眩いばかりの朝日が、学院に一日の始まりを告げる。光に包まれる学院の中庭に、小鳥のさえずりに混じって、大小さまざまな鳴き声がこだましていた。生徒たちの使い魔が続々と起き出し、日向へと集まってくる。皆、朝日に向かって大きく伸びをしていた。この学院では毎朝繰り返される、ありふれた光景だった。
光差し込む本塔へと続く廊下を、朝の陽気さとは裏腹に、ルイズは足取り重く歩いていた。朝食をとりに『アルヴィースの食堂』へと向かっているのである。その肩には薄桃色のドラゴンを乗せている
「もう、何が不満だっていうのよ! 」
ルイズがドラゴンに向かって言うが、当のドラゴンはルイズの肩でいびきをかいていた。その態度に、思わずルイズは指でドラゴンの鼻先を弾く。眠りを邪魔されたドラゴンが、抗議の鳴き声をあげた。しかし、睡眠不足なのはルイズも同じだった。目の下に大きなクマができている。
結局ルイズは、朝になるまでドラゴンと使い魔契約を結ぶことはできなかった。ドラゴンが、どうしてもルイズの口づけを受け取らないのである。昨晩何十回も試したが、結果は変わらなかった。最後には、ルイズもドラゴンも疲れて眠ってしまったが、その時すでに空は明るくなってきていた。このようなわけで、ルイズとドラゴンは揃って寝不足なのであった。
再度眠りにつこうとするドラゴンを、ルイズはその頬をついて邪魔する。ルイズが頬を突く度に、ドラゴンも尻尾を使って反撃してくる。ドラゴンの尾がルイズの頬を打つ間抜けな音が、廊下に響いていた。
「大体、あんたなんで私の肩に乗ってるのよ? その立派な翼は飾り? 自分で飛べばいいじゃない」
ルイズの言葉に、ドラゴンは鬱陶しそうに顔を背ける。その翼は折りたたまれたままだ。主人を足代わりに使うのかと、ルイズは怒りに震えた。
ただ、一方でルイズはドラゴンのことを心配してもいた。卵から生まれて一晩たっても、ドラゴンの眼は閉じられたままだ。通常ドラゴンの眼が生まれてからどのくらいで開くのかは、ルイズにはわからない。何か眼に異常があるのかもしれないし、このくらいは普通のことなのかもしれない。だが、目を閉じたままでは飛ぶことは難しいだろう。授業終わりに、図書館で少し調べてみた方がいいかもしれない。
ルイズが考えを巡らしていると、いつの間にかアルヴィース食堂へ到着していた。食堂は学院で最も高い本塔の中にあった。すでに、食堂の中は生徒たちの活気で溢れている。ドラゴンも初めて感じるほどたくさんの人の気配に、少し驚いているようだ。天井には巨大なシャンデリアがあり、食堂全体を照らしている。壁際には食堂の名前の由来となっている小人の像、アルヴィースが並んでいる。ドラゴンが鼻先を近づけると、小人の像が突然動き、手に持った杖でドラゴンの眉間を突いた。ドラゴンが驚いて吼え声をあげる。その様子にルイズがくすりと笑う。
「ふふっ。アルヴィースはとっても恥ずかしがり屋なの。無作法に舐めたりしたら、今みたいに突かれるわよ」
食堂の中央には、やたらと長いテーブルが3つ置かれており、学年ごとに座ることになっている。今日から二年生のルイズは、真ん中のテーブルに着き、食事が運ばれてくるのを待つ。テーブルの上にも豪華な飾り付けがなされており、全ての燭台に火が灯されている。果物などは最初から籠に盛られており、どれも鮮やかな色をしていた。魔法学院に在籍している生徒は数百人いるが、その全てが貴族である。故に、その食堂も貴族にふさわしい豪華絢爛さを誇っている。
席に着いたルイズは、近くに控えているメイドを呼びつける。ドラゴン用の生肉を用意させるためだ。料理の匂いに気がついているのだろう。ドラゴンは鼻をひくつかせ、せわしなく頭を揺すっている。無理もないとルイズは思った。生まれてからまだ何も食べていないのである。籠に入っている果物にも気づいているようだが、食べる素振りは見せない。おそらく肉食なのだろうとルイズは判断した。
メイドへの言伝を済ませたルイズの横に、誰かが座ってきた。高い背丈、褐色の肌、燃えるような赤髪、そして何よりブラウスから溢れんばかりの豊満な胸。ルイズの同級生のキュルケであった。彼女はルイズに向けてにやっと笑った。
