【改訂版】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ   作:矢柄

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塹壕のせいで横長に切り取られた秋空は例年通りに澄み切っている。いつもなら今頃は秋の収穫祭の準備をしている頃だろうか?

 

けれど今の俺は体を丸めて縮こまるように、まるで怖いものから怯えて隠れているかのように、穴の底で息を潜めている。

 

最近は寝不足で今朝などは酷い頭痛がして、俺はいつのまにかウツラウツラと船を漕いでいた。

 

しかし次の瞬間、けたたましいあの音に反応して体がビクリと痙攣する。俺は急いで立ち上がる。

 

またあの音だ。甲高いサイレンのような、空からアレが来る音だ。見上げる空に俺たちはソイツが頭を下げて一気に降下してくるのを目で確かめた。

 

誰かが叫ぶ。

 

 

「こっちに来るっ、伏せろ!」

 

「嫌だ…、嫌だぁぁぁ!!」

 

「馬鹿っ、持ち場から出るな!!」

 

 

ソイツは翼から小さな4つ、腹から一回り大きな1つ、5つほどの黒いものを切り離す。背筋が凍る。脳裏に数多の死がよぎる。

 

爆弾だ。また爆弾が落ちてくる。

 

包帯をぐるぐる巻きにして、片目や片足となって運ばれていく兵士たちの姿を何度も見た。いろいろな部位を失って、物言わぬ屍となった兵士たちを何度も見せつけられた。

 

足がすくむ。逃げ出す暇などもちろんなくて、俺は塹壕の底に小さく丸まって、女神さまに必死に祈りを捧げる。そうやって前はやり過ごすことが出来た。

 

轟音

 

弾き飛ばされる。上も下も何もかもわからない。泥と砂といろいろなものが混ぜこぜになる。ピーっという耳鳴りが支配する。意識が飛んだ。

 

 

 

 

戦役が始まって半年が過ぎようとしていた。

 

始まったころは、俺たちはそんな事にあまり興味を払っていなかった。

 

何しろどうしてこんな戦争が始まったのかは分からなかったし、名前ぐらいは聞いた事がある程度の小さな国との戦争である。

 

偉いさん方がしきりに南の小さな国を非難する言葉が新聞記事に書かれていた、そんな事ぐらいしか今は思い出せない。

 

第一、その事が俺たちの生活に何か影響があるとは思わなかった。あんな小さな国が相手だから、こんな戦争はすぐに終わるだろうと、誰もがそう思っていただろう。

 

しかし、帝国軍が大敗北を喫して雲行きが変わった。そして、逆にリベール王国が攻め込んできたというニュースを耳にしたのは今から3か月ほど前、7月の夏の日だった。

 

俺たち、帝国の民衆はその時初めて不安を覚えた。政府が非常事態と徹底抗戦を宣言し、予備役の招集が始まった。

 

けれど、その時でさえ、まだ俺は事の深刻さを分かってはいなかった。暢気にもまだ時間の余裕があると思っていたのだ。

 

けれど、事態はどんどん悪い方へと転がっていった。

 

帝国防衛の要、国境の街パルム近郊に構築された大規模な要塞線がたった一週間で突破された。

 

8月には帝国南部サザーランド州の州都《白亜の旧都セントアーク》が無血開城したという知らせが飛び込んできた。

 

これに慌てたアルバレア公の命令で、俺たち農民の成人男子の多くが銃を持つことになって、そして今俺はこんな場所にいる。

 

 

 

 

「ぐ…」

 

 

目を覚ます。意識が飛んだのはごく一瞬だったらしい。どうやら俺はまだ生きているらしい。

 

気が付けば周りの連中も地面にはいつくばって横たわっている。塹壕そのものは壊れていないが、人間の方は無事ではなかったらしい。

 

音が聞こえない。耳鳴りだけがやけにうるさい。そして、息が苦しい。喉からヒューヒューという音がなって、どれだけ空気を吸い込んでも息を吸った感覚にならない。

 

とにかく苦しい。なんども咳き込む。とにかく酸素が欲しい。

 

 

