ルイズは、椅子に悠然と腰掛けているエルフから目が離せないでいた。その胸中にあるのは、驚きでも恐怖でもなく、純粋な感動であった。陶磁器のような肌、輝く髪、切れ長な目尻、宝石のような青い瞳。ルイズはエルフの美しさに見とれてしまっていた。彼が変身を終えると、部屋が一段明るくなったようにも思える
「改めて紹介しよう。彼の名はエラゴン。君と同じ天翔けるドラゴンライダーじゃよ」
エルフの隣に立ったオスマンが、ルイズに向かって言う。エラゴン。やはり、それが彼の名で間違いなかったのだ。不思議な響きだ。しかし、彼の名前としてこれ以上ふさわしいものはないと、ルイズは同時に感じた。
ルイズの肩に乗ったドラゴンが小さく鳴いた。翼をたたみ、背筋を伸ばし、首をもたげる姿には、いつになく厳粛な雰囲気が感じられる。
ルイズはやっとの思いで言葉をひねり出す。
「な、なんで……王都に護送されたのでは……? 」
「ああ。そりゃ嘘じゃ。いつまでも学院にエルフがいるとなっては、生徒が安心できんからのう」
「それに、ドラゴンライダーって……? 」
「うむ、ドラゴンライダーとは……」
「オールド・オスマン。少し、待ちましょう」
説明を続けようとするオスマンを、エラゴンが制止した。
「ルイズ、には、時間が、必要と、思います」
「それもそうじゃな。では、ミス・ヴァリエールの心の準備ができたら話すとしよう」
エラゴンの言葉に、オスマンも腰を下ろす。そのまま水パイプをふかし始めてしまう。どうやら、ルイズが混乱していることを見て取ったエラゴンが、気を利かせたようだ。ルイズがちらりと目を向けると、エラゴンと目があった。彼は無言でルイズに笑みを返す。思わずルイズは目をそらしてしまった。
まだ、エラゴンに話しかける踏ん切りがつかないルイズは、とりあえず隣のタバサに話しかけることにした。彼女もエラゴンの変身には驚いていたようだが、ルイズほど動揺はしていない。
「ねえ。あんた、このこと知ってたの? 」
「このこととは? 」
「だから、あの男子がエルフだってこと……! 」
「彼がエラゴンの変装した姿だとは気づかなかった。ただ、エラゴンが未だにこの学院にいることについては、あらかじめ知っていた」
「どうして?」
「昨晩、エラゴンの尋問に私だけが呼ばれた。彼はドラゴンと意思疎通できる。私とシルフィードは通訳役として同席した」
タバサの使い魔である風竜が、同意するように鳴く。名はシルフィードというらしい。
「その場でオールド・オスマンが、エラゴンに敵意はなく、危険性はないと判断した」
「その根拠は?」
「不明」
「まあ、年寄りの勘のようなものじゃ」
ルイズとタバサの会話を聞いていたオスマンが、口を挟む。相変わらずタバコをくゆらせている。その態度を見るに、オスマンの言葉は全く信用できそうにないが、事実としてエラゴンは大人しく座っている。
改めてルイズはタバサに質問を続ける。
「じゃあ、あいつが何処から来たのかも、知ってるわけ? 」
「彼はアラゲイジアから来たと言っていた」
「アラゲイジアって何処よ? 」
「不明。彼自身もハルケギニアの名を初めて知ったようだった」
タバサの回答にルイズも首をひねる。タバサの言葉が本当なら、エラゴンは東方のロバ・アル・カリイエよりも、さらに遠くから来たことになる。
「じゃあ、ドラゴンについては? なんであいつが卵を持って出てきたのよ」
「そのあたりの経緯についても不明。ただ、エラゴンは竜の卵を保護する役割にあったと推測される」
どうやら、タバサが知っていることも、そう多くはないようだ。
「うむ。その辺のことについて今から話そうと思っていたんじゃが。どうじゃ? 少しは落ち着いたかの」
ルイズとタバサの会話が途切れたのを見計らって、オスマンが話を切り出してくる。ルイズもようやく自分自身が落ち着きを取り戻してきたのを感じた。
