理由 書いてて涙が出そうになったから。
キリトの希望により、翠の運転する車でたどり着いたのは、彼の家ではなく病院だった。リーファから、自分たちプレイヤーの身体は病院にあるということを聞いていたので、現実の自分がどうなっているのか、それをあらかじめ見ておきたかったのだ。因みに、キリトとアスナの二人は武装を解いて普段着といえる衣装になっている。SAOで使用する衣装は何も戦闘用のものばかりではない。自分たちのホームといえる場所に帰ったその時には、武装を解いて、Tシャツやジーパン等といった通常の服装に戻ることが当たり前となっていた。戦闘をするときには戦闘服で、日常は普段着で、今考えてみるとそう言う使い分けをすることによって、SAOのリアリティを増す要因となっていたのではないだろうか。なお、ALOは妖精の国をモチーフとしているゲームであるためか普段着という概念はないらしく、一人だけなんだかコスプレ衣装を着ているような風になっている。4人は病院の中心にあるエレベーターに乗って上へと上っていく。車に乗るときにも思ったが、こんな近代的な乗り物は久しぶりだ。今まで自分達の移動手段としては歩くか、走るか、馬か、転移門による転移か。2年間それだけだった自分たちにとってはやはりこういった現代的な乗り物は懐かしく、そして心地いい。ついに、その階へとやってきた。病院の中には、たくさんの人たちがいる。特に多いのは高齢者の姿。それすらももはや懐かしいものだ。ニシダ等の特異な例を除けば、SAOプレイヤーの多くは若者、もしくは30代くらいの人々であった。NPCに老人系のキャラはいたものの、現実離れした容姿をした人々が多く、やはり普通の高齢者と言うのを見るのは久しぶりだ。そして、しばらく歩いた後、翠はある病室の前で立ち止まる。そこにあるネームプレートの文字は一つだけ、『桐ケ谷和人』、自分の名前だ。そして、中へと入る前に、翠が言う。
「和人…覚悟はいい?」
「…あぁ」
なんの覚悟なのか、それは理解している。翠がその扉を開ける時、ゆっくりと時が流れているように感じた。キリトは、一度深呼吸して、心を落ち着かせる。そして、中に現れたのは…。
「ッ…!」
寝たきりの老人のようにやせ細った男、いや自分だ。紛れもなく自分の姿だ。
「これが…俺?」
普通のベッドの上に横になっている彼は、色々な機材に繋がれている。下半身から伸びるチューブの中には、黄色い液体。おそらくこれは、尿道留置カテーテルという物だろう。人差し指の先にも機械がある。見ると108、99%という数字と記号が書かれている。これは、バイタルなのだろう。上半身に繋がれているコード、医療ドラマでもよく見る波の絵が写っていることから、心音を調べる機材であるのは分かるが、もう一つの機械は何なのだろうか。
「これは…?」
「体に電気を送る機械なんだって…筋肉が衰えるのを遅くして、プレイヤーの意識が戻った時、すぐに歩けるようにするためって…」
「…」
リーファはそう言った。筋肉と言うのは電気信号で動くものだ。だから、原理としてはあっているのかもしれない。だが、効果があったかと言われると、その様子からは失敗だったとしか言えそうにもなかった。栄養を送るための点滴の針が刺さっている腕は、やせ細って、骨まで見えてるんじゃないかと言うほどである。毛布を持ち上げて、下半身も見てみる。先ほど見えた尿道留置カテーテルは、おむつから伸びていた。カテーテルで尿を取ることはできても、便を吸い取ることは不可能であるからであろうが、この2年固形物を食べていなかった彼にとっては、いらぬ措置だったかもしれない。毛布を元に戻して、改めて和人の身体を観察する。訳の分からない、自分の見たことのない機械に囲まれて、いや、そういえば一つだけ見覚えのあるものに繋がれていた。『ナーヴギア』だ。あの日、自分達プレイヤーを悪夢へといざなったあの機械だ。2年前に見たときは新品で、傷一つついていなかったのだが、今見ると、だいぶ色が剥げてしまっている気もする。月日の長さをそれら全てから感じられた。
「なぁ、和人…いつまで寝てんだよ…」
キリトは、自分にそう問いかける。
「母さん…来てんだぞ、直葉は、すごく心配しているぞ、アスナだって来てくれてんだ…」
まるで、幽霊にでもなった気分だ。自分に自分が話しかけるなど、考えもしなかった。なんだか、涙が出てきそうになる。
「おい、起きろよ…このまま骨と皮だけの人間になるつもりかよッ!なぁ、目ぇ覚ましてくれよ!」
「お兄ちゃんだめだよ!」
キリトは、危うく自分の身体を揺さぶろうとする。だが、それをすると、ナーヴギアとつながっているパソコンのコンセントが切れる恐れがある。MMORPG、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム、通称『大規模多人数同時参加型オンラインRPG』と言われるそれは、インターネット空間で同じゲームを複数人のプレイヤーが同時にするゲームである。それは、通常のゲームと全く違う物である。言うなれば普通のゲームは一つ一つの家、MMORPGは一つの国なのである。そして、快適にゲームをプレイするには、インターネットの接続は無線LANではなく、有線であるほうが良いのだ。そのため、キリト達プレイヤーは、病院に連れてこられるときパソコンと共に病院へと来ている。因みに、SAOはMMORPGの中でも新ジャンルであるVRMMORPGなのだ。VR、ヴァーチャル・リアリティは、難しいので手っ取り早く言うと、実際にそこにはないのだが、まるでそこに何かがあるような錯覚を意図的に作ることができるのだ。それはともかくとして。
「ご、ごめん…ありがとう、スグ…」
取り乱していたことについて謝罪し、そして止めてくれたリーファに礼を言う。自分自身、本当にどうかしていたと思う。だが、目の前の自分、いや桐ケ谷和人の姿を見て、冷静さを失っていたことは事実だ。この身体が、自分が帰るべき所なのだという真実は彼の背中に重くのしかかった。そして、自分と同じ姿になったプレイヤーがこの日本には6000人。ならばアスナの姿もこれと同じようになっているのは確実だ。
もう…
いいんじゃないか…
たとえ現実へと帰ったとしても、その先にあるのがこのやせ細った醜い身体であるのなら、今現在のゲームの身体のほうがいいのではないだろうか。この身体なら自由に動ける。現実よりも速く走ることも、壁を走ることだってできる。現実に帰ったとして、待っているのは辛いリハビリであろう。いや、ここまで筋肉が衰えているのだ。もしかしたらどれだけリハビリをしようとも歩けないかもしれない。何より、キリトならリーファにとって強い兄でいることができる。
「キリト君…」
(俺のゲームは…ここでクリアでもいいんじゃないかな…)
彼は桐ケ谷和人を捨て、キリトであることを選ぼうとしていた。
ナーヴギアがパソコンに繋がっているというのは、未確定情報ですので、実際には違うかもしれません。