目が回る。
あらゆる見てきたものが後に流れ、残されるのは私一人だけ。
周りは真っ暗で、ぽつんと街灯に照らされた私が一人。
玉の中に座り込んで、ぼーっと上を眺めている。
逃げたくても逃げることはできない。
人は皆、何かに縛られ囚われて生きているのだろうから。
玉のあちこちには傷があって、深いものもあれば浅いものもある。
でも、絶対消えない傷で、触ると痛みがある。苦みがある。
無意識のうちに傷を忘れることはあるけれど、
それはかさぶたによるもので、ふとした折にかさぶたが取れ
生々しい傷が浮き彫りになる。
決して忘れられない、罪が。
人につけられた傷もある、自分でつけた傷もある。
一転、見方を変えるとさながらプリズムのごとく虹色に輝いたりもする。
傷だし罪だけど、捨てられないし、捨ててもいけない。
宗教の中には、生まれながらにして人間は罪を背負っている、という
考え方を持つものがある。私は生まれてすぐに罪を背負わされるなんて
考え方はあまりに悲劇にすぎるので、肯定するつもりはないが、
生き方で功徳が積まれるように、罪も重なると信じている。
私の生き方考え方は罪とともにある。
苦しさにもがきつつ、文章に思いのたけをぶつけ、吐き出しているが、
間違ってこんな文章を見てしまった人を思えば、
こんな暗い文章を晒していることを申し訳なく思う。
しかし、私の玉にはもういくつもの傷が刻まれたのだろうか。
他の人の玉を覗くことはできないから、みんながどんな傷を抱えているのか
私は知らない。
困ったことにどうやら玉そのものは、人によって強度に差があるんだろうなと
感じたりすることがある。私はどちらかというと弱いほうのようだ。
また、人によって存在する場所もまちまちだ。
頭にあるという人もいれば、心臓だという人もある。
私は心臓にあるようだ。なんとなくだが。
ただ、自殺するような人は玉が壊れてしまったんだろうな、と思う。
周囲の闇が侵入して、心細さにじっと膝を抱えて、叫び始めたとき、
均衡が破れ、現実でも闇が侵入し、結局は死ぬことを選んでしまう。
自殺することを良しとは思わない。けど、
死んだ先には何が見えていて、それは幸せなのか、それとも不幸だったのかを
できれば知りたい。でも、死んだ人とは話ができないから、確認するすべもない。
ただ、現実の縛りを抜け出したその一瞬のみは、開放的で素晴らしい物
だったんじゃないかと信じたい。
死ぬことって滅茶苦茶特別な物にも思えるけど、
誰しもがそこからは逃げられないし、普遍的な物でもある。
当たり前の話。
玉が壊れるのが先か、肉体が壊れるのが先か。
どちらかでいえば、どっちも面倒だし嫌、というのが正直な感想である。
普段思ってることを書きなぐっただけ。
ぐるぐる、ぐるぐる。