藤の花の盛りを迎える   作:ruuca

8 / 12
白昼

 

 進藤が彩人を日本棋院に連れて行ったそのすぐ後、彩人は両親の承認もあってプロ棋士を目指すために正式に進藤の門下生となった。師弟関係はその前から続いていたものの、謝礼なども貰わず進藤は無償で彩人の面倒を見てきた。しかし、歴としたプロである進藤に対してそれはいけないと、両親が顔を若干青くさせながら正式な入門を打診してきたのだ。あまり気にしてはいなかった進藤だが、社会的に筋は通した方がやはりいいだろうと認識を改めてそれを受けた。

 というわけで、彩人は一月に院生試験を受けるため進藤の家に泊まり込みで勉強を行っていた。十月の試験には、惜しくも募集締め切りを逃してしまったため、その次の時期に受けることにした。

 本因坊の名前を使ってねじ込むことも一瞬考えたが、職権乱用はいけないと思い止まった。それに、勉強する時間は多いに越したことはない。まだ彩人は12歳だ。棋界は若い内に入段するのが良いと言われているが、ゆっくりと育ててもいい。

 それに、進藤はこうして彩人と向かい合って、時間をたっぷり使って碁を打つのが割と好きだった。

 日曜の昼下がり、庭師に整えさせた進藤邸の庭園がよく見える縁側で、足つき碁盤を置いてここはこうした方がいい、などと言いながら彩人に指導碁を打つ。穏やかな日差しに包まれながら、こうして打つことに進藤は懐かしさを覚えていた。

 

 また一局が終わり、検討に入る時にふと彩人が口を開いた。

「置石、減りましたね」

「お前もめきめき実力つけてきたからな。そのうち互先で打てるようになるだろ」

「ヒカルさんと互先・・・早く打ってみたいです」

「調子にのるなよ?俺はまだ全力じゃないんだからな」

 

 進藤は強がって言ってみたものの、彩人と打つと時折ヒヤリとする場面があり、真剣に打つ時の彼の気迫はプロたちにも引けを取らない。

 まるで、初めて会った時の塔矢アキラのような、碁に対する情熱が幼いながらも感じさせられる。彩人を見ていると、自分もかつて我武者羅で、強くなることに夢中だった頃を思い出す。勿論、今も進藤は神の一手を極めるべく精進しているが、少年時代の時のような生き急ぐ感じはない。大人とこども。まるで生きてきた時間の差が、このような認識の差を生んでいるかのようだった。

 パチ、パチと石が木の盤面を打つ音が響く。先ほど二人が打った白黒の宇宙が再現されていく。彩人によるのびやかな打ち筋は若々しさを感じさせ、それをさらに引き出してやるように進藤の手が運ばれて行っている。しかし、優しく導いているようでいて冷酷に応手している。それに食らいつく彩人の手。この碁を打っている時、短刀を持ちすばしこく進藤に切り込む彩人のイメージが想起された。

 彩人の刃は、確実に研ぎ澄まされていっている。その時進藤はそう感じた。

 進藤が真剣を抜く時もそう遅くないかもしれない。それは事実だった。

 気になった所で手を止め、ところどころで解説や指導などをしていると、何やら身体をゆさゆさと動かす彩人が目に映った。

 

「・・・どうした?トイレか?」

「い、いえ違います・・・ただ足が・・・」

「足?」

 

 そう言われて彩人の足を見ると、正座した態勢である彩人の脚がもぞもぞと動いていた。

 

「ああ、痺れたのか?」

「ううっ・・・はいっ・・・」

「崩せよ!もう一時間は座りっぱなしだろ」

「うう・・・しかし、私はご指導を受けている立場なので・・・」

「そんなんじゃ俺のせっかくの指導も意味を為さなくなるだろ!もう休憩だ。座布団並べてやるから寝っ転がってろ」

「あああ・・・でもぉ・・・・」

「いいからほーら」

 

 よっこいしょ、と進藤は彩人の身体を持ち上げる。彩人の足が床から浮いた時に進藤の顔が歪んだが、半ば意地で彩人を和室へと連れて行った。細身だから軽いと思ったのにそれなりに重かった。

 床に降ろしてやると、足の痺れが一気にきたのか足を抱えて悶えながら寝転がった。その様子に思わず進藤はぷっと吹き出してしまう。

 

「なんかいるか?」

「う〜んではお茶が飲みたいです。冷たいお茶で」

 

 進藤は台所に向かい、冷蔵庫の中から彩人のお気に入りの麦茶を出してグラスに注ぐ。ついでに自分の分のコーラの缶も出して、二つを手に持ちながら和室に戻る。

 すると和室で寝転がっている彩人が、若干うとうとと瞼をゆっくりと開閉させていた。

 こと碁になると時間を忘れてしまいがちな彩人だが、やはり体は少なからず疲弊していたのだろう。彼には睡魔が襲ってきているようだった。

 

(午前に彩人が来てからほとんど打ちっぱなしだったからな)

 

 充実した時間ではあったがこども相手に無理をさせてしまったかもしれないと進藤は反省した。テーブルに麦茶の入ったグラスを置いて、彩人に一声かける。しかし彩人からふにゃふにゃした返事が返ってきた。

 進藤に起こす気は無かった。隣の部屋から扇風機を引っ張り出してくると彩人の体の方へ向けて置いてスイッチを入れる。まだ残暑が厳しい日中。熱中症になられるわけにはいかない。

 やがて彩人は深く瞼を瞑り、小さな寝息を立て始めた。

 

 進藤はそれを見ると静かに立ち上がり、あるものを取ってくると再び彩人の側に腰掛けた。銀色に鈍い光を放つ四角形の板のようなもの。それはノートパソコンだった。最近必要になってタブレットのほかに購入した。勿論和谷推奨のモデルだ。

 閉じられたそれを開くとすでに電源は入っていた。自然の光景が一定の間隔で移り変わっていくスクリーンセーバー。初期設定のままだ。それを解除すると、液晶画面上に白黒の盤面が現れた。これは日本棋院が配布している棋譜の管理ソフトだ。こんなものがあるなんて和谷に教えられるまで知らなかった。

 そこに並べられているのは、彼にとっては懐かしい一局だった。

 最初は彩人の勉強のために棋譜を集めて保存しておくためのものだった。しかし、再生機能などに触れているうちに進藤の内に懐古の念が湧いてきたのだ。

 彩人と同じくらいの年の頃の自身の棋譜を、進藤は少しずつ再現していっていた。

 画面上に映っていたのは惚れ惚れするほどの美しい石の流れ。広がる宇宙。現在の進藤の好敵手が素直な尊敬の念を抱かせたほどの一局。

 小学六年生の時の囲碁大会での一局。

 今の進藤の碁の中に流れる、生命の源流。

 初手から再生すると、ありありと浮かんできた。自分を導く優しい声、柔和な微笑み、白い平安装束。

 囲碁を一局打つことは、宇宙を創ることだと進藤は考えている。そして、今再生されているこの一局は、神による宇宙創成なのだ。

 再生が終わる。束の間の夢は終わりを告げる。

 進藤は編集し終わった棋譜を保存すると、また新たな棋譜の再現に取り掛かった。

 この棋譜を、独り占めするつもりはない。進藤は眠っている彩人の方をちらと見た。

 ____いつかこいつにこれらの棋譜を見せてやろう。そして、これを見てどう感じたか、聞いてみよう。

 心の中でそう思いながら、進藤はパソコンに向かい合い、作業へ没入していった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。