「がふっ…、なん…だこれ……」

 

 

よく見れば、爆弾が落下した方に近い連中がもがき苦しんでいるのが見える。胸をかきむしり、酷く青い顔色で、まるで溺れているかのような。

 

ああ、知っている。あれは王国軍の新型爆弾にやられたせいだ。話に聞くには、爆心から離れていても肺がやられてしまうらしい。

 

そして、どうやら俺は今回も助かったらしい。

 

 

「死にたくな…い……よ、母さ……ん」

 

 

塹壕の壁に背中を預けて天を見上げる。次は生き残れるだろうか? 何度これを繰り返すのか。

 

ぼんやりと眺める澄んだ秋空を、また王国軍の爆撃機が天高く横切る。不思議な事に俺はこの時、それを綺麗だなんて場違いな感想を抱いた。

 

 

 

 

「高射砲大隊が壊滅したか」

 

「彼らはよくやってくれました。しかし、もはや我が軍には…」

 

「明らかに王国軍の水平爆撃の精度が高くなっている…。今ある高射砲ではどちらにしても……」

 

 

帝都ヘイムダル近郊の地下に張り巡らされた薄暗い地下壕。その一角に設けられた狭苦しい指揮所にて、私は帝国正規軍、領邦軍の将官たちと膝を突き合わせていた。

 

皆の表情は暗い。ただでさえ穴の中で長時間過ごす必要がある上、いつ直上に爆弾が落下するか分からない。だから心労だけが蓄積していく。

 

 

「敵の航空部隊に対抗するための高射砲部隊が、逆に航空部隊に壊滅されては話にならないぞ……。ラインフォルトの新型対空兵器はまだこないのか? やはり噂通り領邦軍が……」

 

「言いがかりだ! それは先日のルーレへの空襲で大部分が焼けたせいだ」

 

「ではなぜ領邦軍の動きが鈍い?」

 

「そ、それは正規軍も同じだろうっ! だいたい、ここを抜かれれば、帝都が戦火に晒されるんだぞ! 領邦軍が敵を利しているなどという事実無根の発言は取り消してもらおうか!」

 

 

再び正規軍の将官と領邦軍の将官が言い争いを始めた。私はこの物理的にも精神的にも閉塞した状況に内心大きく溜息をつく。

 

現実逃避気味に特大の貧乏くじを引いたなと、ぼんやりと考える。

 

私は現在、どういうわけか最前線の軍の総司令官を拝命していた。私はかの《鉄騎隊》にその身をおいた騎士を祖とする名家の生まれであるが、こうした重要な地位を得るのはもう少し先のはずだった。

 

では何故私がここにいるかと云えば、つまり前任者たち、そう、私の上官たちの面々の頭上に特大のプレゼントが落下してきて、彼らが二階級特進を果たしたためだ。

 

ともかく、私は無為極まりない口論に終止符を打つべく口を開く。

 

 

「ここで言い争いをしたとしても意味はない。命令違反者には厳罰を以って応えよ。それが貴族であろうが誰であろうがだ!」

 

 

南部に構築した防衛線にて王国軍の侵攻を阻み、その間に対空兵器の開発と配備を済ませ、反撃に出る。という当初の目論見は既に潰えていた。

 

むしろ正規軍の大部分が包囲殲滅されたことで戦線に大きな穴が開き、王国軍はセントアークを陥落させ、帝都目前にまで攻め上がって来ていた。

 

戦前の予想は裏切られ、戦局は極めて厳しい。

 

しかも、時期からして、いつカルバード共和国が参戦してきてもおかしくはない状況だ。よって、帝国軍は東の国境に20万近い戦力を張り付ける必要がある。

 

つまり帝国は戦力分散の愚を犯し、各個撃破されることで王国軍にスコアを献上しているというのが現状だ。

 

しかし、このような厳しい状況にあっても、領邦軍の士気はなかなかに高かった。

 

何しろ彼らは彼らの領地と国土を守るべく出撃してきた騎士なのだ。中世あたりから抜け出せていない頭だが、士気が高いことは悪い事ではない。

 

