ごうごうと音を立てる
町の外観はともかくとして……眼にした、手に取った工業製品。武器のみならず、家具や服飾品も含めての話であるが、様々に―――現代地球的な観点から見ての話―――違和感を得ていた事を思い浮かべる。
9両編成の
そもそも論として、地下鉄と言うものは地球的現代感覚から言うと、その出自から考えてもモノ・クラスであるのが「常識」であった。しかし今イングリッドが乗っている車両は「貴族専用車」である。紅い帝国の地下鉄に「ダーチャ族専用車」があった、なんていう風聞もあるけれども、イングリッド自身がそれを実見したことはなかった。そも、イングリッドが地下鉄を利用する事なんて年に数回あるかと言うところなのだ。紅い帝国が「紅い」時代に、その地下鉄を利用するなんてことは唯の一度たりとも無かったことなので、「常識」が常識で無い国があったかもしれないという話は、多分に未来永劫、確認する事のできない仮定であり続けることになりそうだった。人間社会が続く限りにおいて未来永劫存在し続けるであろうイングリッドが見逃す事実が存在するというのは、永く存在することがイコール全知になる事ではないという、皮肉な実例の一つと言うわけである。
今現在、明らかな地下を疾走する
大時代的な装飾に飾られた天井は、貴族、平民のわけ隔てなく下から見上げることが出来るので、妙な部分で「平等」と言えるのかもしれない。しかし貴族専用コンコースと平民専用コンコースが複雑怪奇な構造を持って地下で錯綜しつつ、地上では貴族専用の出入り口が立派な建造物を持って道路わきに鎮座ましますという状況にあって、平民専用の出入り口は道路わきに屋根の無い階段が口を開けていると言うのだから差別意識ここに極まれりと言いたくもある。
しかし、貴族専用通路から見下ろした平民通路の端部には、エスカレーターが見えた。昇り、降り、双方が備わり、しかもホームの両端部にあった。ホーム自体がやたらと広く―――貴族専用乗降場を避けて通る通路が必要だから仕方が無い―――その通路部分は列車が停車しない範囲となっているので、ホームの全長は18両分にも及ぶ。
13両分あれば十分ではないかといいたいところだが……両端部共にホームの幅半分以上を貴族専用スペースが3両分食っているため、平民の乗降客が滞留するスペースが必要なのである。そこのところは良く考えられているというべきか、無駄の多い設計と言うべきか。悩ましいところである。
ちなみに平民専用階段は昇降エスカレーターの内側にあって、横に6人は並べそうだったから、2列に並んで乗客が列を成していたエスカレーターと含めて考えればホームの幅が想像出来ようという物だ。
ホームの貴族専用スペースは高さ250センチ―――サントというべきであろうか、背の高い壁で仕切られて、壁の厚みも大した物だった。ホーム中心線上に貴族専用回廊を支える柱があるので、その分、スペースが段違いになっているのだが、そうやってホームから引っ込んだ壁に沿って2人分に区切られたソファシートがいくつも等間隔に置かれて、柱には花瓶にいけられた花、壁には絵画が飾られるという意匠であった。イングリッドはそれらを見てはっきりと眩暈を覚えてしまった。そんな「駅」なんてイングリッドの記憶上唯の一度も見たことが無い!