「この集まりはエラゴンが望んだものなんじゃ。おそらく疑問に思っていることが山ほどあるじゃろう。お主らの質問全てに、エラゴンは答えるつもりでおる」
オスマンの言葉を聞いたルイズがエラゴンに目を向けると、彼は深く頷いた。
「……じゃあ、あんた一体何者なのよ。どうしてドラゴンの卵と一緒に召喚されたの? このドラゴンは一体何? どうして私たちと戦ったのよ? 」
ルイズはエラゴンに対して、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。しかし、エラゴンは困ったように首を振るだけだ。
「何? 答えられないってこと? 」
「これ、ミス・ヴァリエール。そうまくし立ててもエラゴンが理解できんではないか。彼はここに来てまだ1日しか経っておらんのじゃぞ」
見かねたオスマンがルイズを止める。ルイズも、エラゴンの話し方がたどたどしかったことを思い出す。
「す、すいません。でも、それじゃ話し合いなんて意味ないじゃないですか」
「それについてはちゃんと手を打っておる」
そう言うとオスマンは、シルフィードに目を向けた。
「……また通訳? 」
「いや、ミス・タバサの手は煩わせん。お主の使い魔に直接喋らせれば良い」
ルイズはオスマンの言葉の意味がわからなかった。風竜が喋れるはずがない。
「今朝エラゴンが試してみたら、うまくいったそうじゃ。あとは、お主の許可さえあれば、事がスムーズに運ぶ」
「………」
タバサが何かを考え込むように黙る。その顔を、彼女の使い魔であるシルフィードが覗き込んでいる。しばらくして、顔を上げたタバサがシルフィードに向かって言った。
「喋ってよし」
すると大きく口を開けたシルフィードの喉から発せられたのは、鳴き声とは違うものだった。
「やっとなのね! お姉さまったら、シルフィに馬鹿な風竜の真似しろっていうですもの! 」
「ふ、風竜が喋ったっ!?」
ルイズが驚愕とともに叫ぶ。その方に乗ったドラゴンも驚きで身を硬くしている。正面に座ったエラゴンですら目を丸くして、食い入るようにシルフィードを見つめている。
「誰が風竜なのね! あんなおバカたちと一緒にしないで欲しいのね。わたしは偉大なる古代の眷属。喋れるのは当たり前なのね! 」
「うるさい」
「もうっ、お姉さまも勝手なのね! 喋るなって言ったり、喋れって言ったり。おかげで退屈でしょうがないのね! 」
シルフィードは流暢にタバサとの会話を続ける。その様子を見て、ルイズは頭の隅に何か引っかかるものを感じた。そして、古い資料で読んだことがあった、ある種族のことを思い出した。
「そうか! シルフィードは風竜じゃなくて、韻竜だったのね! 」
ルイズの言葉にタバサが頷く。韻竜とは、高い言語感覚を有す、発話可能な竜の一族である。また、エルフと同じく先住魔法も操るとされている。ただ、昔から韻竜の目撃例は極端に少なく、ここ数百年は一度も存在を確認されていないため、絶滅したと考えられていた。
オスマンが、一同の反応に満足げに頷く。そして、オスマンに肩を叩かれたエラゴンが我に返ったように椅子から立ち上がった。そのままシルフィードの前で片膝をつき、うやうやしくこうべを垂れる。エルフの慣習に疎いルイズたちが見ても、シルフィードに対してエラゴンが最大限の礼を尽くしていることがわかる。
「何? どうしちゃったの? 」
「ふふん。 わたしは気高き韻竜の血族。それを前にした人間の態度としては、これが当然なのね! 見習うといいのね! 」
シルフィードの澄まし顔に、ルイズは少しだけイラっとした。ルイズには、この竜がそれほど神秘に満ちた存在とは到底思えない。言動が子供っぽすぎる。
「韻竜って言ったって、あんたまだ子供でしょ? 」