「おはよう。ルイズ」
「……おはよう。キュルケ」
キュルケの挨拶に、ルイズは嫌そうに返す。
「何? なんで私の隣に座るわけ? いつもみたいに取り巻きを連れてればいいじゃない」
「取り巻きとは失礼ね。それに、もうあの子達に興味はないの」
キュルケはいつも、その美貌で誘惑した男子たちを引き連れていた。しかし、今はその姿は見えない。
「その様子だと、昨日はさぞよく眠れたんでしょうね」
「うるさいわね。ほっときなさい」
キュルケはルイズの目のクマに気づいていながらもそう言った。ルイズが不機嫌そうに返したのを見て、さらにキュルケは上機嫌になったようだ。
「あなた、食堂にまで使い魔を連れてくるのね。みんなに見せびらかしてしょうがないのかしら」
「違うわよ。この子まだ目が開いてないから、外に出すのは不安なの」
「ふうん。まあ、確かにそんなにちっさいのが歩き回っていたら、私のフレイムが踏み潰しちゃうかもしれないしね」
キュルケが使い魔として召喚したのは、巨大なサラマンダーだった。その大きさはルイズやキュルケなどよりも大きい。先に火が灯った尾を持っており、口からは火を吐く。火属性であるキュルケにふさわしい使い魔であった。
キュルケのちっさいという発言を侮辱と受け取ったのか、ドラゴンがキュルケの指先に噛み付く。キュルケは突然の出来事に、小さく悲鳴をあげる。
「きゃっ! 何なの!? 」
「こら! 噛み付いたりしちゃダメでしょ! 」
ルイズの叱責にもドラゴンは知らん顔だ。その様子から、キュルケが何かに気づいたかのようにルイズに尋ねる。
「ルイズ。あんたまさか『コントラクト・サーヴァント』してないの? 」
「うっ!……」
痛いところをつかれたルイズが言葉に詰まる。普通なら、契約した使い魔が主人の許可なしに、人に危害を加えることはない。ドラゴンの振る舞いは、使い魔契約を済ましていないことを物語っていた。
「契約できなかったの? また爆発させちゃった? 」
「違うわよ! 魔法に失敗したわけじゃないんだから! 」
「じゃあ何? このおチビさんに拒否されちゃったとか? 」
「………」
またもや痛いところをつかれたルイズの様子に、ついにキュルケがこらえきれず吹き出した。
「あっはっは! これは傑作だわ! 」
「何よ! バカにして! 」
「くっくく……やめてよルイズッ! 笑い死させるつもり? あはは! 」
盛大に笑い続けるキュルケに嫌気がさしたルイズは、何も言わず彼女が笑うに任せた。ひとしきり笑いこけて満足したのか、キュルケは大きく深呼吸してからルイズに向かって言った。
「使い魔に拒否されるなんて前代未聞だわ! 流石はゼロのルイズね。ふふっ」
キュルケは、笑いの余韻でまだ語尾が震えていた。
「やっぱり、ドラゴンなんてあなたには勿体なかったんじゃなーい? 」
「失礼ね! このドラゴンは私の使い魔よ! 」
「でも、契約できなきゃ使い魔じゃないわ」
「今だけよ! すぐにでも契約してやるんだから!」
キュルケの言葉に、ルイズはムキになって言い返す。
「そうなるといいわねぇ」
「い、今に見てなさい! あんたの使い魔なんか……」
「はいはい。食事が来たわよ。この話はここでおしまい」
「うぅ……」
言い合う二人の前にメイドが朝食を運んできた。鳥のロースト肉や、魚のパイ、とろとろに煮込んだシチュー、ワインなど豪華な品目が並ぶ。ドラゴンの前にも生肉が並べられる。きちんと皿に盛り付けてあり、香菜などで彩りが添えてある。ここの料理人たちの料理に対する誠意がうかがえる。
「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝いたします」
全員に料理が行き渡ると、祈りの声が唱和される。ルイズも目を閉じてそれに加わった。それが終わると、ルイズは豪華な朝食を頬張り始めた。ドラゴンも生肉にかぶりついては、うまく噛みちぎり、器用に飲み込んでいた。皿に盛られていた肉がどんどんなくなっていく。よっぽどお腹が空いていたようだ。
