仮面ライダーディケイド エクストラ   作:牢吏川波実

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プリキュアの世界chapter39 三徴候

死にたい。

 

 

 

 

 

そう思って一体何年過ぎたことだろうか。

 

 

 

 

 

 ごくごく平凡な高校に入って、ごくごく平凡な大学に入って、そしてごくごく平凡なブラック会社に入社して、確か今年で三年目だった気がする。

 

 

 

 

 

 そりゃ、楽な仕事なんてないだろうとは思っていた。けど、ここまで劣悪な環境に放り込まれて、揺るがないほど自分の心は強くなかった。

 

 

 

 

 

 というか、自分の仕事は何だったか。書類の整理ばかりしていた気がする。お茶くみをしていた気がする。受付嬢だったかもしれない。でも、もうそんなのどうだっていい。

 

 

 

 

 

 通勤中の満員電車の中で何度痴漢されたっけ。会社で何人からセクハラを受けたことか、パワハラを受けたことか、キャバクラまがいの接待をしたことかもう思い出すことなんてできない。

 

 

 

 

 

 女は男の家畜に過ぎないのか。女性に人権はないのだろうか。好き勝手に遊び道具にされて、人生や思いや心を簡単に踏みにじって自分の想い道理にすることができると勘違いしている男が多すぎる。女性は、欲望に負けるほど弱くないのに。性以外でも慰めてくれる方法なんていくらでもあるというのに。男は性欲で満たせばいいと短絡的に考える。だから、たくさんの悲劇が生まれて、女性の心を殺していく。女性は、弱くはない。

 

 

 

 

 

 そんなこと、社畜となった自分が言ってはいけないことであるというのに。

 

 

 

 

 

 だが、そんな彼女にも希望はあった。それが昔からの友達のほのかの存在である。男は性でしか女性を慰めることができない。しかし、同じ女性だったらそれ以外の方法を知っている。辛いとき、悲しいとき、いつもなぎさはほのかと居酒屋に行って愚痴を聞いてもらって、そしたらまた次の日から元気になって会社に行くことができた。彼女にとって、ほのかは何よりも効果がある精神安定剤となっていたのだ。

 

 

 

 

 

 けど、それでいいのかとなぎさは思った。

 

 

 

 

 

 ほのかにはほのかの人生があるのだ。自分の愚痴ばかりを聞いている時間なんて勿体無さすぎる。なぎさは、ほのかは本気になれば人間に大いに役に立つ発明をすることができる、ノーベル賞すらも取れるほどの人間なのだと思っている。これは、親友のよしみなどというソレとは全く違う信頼だった。けど、自分の事にかまっている間に、彼女の研究が遅れてしまったらどうするのか。ノーベル賞というのは、発明されてから最低でも数年、下手をすれば数十年待たなければ取れない物なのだと聞く。このままでは彼女がノーベル賞をとる頃にはおばあちゃんとなってしまっているだろう。彼女には若いうちに栄光を掴んでもらいたいとなぎさは考えている。そのために親友の邪魔なんて、したくない。だから、私は消えなければならない。彼女との縁を切らなければならない。だからあの日……。

 

 

 

 

 

 あれから一週間。そう、たった一週間だ。自分は何と弱い人間なのだろうか。たった一週間足らずで自分は、彼女の事を欲している。前まではそれ以上の期間彼女と会う機会のないことなんてざらにあったというのに、縁を切ったその後だと、それがいくら短くともまるで依存症の患者のように自分はほのかの影を追ってしまっている。メップルには仲直りするべきであると言われた。自分もそう思っている。でも、そんな恥知らずの事できるわけがない。彼女は優しいから、きっと自分の事を許してくれるだろう。だが、たとえ彼女が自分を許そうとも、それを決断してしまった自分を許すことができない。もう、後戻りなんてできるわけがないのだ。

 

 

 

 

 

 彼女の心は、まさにダイアモンドのそれであった。表面は傷つかないのかもしれないが、しかし実際にはあまりにも脆く、壊れやすい。こうして一人会社を無断欠勤してベッドのそばでかつての若かりし頃の写真をずっと眺めているなぎさの姿はどこか物悲しく、みじめなものであった。その写真は、ほのかが大学の金庫に入れていた写真と同一の物。今の自分の様子を、この時の自分が見たらどう思うだろうか。叱責を受けるだろうか。絶望してくれるだろうか。それとも……。

 

『世界を壊してみませんか、私と一緒に』

 

 あなたは、誰?

