エルフ襲来の報に揺れたトリスティン学院に夜の帳が下りていた。怪我人の手当てや、破壊された中庭の修繕などに追われ、騒がしかった学院も今は静けさを取り戻している。すでに校舎の明かりは消され、生徒たちが夜を過ごす寮棟の窓の明かりも、そのほとんどが消えている。
暗闇に包まれる学院だったが、学園外縁部にある詰所にだけは絶えず火が灯され、衛兵たちが寝ずの番に勤しんでいた。寝ずの番と言っても、普段の衛兵たちは持ち込んだ酒や賭け事で退屈を紛らわしつつ、朝が来るのを待つだけである。
しかし、今宵の詰所には普段の弛緩した空気はなく、衛兵たちの槍を持つ手も緊張に震えていた。皆、お互いに目線を交わし、仲間の存在を意識することでなんとか恐怖を紛らわしている。衛兵たちがこれほどまでに平静でいられない理由は、詰所の地下に設けられた牢の中にある。そこには昼間、学院に突如として現れ、生徒たちに牙をむいたというエルフが収容されていた。
二人の衛兵が不安げに立つ扉の奥、暗い地下牢の中で、エラゴンは一人考えを巡らせていた。思い返すのは、竜の卵が孵るあの瞬間だ。まさか、あのタイミングでドラゴンが生まれ出ようとは思わなかった。そしてあの幼竜は、桃色の髪の少女を自分のパートナーと認めた。名はルイズと言ったか。エラゴンの精神への呼びかけにも、即座に返答してきた。ライダーになる素質は十分だろう。
今思えば、最初の転移にもドラゴンの意思が関わっていたのだろう。目的のものを自在に引き寄せ、自分の元に転移させる魔法など、エラゴンは聞いたことがない。エラゴンたちが用いる魔法は、使用者の精神力を使って放たれる。その際に消費されるエネルギーは、魔法を用いずに同様のことを実行したときのエネルギー消費と同量なのだ。例えば、重いものを宙に浮かせ、10mほど移動させたなら、同じものを背に担いで10m移動したのと同じように体は疲労する。魔法を使ったからといって、それを実行するエネルギーが消えてなくなるわけではないのだ。つまり、使用者にとって実現不可能なことは、魔法を用いたからといって果たせないのである。
その意味では、ここの魔法使いたちが用いた転移魔法は、人間が持つ力を優に超えている。どこにあるかもわからない竜の卵を、即座に自分たちの元に引き寄せたのだ。それを実現するために必要なエネルギーは、おそらく彼らが一生をかけても補いきれるかどうかだ。普通ならば使用者は魔法を使った瞬間衰弱して死ぬだろう。あの強大な力を誇ったガルバトリックスですら、そんなリスクの高い魔法は使わなかった。
その不可能を可能にしたのが、ドラゴンの意思だ。ドラゴン自身が少女の呼びかけに応え、魔力を提供したのだとすれば、あの魔法は実現可能になる。目的地がわかれば、魔力の消費も最小限に抑えられる。事実、エラゴンも同じような魔法を使ったことがあった。
しかし、エラゴンには一つ気がかりなことがあった。あのドラゴンの体長だ。卵の大きさに比べて、あのドラゴンは明らかに小さかった。それこそ、少女の両手のひらに収まってしまうほどだ。エラゴンは、自分のパートナーのドラゴン、サフィラが生まれたときのことを思い出した。生まれた時のサフィラの体長は、エラゴンの腕より少し小さいくらいだった。赤子だったとはいえ、エラゴンが身の危険を感じたほどの大きさだ。個体差があるにせよ、今日生まれたドラゴンはサフィラに比べると異様に小さい。
また、ドラゴンの眼も開いていなかった。サフィラは生れ落ちた瞬間から目が開いており、エラゴンの瞳を見つめ返してきた。以前、仲間のエルフたちにドラゴンの幼子について聞いた時も、そのような話は出ていなかった。