すぐに肉を食べ終わってしまったドラゴンが、ルイズの鶏肉が盛られている皿に頭を向ける。ドラゴンの下腹はパンパンに膨れていたが、まだ食べ足りないようだ。ルイズは、鶏肉の半分を細かくナイフで切って、ドラゴンの前に置いてやった。ドラゴンが嬉しそうに鶏肉にかぶりつく。
その様子を見て、ルイズは満足げにうなづく。早く大きくなって、ドラゴンの背に乗せてもらうためである。
「あんまり食べさせると、太っちゃうわよー? 」
ルイズはキュルケの言葉を無視して食事に集中した。
食事を終えたルイズが席を立つ。ドラゴンの腹も満たされたようだ。満足そうに体を横たえている。手を差し伸べると、再びドラゴンが肩に乗ってくる。そのまま席を離れようとすると、キュルケも席から立ってついてきた。
「付いてこないでくれる? 」
「同級生なんだから教室が同じなのは当たり前でしょ。付いていってるわけじゃないわ」
「あっそう。勝手にしなさい」
「ええ。勝手にさせてもらうわ。……あら? 」
キュルケが中庭に目を向けて、声を上げた。ルイズも訝しんで立ち止まった。周りを見ると、同じように女子が集まって中庭を見ている。なにやら興奮したように、ヒソヒソと言葉を交わしている。ルイズも中庭に目を向けると、くつろいでいる使い魔の中に一人の男子が立っているのが見えた。
ルイズは女子たちが何故興奮しているのか理解した。その男子が恐ろしく美形なのである。すらりと高い背に、長い足が目を引く。髪は腰に届くほど長く、三つ編みにしている。顔立ちも整っている。キリッと上がった眉毛に、高い鼻、くっきりとした目のどれを取っても綺麗だ。美しさという点では、昨日現れたエルフもこの世のものとは思えないほどだったが、こちらはより親しみが持てる顔をしている。男子は落ち着いた物腰で、中庭にいた誰かにしゃべりかけた。それは、キュルケの友人のタバサという少女だった。周りの少女たちから、嫉妬のうめき声が漏れる。
「あの子も隅に置けないわねー。しかもあんな美形」
「同い年くらいよね。あんな男子この学院にいたっけ? 」
「1年生じゃないの? 直接聞いたほうが早いわ」
言うや否や、キュルケがタバサと男子に向かって歩き出す。ルイズも迷ったが、付いていくことにした。しかし、タバサと言葉を交わしたのはほんの一瞬で、男子はすぐに立ち去ってしまった。声をかけそびれたキュルケが、残念そうに唸る。タバサも、ルイズたちが近づいてきたのに気づく。キュルケがタバサに声をかける。
「おはようタバサ。今の御仁はどなた?」
「知らない。今日初めて話しかけられた」
「へえ。なんて? 」
「今晩、時間を作って会いに来て欲しいと」
「あら! いきなり逢い引きのお誘い? しかも、女子を呼びつけるなんて罪な男ね」
タバサの返答にキュルケが興奮する。
「それで、どうするの? 」
「どうする、とは? 」
「行くかどうかを聞いてるのよ。不安があるなら相談に乗るわ」
「? 何も不安はない。今晩は特に用事もない。会いに行く」
「本当に大丈夫? 何ならまだ使ってない私の下着、貸してあげてもいいわよ」
どうやらキュルケは、友人の恋を応援するつもりのようである。
「何か勘違いをしている。あの男子にそのような意思はない」
「男子が夜中に女子を呼びつけるなんて、することはひとつじゃない」
「……それが何かはわからないが、彼は談話室に来て欲しいと言っていた」
「じゃあ、いきなりなんてことはないのね。よかったじゃない」
キュルケは一人で納得しているが、タバサも訂正するつもりはないらしい。そこで、ルイズもタバサに聞きたいことがあったのを思い出した。
「あの、ミス・タバサ。聞きたいことがあったのだけど」
「タバサでいい」
「じゃあタバサ。あなたの使い魔、風竜だったわよね。あなた、ドラゴンに詳しかったりする?」
「文献を読んだ程度なら、知識はある」
「この子まだ目が開かないの。ドラゴンっていつ頃目が開くようになるのかしら」
