度を凌駕する故に、ユン先生から身体が出来るまで使ってはならないし、出来上がっても使うべきではないと念を押されてしまった《いわくつき》。

 

汲み上げられる気力は無尽蔵。それを扱う私の体がその莫大なエネルギー量に耐えられるかどうかは全く別の話であるが。

 

しかし、それでもここで決めなければ先はない。

 

逃げ場を見つけようと暴れまわるその力の奔流を、螺旋に加速収束し、最強たる竜のイメージ、古竜レグナートの幻想をもって成形し、これを剣に乗せ、落下する。

 

つまり、

 

 

「奥義《竜王烈波》」

 

「竜…だと!?」

 

 

竜を模る莫大なエネルギーが大地を抉る。世界は震撼し、大地は抉り取られ、大気は爆ぜた。

 

 

 

 

熱量。まるでドロドロに溶融した金属をその身に被ったかのような、肉体を引き裂き、バラバラにし、一度に七度殺されたかのような。

 

生きているのは爆心地からとっさに離れることが出来たためだろう。無数の暗器をもって竜を迎撃したがそれらは何の意味もなさなかった。

 

しかし、肉体に刻み込まれた損傷は大きく、内臓や骨まで限界を迎えようとしている。肉体は自分のものではないかのように反応が鈍い。

 

見回せば周囲は土埃。爆風の後の吹き返しによって埃が舞い上がっているのだろう。だが、私を唖然とさせたのは、視線の先にて再び背筋を凍らすまでに高まる氣の密度。

 

土埃に霞んでも分かる。あの氣の収束。あれは竜だ。

 

馬鹿げた話だが、彼女はあれだけの戦技を行使した直後、別の、おそらくは先に周囲を破壊し尽くした戦技を放とうとしていた。

 

 

「願わくば、互いに最盛期である状態で手合わせしたかったが」

 

「お父さん!!」

 

 

少女が剣を大地に突き刺そうとしたその刹那、聞きなれた声が聞こえ、世界が白熱に染められた。抱きしめられ、大地を鞠のように跳ね飛ばされる。

 

大地には放射状に広がり陣を刻む地割れと目視可能なまでの大気の歪み。荒れ狂う雷光の蛇と熾烈なる力の濁流を伴う衝撃波。

 

もうもうと立ち込めていた土煙が、まるで蝋燭の火を吹き消すかのごとく吹き払われ、招来した白熱の閃光が月のない闇夜の帳を焼き尽くす。

 

現象として顕現していない無形の七耀の力が雷のごとき形象をとって、私たちの体を焼き、そして蹂躙する。

 

身を挺して私を庇ったそれは、その威力に耐えきることが出来ず、私の体の上で力なく気を失った。

 

 

「リーシャ…か」

 

 

我が娘。先の広域殲滅用の戦技により気を失っていた彼女は、いかなる偶然か奇跡か、覚醒した後、すぐさま私を庇うために行動を移したらしい。

 

私を庇うように、文字通りの肉壁となった彼女のおかげでこうして意識を保っていられるが、それが無ければどうなっていたか。

 

相当の負荷を受けて虫の息といったところだが、リーシャの命に別状はない。しかし、これ以上の負荷は命に係わるだろう。

 

虫の息であるのは自分も同じではあるが。

 

 

「ごふっ…」

 

 

血の塊を吐き出す。いや、まだ大丈夫だ。私の上で気を失ったリーシャをのけて、再び周囲に視線を巡らせる。どこにいるのか?

 

周囲の地盤はまるで巨大な隕石か何かが追突したように抉り取られ、無残な傷痕をさらしているのが分かる。そして、

 

そして、当たり前のようにエステル・ブライトは健在だった。

 

彼女から放出される屈服したくなるような氣の密度は健在だ。あれほどの戦技を放ってなお、そこに陰りと言うものが見えない。

 

そして彼女は剣を掲げた。上段の構え。その視線の先には私がいる。膝を振るわせて立ち上がるが、次で勝敗が決するだろう。

 

しかし、勝つか負けるか、そういう意味であれば、私の勝ちだ。確かにこのまま再びあの業を放たれれば、逃げることもかなわず私とリーシャは粉砕されるだろう。

 

だが、同時に私の任務は図らずとも達成されるはずだ。

 

あの恐るべき、おそらくは限界を超えた氣の運用は少女の肉体を蝕んでいる。その上であの強力極まりない戦技を二度行使し、彼女の肉体は限界を超えているはずだ。

 

見ればわかる。確信できる。何故ならば、彼女は鼻から、目から、口から、皮膚の薄く血管が表れやすい場所から血を流し始めていたのだから。

 