 

 

 

 

 

 その時、心地のいい闇が彼女の心を蹂躙した。

 

 

 

 

 

 ぽっかりと開いた心の隙間がどんどんと埋められていく。拒絶しなければいけない。でも、それを振りほどくほどの抵抗感など、彼女に残っていなかった。その内、最初はむずがゆく感じ、自分を支配しようとしていたであろうソレを、なんだか気持ちよく感じるようになってきた。頭痛が、吐き気が、胃痛が、めまいが、絶望が、どんどんと失われていく。それはまるで、あの頃の全盛期だった自分に生まれ直したかのように。でも、未来は帰ってこなかった。誰かの声が聞こえる。でも、知らない声だ。記憶にない。自分の通っている会社の名前、記憶にない。通勤のために使っている電車の駅、記憶にない。父の名前、母の名前、記憶にない。ほのかの名前……ほのかって誰?

 

 

 

 

 そんなのどうでもいいや。知らなくて当然なのだし。だって……。

 

 

 

 

 

 自分は、今この瞬間にこの世に生まれた。何も知らない。何物にも縛られない。人間として生きて、人間として死ぬために生まれた、『美墨なぎさ』というヒトなのだから。

 

 

 

 

 

 それに、なにを疑問を持つようなことがあるだろうか。

 

 

 

 

 

ー城南大学 02:57 p.m.ー

 

 自分は階段を上がっている。だが、どうして自分はここにいるのだろうか。先ほどまでの行動が思い出せない。誰かと遊んでいたようにも思える。誰かの叫び声を聞いた気がする。そう、確かあれは知っている声だった。でも、知らない声だった。下に戻らないと。どうしてそう思ったのだろうか。心の底で誰かが叫んでいるのだろうか。殺せ。ころせ。コロセ。誰を、なんで自分がそんなことをしなければならないのだろうか。その内、彼女は知らない名前を見つけて、とある部屋へと入って行った。

 そこにあったのは、一人のメスの姿。私と同じだ。ただ、傷だらけであることを除けばの話。口から血があふれ出しているのも分かる。女は、手に持った小瓶の中身を部屋中に撒く。その瞬間、水の中にあった物質から煙と、それから炎が上がった。その炎に向けて紙を女はばらまく。ばらまかれた紙は瞬時に燃え、そして一瞬の内に灰へと変わっていく。女はそれを見ると窓を開けて、何かを放り投げ、そしてまた窓を閉める。そして、女は自分の目を虚ろな目で見ながら言った。

 

『こ…………ふ…………きり……』

 

 何を言っているのかさっぱりわからない。知らない言葉だ。だが、知っていた声のように聞こえる。女は、咳き込み、血を吐きながらその場にぐったりとした様子で座り込んで言った。

 

『あな…………も……に……もどら……な……』

 

 胸が熱い。目の奥が痛い。まるで強固な扉を内側から無理やりこじ開けようとしているかのような感覚だ。一体なんだというのだろうか、この自分の心をあざけ笑っているような感覚は。喉の奥も痛くなってきた。苦しい。苦しくて逃げたくなる。でも、逃げたくなかった。

 

『一緒に……大丈夫、怖く……ない……』

 