不甲斐ない正規軍に代わり、存亡の危機にある祖国を守るという立場も彼らの気分を高揚させたに違いない。とんだ皮算用であるが。

 

だが、この防衛線での戦闘開始から2週間が経つと、早々に正規軍・領邦軍の間に不穏な空気が流れ始めた。

 

王国軍の猛攻を前に何度も敗走を重ねて、防御陣地を奪われ続けていることも要因であろうが、しかし、それだけでは説明のつかない不和が広がりつつあった。

 

つまり、根も葉もない悪意に満ちた噂話が兵士たちの間に流れていた。

 

加えて、

 

 

「君らも銃後を襲った王国軍による卑劣な攻撃の事は知っているだろう? 報告書は読んでいるはずだ。我々までもがデマに踊らされてはならない」

 

「申し訳ございません」

 

 

我々にとっての悪い知らせは内部の不和だけではない。王国軍による帝国後背地に対する執拗な戦略爆撃がその要因の一つだ。

 

8月から開始された大規模な夜間爆撃は、帝国の反攻計画は再び根本から崩壊した。

 

最大の損失はノルティア州の州都、黒銀の鋼都ルーレの帝国最大の工業地帯が破壊されたことだ。

 

被害は甚大で、多くの工場や工廠が破壊され、火災などで熟練工の多くが負傷、あるいは死亡した。

 

それだけではない。当時、ルーレでは来るべき反攻のため、航空戦の不利を挽回すべく建造されていた防空飛行巡洋艦、そして対空砲弾の製造が急ピッチで行われていたが、これらのほとんどが失われた。

 

正確なところは知らされていないが、防空飛行巡洋艦は対空兵器をヤマアラシの如く配備した、飛行可能な防空陣地といったものだったらしい。

 

これに導力式近接信管を用いた画期的な対空砲弾が加われば、王国の航空部隊に大きな被害を与えられるだろうと期待されていた。

 

しかし、期待の防空飛行巡洋艦は造船ドックの中で竜骨をへし折られた。対空砲弾の信管を作るための工場も焼け落ちた。

 

悲劇はルーレのみに終わらなかった。翌日には帝都ヘイムダル近郊、その翌日にはセントアーク、そしてオルディス、バリアハート。

 

もちろん、各地の重要な戦略地域にはある程度の対空砲陣地が形成されていた。

 

しかし、空襲が夜間に行われたこと、敵が急降下爆撃ではなく水平爆撃を多用したこと、そもそも兵たちが対空兵器の扱いになれていなかったことで、迎撃は殆ど効果を示さなかった。

 

連日にわたる帝国各所への空爆により、帝国は工業地帯に大きな打撃を受け、鉄道網は一時的に麻痺した。

 

人的被害も馬鹿には出来ない。空襲が昼間に実施されていれば、被害はもっと増えていただろう。

 

もちろん復旧は急がれている。だが、爆撃は継続して実施されており、復旧はどんどんと遅延している。

 

帝国の工業生産力は戦前と比較すると目を覆わんばかりの状況にある。

 

 

「とにかく反攻準備が整うまでは耐久しなければならない。ここで押し切られては不味い」

 

 

帝都ヘイムダルは主要幹線が集中する交通の要だ。ここが王国軍の勢力下に入れば、帝国は東西の連絡が断ち切られることとなる。

 

絶対に死守しなければならない。

 

しかし現在、正規軍の守っていた陣地が落とされ、戦線に大きな穴が開こうとしていた。

 

 

「航空攻撃に対しては従来の塹壕による防御が効果的である事が分かっている。とにかく、我々はあと一ヶ月、ここで耐久しなければならないのだ!」

 

 

航空爆撃は確かに恐ろしいが、同時にそれは航空機に砲撃の役割を負わせているだけに過ぎない。射程に制限がないという利点は全くをもって羨ましい限りだが。

 

このため、通常爆弾による爆撃に対しては塹壕により、広く歩兵を配置する防御策が一番効果的だった。対空兵器の如何ともしがたい不足がある以上、これ以上の防御策はない。

 

