仮面ライダーディケイド エクストラ   作:牢吏川波実

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プリキュアの世界chapter13 待つ者と悩むもの

 自分に当たるスポットライトの光が、まぶしく、そして熱い。こうしてダンスしている間にも汗が一滴、また一滴とステージ上へと落ちていく。

 

 1、2、3。1、2、3。

 

 スタッ、スタッ、スタッ

 

 リズムをとって、そして練習通りに踊る。何も考えることはない。リズム通りに踊れば、自然に体が動いてくれる。いつも通りだ。今日、これで一生懸命いつも通りのステップを踏んで、動けばいいだけだ。自分たちの事を見に来ている観客の視線。それらが痛く、嫌な緊張感がある。何だろうか、緊張してるのだろうか。また汗が一滴下に落ちた。

 

 1、2、3。1、2、3。

 

 スタッ、スタッ、スタッ

 

 審査員の反応はどうだろうか。観客の反応はどうだろうか。周りのチームメイトの動きはどうなのだろうか。ミスなんてできない。動悸が激しくなってくる。汗が、まるで水中にいるかのように体中に張り付いて、気持ち悪い。

 

 1、2、3。1、2、3。

 

 スタッ、スタッ、スタッ

 

 今日まで努力してきたのだ。いっぱい練習して、何時間も手順を確認して、バイトもたくさんしてお金を稼いで、それが今日これで報われるはずなのだ。だから、踊らないと、もっと早く、もっと力強く、躍動感あふれる演技をしないと。今回でダメだったら、こんなに頑張ってもダメだったら、きっと何度やってもだめだ。辛い、苦しい、息が……。

 

 1、2、3。1、2……。

 

 スタッ、スタッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブチッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァア゛ァァア゛ア゛ァァァァァ!!!!!!!!!!!

 

 

 楽しいって、なんだったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 だめだ、ラジオを見るだけでもまるで条件反射のように汗が噴き出して、あの時の記憶が蘇る。心臓が痛い、動悸は早くなり、寒気もしてくる。もう、一年近くも前の事だというのに鮮明に彼女の脳裏から離れない。手が、ひどく震えて、氷を持った後のように真っ赤になっている。押さえないと、ラブは自身の手首を持つ。だが、止まらない。止まれ、止まらない。止まれ、止まらない。止まれ、止まらない。止まって……。止まれッ!!!!

 

「ラブ!」

「ッァ!!」

 

 その時、もう一つの手が、自分の腕をつかんだ。ようやくその震えは止まった。そこでようやく、彼女は気がついた。手の痛みに。力強く握りすぎたのだろう。手首が青白くなっている。内出血を起こしているようだ。だが、この腕は誰の物だろうか。咲、舞、みゆき、やよい、違う。この腕は、この細く繊細な指先を持っているのは……。ラブは、後ろを振り返る。

 

「ミユキさん……それに、せつな……」

 

 自分の所属するダンスチームの同僚でもあり、自分のダンスの師匠でもあるミユキと、そして自分の友達であり、プリキュアの仲間でもあるキュアパッション、東せつながそこにいた。

 

ーベーカリーPANPAKAパン 二号店 テラス席 10:57 a.m.ー

 

「これでいいわ」

 

 ミユキは、内出血を起こしたラブの手首に氷を袋に入れた物を当てる。アイシング治療だ。内出血の治療として、今ここでできるのはこれぐらいしかないが、重症というわけでもないので、十分と言えるだろう。

 ミユキとせつな、この二人がこの店にまで来た理由は、無論ラブと話をするため。ラブは現在バイトの途中ではある物の、店長の咲からそれほど忙しくないから少しぐらい抜けても大丈夫と言われ、ついでにテラス席も使っていいと言われた。そのため、彼女達三人はテラス席で話をすることになった。

 

「それで、今日はどうしたんです二人とも?」

「ラブ……」

 

 ミユキは、彼女の名前を呼ぶと一度目線を下に向けてから戻して言う。

 

「足は、もう大丈夫なんでしょ?」

「……」

「あなたがあの大会でアキレス腱を壊して、手術を受けてから、私たちはあなたの事を待ったわ。でも、貴方は現れることはなかった……」

 