 その声、先ほどよりもはっきりと聞こえた。怖くない。怖いとは何なのだろう。そんなもの自分は知らない。知らないはずだ。でも何なのだ。この感情は。感情。そう、これは感情だ。この苦しい感覚は、紛れもなく感情なのだ。どうして、忘れていたのか。どうして思い出そうとしなかったのか。そして、忘れていたのならどうして取り戻そうとしなかったのか。だが、そんな疑問を呈する前に、目の前にいる女性はゆっくりと倒れ伏していく。そして、その眼を閉じる寸前に言った。

 

「なぎさ……」

 

 なぎさ。自分の名前。何故見ず知らずの女が自分の名前を知っている。いや、違う。自分は知っている。彼女の名前、彼女の心、彼女の思い。知っている。なら、助けなければならない。何故そう思ったのかは分からない。だが、それがさも当然かのように、なぎさはほのかを、そう彼女の名前はほのか、雪城ほのかだ。彼女をお姫様抱っこで持ち上げると勝手に足は動き、窓を突き破って二人は悪臭のするその部屋から脱出した。

 空中に放り出され、無防備となったなぎさ。ほのかは、精いっぱいの力を使って、彼女の顔に自分の顔を近づかせて、唇を重ねた。それは、おとぎ話のようなロマンチックなものではない。恋愛という情緒を求めての者ではない。ただ、必要だからという事務的なキス。奇しくも、二人ともそれが初めてのキスだった。ほのかは、唇が接した瞬間彼女の口内に唾液を、そして彼女の意図していなかった物を送り込んだ。

 

『な、なんですこれは!?』

 

 なぎさの中にいるジョーカーは叫んだ。

 

『あ、熱い!?身体が、と、溶けてしまいそうに!?い、一体何が起こっているというのです!?』

 

 先ほどまで、少しばかり掌握できないところがあった物の、それなりに支配していたと思っていた。だが、なぎさは突然自分の考えていなかった行動を取ってほのかの研究室に向かって歩き、ほのかを抱きかかえ、そして外に飛び出した。一体、何が起こったというのだろう、ジョーカーには全く分からない。魂が溶かされている感覚。大雨によって流される泥のように、デトックスによって排出される毒のように。ジョーカーは、なぎさの中にいることができなくなったのだ。

 

『グッ!?し、仕方ありませんねッ!』

 

 瞬間、なぎさの身体から黒い物体が抜け落ちて行った。ジョーカーがなぎさの中から出て行ったのである。そして、その身体のコントロールと数々の記憶、感情がなぎさの元へと帰ってきた。しかし、突然コントロールが戻ったことによって、身体バランスがおかしくなった空中にあるなぎさの身体は体勢を崩し、二人は投げ出されるようにサッカーグラウンドへと墜落し、身体が転がっていく。

 

「痛たたたた……あれ?」

 

 ゆっくりと起き上がったのはなぎさの方である。しかし、少し混乱しているようだ。先ほどまで家にいたはずなのに、起きてみたらどこか見知らぬ芝生の上にいるのだから当たり前だ。一体、ここはどこなのだろうか。まさかストレスに負けて夢遊病なんてものを起こしてしまったというのだろうか。何が何だか分からない彼女に、彼が声をかけてきた。

 

「なぎさ!」

「え?メップル?」

 

 自分のパートナーのメップルだ。後ろから聞こえた。振り向いたなぎさが見た物、それはメップルの姿、ほのかのパートナーのミップルの姿、そして……。

 

「ほのか?」

 

 倒れ伏しているほのかの姿がそこにはあった。その身体は衣服、肌どちらも構わずにボロボロであった。一体、彼女に何があったのだろうか。なぎさは、すぐにほのかの側に駆け寄ると彼女の名前を呼んだ。

 

「ほのか!……ねぇ、ほのか!」

 

 だが、反応はなかった。うつぶせになっているほのかをひっくり返したなぎさは、その姿に愕然として、息が詰まる。

 

「!?」

 

