【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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「戦争はまだ終わらないよ、お母さん」

 

 

墓石が立っていた。母の死に顔も見られなかった。悲しみよりも先に虚脱感が襲ってきて、母がいなくなったという実感がわかなかった。

 

空には飛行機雲の軌跡。風にそよぐ夏草に覆われた丘陵に延々と墓石が並ぶ。それはXの世界にあるというフランスのカルナック列石を彷彿とさせた。

 

遠く見える崩れた城壁。失われた時計塔。ロレントは見る影もなく、Xの記憶にあるコソボの瓦礫と化した街並みによく似ていた。

 

 

「大丈夫? エステルちゃん」

 

「どう答えればいいのか分かりません」

 

 

エリカさんが私の手を握り、心配そうに見つめてくる。軍の仕事で忙しいのに、無理してツァイスから一緒についてきてくれたのだ。頭が上がらない思いだ。

 

今の私の状態は、客観的に見れば酷いものだろう。実感はわかないが、常識的に考えれば私のような幼子が母親を失うという事態は非常に痛ましいものであるはずだからだ。

 

しかも、母は身ごもっていた。私の弟か妹になるはずだった大切な命。可愛がってあげよう、たくさん遊ぼうと色々と楽しみにしていた。期待していた。

 

しかし、それすら奪われたのに、私はその事で未だ涙を流していない。ただただ何かひどくむなしい。とても空虚な気分。

 

私は冷酷な人間なのか。それとも現実のものとして心が受け付けないのか。

 

どちらにせよ、

 

 

「それでも、私が今立ち止まる事は許されません」

 

「それは違うわ! 私が、私たちがなんとかするから! 貴女はもう無理しなくていいのよ」

 

 

エリカさんが私を抱きしめる。その言葉は悲痛で、私は彼女の心遣いに感謝する。

 

だけれども、この戦争は私のものでもある。止まるわけにはいかない。私には責任がある。

 

戦争はまだ終わってはいない。

 

父の天才的な軍略は瞬く間に帝国軍を王国領から追い出したが、勝利に酔いしれた人々はそれ以上を求めてしまった。

 

その一因は私の作り出した飛行機にあるのは明白だ。父の戦略・戦術面における天才的な能力と航空戦力が噛み合ったことで、王国は帝国に勝ちうる可能性を手にしてしまった。

 

もっとも、一番の理由は復讐。ぶつけても良い相手のある怒り。

 

帝国軍がロレントで行った行為、ロレントの大虐殺と呼ばれる史上最悪の戦争犯罪は、人々を戦争に駆り立てるのに十分すぎる動機だった。

 

いまや市井にて、この戦争を支持しないという声はなく、むしろそれに反対すれば白眼視される始末。

 

もはや誰にも止められなくなっていた。

 

 

「どうしてこんな事に……」

 

 

エリカさんがそう呟く。私はエリカさんに抱き寄せられつつ、私は横目で隣の墓石を前にする人々を見つめた。

 

そう、亡くなった人たちの中には、母以外にも私の良く知る人たちがいた。

 

 

「エリッサ、ねぇエリッサ、エステルが来てくれたわよ。仇をとってくれたのよ」

 

「……ぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」

 

「ねぇ、エリッサぁ、しっかりしてよぉ!」

 

 

隣の墓石の前にエリッサとティオと、そしてティオの両親であるフランツおじさんとハンナおばさんがいた。

 

エリッサの目には光が宿っていなかった。殺されたのだ。両親を殺された。目の前で殺された。

 

あんなに賑わっていた居酒屋アーベントは瓦礫の山になっていて、何も残ってやいなかった。彼女だけ生き残ったのだ。

 

それだけじゃない。彼女は見ていたのだ。彼女の父親、デッセルおじさんが家族を逃がすために勇気を振り絞って、銃弾で穴だらけにされた場面も。

 

私のお母さんと彼女の母親、トルタさんと一緒に逃げた先、七耀教会が襲撃されて、目の前で母親が撃ち殺された瞬間も。

 

隠れた瓦礫の隙間から、最後までエリッサを守ろうとした私のお母さんが凌辱の限りを尽くされた挙句に力尽きた瞬間も。

 

エリッサは見てしまった。

 