理由として考えられるのは、魔法を使ったことによる生命力の枯渇である。魔法を用いた時に、それに見合う精神力を持ち合わせていない場合、足りない分は使用者の生命力で補われる。自身の身の丈を超える魔法の行使は、命を削ることになるのだ。あのドラゴンは、まだ卵の中にいながら、魔法を二度にわたって使った。一度目はこの場所に転移した時。二度目はブリジンガーの炎を打ち消した時だ。
二度目に関しては、エラゴンにも大いに責任がある。下手をすれば、ドラゴンは卵の中で死んでいただろう。無事に生れてきてくれただけでも、僥倖というべきか。
今も、ドラゴンはルイズと共にいるのだろうか。エラゴンは牢の扉の覗き穴からわずかに漏れる光を見つめながら、そう思った。いくらドラゴンとて生まれたばかりでは人間の大人にはかなわない。ドラゴンの意思と反して、ルイズと引き離されるようなことがなければいいが。
その時、エラゴンの耳に複数人の足音が聞こえてきた。足音は徐々に大きくなってきており、エラゴンの牢に近づいてきているようだ。足音は牢の扉の手前で止まり、しばらくすると鍵を開ける音とともに扉が開かれた。剣を携えた衛兵数人と、魔法使いと思しき男が一人、牢の中に入ってくる。魔法使いの方には見覚えがあった。昼間、子供たちを率いていた男だ。側頭部にエラゴンの放った蹴りの痕が、あざとなって残っている。報復に来たのかもしれないと、エラゴンは身を硬くした。男は衛兵たちに命じて、エラゴンを部屋の楔につないでいた鎖を外させる。どこかに連行されるのであろうか。しかし、エラゴンの手足を封じている枷はそのままだ。このままでは歩くことはできない。ついで、エラゴンの視界が目隠しに覆われると、エラゴンの体が奇妙な浮遊感に包まれ、宙に浮くのがわかった。この状態でいずこかに連れて行くつもりのようだ。
その念の入りように感心する一方、エラゴンにはどうしても違和感が拭えない部分があった。彼らがエラゴンの思考力を奪わない理由だ。魔法使いを拘束することにおいて、物理的な枷は意味を持たない。魔法使いたちは自身の精神力を用いて他人の心を攻撃できる。エラゴンにとって、今、自分を連行している男たちを気絶させることなど造作もない。呪文を唱える口は猿轡で封じられているが、無防備な心を攻撃するのに魔法は必要じゃない。ただ自分の精神力を相手の心にぶつければいいだけだ。魔法使いの力を真に封じるためには、薬などでその思考力を奪わなければならない。
エラゴンも戦いの最中、敵に捕らわれたことが一度ならずあった。その時には、敵は必ずエラゴンに思考力を奪う薬を飲ませていた。思考を封じられてしまえば、さすがのエラゴンも抵抗しようがない。そうなれば、手足を拘束する必要などないのだ。その意味では、ここの魔法使いたちがやっていることはちぐはぐだ。周到なようで、まるで無意味なことをしている。
しかし、今のエラゴンに逃亡の意思はなかった。ルイズという新たなドラゴンライダーがこの地で生まれたのだ。ならば、エラゴンには彼女を一人前のライダーへと成長させる義務がある。これは、世界にたった3人しかいないドラゴンライダーの責務だった。そのためには、早急にここの者たちの協力を得る必要がある。さもなければ、ルイズとドラゴンを無理やりにでもここから連れ出すことになるが、エラゴンはそれをどうしてもしたくなかった。いくら使命のためとはいえ、ドラゴンとライダーの意思に反して支配しようとするのは、ガルバトリックスと同じだ。少しでも道を誤れば、エラゴン自身が新たな覇王としてこの世に君臨することになる。そんなことはエラゴン自身が許さない。