 ラブはその言葉を受けると俯いてしまう。今から一年前、世界大会の選考会を兼ねたダンスの大会があった。彼女、桃園ラブはその大会にミユキやせつなを含めたチームで出場した。ミユキは元々トリニティというダンスユニットを組んでおり、日本中でダンスをするものからしたら知る人ぞ知る人間であった。そんなトリニティが新メンバーを募集していた。ラブはそれに親友で暇をもて余していたせつなを誘って参加し見事に合格。そしてそれから練習を重ねて、ついに本番の時がやってきた。順調に予選を勝ち上がり、ついに決勝大会の前日、彼女はあることを聞いた。それは、トリニティに元々いたメンバーであり、ミユキの同僚であったレイカとナナが、その大会を最後に脱退するという話だった。だからこそ、トリニティは新たなメンバーを募集したのだと。絶対に失敗することのできない大会。先輩の有終の美を飾らなければならない大会だった。その事が頭から離れなかったのだろう。いつも以上に練習し、本番に臨んだ。しかし、緊張と練習のし過ぎによって、ラブの演技はいつもよりもぎこちないものとなり、足を酷使しすぎたつけが回ってきた。それが、アキレス腱断裂。もちろんトリニティは優勝を逃し、ラブは手術を受けることとなった。今も、ラブの足にはその時の手術痕が痛々しく残っている。

 

「確かに、足はもう痛むことはないです。でも……」

「でも?」

「身体が……言うことを聞かないんです……」

 

 その手術から二、三か月後、リハビリもそこそこに終えた彼女は、トリニティがいつも練習場所にしている場所に戻ろうと思った。しかし、足は進まなかった。それは、手術の後遺症というわけではなかった。大事な大会で失敗して、先輩たちの頑張りを無駄にしたその罪悪感そして、トラウマが彼女の足を止めたのだ。

 

「私、踊ろうとしたんです。でも、足は動かなくて、上に上げることもできなくて……リズムやテンポも狂って、ボックスを踏むことすらもできなかったんです……」

 

 練習場所へと向かう前の夜の公園で彼女はラジオをかけて、大会で使った曲を使って踊ってみることにした。だが、無理だった。踊ろうとしても踊れなかった。その時、彼女は悟ってしまったのだ。もう、彼女たちに会えないと。自分には、彼女たちに会う資格がないのだと。だから、こうして拠点としてる四つ葉町から離れて、友達のしているパン屋でバイトをしているのだ。

 

「なるほど、イップスね」

「イップス……?」

「えぇ、運動障害のことで、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害の事よ。主だった原因は不明だけれど、精神的な物が原因だと言われているそうよ」

「……精神的な物……」

 

 イップス。本来はゴルフの分野で用いられ始めた言葉ではあるが、それは多種多様な種類のスポーツにも用いられている。その原因は様々なものがあり、例えば野球で言えば、投手が一度デッドボールを当ててしまって、それ以来投げるのが怖くなったり、バスケやサッカー等で大事な場面でシュートを外してしまった時に起こるのだ。これが原因で思ったようなプレーをすることができずに、引退してしまうという選手も多くはない。せつながミユキに聞く。

 

「ミユキさん。そのイップスってどうやったら治るんですか?」

「確実な方法はないけれど、まずは、失敗を直視することね」

「失敗を直視……」

「そう。ただ、これには精神的な覚悟が必要な物。だから、私たちにできる事なんてたかが知れているわ。大事なのは、貴方よ」

「……」

 

 失敗を直視。あの大会で、自分が空回りして、必要以上に練習して、舞台に上がって、ぎこちない演技をして、そして、あの嫌な、音が……。

 

「ラブ!」

「ッ!ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 せつなの声が響いた。だめだ。まだ嫌な汗が噴き出す。ラブの目は、まるで焦点が合っていないように不規則に動き、クラクラしてしまう。あの時の事を思い出そうとするたびに、底なしの沼に沈んでいくように重く、苦しい気持ちになる。もう浮かび上がってこれなくなるんじゃないか、そう思ってしまうほどの痛みと虚無感。あの時の事を思い出そうとするたびに、アキレス腱の傷がこじ開けられているようにジンジンと痛みだす。だめだ。だめだ、ダメだ。やっぱり、自分には無理だ。自分にはもう昔のように立ち直る気力がない。自分には……。

 

「あの頃に……戻れたらいいのに……」

「え?」

「中学生の頃、プリキュアとして戦っていた……あの時に戻れたら、もっと強かったときの自分だったら、どうしてたかなって……」

 

 あの頃は、勇気を、そして決意を持ってどんな苦行なことでも立ち向かうことができた。友達から頼りにされ、頼りにして、いつも楽しくダンスを踊っていた。あの頃に戻ることができたら、あの頃の自分が今の自分を見たらなんていうだろう。どう思うだろう。多分、自分に失望するんじゃないだろうか。そして、こんな人間になりたくないって言われるんじゃないだろうか。嫌だ、そんなの、嫌だ……。

