……何だこれ。意味分からん。
無茶しやがってエンドで終わった為、いつかもう一度やる羽目に。
練習なしに成果を出すことは困難だ。
それは、何もスポーツだけの話ではない。
アイドルの歌や踊りだって、練習の積み重ね無しに磨かれることは無い。
「これで全員ね? 時間が惜しい、さっそく始めるわよ!」
「「「はい!!!」」」
レッスンスタジオには765以外のアイドルやプロデューサーも来ているらしい。
別の部屋ではあるが、通路を歩いている時に中から厳しく指示を出す声が聞こえてきた。
当然、765のアイドルにレッスンを行うトレーナーも、厳しさは同じだ。
「そこ! 動きが遅れてるわ! その動きに入る少し前からペース上げなさい!」
「は、はい! すみません!」
「あなた! 動きが速すぎるわ! ワンテンポ遅く!」
「ご、ごめんなさい!」
ほんのわずかな、ほぼ誤差レベルの動きのズレすら的確に見抜き、注意を出す鬼トレーナー。
傍から見てるとその厳しさはやりすぎなくらいにも思えてくるのだが、アイドル達がステージの上で完璧な動きをするためには彼ら、彼女らの存在が不可欠だ。
アイドル達の踊りを見るのは、ファンだけではない。
オーディションの審査員、すなわちプロにも披露するのだ。
プロは、日常的にアイドルの演技を見続けており、ほんのわずかな動きのズレすら見抜いてくる。
そして、それが意図的……すなわち、曲の動きや振付師の意図によるものなのか、無意識のうちに行われてしまった物なのかも、人によっては見ぬかれてしまう。
もし、無意識のうちにずれてしまった……すなわち実力が足りない物、練習が足りない物であると審査員に見抜かれた場合、合格は非常に厳しいものとなる。
動きが合っていない踊り、声がばらばらの歌など、放送する価値は無いからだ。
(……俺の想像以上に厳しいな)
正直、多少のズレなんかいいんじゃないか? とも思ってしまう。
しかし、アイドル――彼女達はプロだ。
その歌と踊りを披露することで客から金を得る。
歌と踊りで審査員の目を引き、番組に出なければならない。
そのためには、ライバルの歌や踊りよりも、自分の歌と踊りの方がより価値があると示す必要がある。
……ものすごい競争社会なんだな、この業界。
(……しかし、レッスンをこうして見ている間、俺に出来る事は無い。俺がレッスンをするわけにもいかないし、口出しするわけにもいかないな)
そうなると、どうしようか?
……ジュースでも買ってこようかな?
スポーツドリンクとかあると喜んでくれるかもな。
「……よし。休憩! 水分補給、休息を欠かさずに!」
「「「はい!」」」
おっ、丁度休憩か。
「トレーナーさん、スポーツドリンクの売っている自販機はどこにあります? アイドル達のために買ってこようかと考えたのですが」
「ふむ……。自販機は外に出たところにあるけど、自販機の物はそのままではあの子たちに渡すには向かないわよ。冷たい物を一気飲みさせるのは体によくないから」
「あ……」
……しまった。
よく考えたら当然じゃないか。
自販機のジュースは冷え切ってるから、水分補給で一気飲みしたら間違いなく頭痛の原因になりかねないな……。
「……まあ、貴方がそこまで気づかなかったことも想定していたんでしょうけど。部屋の隅に置かれた彼女達の荷物、見てみなさい」
「あ、スポーツドリンク……」
アイドル達の荷物の傍に500mlのペットボトルが10本ほど見える。
もちろん中身はスポーツドリンクだ。
……そこまで考えていたんだな……。
「スポーツドリンクはどこの事務所も買い置きして保管してあるものよ。レッスンだけじゃなく、ライブの合間にも水分補給は欠かせないわ。だから常備しておいて、必要に応じて持っていくみたいよ」
「なるほど……覚えておきます」
となると、事務所の中には大量のスポーツドリンクが置かれてるんだろうか?
ライブだけじゃなく、レッスンの合間にも必要になるしな。
「ただ、冷たいジュースも使いようによっては使えるかもね。自販機で買ったばかりのジュースの容器を首に当てて汗を早く引かせつつ、温くなった中身を飲み干すアイドルも居たわ」
「首に当てるんですか?」
……初耳だ。
「首の血管を冷やすと体の奥の体温は急速に冷えるのよ。アイドルじゃなくても暑い時期には使えるんじゃないかしらね。まあ、ペットボトルや缶を首にくっつけるから、不格好なのが難点かしら」
「なるほど……」
とはいえ、アイドルとしてステージで活躍してる時以外は重要なんじゃないだろうか?
……いや、さすがにそれは女の子に推奨させる物じゃないな。
そんな感じに使えるグッズの方が役に立つか?