とにかく、まずはエラゴン側の事情を相手に伝えなくてはいけない。言葉の壁は、エルフやドワーフなどとの交流によってそこまで困難には感じない。何よりエラゴンには、師オロミスから古代語を学んだ経験がある。
エラゴンが考えを巡らしていると、どうやら目的の場所についたようだ。エラゴンの体が地に下される。そのまま椅子の座らされ、手すりや椅子の足に手足を拘束される。再び魔法で体が固定されると、目隠しが外された。そこは拷問部屋などではなく、高級そうな家具や置物などが置かれた部屋だった。正面に幅広の机があり、筆記具や書物などが並べられている。エラゴンは、義勇軍ヴァーデンを率いる指揮官、ナスアダの指揮官室を思い出した。
ならば、エラゴンの正面に座るこの老人がこの場所の長なのだろうか。彼は戦いの後、エラゴンに降伏を促してきた老魔術師だった。あの時、言葉はわからなかったが、その雰囲気からエラゴンに対して鉾を納めろと言ってきたのはわかった。彼が長だというなら納得だ。それに見合う風格を身にまとっている。
「おほん。これより尋問を開始します。尋問官は私ジャン・コルベールが務めさせていただきますぞ」
エラゴンをここまで連れてきた男が、エラゴンと老魔術師の間に立ち、咳払いをしてからそう言った。
「その前にコルベール君。もう一人この場に同席させたいものがおるんじゃが、良いかの?」
「おや、オールド・オスマン。どなたですか?」
「うむ。きっと今回の尋問で役に立ってくれるはずだぞ」
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「オールド・オスマン。お連れしました」
「おお、ミス・ロングビル。ちょうどいいタイミングじゃ。入っとくれ」
「失礼いたします」
秘書風の女性が部屋に入ってくる。その女性に続いて入ってきた者たちに、エラゴンは目を丸くした。それは、昼間にエラゴンと壮絶な戦いを繰り広げた青髪の少女と、彼女を守った青空のような鱗を持ったドラゴンだった。
「どういうおつもりですかオールド・オスマン。生徒とその使い魔をこの尋問の場に呼ぶなど」
「考え合ってのことじゃコルベール君。ほれ見てみろ。エルフが目を丸くして驚いておる」
エラゴンに二人の会話の意味はわからなかったが、事実エラゴンはそのドラゴンから目が離せないでいた。彼女の存在もまた、エラゴンに驚きを与えたものの一つだ。思わずドラゴンに向かって古代語で呼びかける。
〔御身に幸運のあらんことを、名も知らぬドラゴンよ。貴女はどのような故あってこの場にいるのかお聞かせください〕
〔……!〕
だが、すぐにエラゴンはドラゴンの心から締め出されてしまった。ドラゴンは怯えるように青髪の少女の後ろに隠れてしまう。
だがエラゴンも諦めない。エラゴンが知らないドラゴンがこの世に存在しているわけがないのだ。彼のパートナーであるサフィラ誕生以前のドラゴンたちは、ガルバトリックスとその手先によって全て殺されている。また、ガルバトリックスを打倒した後に残ったドラゴンは、サフィラを含めた三匹と卵の中に眠るドラゴンだけなはずだ。考えられる可能性としては、エルフの女王アーリアの下に置いてきた卵だが、この短期間に彼女が卵を手元から遠ざけるわけがない。このドラゴンの存在の全てが不可解だ。
〔突然心に踏み入った非礼をお許しください。どうか話を聞かせて欲しいのです!〕
エラゴンの必死の呼びかけにも、ドラゴンはますます体を小さくして少女の後ろに隠れる。鳴き声を発して、少女に訴えかけているようだ。その青髪の少女も、こちらを驚いたように見つめている。
「ほっほ。思った通りじゃ」