そんな現実にエリッサの心は耐えきれなかった。エリッサはごめんなさいとうわ言のように繰り返すだけで、ティオの声も届かなかった。

 

ティオは泣きながらエリッサに話しかける。ティオの両親はそのいたましさに目を背けてしまっている。

 

 

これが、戦争か。

 

 

ふと笑いがこみあげてきた。馬鹿らしい。なんて愚か。なんて無様。私は何も分かっていなかった。何一つ分かってなんかいなかったのだ。

 

人殺しをする道具を作って、調子に乗って、おだてられて喜んでいた。なんて救いようのない、醜い生き物だろう。こんなんじゃ、お母さんに何て言えばいいんだろう。

 

むごい。なんてむごい。あまりにも全てが酷過ぎて、あまりにも何も残っていなくて、あまりにも多くが壊され過ぎて、それなのに私には怒りすら湧いてこない。

 

それでも、

 

 

「守らないと…」

 

「エステルちゃん?」

 

 

エリカさんの表情が怪訝なものになる。仕方がない。けれど構わず私はエリカさんから離れ、私はエリッサの前に行く。

 

正しいことが何か分からない。これはどういう感情なのか。自分よりも不幸な人間を見て安心したいのか。

 

分からない。心が良くない方向に傾こうとしている。でも、放っておけない。そうだ、エリッサは友達だから。

 

 

「ティオ。それにフランツさん。エリッサのことは私に任せてもらえませんか?」

 

「エステル? 貴女は平気なの? レナさんも…その……」

 

「平気かどうかは正直に言えば、平気じゃないと思います。でも、だから、少しはエリッサのことも分かります」

 

 

よくもまあこんな詭弁が口から出てくるものだと、自分自身に呆れかえる。

 

私は何も見ていない。何も見えていない。でも、エリッサは全てを見てしまった。そんなので、何か分かるはずもない。

 

 

「エリッサはお休みが必要なんです。七耀教会の神父様にお話を聞いてもらって、ちゃんとご飯を食べて、よく眠って、心を休ませてあげないといけません」

 

「うん」

 

 

言い聞かせるような上から目線。でも、間違ったことは言っていないはず。

 

それに、ティオの家も今は大変なことになっている。パーゼル農園は完全に破壊されてしまって、彼らに帰る場所は残っていない。

 

農園を再興するにしても、ティオのお父さんも徴兵されていて今すぐには無理だ。

 

だから、ティオの家族にエリッサを引き取る余裕はない。難民キャンプではエリッサに十分なケアは出来ない。

 

 

「王都の難民キャンプでは心が休まらないはずです。ツァイスには知り合いが沢山いますし、私のベッドで一緒に眠ることが出来ます。きっとその方が気も休まると思います」

 

 

私はエリカさんに同意を求める様に視線を向けた。するとエリカさんはため息をついて頷いてくれる。膨大な借りを作っているような気もして、ますます頭が上がらなくなりそう。

 

そしてティオの両親は頷いて、私にエリッサを任せるようにとティオに告げる。その表情はどこか罪悪感に満ちていたが、私は気にしないで下さいと彼らに断りを入れる。

 

 

「すまないなエステルちゃん。……エリカさんでしたか、お願いしてしまい、申し訳ありません」

 

「いえ…、ウチはまだ余裕がありますから。どうせなら、ティオちゃんもどう?」

 

「私は…お母さんを一人にはできませんから……」

 

 

これが6歳の幼女の言葉か…。たまに感じることがあるのだが、もしかして私たちの中で一番大人びているのは彼女なのかもしれない。

 

それはともかく、

 

 

「エリッサ、大丈夫です。私がエリッサを守ってあげます」

 

 

私はエリッサを抱きしめる。こういう場合、抱きしめるなどの身近な人間の温もりが大切なのだと《知識》は語る。

 

私はそれに従順に従ってエリッサの頭を撫でる。これが、私自身の心の安定を得るための行為だったことを知るのはもう少し後の事だ。

 

 

 

 

 

 

「風洞試験の結果も良好…。では、実機の製作にとりかかりましょう」

 

「はい。では、技術部の方にはそのように伝えておきます」

 

 

ツァイス中央工房の地下には巨大な風洞施設が存在する。これは元々導力飛行船の空力特性について研究するための施設だったが、現在はいろいろな改造を施され、航空機の研究に専ら用いられている。