故に、このまま少女が剣を振るうことがあれば、あれは自滅して死ぬか、良くても再起不能の後遺症を負うに違いない。

 

故に、二度目の一撃をリーシャの働きにより運よく凌ぐことが出来たが故に、この勝負は『このままならば』私の勝ちとなるはずだった。

 

 

「この馬鹿娘がっ!!」

 

「ぷぎゅっ!?」

 

 

しかし、少女が最後の技を解き放つ直前、突然の乱入者によって彼女ははたき落された。どうやら、時間切れのようである。

 

 

「フっ…、これは潮時だな」

 

 

私は気力を振り絞り、懐から丸薬を取り出して口の中に放り込む。噛み砕くと苦みが口内に広がり、活力が肉体に廻る。

 

そして、エステル・ブライトを抑止した老人が、倒れ掛かる彼女を腕に受け止めた。そして私と互いに視線を交わす。

 

 

「しかし、ここで貴様が来るか。ユン・カーファイ」

 

「不肖の弟子が世話になったようじゃな、《銀》よ」

 

 

《剣仙》ユン・カーファイ。東方より伝わる特別な薬で一時的に回復を図ったものの、このような状態で相手取るのは間違いなく自殺行為だ。

 

 

「さて、如何にする? おぬしを逃がす義理はこちらには無いのじゃが?」

 

「さてな。だが貴様とてその娘を早めに治療せねばなるまい?」

 

「戯言をぬかす」

 

 

少女は意識はまだあるようだが、咳き込んで吐血している。技に肉体の強度がついていってなかったのだろう。

 

とはいえ、《剣仙》が本当の限界を超える前に抑止したため、適切な処置を受ければ後遺症無く回復するはずだ。

 

そして、次、あの少女と出会うときには彼女は私の手には負えないモノとなっているだろう。

 

故にこの先あの少女を殺す機会が訪れるとは思えず、それにより《銀》としての信用が落ちる可能性を考えるが、だからといってこのまま戦闘を継続したところで、勝算は限りなく零。

 

そして、そうなった際にはリーシャも生き残れまい。自分は先が見えているが、リーシャはそうではない。選択肢は一つだ。

 

煙幕弾を投じる。防御でも攻撃でもないその行為そのものが隙となり、《剣仙》が踏み込むのを見た。肉体は限界を超えているために、薬の効果があっても反応が鈍い。

 

さらに、腕の中にはリーシャがいる。逃げ切れるかは分からないが、《剣仙》がその場に置いた少女に針を投げつけることで彼の気をそらす。

 

煙により遮られた視界の中、《剣仙》は私の投げた針を切り落とし、その上で私との一瞬の遣り取りを交わした。

 

空間をも斬り裂いたのではないかと思われる太刀は、己の右腕を切断する。しかし、この状況で腕一本ならば僥倖。

 

 

「逃がしたか」

 

 

残されたのは黒い衣を風に揺らす稀代の暗殺者の利き腕。《剣仙》はふむと頷くと、踵を返して力なく手を振る少女の下に歩み寄った。

 

 

「この馬鹿娘が。自滅とは情けない」

 

「フフーフ、…いやぁ、仕方なかったん…ですよ。ごほっ…。でも、本当に、寿命が…10年…は縮んだかも…しれ…ません」

 

「喋るでない。限界じゃろう?」

 

「仰る通りで。…はは、では落ちますので、あとは…よろ…し…く」

 

 

 

 

 

 

目を醒ます。白い清潔な天井が目線の先にあった。身体を動かそうとした瞬間、激痛に苛まれる。そうしてあの夜の顛末を思い出した。

 

命あっての物種というか。正直、《銀》なんていう階級の暗殺者と一対一で斬った張ったをして、よく生きていたと言うべきだろう。

 

ユン先生が現れた後の事ははっきり思い出せないが、おそらく先生がなんとかしたのだろう。流石は《剣仙》である。

 

清潔な白いベッド、ピンク色のパジャマ。個室は広く、ラジオも完備しているらしい。昼頃だろうか? 光が窓から差し込んでいる。

 

見回すと、情報部の黒い制服で身を包んだ女性士官が慌てて外にいる警備員に声をかけているのが見えた。病院らしい。

 

 

「いー、天気ですねぇ」

 

 

皆は大丈夫だろうか。酷い怪我をしていなければいいが。そしてちょっと現実逃避気味。父から受け継いだ《迅羽》を折ってしまった。

 

まあ、仕方がないで許してもらえるだろう。でも、すごく勿体ない。復元できるだろうか? 電子顕微鏡とか原子吸光とかで分析して、お金をかければ不可能じゃないかも。

 