「こ、これはどういうことですか? 何が起こっているのです」
エラゴンと少女の様子を見た老魔術師が、確信したように笑う。
「どうやらこのエルフは、ドラゴンと心を通わせることができるらしい」
「なんと! それではまるで伝説の使い魔ヴィンダールヴのようではありませんか! 」
「心を通じてミス・タバサの使い魔に語りかけたのだろう。主人である嬢ちゃんにはそのことがわかる。そうじゃろう?」
少女が無言で頷く。エラゴンも状況を察することができた。もしや、このご老体は自分との通訳係としてこのドラゴンを連れてきたのではないか。試しにエラゴンは自分の名前を心に思い描き、ドラゴンに届ける。
〔エラゴン・シェイドスレイヤー〕
「……エラゴン・シェイドスレイヤー。おそらくそれが彼の名前」
「おお、わかるのかね、ミス・タバサ! 」
「彼の声が直接頭の中に響く。不思議な感覚」
「素晴らしい! これなら彼が呪文を唱える心配はしなくていい! 」
少女がエラゴンの名前をつぶやく。エラゴンは自分の試みが成功したのを確信した。少女の言葉に魔法使いの男もはしゃいでいる。続けてエラゴンはドラゴンに向けて語りかける。
〔僕は義勇軍ヴァーデンのドラゴンライダーだ〕
「ヴァーデン? シャートゥガル? ……だめ。風竜が彼の言葉を理解できない」
「むむむ……。念話でも言葉の壁は変わらぬか」
「ただ、言葉と一緒に、彼のイメージが映る。彼はドラゴンに乗って軍隊の上を飛んでいる」
「ドラゴン、それに軍隊とな?」
「青くて大きなドラゴン。私の使い魔よりも大きい。軍隊も凄まじい規模。人以外も大勢混じっている」
「亜人との連合軍か! つくづく彼がどこからやってきたのか気になるのう」
少女の言葉に老魔術師が反応する。どうやら上手く伝わったようだ。魔法使いたちはエラゴンの素性を理解したように見えた。
〔君たちの名前が知りたい〕
「私たちの顔? ……おそらく私たちの名前を尋ねている」
「おお、そうじゃった! まだ名前を言っておらんかったわい。わしはオスマン。オールド・オスマンと呼んでくれい」
「改めて名乗るとしましょう。私はジャン・コルベール。ジャン・コルベールですぞ」
老魔術師と男がエラゴンに向かって言う。老魔術師はオスマン。男はジャン・コルベールが名前で間違い無いだろう。エラゴンはドラゴンとともに立つ少女にも目を向ける。
「……タバサ」
〔イ、イルククゥ……〕
少女はタバサと名乗った。それに、初めてドラゴンからエラゴンに反応が返ってきた。イルククゥが彼女の名のようだ。
〔ここはどこなのか教えて欲しい〕
「これは地図……? 今、彼がいる場所を知りたいと思われる」
「うむ。ここはトリスティン魔法学院。トリスティン全土からメイジの卵たちが集う学び舎じゃ」
エラゴンはかろうじて聞き取れた地名と思しきものに首をひねる。トリスティンとは聞いたことがない場所だ。想像以上に遠い場所に飛ばされたのかもしれない。
〔トリスティンから見てビオア山脈はどの方角にある〕
ビオア山脈はアラゲイジアで最も高い山脈だ。目印にはちょうどいい
「ビオア? 山脈の名前だと思われるが、それがどこにあるのか聞いている」
「うーむ、ビオアという山脈など聞いたことがない」
「彼のイメージではとてつもなく大きな山。山の頂上が雲に覆われているほど」
「そのような巨大な山脈はハルケギニアには存在しておらん」
エラゴンはタバサやオスマンの反応が芳しくないことを見てとり、質問を変えた。
〔アラゲイジアという言葉を聞いたことがあるか〕
「アラゲイジアについて何か質問している」
「これまた知らぬ言葉ですな」