 

私の設計した飛行機の多くがここで試験を受けたし、そして今私が設計している様々な航空兵器もこの施設にて試験されている。

 

今日、この施設で試験されたのは航空機の模型はない。胴体と後尾にそれぞれ4枚の羽をとりつけた爆弾の模型。

 

つまり、誘導爆弾である。ジョイスティックのようなリモコンでの誘導を行うタイプの、手動指令照準線一致方式を採用したものだ。

 

対空兵器の発展が急降下爆撃を困難にすることは分かり切っている以上、こういった類の兵器は開発せざるを得なくなる。

 

ラジコン自体は私自身が試作しているため、技術的にはその延長線にあった。本来ならレーザー誘導やテレビ誘導が良いのだが、この戦争が終わるまでには間に合いそうにない。

 

そうして私は風洞施設を出て、そのままエレベーターで地上に上がる。この後は先日ついに生産が開始された戦略爆撃機トルナードの初期不良についての検討会議だ。

 

と、私に与えられた部屋へと一度戻ると、どこにはお父さんが待っていた。

 

 

「お父さん? どうしてここに?」

 

「ああ、来月にはしばらく顔を見せられなくなるからな。出来るだけ、顔を見ておきたかった」

 

「縁起でもないですよ」

 

 

先日、議会の決議により王国軍による帝国領への逆侵攻が決定された。お父さんはそこで腕を振るうことになるだろう。

 

しかし、なんというか、今のお父さんのセリフはどこか遺言じみていて、ちょっと嫌だった。

 

 

「忙しいみたいだな」

 

「はい。でも、お父さんもそうでしょう?」

 

「まあな。だが俺は大人だ、体力が違う。それよりもお前の事だ。酷い顔をしている。ちゃんと休んでいるのか?」

 

 

お父さんが私の頭に手を乗せる。私の事を心配してくれている。でも、顔には出さないけれど、お父さんも苦しいはずだ。

 

私は笑顔を作って父に応える。

 

 

「はい、大丈夫です」

 

「そうか。既に戦争の行方は定まっている。もう、お前が頑張らなくてもいいんだぞ」

 

 

戦争の趨勢は既に決している。共和国は参戦を引き延ばしたが、これは王国の疲弊を狙ったものだろう。

 

王国と帝国が疲弊しきったところで介入し、果実だけを奪う。国家を運営する者としては合理的な判断と言えるだろう。

 

 

「はい、ですが、何かしていないと落ち着かないというか。それに、お父さんの負担を少しでも軽くしたいですから」

 

「エステル、すまない。俺が、軍が不甲斐ないばかりに」

 

 

父が私を抱きしめる。私はなされるがままに父の胸に顔をうずめた。

 

分かっている。今の私の笑顔がこのヒトの心を傷つけていることに。たぶん、悲しみに囚われて動けなくなれば、お父さんはある意味において安心するだろう。

 

妻を失い、新たに生まれるはずだった子も失い、さらには娘が憎しみに囚われて人殺しの兵器を作り続けるなど、彼にとっては悪夢以外の何者でもないだろう。

 

だけれども、父が期待する私の反応を、私は演じることが出来ない。

 

私はただ、今目の前にいる父を悲しませ続けることがひたすらに心苦しかった。

 

そうして、ゆっくりと手が離される。父の瞳に深い悲しみを見た。

 

悲しむ父の姿を見て、自分を顧みる。今の私の心に悲しみはあるのだろうか?

 

虚しさを感じている。今すぐにベッドの上に倒れて泥のように眠り続けたい。目覚めたくない。何もかもが億劫だ。

 

同時に焦燥と義務感を感じている。何かをしなければならないという焦りだ。自分だけが何もせずに立ち竦むわけにはいかない。

 

だけど、悲しみは? お母さんを殺されて、お母さんのお腹の中の赤ちゃんも殺されて、エリッサがあんな事になって…。

 

 

「エステル…?」

 

「……いえ、なんでもありません。はい、エステルは大丈夫です」

 

「少し休めエステル。お前に必要なのは時間だ」

 

「ダメですよ。前線ではまだたくさんの兵隊さんが戦っています。彼らのために出来ることをしないと」

 

