ーヨツバテレビ Bスタジオー
ヨツバテレビの中にあるスタジオ。そこでは、多くの人間が走り回って収録の準備を行っている。カメラの位置はどうだ。立ち位置に目印を置いているか。音声に問題はないか。特に、音楽番組に置いて音声は最も気を配らなければならないものだ。それの良しあしによって視聴者の番組の評価どころか、音楽の評価も違ってくる。さらに言えば、今日出演する予定の歌手は全員が生歌での歌唱だ。神経質になっているのは当然の事。怒号、そして怒号、何故彼らはたった数人のライブのためだけにここまで必死になるのだろうか。それは、視聴者のため、歌手のため、そして自らのプライドのため。彼らは必死のパッチで彼女たちの活躍の場を作っていた。その時、扉から一人の女性が現れた。
「お疲れ様です」
春日野うららだ。このすぐ後にリハーサルを行うはずの女性。だが、まだ時間はあったはず。スタッフの一人が時計を見ながら言う。
「うららちゃん?でも、まだ時間は……」
やはり、リハまで十数分の時間がある。あいさつ回りでもしているのだろうか。しかし、彼女は基本あいさつ回りをしない女性だ。事務所がそういったものはマネージャーに一任しているらしいので、彼女自身が挨拶に来ることというのはほとんどないと聞いたことがある。どうしたのだろうか。
「今日は……皆さんにお礼と、それからお別れを言いに来ました」
「え?」
「マイク、音入ってますか?」
そして、うららはステージの上に立ち、マイクスタンドからソレを抜き取ると、ADに言った言葉と同じ言葉を繰り返した。うららのその言葉は、表にいた人間だけでなく裏、この場合はプロデューサーやディレクターが位置どっている部屋を指すが、その部屋にまで聞こえていた。皆、今している作業を止め、その彼女の言葉に耳を傾ける。うららは、一度深呼吸して言う。
「……皆さん、私を含めた本日歌唱する方々の歌を収録するために、頑張ってくれてありがとうございます……。でも、すみません、私今日の出番をお休みします」
ざわつくスタジオ。突然の彼女の言葉は、驚きを持って迎え入れられた。裏にいる人たちもまた同じく。
「おいおいどういうことだ?」
「いつもの女優様気取りじゃないですか?よくあるんですよねそう言う人。『今日は気分が乗らないから歌いません』的な」
と、茶化すように音響スタッフの一人が言った。確かにうららは、仕事をすっぽかすことが多々あった。その時はマネージャーが謝罪行脚に奔走していたのだが、こうして本人がスタッフに謝罪するのは初めてだ。その時、茶化した音響スタッフの頭にほんの背表紙が直撃する。
「痛ッ」
「馬鹿、あの顔を見てみやがれ」
「ち、チーフ……」
それは、この番組のチーフディレクターである人物だ。本来は、リハーサルには入っていないような人物ではあったが、今日に限っては経営者である四葉ありすからどうしても入ってくれと言われて『たまたま』その場に居合わせた。その彼が感じたのだ。いつもの彼女の表情と違うのを。
「あれは、謝罪する顔じゃない。懺悔する顔つきだ……彼女、何かとんでもないことを言いやがるぞ」
「とんでもないことって、どうしてわかるんです?」
「テレビマンの勘だ。何が起こるか俺にも分からん」
だが、その勘が告げていた。彼女のその決意を。そして、彼女は語りを始める……。
ー楽屋 数分前ー
あの記者会見の中継が終わった直後、うららは一人楽屋を出ようとしていた。のぞみは、その肩に手を乗せて言う。
「うらら……」
うららは、ゆっくりと振り返る。そして、のぞみの目を見つめながら言った。
「大丈夫です。けじめをつけてきますから……私は、もう逃げたくないんです」
その言葉に、のぞみは安心して肩から手を下す。うららの気持ちは固まっていた。いや、本当なら最初っからその選択をすればよかったのだ。今まで、逃げ続けてきただけ。怖くて、何もかもを失うのが怖くて。最期まで、自分らしくケジメを付ける。あの記者会見のりんは、自分を勇気づけるために用意した場所だった可能性すらもある。でも、そんなのもう考えない。自分は、ただ自分のするべきことをする。例え、それですべてを無くしたとしても……。
「……うらら」
「え?」
彼女にそう声をかけたのは手をこまねいて壁にもたれかかっているらんこである。らんこはうららの方を見ずに言った。
「もしもあんたが芸能界から干されても、バラエティ班で使ってもらえるように手まわしておくから」
