瞬間、天井のライトが点灯し始める。こう言ったところのライトは、電源を入れても幾分かの時間は暗いままだと記憶しているが、この大道具倉庫ではそういうことはないらしい。ライトは電源が入れられてすぐに明るくなり、彼ら黒服の姿、そして目の前にいるシローの姿を映し出した。うららは、シローに対する第一印象をつぶやいた。
「背……伸びた?」
「まぁ、あれからかなりな」
「そうなんだ……」
うららは、色々なことを聞きたかった。どうして彼がこんなところにいるのか、この数年どう過ごしていたのか本当に事細かく、何時間も聞きたかった。だが、それよりももっと気になっていることが一つあった。それが……。
「でも、どうして……私別れようってメール……」
自分は、二年ほど前に別れのメールを彼に出していたはずだ。きっと、自分の事なんて忘れて過ごしてくれていると思っていた。もっと、自分なんかよりもいい恋人を見つけてくれてればと思っていた、それなのにどうして……。シローは、それに対して頭を掻きながら言う。
「関係ないってのそんなの」
「え?」
「うららがどう思ってたとしても、俺はまだお前から直接別れの言葉を聞いてない……なのに、メールなんて薄っぺらいもので俺たちの十年間が終わるのは悲しいじゃないか……だろ?」
「……」
目の前にいなければ分からないことだってある。それが当然だ。しかし、実際に目の前に来たら出したくても出せない思いもある。それも至極当然だ。だから、メールや、それに準ずるものによって簡単に終わらせようとしてしまう。しかし、はっきり言う。馬鹿である。そんな薄っぺらい物で気持ちなんて、思いなんて伝わるわけない。言葉には魂が宿っているという意味で、言霊という言葉がある。気持ちがこもっているからこそ伝わる物がある。それのない言葉なんて、文字なんて、ただの雑音だ、ただの線と線の組み合わせだ。何のために耳がある。何のために目がある。何のために心がある。何のために手がある。そして、何のために言葉がある。それは、目の前にいる人間の言葉に耳を貸すため。それは、誰かの思いを感じるため。それは、誰かの気持ちを受け取るため。それは、心を込めて字を書くため。そしてそれは、そこに一番大切な物が通っているため。だからヒトは、地球上の生き物の中で唯一言葉を話し、理解することのできる生き物。ただただメールで全てを済ますなど、言語道断だ。人として外れる行為だ。たとえ、メールが主流となった時代であっても、手紙という紙が古臭いものだと言われたとしても、他人と会うということが嫌な時代になったとしても、その気持ち、心、そしてヒトとして生きるのならば、ヒトとして生まれることができなかった者たちの分まで感じなければならない。それが、ヒトとして生まれる覚悟なのだから。
「おい、あいつって確か……」
「あぁ、この倉庫に入るときに賄賂を渡した男じゃ……」
黒服軍団、暴力団の面々は、その男に見覚えがあった。確か、自分たちがヨツバテレビに入り込む際の手はずを整えてくれた男である。賄賂のお金を渡した本人が言っているのだから、間違いない。シローは、そんな話をしている男たちに顔を向けて言う。
「あぁ、あの金なら寄付に回させてもらった」
「なに?」
「お金ってのは、誰かを不幸にするためじゃなくて、誰かを幸せにするための物だからな……だろ?ありす」
「えぇ、そう言うことです」
シローの言葉と同時に大道具が積み重なった山からうららの前に跳び下りたのは、四葉ありす、楽屋にいたらんことDBを除いたのぞみ、美希、きらら、真琴といった面々、そして……。
「え?」
「久しぶり、うらら」
夏木りん、秋元こまち、水無月かれん、美々野くるみ、そこにはキュアルージュ、キュアミント、キュアアクア、ミルキィローズとして自分と一緒に戦っていたプリキュア5の仲間がいた。
「みなさん、どうしてここに……」
「理由なんてないさ……人一人助けるのに、理由なんて必要ない」
「ましてや、それが友達ならなおさらな」
「ココ……ナッツ……」
それに、妖精のココとナッツ、それらが人間の姿になった小々田コージと夏の二人である。考えると、この二人がいなかったら自分はもっと前に芸能界からいなくなっていたことだろうと思う。