ただし、イングリッドが見たことが無いだけで、実際には地球上の歴史上もそういった駅の形態があったのかもしれない。そういう部分に無知であるのはイングリッド自身も認めるところである。
仕方が無いのだ。航空機、船舶の利用は仕方が無い。大量輸送機関が発達したことによる副産物として、それらを管制する装置……レーダーの発展が、イングリッド
しかし陸地にある場合において移動するのであれば、徒歩か、或いは自ら自動車を運転して個として移動するのが常態である。危なげなくランドクルーザーを運転するイングリッドを見てあっけに取られていたかりんの姿は、滑稽である以前に怒りを覚えたものだが。
これまた仕方が無いのだ。出来うる限り、存在した事実を残さないようにするには、そうせざるを得ない。イングリッドのような存在が事実存在したのだと言う証拠を残せば、イングリッドが掣肘すべき存在が警戒して深く世界に埋没しかねない。世界に人々が満ち満ちた現代、完全に存在を消すなんてことは不可能事なのだが、リアルタイムに存在位置が情報化されない限りは、先制のアドヴァンテージを持ちえる。
ところが鉄道を利用すると、あまりにも人目につきすぎるし、移動した痕跡を残しすぎる。なにしろ基本的に鉄道と言う輸送機械はレールの上から逃れられないのだから、衝突事故などから安全を担保するためには、様々な安全機器を置いて、まずは運行ダイヤを厳密に定める必要がある。マイルトレインなんていう見た目は最先端な鉄道貨物輸送を実現しつつ、隔時法で列車運行を行っている無閉塞運転が常態となっている鉄道会社が存在する国なんていうのもあるが、まあ例外中の例外で、ダイヤが厳密に決められている中でイングリッドの存在を察知されたら、その後の行動を推測するなんて簡単になってしまう。だから、鉄道の利用がすぐさま、隠密行動なんていう言葉とは遥か遠いところに逝ってしまう訳である。
だからイングリッドの移動手段に鉄道が選択されることは殆ど無かった。
と、なれば出来うる限り、鉄道を除いた手段を用いるしかない。さくらやかりんと交流した日々と言うのは、他の同僚に対するデコイであった日々と断じて良い。実のところどうしたって目立つ立ち姿のイングリッドは、先進国の現代社会において行動を制限されつつあったのだ。そうなると囮として派手に行動するぐらいが精々となってしまう。高度に情報化された社会では、イングリッドはその本質的存在を抹殺されたも同然なのだ。だからこそイングリッド自身の本格的活動範囲が混沌とした紛争地域に集中し勝ち、という結果に繋がっているわけである。
それはともかくとして「鉄道の駅」という状況ならば……実は存在した。大英帝国華やかしき頃にそのコロニーである南アフリカやインドにそれに近しいものが存在した。ただし、主用駅のみである。断じて地下鉄に存在することはなかったし、全ての駅に存在するわけでもなかった。イングリッドの眼に入る、停車するたびに否が応にも視界に入ってくる全ての駅がほぼ同じ形態だなんてことは流石に地球では唯の一度もありえなかった。
進行方向側3両が常に貴族用車両(最前列には運転席があるわけだが)、機関車を挟んで後方5両が平民用という特異な構造は、地球の鉄道を見慣れたイングリッドをして疑問だらけの構造だったわけだが、ルイズに対してそれを控えめに問いただしてもクエスチョンマークが跳ね返ってきただけだった。よってこの
はっきりいって、自動車、飛行機械、そしてこの「列車」。まったく動力がわからない。想像すらできない。ひどく悩ましいところで、イングリッドが強く警戒するところでもある。ついでにそこに
この街に至って激しく眼を背けてきた事実……否、正直に告白して、トリステイン魔法学院にいた時点で気が付いていたが、気が付かないフリをしていただけの事。その事実は、この世界に至って唯の一度たりとも電線を見かけなかったことだった。魔法学院の中だけがこの世界に理解を得る材料であった時点では、納得もしよう。あの箱庭内部を俯瞰すれば、そこから得られる時代背景は、精々が地球における18世紀前半である。電線やらコンセントやらなんて無くて当たり前なのだ。
しかし、このトリスタニアに至って
或いはすべからず地中化されているのだとしても、壁やら天井やらが発光しているので蛍光灯も白熱電球も当然見ることは出来なかったし、そうは言っても道路に街灯としか思えない構造物を見たのだから、やっぱり電気があるのではないか?という想像はしかし、この「列車」を見たときに吹っ飛んでしまった。
