土煙が立ち上る中、エラゴンは目覚めた。束の間気絶していたようだ。現状を把握しようとするが、頭が上手く整理できない。記憶が混乱している。自分が今まで何をしていたか思い出すことができない。
右手に握ったブリジンガーを地面に突き刺し、体を起こす。すると、エラゴンは自分が左手に何かを抱えていることに気づく。
左手に収まった竜の卵を見た瞬間、エラゴンの意識は覚醒した。
謎の穴によって奪い去られようとしていた竜の卵を守ろうとして、自分も穴に飲み込まれてしまったのだ。
ひとまずは卵を手放さなかったことに安堵する。しかし、いまだ状況は予断を許さないようだ。
〔サフィラ、返事をしておくれ〕
相棒の竜に呼びかけるが、返事は返ってこない。この数年間、いつも自分の側にあったサフィラの存在を、今は感じることができない。
不安に押しつぶされそうな心を叱咤し、エラゴンは顔を上げる。彼女がいないならば、今ここで卵を守れるのは自分しかいない。
まずは心を落ち着かせる。目を閉じ、雑念を追い払うことで、自分というものを強く意識する。
自分を強く保ち続けることが、心への攻撃を防ぐ手段である。
エラゴンの心に強固な壁が作られると、周囲の状況をよく観察できるようになってきた。今の所、エラゴンの心を攻撃してくる者はいない。土埃で視界は封じられているが、自分を取り囲むものたちの気配を感じた。
次にエラゴンは、自分の意識を相手には悟られないように周囲へと伸ばした。
この場にいるのは53人。そのほとんどの心は全くの無防備で、まるで攻撃されることを想定していないようだ。
今ならば、奴らに先んじて心を攻撃することができる。依然、精神は消耗しているが、これほど無防備な心を攻撃するのに大した精神力は使わない。
周囲の者達から精神力を吸い上げてもいい。そうすれば、あちらは精神に傷を受けて倒れこみ、こちらは魔法が使えるほど精神力を回復させられるだろう。
そして、今この瞬間、奴らを一度に絶命させられる方法もある。エラゴンは、ブリジンガーの柄頭にはめ込まれた宝石に目を向けてそう考える。
しかし、エラゴンは彼らの態度が気にかかった。卵を強奪する目的で魔法を使ったなら、なぜ誰も卵を回収しに来ない。
周囲の人間たちは、遠巻きにこちらを見ているだけで、誰一人として近づいて来ない。エラゴンの存在に気づいて、警戒しているわけでもない。
もしエラゴンの存在に気づいているならば、あちらは数の有利を生かして即座に攻撃を仕掛けてくるだろう。
また、こちらの意識に接触してくる者もいない。
何より、今触れている意識からは敵意や邪気といったものが一切感じられない。
今回のことは彼らにとっても、何か想定外のことのかもしれない。ならば、話し合いの余地がある。
エラゴンはそう判断して、攻撃を控えた。
『風よ、束の間渦巻き、大気の土を散らせ』
とりあえず、周囲の状況を目で見て確認したかったエラゴンは、ブリジンガーを構え、魔法を使う。
足りない分の精神力は、ブリジンガーの柄頭に溜め込まれた魔力で補う。ライダー族は、緊急時に備えて、日頃から少しずつ自分の精神力を宝石に溜め込んでおく。もし宝石に溜め込んだ魔力が尽きれば、あとはエラゴン自身の力で切り抜けるしかない。
エラゴンの周囲の風が渦巻き、土煙を散らしていく。
土煙が晴れると、エラゴンを取り囲むものたちの姿を確認できた。皆、年端もいかぬ少年少女たちである。整った身なりに、肩から同じ色のマントを垂らしている。大小さまざまな杖を持つその立ち姿から、魔術師かそれに属した者たちであるとエラゴンは予想した。
かつて、ともにガルバトリックスと戦った義勇軍ヴァーデンにも、魔術師たちはいた。今目の前にいる彼らは、エラゴンの記憶にある魔術師とは大きく異なる。
はっきり言って困惑した。エラゴンが知っている魔術師たちは、新たな魔法を探求することには貪欲だが、自らの魔法を他人に教え、授けることは決してせず、常に周りに疑惑の目を向けていた。
彼らからは、それらの執念が全く感じられない。彼らが杖を持っていなければ魔術師だと予想もできなかっただろう。彼らが卵を強奪するという邪念を持っているようには到底見えない。
やはり、何か不慮の事態でこのようなことになってしまったのかもしれない。
エラゴンはそう考え、膠着した状況を変えるため、名乗りを上げようとした。
「エルフだ……」
すると、その場にいた少年の一人が突然つぶやいた。
「まさか本物? 」
「見ろよあの耳、間違いない……! 」