とはいえ、これはあくまでも《それなり》の効果である。巨大な火球を生み出す新型爆弾は塹壕の中に隠れていても、人員に対して大きな被害をもたらしている。

 

徹甲弾のような爆弾も恐ろしい。今いる地下壕でさえ、直撃を受ければただでは済まない。

 

 

「一ヶ月…ですか。かつては短いものと考えていましたが、今は気が遠くなりそうですな」

 

「11月になれば反攻の準備が整うはずだ。おそらくは」

 

 

もともと大きな人口の差がある以上、数で押し切る事は可能だろう。もっとも、これは希望的観測だ。実際のところ、時間は我々に味方しない。

 

何故なら、東のカルバード共和国が参戦すれば、そのような数的優位など一瞬でひっくり返ってしまう。

 

今は我々帝国と王国が殴り合っているのを高みから見物しているが、帝国が少しでも優勢になれば横合いから殴りつけてくるだろう。

 

ハイエナのような連中であるが、後背地を爆撃によって散々に破壊された我々に、共和国の攻勢を防ぐ事など出来るのだろうか?

 

と、ここで連絡将校が司令部に駆け込んでくる。

 

 

「少将閣下っ、南から無数の爆撃機が!」

 

「また来たか」

 

「いえっ、今までとは数が違います! まるで空を黒く覆い尽くすよう―」

 

 

連絡将校はその伝令を最後まで伝えきることは出来なかった。何故なら次の瞬間、地下壕の天井を突き破り、指揮所に飛び込んだからだ。

 

突き破られる天上と衝撃。導力灯の照明が消えて視界は暗転し、まもなく私の意識も刈り取られた。

 

 

 

 

「リシャール中尉、敵司令部直上に地中貫通爆弾が直撃しました。成功です」

 

「そうか。大したものだな」

 

 

茂みに伏せながら双眼鏡で丘陵の下を観測していた部下の言葉に、私は安堵と、そして一種の高揚感のようなものを感じていた。

 

数十万という大軍の司令部が、防御に徹し、しかも地下に隠れる様に設置された司令部が一撃で粉砕される。それはあまりにも現実感のない光景だった。

 

 

「しかし、ドンピシャでしたな中尉。幸先が良い」

 

「そうだな、運が良かった。これで《心臓破り》は完遂される。さあ、いつまでもここでこうしている訳にもいくまい。本隊に合流するぞ」

 

「イエッサー。これで戦争も終わりますな。共和国軍が参戦すれば、年末までには家に帰れるでしょう」

 

 

無線による航空爆弾の誘導。導力飛行船を用いた人員の航空輸送。技術の進歩が従来の戦争をどんどんと型落ちさせていく。

 

今頃、帝国軍は大混乱に陥っているだろう。

 

8月より続く空襲に紛れて、先週、我々を含む一個連隊ほどの戦力が導力飛行船により、密かにヘイムダル後方の山岳地帯に運ばれた。

 

その中には破壊工作の訓練を受けた戦闘工兵たちが数多く含まれていた。彼らによって設置された爆薬や地雷が、今、王国軍の攻勢に合わせて道路と橋を寸断している。

 

加えて今実施された、敵司令部などの重要目標に対する精密爆撃だ。

 

もっとも、敵司令部を見つけ出すまでは期待されていなかったようだし、敵司令部の破壊も期待するなと伝えられていたが。

 

予定通りの任務を終えた我々はすぐにこの場を撤収し、帝都を背中から襲撃する本隊に合流する手筈だが、さて、帝国軍に我々に対処できるような余裕は残っているだろうか?