 口からはまるで火山が噴火し、マグマがあふれ出しているかのような出血。うっすらと開いている目は虚ろを通り越して、まるで光を集めていないかのようだ。それに、腕や足が変な方向へと曲がっており、よく見ると破れた衣服の下の皮膚は内出血により色が変わっている。なぎさは一瞬、本当にほのかが生きているのだろうかというもっともでしかし、考えてはいけないようなことを思い浮かべてしまう。親友の哀れなその姿を見たなぎさは、本来なら救命処置等をしなければならなかったが、背筋が凍って動く事ができなかった。つかさず、士達がその場へと急行した。

 

「なぎささん!!」

「み、みんな……ほのかが……」

「!そんな……」

「私が見るわ!」

 

 無残なほのかの姿に、なぎさと同じように動けなくなってしまった女性たち。その中でも即座に動いたのはやはり医者志望であるキュアダイアモンドだった。ダイアモンドはほのかの手首を掴んで脈拍を測るのと同時に、口元に顔を近づかせて呼吸を確認する。そして、数秒してから、彼女はこの世の物ではない物を見たかのように目を見開くと、すぐに心臓マッサージを開始した。

 

「ダイアモンド?」

「誰か、救急車……いえ、タンカを持ってきて!!」

「ッ、それって!」

「心停止!!呼吸もない!早く蘇生させるか、病院に連れて行かないと!!」

「え?」

「わ、分かったわ!!」

 

 ダイアモンドが脈拍を測った際、あるはずの鼓動は無くなっており、呼吸も一切なかった。心停止、並びに呼吸停止状態。直ちに救命処置を行わなければ命の危険がある。時間がかかってしまえば、例え助かったとしても後遺症を残してしまうかもしれない。ともかく迅速な行動を取らなければならないとダイアモンドは思ったのだ。その言葉を受け、エースが大学の中へと入って行く。ダイアモンドの言っていたタンカというのは、図書室まで運んでふしぎ図書館を使用して病院に連れて行くということを考えての事だったが、あまりにも焦っていたのだろうと思う。周りには自身も含めて、女性一人の身体など余裕で持ち上げられるプリキュアがいるのだから、本当は彼女たちの内の誰かに運んでもらえればよかったのだ。その横でなぎさは、ただ座り込むだけである。心停止?呼吸がない?一体、何がどうなっているのだ。どうして、ほのかがそんなことになっているのだ。分からない。分かるはずもない。一体、自分の記憶がない間になにがあったというのだろう。理解できない。

 

「ほのか!」

「ほのかさんしっかりして!!」

「ほのか!死んじゃダメミポ!!」

 

 死ぬ?ほのかが、死ぬ?そんなの、考えられるわけがない。だって、彼女は、彼女は親友なのだ。親友が目の前で訳も分からずに死ぬなんて、そんなの嫌に決まっている。なぎさは、めいいっぱいの大声でほのかに叫んだ。

 

「ほのか!!ねぇほのかったら!!目を、目を開けて……ねぇったら……ほのか!!」

 

 そんなものが何の意味もないかもしれないということ、それはなぎさも知っていた。だが、意識を失った人間が親族や、近しい者の声掛けによって意識を取り戻したという事例は多々ある。だから、彼女に今できうる最善の手、それが声掛けだった。

 

「どういうことだ……なんでほのかが……」

 

 士はほのかのその様子に愕然とするしかなかった。何故、ほのかが死の淵をさまよっているのだ。それにどうしてなぎさが正気に戻っているのだ。ほのかは一体どんなウルトラCを繰り出したというのだ。そして、一体、自分たちが見ていない時、あの研究室で何があったというのだ。なんにしてもほのかが死にかけているという事実、これが一番不可解だ。たしか、彼女たちの体内にはPC細胞があったはずだ。それによって身体が強化されていると彼女は言っていた。それならばなんだあの内出血は、あの骨折は、それにあのあふれ出ている血はなんだ。何が何だか分からない彼に、ムーンライトが痛ましい表情をして言った。

 

