白亜の廊下を歩きながら不意に目の前が暗くなるような錯覚に陥ることがある。
最近はほぼなくなったが、以前は見えない未来に惑いすべてが闇に包まれるような感覚をよく抱いていた。
夏の日差しが差し込む医大の廊下を歩きながら俺は眠い目をこする。
昨夜も発情してしまったためひとりで治療した。
最近、発情期の感覚が短い気がする。
理由を考える上で俺は自分の身体を調べた。
もちろん獣症の再発も考えて三成にも検査の結果を見てもらっている。
しかし三成の話では頭部に残った腫瘍が肥大した様子も新たにできた様子もないという。むしろ薬物治療によりほぼ縮小しているとのこと。
ならば何が原因なのかと、俺は三成と考えてしまった。
しかしどれだけ首を捻っても答えは出ず、三日ほど経っている。
わたり廊下を歩きながら横へ目を向けると青い空の比較的高い位置に薄い雲が見られた。少し前まではうるさいほど中庭で鳴いていたセミの声も今はかなり少ない。
晩夏というべきか。天の高さから秋の近づきを感じることができた。
「まっことー!」
空を眺める俺のもとへ慶次が駆け込んできた。見やればそばに小児科の患者が何人かいる。
「いま忙しい? 一緒にバスケやらない?」
「すまない。まだ仕事があるんだ」
慶次の誘いに簡単に返しながらまた誘ってくれと付け加える。
いつ発情するともしれない状態での運動はかなり危険だ。
血行が良くなるとそれだけで耳が出てしまう恐れがある。
仕事を終えた俺はどうしようかと考えながら休憩室に残っていた。
本当にどうすればいいのかわからない。
いっそのこと前のようにしばらく当直を交代してもらおうか。そうすれば連続勤務となるが、医大を離れることはなくなる。
もし万が一発情期が来たとしてと地下の治療室へ駆け込めば済む話だ。
それにもしもの時にはすぐに三成に相談する事もできる。
考え事をしていると信長がやってきた。お疲れ様と声をかけられて俺もそれに返す。
すると信長のあの強い眼光が俺に向けられた。
「君はわかっていないようだから言うけどね」
唐突にしゃべりだした信長に俺は眉を浮かせて相手を見つめる。
「政宗は明日休みだよ」
「…………?」
どんな重要な話かと構えていた俺は意外すぎる発言に首を傾ける。
「政宗に会いたくて恋い焦がれているんだろう?」
言おうとする事を理解した瞬間、俺の顔は真っ赤になっていただろうと思う。
「政宗を抱き締めると心が落ち着くと、前に言っていたよね。けれど最近はそれをしていないだろう?」
だから落ち着かないんだよ。そう語る信長に、俺は今度こそうなだれていた。
発情期が多発する事と俺が政宗に触れていない事の因果関係はあるのだろうか。
それはわからないが、確かにここ最近は俺も政宗も忙しくてまともに顔を合わせていなかった。
寮に帰り政宗の部屋を訪れると政宗は驚いた顔ながら迎えいれてくれた。
「どうしたのだ。汗だくではないか」
ハンカチを取り出した政宗は丁寧な仕草で俺の額の汗を取ってくれる。
そんな政宗の顔をじっと見つめた。
帰宅したばかりであるためか白い肌はしっとりと汗ばんでいる。それに俺の汗を拭いてくれているが、そんな政宗も額には汗がにじんでいた。
長いまつげを伏せて心配そうに俺を見るその仕草も、説教めいた言葉を紡ぐその唇も、すべて俺の好きなものだった。
それに着物に隠されたたくましい体格も、俺をすっぽりと包み込んでくれる腕も何もかも。
「政宗……」
「どうしたのだ? 今夜の真琴は少しおかしいぞ。そういえば豊白が体調を気にしておったが、どこか悪いのか? 」
話すことの苦手な俺にはこの気持ちを伝える言葉が思い付かない。
それでも伝えたいと、俺は精一杯の気持ちを込めて政宗を抱き締めた。
聞けば政宗は帰宅して夕食の支度をしていたらしい。そのため調理中の鍋は火を消されて放置されたが、俺は逆に火をつけられていた。
頻発する発情期は今も俺を支配して耳と尻尾を出している。狂暴な獣が俺の一部を支配して目の前の獲物を食らい尽くせと唸っているようだった。
そしてその衝動のまま、俺は政宗の中に自分のものを深く埋め込んでいた。
「ひっ、あああっ!」
良いところに当たったのか政宗が悲鳴に似た声をあげる。脱ぎ捨てられた着物を握り締めて耐えるような顔で口を開く。涙目になりながら空気を求めて口を動かし息を吸おうとするが、溢れる声がそれを阻んだ。
突然押し掛けられこうして組み敷かれても政宗はすべてを受け入れてくれた。