「な、何を言うのね! シルフィードは数千年の時を生きる賢者なのね! もう立派な大人なのね! 」
「どうだか。あんたに比べたら、私のドラゴンの方がまだ知的に見えるわ」
「それは聞き捨てならないのね! 私がそのちびすけよりバカに見えるっていうの!? きゅいきゅい! 」
「これこれ、やめんかい。エラゴンが困っておろうが」
言い合っていたルイズとシルフィードは、オスマンの言葉でエラゴンの存在を思い出した。エラゴンは跪いたまま困ったような表情をしている。
「シルフィードはまだ幼体じゃが、お主よりも遥かに長い時を生きているのも事実じゃ」
「そうなんですか? 」
「うむ、儂の見たところ、200歳ってところかの? 」
「200歳!? 」
オスマンの言葉に、シルフィードがビクッと身を震わせる。どうやら図星らしい。
「エラゴンは年長者に対して礼を尽くしておるだけじゃ。エラゴンが元いた場所では当然のことらしいぞ」
「で、でも200歳でこの子供っぽさ……」
「どういう意味なのね! 」
ルイズのつぶやきにシルフィードが抗議の声をあげる。
「どうやら、言葉がわからないゆえに、言動の幼稚さまでは伝わっておらんようじゃの。エラゴンの目には、シルフィードは正しく賢者として写っておる」
改めてルイズはエラゴンの表情を読み取る。確かに、ルイズと言い争う様子を見ても、シルフィードへの尊敬の念は薄れていないように見える。すると、シルフィードがいきなり黙り込み、エラゴンの瞳を見返す。タバサも何かに耳を傾けるようにしている。その後、タバサがシルフィードに尋ねた。
「……なんて言ったの?」
「謝っていたのね。自分のせいでわたしが怒り出したのか心配しちゃったのね」
「え? 何? 今何が起こったの?」
ルイズは、その不思議な様子に目を白黒させる。エラゴンとシルフィードの間で、何かしらの意思疎通が図られたように見えた。しかし、二人とも一言も発していない。
「エラゴンは言葉を介さずに、直接頭の中に語りかけるようにしてドラゴンと会話ができる」
「うむ。ドラゴンライダーならば皆有しておる能力じゃ」
タバサの説明をオスマンが補足する。昨日、ルイズも同じようにエラゴンに語りかけられた。ならば、自分とエラゴンも同じように心で会話することができるのではないか。ルイズはそう思って、言葉がエラゴンに届くように念じながら、彼の名前を頭の中に思い描いた。
〔エラゴン〕
シルフィードと向き合っていたエラゴンが何かに気づいたように、ルイズに目を向けた。
〔ルイズ。アトラ・エステルニ・オノ・セルドゥイン〕
頭の中に声が響く。同時にエラゴンが親指と人差し指を唇にあてる仕草をした。ルイズの試みは成功したようだった。
「ミス・ヴァリエール。お主も問題なく扱えるようじゃの」
その様子から、オスマンには二人が心で会話したのが見て取れたようだ。ルイズは自分に備わった不思議な力に興味がわいてきた。
「オールド・オスマン。あなたが言うドラゴンライダーとは一体なんなのですか? 」
「それはエラゴンの口から聞くのが良いじゃろう。では、エラゴン、シルフィード。よろしく頼むぞ」
エラゴンとシルフィードが頷く。そこでルイズはふと疑問に思った。
「あれ? シルフィードはエラゴンの言葉がわかるの? 」
ルイズもエラゴンと心で会話することはできたが、その意味まではわからなかった。
「彼が使う言葉と、わたしたち古代の眷属が使う言葉はすごく似てるのね」
「そうなの? でも、彼すごく遠いところから来たんでしょ? 」
「確かに、彼の文化圏にしかない言葉はシルフィにも理解できないのね。でも、森や空、海みたいに昔から普遍的にあるものは、大体似たような響きの言葉だからわかるのね」
韻竜が用いる特別な言葉については、ルイズも初耳だった。だとしたら、なぜエラゴンがその言葉を扱えるのだろう。
「要は方言みたいなものなのね! 」