「……いくらPC細胞があったと言っても、防げなかったのね……」

「なに?」

「あなたたちが救援に来るまで、彼女はなぎさとずっと戦っていた。その時のダメージは、確実に内臓を、骨を破壊していた……そうとしか考えられないわ」

 

 なぎさの攻撃力はプリキュアトップレベル。そんな攻撃を幾度も喰らっていたのだから、いくら強化されていたとしても致命的だったことだろう。硬い岩盤も、何度も何度も同じ場所をハンマーでたたいていればいずれヒビが入ってしまう、それと同じだ。むしろ、なぎさの攻撃を生身で受けて痛がるような表情を見せなかったほのかが異常であるともいえるが、先ほどまでは興奮によるアドレナリン放出状態だったために彼女自身が気がつかなかったとしたらおかしくない。なるほど、彼女が深手を負っている理由は分かった。だが、まだ分からないことがある。

 

「じゃぁ聞くが、なんでキュアブラックが正気に戻っている。さっきまでは……」

「賭けに勝って、そして負けたのよ……ほのかは」

「なに?」

 

 ムーンライトは、ほのかから受けた説明、そして作戦の内容について語る。そもそも、ジョーカーは完全になぎさを支配していたわけではないということが前提にあった。そう考えに至った理由として、ジョーカーがなぎさの口から言葉を発していなかったこともあるが、もう一つ。ほのかが士達の目の前でなぎさを攻撃した時の事。なぎさは、殴ろうとした時、一瞬だけほのかを殴ることを戸惑ったのだ。あれが、なぎさの心に残っていた事故効力感だったとするならば、まだ完全支配されていないとするならば、ジョーカーを引き離すことが可能なのではないか、そうほのかは考えたのだ。では、何故ジョーカーはなぎさの身体を完全に飲み込むことができなかったか。そう考えた時、ほのかは一つの考えに至った。それが……。

 

「PC細胞か」

「えぇ、そうよ」

 

 ムーンライトが、士の答えに頷いた。そう、プラスの力、光の力の一つであるPC細胞が、ジョーカーのマイナスの力、闇の力を抑え込んでいるとすれば、完全に飲み込めないのは分かる。だが、その時ほのかに新たに疑問が生まれた。なぎさは、自身と同じくプリキュア歴十一年目の大ベテラン。その分、他のプリキュアよりもPC細胞は多くなっており、なぎさほどの人間であったら拒絶することは容易いはずなのだ。だが、拒絶できなかった。その理由を考えていた時、ほのかはある物を思い出した。それが、桃園ラブの一件。彼女は、一年前アキレス腱断裂の大けがを負っていた。普通にPC細胞が働いていたのならば、数週間から一か月足らずで完全回復し、傷も残っていないということが普通のはず。しかし、実際には三か月という、一般人と同等の月日をかけてしまった。何故、回復が遅くなってしまったのだろうと疑問に思っていたのだが、土壇場になってほのかはようやくその答えを見つけ出した。あの頃、ラブは大会が終わったらダンスチームが解散するという噂を聞いて精神的に不安定になっていた。もしも、PC細胞の効果が精神的なものに左右されるとするならば、仕事によるストレスで疲れ果てていたなぎさの体内のPC細胞が効果を発揮しなかったのも合点がいく。ならば、ある方法を使えば彼女の体内のPC細胞を活性化できるのではないか、そう考えたのだ。

 

「ある方法?」

「……キスよ」

「は?」

「正確には、キスによる唾液交換……」

 