最大の問題は、命を懸けてしまった事だろう。色々なヒトたちに怒られる可能性が高い。いや、家族を守れたのだから褒められる可能性も微粒子レベルで存在するかもしれない。

 

ハハッ、ねーよ。

 

 

「聞いておられるのですか博士!!」

 

「無茶ばかりして…、貴女に何かあればレナさんになんて言えばいいのか…」

 

「馬鹿モノが」

 

「エステルのばかぁっ!!」

 

 

一通りの検査が終わった後に、リシャール大佐、エリカさん、お父さん、エリッサから説教を受ける事になる。いや、でも、あの状況でどうしろというのか。

 

地下シェルターには入れなかったし、ヨシュアとかの怪我も酷かったし。クリスタさんとシニさんも大怪我だし、下手したら死んでいたかもしれないし。

 

 

「一人、尻尾撒いて逃げるとか、ポリシーに反するというか…」

 

「貴女が死んでしまっては元も子もないでしょう!」

 

「そうよぉ…、エステルさえ生きてくれてたら、私、どんなになっても良かったんだからぁ…」

 

「エリッサ、泣かないでください」

 

 

ラファイエットさんは腕を切断されたようだが、切り口が綺麗だったせいか、後遺症は出るものの復元も可能だという話だ。

 

他の皆は後遺症もなく、同じ病院で療養している。ヨシュアはそれなりの怪我だが、エリッサはもう退院できるほどだとか。

 

しかし、警備をしていた人たちからは数人ほどの殉職者を出してしまったらしい。

 

200人の内の10人ほどで、被害の規模から考えれば少ないと大佐は言っているが、私が原因で亡くなってしまったことには変わりはない。

 

 

「お父さん、《迅羽》折っちゃいました」

 

「気にするな。アレは無事に役目を果たしたのだろう」

 

「大佐、破片は?」

 

「全て回収しています。ですが、復元は難しいのでは?」

 

「諦めちゃだめですよ。というか、家、吹っ飛んじゃいましたねぇ」

 

「今日からホームレスだな」

 

「お父さん、今どこに住んでるんですか?」

 

「ホテル住まいだな」

 

 

2度の《竜陣剣》は屋敷を基礎ごときれいさっぱり粉砕してしまった。よって、今日から私は家なし子である。

 

父のホテル宿泊費は国から出ているらしい。もうちょっと威力と言うか、効果範囲を狭く出来ないだろうか。

 

要研究である。すると、松葉杖をついたヨシュアが病室に入ってくる。私の顔を見て、ヨシュアは泣きそうな表情で笑みを浮かべた。

 

 

「エステル、良かった、本当に…」

 

「お互い生き汚いですねぇ。痛みはありませんか?」

 

「それは僕の言葉だよ」

 

「はは、私はもう全身が痛いです。筋肉痛とかそういうレベルじゃないですね。体中痣と切り傷だらけですよ。か弱い女の子のやることじゃないですね」

 

「じゃあ、今度は僕に任せて欲しいな」

 

「修行が足りません」

 

「…そうだね。君を守れるだけの力が欲しいかな」

 

 

男の子な答えである。お互いに笑いあう。本格的に父に武術を習おうかなんて言いだして、まあ、ヨシュアなら父の領域に手を伸ばすことが出来るかもしれない。

 

男の子なので体力的にも有利だし、才能もある。精神的にも十分に上を目指す素養はある。将来的にはびっくりするほど強くなるかもしれない。

 

 

「ところで大佐、《銀》は?」

 

「残念ながら取り逃がしました。たった二人にこれほどの事をしてやられるとは…、情報部の失態です」

 

「ワンマンアーミーっているんですねぇ」

 

「痛み入ります。それと、今回の件については公式に共和国に対して抗議と謝罪の要求を行う予定となっています」

 

「まあ、仕方がないですね」

 

 

表沙汰になるのは仕方がないこと。カルバード共和国の一部グループが引き起こした事件とはいえ、今回の件は立派な国際問題だ。

 

最悪、戦争にもなりかねない案件であるものの、即座に開戦ということにはならない。相手は重要な交易相手であり、外交的な譲歩を引き出す形で決着となるだろう。

 

 

「まー、いいんですけどね」

 

「損害賠償については、彼らの勉強会が支払うという事になるかと」

 

「それと、遺族の方には後で手紙を書かなくてはいけませんね」

 

「彼らの殉職は彼らの任務によるものです。彼らも覚悟していたでしょうし、博士の責任ではありません」

 

「それでもですよ。しかし、困りましたね。あのレベルの相手に来られると、守る側の被害が大きすぎます」

 