否、列車が来る前に気が付いてしまった。
この列車は、この列車を支える構造物周辺には電線やなにやらといった構造物が一切無かった。白い、ツルんとした光沢を見せる壁と、下を這う2本のレール。それを支えるラダー枕木……ラダー枕木だったのだ!レールと枕木を締結する装置はなかなか凝った構造をしていた。していたが……絶縁装置なんて見当たらなかったし、何十メートルか置きにあるレール同士の突合せ面には、例えば日本の鉄道における本線軌条には必須の継ぎ目ケーブル(帰線電流漏洩による周辺工作物の電食を防止するためと、軌道回路の確実な構成を担保するため)は見当たらないし、上方に架線も見当たらず、見た目は恐ろしいまでにクリーンだった。じゃあ、と思って第三軌条を探したわけだが……キュルケに首根っこをつかまれて、ホームに引き摺られる様な真似までして、軌道周辺を見渡したのだが、電力設備なんて見当たらなかった。「滅茶苦茶」にシンプルな構造だったのだ。
レールと枕木の間に介在する締結装置に絶縁体が見当たらない以上、つまるところシーメンスがベルリン工業博覧会で披露した、レールに直接電気を流す……現代で言えばメルクリンなどのごく一部のメーカー以外が製造販売する小型の鉄道模型に一般的な電気供給方法も取ってはいない。と、言う事になる。
なんでイングリッドが鉄道周辺の付帯設備にやたらと詳しいかと言えば、それは、ストリートファイトという闘争の結果として発生する付帯危害に鉄道が巻き込まれると、とんでもない2次被害を惹起するからである。
19世紀~20世紀前半で根本原因が不明の鉄道事故が大小含めていくつもあるのだが、原因がストリートファイトにあったものが混ざっているのである。これはイングリッドを含めたストリートファイターたちが無知であったが故に起きた悲劇である。否、自然災害のように言ってしまうのは無責任極まりない。現実世界に明らかとなればどうしようもなく重大かつ悪質な犯罪であるとしか言いようが無い。
死合う事のみが生きる道と嘯くファイターであるならばそれでも良いかも知れない(巻き込まれる方としては良い事あるか!というものだ)が、人間社会を守ることこそが本意であるイングリッドたちにとってはストリートファイトによって付随する2次災害を見逃す事は、自身の存在意義そのものに対する重大な疑義になりかねない。
よって、産業革命以降に突然に爆発的進展を見せた科学技術に対する知見、理解は重要不可欠な項目となった。だからこそ「飛行機」に対して触り「以降」の技術的理解があり、それが故にシルフィードの上にあって頭を沸騰させていたわけである。「タクシー」に乗って頭を捻ったわけでもあるし、ここに来て、いよいよ頭を爆発させそうになっているわけでもある。
本当にこの世界はイングリッドの理解が及ばない事だらけである。
ストリートファイトが本義であるように見える(大いなる勘違いである!)イングリッド達が科学技術に理解を深める必要なんて無いだろうと言う「偏見」は無くなり様がない状態だったが、イングリッドにしてみれば、そんな訳あるか!と叫びたいところだ。
例えばかりんがC-17K(このKは空中給油機を意味するものではなく、「神月」が発注した特殊モデルに対するメーカー側が付与した便宜上のサフィックスである)輸送機上で披露した神月流歩行術なんて無知であるが故のクリティカルなアクシデント一歩手前の自殺行為であった。雲の上(一万フィート=約三〇〇〇メートル)を行く高層で現代飛行機の外板を穴だらけにするような行為は、機体の空中分解を引き起こす直接的原因になり得たし(C-17ではなく、通常の与圧された旅客機であれだけぼこぼこやらかせば減圧から壊滅的構造破壊、空中分解に至っていたはずである)、B787のように非金属製胴体を持った飛行機であれをすれば胴体は粉々である。
そうはならなかったとしても、大気が薄い、すなわち揚力が少ない場所で胴体が著しく変形すれば空気力学的な変状で飛行能力が奪われて失速、急降下からの空中分解となったはずである。つまるところかりんと「蘭姉さま」との計画的かつ突発的なあの闘争と言うのはかりんが命綱を切られた時点で想像しうる最終的結末が一つに収斂していたのだ。「蓮姉さま」が自爆ボタンを押さなくても、あのC-17Kは遠からず墜落していたのだ。……かりんが市街地に激しく「軟着陸」した結果を見ると、自爆装置発動で跡形も無く粉々にしていなかったら、現場直下で発生したであろう事態は想像するだけでも恐ろしい話である。うっかりすれば数年後にFND!FND!と言われていただろう。カナダのTV番組制作会社が神月家の妨害を振り払って映像化できるのか?と言う疑問はあるわけだが……。