 

遠隔操作による誘導爆弾は次の段階、レーザー誘導やテレビ画像誘導への発展が見込まれている。

 

燃料気化爆弾に代わるサーモバリック爆薬の合成にも成功しており、これらは帝都侵攻作戦に運用される予定だ。

 

私にはまだできることが残っている。

 

 

「行きますね、お父さん。私は大丈夫ですから、お父さんこそご自愛ください」

 

 

そうしてどうにか作った笑顔を見せる。

 

けれど、返って来た父の表情は私の期待するものではなく、まるで世界が終わるかのような辛そうな表情で、酷く胸が痛んだ。

 

 

 

 

一日の予定を全てこなし、私は軍のヒトに車でラッセル家へと戻った。

 

もうすっかり夜も更けているが、ダンさんが相変わらずの笑顔で迎え入れてくれた。そして、その後ろからエリッサが駆け寄ってきて、私の腕を絡めとるように抱き付いてきた。

 

 

「おかえりなさい、エステル」

 

「エリッサ、調子は大丈夫ですか?」

 

「うん。エステルのおかげだね」

 

「そうですか」

 

 

ツァイスに連れて行ったエリッサは、ラッセル家の私の部屋で療養することになった。昼間は教会で神父様やシスターのお世話になっている。

 

そのおかげか、わずかな短い間にエリッサはある程度落ち着いて、こうして笑顔まで見せてくれるようになった。

 

しかし、彼女が持っていた本来の優しくておしとやかな性格は、少し違ったものに変わってしまった。

 

 

「ふふふ、エステルは働き者だね。エステルが頑張ればもっとたくさんの帝国人が死ぬんだよね」

 

「…そうですね」

 

「でも、エステルが体を壊しちゃ元も子もないよね。ねぇ、お茶にしましょう。ほら、私、お茶淹れるの得意なんだから」

 

 

暗い笑みにどういう風に反応すればいいか分からず、私は引きつった笑みしか返せない。

 

エリッサは私の腕に腕をからめて、テーブルへと案内する。エリッサは私と一緒にいるときは、私の体によく触れるようになった。

 

こうして腕を絡めたり、手を握ったり、昔の彼女と違ってそういったスキンシップが激しくなっている。きっと内心は不安なのだろう。

 

思い出すのはツァイスに来て数日後、初めてエリッサがいつもと違う感情を見せた時の事だ。その時は私と一緒にベッドで寝ていて、私はいつものように彼女を抱きしめていた。

 

虚ろなエリッサの瞳に私が映っていて、そして、いつものように唐突に泣き出したのだ。

 

彼女は両親を切なげに呼んで、泣いて謝り続けた。私はただ彼女を抱きしめて背中をさする。夜になると彼女はこうして泣くのだ。

 

一人にしないでと、親を求めて泣き、私を見て母のことを謝罪し続ける。私はそんな彼女の鳴き声と謝罪の言葉に、いつも胸が締め付けられるような思いになった。

 

それでも、何をしていいかわからない。何もできない。何もできないのだ。私はただエリッサが落ち着くまで抱きしめ、宥める言葉をかけ続けていた。

 

でもその日は少し違って、私には怒りが湧いてきた。たぶん、疲れていたのだろう。

 

私はこの理不尽に、どうしてエリッサがこんな目に合わなければいけないのかという、その理不尽がどうしても許せなくて、どうしようもなくて、そして、私は行き場のない怒りをついぶちまけてしまった。

 

 

「なんでっ、なんでこんなっ! 私はこんなことは望んでなかったのに!!」

 

 

強い口調。エリッサがびくりと反応する。怖がらせてしまったと後悔したが、その時エリッサは私の目をまっすぐに見ていた。

 

深い、深い、深淵を覗き込んだような気分。そうして彼女は「そっか」と呟いた。そして突然彼女は立ち上がって喚きだした。

 

 

「簡単なことだったんだ! 殺してやる! 殺してやる!! あいつら全員、殺してやる!!」

 

 

それは憎しみと憤怒と悲しみを混ぜこぜにした、どす黒い感情の津波だった。私はその感情の強さに飲み込まれ、唖然と彼女を眺めるしかなかった。

 