 実験結果の項目の一つに、分泌液にもPC細胞が混じっているという文言があったことを覚えているだろうか。ただ唾液を体内に送り込むだけで活性化するなど本当にあるのか、そう思うのだが実はほのかは一つある考えを持っていたのだ。実験結果には書いていなかったが、PC細胞について、ほのかは一つ気になることがあった。それが、花咲つぼみの祖母、花咲薫子の事だ。彼女ははるか昔、キュアフラワーとして闘っていた。そのため、当然彼女の体内にPC細胞は確かにあった。だが、それは自分たちの世代のそれよりもはるかに効果の薄い物。老化による変化も疑ったが、彼女の子供がつぼみの父親であるということが、実験結果の一つと矛盾することから、ほのかは突拍子もないある仮説を考えた。それが、PC細胞は仲間と接していることによって活性化するのであるという物だ。実は、花咲薫子は現役当時たった一人で砂漠の使途と戦っていたのだ。そして、ムーンライトと違って仲間が増えるということはなくそのまま終戦となった。もしも、仲間がいることによってPC細胞が活性化するというのなら、別々の人間同士でPC細胞の交換を行うことで活性化するかもしれないというのなら、なぎさを元に戻すことができるかもしれない。これは、かもしれないというものが重なり合った推測、憶測を通り越した暴論である。そのため、これは大博打なのであったが、もはや方法はこれしか残されていないだろうと考えていた。だが、そのためにはどうしても避けては通ることのできない問題も混じっていた。どうやってその交換を行うというのだろうか。一番簡単なのは唾液の交換だが、しかし彼女に近づくことができてもキスをする前に反撃を受けてしまうのは間違いなかった。

 

「だから彼女は……なぎさの本能にかけた。自分の身を危険にさらすことによって、彼女が自分を助けに来る、その瞬間を狙おうと……」

「そんな馬鹿な……操られている彼女が自分を助けようとするなんて確率、微塵もないはず……」

「信じたのよ。彼女は、親友を……」

 

 海東のさも当然の疑問を、ムーンライトは簡単に否定した。士は、言う。

 

「待て、危険って何のことだ?」

 

 危険にもたくさんの種類がある。だが、操られているなぎさがほのかを助けなければならないと考えるほどの危険、それは一体。ムーンライトは、必死で心臓マッサージを行っているダイアモンドの姿を見ながらつぶやいた。

 

「無駄……なのかもしれない」

「何?」

「多分、ほのかは有毒なガスを吸ったはずよ」

「有毒なガスだと?」

「えぇ、もしものことがあった時のために、彼女は金庫にPC細胞のデータの書かれた紙と一緒に、有毒なガスと炎を発する薬品を置いていたのよ……」

「何だと……」

 

 それは機密保持のため。もしも、自分を脅してPC細胞のデータを奪取しようとするものが現れたら、金庫を開ける際にその薬品をばらまいて、唯一のPC細胞の存在する証拠であるその研究データを燃やすのと同時に、罪深き自分自身を殺すため。余談だが、爆弾や火事を起こすトラップを仕掛けるということも考えたが、どちらも直接的に学校に迷惑をかけることになりかねない。そのため、比較的にすぐに消火することのできる物であり、換気などで対処の可能なものを選択した。これは全て、PC細胞の秘密を知っている物を自分だけだと認識させて、ほかのプリキュアを守るため。そのためには自分も生きていればいけないと考えていた。例え、どんな拷問を受けたとしてもしゃべらない自信はあったが、あいにくまじめな拷問という物を受けたことがないので、その時になったらしゃべってしまうかもしれない。だから、自分も殺さなければ皆を守ることができない、そう考えて彼女は薬品を用意していたのだとか。

 

「……」

 

 以上が、ほのかが考えた作戦の概要。どう考えても死亡率が高い。だから、ムーンライトは言ったのだ。『死なないで』と。

 ダイアモンドも感じていた。助けることができないかもしれないと。これが、もしも普通の心停止だったら、AEDを使用するなどできるが、あれは心室細動や無脈性心室脈拍と言った病気によって心停止した時の場合だ。だが、ほのかの場合はおそらく外的要因。もしかすると、肺や心臓に骨が刺さっているのかもしれない。そうなれば、この心臓マッサージは逆効果、より骨が奥深くまで刺さることとなってしまうのかもしれない。だが、それでも、彼女の死を確認するその時まで、ダイアモンドはそれを止めることはできなかった。