ココとナッツは、パルミエ王国という国の王子である。今から十年前、ナイトメアという組織に滅ぼされた故郷を復活させるため、この世界にやってきた。最初に出会ったのは夢原のぞみだった。それから、りん、うらら、こまち、かれん、それからココのお世話役見習いのくるみと仲間を増やし、ナイトメアを、そしてエターナルという組織も壊滅させ世界の平和を守った。現在は滅ぼされたパルミエ王国の復興も進み、二人は王国での公務の合間を縫ってこちらの世界でココは当時からしていた先生を、ナッツはこまちのアシスタントをしている。シローは、エターナルとの戦いの時に出会った妖精だ。因みに、パルミエ王国の妖精である彼ら、それとくるみの四人は妖精の姿と人間の姿をとることができるのだが、差し迫って言うような話ではない。十年前、うららと一緒に戦ったメンバー全員が今まさにここに勢ぞろいしていた。数で言えばもちろん敵の方が多いがしかし、それ以上に彼らは動揺していた。
「な、何故四葉財閥の令嬢やアイドルたちがここに……まさか、我々が来ることを予測していたというのか?」
「違います」
「なに?」
ありすは、社長と言われた男の言葉をすぐに遮って言う。
「予測していたのではありません。おびき出したのです」
「おびき出した……だと」
「そう言うことです。一応、他にもいろいろと用意していましたが、一番最善の一手に引っかかってくれました」
その言葉と同時に、こまちが前に出て言う。
「私たちが調査した結果、貴方の事務所と暴力団とのつながりが明らかになりました。そして、前社長の死にその暴力団が関わっているということも……」
「え?」
前社長、それはうららにも優しく接してくれていた事務所の前の社長の事。その人物は、交通事故で死んだということになっているが、四葉財閥の調査で、当時副社長だった現社長が、その地位を得るために暴力団依頼して殺したということが明らかとなった。証拠もちゃんと手に入れている。
「他、数々の違法営業の証拠を見つけ、後はあなたを逮捕するだけでした」
「けど、そこで問題が生まれた」
「問題?」
「このような犯罪は大体が撮影、録音をされていて、それを使っての脅迫がされる物。そのデータを見つけなければなりませんでした」
「あっ……」
その言葉に、うららは思い出した。確かに、時々カメラがあったりすることがあったなと。けど、その時は考える余裕なんてないから、頭から完全に外していたことだ。今冷静になって考えてみるとなんて恥ずかしいことだろうか。きっと、慣れすぎて羞恥心と言った物が無くなってしまっていたのだろう。りんは言う。
「そこで貴方の事務所に忍び込んでパソコンを調べさせてもらったわ……そしたら、うららだけじゃなくて……何人ものアイドルの映像も一緒にね。ただ、データがそれだけとも限らなかった」
「それに、消すにしてもあなたを逃がさないようにタイミングも計らなければならなかった」
「だからこそのこのタイミング……あんたにうららが告白するという情報を流し、事務所が空になっている間に貴方のパソコン、携帯、ついでにあなたの周りにいる暴力団員が持っている電子機器にもウィルスを送り込みデータをすべて消去して……そしてあなたたちを逮捕する……それが私たちの作戦でした」
「逮捕だと……貴様ら、一体何様のつもりだ……」
「なんだ、テレビを見てなかったんだ……知らないのなら教えてあげるわ」
「なに?」
その言葉と同時に、りんはタブレットを操作して一つの画面を映し出した。それはそれは、三脇乃に出したものと同じ四葉財閥の社章。そして彼女たちは言った。
「四葉財閥アクセサリーデザイナー部門日本支部ブレスレット兼ジュエリー担部門主任並びに、捜査部門前線行動隊長、夏木りん」
「四葉財閥パルミエ王国担当専門秘書官兼捜査部門前線行動副隊長、美々野くるみ」
「そして、四葉財閥小説部門所属並びに捜査部門統括総合指揮官兼調査部門後方隊長、秋元こまち」
勇ましく、彼女たちは言った。あまりにも長い名称と、大層な名前に隠れがちであるが、要は全員四葉財閥の手のものと言うことだ。うららは困惑した表情を浮かべながら言った。
「え……えっと……つまりどういうことですか?」
「要するにだ。りんたちは、日本で唯一企業が所有している警察に所属していて、逮捕権を持っているってことだ」
「えぇ……」
「因みに、俺は配達部門責任者」
「私は、四葉財閥の関連する病院で研修中の身だから、そんな大げさな肩書は持ってないわ」
と、シローとかれんは言った。因みに、かれんは彼女も言った通り、現在研修医として病院に勤めているのだが、現在昼休憩という建前で抜け出してここにいる。そんなこんなで、突如流れ込んできた自分の仲間の情報に対し、うららは言っていいのか分からないが、取りあえず思ったことを言った。
「どっちにしても身内人事甚だしいですね」
「四葉財閥は、例え身内だったとしても才能があればだれでも雇います」
「それに、せっかく手に入れた人脈なんだし、使わないと損でしょ」