「そう聞くと大したことに思えなくなってくるわね……」
ルイズが拍子抜けすると、タイミングを見計らっていたらしいエラゴンが、話し始めた。シルフィードの言っていた古代の言葉を用いている。その言葉を聞いたシルフィードが同時に通訳する。
「『僕の名はエラゴン。オスマン氏から紹介があったように、僕はドラゴンライダーなのね!』 」
「変な語尾は禁止。正確に訳して」
「うぅ……。『ドラゴンライダーとは、ドラゴンと特別な契りを交わした者たちのことを言う』」
タバサに忠告されたシルフィードが、渋々エラゴンの言葉を訳していく。
「ドラゴンとライダーの起源については今は省略する。どちらも数千年前から存在する種族だと理解してくれていればいい」
エラゴンはルイズとタバサの反応を伺いつつ、話を続ける。ルイズは驚いたような表情をしていた。
「アラゲイジアというのが、僕の故郷の名だ。アラゲイジアに住まうドラゴンは特別な力を持っている。その能力は多岐にわたり、ライダーである僕達も、ドラゴン自身でさえ把握しきれていないほどだ。」
エラゴン自身も、ドラゴンが引き起こす奇跡としか言いようがない現象を、何度も目の当たりにしてきた。
「ドラゴンの持つ不思議な力は、卵の中にいる時から発揮される。ドラゴンたちは、卵の中で自分にふさわしいライダーが現れるまでひたすら待つ。彼らは何らかの方法で、卵の中にいても周囲の状況がわかるんだ。ドラゴンが認める者が現れなければ、何十年も卵は孵らない。そして、卵から孵った幼竜と契りを結んだ者がドラゴンライダーとなるんだ」
エラゴンはかつて自分に同じように語ってくれた、父ブロムのことを思い出しながら、ルイズたちにもわかりやすいように噛み砕いて説明していく。
「つまりルイズ、君はドラゴンライダーになったんだ」
いきなり名指しされて驚いたのだろう。ルイズが大きく目を見開いている。
「右の手のひらに白く光る楕円形の痣があるだろう。それこそがドラゴンと契約した証。ゲドウェイ・イグナジアだ」
ルイズとドラゴンが一緒になって手のひらを覗き込む。
「ドラゴンと契約したライダーには、様々な変化が現れる。身体能力が向上し、目が良く見えるようになる。耳もだんだん尖ってくる」
その話を聞いたルイズが、確認するように自分の耳を触った。エラゴンはその純粋な反応に思わず笑ってしまう。
「体の変化は長い時間をかけて成されていく。すぐに実感できるほどの変化は現れない。僕も今はエルフのような外見をしているけど、元はごく普通の人間だ」
そこでルイズから質問が飛んだ。イルククゥがそれを即座に訳す。
『ライダーは皆、最終的にはエルフのような外見になってしまうのか』
どうやら、ルイズにいらぬ心配をさせてしまったらしい。彼女を安心させるために、エラゴンはその質問に答える。
「いや、均整のとれた体つきにはなるけど、外見はあくまで人間の範疇を出ない。耳も他の人よりは尖っている程度だ。僕は少し特殊な例なんだ」
エラゴンの回答を聞いて安心できたらしい。ルイズがほっと胸をなでおろした。
「それと、ライダーにはドラゴンと心で会話できる力が備わる。君がさっき実践して見せたことだ」
そこでエラゴンを口をつぐみ、ルイズとイルククゥに届くように念じながら、頭の中で言葉を発した。
〔こんな風にね〕
声が届いたのだろう。ルイズとイルククゥ、それにタバサが頷き返してくる。どうやらイルククゥを通じてタバサにも声が届いたようだ。
オスマンから聞いた限りでは、タバサとイルククゥはライダーの契約を交わしていない。話によると、この世界の使い魔の契約というものの効果らしい。聞いた限りでは、ライダー契約との類似点が多く見られる。そのことに疑問を抱きつつ、今は説明を優先する。
「この力を使って、ライダーはドラゴンと会話するんだ」