「アラゲイジアは彼が住まう世界の名前。私たちにとってのハルケギニアに相当する言葉だと推測される」
「まさか! 彼はハルケギニアの外からやってきたと言うのかね!? 」
「おそらく。事実、今までのイメージにハルケギニアを示すものは一つもなかった」
「ハルケギニアの外となれば、東方のロバ・アル・カリイエから来たと? 」
「そこまではわからない。彼の言うアラゲイジアと、私たちが知っているロバ・アル・カリイエが同一のものとは限らない」
タバサとコルベールが議論を交わしている。アラゲイジアへの反応もあまり良くない。エラゴンは頭を抱えたくなった。この場所がアラゲイジアからどの程度離れているのかについての情報は、彼らからは得られそうにない。
「ミス・タバサ。こちらから彼に質問することは可能かね? 」
「同じ要領でやれば恐らく可能」
「ではエラゴン、君の目的はなんなのかね。どうして我々と戦ったのだ」
エラゴンが沈黙していると、今度はコルベールがエラゴンに対して何かを問いただし始めた。同時に、ドラゴンからイメージが送られてくる。昼間の戦いの様子と疑問を示す感情だ。恐らく、エラゴンの目的を聞いているのだろう。
〔僕は竜の卵を守るために戦った。君たちは竜の卵を狙う簒奪者なのか〕
「おそらく、彼は竜の卵を守るために戦った。それと同時に私たちを盗賊か何かだと疑っている」
「やはりそうだったのか。これは難しい問題だ」
「うむ、エラゴンからしてみれば、わしらは卵を奪う盗人にほかならん」
「ミス・タバサ。彼にこちらの事情を説明できるかね」
「……善処するが、彼に伝わる保証はない」
またドラゴンからイメージが伝わってくるが、今度は様々なイメージが煩雑に並べられていて、いまいち要領をえない。エラゴンはかろうじてこの場所が少年少女たちに魔法を教える場所であることは理解できた。だが、なぜ彼らが卵を呼び寄せたのかまではわからない。
「恐らく上手く伝わっていない」
「こちらの事情が伝わらない限り、彼が警戒を解くことはないでしょうな」
「なぜそれほどにドラゴンの卵を守ろうとするのか、彼に聞いてもらえるか」
オスマンの言葉の後、ドラゴンからイメージが送られてくる。これは、竜の卵の価値について聞いているのだろうか。なぜエラゴンが竜の卵を守るのかが疑問らしい。これにはエラゴンも少しばかり考える時間が必要だった。あまりドラゴンとライダーについて情報を与えすぎるのも良くない。だが、ここで沈黙してしまえば、彼らの警戒を解くことはできないだろう。エラゴンは慎重に言葉を選びながら、知られてもいい事実だけをドラゴンに伝えた。
〔アラゲイジアのドラゴンは、時の帝王によってその全てが殺された〕
「どうやら、彼の元いた場所ではドラゴンの虐殺が起こったらしい」
「ドラゴンによる虐殺ではなく?」
「そう。おびただしいドラゴンが一人の王によって殺された」
「なるほど、竜の卵は彼にとっても貴重なものなのだね」
タバサとコルベールが言葉を交わしている。エラゴンの説明にうまく納得してくれたようだ。しかし、オスマンの様子は違う。こちらをしかと睨みつけ、何かを見抜こうとしているようだ。エラゴンもその瞳を見返す。
「……ガルバトリックス」
オスマンの言葉にエラゴンは驚愕した。今、オスマンは彼が絶対に知りえない名前を口にした。エラゴンは、念話でもガルバトリックスの名前を出していない。エラゴンの体に一気に緊張が走る。
「……すまんのう諸君。少しだけ彼とわしの二人にしてもらえんか」
「なりませんぞ、オールド・オスマン。まだ彼が安全だと決まったわけではありませぬ」
「ほんの少しだけでいいんじゃ。大した時間は取らせん」