よく、人脈を盾にしたコネでのし上がってきた人間を非難する人間を目撃するが、それは間違いだ。何故なら、コネや人脈は、その人が歩んできた人生で手に入れた大切な武器なのだから。それを使って何が悪いか。何が理不尽であるのか。むしろ、武器を批判されることこそが理不尽ではないだろうか。
「フンッ何が逮捕だ……」
と、怒りのこもった拳をつくった社長は言う。
「私の会社に忍び込むことも、ウィルスを送り込むこともすべて違法、そうだろう?四葉ありす、いや……キュアロゼッタ」
「……」
「犯罪に手を染めてまで、人間として落ちぶれた小娘一人を助けようとする……それが、お前たちプリキュアの正義か?」
ほとんど屁理屈であるその言葉、落ちぶれた小娘と評されたうららは、少し前だったらありすに対する自責の念にそれこそ、この世の終わりかのように落ち込んでいただろう。しかし、今のうららであるならば大丈夫だった。何故なら、彼女はそれに簡単に反論してくれるのだから、そして問いの解を求められた少女は言う。まるで、それが当たり前の答えであるかのように。
「誰かの人生を救うためだったら、私はどれだけ汚れた泥でもかぶって見せます。……それが、財のある者、人の上に立つ者、そして一人のプリキュアとしての私の正義です!」
「ッ……!」
「そこに、何の迷いもありません!」
その瞬間、彼女の後ろから生暖かい突風が吹き荒れたように思えた。彼女の言う通り、もうそこには迷いなんてない。彼女たちは戦う、自分でない誰かの、しかし友である者のために、見ず知らずの者たちのために、彼女はその拳を振るうことにためらいはない。麗にとって、その背中はある人の次に大きく見えた。
「うらら」
「え?」
そのある人、のぞみは手をうららに差し出す。そして言った。
「……行こっ!」
「はい……YESッ!」
一度目は小さく、そして二度目は大きく、あの時のように返事をした。それに何の意味があったのか、うららにすらわからないかった。ならば、他の人間に分かるはずもない。ただ、やっぱり嬉しかった。また、友達と一緒にいられることが、またみんなと共に戦うことができる事が。単純明快に、心が躍った。ありすは暴力団員に向けて行った。
「すでにこの周辺は私たちが手配した警察が包囲、あなたたちの仲間もすでに逮捕されています。もう逃げ場はありません……それでもうららさん、そしてマナちゃんの命を狙うというのなら、私たちが容赦しません!!」
彼らにとって、この言葉だけで十分だった。状況から考えると人数差でどうとにでもできるはずだ。しかし、その場に百人単位でいる男たちは一歩たりとも動くことはできなかった。まるで、目の前に巨大で頑丈な壁でもあるかのように前に進むことができない。足を動かそうにも重い足枷がはまっているかのように動かせない。まるで宇宙に放り出されてしまったかのようにフワフワと浮かぶような感覚、そして息苦しさ。下半身が生暖かくなる感覚。汗が止まらない。鳥肌が収まらない。少女たちの姿が遠くに見える。これが、強者。これが、四葉ありす。そして、これが恐怖。数多のならずもの、荒くれ者を暴力で支配していた彼らはしかし、たった一人の少女に屈したのだった。
十数分後事務所の社長や、マネージャーを含めた男たちは御用となり、護送車という名前の観光バスによって警察への拘留ツアーとなった。特に数名については、事務所の前社長殺害の容疑、そして相田マナ殺害未遂の容疑も乗せられるそうだ。
「まさか、あの社長が雇った暴力団と、マナを殺そうとしていた暴力団が一緒だったなんてね」
「はい、私も調べていて驚きました」
「っていうことは、その時点であの人たちの運命は決まっていたってことね」
調べていった結果、相田マナを今日襲った犯人もまた同じ暴力団であった。それが、全員逮捕され、クライアントも今頃逮捕されているころ。とりあえずの所今回の相田マナの危機は当面の所回避されたとみていいだろう。それにしても、どれだけ運の悪い暴力団なのであろうか、ありすの一番の親友と、プリキュア友達を同時に襲おうとしていたとは。きららの言う通り、その時点で彼らの運命は決まっていたと言っても過言ではない。
「……」
「……」
それはさておき、うららは現在シローと一緒にテレビ局の屋上にあるベンチに座って数分、一言たりとも話していなかった。先ほどまでは、様々な状況が重なって容易く声をかけていたものの、こうやって面と向かい合ったら恥ずかしいものである。因みに、のぞみやりんと言ったプリキュア5の面々は物陰で二人の様子を観察していた。とりあえず、沈黙が続くことに我慢できなくなったのか、うららが言う。