「らんこさん……」
「こっちにだってそう言った人脈があるの。出演者の一人や二人、増やそうと思えば増やせるわ……。まぁ、あんたがバラエティの過酷さに耐えられればの話だけれどね」
いや、全てを無くすわけではない。少なくともらんこ、それから今ここにいる友達皆との絆は決して切れることはない。こんな自分を受け入れてくれたのだから、こんな自分をまだ必要としてくれているのだから。でも、彼女はそのらんこの言葉を受け入れるつもりはなかった。
「ありがとうらんこさん。でもいいんです」
「なんでよ?」
「……自分で掴みたいんです。誰かに与えられるものでなく、自分で手に入れるチャンスを」
そうしなければ意味はないのだ。人脈で手に入れた地位なんて、自分を停滞させるだけ。自分をあざ笑うだけ。なら、そんなものはいらない。自分もまた、自分の足で歩きたい。自分の手で、チャンスをつかみ取りたい。だから、本当にありがたかったが彼女の申し出を断った。
うららは、楽屋を出ると目的地へと向かう途中にこのBスタジオへと立ち寄った。多分、明日から自分はテレビから姿を消す。今日自分の歌う場面だけならともかく、トークシーンから自分の姿だけを消すことはかなり技術のいる事。ならば、最初から自分がいなければいい。ただ、それはそれで現在自分の出演する分のセットを組んでいるスタッフに謝らなければならない。出演できないということを彼らに伝えなければならない。そうしなければ、自分が納得できなかった。
ー現在ー
「……以上が、私がこれまでにしてきた過ちです」
うららは、全てをスタッフに話した。自分が枕営業に手を染めたこと、そうして楽に仕事を貰って後戻りできなくなったこと、そして今日出演することができない理由も全て。その場にいたスタッフは、突然のうららの告白に唖然とするしかなかった。驚き、困惑して、何人かは近くにいるスタッフと話し合っている様子がステージの上からでも見て取れる。そして、うららは一度深く呼吸して言う。
「私は、この後この罪の清算をしてきます。でも、その前に言っておきたいことがあったんです。ADのみなさん、大道具の皆さん、音響の皆さん、ディレクターさん……この番組の携わっている全ての皆さんの頑張りを一つ無駄にしてしまってすみませんでした……それから、ここまで小道具やセットを組んでくれて、考えてくれて……ありがとうございました」
そして、うららは深く頭を垂れた。何十秒も、しかしその行動は永遠かもしれないとも感じられるほどだった。このステージにあがるのは自分だけじゃない。真琴や、他のアイドルもまたこのステージの上へと上がる。だから、彼らの頑張りが完全に消えるということはない。だが、それぞれに少しづつ背景の小道具を変えたり、ライトの色を変えたり、さらに段取りを考える構成の人達、それら多くの人間の頑張りを無駄にしたという事実は消えることのない自分の罪だ。だから、彼女は謝罪する義務があった。ただ、それだけだ。だが、その義務を果たせることのできる人間が、果たしてこの世に何人いるのだろうか。場日雑言を浴びせられたかもしれない。今その手に持っている物を投げられたかもしれない。だが、それでも彼女は身勝手なことに満足していた。それが、自己満足であると知りながらも。そんな彼女に対して、彼らスタッフの行動は……。
「……」
まるで勇者を称えるかのような無言の拍手という名の歓声だった。誰がそれを最初にし始めたのか、今となっては定かではない。しかし、それは水の上に落ちた石が描く波紋のように広がり、また伝染し、そして大きくなっていく。うららは、それを聞いて感慨深く感じた。それは、この数年間浴び続けたどの歓声よりも心地のいいものだから。とてつもないハーモニーとなって耳に宿るアンサンブルのようなもののようにも思えた。もう、自分がこのステージの上に戻ってくることはないだろう。だからそう感じられたのは。歌を一曲も歌わない引退公演、それがあっても構わないだろう。それをやったとしても恨まれることはないだろう。そして、顔を上げたうららは一言お礼を言うと、二度と上がることはないステージから降り、スタジオから出ていった。しかし、彼女に悔いなんてものは一切なかった。ここで、この場所で、アイドルとしての春日野うららを殺せて、本当によかった。うららは、優越感にしたっていた。
一方、ディレクターや音声などの人間がいる部屋(副調整室というらしい)では、スタジオ内と同じ、いやそれ以上にかなりあわただしく騒然となっていた。