 

「ラブ……」

「……」

「あの……」

「え?」

 

 申し訳なさそうに店から現れたのは咲だ。咲からしてもこの状況で声をかけるのは忍びなかったものの、だが伝えなければならないことが一つあった。

 

「もうそろそろランチタイムなんだけど……」

「あっ、ごめん咲。すぐ、行くから」

「でも……大丈夫ラブ?」

「うん、心配しないで……」

 

 とは言う物の、咲の目から見てもラブの動きはぎこちなかった。ブリキ人形のようだと言っても過言ではない。無理しているのは明らかだ。咲からしてみれば店の事なんていいからラブに無理をしてもらいたくない。のだが、ランチタイムは忙しいというのも確かだ。どうしようかと思っていたその時、ミユキが立ち上がろうとしたラブを制して立ち上がる。

 

「ラブ、貴方は休んで少し頭を冷やしなさい。咲」

「は、はい」

「私がラブの代わりにバイトに入るわ。それでいいでしょ?」

「え、い、いいんですか?」

「えぇ、せつなは、ラブの近くにいてあげて」

「はい」

「ラブ、貴方に二つだけ言っておくわ」

「え?」

 

 ミユキは、座っているラブの目線の高さになるぐらいにしゃがみ言った。

 

「私には、貴方があの頃と変わったなんて思えないわ。むしろ、私は今のあなたの方が好きよ」

「え?」

「それから……もう一つ」

 

 ミユキは、スッと立ち上がると少しだけ歩いて顔だけを横に向けながら言った。

 

「私たちはあなたの事をいつまでも待っているわ。貴方は、私達『トリニティ』の五人目のメンバーなんだから」

 

 ラブの見たその顔は、十年前に彼女が見たミユキの顔と同じものだった。

 

ーヨツバテレビ 11:21a.m.ー

 

 分かっている。自分がしていることが、どれだけ愚かなことだったのか。言われなくても分かっている。けど、それをしなければ、嫌だったけれどそれに手を出さなければならなかった。二世タレントととしての自分しか評価してもらえず、自分、春日野うららとして評価してもらえない。そのくせいつも母と比較されて批判ばかりを受けて、正当な自分だけを見た評価なんてされたことも一度もなかった。

 いくら頑張ってもCDは売れず、どれだけオーディションを受けても通らず、売れない三流女優として過ごしたまま、自分は成人した。そんな時、社長から言われたのだ。夜の接待の話を。最初はもちろん嫌だった。拒否しようと思ったことが何度かあった。そんなことをするぐらいだったら、芸能界なんてやめてやるとも思った。でも、思っただけで行動に移すことなんてできず、結局その日、自分は……。そして仕事を貰えた。いくらチャレンジしても通らなかった舞台のオーディションに合格したのだ。この、最も失敗に近い成功体験が仇となってしまった。そうか、こうすれば仕事がもらえるんだと思ってしまった自分は感覚がマヒし、それから毎日のように夜の接待を続けた。そのたびに大きな仕事を貰えて、ついに自分はトップ女優への道を歩き出した。最初は反吐を履くほど嫌いだったそれも、段々と慣れてきて、なんとも思わないようになった。

 過ちに気づいたのは、昨年の事。中学の頃のプリキュア友達の一人から受け取った結婚式の招待状だった。そこでようやく、彼女は思い出した。友達の事を。辛く、悲しく、苦しいチャイドル時代、いつもそばで励ましてくれた彼女達の事を。もしも今、こんな自分が彼女たちに出会ったらどう思うか。そう考えたら、心が張り裂けそうで、不意に涙がこぼれ落ちた。結局、その招待状には欠席の所に丸を入れて、送り返した。罪悪感だけを残して。それからもう一つ。ある人物からのメールを見たことも一因だ。それは、中学の頃自分が好きだった男性からのメールだった。あの戦いの中で芽生えた恋心。だが、二人は堂々と付き合うことなんてできなかった。彼が言った。もし週刊誌なんかに撮られてしまったら、自分の芸能生活に支障をきたすかもしれない。だから、付き合うなら大人になって、自分が成功して、やり切ったときに自分が迎えに行く、そう言うことにしようと彼女は話した。そんな彼からのメール。彼女は、震える手で文字を打った。

 

『さようなら。私なんかよりも、もっといい人を見つけてください』

 