ルイズがタバサに期待を持って尋ねる。しかし、タバサの反応は良いとは言えなかった。
「ドラゴンの研究の中で、最も進んでいないのが幼竜について。彼らがどのようにして成長していくのかは、全くもってわかっていない」
「そうなんだ……」
「ドラゴンについては、おそらく学院長が一番詳しいと思われる」
「あの学院長が?」
タバサの回答に、ルイズが首をひねる。学院長といえば、ルイズの中では年中女子にいやらしいことをしている老人だ。あまり頼りになるようには思えない。
「うーん。わかったわ。ありがとう」
「ほら、タバサも行くわよ。授業が始まっちゃう」
ルイズが礼を言うと、キュルケがタバサを連れ立って歩き出す。いつの間にか、キュルケの傍にサラマンダーのフレイムがいる。ルイズも歩きながら、タバサの言葉について考えていた。学院長がドラゴンに詳しいとは知らなかった。それにルイズは、捉えられたエルフのことも気になっていた。今晩にでも学院長に聞いてみよう。ルイズはそう思った。
ルイズが教室に入ると、すでに中にいた生徒たちが一斉に振り向いた。皆疑惑の目線を向けている。とりわけみんなが注目しているのは、ルイズも肩に乗ったドラゴンである。
このことはルイズも覚悟していたことだ。事故とはいえ、ルイズが召喚したエルフによって、皆恐怖を植え付けられたのだ。聞いた話によると、気絶させられた生徒たちは、その日のうちに目を覚ましたが、全員がひどく錯乱していたらしい。治療に当たる教師やメイドたちを敵か何かと勘違いするほどだったという。それに、彼らはまだ事件の顛末も聞かされていなかった。だから、なぜルイズの肩にドラゴンが乗っているのかわからないのである。
多くの視線を感じつつも、ルイズは席に着いた。昨日の騒ぎで落ち着いて見ることができなかったが、ここにいる生徒たち全員が、それぞれ違った使い魔を引き連れていた。フクロウを肩に留まらしている生徒もいれば、膝に猫を乗せている生徒もいる。珍しいもので言えば、巨大な目玉のようなバグベアーや六本足のトカゲであるバシリスクもいた。キュルケのフレイムは、主人の足元で眠っている。タバサの風竜は、教室の窓の外から顔を覗かしていた。その大きさから、教室に入れないのだろう。普段ならば、同級生の魔法の成果を見せつけられると落ち込むルイズであったが、今日は違う。ルイズの肩に乗っているのはドラゴンなのだ。ここにいるどの使い魔よりも強くて美しい。そのことがルイズに自信を与えていた。
しばらくすると、扉が開いて教師が入ってくる。中年の女性で、ふくよかな身体をしていた。紫の帽子をかぶり、優しそうな雰囲気を纏っている。
「みなさん初めまして。私は『赤土』のシュヴルーズ。土系統の魔法を、これから一年間みなさんと一緒に勉強していきます」
女性が自己紹介をした。名はシュヴルーズというらしい。
「授業を始める前に、みなさんにご報告があります。昨日、この学院に現れたエルフは、今朝をもって無事、魔法衛士隊に引き渡されました」
シュヴルーズの言葉に、生徒たちが安堵のため息を漏らす。しかし、ルイズは違った。これでこのドラゴンの正体を知るのが難しくなった。軍に引き渡されたのなら、あのエルフにもう一度会うのは不可能だろう。
「皆さんにとっては災難でしたが、それは同時に貴重な体験でもありました。魔法が待つ危うさを経験したことによって、あなた達はメイジとしてさらに磨かれたことでしょう」
シュヴルーズは、昨日の出来事を前向きに捉えるように言った。しかし、生徒達が感じた恐怖はその程度で忘れられるものではない。自然と生徒達の視線がルイズに集中する。
「さて、エルフの襲撃という予想外な出来事があったにせよ、みなさん無事に使い魔を召喚できたようですね。このシュヴルーズ、春にみなさんが召喚した使い魔を見るのを楽しみにしていますのよ」
そう言ってシュヴルーズが教室を見渡すと、その目はルイズのドラゴンに止まった。
「おや、ミス・ヴァリエールはドラゴンを召喚したのですか。そのドラゴンは私も見たことがありません」