そんな優しい恋人を本当は優しく大切にしたいのに、なぜかその気持ちが表に出てくれない。
何度も何度も政宗のナカに出して、それでも足りずに腰を動かし続ける。
政宗もイッてしまうのか何度か背中を仰け反らして声をあげていた。
しかしそれも長くは続かず徐々に政宗の反応が弱くなっていく。
それでもその時の俺は……俺の中の衝動は収まることを知らなかった。
ただひたすらに政宗を食らってその中に欲望を吐き出して、その一方的な行為はほぼ夜通し続けられた。
今までも発情期を理由に政宗へ無体を強いたことはある。しかし今回は特に酷いと、昼過ぎになってやっと動けるようになった政宗に叱られた。
そしてその上で「どうしたのだ」と、改めて問いかけられる。
そのため俺は隠すことができないと悟った。
最近の頻発する発情期は原因がわからないまま悪化を続けていた。そのため三成にも相談して調べてもらっている。
今まではひとりで治療していたから何も問題はなかった。
しかし昨夜は俺の中の獣が、俺の理性を完全に抑え込んでいた。
「腫瘍はないとはいえ、このままでは俺は……獣になってしまうのかもしれない」
話をすべて聞いた政宗は「わかった」とだけ告げて立ち上がった。
そのまま風呂場へ立ち去る政宗を俺は見送ることしかできない。
今度こそ、さすがの政宗も呆れてしまっただろうか。
政宗は年上だから先輩だからとどんなこともだいたい許してくれてきた。しかしさすがに今回はやり過ぎたと思っている。
夕方まで時間をかけて着替えをして準備をする。着物をまとうと政宗は凛然とした顔を俺に向ける。
「石黒の話を聞いて来ようと思うが、真琴も来るか」
政宗の言葉にうなずいた俺だが、着替える時間だけもらった。
急ぎ自分の部屋に戻るとシャワーを浴びて着替えを済ませる。そうして再び政宗の部屋を訪れると、いつもより少し白い顔のいつもと変わらない笑顔があった。
医大の地下に行き研究室にこもっている三成のもとを訪れる。
するとなぜかそこに信長と秀吉の姿があった。
「やぁ、真琴。今日はスッキリした顔をしてるね」
俺が信長に声をかけられる間に政宗は三成に話しかけていた。
真面目な顔で話し込むふたりを横目に眺めていると眼前に信長の顔が迫る。
「僕と話しているのに目を向けないなんて、許されないよ」
「……悪い。でも……」
「真琴なら知ってると思うけど、秋は妊娠と出産の季節なんだよ」
政宗が気になる俺の目の前で、信長があの目で俺を見据えながら言う。その言葉の意味がわからず俺は信長に意識を向けた。
「どういう意味だ?」
「食べ物があるうちに子を産み育てるってことやないですか、徳川センセ」
わからない俺に秀吉がからかい半分に言う。しかしやはり意味がわからない。
すると信長がため息を吐き出した。
「獣はこの時期に発情期を迎える。特異な症例である真琴も、人であったとしてもそうならない理由はないね」
「じゃあ……俺のこれは」
「伊達川センセと子作りしたがっとるってことやね」
またしても秀吉のからかうような声があがり、今度は信長に分厚い本で殴られた。
発情期……え? 発情期?
すっかり混乱した俺のもとへ話を終えたらしい政宗が戻ってくる。
「事情は理解した」
どことなく顔の赤い政宗に手を取られて研究室を後にした。
動物は夏から秋にかけて子孫を残すため発情期を迎える。そしてその発情期と同じものが俺にも起きていた。
そんな話を帰りすがら俺は呆然と聞かされる。ただなぜか説明する政宗の顔は空と同じ緋色に染まっているのが気になった。
しかし今はそれよりも大切なことがある。
「つまり……俺はしばらくは政宗に触れないほうがいいのか?」
昨夜のように乱暴の限りを尽くしてしまうくらいなら、政宗に触れないほうが良いだろう。
そう考える俺の手を政宗がぎゅっと握った。
「それはならんぞ、真琴」
「だが昨日のようなことをまたするかもしれない」
「そんな事は良いではないか」
顔を真っ赤にさせた政宗は俺の手を強く握ったまま放さない。
「今のおまえが俺を求めるのは……その、つがいを、求めるような……もの、なのだ。だから問題はない。むしろそれを他の者に向けられるより良いのだ」
かなり言いにくそうに、それでも問題ないと政宗は言う。
しかし俺は政宗の言いたいことがわからず首を傾けるだけだった。
ただ政宗が大丈夫だと言うのならそれに甘えていようとは思う。