そうして、一通りエリッサは喚き終わると、ゆっくりと私を見た。彼女は笑っていた。月の光に濡れた彼女の笑みは、どこか狂気に染まっていた。

 

 

「私には殺せないの。でも、エステルは殺してくれるんだよね。素敵。ねぇ、エステル。あいつらをもっと殺して」

 

「あ、エリッサ?」

 

「あは、なんでこんな事に気付かなかったんだろう。エステル、ねえ、エステル、聞いてる?」

 

「なんで、こんな、こんなのは……」

 

「エステル? どうして泣いてるの?」

 

 

この日、母の死を聞いて以来ずっと涙を流さなかった私は初めて涙を流した。それはあまりにも酷過ぎた。そうして、心の中にあった色々なものが涙と一緒に湧き出してきた。

 

これが報いなのか。私への罰なのだろうか。なら、なぜ私に直接降りかからなかったのだろうか。

 

お母さんはきっと、多くの兵士にその憎しみをぶつけられて死んでしまった。お母さんのお腹の中の新しい命は無垢なまま光を見る前に理不尽な暴力によって死んでしまった。

 

エリッサの両親も殺されて、エリッサもまたこんな風に壊れてしまった。私は何一つ傷ついてはいないのに。

 

何を間違えたのか。人殺しに加担したのがいけなかったのだろうか? 武器を作らなければお母さんは死ななかったし、エリッサもこんな事にはならなかった?

 

理性は否と解答する。Xの知ったかぶりの《知識》が元になった理性がそれを否定した。

 

戦争である以上、人は死ぬのだと。お前が殺さなくても、戦争ならば相手が殺すだろうと。

 

だけれど、もしかしたら、私が何かをしたせいで帝国軍の憎しみを暴走させたのだとしたら。

 

 

「誰か…たすけて」

 

「エステル?」

 

 

私の声は誰にも届かなくて、エリッサは不思議そうに私を見るだけで。悔しさ、怒り、悲しみ、後悔、悪意。そういったモノがないまぜになって、涙が溢れた。

 

そうして私は一通りの涙を流して、そして思い知った。失ったモノは還ってこない。因果は巡る。《知識》と理性が冷徹にその正答を提供する。

 

 

「エリッサ、大丈夫です。私は大丈夫です。もう夜も遅いですから、今日は眠りましょう」

 

 

彼女の感情や心が回復し始めたのはそれが切っ掛けだった。今の彼女を支えているのは怒りで、憎しみで、復讐心だった。それでも、彼女は心を取り戻した。

 

ラッセル博士やエリカさんはいたましいものを見る表情で、しかし生きるためには必要な過程なのだと話してくれた。

 

私は彼女の復讐心を受け入れることにした。なんて救いようのない世界。エリッサが狂気に染まっていくのとは対照的に、私の心は透明になった。

 

母を失った悲しみは無くならない。でも、怒りは感じなくなった。憎しみも感じない。そういったもので、失ったモノは還ってこないと知っている。

 

だから、ただ、悲しいのだ。こんな世界がどうしようもなく。

 

そうして今日も私は人殺しの道具を作る。エリッサのような女の子を量産するだろう兵器を作る。心に占める感情は悲しみで、ただそれだけだった。

 

 

「じゃあ、エリッサ。美味しいお茶をお願いします」

 

「うん。エステル、今日は何をしていたの?」

 

「そうですね。今日は…、ああ、お父さんが顔を見せてくれたんですよ」

 

 

願わくば、彼女が再び優しい心を取り戻しますように。

 

 

 

 

「まったく、こういう結果は予想外だったな。良い意味で裏切られたよ」

 

「確かに。王国への支援も無駄にならないだろう」

 

「《支援》ね。では、王国の勇戦に乾杯」

 

 

薄暗く落ち着いた店内、橙色のランプがほのかに照らす中、テーブルに向かい合う男らがグラスを突き合わせ、琥珀色の液体を傾けた。

 

戦況は大方の予想を裏切り、リベール王国の圧勝。伝統的友好国の仇敵に対する大勝利はカルバード共和国にとっては朗報以外の何物でもなかった。

 

 

「しかし、王国の活躍のおかげで《支援》が続けられる。軍の旧式の武器も、彼らには大きな助けになるからな」

 