「あ、あの……シロー……」
「……聞いてもいいか?」
「え?」
「本当に、俺と別れたいと思ってるのか?」
「……」
「……」
「……ううん、別れたくない。私は、シローと一緒にいたい」
「そっか……」
「でも、いいの私なんかで?」
「……」
「私、汚されちゃって……昔みたいな純粋な乙女ってわけにはいかない。それでも……本当に……ッ!」
シローは、うららの肩を抱いて、ゆっくりと引き寄せてどこか遠くを見ながら言った。
「でも、うららはうららだろ……それで十分だ」
「シロー……うん」
そして、二人は幸せなキスをして……。
「うらら!!」
「ッ!」
というわけにはいかなかった。二人の後ろから声をかけたのは、先ほどから姿を見せなかった一条らんこである。らんこは、二人の間を離すように手を入れて言った。
「たくっ、こんな場面撮られでもしたら週刊誌の恰好の餌食よ」
「す、すみません……」
確かに、というかそもそもそうなることを恐れてうららは彼と会うことを避けていたのだった。ちょっとそういうムードになっていたので完全に失念していた。そして、らんこはうららの手を取って強引に立ち上がらせると言った。
「ほら、行くわようらら」
「え?行くってどこへですか?」
自分が暴露する場としていたプリキュアウィークリィーはすでに終了してしまっている。
「決まってんじゃないあなたの仕事場によ」
「え?」
歩幅を合わせてらんこに強制的に連れてこられたのはあの、番組の収録をするはずだったスタジオの裏側だった。
「ここは……」
「うららちゃん」
「え?」
その声と共に現れたのは、プリキュアウィークリー司会者の増子美代だ。どうしてこんなところにいるのだろう。
「美代さん、どうして……」
「今日のプリキュアウィークリーは、緊急拡大版なのよ。だから、まだ放送は続いているわ」
「え?」
うららは、思わずらんこの方を振り向いた。つもりだったが、らんこはすでにスタジオの外に出ており、こちらに向けて笑いかけているありすの隣にいる。
「うららちゃん、今日は話したいことがあるんだって聞いたわ」
「あ……」
その時彼女は気がついた。ありすは、自分に贖罪の場所を与えてくれたのだ。うららは、一度礼を入れるとスタジオの中へと入って行く。中は暗く、スポットライトが当たる場所以外はよく見えない。しかし、蓄光テープのおかげでどこを歩けばいいのかよくわかる。うららはそれに導かれるように歩き、階段を昇り、そしてその場所にたどり着いた。スポットライトの当たる先、そこに彼女は立った。
ここに来るといつも緊張するが、今日のそれはいつもと違う。いつもは汗が体中に張り巡らされ筋肉をこわばらせているという感覚だが、今日のそれは心臓に汗がべったりと張り付いている感覚だ。改めて考えてみると、自分のした行動の贖罪には、お昼の生放送にするには少し過激なものがある。この時刻、すでに帰宅している子供たちがいるはずだ。少し、言葉を選んでしかし、大事なこと三つを守らなければならない。自分に情けを駆けない事。同情を誘わない事。そして、一番大事なのが、お涙頂戴の美談にしないこと。だから、彼女はありのまま話した。その時の自分がどう思っていたのか、どうして今になって公表しようと思ったのか、そして……。
「……以上が、私が犯してきた過ちです。今、このテレビを視聴している皆さんを欺き続けてきたことを、深くお詫びします。……今後は、今私の所に来ている舞台や、女優としての、そして歌の仕事もすべてキャンセルし、CMも全て降板します。そして……」
うららは、深く息を吸って覚悟を決めて言う。
「私は、女優……いえ、人間春日野うららとして再スタートします。数々のご批判はあるかもしれませんが、それでもなお……子供の頃からの夢を……今度こそ本当に叶えるために私は、努力をいたします。……以上で、私の告白は終わります。皆さんの貴重な時間を使っていただき、本当にありがとうございました」
うららは深々と頭を下げる。潔く、しかしそれは、とても格好良く見えたのは間違いない。そして、スポットライトが消え、スタッフが放送終了を告げる。終わった、全てが。自分は、これからゼロからスタートしていくのだ。事務所もなくした、ファンからの信頼もなくした、仕事もすべてなくした。すべてなくしたというのに、彼女の目には涙もなかった。いや、取り戻した者もあった。それは、仲間、友達、そして恋人。彼、彼女たちがいればうららはそれだけで十分だった。それだけの物があれば、彼女は笑って這い上がることができた。そして、うららは階段を降りようとする。もしかしたら、二度と上がることができないかもしれないその階段を……。