「《銀》のような使い手が刺客として差し向けられる事は稀だと思いますが」

 

 

まあ、あれほどの実力者ならば暗殺などのまっとうじゃない仕事をしなくても食べていけるだろうから、稀だというのは真実だろう。

 

ユン先生のように武術指南でも食べていけるだろうし、軍でも重宝されるはずだ。

 

しがらみに縛られるのが嫌なら遊撃士にでもなればいいし、戦闘狂ならば猟兵でもやっているだろう。

 

殺す相手を選べない暗殺業などあの水準の実力者が手を出す仕事じゃない。だが、実例があるだけに、今後絶対に来ないという確証もない。

 

白いカラスが発見された以上、このような事態はまた起こり得ると考えなければならない。あるいは犯罪組織が内部で育てているとか。

 

どちらにせよ、今回の件で王国軍は蜂の巣をつついた様な騒ぎになっているらしく、相当忙しいようだ。

 

 

「しかし、私もまだまだ未熟ですね…」

 

「そういえば、エステル、ユン先生の事なんだが」

 

「出来るだけ早くにお礼言いたいですね。まだリベールにおられますか?」

 

 

あのタイミングで先生が来ていなかったら、間違いなく死んでいただろう。必殺技と書いて必ず自分が殺されるとか冗談にもならない。ご利用ご返済は計画的に。

 

 

「エレボニア帝国でとった弟子の少年を連れておられてな。お前に用があるとのことだ」

 

「エレボニア帝国の?」

 

 

父の話によると、あの襲撃があった日に先生がお弟子さんを連れてリベールに入国したらしい。

 

先生の入国を確認した軍情報部は、私に対して行われた襲撃の報を受けて先生に接触し、軍用飛行艇でロレントの我が家まで送り届けたのだそうだ。

 

 

「先生は?」

 

「今は俺と同じホテルに滞在してもらっている。明日にでもお連れしよう。それで、弟子のリィン君についてなのだが」

 

「あ、はい。私に会わせたいんでしょう。どんな用かは分かりませんが、構いません」

 

「そうか、分かった。中々ハンサムな坊主だったぞ」

 

「へぇ、どんな印象でしたか?」

 

「礼儀正しく真面目といった印象だな。まあ、問題を起こす人間ではないだろう」

 

「本当は剣を交わしたかったところですが、このザマですしね」

 

「まったく、お前は働き過ぎだ。いい機会だから、しばらく静養しておけ」

 

 

 

 

 

 

「老師、八葉を極めれば、俺もこんなことが出来るようになるんですか?」

 

「お主次第じゃな」

 

 

黒髪の少年は廃墟となった屋敷を見つめる。目下に広がるのは同心円状に広がる、魔法陣じみた巨大な亀裂。あの日、上空からみた光の正体だ。

 

竜を顕現させたかのような恐るべき破壊の傷痕。大地は抉られ、強固なコンクリートの基礎がめくり上げられている。

 

新月の夜に星の光をかき消した龍の降臨を思わせる白雷。人類の魂の根幹に恐怖を刻み込む竜の降臨。

 

これを、一つ上の少女がなしえたという事実に少年の心は大きく動く。

 

何よりも、あれほどの猛威をかの少女は完全に掌握していたという事実に強く心を惹きつけられる。

 

屋敷を廃墟にし、大地を広範囲に穿つ暴力はしかし、敵ではない彼女の家族や護衛の兵員たちを一切傷つけなかった。完全に制御された力。

 

 

「《銀》という暗殺者は、ユン老師でも勝てるかどうかわからない相手なんですよね」

 

「そうじゃな。いや、先のあやつならば勝てるじゃろうが、数年前であったならば分からん」

 

「エステル博士に会えば、何か掴めるかもしれない…。老師はそう考えているんですね?」

 

「あやつはお主よりも《力》というものに真摯に向き合っておる。それに、年齢が近い方が得るものも大きいじゃろう」

 

 

エステル・ブライト。エレボニア帝国では《空の魔女》とも呼ばれ、恐れられている人物だ。

 

その実、自分とほとんど年齢も変わらず、写真を見せてもらったが、それほど恐ろしい人物という印象は受けない。

 

 

「早く会ってみたいです」

 

「そう急くな。怪我人じゃから、剣を合わせることも出来んじゃろうて」

 

 

それでも、その少女に会うことで『道』を得る事が出来るかもしれない。黒髪の少年は空を見上げた。

 

 




ははっ、このSSってチートものなんだぜ!

32話でした。

禁じ手は麒麟功のアレンジ。オーガクライ的なの。ただし反動はウォークライとかバーニングハートの比ではない的な。

はいはいチート乙。

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