おそらくこれは出会いというよりも遭遇というほうが正しいかもしれない。
なぜならあの子は学校帰りの俺の足元に言葉通りまとわりついてきたのだから。
「あのねはじめまして!」
どう見ても幼児にしか見えないそれは俺のコートをつかんで頭を下げるしぐさを見せた。
「うちどこかわかる?」
しかし続く言葉に俺は対応できなくなってしまう。
この時の俺はまだ十歳で子供の相手なんてしたこともなかった。それにその子のことも見たことがなかったから、近所の子供だなんて思えなかった。
後に親から聞いた話では、その幼児はその日に引っ越してきた前木さんの子供らしい。
引っ越し作業の合間に大人たちの目を盗んで冒険に出たのだと、言葉の足りない三才児が泣くこともなく大人たちに語ったのだとか。
でも俺とその前木さんの子供との関わりはそれで終わらなかった。
なにせその子供本人が俺を気に入ったらしく勝手に来てしまうのだから。
そんな日々が過ぎて五年が経つと彼は立派な小学二年生となっていた。
少なくとも昨年のようなピカピカの一年生な雰囲気は薄れて小学校にも慣れた様子が見られる。
けれどなぜか彼は毎日のように俺の家にやってくる。
周囲の大人たちは兄弟のようだとか、微笑ましいというけれど、俺は高校受験を控えているんだから笑っていられない。
中学三年の夏休みに俺はボランティアでラジオ体操の手伝いをしていた。もちろん内申点を高めるのが目的で、それ以外の理由なんてない。
「みっちゃん!ハンコちょーだい!」
毎朝のように笑顔を輝かせてカードを差し出す彼に、俺はいつもと変わらない態度でスタンプを押す。
「これ全部集めたらハンバーガー券もらえるんだー。みっちゃんも昔もらった?」
朝から元気な彼は台に手を着いて飛び上がっていた。おかげで作業の邪魔になる。
「そんなものはありません。邪魔ですから台から手を離しなさい」
彼の質問に厳しい言葉で返して次の子供からカードを受けと取る。
彼はつまらないような顔を見せていたけれど、相手をしている暇なんてなかった。俺はあくまでボランティアとして手伝いをしているのだから。
八月末、ラジオ体操最後の日も俺は変わらず手伝い作業をしていた。
集まった小学生たちを眺めて、体操が終わればスタンプを押す。
それだけの簡単な作業も今日で終わりかと思うと物足りない。こんなことでも習慣化してしまえばそれは生活サイクルの一部となるのだから。
「石黒くん、お疲れ様。毎日大変だっただろう?」
スタンプを押している合間に大人のひとりから声をかけられる。それに会釈で返しつつ、いつも騒がしい彼がいない事が気になった。
どうせ寝坊したのだろう。彼がどうしようと俺とこのボランティアには関係ない話だ。
けれどもし事故や病気だったら? そんな考えが頭をめぐったことはある。でも救急車のサイレンが聞こえることはない。
作業を終えて台を片付けながら小学生たちが帰るのを横目にする。その中で見慣れた頭を見つけて俺は目を細めた。
「石黒くん、これあげるよ」
友人らと話しているらしい彼を眺めているとラジオ体操の主催者からチケットを渡された。
「手伝いありがとうね。君も皆勤だからね」
主催者の男性はお疲れ様と言葉を向けて立ち去る。
そうして俺の手元には有名なハンバーガー店のチケットだけが残された。
「みっちゃん!!!」
帰り際、いつもと変わらない大きな声と同時に背後から抱きつかれる。
「おれ最後なのにねぼうした!」
「そのようですね」
「みんなハンバーガー券もらったんだって。おれだけもらえなかった!」
まとわりつく彼を押し離すと、彼はどうしようと落ち込んだ顔を見せていた。
本当に手間のかかる子だと思う。
「これをあげますから静かになさい。近所迷惑ですよ」
俺は先程もらったチケットを彼に渡して黙らせることにした。
今はまだ朝の七時で騒ぐには早すぎる時間だ。
おとなしくなった彼と歩きながら、これから何の教科を進めようかと頭を巡らせる。
すると不意に手をつかまれた。
「これみっちゃんがカイキンショーでもらったやつだろ」
「そうですが、俺はそんなもの食べませんよ。いらないのなら捨ててしまいなさい」
好きでもない物の無料券なんてもらっても仕方ない。そんな考えで告げた俺の手を、彼は今も握っている。
「みっちゃんのそういうとこ大好きなんだよなー。冬はバレバレなんとかチョコたくさんくれたし」
手を繋いだまま歩いていると彼は嬉しそうに言う。
本当にうるさい子だと思うのに、体温の高い彼の手を離す気にはならなかった。