正直に言えば心配であり、不安でもある。夏海は写真館のいつもの部屋から外の様子を眺めながらそう思っていた。窓の向こうにはたくさんの木々、それから同じ雲が延々と同じように流れている。太陽の位置は少しだけ変わっただろうか。それだけでない、外からは音楽が聞こえる。バックグラウンドミュージックという物だ。それらは今自分たちがいるこの世界が人工的なものであるのは紛れもない事実であるとまじまじと教えられているような気がする。今、士やユウスケたちがモンスターが大量にいる外に出ている。キバーラがいないことが気にあるということで自分は残されたのだが、しかし本当は自分を危険から避けるための口実であったのではないかとも思ってくる。
「心配なさっているんですか?」
「あやかちゃん」
それは、前の世界からの旅の仲間の一人、雪広あやかであった。因みにほかの三人は、桜子は鳴滝妹とリバーシをしており、鳴滝姉は親指を立てて何かの素振りをしているようであった。
「いつも思うんです。このまま士君がどこかに行ってしまうんじゃないかって…」
つまるところ、この家は彼にとってはただの居候先に過ぎない。たとえこの場所に帰らなくても、そのままどこか遠くへと言ってしまうことだってあり得ない事ではないのだ。
「そうですね。こうやってただ何もできないまま待つのは…心苦しいかもしれませんね…」
あやかは思う。もしもネギが魔法使いだと2年の時に気が付いていたとして何ができていただろう。もしも親友がいた立場に自分が収まっていたらどうしていただろう。その存在を知った今ならわかる。自分ができることなど微々たるものであると。もしもネギの戦いを見ているだけとなったら、心配で夜も眠れないはずだ。明日死ぬかもしれない、今日死ぬかもしれない、帰ってこないかもしれない、そんなことを考えると悠長に構えていられることなどできないだろう。
「待ち人は…」
「え?」
そこに台所から栄次郎がいつもと同じ微笑みを浮かべながら現れる。
「旅人が絶対に帰ることを信じている。だからこそ待つことができる」
「おじいちゃん…」
「いつもそうだったじゃないか」
「…そうですね」
いつもそうだった。いつも危ない世界に足を踏み入れていった士だが、それでも最後にはちゃんと帰ってきた。そしてまたいつも通り旅をつづけたからこそ今があるのだ。夏海は考えすぎだと自分をたしなめる。それに…。
「士君の居場所は…ここだけなんですから」
士にも自分の世界、そして実の妹がいる。しかし、ある事件以来その妹とは全くあっておらず、また士自身今は帰るつもりもないという話をしていた。となると、彼の居場所はただ一つこの写真館だけということになる。
「夏海さん…」
「さっしんみりするのはこれぐらいにしよう。夏海これからクッキーを作ろうと思うんだが、手伝ってくれるかい?」
「はい!」
夏海は栄次郎のその言葉を受けて立ち上がり、台所の方へと消えていった。
「待ち人は、待ち人にもできることがある…ということですね」
その二人の姿を見て、あやかはフッと笑う。旅人を心配できるのは、待ち人だけなのだから不安になるのも多少はある。だが、それが絶望に変わるようなことはない。なぜなら、旅人は誰もが強く、たくましく、そして信頼することができるからこそ、旅人でいられるのだから。そしてあやかもまたそうである。と、その時。
「ごめんくださーい」
玄関の方から、女性の声が聞こえる。声色からして、あやかとそう年齢の違いはないだろうか。
「はーい!…誰でしょうか?あやかさん、すいませんけれど…」
「分かっております」
クッキーを作り始めていた夏海はすぐに出ることができないため、あやかが代わりに玄関へと客を出迎えに行く。
「はい、なんでしょうか?」
そこにいたのは…。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけれど…」
白い服を身に纏った栗色の長髪を持つ女性と…。
「分かりました、どうぞおあがりください」
「あぁ、ではお言葉に甘えさせてもらおう」
黒人のスキンヘッドで大柄な男、そして…。
「…」
少しぶっきらぼうな黒い少年であった。
ディケイドを探していたキリトたち一行は、湖から少し歩いたところにあるお店を発見し、それを怪しいと思い尋ねることにした。何故それだけで怪しいと判断したかというと、キリトたちは、この22層に拠点を移してから約2週間、その間に、このあたりの地形を把握していたからだ。無論コテージの数も、店の種類も把握していた。そのため、こんな場所に光写真館などという店があったはずがないと知っていたのだ。ゲームの世界でも以前はいけなかった場所に行くことができる。以前は何もなかった場所に新しく何かが作られるというのは、ゲーム作品ではよくあることだ。特にクエストの場合ではソレ限定で家やら何やらが現れることがある。そのためキリトたちはその店にあたりを付けたのだった。
「ごめんくださーい」
まず、店の中に入ってアスナが声をかける。向こうからは返事が返ってきた。じきに誰か出てくるだろう。店の中は、アンティークショップのような内装で、壁には何枚か写真が飾ってあった。それはすべてリアルであり、まるで現実の写真を思わせるものであった。