 そして、元々疎遠になっていた中学の頃からの仲間の連絡先もすべて消して、着信拒否や迷惑メール設定にして、引っ越しまでして完全に関係を絶った。自分と同じく芸能界にいる仲間もいたが、そこは芸能プロダクションに掛け合って、絶対に共演しないように、仲が悪い、大喧嘩したという嘘の話題を作って共演NGにした。さらに、生放送の番組に出演することや、ライブをするということもなくなった。多分、そんなことをしたらあの子が駆けつけるだろうから。胸にぽっかりと開いた心のスキマ、それを埋めるために、彼女の夜の接待は多くなり、しかし結局どれだけしても満たされることはなく。後悔と、罪悪感だけが大きくなるだけだった。

 本当はこのテレビ局の番組に出演することも嫌だった。ここは、友達の一人が経営しているテレビ局だから。でも、一度だけならという約束で、ここまで来た。もしかしたら、自分は期待していたかもしれない。彼女に、彼女たちなら自分の事を叱って、止めてくれるだろうということを。でも、無理だった。罪悪感の塊に支配された自分は彼女たちの言葉をろくに聞こうともせずに、彼女たちを怒って、罵って、そして出てきてしまった。本当はそれをしてもらいたいのは自分だったはずなのに。なんだか、彼女たちの目が、自分を見下しているように見えてしまった。本当はそんなことないのに。本当は、そんなこと絶対にあるはずがないのに、まるで自分の事を汚物を見るような目で見ていると思ってしまった。だから、彼女は逃げ出して、今は一般の客も入れる屋上テラスから町を見下ろしている。

 あぁ、今皆はどうしているだろうか。二年前以前から、友達とは疎遠になっていたからよくわからない。彼女は、先生になれただろうか。あの人は、アクセサリーデザイナーに慣れたのだろうか。先輩は、医者になることができたのだろうか。それに、あの人は……もう他にいい人を見つけてしまっただろうか。唯一分かっていることは、先輩の一人が小説家になって、ベストセラー作家になったということ。多分、あの人の性格からして自分のような楽な道なんて選んでいないはずだ。実力で勝ち取った物なのだろう。彼女の近況を知った時も、自分の行いが恥ずかしくなって、そして死にたい気分になった。

 そういえば、ここから落ちたら死ぬことができるだろうか。楽に死ぬことができるだろうか。いや、今まで楽をしてきた自分にそんなもの必要はない。苦しんで、苦しんで、そして後悔の中で死んでいく姿が自分にはふさわしい。いや、ここではだめだ。ここでそんなことをしてしまえば、友達の彼女に迷惑がかかる。死ぬなら、家に帰ってから。いや、死体なんてあったら、お人好しの仲間は自分の葬式に来てくれるだろう。醜い自分の姿なんて見せたくない。だから、死体も残さずにそして苦しんで死なないと。そういえば前にサスペンスの撮影である崖に行ったことがある。たしか、そこから落ちたら海流の流れで死体もあまり見つからないのだとか。そこがいい。そこなら苦しんで死ぬこともできるだろうし、死体も見つからなければ葬式なんてあげられない。仮に挙げられたとしても、醜い自分を見られない。もしかしたらその崖も

 

『枕営業に手を染めた哀れな女優が最後を迎えた場所』

 

 として、話題には乗るだろう。誰にも迷惑をかけることなく、自分は死ぬことができる。死ぬ。死んだら、母に叱ってもらえるだろうか。抱きしめてくれるだろうか。優しくしてくれるだろうか。いやだ、そんなの自分にはふさわしくない。いっそのこと、地獄にでも落ちたい。その時、彼女に声をかけてくる人がいた。

 

「ねぇ、ちょっといいかしら?」

「はい?」

 

 背格好からして40代くらいの女性だろうか。だが、うららにはその女性に見覚えがなかった。

 

「あぁ、やっぱり春日野うららさんね。いつもテレビで見ているわよ」

「あぁ、はい……ありがとうございます」

 

 うららは、そのことに一瞬驚いた。何故かと言うと、彼女のファン層は大体十代後半から三十代前半の男性の限られているからだ。実は、人気に反して女性からの支持は一切受けていない。それもこれも、やはり売れていなかった自分が突然ブレイクし始めたことに起因するだろう。やはり同性からしてみれば、自分が枕営業をしているだろうなということが、テレビ越しにも分かってしまうのだろう。ネットで、最初に自分が枕営業をしているという噂を流したのも、多分女性だ。だから、うららは自分に声をかける女性がいたことが心底意外なことであった。

 