「おい今の録画してたか!?」
「はい、一応……でも、噂には聞いてましたけど……」
「うむ……」
チーフディレクターは腕を組んで思い返す。確かにうららに対してそう言った都市伝説に近い噂があることは承知していた。しかし、まさか本当に枕営業に手を染めていたとは。しかも、ディレクターはさらに加えて感心していた。
「だが、凄いと思わないか?」
「は?」
「あの子の女優魂がだよ。それが苦しいことだったはずだ。何年間も、苦しんでいたはず……それを顔に出さず視聴者に笑顔を向けることができる。あの子こそ女優だ……俺は、そう思う」
「チーフ……」
そう言われて、騒然となっていたその部屋の人間たちは、言われてみれば気づくことができたのに、言われなければ気づけないようなそんな細かいところまで見ていたディレクターを尊敬し、並びに確かに苦しいことを顔に出さなかったうららの事がまるで神様の如くに見えるような気がした。その時、一人のADが申し訳なさそうに聞く。
「でも、どうするんですか?今からじゃ番組の流れを変えようとしてもギリギリ……」
うらら出演部分の時間が開いてしまった。考えてみるとこれはまずい状況である。タイムテーブルという物が番組ごとにあり、それに従って多くのスタッフは動いている。それが、一つ分減っただけでタイムテーブルの流れは一気に変わってしまうもの。周りの人間は沈黙したがしかし、チーフディレクターはなるほど、と思った。多分彼女は……。
「フッ……それなら、簡単なことだ」
「え?」
「あのチーフ、下からチーフにお願いしたいことがあるとか……」
「なんだ?」
チーフは、ADから受け取ったトランシーバーを耳に当てて下、つまりスタジオ内にいるADからの提案を聞いた。それを聞いたチーフディレクターはニヤリと笑って言った。
「……物好きな奴らだ……OKやるんなら徹底的にな。こっちでもやれることはやる」
そして、無線を切ったチーフディレクターは電話を取り出すと……。
ーヨツバテレビ 廊下ー
思い残すことのなくなったうららは、一人廊下を歩く。しかし、奇妙なことに廊下には一人たりとも人間の姿がない。いつもは右往左往している人間の姿が、それこそ絶え間なく見えるというのに、何故だろうか。いや、彼女の向かう先に一人の男の姿が見える。うららには、ひとつ危惧していたことがあった。それがその男。自分の決意を台無しにする可能性を持った男。自分が罪を告白する前に邪魔をしてきそうな男。
「待ってたぞ、うらら」
「社長……」
自分が高校を卒業する前辺り、不慮の事故で亡くなった前社長から事務所を受け継いだ現社長の男。名前は、知らない。知りたくもない。その男が目の前に立っていた。
「どうしてここにいるのですか?」
「フン……分かっているのに知らんふりか?」
「……」
間違いない。自分がこれからしようとしていることを彼は把握している。それを止めに来た。いや、彼の性格からするともっとひどいことを考えているに違いない。廊下は禁煙であるというのに、男は葉巻に火を付けて言う。
「まぁここで話してもいいが、誰かが来ないとも限らんからな、ちょっと付き合ってもらおう」
その瞬間、彼女の後ろから黒服を着た男が二人近づいてくる。逃げ道が封じられた。うららは彼について行くしかなくなった。だが、ついて行ったところで自分に待っている運命は決まっている。ならば……。
「分かりました……」
最期まで、自分は抗う。そう、覚悟を決めたのだから。うらら、そして男三人はその場から離れた。一人の女性がその様子を見ているとも知らずに。女性は、携帯を取り出すと、ある番号を入力し、ある場所へと連絡を取った。
「もしもし。手筈道理に……えぇ、私も今から向かうわ、それと……」
女性は、うららが歩いてきた方向から歩いてくる男性の顔を見て、ニヤッと笑って言った。
「待ち人さんも一緒にね」
ーヨツバテレビ 地下大道具倉庫ー
テレビの収録で使うような大きな物を収容している大道具倉庫。そこは死角も多く、少しだけ歩いたらもう前に歩いていた場所が見えなくなるほどだ。そして、ある場所に着て立ち止まり、彼女は周りを見てやはりと思った。薄暗い物のすぐにわかる。前後の逃げ道が封じられたと。社長の男は言う。
「うらら、お前あの事を喋るらしいな」
「はい。その通りです」
うららは、曇りのないまっすぐな目でそう言った。瞬間、男はクククと不敵な笑い方をして言う。