「ゼロのルイズがエルフを召喚した……」
他の少年たちも、緊張が切れたかのように口々にしゃべり出す。
それを聞いて、エラゴンは思わず舌打ちしそうになった。
彼らが何をしゃべっているのか全くわからない。彼らが話しているのは、エラゴンが聞いたことのあるどの言語とも違う。
必然的に、エラゴンが彼らに呼びかけることも難しいとわかった。
徐々に周囲の少年少女に動揺が広がっていくことが見て取れた。言葉がわからずとも、エラゴンを見る瞳に畏怖が浮かんでいる。
幾人かは、それと同時にエラゴンに敵意を向けてきた。エラゴンがそちらに剣を向けると、彼らも杖を構えて睨み返してくる。
なぜこうなってしまったのかはわからないが、自らの外見が彼らにとっては特別な意味を持つのだろうとエラゴンは思った。
もはや、友好的に解決できそうな雰囲気ではなくなってしまった。
「君たちは下がっていなさい。下手に刺激してはいけませんよ」
集団の中から、一人の男が出てきた。
立ち振る舞いから、ここにいる少年少女の指導者にあたる人物なのではないかとエラゴンは思った。
一目見て、戦士であることがわかる。無駄な力みや勇みがなく、静かにこちらを睨みつけている。
視線はエラゴンから外さず、さりげなく間合いを詰めてきている。捕縛の魔法を使えるのかもしれない。
エラゴンも集中力を高め、いつでも魔法を放てるよう準備する。
「待ってください、ミスタ・コルベール! 」
すると、彼の後ろから一人の少女が躍り出た。
「あれは私が召喚した使い魔です! 」
「ミス・ヴァリエール。彼はエルフだ。危険すぎる」
その少女は、男に向かって何かを訴えている。
「彼は自分の意思とは関係なく、突然ここに連れてこられたのだ。こちらを警戒している」
「なら事情を話せば!」
「エルフに私たちの言葉が通じるとは思えない。それに彼らが我々の使い魔召喚について知っていれば激怒していてもおかしくない」
少女の訴えを聞いても、なお男の態度は変わらない。
エラゴンは戦いが避けられないことを悟った。
問題はいつ仕掛けるかだ。
いつでも飛び出せるように足に力を込める。
「……っ! ミス・ヴァリエール!! 」
突然、少女が男の背後からエラゴンとの間に飛び出してくる。
男の注意が、一瞬だが少女に向く。
「お願い!! 話を聞いて____」
(今だ! )
好機と見たエラゴンが周囲に向けて魔力を一気に解き放つ。
それと同時に足に溜めていた力を一気に解放して、眼前の男に躍り掛かった。
身の丈にも届きそうな大きな杖を構え、ルイズが召喚したエルフを油断なく見つめていたタバサは、突然自分の胸に剣が突き立つのを感じた。
それほどの強い衝撃を精神が受けたのだと理解した時には、全てが動き出していた。
タバサ以外のほとんどの生徒が崩れ落ちる。全員、意識を失ってしまったようだ。
それと同時に、エルフが忽然と消えた。
(どこへ……! )
周囲に視線を巡らせる。
エルフは消えたのではなく、ただ跳躍したのだと悟った時には、エルフの放った蹴りがコルベールの意識を奪っていた。10メイルも離れた距離を、一瞬で詰めたのだ。側頭部に蹴りを受けたコルベールが、その場に倒れる。
そして、その勢いのままエルフは走り去ろうとするかに見えた。
しかし、エルフの背中で突然、爆発が起こった。
「ミスタ・コルベールになにすんのよ! 」
ルイズが魔法で爆発を起こしたのだ。
エルフが大きく吹き飛ばされる。空中で体をひねり、何なく着地して見せたエルフだったが、爆発の際に左手で抱えていた物を落としてしまっていた。
それをルイズが即座に拾い上げ、エルフに見せつける。
「これ! あんたの大切なものなんでしょ! ずっと大事に抱えてたものね」
それは丸い宝石のようだった。偶然にもルイズの髪と同じ桃色の石である。
エルフの顔に初めて焦りが浮かんだ。
「返して欲しかったら大人しくしなさい! じゃなきゃ、これも爆発させちゃうわよ! 」
エルフの顔色が変わったのを見て、ルイズはとっさの作戦が功をそうしたのを確信したようだ。
しかし、タバサはそうは思わなかった。
放っておけば、エルフはこの場から逃げ出していたのだ。
ルイズは、やっと召還できた使い魔に逃げられたくなかったのだろう。
確かにエルフを引き止めることは出来たが、エルフが石を取り返そうとするのは明白だった。エルフの表情が、再度引き締まる。
もはや、石を取り返すためならルイズを殺す事もいとわないかもしれない。