 

 

 

 

「リシャールが上手くやったか……。制空権というものは恐ろしいな。如何に統制のとれた軍隊とて、司令部が真っ先に破壊されれば動きようがなくなる」

 

「確かに。小官も技術の発展についていくだけで青息吐息ですぞ。このような状況では古参の方々は大変でしょうな、カシウス《准将》」

 

「《准将》…か」

 

 

己に与えられた新しい肩書の空虚さに心の中で自嘲する。

 

国を守るという仕事に疑問はないが、本当に守るべきものを守れなかった俺にとって、与えられた栄誉は虚しく思えた。

 

愛する妻と彼女の胎内で育まれた新しい命は奪われた。残された一人娘の心は危うい状態にあるが、今の自分にはその一人娘の傍に寄り添う事すら許されない。

 

果たして、俺が多くの時間と忍耐の末に得た力は、剣は、いったい何の役に立ったというのか。

 

 

「王国始まっての大勝利をもたらされたのですぞ。准将が昇進していただかなければ、我々の立つ瀬がありませんぞ」

 

「……そうだな」

 

 

士官の一人の言葉に頷くと、自罰的になり過ぎたと思い、すぐに頭を切り替える。

 

エレボニア帝国本土に攻め入って三カ月。我が軍はとうとう帝都ヘイムダルを目前としていた。

 

航空攻撃を伴う機甲戦力による前線突破、山地や河川などを巧みに用いた包囲殲滅。これも航空機による事前の偵察が功を奏した。

 

こうして開戦から現在に至る半年という短期間に、帝国軍は80万人近い兵員を失った計算になる。

 

これは帝国総人口の3%強、労働人口の7%。開戦前の帝国正規軍・領邦軍を合わせた数に等しい。

 

もっとも、それでも帝国は未だ帝国領に侵攻した王国軍の3倍強、80万を上回る兵力を残している。

 

 

「我が軍の機械化が遅れていなければ、10万もの敵をむざむざと逃がすことは無かったのですがな」

 

「それは欲をかき過ぎだ。そもそも王国軍の陸戦ドクトリンは守勢に重きを置いてきた。このような逆侵攻など最初から想定されていない」

 

 

そもそも、王国は陛下も軍も含めて帝国領への逆侵攻を考えてはいなかった。

 

王国の基本方針は国境で耐久し、共和国の参戦を待つというものだったからだ。故に、そもそも敵地に侵攻するための装備も存在しないし、訓練も実施していない。

 

よって、航空機や軍用飛行船の登場後においても、帝国軍を追い出した後は、陸戦では国境を守り続け、航空機による戦略爆撃によって帝国本土を脅かすという微修正が加えられただけだった。

 

しかし、ロレントでの虐殺が状況を変えてしまった。世論が報復を強く望み、耐久という消極的な方針を許さなかった。

 

この声に最も強く影響されたのが議会だ。選挙によって選ばれる議員らはこの世論を無視できなかった。

 

王国軍の圧勝もまた議員たちの報復論を助長した。負けると分かっていれば彼らとて容易に世論に動かされなかっただろうが、《勝てる》となれば状況は変わる。

 

また、軍人の多くは航空戦力の圧倒的な力に魅了され、『容易に勝てる』という考えに傾いた。

 

国民とその声を代表する議会が戦争継続で一致してしまえば、陛下や俺、一部の将校の反対では強硬意見を止める事などできない。

 

王国軍は実に感情的かつ政治的な理由で帝国領への侵攻へと舵を切った。そう、この戦争をどのように終わらせるかという、最も重要な部分をはっきりとさせないまま。

 

本来ならそんな泥縄的な軍事行動が成功するはずがないのだが、幸か不幸か、今の王国にはそれを可能にしてしまう力があった。

 

もっとも、機械化が著しく遅れていた王国軍による牛馬や自転車すら活用した電撃戦(笑)を、機動力と数に勝る帝国軍を相手に実施するのは、多少骨が折れた。

 

そもそも、敵による対抗手段の乏しい航空戦力がなければ、俺とて匙を投げていただろう。

 

 

「……さて、では目の前の問題を片付けようか。議員どもの言葉を信じるならば、この一戦で戦争は終わる」

 

「先の大規模空襲により、彼らの工業地帯の多くが燃えましたからな」

 

 

帝国各都市に対する大規模な空襲は8月から不定期に、深夜から黎明にかけて行われた。

 

夜間の移動は帝国側に航空部隊の接近を気付かせず、こちらの被害を限定しながらも、帝国の軍需工場に対して効果的な爆撃が成功した。

 