 

「ダイアモンド、変わって!私がする」

「なぎささん……えぇッ……」

 

 疲れたわけではないが、あまりにも汗だくとなってしまったダイアモンドに代わって、今度はなぎさが心臓マッサージを代わった。方法としては、会社の研修の一つで学んだことなのだが、まさかあの会社で教えてもらったことがこんな奇妙な場所で役立つことになるなど思ってもみなかったこと。

 

「ほのか、お願い帰ってきて……」

 

 なぎさにできるのは、胸骨圧迫と懇願することのみ。ここ何年かで一番必死になった瞬間であると、後になぎさが語る物。

 

「ほのかがいなくなったら、私は誰に愚痴を言わないくちゃいけないのッ!だから……だからッ!!」

 

 自問自答。一週間前まで彼女の目の前から消えようともしていたなぎさが、今ではほのかを求めている。気づいたのだ、いや気づいていたのだ。自分はほのかがいなければ自分を保っていられないほど弱い人間なのであると。自分の隣を一緒に歩いてくれる人間、自分にはそれが、ほのかが必要だったのだと。だが、手の空いたダイアモンドは、その横で一つしなければならないことがあった。すでに心臓が止まっているということも、呼吸が止まっているということも確認済み、残るは一つだけ。ダイアモンドは変身を解くと、懐からペンライトを取り出し、そしてうっすらと開いているほのかの目を無理やりこじ開け、その光を当てた。ほのかの目は……。

 

「なぎささん……もう止めて……」

「えっ……」

「六花?」

 

 なぎさは、その六花の言葉に最悪な結末を思い浮かべ胸骨圧迫を停止した。そして否定したかった。だが、六花はペンライトをしまうと、ほのかの目を閉ざして、そして唇を噛み締めて言った。

 

「心臓の停止、並びに呼吸停止、および……脳機能の不可逆的停止による瞳孔の対光反射の消失……」

「あっ……あぁ」

「それじゃ……」

 

 冗談なんてもので言っているわけでないということは、彼女の表情を見ればわかることだった。彼女の語ったその三つ、それは主に医学の世界ではこう呼ばれている物だ。『死の三徴候』と。

 

「もう、ほのかさんは……」

「嫌!そんなの、そんなの信じたくない!!」

「なぎさ……」

「ミポ……」

 

 なぎさは、ほのかの手を取って言う。

 

「だって、ほのかなんだよ……こんなに、手も温かいのに、この前まで私の、愚痴を嫌な顔せず聞いてたはずなのに……死んじゃったら、また一緒に居酒屋でお酒飲んだり、タコカフェでたこ焼き食べたりできないんだよ……」

 

 信じられない。信じたくない。だが、それでほのかが生き返るなんて事、あるわけがなかった。きっとまた、またほのかはあの頃のように手を握ってくれるはずだ。あの頃、自分たちが紛れもなく親友であると自慢できたあの頃の自分たちのように。自分がキュアブラックとして、ほのかがキュアホワイトとして戦っていた、あの時のように、もう絶対に戻ることなんてできない、だからこそいとおしくて守らなければならない過去のように、だが、ほのかは握り返してはくれなかった。

 

「それから……それから……ッ!」

 

 沢山の思い出があったはずなのに、楽しいことや嬉しいことは共有して、辛いことや悲しいことは一緒に乗り越えてきた。そして十年以上の間友達だった。なのに、それだというのに最期が、最期が喧嘩別れだったなんてそんなの悲しすぎる。そう考えたその時、なぎさの手からほのかの手が擦りぬけ、落ちて行った。

 

「あ……」

 

 糸の切れた操り人形、そう形容されてしまうかのようにほのかの腕は力なく地面へと落ちた。ゆっくりと、雨粒のように地面に降り立った。もうあの頃のように自分の手を握ってくれない。ただ、その事実は……。

 

「ほのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 悲しい別れの証拠でしかなかった。


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