「実はね、家の馬鹿息子が昔からあなたのファンなのよ」

「え?」

「ほら、昔子供番組の司会していたときがあったでしょ。あの時からよ」

「あ、は、はい……」

 

 うららは思い出す。確かに自分は中学生の頃に子供番組で司会をしていたことがある。あの頃はまだ夜の営業の意味も、言葉も知らず聞かずで、純粋な一人の少女だった。だが、確かあの番組はあまり視聴率が取れずに半年で終了したはずだが。

 

「貴方が一生懸命に夢に向かって頑張る姿、あれが忘れられなかったようでね……今も息子は絵描きになる夢を追ってるのよ」

「それは……すみません」

「謝ることなんてないわよ。それに……それでよかったのよ」

「え?」

「小さい頃からよく地区のお絵かき大会で金賞を取っていて、『自分は絵描きになるんだ!』って張り切ったのよ。でも、そんなもので売れるわけがないって、高校生の時に悩んで、夢を捨てようとしていたの。そんな時、貴方に出会ったの」

「え?」

「子供たちに必死で向き合って、頑張って、夢を叶えるために努力している姿。それに触発されて息子はもう一度夢を追うことにしたのよ」

「……それで、息子さんは……」

「つい、昨日のことよ……なんとか美術大賞っていうのに息子の絵が選ばれたのよ」

「本当ですか……」

「えぇ、同じ絵描きの彼女さんもすっごく喜んでくれてね、今度四葉財閥がスポンサーとして付いて絵画展をすることになったの」

「絵画展……」

 

 そして、女性はチケットを取り出して言った。

 

「時間があったら来てあげて。あの子も、きっと喜ぶわ」

「……ありがとうございます」

「それじゃあ、頑張ってね」

「はい」

 

 女性は、その場から去っていった。絵画展、だが残念ながら自分はそれに行くことができない。だって自分は……。うららは、ポケットにチケットをしまうと、またあの楽屋に戻る。だが、ここに来てよかったのかもしれない。少なくとも、自分の頑張りが、人一人の人生を開いたのだと、教えてもらえたのだから。救えたのだから。これで、少なくとも自分は心安らかに逝くことができるのかもしれない。後は、せめてこの仕事だけでもやり通さなければ、友達に迷惑がかかる。これが、最後の仕事だ。

 

「まずこの仕事が終わったらマネージャーに見つからないようにテレビ局から出て、それからタクシーに乗って、それから……遺書も……」

 

 うららのその独り言は誰も聞いていなかった。あまりにも小さく、空気に溶け込んでいったような言葉、それは未来を何も見据えていない証であった。この世に未練がないように、しなければいけない。未練……。女々しいもの、というのは男相手に使う言葉だから似つかわしくないが、そう考えると最後にあの人たちに会いたいと願うなんて、もう会うことができないと思っていたのに……。会いたい、会って、その胸でひとしきり泣きたい。全部なかったことにしたい。彼にも、謝罪したい……。死にたく、ない。だからだろうか。

 

「うらら!!」

 

 幻覚を、見たのは……。いや、幻覚じゃない。あれは、あの頃と同じ笑顔で自分に手を振っているのは、紛れもない。紛れもなく、あの子だ。久しく見るが、しかし彼女の顔を忘れるわけなんてない。

 

「のぞみさん……」

「久しぶり、うらら」

 

 夢原のぞみ、キュアドリーム。自分の一つ上の先輩。いろいろ、話をしたかった。自分の悩みを聞いてもらいたかった。泣き叫びたかった。だが、ここでは、無理だ。

 

「と、取りあえず、楽屋に……」

「うん」

 

 うららは、のぞみを楽屋に入れる。そして、ドアが閉められる。この楽屋は歌手が発声練習をしてもいいように防音仕様になっているから大丈夫だ。だから……だから……。

 

「……久しぶりです」

「うん」

「元気……でしたか?」

「うん」

「皆も、変わりないですか?」

「うん……」

 

 のぞみは、うららの言葉にただ頷くだけだった。そして少しの時間沈黙が流れて、うららは口を開こうとする。

 

「あのッ!」

「辛かったよね、うらら……」

「ッ!」

 

 その前に、彼女からのねぎらいの言葉、そして……。

 

「ごめんね、もっと早くに会いに来れればよかったのに……」

「そんな、謝らないでください……謝るのは、謝るのは……」

 

 それから先、うららは言葉が出なかった。そんなうららをのぞみは優しく抱きしめて、そして言う。

 

「うらら、泣きたいときは泣いてもいいんだよ」

「あぅ……」

 

 ソレを聞いている者は、誰もいなかった。


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