もちろんこの成功には、水平爆撃の精度を急降下爆撃並みに向上させる導力式演算器を用いた爆撃管制と夜間であっても工場の位置を特定できる導力波探知装置があってこそだったが。

 

王国軍の大規模戦略爆撃は帝国の防空体制の不備を露呈させ、その継戦能力をじわじわと奪っていった。

 

また、彼らの重要な軍需施設を焼き払ったことで、その反攻の眼を摘み取るまでの戦果を得た。

 

帝国の大動脈たる鉄道網は間欠的に麻痺し、このことが施設の復旧にさらなる足枷となるだろう。

 

そして、

 

 

「ここ、帝都ヘイムダルを脅かせば帝国の血流は止まる」

 

「《心臓破り作戦》の完成ですな」

 

 

エレボニア帝国最大の構造的欠陥の一つ。鉄道網の帝都への集中という弱点を突き崩す。

 

この国の鉄道網は全て1点、帝都エレボニアから放射線状に各地方へと伸びている。隣り合うノルティア州とクロイツェン州すら直接繋がってはいない。

 

つまり、帝都ヘイムダル周辺が脅かされただけでこの国の大動脈は一瞬にして停止する。

 

 

「ここで共和国が参戦すれば、彼らもいい加減音を上げるでしょうな」

 

「共和国か…」

 

 

ここでカルバード共和国軍が東から国境を越えれば、帝国軍は数の優位すら失う。常識的に考えて講和に応じざるを得なくなるはずだ。

 

だが、そう上手く事が運ぶだろうか?

 

共和国には共和国の思惑がある。当初8月には参戦するという話だったが、共和国はいろいろな理由をつけてそれを遅らせている。

 

確かに共和国にとって帝国は仇敵であるから、参戦することは確実だろうが…。

 

 

「カシウス准将! 本国からの緊急連絡です!!」

 

 

突然、部下が飛び込んでくる。マクシミリアン・シード。いつも冴えない表情をしている男だが、粘り強く、リシャール同様に見どころのある男だ。

 

そんな男が焦った表情で飛び込んできた。どうやら、あまり良いニュースではないらしい。

 

 

「何があったシード」

 

「カルバード共和国大統領が再び参戦を見送ると記者発表を…」

 

「……そうか」

 

 

シードの言葉にそう答える。自分でも驚くほどに疲れた声だった。

 

 

 

 

瓦礫の山に二人の青年が立っていた。一人は豪奢な服を着た金髪の青年、もう一人は黒髪の精悍な顔立ちの青年。

 

彼らがいた場所にはゼムリア大陸でも随一の豪華絢爛を誇った大宮殿が建っていた。だが、今はそれも跡形もなく崩れ、廃墟となっていた。

 

歴史的に著名な芸術家の作品である肖像画や彫像も、美麗な建築も調度品も全てが瓦礫の山に埋もれてしまった。

 

今は多くの軍人がこれを掘り返して回収しようとしているが、どの程度が無事に戻ってくるのかは全く分からなかった。

 

 

「まったく酷いものだね、ミュラー。これが恥知らずの代償だよ」

 

「リベールがここまで強いとは思わなかったな」

 

 

王国による威嚇だ。帝都を象徴するこの宮殿を灰燼と帰すことで、帝都に立てこもる守備隊に降伏を促しているのだ。

 

彼らも都市での戦闘などまっぴらごめんという事だろう。

 

 

「それで、お前はオルディスには行かないのか?」

 

「僕は残るよ。帝都に王族が誰も残らないなんて、格好がつかないからね」

 

 

10月も中ごろを迎えた。開戦から半年が経過し、帝都ヘイムダルは王国軍による包囲を受けていた。

 

8月から9月にかけて王国軍の侵攻が鈍ったのは、彼らが手当たり次第に橋梁を破壊しつくしたせいでもある。

 

橋を破壊したせいで、彼らもまた川を渡るのに苦労するようになったからだ。

 

そもそも、リベール王国はサザーランド州を落とせば戦争が終わると信じていたらしい。おそらくはカルバード共和国の参戦を期待していたのだろう。

 