そこで今度はタバサからも質問が飛んだ。
『アラゲイジアのドラゴンは、全個体が会話することが可能か』
「その通りだ。彼らは僕たち人間と変わらず高い知能を有している。ただ、イルククゥのように直接声に出してしゃべることはできない。口の形がしゃべるのには向いてないからね。その代わり、心で会話するんだ」
わざわざタバサが今の質問をしたということは、この地では会話できるドラゴンは珍しいのかもしれない。アラゲイジアでも、ライダーが現れるまでは、ドラゴンは言葉を持たなかったらしい。ここのドラゴンたちは、より野生に近いのだろうか。
「僕のパートナーのドラゴンは、生後一週間で喋り出したよ。君のドラゴンも、そのうち喋りだす」
今もルイズの肩に乗ったドラゴンは、エラゴンの話に耳を傾けている。まだ話が理解できているとは思えないが、確かな知性を感じさせる。
「さて、ドラゴンとライダーについては今はこの辺りで切り上げよう。隅々まで話していては、夜が明けても終わらない。たぶん君たちが次に知りたいのは、僕が何者か、ということだろう」
話が切り替わったのを感じ取ったルイズたちが、改めて背筋を伸ばす。ここから先はオスマンにも詳しくは話していない。
「それを話すには、アラゲイジアが現在までたどってきた道のりを話さなくてはならない。長くなるかもしれないが、必要なことなんだ。漏らさず聞いてほしい」
ルイズとタバサが頷く。それを確認してからエラゴンは話し始めた。
「ドラゴンとライダーが数千年前から存在しているのはさっき話したよね。アラゲイジアには人間やドラゴン、ライダー以外にも様々な種族がいる。エルフ、ドワーフ、アーガル。他にもたくさんの種族がいるが、それらがぶつかり合わないように秩序を守っていたのがドラゴンライダー達だった。最盛期には彼らが収める地はアラゲイジア全土となった。それほどに強大な力を持っていたんだ。彼らには寿命がなかったから、戦い以外で命を落とすことはなかった。数百ものドラゴンが、ライダーとともに空を駆けたそうだ。
では、今アラゲイジアに存在するドラゴンライダーは何人いるのか……。僕を含めて、三人だ」
これにはルイズたちも驚いたようだ。エラゴンは話を続ける。
「ドラゴンも、そのパートナーである3匹だけ。アラゲイジア全土を納めるほどだったライダーたちが、今やたったの三人だ。ライダー族はたった一人の裏切り者の手によって滅亡寸前まで追いやられた。裏切り物の名はガルバトリックス。彼と、彼にそそのかされた十三人の裏切り者たちによって、ドラゴンとライダーはそのほとんどが殺戮された」
見ると、イルククゥの顔も青ざめている。少しだけ訳すのが遅れた。
「もちろん、ライダー族も反撃に出た。戦いが終わる頃には、裏切り者たちもガルバトリックスを除いて全滅していた。決着はライダー族の長、ヴレイルとガルバトリックスの一騎打ちに委ねられた。そして、その戦いにガルバトリックスは勝った。これで彼に対抗できるものは一人もいなくなってしまった。
それからはライダー族に代わって、ガルバトリックスがアラゲイジアを治めるようになった。悪夢のような時代だよ。ライダーとともに戦っていたエルフやドワーフたちも身を隠してしまった。だが、アラゲイジアを手に入れたガルバトリックスには、後一つだけ必要なものがあった。自分の下僕となるドラゴンライダーだ。
彼の元には、ライダー族から奪い取ったドラゴンの卵が三つあった。ガルバトリックスは自らの手で滅ぼしたライダー族を、自らを王としてもう一度復活させるつもりだったんだ。だが、ドラゴンに認められる人間はそう簡単には現れない。ガルバトリックスに従っている人間の中から、ライダーにふさわしい者など現れるはずもない。ガルバトリックスはそこで足止めを食らったんだ