ドラゴンは今、ルイズの腕の中に抱えられている。ドラゴンが勝手に動き回って、ネズミやカエルなどの他の使い魔を食べてしまっては大変だからだ。コントラクト・サーヴァントが完了していないルイズには、ドラゴンの行動を制限する手立てがない。
「ゼロのルイズ! そのドラゴンがお前の使い魔だって? 嘘をつくな!」
突然、ある生徒がルイズに向かって叫んだ。ルイズも負けじと言い返す。
「嘘じゃないわ! ちゃんと召喚したもの! 」
「違う! お前が召喚したのはあのエルフだ! ここにいるみんなが知ってるぞ! 」
「エルフと一緒にこの子も召喚したの! 」
「信じられるか! そのドラゴン、使い魔のルーンが刻まれてないじゃないか! 」
確かにルイズのドラゴンには、メイジの使い魔であることを示すルーン文字が刻まれていない。コントラクト・サーヴァントができていないのだから当然である。
「どうせコントラクト・サーヴァントもできないんだろう!」
その言葉に同意するように、教室中で嘲笑が起こった。
「ミセス・シュヴルーズ! かぜっぴきのマリコルヌが私を侮辱しました! 」
「誰がかぜっぴきだ! 俺は『風上』のマリコルヌだ!」
「あんたのガラガラ声は、まるで風邪でもひいてるみたいで耳障りなのよ! 」
ルイズと、マリコルヌと呼ばれた男子の言い争いは終わる気配がない。シュヴルーズはため息をつくと、杖を一振りした。すると、赤土の粘度が飛んでいき、二人の口にひっついて言葉を封じる。
「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。そのような口論はみっともないですよ。理想とされるメイジの姿とは程遠い」
シュヴルーズが二人を静かにたしなめる。嘲笑もいつの間にかおさまっていた。ルイズはしょげたように俯く。
「では、授業を始めましょう」
その言葉と同時にシュヴルーズが杖を振った。すると教卓の上に幾つか石が現れる。
「先ほども申し上げたように、私の二つ名は「赤土」。土系統の魔法を専門とします。魔法の四代系統はご存知ですね、ミスタ・マリコルヌ」
シュヴルーズが再び杖を振ると、マリコルヌの口を塞いでいた赤土が取れた。マリコルヌは慌てたように答える。
「はい! 『火』『水』『土』『風』の四つです。ミセス・シュヴルーズ」
「よろしい。今は失われた系統魔法である『虚無』を含めて、全部で五つの系統魔法があることは皆さんも知っての通りです」
「ミセス・シュヴルーズ。質問してもよろしくて? 」
シュヴルーズが系統魔法について確認していると、キュルケが挙手した。
「はい、ミス・ツェルプストー。なんでしょう」
「昨日、あのエルフが使っていたのはどんな魔法なのですか? 私たちが使う系統魔法とは、まるで別物のようでしたけど」
他の生徒たちも頷く。おそらくこの教室にいる全員が知りたがっていることだろう。その質問はシュヴルーズも予想していたのだろう。彼女はすぐに答えた。
「エルフたちは、先住魔法と呼ばれる魔法を使います。私たちが用いる系統魔法とは、その源を異とする魔法です。しかし、先住魔法については不明な点ばかりで、その原理や使用方法などの多くは明らかになっていないのです。特徴は、私たちのように杖を用いることなく魔法を扱えることです」
ルイズは、昨日のエルフの戦い方を思い出していた。確かに、あのエルフは何の予備動作もなく魔法を発動していた。そして、タバサが先住魔法について事前に知っていたことを思い出した。ルイズはタバサの横顔を見つめたが、正面を向いたまま微動だにしないその顔からは、何も読み取ることができなかった。
「系統魔法の話に戻りましょう。私は五つの系統魔法の中で『土』系統が最も重要だと考えています。それは私が『土』系統だからではありませんよ」
シュヴルーズが重々しく咳をした。
「土系統の魔法は、万物の素性を司る重要な魔法なのです。この魔法がなければ、貴重な金属を作り出すこともできませんし、それを加工することもできません。兵士たちが持つ剣も、石を削り出して作られたこの教室も、土系統の魔法があってこそのものなのです」