「困るんだよ。それを暴露されてしまうとお前だけでなく、事務所全体に悪影響を与えかねないからな」
「……」
そもそも、自分が枕営業に手を染めた一因は、事務所からやれと言われたためだ。嘘か本当かなんて関係ない。もしもうららがそのことまで暴露してしまえば、事務所の信用はガタ落ちになること間違いない。だから、彼は自分を力づくで止めようとしているのだ。
「今ここで土下座して許しを請えば、命ぐらいは助けてやろう。だが、断ると言うならこの大道具倉庫は『枕営業に手を染めた女優が自殺した名所』として一時の話題にはなるかもしれんな」
つまり、生きても地獄。死んでも地獄ということだ。生き恥をさらすか、死んで後世にまで残る恥をさらすか。それは、つい先ほどまでうららが考えていたような物とほぼ同じもの。しかし、違いと言ったら、自死であるか、殺人であるかの違いだ。ただもしも殺されよう物なら死人に口なし。事務所は関係していなかったなんて言葉で濁されて真実は闇の中だ。
「けど、ここで私を殺しても先ほど……スタッフさん達にすべてを話してきました。その方たちが話すかもしれませんよ?」
「フン、そんなの金でなんとでもなる。どうやってここまでの人数を関係もない局に忍び込ますことができたかわかるか?世の中は金なんだよ」
「……」
なんともゲスな男だ。だが、もしかしたらそれが人間の本質でもあるのかもしれない。四葉ありすが金で動くことはないだろうから、おそらく大道具関連のスタッフに賄賂でも渡したのだろうか。たとえ、彼女であったとしても末端の末端にまで自分の考えを伝えることができなかったのだろう。だが、もうそんなことどうでもよかった。うららは、勇気をもらう様に手首にしているビーズのブレスレットに触れた。それは、夏木りんが十年も前にデザインし、そしてそれ以来ずっとうららが身に付けている物。辛いときや苦しいときも、そして胸が張り裂けそうなときも自分の心を守ってくれていた物。それを身に付けていると、勇気が出るような気がしたから。みんなが、すぐそばにいてくれるような気がしたから。だから、彼女はそれをずっと……。
「決めたんです……もう逃げないって。私は、死んで恥が語り継がれるくらいなら。生きて、恥を私が語り継ぎます!」
「フン、残念だがまあいい。お前の商品価値はすでに皆無に近いからな。……殺れ」
うららは、ポケットの中にある物を仕込んでいた。それは、自身をプリキュアへとするアイテム『キュアモ』である。彼女は、仕事場に行く際にもビーズのブレスレットと同じようにいつもカバンに仕舞っていた。それはブレスレットと同じように自分を勇気づけるために、それからもしもの時の護身用に。今こそそれを使うときが来た。しかし、彼女は何故かそれを使おうとはしなかった。自分で乗り越えなければならない壁だからだ。これは自分で蒔いた種なのだ。それなのに、プリキュアの力を使うなんて身勝手なことをしたくなかった。それに……。どうしてだろうか、彼を近くに感じる。もう、会うことなんてできないだろう彼の息遣いを感じる気がする。数多くの黒服がせまる足音を聞きながら、ふと彼女が決死の覚悟をしたその時、彼女の目を光が襲った。
「な、なんだ?」
男たちもそれに驚き、光源が何なのか彼らは後ろを見た。そこに止まっていたのは一台のフォークリフト。そこから発せられるライトでしかも、通常の物よりも何倍もの光を発しているようだった。そうこうしている間に、フォークリフトは急発進する。社長を含めた男たちは思わず避けてしまい、フォークリフトはそのまま加速して楯になるようにうららの目の前に急停止した。そして、運転席から一人の男が跳び下りてきた。その顔は逆光になってよく見えなかった。しかし、何となくそんな気がした。
「久しぶりだな、うらら」
少し声変わりして、聞き覚えのない声になっているがしかし、彼であることに間違いはなかった。どうしてここに彼がいるのだろうか。あんなメールを送って、もう別れたはずなのに、もう会うことはないと思っていたのに、もう自分に会う資格なんてないと思っていたのに、どうしてあなたはここにいる。果たして、自分は彼の事をなんて呼んでいたのだろうか。名前か、苗字か、それとも本当の名前か、まるで何十年と会っていなかったかのように忘れてしまった彼への呼び名。だが、うららは呼んだ、彼の名前を。
「シロー……」
「悪い、待つのにもう飽きたから……皆で迎えに来た」