その時、スタジオ内の全てのライトが点けられた。そして、スタッフの一人、チーフディレクターであろう人物が言った。
「これより、特番の歌の収録に入ります。春日野うららさん、リハなしで悪いですけれど、お願いします」
「……え?」
うららは、耳を疑った。即座に抗議、とまでは行かないがチーフディレクターの男に言う。
「待ってください!えっと……どういうことですか?」
「どういういことも何も……実はね、さっきうららちゃんがこのスタジオで告白してくれた後、若い連中がこぞってうららちゃんのための舞台を作ってあげたいってことでね」
「え……」
「うららちゃんは、そんな好意いらないっていうかもしれませんがね、まぁ……あいつらの努力を無駄にしないでください」
「チーフディレクターさん……」
うららは、周囲を見渡す。そこには増子だけじゃない、友達だけじゃない、スタッフが全員自分に向けて笑顔を向けてくれている。優しく、そして晴れやかな笑顔。声でもない、音でもない、正真正銘無言のエール。その時、何故かうららの目から涙がこぼれ落ちた。いや、何故かじゃない。嬉しいから泣いているのだ。どうしてそれを何故と言ってしまったか。嬉しいのに、泣くのはおかしいのではない。嬉しいから、本当に嬉しいから、心の底から感謝しているから泣くのは当然なのだ。うららの返事は決まっていた。
「あ……ありがとうございますッ!」
礼。ただ、それだけでも十分であった。先ほど、楽屋でうららはらんこにこう言った。
『誰かに与えられるものでなく、自分でチャンスを掴みたい』
と。一見したら、これはスタッフから与えられたものに見えるかもしれない。しかし、それは違う。うららは間違っている。今までうららが与えられてきたと思ってきた物は、ただ流されるままにすべてを受け入れていただけの物。けど、今のうららのソレは、自分が一生懸命になったからこそつかめた、正真正銘うららが勝ち取ったスタッフからの信頼が産んだ、うららが自分の手で掴んだチャンスなのだ。九十九%の人間に嫌われても構わない。後ろ指をさされても構わない。しかし、たった一%でも信頼を勝ち取ったのならば、勝ち取れたのならば、与えられて当然の物だ。だから、彼女のスタートはゼロからではない。一からなのだ。
「なるほど、だからあのチーフディレクターをこの番組に起用したのね」
「はい、あの人は誰よりも情と男気に溢れている方ですから」
真琴とありすはスタジオの外でその様子を見ながらそう会話していた。この番組のチーフディレクターは、ヨツバテレビ開局時からいる古参の者で、ありすが一番信頼の置く人物だった。しかし、今回のありすのおぜん立てはただそれだけ。スタッフがうららのための舞台を作り上げたいというのは彼らの意思だ。コネも、裏工作もない綺麗なものなのだ。
「あ~あ残念。あの様子じゃ、バラエティ班にあの子を持ってくるのは無理そうね」
「らんこさん」
「あの子と一緒ならいい番組ができると思ったのに……まっいっか、あんな楽しそうなうららの顔を久しぶりに見れただけでも、儲けものよね」
「……そうね」
らんこは、残念そうにそう言ったがしかし、やはり嬉しいものだとも思った。これでようやく自分の夢を、トップアイドルになる夢を捨てた意味があったという物。そして、らんこは寂しそうにつぶやいた。
「私の分まで、アイドル頑張りなさいよ……うらら」
もしかしたら、夢をあきらめたことに未練があったのかもしれない。夢をあきらめた自分が嫌だったのかもしれない。しかし、自分の夢はうららに託した。託すことができた。ただ、それだけで十分らんこは幸せだった。
一度捨てた夢は戻ってこないか。いや、そんなことはない。誰かが考え直すように言うだろう。諦めるのかと鼓舞してくれる。そして、また夢を追いたくなるのが、人間だ。そのために人間には必要なのだ。
「らんこさん、一つお願いがあるのですが」
「え?」
捨てた夢を拾ってくれる友達が。彼女たちの物語は、いったんここで途切れる。しかし、それでもなお続いていく。その時まで、しばらく休ませよう。傷つき、もがいてきた彼女たちの心を。
本当は、ちょっと前のように戦闘シーンを書いて大暴れさせたかったが、ありすが一般人相手に闘う姿がイメージできなかったため没になりました。というか、本当にありす過労死するぞ。あっちでもこっちでもそっちでもここに関係ないところでも奔走する彼女を書いていると、なんだか申し訳がない。特にこの世界に関しては、ストレスが恐ろしくて胎教に悪いです。
次回、久々に士達が登場(予定)。……あの子の苗字どないしよう。