「私のところの工場も《支援》のためにフル回転だよ。従業員を休ませたいのだが、王国との友好のためには仕方がない」

 

 

リベール王国とエレボニア帝国の戦争により共和国は特需に湧いていた。そして、王国軍が国土から帝国軍をたたき出した以上、代金が踏み倒されることはない。

 

そして彼らは勇敢にも、帝国への逆侵攻を企てようとしている。なんという勇気。ここで彼らにさらなる支援を申し出ない者は紳士とは言えない。

 

なお、新聞を使って王国民を奮い立たせたのは彼らの働きでもある。ロレントの悲惨な状況を世界中だけでなく、リベール市民に広く知らしめることは報道の義務だからだ。

 

多少の誇張表現はあったし、消極的な意見に対する少しばかり感情的な反論記事も掲載されたが、それは言論の自由ゆえ仕方がない。

 

まあ、最終的に決めたのは王国民であるし、その直接的な影響を受けるのも王国民である。彼らには関係ない。

 

さて、必要とされているのは武器や弾薬だけではない。

 

医薬品や鉄、七耀石といった資源、一時的にロレントが陥落したため食料品も飛ぶように売れる。多数の避難民が出たため、民生品も必要だ。

 

なので、支援する彼らの懐はとても暖かくなった。王国も助かるのだから、これは間違いなくwin-winの関係だった。

 

 

「それで、参戦のタイミングはいつになりそうだ?」

 

「今は時期尚早だな。そう簡単に我々のボーイズの血を流す決断はできないよ」

 

「確かに。機を逃すわけにはいかないが、勝てる確証は欲しいな」

 

 

エレボニア帝国は共和国建国以来の仇敵である。

 

その歴史の中で何度も戦火を交えており、故にまともな戦争準備のできていなかった小国に対していきなり戦争をふっかけた帝国に対する敵視が民衆の間に広がっていた。

 

何より、たった2ヶ月で王国領にて殲滅された帝国軍の姿に、共和国の民衆は、議員や軍人を含めて、ひょっとして帝国軍って弱いんじゃないかなんていう印象が広まっていた。

 

つまり、共和国内では崇高な正義のため、そして友好国であるリベール王国を助けるため、帝国を横合いからぶん殴るべきという強硬論が台頭し始めていた。

 

それを留めているのが、ボーイズの安全を第一に考える心優しい彼らである。

 

もちろん、共和国が参戦してしまえば帝国がすぐに白旗を上げてしまい、戦争が終わってこの特需が立ち消えて困るとか、増産した製品がだぶついて大不況に突入する恐れとか、そんな欲の皮が突っ張った理由では決してない。

 

ましてや、戦争で疲弊するだろう王国から借金の回収にかこつけて、航空技術をはじめとした新技術を根こそぎ奪おうなんて、そんな蛭の如き悍ましいことは考えていない。

 

 

「なら、参戦は王国が帝国領からたたき出された後…だな。彼らへの支援も強化すべきだろう。ここらで盛り返してもらわなければ」

 

「中立国経由で継続中だよ。こちらの言い値で商売が出来るから、良い商売になっている」

 

 

もちろん人道援助(有料)である。

 

かくして、7月、王国軍による帝国領への逆侵攻が始まる。

 

多くの国々の知識人たちはこの冒険主義的な決定が悲劇的な結末を迎えることを予測した。何故なら兵員動員数、そして地の利ともに帝国に圧倒的な利があったからだ。

 

よって、彼らもまたそのように考えた。

 

だが、その結末は人々の常識を根底から覆すものになった。

 

 

 




文章増えただけで話が進んでねぇ。

7話でした。


では今回はこの世界の宗教のお話。

まあ、七耀教会一択というかんじでしょうか。地方や辺境、東方などでは異なる神や地元の神様が信仰されていたりするようですが、基本的には七耀教会が最大宗派となっているようです。

七耀教会が信奉するのは『空の女神エイドス』です。七耀を司る女神で、この女神自体の信仰は1200年前に崩壊したとされる古代ゼムリア文明の時からなされていたことが確認されています。