「はい、なんでしょうか?」
店の奥から現れたのは、金髪の女性。アスナと同じような気配といか、においのような物がするのは気のせいだろうか。着ている服には、校章のようなものもあり、まるで学校の制服のようであった。学校。しばらく気にも留めることはなかったが、ゲームをクリアしてその後はどうすればいいのだろうか。日本の学校は中学生までは義務教育があるために何とかなる。いや、逆にそれが恐ろしい。例えば、自分がこのSAOに閉じ込められたのは中学2年の冬である。それからろくに勉強もしていないのに、今年にはもう中学校を卒業してしまった。一体これからどれだけの勉強をしなければいいのだろうか。2年の冬から3年の卒業までの1年ちょっとの勉強。いやそれ以前に、自分の頭にはこのゲームのデータやらなんやらが詰め込まれていて、これ以上何かを記憶できるとは考えられない。もし、現実に帰ったとしても…
「…」
「キリト君、どうしたの?」
「あっいや、なんでもない…」
どうやら思考停止していたようだ。すでに、出迎えてくれた女性は廊下の方にまでいっている。キリトはそれについていく。
女性に案内されてたのは、写真を撮るスペースのようだった。写真の背景ロールには紛れもなくアインクラッドが映っている。だが、それ以前におかしいのは、その場にいる者たちだ。
「ほら、二人とも、リバーシを片付けてください」
「えぇ、せっかく勝ってたのに…」
「また、桜子の一人勝ちで終わったです…」
「へっへーん!勝敗付かず!!」
ピンク色の髪の少女と、小学生ぐらいの同じ顔の二人、双子だろう。3人とも、出迎えた女性と同じ服を着ている。桜子と言われた女性はわかる。しかし、双子はどう考えても小学生にしか見えない。彼は見たことなかったが、やはり制服は装備品なのだろうか。
「どうぞ、イスが開きましたので」
「あ、はい」
結局、リバーシーをしていた3人は追いやられてしまった。その時、キリトはあることに気が付いた。キリトはエギルに耳打ちする。
(なぁ、このゲームにリバーシーなんてあったか?)
(いや…少なくとも俺は見たことないな…何かのクエストでもらえるのか、それとも…)
リバーシーという物を最後に見たのは今から最低でも2年前、まだ自分の意識が現実にあったころだ。つまり、このゲームの中でそれを見たことは一度もない。最前線までトップランナーとして走ってきて、手に入れている情報もそれなりの数であるキリトが知らない装備とアイテム。そこにいる者たちがクエストに関係しているのかはまだ分からない。しかし、何かあるということは確かである。
「すいませんあやかさん。初めまして光夏海です
」
部屋の奥から一人の女性が現れた。その女性の顔を見て、キリトたちは驚愕した。アスナがキリトに小声で話す。
(キリト君…あの人って…)
(あぁ、あのクエストにあった…)
女性は、紛れもなくあのクエストで示された写真にいた唯一の女性だった。
「はいはい、コーヒーどうぞ」
さらに女性が現れた部屋から年配の男性がコーヒーを持ってきた。キリトとアスナはすぐにはそれに手を取らなかったが、エギルはためらいもなくコーヒーを手に取った。
「それで、今日はどんな御用で?」
「えぇ、実は…」
「世界の破壊者」
「!」
「知ってるか?」
その言葉に、女性の顔が少し変化する。やはり、知っているとキリトは確信した。
「その顔…やっぱり」
だが、その言葉は途中で意外な人物にさえぎられてしまう。
「こ、こいつはッ…!!」
「エギルさん?」
見ると、エギルの手が震えている。顔もこわばっているようだ。まさか、コーヒーの中に何か入れられたのか。
「うまい…」
「は?」
キリトの顔が緩む。
「なんてうまいコーヒーなんだ…豆から挽かれ、そしてゆっくりじっくりと焙煎されほろ苦くだがそれでいてほろ甘い…口の中に残るコーヒーの香り、苦み、酸味に至るまで絶妙にバランスがとられた繊細で軟らかい味わい…コーヒーモドキとはくらべものにもならない…これこそまさにプロの中のプロが入れた本物のコーヒーだ!!」
「いやいや、私なんてまだまだですよ」
アスナとキリトもまたコーヒーを飲んでみる。その味は…。
「おいしい…」
コーヒー、それもブラックなど今まであまり飲んだことがなかった。飲んだとしても、缶コーヒーの有糖までであった。そんなキリトであってもそのコーヒーがどれだけおいしいのか分かる。それほど格別であった。
「あんた、このコーヒーブレンドされているな…いったいなにを……」
「それは、ナイショです」
「そうか…いや、俺は現実ではコーヒーショップを営んでいるんだが…このゲームに閉じ込められてからはコーヒーらしいコーヒーはあまりなくてな…」
「閉じ込められている?」
あやかはその言葉に少し引っかかった。そして…。
「士君は…」
「ん?」
「士君は破壊者なんかじゃありません!」
「…」
その夏海の迫力に、キリトは椅子に座っているのだが気持ちが後ずさりしてしまった。
因みに、自分は紅茶派なのでコーヒーの美味しさは分かりません。