生徒たちが真剣に聞き入っていることを確認すると、シュヴルーズは満足げに頷いた。
「これから皆さんには『錬金』の魔法を習得していただきます。これは土系統の基本魔法です。『錬金』を用いればこの通り」
シュヴルーズが教卓上の石に向かって小さく杖を振ると、石が光り始めた。しばらくすると光が収まり、石が光り輝く鉱石へと変化していた。
「ただの石を真鍮に変えることもできます。では、ミス・ヴァリエール」
ようやくルイズの口を塞いでいた赤土が剥がされる。
「前に出て、『錬金』の魔法を実践してみてください」
「先生」
「なんでしょう、ミス・ツェルプストー」
「やめておいたほうがいいと思います。危険です」
首をかしげるシュヴルーズに、キュルケがきっぱりと言った。
「『錬金』の魔法はなんら危険なものではありません」
「ミセス・シュヴルーズは、ルイズを教えるのは初めてですよね」
「ええ、ですが彼女が努力家だということは聞き及んでいます。さあ、ミス・ヴァリエールこちらへ」
前に出ようとするルイズを、キュルケが視線で止めてくる。だが、ルイズは無視して教卓へと進みでる。今日のルイズには、一つ勝算があったのだ。ルイズは昨日サモン・サーヴァントに成功している。今まで一度も成功したことがなかった魔法を成功させているのである。もしかしたら、魔法が使えるようになったのかもしれない。ルイズはそう思っていたのだ。
ルイズがシュヴルーズの隣に立つと、彼女はにっこりとルイズに笑いかけて言った。生徒たちが机の下に隠れ始めていることには気がつかない。
「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を心に強く思い浮かべるのです」
シュヴルーズの助言の通りに、ルイズは頭の中に鉄を思い浮かべた。石から鉄を錬金するのはそう難しくないとされている。まずは基本からだ。
十分集中できたことを確認して、ルイズは杖を振り下ろした。
その瞬間、石が教卓ごと爆発した。爆風を間近で受けたルイズとシュヴルーズは壁に叩きつけられた。机の上に座っていたドラゴンもひっくり返ってしまっている。教室内は、パニックに陥った使い魔たちが暴れ出し、阿鼻叫喚となっていた。
「だからやめなさいって言ったのよ! 」
キュルケが机の下から叫んだ。倒れていたルイズがゆっくりと起き上がる。シュヴルーズの方はまだ起きない。小さく痙攣しているところを見ると、死んではいないようだ。
「……少し失敗しちゃったみたいね」
「あんたの場合それが普通でしょう! 」
キュルケの言葉も、ルイズの耳には届かない。おそらく、この荒れ果てた教室の清掃を命じられるだろう。ルイズは気が重くなった。
結局ルイズがめちゃくちゃにした教室の清掃を終えたのは、昼休み前であった。罰として魔法を使わずに清掃することを命じられたため、それほど時間がかかってしまった。と言っても、魔法を使えないルイズにとっては関係なかったが。午後の授業は、いつも通りおとなしく過ごした。魔法の授業に出ているのに、魔法を使うことができない。ルイズにとっては普段通りの学園生活であった。
今、ルイズは学院長室に向かって歩いていた。周りはもうすっかり暗くなってしまっている。夕食を終えたルイズの元に、学院長からの呼び出しがかかったのだ。大方、昼間の爆発について叱責を受けるのだろう。いや、今度こそ退学処分ということも考えられる。2年生に進級できたと思ったらこれだ。ルイズは泣きそうになった。
ルイズの肩には、今もドラゴンが乗っている。このドラゴンの存在だけが、ルイズにとって唯一の癒しだった。足取り重く学院長室までたどり着くと、ルイズは深呼吸をしてから中に入った。緊張の面持ちのルイズを、オスマンが迎える。
「失礼します」
「おお、ミス・ヴァリエール。こんな夜分遅くによく来てくれた」
「今日は本当に申し訳ありませんでした! 」
ルイズは叱責される前に自ら謝った。
「ん? ああ、昼間の一件か」
「壊れた机や窓は弁償いたします。だから、どうか退学処分だけは! 」