そして、その隙をついて、ブロムという生き残りのライダーが、ガルバトリックスの元からドラゴンの卵を一つだけ奪い返した。当然ガルバトリックスは怒り狂って追っ手を差し向けたが、その人は巧妙に逃げ回り、卵を信用できる人たちの元へ預けて消えた」
そこでエラゴンは一息いれる。ここからは自分自身の話だからだ。紅茶を一口だけ口にして話に戻る。
「その卵から孵ったドラゴンと契約したのが僕だ。卵は紆余曲折を経て、何も知らなかった僕の元へ来た。僕は生まれたドラゴンをサフィラと名付けて育てた。そしてある日、僕の元にもガルバトリックスの刺客がやってきた。僕とサフィラは、ブロムが守ってくれたおかげで助かったが、僕の義父が殺された」
エラゴンの話が、思いの外深刻だったからだろう、ルイズが複雑な表情をしている。
「その日から、僕はガルバトリックスとその手先に復讐することを誓ったんだ。戦う術は旅の最中でブロムが教えてくれた。やがて僕たちはヴァーデンという反乱軍に身を置くことになった。人間、ドワーフ、エルフ、後に加わるアーガルなどからなる連合軍だ。僕は反乱軍の象徴として、帝国軍と戦い続けた。良き師に巡り会えたこともあって、僕とサフィラは着実に力をつけた。ヴァーデンも帝国に反発する人々を取り込んでより大きくなっていった。僕たちがガルバトリックスを打倒できる可能性を手にした頃、首都ウルベーンで帝国軍とヴァーデンの最終決戦が始まった。僕とサフィラの役目は、ガルバトリックスを直接殺すことだ。奴の魔法は強大だったが、一瞬の隙をついてガルバトリックスを無力化する魔法をかけることに成功した。瀕死の傷を負ったガルバトリックスは、最後は奴自身の魔法でこの世から消え去った」
オスマンが神妙に頷いている。彼の正体も詳しくは聞けていないが、ガルバトリックスを敵視していたことは間違いない。
「こうしてアラゲイジアはガルバトリックスの支配から解放されたが、僕自身には課題が残った。ライダー族の再生だ。さっき言った僕以外の二人のライダーは、ガルバトリックスが持っていた卵から孵ったドラゴンと契約したんだけど、実はそれ以外にもドラゴンの卵が残っていたんだ。ライダー族がガルバトリックスから巧妙に隠した卵さ。残された卵を守り、時が来て新たなドラゴンライダーが生まれれば、それを正しく導く。それこそが僕の使命だと考えたんだ。それ以来、僕はアラゲイジアから離れ、誰も手が出せない場所で卵を守っていた。新たなドラゴンライダーが生まれるその日を待ち望みながら。そしてある日、卵を吸いこもうとしてる謎の魔法に、卵と一緒に飛び込んでここに来たんだ」
これで、エラゴンの話は終わりだ。途中を大きく省略したが、大まかには理解してくれただろう。
「これで、僕がどういう人間なのかは理解できたかな? 」
ルイズとタバサの二人に聞くと、頷いてくれた。それを見たエラゴンがある提案をした。
「今までの話を踏まえて、ルイズ、タバサ。僕の元でドラゴンライダーとして修行を積まないか? 」
エラゴンの突然の提案にルイズは戸惑った。隣を見ると、タバサも目で見てわかるほどに驚いている。感情をまったく表に出さないタバサにしては珍しい。
「ちょっと待て! ミス・タバサもか? 」
オスマンが慌てたように言う。エラゴンがルイズだけでなく、タバサも誘ったのが意外だったらしい。
『僕も、ハルケギニアのドラゴンとライダーの在り方については興味がある。それに理由は他にもある』
エラゴンが目配せをすると、シルフィードがそれに答えて部屋の隅から、大きな袋に入った何かをくわえて持ってきた。中から出てきたのは、タバサの折れた杖だった。
「それは……! 」
『この杖を直すことは僕にはできない。外見をそっくりそのままの状態にしてくっつけることはできる。ただ、それは見た目の話で、中身は違う。ここでは杖を魔法の触媒にするのだろう? なら、使っている君自身が一番よくわかるはずだ。僕が直したのでは、以前とはまるっきり別物になってしまう。残念だけど、僕が使う魔法には物質への理解が大切なんだ。この杖を直せるほど、僕は君とこの杖を理解できていない』