だから彼らは後先考えず、インフラを破壊しつくした。

 

だが、共和国は一向に参戦する気配はなく、悪戯に戦争だけが長引いている。帝国は王国軍を領土から追い出すかすかな希望を与えられ続けた。

 

とはいえ、帝国側が優位になったわけではない。

 

王国軍によって実施される空襲はより迎撃し難く、より精密なものへと進化している。帝国は一方的に殴られるばかりだ。

 

インフラや生産基盤が根こそぎ破壊され、臣民の生活に重大な支障が出るレベルにまで帝国内の経済はダメージを受けていた。

 

それでも市街地への爆撃が行われないのは白い隼の誇り高さ故か。王国のロレントやボースでの帝国軍の蛮行を考えれば、それが行われてもおかしくは無かった。

 

そして今、帝都は困窮のただ中におかれている。

 

王国軍の包囲により物資の流入が途絶えた。現在は配給によって耐久しているが、冬が来れば何が起こるか。

 

 

「王国軍は武装解除を求めているんだろう?」

 

「いや、軍は徹底抗戦の構えのようだ」

 

「無謀だね。連中は市民を盾にするつもりなのかい?」

 

「皇帝陛下の帰還を待っているのだろう」

 

「じきに冬が来る。越えられるのだろうか?」

 

 

エレボニア帝国皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールは現在、帝都ヘイムダルを脱出し、ラマール州の州都オルディスに逃れている。

 

今この帝都に残る王族は《彼》の他にはいないだろう。

 

 

「軍は大規模な反攻作戦を開始するというが…」

 

「その戦いに勝っても、共和国が出てくるんだろう?」

 

「だが、少なくとも王国からは譲歩を引き出せる。このまま負けたままで講和すれば、あの件が表に出れば帝国は崩壊するぞ」

 

「今でも崩壊寸前だけれどね。負傷者が山のように増えている。戦争神経症を患った者もだ」

 

 

純粋な市民や農民の死者はそこまで多くない。

 

だが、戦場に連れていかれた百万を超える男たち、そして重要な工場で働く熟練工などの死傷は帝国の復興に大きな影を残すだろう。

 

賠償金は皇室の膨大な財産から多くが供出されるが、開戦に関わった貴族の他、多くの主戦派の貴族が取り潰しにあって、財産が没収されて補填されるかもしれない。

 

貴族から徴収される財貨は民衆への重税として人々に重くのしかかるだろう。

 

 

「僕ら帝国はリベールを甘く見過ぎた。そのツケは大きい。そして、その尻拭いをするのは平民たちだ」

 

「……いくぞ。ここにいても仕方あるまい」

 

「ああ、全くだ。しかし、リベールか。落ち着いたら一度は行ってみたいものだね」

 

 

二人は瓦礫を一瞥してからその場を去る。王族もいくらかは死んでいたが、戦争の原因を知ってしまえば憎しみよりも呆れが生まれた。

 

帝国はこれからさらに苦境に陥るだろう。

 

 

「本当に、この国は問題だらけだよミュラー」

 

 

放蕩皇子の金色の髪が風に揺られた。

 

 

 




第8話でした。

戦役の描写はだいぶん変わりました。結果は変わりません。文章が増えただけ。内容は薄まりました。ただの自己満足です。

まあ、導力飛行船を用いたエアボーン作戦を書き加えたぐらいでしょうか。


レーダーも対空兵器もまだ存在しない状況で導力飛行船による空挺作戦。このため、重装備も持ち込めます。

軌跡世界の特殊部隊の基本戦術ですね。パラシュートとかヘリボーンとかと違って重装備の投入が可能というのもポイントでしょう。

碧の軌跡ではテロリストが人形兵器を交えた強襲作戦を実行していましたし、閃の軌跡では貴族連合がエアボーンによる機甲兵を用いた重要拠点への強襲が実施されてます。

閃の軌跡Ⅱの主人公の戦いは、カレイジャスで空から侵入、ヴァリ丸で拠点強襲っていうそのまんまの空挺作戦ですし。

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