真実を知った一誠はそこから暫くの間、動揺していた。その時の一誠は言われるがままに行動する人形に近かった。その所為だろうか、一誠は咄嗟の反応が遅れてしまった。いきなり背後から捕まえられたので驚き、背後から羽交い締めにしている奴の顔を見るとーーーー茉奈だった。
「おい、どういうつもりだ!?なんで俺はお前から羽交い締めにされなきゃならんのだ!」
「ぶっふっふ……隙だらけの一誠なんて珍しすぎるにも程があるぐらいに珍しいからね。これほどチャンスと言うべき時はないでしょう!」
「ちょっと待て、お前まさか……」
「さあ!一緒に天照様の所に行こう!暴れても無駄だよ?何時もならいざ知らず、弱っている一誠を連れて行くなんて造作もないんだからね!」
「やっぱりか!この、クソ、ふざけんなよ!お前、人が弱っている所を襲いかかりやがって!大体、会談だってまだ」
「ああ、もう終わったよ。会談は無事成功。ついでに言うと、これ月読様と須佐男様のご命令だから私に逆らう権限ないんだよね〜。だ・か・ら、観念しなよ♪」
「そんな楽しそうに言ってる奴の言うことに誰が従うか!」
「今なら御三方しかいないから、他の神格の方々に会うわけじゃないし高天原に行くわけじゃないんだからさ〜……もう諦めたら?ホテルに戻って会うだけなんだからさ。どちらにしても、一旦ホテルに戻るんだから逃げようないんだし。多分魔法陣の前で待ち構えてるよ?」
「どんだけ準備万端なんだよ!嫌がらせか!嫌がらせのつもりか、おい!……どの面下げて会え、ってんだよ。傷つけたくない、なんて免罪符を掲げて逃げだした俺なんかが」
一誠はそういう決断をしたことに後悔はない、と言い続けてきた。後悔などしてはいけないと考えているからだ。ただそういう行動の結果、天照を傷つけてしまったことに関しては後悔し続けてきた。あの温もりに手を伸ばしてしまったらまた傷つけてしまうのではないか、という恐れを抱き動くことができなかった。
会いたい、でも会うことでまた傷つけてしまうのではないかと思うと動けない。今の立場になってしまった所為でその恐怖の感情はもっと強いものになってしまった。神話体系に関して行動することが困難に近い一誠は三大勢力陣営では中立の位置に立ち、他の神話体系に関しても契約という形でしか動けないのだ。
一誠が好き勝手に動くという事はそれだけ世界に影響を与える。下手に関与し過ぎればそれは戦いの火種になる。世界にとって兵藤一誠という存在は歩く火薬庫に近い扱いなのだ。それをなまじ自覚してしまっているので、子供特有のやりたい事をやりたいようにするという考えが一誠にはない。一誠は強大な力を持ったその瞬間から自分が子供であるという認識を捨てた。
一誠を子供のように扱うのはいくら世界広しと言えどもそうはいない。その数少ない存在の1人が天照なのだ。だからこそ、その存在を心の底から守りたいと願ったのだ。たとえもう触れ合うつもりがなくとも、そうあるべきだと思うが故に。
「……一誠は天照様が傷つく事を恐れてるみたいだけど。ちょっとふざけないでほしいかな」
「なんだと?」
「親が子を想う気持ちがそんなに弱いわけないでしょ!一誠が天照様の事を想うように、天照様だって一誠の事を想ってるんだ!女を甘く見るのもいい加減にしろ!」
「それは……そうなんだろうさ。でも、俺は恐いんだよ。人は全部守れるわけじゃない!今だって思い出せるんだよ。俺を助けるために傷ついた、あと一歩で死んだかもしれないあの人の姿が!俺だって会えるもんなら会いたいさ!それでも死んじまったら意味ないだろ!」
その時の一誠の姿はまるで迷子になってしまった子供のようであった。今まで凛々しい、とは行かないまでも毅然とした揺るがない姿を見てきた者たちからすればその衝撃はとても大きな物だった。皆の頭の中から抜けていたのだ。一誠とて1人の人間であり、家族を喪った事すらある。喪失の哀しみを知っているからこそ、それを二度と味わいたくないと思っているのだ。