「ええんじゃ、ええんじゃ。勉学に失敗はつきもの。壊れたものはまた買い直せば良い。弁償なんぞは不必要じゃ」
「へ? 」
「お主を呼んだのは、それとは別の要件じゃ」
どうやら、ルイズが予想していたような話ではないらしい。ルイズはほっと胸をなでおろした。
「ここでは話しにくいからのう。別の場所へ移動してから話そう」
オスマンが立ち上がり、ルイズを伴って学院長室を出た。
「あの、オールド・オスマン。どこへ行くのですか」
「談話室じゃ。あそこならお主もゆっくりと落ち着いて話ができるじゃろう?」
談話室と聞いて、ルイズは朝のタバサとの会話を思い出していた。記憶の通りなら、今、談話室ではタバサとあの男子が密会しているはずだった。
「お、オールド・オスマン。できれば別の場所にしませんか?」
「ん? なぜじゃ? 」
「なぜって……ほっほら、私なんかのためにわざわざ学院長に苦労をかけるなんて恐れ多いです! 私は学院長室でも大丈夫なので! 」
「そんなことは気にせんでも良い。それに待ち合わせをしておるのじゃ。場所を変えるにしてもまずは談話室に行かんとのう」
ルイズの言葉にもオスマンは足を止めない。なんということだ。このままでは、タバサの恋をぶち壊すことになりかねない。それどころか、情事の最中に出くわしてしまうかもしれない。普段無表情の彼女でも、さすがに傷つくだろう。
ルイズの危惧をよそに、ついに談話室の前にたどり着いてしまった。閉じた扉の隙間から光が漏れている。間違いなくタバサたちが中にいる。
「や、やっぱり……! 」
ルイズが改めて制止しようとするが、オスマンが扉を開けてしまった。ルイズは思わず目を覆う。それでも指の隙間から部屋の中を覗いた。そこには、タバサと例の男子がいた。とりあえずはお互いが気まずくなるようなことの真っ最中ではなかったようだ。
「む! ミス・タバサを呼ぶとは聞いておらんぞ」
「すいません。ただ、彼女にも、聞いて、欲しかった」
オスマンが話しかけると、その男子はつっかえながら返した。言葉を吟味するように口に出している。どうやら待ち合わせをしていたのはこの男子ようだった。
ルイズが改めて部屋を見渡すと、タバサの使い魔の風竜もいた。状況が飲み込めない。この男子は一体何者だろう。
「タバサ。彼とは何を話していたの? 」
「私も今来たところ。まだ何も話せていない」
タバサも何かを知っているわけではないらしい。
「うむ。もういいじゃろ。この辺りには人払いもかけておいたしのう」
「ありがとうございます」
オスマンが談話室の扉に鍵をかけると、椅子に座ったまま男子が目をつぶった。意識を集中させているようだ。やがてその口から呪文のような言葉が紡がれる。ルイズはそれに似た言葉をつい最近聞いたことがあった。
やがて男子の体に変化が現れる。徐々に肌が白くなっていき輝きを増す。三つ編みにしていた髪が解かれ、その髪もツヤツヤとした輝きを帯びていく。顔の輪郭が鋭角的になり、その眼差しも鋭くなる。そして耳が上へ上へと引っ張られるように尖っていく。ルイズはその変化を目を見開いて見つめることしかできない。隣のタバサも食い入るように見つめている。
変化が治ると、男子が目を開けた。もう間違いようがない。彼は昨日捕らわれたはずのエルフだったのだ。
「ふむ。やはり見事な魔法じゃ。惚れ惚れするわい」
エルフが目を開けたのを見計らって、オスマンが彼の隣に立つ。そしてルイズに向かってこう言った。
「改めて紹介しよう。彼の名はエラゴン。君と同じ、天翔けるドラゴンライダーじゃよ」
ルイズの隣で、ドラゴンが挨拶をするように小さく鳴いた。
たくさんの評価、感想をいただき感激しています。大変励みになります。
前回から投稿が大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。一定のペースで投稿していきたいと考えているのですが、なかなか難しいですね。
今後も、皆様のご期待に沿えるような物語を書いていければなと思います。