「まあ、その辺をどうするのかはあなたとアイドルが話し合って決める事ね」
「そうですね。考えてみます」
暑さ対策、汗対策か……。
夏場になると間違いなく重要になるだろうな。
「……ところで、今日はダンスレッスンを見てもらっているわけだけど、何か気づいたことはあるかしら?」
「気づいたこと……?」
……正直、レッスンが俺の想像以上に厳しかったことしか印象に残ってない。
誤差レベルのズレまで修正するとは思わなかった。
「当然よ。あなたも予想はつくでしょうけど、オーディションの審査員はプロだもの。ほんのわずかな動きのズレを見抜かれて、不合格になったアイドルが居るわ。ライブでファンに見せるだけなら誰も気づかないような誤差レベルの、ね」
「……!」
「それも、アイドルアルティメイトでBランクに上がっていたアイドルよ? そんなアイドルですら、Cランクの動きが揃っていたアイドルに劣っていると判断されて不合格にされるの」
さっきも思ったけど、本当に厳しいな……。
番組出演はまさに死に物狂いの戦いか……。
「厳しい物は本当に厳しいから、その認識で間違ってないわ。……と、そろそろ時間ね。次は、アイドルの子達の動きを見ておいて。同じレッスンの同じ動きでも、受ける印象がずいぶん違うはずよ」
「分かりました」
よし。次はアイドルの動きを見てみようか。
今日の参加アイドルは春香、真、それと……やよいさん、だったか?
「よし、休憩終了! レッスン再開! 目標は掲げる物じゃない! 最低限のノルマよ! 忘れない事!」
「「「はい!」」」
再び始まったダンスレッスン。
まずは真から見てみようか。
「今度は曲を流して、通しで行うわ! リズムを乱さないように!」
「「「分かりました!」」」
曲は「迷走Mind」なのか。
何となくだけど、真に合いそうな曲だな。
(……)
社長が言ってた通り、真はダンスの見せ方、いや、魅せ方が非常に上手い。
曲に合わせて踊っているだけなのに、それでも他の二人より目に見えて上手だ。
(他の二人が決して下手と言うわけじゃない。けど、これは……)
注意して三人の動きを見比べてみると、その差は一目瞭然だった。
春香は踊りの振り付けを間違えている、遅れている、と言ったことはないものの、真、やよいさんのように「魅せる」ことは出来ておらず、他の二人より明らかに見劣りしてしまう。
一方、真とやよいさんを比べると……。
(真の方が余裕があるのかな?)
真の方は全ての動きで「魅せる」表現が出来ているようだ。
一方、やよいさんの方は「魅せる動き」にムラがある。
それでも、ついていくのがやっと、と言った感じの春香よりは余裕があるのか、なんとか真に追いつこうと頑張っているらしい。
……けど、これ……。
(じっと見てたら素人の俺にも技量の差が分かってしまうってことは、プロの審査員からすると……)
一目瞭然、って事なのか……。
実際、ダンスだけで比べられたら春香では何をやっても真には、というかやよいさんにも勝てそうにないな……。
……そろそろ、曲の終盤かな?
(……って、何だ!? 真の周囲だけ空気が……!?)
元々他の二人より真の方が技量では上回っていると感じていたが、終盤に入ると突然真の雰囲気が一変した。
見る者全てを引き付けるような、否、他の二人が全く目に入らなくなるほどの「何か」が真のダンスから伝わってくる。
気迫、なのか? これは一体……?
(……あ、あれ? 終わった、のか?)
しかし、その不思議な感覚はすぐに終わってしまい、他の二人のダンスも目に入るようになる。
……さっきの一瞬だけ、真のダンスから全く目が離せなかった。
まるで吸い込まれてしまったかのように、他の二人のダンスは目に入らなくなる。
それに……。
(ほんのかすかに、真しか立っていない宇宙空間のような演出のステージが見えたような気が……)
そんなはずがない。
ここはレッスンスタジオで、ステージじゃないと分かっているのだが、それでもさっきの感覚を忘れることは出来なかった。
……真のダンスに見惚れてしまって、錯覚でもしたのか?
「よし、そこまで! 本日のレッスンは終了! 各々、今日学んだことを忘れず、力をつける事! 以上、解散!」
「「「ありがとうございました!」」」
俺が考え事をしている間にレッスンは終わってしまったらしい。
アイドル達も帰る準備を始めており、トレーナーも何事も無かったかのように片づけを始めている。
……今の感覚は一体?
「アイドルの子達の動きから受ける印象、ずいぶん違ったでしょう?」
「へ? ええ、そうですね。真が他より飛びぬけていましたね」
「そうね。間違いなくあの子は伸びるわ」
……俺は幻覚でも見たんだろうか?
こんなの聞くわけにもいかないよな。
「私にも見えたわよ。まさかレッスンで決めるとは想像もしなかったけど」
「……幻覚ではないと?」
しかし、演出でもないのにどうしてそんな……。
「まあ、アイドルとファンだけが見える世界、とでも言えばいいのかしらね。アイドルに興味も関心も無い人には普通に踊っているようにしか見えないらしいけど」
「は、はあ……」
「ふふ、フェスに行けば嫌でも見ることになるわよ。それも、今日見えた物とは比べ物にならないのを、ね」
「……?」
これ以上の物がある、と?
「当然よ。あの子達はまだアイドルとしては素人同然。でも、フェスに出てくるアイドルは文字通り互いのファンを賭けて戦うプロ。レベルの差は歴然よ」
「な、なるほど……」
そんな凄い相手と戦うことになるなら、まだまだ技量不足もいいところだな……。
「そうね。あの子達はまだまだレッスンを重ねないとね」
「プロデューサー、準備できました!」
帰る準備を済ませた真が呼びに来た。
……もう話を切り上げて行かないと。
「まあ、色々新しい事や信じられない物はあるでしょうけど、頑張りなさい」
「は、はい! 色々教えて頂きありがとうございました!」
バーストアピールを表現した結果、妙な事に。
ぐぬぬ、表現力とか文章力が足りない……。
自販機で買ったばかりのペットボトルを首に当てるのは実際有効で、汗を止めるのに使えます。
……まあ、不格好なのは仕方ないですけど。