ただ航空機墜落事故で最終的にもっとも原形をとどめていることが多い……つまり航空機の空中分解事故で金属の塊として落ちてくるであろうエンジンを、間違いなく粉々に吹き飛ばすような芸術的自爆を演出している時点で、あの争いに対する評価が難しくなる。
大型航空機墜落の付帯被害を軽減するがためにエンジンを木端微塵にしたのか、かりんを確実に抹殺せんがために念を入れたのか。はたまた証拠隠滅もかねての事だったのか。真実は不明であるが、はっきりしている
この事例はあまりにも直截的かつ、特異な事例だが、例えば街中で死合うにしても技術に対する無知は大事故を誘発しかねない。
プロパンガスボンベに爆裂波動拳をぶち当てた結果がどうなるかなんて空恐ろしい事だし、大型タンクローリーにやらかせば発生する事態はロス・アルファケス大惨事の再来か、なんて事態になりかねない。
過密な街路に高圧電線がまま存在する日本で電柱を倒したりしたら、感電のような直接的2次災害は勿論、大規模な停電の発生。それに伴うエレベーターの閉じ込めとか、それで赤の他人が存在する中で、漏らしてしまって精神的死亡とか、手術中の死亡事故、生命維持装置が必要な入院患者の死亡で人間の魂を異世界に飛ばす事故とか、情報産業に対する大規模被害とか、執筆中の小説原稿がぶっ飛んだとか、それはそれは悲惨極まりない大惨事を惹起しかねないわけで。
過密運転を強いられている東海道新幹線線路のわきで無邪気にストリートファイトからのうっかり軌道破壊なんぞとなれば、エシェデ鉄道事故以上の惨事は免れないだろうし、道路でパワーゲイザー!とやって水道管が破裂しました、下水管が破裂しました。それだけでも大迷惑だけれども、本当に恐いのは、その瞬間に眼に見えた被害が出ていない状況である。
実はガス管が破損していて後でグアダラハラ爆発事故が再現されましたとか、上水道管が破損して汚水が混じりこみ、数ヶ月~数年後に大規模な健康被害が判明しましたなんてことになったら眼も当てられない。それ以前に大規模道路陥没事故へと繋がるだろうが。
現代社会ではほんの些細なイレギュラーがインフラストラクチャーへの大規模破壊へと繋がるので、ストリートファイトと言う行為は、人間社会に対する危険極まりない挑戦となりつつあるのだ。常識的世に生きる人々のうちのどれ程が、イングリッドやヒューゴの存在を想定するというのか。ユンやヤンあたりの「技」なら
銃や砲火器の存在は厄介なものではあるがイングリッドにとっては致命的ではない。流石にMOPが脳天直撃とか、120ミリ・スムーズボアから発射されたAPFSDS弾がおなかに命中とかは
しかしこのハルケギニアと言う世界は厄介である。成る程、異世界だと達観するのが容易いが、さて、実際にイングリッド自身が
鶏を牛刀で切り裂くが如し行為を常に行って、それでルイズは守りきりました。そうしてハルケギニア市民の死山血河を築きました。それではイングリッドと言う存在に対する自殺行為である。社会的インフラが大々的に整備された世界では、イングリッドが直接的に拳をぶち当てなくとも、2次災害、3次災害で被害を広めかねない。コレはすなわちイングリッドの力を制限する枷となるのだ。
そうは言っても、何はともあれ「ルイズを守る」これが大前提である。となれば許された限界ぎりぎりを見極めて全力を出すことが求められているのだから、イングリッドは殊更必死でこの世界の技術レベルを確定しようと努力しているのだ。そしてその努力が実を結ばない。
なんと言う絶望的状況か!
今までは何とかなっている。河川脇で発生した事件も、辛うじて何とかなった。
辛うじて、である。
あの時、サンバーストも、サンシュートもイングリッドは使わなかった。力を隠したかったからではない。それらの技を使ってどんな2次災害が起きるか。それに確信的な推定が及ばなかった。となれば、代替案を持ち出すしかなかった。あの場では幸いにして代替案があった。直前にナイフを買い込んでいたのは僥倖だったのだ。
何たる幸運。
もしあの場で、ナイフを持っていなければ、どう対応すべきだったか……。イングリッドは身を震わせるばかりである。
歩道を舗装していたタイルを引き剥がして投げる?良く整備されて、継ぎ目がドコにあるかも怪しいタイルを咄嗟に引き剥がせるか?