「で、ですが……」
「ミス・ロングビル。ミス・タバサとコルベール君、それに衛兵たちを連れて、ほんの少しの間だけ部屋を開けてくれい」
「わかりました。さあ皆様、こちらへ」
コルベールの反論を許さず、オスマンは皆を部屋の外に出した。エラゴンの背後で扉が閉まった後、オスマンがおもむろに右手を上げ、手のひらをエラゴンに示す。エラゴンはまたも驚愕した。そこにあったのはドラゴンライダーの証、ゲドウェイ・イグナジアであった。エラゴンの手にもある、その白く光るアザがエラゴンの視線を捉えて離さない。
「うむ。おぬしの手に同様のアザがあるのは確認済みじゃ。ミス・ヴァリエールの手にもな」
そう言うとオスマンはゆっくりと立ち上がり、エラゴンに歩み寄ってくる。その手には杖が握られていた。
「お主はガルバトリックスの名前に反応を示した。それに、あの風竜との念話。エラゴン、お主がドラゴンライダーであることは疑いようがない」
エラゴンは身の危険を感じ、心を攻撃しようとオスマンに意識を伸ばす。しかし、あっさりと心に壁を作られ防がれてしまう。
「無駄じゃよ。心を守る術くらい知っておる」
エラゴンは拘束から抜け出そうと手足に力を込めるが、この短時間では抜け出せそうにない。目の前まで歩み寄ってきたオスマンが、エラゴンの眉間に杖を当てた。
「問題は、お主が
オスマンの目に殺意がこもる。今のエラゴンには、それを見返すことしかできない。オスマンが杖を降り、エラゴンの猿轡を外した。
『ガルバトリックスはお前の主人か、否か』
オスマンが古代語を使ったが、エラゴンには驚く余裕がない。おそらく古代語で返さなければ殺される。古代語でしゃべる内容に、嘘をつくことはできない。オスマンはガルバトリックスの手先かもしれない。だが、もしそうだったとしてもエラゴンが言う言葉は一つだ。
『ガルバトリックスは私が殺した』
部屋に沈黙が降りる。エラゴンもオスマンも一言も言葉を発しない。オスマンがゆっくりと杖を振り上げる。永遠にも思える時間を経て、ついにその杖が振り下ろされた。それと同時にエラゴンを捉えていた拘束具が全て外れて床に落ちる。
「感謝するぞエラゴン。これでわしも役目を全うできる」
未だに緊張が解けないエラゴンに、オスマンがそう言った。
「……腹減ったのう。お主もじゃろ、エラゴン。ここに来てから何も食べておらん。おーい、ミス・ロングビル。皆を部屋の中へ」
オスマンが客人用と思われるテーブルにエラゴンを座らせる。それと同時に廊下で待たされていた面々が部屋に戻ってきた。皆、拘束が解かれているエラゴンを見て驚愕している。
「オールド・オスマン! 一体何があったのですか! 」
「うむ。エラゴンは無害じゃ。何の危険もない。わしが保証する」
「それは一体どういう……」
「ええい、細かいことを気にするな! そんなんじゃからその年でハゲかかってくるのじゃぞ! 」
「なっ……! 私の髪は関係ありません! 」
「ごちゃごちゃ言うな! これモートソグニルや。アルヴィーズまでひとっ走りしてきて、用意していた軽食を持ってくるよう伝えておくれ」
抗議を続けるコルベールを無視して、オスマンは地震の使い魔に命じる。エラゴンには、もう何が何だかわからなかった。
やがてメイド達が持ってきた軽食が、その場にいた全員に振る舞われた。エラゴンも果物を幾つかかじっている。理由はわからないがどうやら全面的に信用してもらえたようだ。未だ困惑しているエラゴンにオスマンが言う。
「歓迎しようエラゴン・シェイドスレイヤー。『果てに見ゆる希望』よ」
こうして、エラゴンにとっても、学院にとっても長い一日は幕を閉じた。