姫島朱乃にはまだ父親がいる。しかし一誠には両親というものが存在しないのだ。だからこそ口にはしなかったが朱乃の言い分に関してはイラついていた。しかし、それをぶつけるのはあまりにも筋違いだ。だから一誠は何も言わなかった。しかし、一誠のそんな姿を見せられた朱乃の心は激しく震えた。
一誠の両親が既に死んでいるという話は聞いていた。それでも気丈に振舞ってきた一誠のその強さが理解できなかった。だがなんて事はない。一誠は自分の感情を、弱い部分を他人に話すという事をした事がないだけなのだ。いくら辛いことがあっても、悲しいことがあっても耐えてきたのだ。一誠があまり墓参りに行かなかったのは両親の死とちゃんと向き合うのが怖かったからだ。
自分の両親の時も、天照の時も、両方とも傷ついた理由は自分なのだ。一誠が強烈すぎるほどの力を渇望したのは、喪失の痛みを二度と味わいたくないという恐怖心から来ているのだ。奪われる事を嫌うが故に、奪う者が現れぬ限り力を振るうことをしない。ただし、現れた時には容赦しない。命を奪う事すら辞さないその姿に人は、人外の類は指を指して一誠の事をこう呼んだ。『化け物』と。
それを悲しんだ時期もあったが、次第にどうでも良くなった。よく言えば気にしなくなった。悪く言えば自らの手で心を壊したのだ。高々『化け物』と呼ばれるだけで悲鳴をあげてしまうような軟弱な心を。一誠のありようが変化し始めたのもこの頃からだろう。家族や知り合いでもない塵芥のために何故力を振るわねばならない?略奪する側からされる側になっただけで、そのありようをコロッと変えてしまうような脆弱な者たちを何故助けねばならない?
気まぐれや仕事を除けば、一誠が知りもしない者を助けた事もないのだ。太陽の温もりによって変わった心は、現実という寒気によって砕け、そのありようを変えてしまった。兵藤一誠という存在はけして強くはない。喪うことを恐れる割と怖がりの人間なのだ。それは当然のことだ。誰しもが喪失を忌み嫌い、そんなことが起こってほしくはないと考える。
話に集中しすぎて一誠は気づいていなかった。転移によってホテルに戻ってきていることに。そんな一誠を後ろから温かい何かが抱きしめた。一誠が振り返るとそこにはーーーー天照大御神がいた。そのさらに後方には月読尊、須佐男尊が立っていた。
「……久方ぶりですね、一誠。本当に大きくなったものです。私にその顔をもっとちゃんと見せてください」
「……嫌だ。俺はもう昔とは違うんだ。俺は貴女の子供じゃない」
「ふふふ……。変わりませんね。貴方のそうやって拗ねている時の口調は。一誠、貴方がどう思っても貴方は私の息子。誰にでも誇れる立派な子です」
「でも俺は!あの時、巻き込んでしまった。俺が解決するべき事だったのに、巻き込むべき事ではけしてなかったのに。巻き込んで死にかけて……俺はあそこにいるべきではなかったんだ。俺という存在がそんな事態を招いてしまった。貴女の前にはもう出ないと決めていたのに」
後ろから抱きしめていた温もりが消えたと思った次の瞬間、正面から俺の頭を抱きしめた。そしてゆっくりと労わるように、俺の頭を撫で始めた。視界が歪む。まるで海の中にいるように……同時に俺の頬も濡れていく。
「私は貴女の母親でありたい。本当の両親を喪い、今までずっと我慢して生きてきたのでしょう?よく頑張りましたね。でも、良いのですよ。辛いことを辛いと言っても、苦しいことを苦しいと言っても、悲しいことを悲しいと言ってもね。私だけではない。貴方の傍には頼れる人たちがいるのでしょう?でも、今は……今だけは泣いてください。今までの辛さを、苦しさを、全部吐き出しなさい。心配せずとも、ちゃんと受け止めますから。ね?」
その母親の温もりに包まれ、俺は十年ぶりに涙を流した。初めて自分は頑張ったのだと、苦しくても辛くても懸命に駆け抜けたのだと、力を求めて求めて……その果てに最強の座を手にしたのだと、現実の無情さを嘆いた事もあったのだと。弱音を吐いて吐いて……まるで幼い子供のように、一誠は泣き続けた。そしてついに泣き疲れて眠ってしまった。その顔は、見るからに晴れ晴れとした物になっていた。