タバサの表情がわずかに歪んだのがルイズにはわかった。タバサにとって、この杖はかけがえのないものなのだろう。
『だけど君なら直せる』
「……どういうこと? 」
『君が魔法を習得して、君自身が思い描く通りに杖を修復すればいい。その杖を直すには君自身がやるしかない。僕はそれを手助けすることならできる。だが、ライダー族の魔法は門外不出だ。師弟の関係以外で、魔法を教えることはできない。もし本当に君が杖を治したいなら、僕を師とする以外方法はない』
「エラゴン! そのような脅迫めいた物言いはやめんか! 」
『事実です、オールド・オスマン。僕も彼女に償いがしたい。それにはこうするしかない』
タバサはしばし考え込んだ後にエラゴンに言った。
「弟子になれば、杖を直す以外の魔法も教えてくれる? 」
『それは君次第だ。君がライダーとして正しく成長することができたなら、僕が知る全ての魔法を君に授けよう』
タバサは傍に控えるシルフィードに目を向けた。
「あなたがエラゴンに頼んだの? 」
「うん! だってお姉さまとっても悲しそうなんですもの。勇気を出してシルフィがエラゴンに頼んだわ。 きゅいきゅい! 」
「あなたはエラゴンの弟子になってもいいの? 」
「私はお姉さまについていくのね! 」
「そう……」
タバサがもう一度エラゴンに向き直る。表情からは読み取れないが、何かを決意したように見える。、
「あなたの弟子になる。私に魔法を授けてほしい」
『ならば、私のことはマスターと呼びなさい。もしくはエヴリシルだ。イルククゥそなたもだ。そなたたちは私の弟子。それにふさわしい敬意と礼節をもって振舞いなさい』
「はい。マスター・エラゴン」
タバサの願いを聞いたエラゴンが、突然厳格な雰囲気を身に纏う。口調は穏やかだが、タバサとシルフィードに絶対服従を求めているようだ。今までにはなかった、エラゴンの指導者としての顔が垣間見える。
エラゴンがルイズの方に向き直る。
『ルイズ。君はどうする? 』
「私は……」
『答えを急ぐつもりはないんだ。君のドラゴンが喋れるようになったら、一緒に考えるといい。ただ、現時点での考えを聞かせて欲しい』
「……私は、一流のメイジになるために今まで頑張ってきた。だから、急にドラゴンライダーになったって言われてもよく分からないし、ドラゴンライダーとして修行をするつもりもないわ」
『そうか……』
期待していた答えではなかったのだろう。エラゴンの表情が曇る。
『わかった。魔法は教えることはできないが、ドラゴンについてならなんでも聞いておくれ。知識だけでも君たちには伝えておきたい』
「そうだ! この子まだ目が開いてないんだけど、いつになったら開くの? 」
ドラゴンの頭をかきながら、ルイズがエラゴンに尋ねる。
『目が開かないドラゴンについて僕も聞いたことがなかった。多分生まれてくるときに生命力を使いすぎたことが原因だと思う』
「そんな……。治らないの? 」
『僕の魔法でなんとかできるかもしれない。この子がこうなったのには僕にも責任があるからね』
エラゴンが目を閉じて、ドラゴンの頭に手をかざす。ドラゴンも大人しく首を垂れている。エラゴンが古代語を唱えて魔法をかけ始めた。呪文を唱え終わった後も、エラゴンはしばらくの間手をかざし続けた。エラゴンがゆっくりと目を開けたのを見て、ルイズが声をかけた。
「どうなったの ? 」
『この子の幸福を切に願った。魔法がうまく機能すれば、じきに目が開くだろう』
「本当? よかった〜」
『ルイズ。君はこのドラゴンにもう名前はつけたかい? 』
「名前? 」