「さあ、早く剣を置いて____」
ルイズが叫ぶと同時に、エルフが一気に距離を詰める。ルイズは、そのあまりの速さに反応できていない。
石を握ったルイズの左手を狙って、エルフが剣戟を放った。
それをタバサは、氷の矢を二人の間に割り込ませることでなんとか防ぐ。
このエルフは自分が知っている誰よりも強い。タバサは、これが己れの死すら避けられぬ戦いだと理解した上で、その青い髪をなびかせ、エルフに挑みかかった。
(…厄介)
エルフと戦い始めたタバサは、その想定以上の速さに舌を巻いていた。
空気中の水分を氷に変えて、数十本の矢として射出する「ウィンディ・アイシクル」。タバサが得意とする魔法だが、そのいずれの矢もエルフに当たることはなかった。どれも最小限の動きでかわされる。エルフは、まるで踊るように飛んでくる矢の間に体を滑り込ませてくる。
そのこと自体は、エルフの速さを目のあたりにしたタバサの想定内であった。だから、距離を離すつもりで氷の矢を打ち続けているが、エルフは一向に離れようとしなかった。常に一歩の踏み込みで切りかかれる範囲に、タバサを捉えている。
すでに二度、タバサに向かって剣が振るわれているが、そのどちらも少女の巨大な杖を捉え、大きく傷つけている。エルフはタバサの杖を破壊して戦う力を奪うつもりなようだ。
突然、エルフが足元の石を蹴り上げる。タバサを狙ってのものだったのか、狙いは大きく外れてタバサの後方に飛んでいく。
「痛っ! 」
石は、また爆発を起こそうと、杖を振り上げていたルイズの腕に直撃していた。あまりの痛みにルイズが杖を落とす。
タバサと戦っている間にも、ルイズの動向に目を配っていたのか。タバサは、エルフの視野の広さに驚嘆した。
その隙をついてルイズに切りかかろうとするエルフを、タバサは魔法で発生させた稲妻で牽制する。タバサが使える魔法の中で最も早い「ライトニング・クラウド」も、難なく避けられてしまう。タバサは、己とエルフの絶望的な実力差を感じずにはいられなかった。
このまま戦っても、魔力切れになって間違いなく自分は負ける。それも、エルフが手加減をしてくれているのが前提だ。
エルフはタバサもルイズも本気で殺そうとはしていない。なるべく傷つけることなく、石を取り返そうとしている。
タバサがエルフとなんとか戦えているのもそれが理由だ。しかし、戦いが長引いてエルフが焦り始めたらそうもいかないだろう。
(生き残るには、石を返すしか___)
その一瞬の思考の隙をついて、エルフが鋭い突きを放つ。ずっと隙ができるのを伺っていたのだろう。今までの剣戟とは速さが違った。
その一撃で、タバサの杖が遂に真っ二つになってしまった。氷の矢の勢いが一気に落ちる。なんとか魔法を維持しようとするが、杖が失われた今、それは至難の技だった。
エルフがタバサの意識を刈り取るべく、手刀を放つ。それが避けられないと知ったタバサは、なんとか相打ちに持って行こうと、袖に忍ばせていた短剣で迎撃する。
「きゅいーーーーーーーーーー!! 」
そこにタバサが召還した風竜が突っ込んできた。エルフの顔に動揺が走った。
エルフにとっては十分反応できたはずであったが、風竜を切りつけることなくその体当たりを受けて吹っ飛ぶ。
風流の活躍でタバサは助かったが、エルフは吹き飛ばされた勢いを利用して、一気にルイズに迫る。
ルイズは腕に石を直撃を受けたせいで、杖を持つことができていなかった。踵を返してエルフから逃れようとするが、エルフの方が断然早い。二人の距離が一瞬にして縮まる。
エルフの手がルイズに届きかけた時、エルフに向かって火球が飛んできた。エルフはこれも身を翻して避ける。
それはタバサの友人であるキュルケが放ったファイヤ・ボールであった。
「のろまなルイズ! さっさと逃げなさい! 」
キュルケが魔力の限り火球を投げつける。キュルケの援護を受けて、ルイズは石を抱えて、全力で校舎へと駆ける。
追いかけようとするエルフに向かって、タバサも風の刃を飛ばす。杖がないため狙いが出鱈目だが、今はそれで十分だった。ルイズが校舎まで辿り着ければ、他の先生に助けを求めることができる。あのエルフとて、学院の教師数十人を相手取るのは難しいであろう。
タバサはわずかでも時間を稼ぐため、魔力の限りエルフに風を打ち付ける。
すると、エルフの挙動に変化が生じた。ただルイズの背中に向かって走るのをやめ、剣を腰だめに構える。
『ブリジンガー!! 』