ちなみに唯一神教か多神教かは明言されていません。どちらにせよ信仰対象はあくまでもエイドス一柱です。

七耀教会は1200年近く歴史のある宗教であり、その始まりは明確には描写されていませんが、どうやらゼムリア文明の崩壊に深くかかわっている節があるようです。

総本山はゼムリア大陸中央部に位置するアルテリア法国と呼ばれる都市国家で、面積自体は各自治州よりも小規模だそうです。

七耀教会のシンボルは星杯であり、これを紋章に掲げています。その影響力は導力革命後に若干弱まったものの、いまだ強大であることが窺えます。

各地の自治州はアルテリア法国を宗主国としており、原作における百日戦役においては講和の仲介を行うなど影響力は国家や政府にも及びます。

まあ、国民すべてが七耀教会の信徒で、信仰心の篤い人も相当数に上ることから、民主国家にとっては致命的なほどに影響力を持っているでしょう。

また、貴族も王族も信徒ということで、絶対王政の国家にも重大な影響を及ぼすはずです。破門にされたら恰好がつかないので。貴族はメンツが大事なのです。

また、人々の倫理観にも当然として影響しており、『全ては女神のご意志』という考えが浸透していて、女神の意志にそった日常を過ごすことが共通の倫理観、常識になっているようです。

慈悲深く万能なる女神といった感じでしょうか。ただし、王権神授説は確認されていません。

また、1200年近くの歴史を誇る七耀教会には特別な技術の継承が確認されています。1つは薬草に関する知識、もう1つが法術です。

魔法ともいえる力を持つ法術は戦術オーブメントの導力魔法の源流にあり、エプスタイン財団は教会の協力のもとに法術を導力技術によって再現したらしいです。

七耀教会本山のアルテリア法国において原作で言及されている組織は3つ。『典礼省』『僧兵省』そして『封聖省』です。

『典礼省』は祭儀全般の監督を行い、『僧兵省』はアルテリア法国の防衛を担います。そしてストーリーに大きく関わってくるのが『封聖省』です。

『封聖省』は古代遺物(アーティファクト)の管理および回収を担う部署です。各国は七耀教会との盟約により、いまだその機能を失っていないアーティファクトを教会に引き渡す義務を持ちます。

これに違反すると、かなり重い処罰を受けるようです。教会にどのような罰を与える権利があるのかは分かりませんが。

また『封聖省』の直下にはアーティファクトの不正所有について調査・回収を行う実行部隊『星杯騎士団』が存在します。

極めて謎の多い組織であり、その構成員の実力は極めて高く、特に騎士団総長のアイン・セルナートは世界最高峰の実力を持つ戦闘能力を持つことが示唆されています。

星杯騎士団の構成員は1000名ほど。星杯騎士はおおよそ3つの階位に分かれており、騎士団を束ねる12人の『守護騎士(ドミニオン)』と正騎士、従騎士が存在するようです。

守護騎士は特別な才能を保有する星杯騎士団の切り札でもあり、その資格は『聖痕(スティグマ)』と呼ばれる印を持つことのようです。

『聖痕(スティグマ)』は魂に顕れる刻印であり、想像を絶する肉体の強化と法術の使用を可能とし、さらには顕現時に傍に存在した古代遺物の能力を奪い取り、聖痕の保有者の固有能力にしてしまう機能をもつようです。

聖痕は自然発生し、しかしどの時代においても12名の人間に顕現するとされています。その12名こそが『守護騎士(ドミニオン)』と呼ばれるようです。

さて物語では七耀教会は古代遺物(アーティファクト)の管理・回収などを行っているわけですが、これは実は教会によるアーティファクトの独占とも受け取ることが出来ます。

事実、教会はアーティファクトの実戦投入を何度も行っており、それによって多大な戦果を得ていることが描写されています。

教会が運用する代表的なアーティファクトは、星杯騎士団が秘密裏に運用する十二隻の飛空艇『メルカバ』でしょう。

鏡面装甲に覆われ、周囲と同化する光学迷彩機能を持つ他、動力および飛翔機関に相当する部分にアーティファクトが使用されています。アビオニクスについてはエプスタイン財団の協力があるようです。

いずれにせよ、この七耀教会という存在がストーリーに大きく関わることは間違いがないようです。作者の考察では、おそらくは何らかの強力な古代遺物の継承を行っていると思われます。

あるいはそれが『七の至宝(セプト=テリオン)』である可能性もあるでしょう。


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