言われてからルイズは気付いた。そういえばこのドラゴンにはまだ名前がなかった。
『名前はドラゴンが成長する上で重要な要素なんだ。そのドラゴンをピタリと言い表すような名前が好ましい』
「名前ねえ……」
ルイズはドラゴンの顔を覗き込みながら考え込む。小鳥くらいは飼ったことがあるが、未だに名前を決めたことは一度もなかった。ドラゴンの薄桃色の鱗が目に入る。この色は印象的だ。ならば同じような色の花の名前などはどうだろう。
ルイズが頭を悩ませていると、ドラゴンが首をもたげてルイズと視線を合わせてきた。唐突にぱちりと目が開く。ルイズが驚きの声を上げる間もなく、ルイズの頭に声が響いた。
〔ゼロ! 〕
一瞬何を言われたのかわからなかった。まさかこのドラゴンは、自分をゼロと呼んだのだろうか。
〔ゼロ! ゼロ! ゼロ! 〕
「何回も言わなくていいのよ! 何? あんたわたしをバカにしてるわけ? 」
『ルイズ。多分このドラゴンは、ゼロが自分の名前だと思ったんだ。日頃からそう呼びかけたりはしなかったかい? 』
エラゴンの言葉にハッと気がつく。そういえば、このドラゴンは常に自分の肩に乗って、周りからゼロと呼びかけられていた。もしそれで勘違いしたのだとしたら。
「ダメ! ゼロは絶対ダメ! 」
〔ダメ! ダメ! ゼロ! ゼロ!〕
「いやよ! それだけはゼーッたいダメ! 」
〔ゼロ! ゼロ! ゼロ!〕
騒ぎ続けるルイズとドラゴンを見ているエラゴンの胸中は、驚きに包まれていた。まさか生まれて二日で喋り出すとは。個体差を鑑みても早すぎる。もしかしたらエラゴンの魔法が思わぬ方向に働いたのかもしれない。あるいはこのドラゴンの特異性か。
しかし、ルイズにドラゴンライダーになるつもりはないときっぱり言われてしまった。本音を言えばなんとしてもドラゴンライダーとして育て上げたいが、強制することもできない。それをしてはガルバトリックスと同じだ。
複雑な思いでルイズとドラゴンを見つめていると、不意にルイズとドラゴンに、自分とサフィラの姿が重なって見えた。
そういえば、あいつが生まれた時もこんなことがあった。
《おまえ、名前が欲しいんだろ? 今日、いい名前を教えてもらってきたんだ。きっと気にいるのがあると思うぞ》
あの時自分は、ブロムにたくさんドラゴンの名前を教えてもらっていた。
《ヴァニラーはどう? その後継者はエリダーっていうんだ。どちらも偉大なドラゴンだったんだぞ》
《いや》
あいつは面白がるように言った。
《エラゴン》
《それはぼくの名前だ。おまえにはやれないよ》
それからいくつ名前を言っても、あいつは気に入らなかったからそこで気づいたんだ。
《そうか! 男の名前ばかり言ってた。おまえは女なんだ! 》
《そうよ》
そうして、結局あいつが選んだのは、僕の父が共に翔けたドラゴンの名前。
《おまえはサフィラ? 》
《いかにも》
唐突にエラゴンは喪失感に苛まれた。共に在るのが当たり前すぎて忘れていた。サフィラの存在を感じられないことが、エラゴンに途方も無い恐怖心を抱かせる。
今すぐにでもここから飛び出してサフィラを探しに行きたい。エラゴンはそう思ったが、一方で、まだここから離れられないことも理解している。少なくとも、ルイズとドラゴンが身を守れるようになるまでは、彼女たちのそばにいなくてはならない。
やるせない思いを表情には出さず、エラゴンは雑念を振り払う。大丈夫だ。自分と同じようにサフィラもまた成長してきた。彼女なら自分よりもうまく立ち回れるに違いない。サフィラと歩んできた道のりが、エラゴンにそう確信させる。今のエラゴンを見たら、きっと彼女はもっとしっかりしろと叱責するはずだ。今は、少女たちとドラゴンの育成に全力を尽くさなくてはならない。
弱音を吐くのはこれが最後だ。誰にも聞こえぬよう、ポツリと一言だけこぼした。
「会いたい」