エルフがそう叫びつつ、剣を横薙ぎに振るう。意味はわからずとも、すさまじい力が込められた呪文だということは肌で感じた。呪文を受けたエルフの持つ剣が、青い炎に包まれる。
そのままエルフが剣を振り抜くと、まるで斬撃が飛んでくるようにして青い炎がタバサとキュルケに襲いかかった。
「デル・ウィンデ! 」
タバサはとっさに風の防壁で相殺しようとするも、エルフの魔法のほうが強力なようで、炎が風を打ち破りタバサの腕を絡め取る。一瞬でタバサの右手が青い炎に包まれる。タバサはその痛みに、思わず膝をついた。腕がひどい火傷を負って、これ以上魔法を操ることができない。
火球を放っていたキュルケも、それは同じだった。
エルフは続けて、その剣先をルイズに向けた。今度は刺突の構えである。
(まずい……! )
タバサの脳裏に警鐘が響く。タバサが打ち消してなお、あの威力だったのだ。ルイズは魔法が使えない。直撃を受けたらただでは済まない。しかも、エルフの目つきが先程までとは違う。そこには明確に殺意が浮かんでいる。
キュルケも同じことを感じたようだ。
「避けなさい、ルイズ!!! 」
キュルケの叫びを聞いてルイズが振り返る。
だが、無情にもルイズが状況を把握する前に、エルフの突きが放たれた。
すさまじい熱を発しながら、炎の槍がルイズに襲いかかった。
刺突の構えをとったエラゴンは、内心、焦っていた。
速攻で包囲網を崩し、この場から脱出する作戦は、卵を取り落としてしまったことで不可能となった。
なんとか卵を取り返そうとしても、間に入ってきた青い髪の少女はなかなかの手練れで、彼女との戦いで大きく時間を取られた。その少女から逃れ、卵を持って走る少女にやっと追いついたと思えば、今度は赤髪の少女の邪魔が入った。
流れが少女たちに味方しているのを感じる。
今の状況は幾つもの想定外が重なった結果だ。その最たるものが、構えた剣先で必死に走っている少女だ。
彼女はなぜか、最初の精神への攻撃で一切ダメージを負わなかった。青髪の少女は、その心の壁の分厚さから立っていられたのはわかる。赤髪の少女も、他より強い自我を持っていたため立ち上がれた。しかし、あの桃色の髪の少女の心は完全に無防備だった。それこそ誰かの助けがなければ、エラゴンの攻撃を防げるはずがない。
青髪の少女と戦っている最中にも、桃色の髪の少女の心へ何度となく攻撃を加えたが、その全てが跳ね返されてしまった。結果、少女に距離をあけられてしまった。
あと10秒もあれば、あの少女は奥の建物の中に逃げ込んでしまう。この場所にいたのが全員だとは考えにくい。少女は応援を呼びに行ったのだろう。これ以上邪魔者が増えてしまえば、卵を取り返すことが非常に困難になる。
もはやエラゴンに、手加減をする余裕は残っていなかった。
今度の攻撃は、さっき青髪と赤髪の少女に放った斬撃とはわけが違う。この突きは、当たれば確実に少女の命を散らすだろう。
しかし、エラゴンは心の痛みを無視することに決めた。
卵を失うことは、また世界を暗黒の時代に逆戻りさせてしまうことになりかねない。卵を手に入れた人間が、ガルバトリックスと同じ野望を抱かないと、どうして言い切れる。そんなことを、かの覇王の支配を否定し、多くの犠牲を払いつつも打ち果たしたエラゴンが許せるはずがない。覚悟を決め、精神力を一気に練り上げる。
「避けなさい、ルイズ!!! 」
赤髪の少女が何事かを叫んだが、もう遅い。
練り上げた精神力をブリジンガーの刀身に乗せ、一瞬にして放つ。ブリジンガーの炎がまるで槍のように変化していた。その炎の槍が少女の背中に吸い込まれるように飛んでいく。
炎が少女を貫かんとするその瞬間、少女が抱えた卵がまばゆい光を放つ。
その光が少女に迫り来る炎を完全に打ち消した。
「まさか! 」
エラゴンが思わず叫ぶ。
光と炎がぶつかり合った衝撃に、少女は吹き飛ばされ、その際卵を落としてしまう。あわてて卵を拾いに行った少女だったが、エラゴンにもう追撃する意思はなかった。
(そういうことだったのか……)
剣を収め、エラゴンはただその時を見届けんと、少女と卵を見つめる。
少女が卵を拾い上げた瞬間、卵に大きなヒビが入った。少女は慌てるが、そのヒビはどんどん大きくなっていく。ヒビが卵のてっぺんからそこまで広がった瞬間、卵が一息に二つに割れた。
卵から現れたのは白桃色の鱗を持った美しいドラゴンであった。
驚愕する少女の指を、生まれたばかりの竜が舐める。
新たなドラゴンライダー誕生の瞬間であった。