ルイズを抱えてダッシュする?自身のみであれば何の問題なく数メートルどころか数キロメートルだってかっとんでいけるが、ルイズがその加速に耐えられるだろうか?無理である。数メートルダッシュであっても背骨が折れる、首が折れる等と言う結果を招来してしまうだろう。
あの場に至る前に、自身が知覚出来ない場で何らかの対応がなされていた。その結果として襲撃者の行動がちぐはぐになった。それがために
……それは他力的な現象によって招来された結果論である。何処にも自身の実力が発揮されていない。その他力が発揮される前提にタバサの治療行為があり、それをなさしめたのがイングリッド自身の行動であったのだとしても、あまりにも偶然の要素が大きすぎた。
そういった偶然を招致するのも含めて、勝負における時の運などと言う事もあるが、あれは、そうではなかった。勝負ではない。テロルなのだ。現実に護衛対象たるルイズがテロルに巻き込まれた時点で護衛任務としては失敗していたに等しい。つまるところはイングリッドの無能の証明と言うわけだ。情けなさに目が眩む思いである。
今、自身が身を委ねる
サンシュートを発射してガソリン・タンク損傷して大爆発!とか?燃料が軽油であっても安心は出来ない。うっかりBLEVE現象発生となれば結果は似たようなものだ。自分を残して周辺すべてが黒こげで終わり。その中にはルイズも含まれる。自身を守る能力技術に事欠かないイングリッドだが、なんと言う事か!他を守るすべを知らない。
必殺技で襲撃者を「必殺」出来ない。どうする?通常技でコンボを繋げるか?しかし、襲撃者を一撃で倒せないとなると、ドールズのような複数人による連携攻撃を展開されれば、「YOU_LOSE」一直線である。
それこそショート・ソードの出番か。ファイン・ダガーを暗器の如く取り扱って、襲撃者の命を狩るか……しかしイングリッド自身に「武器」を使って他人の命を奪った経験なんてなかった。イングリッドの「武器」とはすなわちイングリッド自身であった。今まではそれでよかった。複数人相手でも、順番に拳でwastedと食らわせばよかった。
しかしルイズを守る。そうなると複数人相手となれば、対処方法がわからなくなってしまう。本当にわからないのだ。イングリッドはそういう行為にとことん無知であった。
どうすればいい?過去の記憶の中に、たまたま眼に入った事例として、誰かが何かを、誰かを守る行為の実例があったが……何しろ無意識に視界に入った事例である。意識していない有意の外で発生した現象なんてまともに記憶に残っている筈も無い。イングリッド自身が思い描く、ルイズの側を動かずに多数相手を排除する方法なんて、精々がSMGで銃弾をばら撒くぐらいである。だが、
人間一人を確実に無力化するには最低限ダブルタップだというのは、自身に拳銃が向けられた事による経験上知り得た事実である。つまり6人しか相手できない。それだって理想的状況での話であって、ジャムったらお仕舞いである。だからこそ自身で整備可能な拳銃を選んだわけだが、銃火器の故障確立はゼロには出来ない。限りなくゼロに近いリボルバーであっても完全ではない。発射薬に何らかの不良があれば……そしてそれに気が付く事が出来なければ装弾されたすべてが発射不能なんてこともありえなくは無い。そんな事態であれば拳銃は唯のゴミである。鈍器にもならない。こぶしで殴ったほうが遥かに殺傷能力がある。
襲撃者がジェット・ストリーム・アタックとばかりに一列に並んだら、拳銃での対応も途端に難しくなる。前列が死亡したのだとしてもそれを盾とされれば、無力化されたも同然だ。この場合無力化されるのはイングリッドである。
襲撃者がサガットばりにタフだったら眼も当てられない。そも拳銃なんて持っているだけ無駄となる。M1911から45ACPを全弾撃ち込まれたなんてことがあったようだ(サガット自身は拳銃の種類に詳しくないのでそれが本当にM1911であったかどうかは疑問である)が、その後遺症なんて実際に出会った時点では欠片もなかった。かりんだって、前記した闘争でNATO弾を雨霰と撃ち込まれて、そのうち何発かは確実に直撃していたであろう筈なのにケロッとしていた。世の中にはタフな奴がいるのだ(その筆頭付近に自身がいることはとりあえず脇に置いておく)。
そもそも拳銃は今、この場に無い。
ルイズの美意識がどうとかなんて時空の彼方に吹き飛ばして、なんとしてでも携帯すべきだったか……。しかし後の祭りである。
じゃあどうする?
わからない。
どうするの……?